« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月31日 (火)

1393 ミニ台風

今回の台風は、小粒でしたが発生時は強力で、かなりのパワーを持っていたような気がします。台風が、強力になるという事は、発生し発達した海域の水温が高い事を意味しますが、今回は幸いにも日本近海の海水温がまだ低かったため、勢力は急速に衰えました。

さて、夏が近づいてきて、近海の水温がしっかり上がってくると、例えば920Paなどまで、しっかりと気圧の下がった台風は、そのままの強さで日本を直撃する事になります。アメリカ中西部の竜巻は、春先に強まる砂漠地帯への日射と、上空の寒気のコラボ?で凶悪に化けますが、日本近海の場合は、上昇した海水温と上空の寒気のコラボになります。しかも、台風の場合は竜巻とは異なり、海からたっぷりと湿気が補給されますので、強風と同時にゲリラ雨ももたらします。

以前も書いたような気がしますが、竜巻もハリケーンも台風もサイクロンも、偏西風と高い山塊に起因する「カルマン渦」です。これらの原因を作る山塊とは、アメリカではロッキー山脈であり、日本の場合はヒマヤラであり、インド洋の場合はキリマンジェロというわけです。北半球では、自転の影響で右回転の渦が消え、左回りの渦だけが残ります。それが、太陽光からのエネルギー補給を受けて勢力を強める訳です。海水温は、近年確実に上昇しており、今後も大小の台風の頻繁な襲来が懸念されます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月30日 (月)

1392 環ビジ76(保暖フィルム)

夏場を前に、酷暑を省エネで乗り切るため、ガラスに貼る遮熱フィルムがブームです。しかし、投稿者の頭の中は既に冬に飛んでいます。少し違った特性は求められますが、遮熱フィルムは基本的には冬場の暖房時にも有効なはずなのです。適切に製造されたフィルム(という事は、世の中にはまがい物も多いという事を意味しますが)は、例えば微細な「銀のスパッタ」を付けたフィルムなのですが、これはそのスパッタの大きさや密度により、特定波長以上の電磁波(赤外線)をブロックします。

しかしながら、太陽光含まれる赤外線と室内暖房によって発生する赤外線は、波長がだいぶ異なるのです。室内暖房だけに特性を合わせたフィルムは、夏場には実はあまり効果は期待できませんが、上手くスパッタの設計をすれば、両方にそれなりの効果を発揮するフィルムの製造は可能なのです。具体的には、室内から逃げる長い波長の赤外線と太陽から来る短い波長の赤外線を、それぞれ違った大きさのスパッタでブロックするため、二種類のスパッタをハイブリッドするなどの方法が考えられます。しっかりと設計されたフィルムは、冷暖房負荷を10%以上は削減できるはずです。加えて、いわゆる体感温度で言えば、気温以上に冷暖房効果を高めるので、冷暖房はさらにもう一段弱めても良いので、省エネ効果はさらに大きくできます。夏冬ともにしっかりした効果が発揮できれば、例えば㎡当り10,000円のフィルムの施工は必ずしも高くはないでしょう。そんな理想の性能を持つ銘柄は、今のところどのメーカーでも作ってくれていません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月29日 (日)

1391 環ビジ75(輻射制御技術)

最近しみじみ思う事がもう一つあります。それは、今後先細る石油エネルギーや、気まぐれで量も限られる再生可能エネルギーを賢く使うためには、私たちは「輻射」を制御する技術を磨かなければならないという事です。輻射は、基本的には電磁波の「流れ」ですが、これは熱の原因にもなり、赤外線や可視光にもなり、X線や電波にもなり、ガンマ線など放射線の一部でもある訳で、この世で起こる種々の現象の根源の一つと考えても良いでしょう。

しかしながら、これを制御するのは非常に骨の折れる事は、少し考えれば分かります。これ(電磁波の輻射)を上手く止める技術は殆ど開発されていないからです。それが可能なら、その技術を使って防護服を作れば、原発事故現場の強い放射線もほとんど問題にならないはずです。今使われている防護服は、ビニール合羽とあまり変わらないもので、放射性物質(チリ)が、自分が着ている服や肌に付着するのを避ける程度の機能しかないと想像しています。

