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2011年5月20日 (金)

1382 実像と虚像

実像と虚像に関しては、小学校の理科で習った結果、逆に意味の混同が起こった経験を持っている者の一人です。さて、実際の社会に照らしてみると、この言葉はどう映るのでしょうか。

実像とは、実体が伴い名実が一致しているものだと言えるでしょう。例えば、適正な代価を払えば、食べ物や車や電化製品が手に入ります。これは、モノという実態と、その代価としてのお金は、矛盾なく対応している場合です。

では、債券や株券はどうでしょうか。これらで、直接モノを買う事はできませんから、実体経済からはやや外れるシステムになります。これらはまた、経済の状況変化により、その値打ちが変化するものでもありますから、さながら凸レンズを使って、周りの景色を眺める場合に似てきます。いわゆる景気が良い時期には、凸レンズで「拡大してモノを観察」する場合の様に大きく膨らんで見えるでしょう。しかし、これは理科で教える「虚像」そのものなのです。実態のないお金は、いわばお金を使う権利であって、それは時価で大きく変わりうる価値でもあります。凸レンズで拡大してみれば、たぶんそれを所有している人はひいき目もありますから、大きな財産を持っていると感ずることになるでしょう。

しかし、凸レンズを離して眺めた時に見える逆さの像こそ「実像」である事は、改めて銘記する必要があります。というより、「だまされ易い視覚」以外の四感で確認できるものこそが実体であると考えた方が間違いないといえるでしょう。人間の例で、視覚に当たるものが、実は社会では、お金であり経済であると、投稿者は見ています。そうでないと、お金に換算できないモノや行動にはほとんど価値を認めない、という現代の風潮が説明できないからです。

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