脱線しましたが、さて輻射コントロールです。可視光の範囲であれば、鏡やレンズが有効である事はすぐ分かります。しかし、目には見えない紫外線や赤外線ではどうでしょう。それをある程度であれば遮るには比較的容易です。その電磁波の波長より細かい網を作ってやれば、ほとんどシャットアウトできます、電子レンジのガラスは伊達に網目が入っている訳ではないのです。遮熱フィルムも、しっかりした銘柄では、金属スパッタなどで、数ミクロンの細かい網目を作っているはずです。

しかし、根本的な問題として電磁波の持つエネルギーを直接的に貯蔵したり、高い効率で反射したりする技術はまだまだ頼りない状況だと言えます。それが高度に洗練されれば、例えば数日間熱湯のまま保温できるポットができるでしょうし、真夏の強い太陽熱を、季節を超えて寒い冬まで貯めてもおけるでしょう。これこそが地球を救う技術だと言えるでしょう。何故なら、(石油ではなく)砂漠の灼熱を寒い北国まで運ぶことが出来る様にもなるからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月28日 (土)

1390 有効・境界・無効

エネルギーや行動やお金やモノなど、何か機能を持つものども(モノ=物質とは限りません)には、必ず有効なものと無効なものが存在します。エネルギーで言えば、誰もいないトイレにしょんぼり灯っている電灯であり、行動であれば目的の無いほっつき歩きでしょうか。しかし、これほどハッキリしていない中間の状態の方が実は割合としては殆どなのだと感じています。

工場で言えば、そこの製品に1円でも「付加価値」を追加している、モノや行動やエネルギーは有効だと言えますが、では仕掛品を次の工程に横移動させる行動やエネルギー、時々人が通路を照らしている電灯、或いは作業環境の改善のために動いている送風機はどうでしょう。見かけ上は付加価値を生んでいる様には見えません。では無効なものかといえば決してそうではありません。つまりは、有効・無効の間の(太い)境界線上にあるものども、だと言えるでしょう。

世の中が右肩上がりで、とにかく経済や企業の規模や業績が拡大している時代では、確かにこれら「境界線」上にあるものは、取り敢えずは「有効」に放り込んでおけば事足りました。

しかし、今後はこれらを、先ずは「境界エリア」の俎板に上げて、じっくりと腑分けしてみる必要があると思うのです。腑分けのためには、「なぜそれが、そのタイミングで、それだけ必要なのか?」などという「なぜなぜクエスチョン」を繰り返すしかないでしょう。ありふれた平均的なモノづくり工場を想定すれば、エネルギーの有効:境界:無効=442などとなるでしょう。無効の排除(無駄取り)で2割、境界エネルギーの腑分けで、さらに2割程度の省エネは、どの事業所でも可能だと、最近しみじみ感じています。この数字さえ叩き出せれば、T電さんもC電さんも全原発を止めても安心できるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月27日 (金)

1389 隠す

放射性物質は、危ないので絶対に何重にも遮蔽容器の中に隠し続けなければなりません。それらが入った窓のない建物も最終的な目隠しです。この建物に入るためには、厳重なゲートと、たぶんセキュリティが掛かった何枚かの扉を通らないと、制御室などの中枢部分には入れないでしょう。体質として、原発は世の中からは隠し続けなければならないモノを抱えているシステムだと言えるでしょう。

とはいいながら、今回の事故のごく初期の対応に関しては、絶対にその真実を明らかにする必要はあるでしょう。想像するに、発災のごく初期には、原発設備自体の保存を考えたでしょう。しかし、炉心を冷やすための手段が全て絶たれた段階では、専門家はすぐに炉心溶融を思い描いたでしょう。しかし、残念ながら彼らは炉心溶融を「知識」として知っていただけでした。彼らの中にチュルノブイリを視察したスタッフが何名かいただけでも事態は少し変わっていたかもしれません。初期の段階から廃炉さえ厭わなければ、打つ手は他にもあったはずなのです。

水素爆発があった時点で、それ以前にメルトダウンが起きていたのは、専門家には常識だったはずです。何人かはそれを指摘していたでしょうが、何重にも隠された炉心の中の状況は「確認できない」ため、T電はつい最近までそれを認めようとはしませんでした。2000℃にもなるマグマは、鉄やコンクリートのバリアなど容易に溶かしたり、破壊したりしてしまいます。このマグマと水が接触すれば、水が酸素と水素に分離して、バリアの隙間から漏れ出し、水素爆発を起こすにはそれほど時間はかからなかったでしょう。このプロセスの時間を追った正確なトレースは、動き続けている原発の更なる安全対策のためには、絶対に必要な事でしょうし、もしコストを掛けてそれを忠実に行うなら、原発は経済性の観点から「消え去るべきエネルギー」だと言うしかなくなるはずです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月26日 (木)

1388 新しい経済学

壁に突き当たっていると再々書いている、現在の社会システムや経済学ですが、これもたぶん何度か書いたその本質部分ですが、それは「量的拡大が全ての前提になっている」という点にあると考えています。ですから、短い期間であっても縮小局面では、やれ円高不況だ、リーマンショックだ、デフレ不況だ、などなど対処方法が分からず大騒ぎになる訳です。

ここで提案する新しい経済学(学と呼ぶほど大げさなものではないのですが)は、そのそもそもの大前提を変えます。つまり、将来のある時期の経済規模を縮小均衡させるレベルを、過去のある時期に経験したレベルを想定して、一定幅に固定します。全ての社会活動や経済活動は、それを前提に展開されますので、滅茶苦茶な投資や前提を無視した拡大は必ず破たんする事を意味します。何やらかつての赤い国の計画経済の様にも見えますが、決してそうではありません。これは、国民の大多数の意志の表明でもありますから、あくまで「自律的」に達成されるべき目標なのです。

実は、エネルギーに関しては、既に多くの提言が行われてきました。例えば、ファクター4やファクター10と呼ばれる「環境効率」があります。これは、資源・エネルギー効率を今の4倍や10倍にしなければ、持続可能性は破たんするとの指摘です。

しかし、今の1/10のエネルギーで走る車が開発されたとして、それで可能性が担保される訳ではありません。資源の塊である車の重量も1/10にしなければならないからです。それは、今車に乗っている人全てが、S-パーカブの様な100㎏に満たない車重の車(バイク?)に乗って移動しなければならない事を意味しますし、日夜高速道路を疾走するトラックで運ばれる貨物量も1/10にしなければならない事を意味します。つまり、エネルギー消費規模を1/10にすることは、経済の規模も1/10かそれに近い規模になることを意味するのです。雇用や経済に関しては、例えばIT産業やサービス業を拡大すれば良いなどとして、古い経済学にしがみ付こうとする輩もおりますが、「スマホ」ではお腹の足しにはなりませんし、レストランが裏庭で野菜や穀物を生産している訳ではありません。まずは、「足るを知る」ことから始め、何が「足るレベル」であるかの真剣な議論が必要です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月25日 (水)

1387 環ビジ74(木材複合材)

航空機で軽量化のために多用されている複合材(CFRP)は、通常上下2枚のカーボン繊維で編まれたスキン材で、軽量なハニカム(蜂の巣状のフィラー)を挟んで、接着剤で固めたものが用いられます。この材料で、部材の曲げ荷重は上下のスキンで受け持ち、一方上下のスキン間に発生するせんだん力(シェア)は、横変形に強いハニカムが受け持つ、という「材料の役割分担」で、軽量化と同時に高い強度が実現されている材料だと言えます。何しろアルミ箔やノーメックスという薄い材料で作られているハニカムの中身は殆どが空気ですので、軽い訳です。ハニカムの替わりに、発泡させたプラスチック材料を使う場合も結構多くなっています。

さて木材複合材です。木材は、セルロースとい非常に強度の高い繊維と、リグニン等の接着剤に当たるものから出来ている、天然の複合材だと言えます。しかも、水の通り道である維管束は、換装させると空気が入っている管になるため、比重は0.5弱程度で、金属に比べれば非常に軽い材料だと言えます。しかし、天然材である木材はいくつかの欠点も抱えています。一つは、腐朽するという事です。ほとんどの場合には菌類(キノコ類)によって普及されるのですが、広い意味では、シロアリなどにより虫害も含まれます。腐朽でボロボロになった木材には、強度は残っていません。もう一つは、曲げ強度が低いという事が挙げられます。木材を曲げるとまずしなり、次いで表面にひびが生じてバキバキと折れてしまいます。もし、この表面に引っ張り強度の高い、繊維のスキンがあれば、圧縮には強い木材の強度は飛躍的に向上するはずです。つまり、木材を補強するには、表面にスキンを貼ってやれば良い事になります。このスキンは、やはり天然繊維を使いたいものです。純粋なセルロースなどが考えられます。接着剤としては、ニカワや漆などに類した、動物性か植物性の天然物を使いたいものです。木材自身に含まれる、天然の接着剤であるリグニンなども候補に挙げたいところです。

ところで、このビジネスの最大の問題は、こんなに夢があり、有用な技術だと思われる素材も、当面は儲からないという理由だけで、誰も真面目に研究してくれないという点だけなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月24日 (火)

1386 環ビジ74(圧縮木材)

木材は間違いなくすぐれた環境材料ですが、水を吸って虫食いが起こったり腐朽したりする事や、反りや割れが発生するなどの欠点も多く抱えていて、建築材料ではあっても「工業材料」とは認識されていません。これらの欠点をほぼ全てカバーするのが、「圧縮木材」です。この技術は野球のバットや一部の家具などには、強度アップや傷がつきにくくできるなどの目的で適用されてはいますが、なんせ、内部に加圧機構を持つ設備(圧力釜=オートクレーブ)が非常に高価であるのと、材料を200℃弱の蒸気で蒸して1-2時間加圧し続ける必要があるので、サイクルタイムも長く、処理には大きなコストが掛かります。素材そのものは山に豊富に眠っていて安いとしても結果としては、今は気楽に使えない材料だと言えます。圧縮木材は、極限まで圧縮する事が出来れば、比重で1.6程度、強度はアルミ並みに上がる事が確認されています。

最大の欠点(コストが高い!)をブレークするには、技術開発が必須です。もちろん、何か特別な原理やプロセス特許の開発が必要なのではなく、これまである技術や装置などの転用アイデアやいくつかの工夫の組み合わせが必要なだけだと思うのです。木材を加熱するのに水蒸気しか考えられないのか、圧縮形状を固定するのに本当に2時間必要なのか、数分で処理が終わる温度サイクルは考えられないのか、等のいくつかの壁をブレークしてコストを下げれば、今は山に放置されたまま眠っている木材の価値も、グンと増すと思うのです。そうなると、日本は突然「資源大国」に変身する事も夢ではありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月23日 (月)

1385 矛盾の噴出

21世紀を境に、技術屋から環境屋への脱皮を図った投稿者ですが、2001年のあの9.11事件以降、あまりにも事態の流れが速すぎ、目が回りそうな感覚にとらわれっ放しです。高度成長と経済的繁栄という蓋が外れ、あらゆる矛盾が噴出してきた様な感じもします。

あらゆるシステムは、それが人間の作ったものである限り、完ぺきなものは存在しないはずです、何故なら、全てのシステムはそれを作って、使う事によって便益を得る側から設計され、運用されているからです。その恩恵に与らない側から見ると、そのシステムは矛盾だらけで、時には憎むべき存在にも映る訳です。原子力は、それ自体が熱エネルギーを生み出す源であるというメリットと裏腹に、それが内在する目に見えない放射能が人を傷つける存在である矛盾を抱えています。圧力容器や格納容器は、その矛盾を覆い隠すシェルターだった訳ですが、それが破壊されたとき、その矛盾が如何に邪悪なものだったかを思い知らされたのでした。

さて、振り返って経済システムなど、今の社会システムを眺めるとどうでしょうか。今のシステムは、経済が右肩上がりの時は、大方の矛盾は無視できるか、十分に小さなものだったかも知れません。しかし、その拡大路線に壁が見えたとき、同時にこのシステムの矛盾も拡大し始めたようにも見えます。成長を伴わない今の経済システムは、悪性のインフレに悩まされ、税収が伸びない結果、国の借金は増え続け、天文学的数字まで膨らみました。

巨大な矛盾を抑え込むには、どう考えてもそれを抑え込む国や企業や個々人の手におえる程度のサイズまで切り分けるしかないと思うのです。もしたった100kwの出力の原発が作れたとして、それが間違って暴走したとしても、たぶん避難地域の半径は1-2㎞で済むと思えるのです。100kwというその1000万倍の規模の事故を前にして、人間は全く無力に見えます。私たちは時間の経過の中で、核物質が自然崩壊して弱まり、凶悪な矛先を収めるのをひたすら待つしかないのは、悲しい事ですが事実でもあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月22日 (日)

1384 金華

山の新緑がまぶしい時期ですが、周りの山々(というよりは小高い丘ですが)には、売れ残ったブロッコリーの様な樹形の木々が多く見られます。そういえば、岐阜の金華山の通称も、この木(ツブラジイと呼ぶようですが)の黄緑色の花が、陽光に映えて金色にも見えるところからきているのだとか。近づいて見ると、この木は非常に樹高が高くなる樹種の様で、20mを超えるものも珍しくはありません。下部は、ブロッコリーの形に似て枝は無く、樹頂にだけこんもりと枝を張っているので、樹木としては無駄の無い形に見えます。他の木より首一つ高く枝を伸ばすことで、陽光をより多く受け取り込み合っている里山のニッチを確保してきたのでしょう。この季節、彼らはその存在を、その色で誇っている様に見えます。

これらの木々が自然にその相を形成してきたのか、それともかなり人の手が加わっているのか定かに分かりませんが、たぶん長い時間をかけて人が育んできた様に思えます。何故なら、去る先に存在を示す山桜を含め、これらの木々は決して群生している訳ではなく、山を眺めると何となく、バランスよく配置されている様にも見えるからです。たぶん、先人は季節ごとに、山々が美しく映えるように、桜やシイやその他の紅葉する木々を意識的に配置したものかもしれません。そうだとすれば、先人はなんという美的センスと根気を併せ持っていたのでしょう。ただただ、勝手にですが感嘆するしかありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月21日 (土)

1383 環ビジ73(パソエアコン2)

そういった目で眺めると、世の中には色んなものが作られて溢れているものです。1380で書いたパソエアコンに使えそうな仕掛けを2つばかり見つけました。一つは、金魚の飼育に使うサーモスタット(ヒーター・クーラー)です。たぶん20℃~30℃程度の温度範囲で、数十リットルの水槽の温度を保つように作られているはずです。これだと12万円で手に入りそうです。もう一つは、もう少し本格的なもので、化学や生物実験室などで恒温槽の温度保持に使われているものです。こちらは10万円をかなり超えると思われます。

もちろん、これまでもスポットクーラーなどの呼び方で、1kw程度のパソエアコンは存在しましたが、ここで提案しているものは、100w程度の消費電力で動かすものですから、省エネという観点から見れば、電力を1/10に出来るので、狙うレベルが違います。この夏は、金魚用のユニットを使ったパソエアコンを1台試作して、事務所で評価してみるつもりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月20日 (金)

1382 実像と虚像

実像と虚像に関しては、小学校の理科で習った結果、逆に意味の混同が起こった経験を持っている者の一人です。さて、実際の社会に照らしてみると、この言葉はどう映るのでしょうか。

実像とは、実体が伴い名実が一致しているものだと言えるでしょう。例えば、適正な代価を払えば、食べ物や車や電化製品が手に入ります。これは、モノという実態と、その代価としてのお金は、矛盾なく対応している場合です。

では、債券や株券はどうでしょうか。これらで、直接モノを買う事はできませんから、実体経済からはやや外れるシステムになります。これらはまた、経済の状況変化により、その値打ちが変化するものでもありますから、さながら凸レンズを使って、周りの景色を眺める場合に似てきます。いわゆる景気が良い時期には、凸レンズで「拡大してモノを観察」する場合の様に大きく膨らんで見えるでしょう。しかし、これは理科で教える「虚像」そのものなのです。実態のないお金は、いわばお金を使う権利であって、それは時価で大きく変わりうる価値でもあります。凸レンズで拡大してみれば、たぶんそれを所有している人はひいき目もありますから、大きな財産を持っていると感ずることになるでしょう。

しかし、凸レンズを離して眺めた時に見える逆さの像こそ「実像」である事は、改めて銘記する必要があります。というより、「だまされ易い視覚」以外の四感で確認できるものこそが実体であると考えた方が間違いないといえるでしょう。人間の例で、視覚に当たるものが、実は社会では、お金であり経済であると、投稿者は見ています。そうでないと、お金に換算できないモノや行動にはほとんど価値を認めない、という現代の風潮が説明できないからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月19日 (木)

1381 予測ではない意志

将来あるべき社会を考える時、よく「予想や予測」が行われます。あまり責任の無い予測を「夢」と呼んだりします。投稿者の子供の頃の「夢」は、フォン・ブラウンの様な「科学者」になってロケットや手塚のアトムや横山の鉄人などを作る事だった様な気がします。投稿者は、少し長じてもこの夢をあまり曲げずに「総合重工業」と呼ばれていた企業に就職したのでした。

さて、その中で最初は造船事業部の機関技師、残りの2/3のキャリアは、航空機の生産技術者と呼ばれる仕事をこなしてきたわけですが、結局は環境問題という大きな壁に突き当たったのでした。もちろんその見えない壁を打破する事などできるはずもなく、尻尾を巻いて引き返し、モノを作らない環境屋になったのでした。モノ作りの代わりに始めた事は、このブログでも縷々書いているように、20世紀の反省と、来たるべき社会の望ましい姿への提言でした。その姿は、決して予想や予測では見えては来ません。20世紀人にとっては、初めて踏み込む未踏の道でもあるからです。本質を見抜く力と、方向を見定める知恵と、併せて強い意志が必要でもあります。

しかし、それは全く見えない道などではない筈です。確かに、鬱蒼と茂るグローバル経済や大量生産・大量消費や廃棄物、温暖化などの「ジャングル」に覆い隠されてはいますが、その道は確かに少し昔には自分たちが通ってきたはずの道だと思うのです。その踏み分け道は確かに細く、枝道も多いものではあります、正確なコンパスと地図さえ携えていれば、ゆっくりならば前に進めるはずなのです。コンパスとは、常に行き先を指し示す意志であり、地図(ロードマップ)とは目的(たぶん持続可能性に照らして正しい社会?)に至る道程だと言えるでしょう。今この国には、そのコンパスすら見当たらないのは悲しい事です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月18日 (水)

1380 環ビジ72(パソエアコン)

表題はパソコンでもエアコンでもありません。パーソナル・エアコンを縮めたものです。はて何のことか?といぶかる向きもあるでしょうが、これは一人で一台使うエアコンなのです。勝手にその姿を想定すれば、出力は100W程度が望ましいでしょう。このエアコンで作るのは、冷水と温水です。利用するのは、もちろん夏は冷水で、冬は温水ですが、機械の都合上これは同時でできてしまいます。熱源はペルチェ素子という、電流を流すと片面が熱くなり、片面が冷たくなる素子で、車の中で使う「冷・温蔵庫」などにも使われているものを考えているからです。

出来た冷水や温水は、細いゴムホースを縫い込んだベスト(チョッキ)に導きます。入り口と出口が必要なので、ホースのつなぎは2か所必要です。ベストは、体に密着するので、このエアコンで冷やしたり、暖めたりするのは、ベストと体の間にある僅かな空気層になる結果、パワーは最小限で済む訳です。これを10人が同時に使っても、家庭用のエアコン1台分程度の電力で済みますので、10人の作業者が働くスペースに、5-10kw程度のパッケージエアコンを入れる場合に比べればなんと、たった1/5-1/10のエネルギーで済むはずです。

手近にあるものを利用するなら、取り敢えずは、熱帯魚の水槽の温度を制御する装置などを使えば、簡単なテストくらいはできるでしょう。本当にそれが可能かどうかですが、まずは、だまされたと思ってテストしてみる事でしょう。ちなみに投稿者はまだ効果を試していませんので、念のため。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月17日 (火)

1379 エネルギーの地産地消

ここにきて、やっと発・送電分離の議論が起こってきました。なぜ、発電者と送電者(売電者)が同一でなければならないのか、合理的な説明は無いままに、戦後の電力9社態勢へと突入しました。そこにはGHQの強引な指導?もあったようですが…。

基本的には、電力も形は無いものの「商品」の一つでしょうから、需要と供給の関係で値段が決まり、自由に取引されても不思議はありません。確かに、戦前は乱立していた電力会社を、国内9社に統合すれば、発電施設の合理化や送電網の整備により、安価にしかも安定的に電力を供給する事は容易になる様にも思えます。しかし、その一方で発電エネルギーの多様化が進まず、高度成長期の石炭火力→石油火力→原発推進→同時に火力のLNG化などの、後戻りの無い設備とエネルギー源の集中化が進められてきたわけです。

しかし、考えてみれば電力網の大規模化は、大規模停電のリスクを増すでしょうし、電力網にぶら下がるデマンドのコントロールもしにくくなる筈です。結果として需要家は、今自分が使っている電力が、一体どこから送られて来ているかの意識する事無しに、日々節操なく電気を消費し続ける事になります。エネルギーのセキュリティにためには、少なくとも需要家が、自分が今使っている電力が、何のエネルギー源で(あるいはどの様なエネルギー源の割合で)、どこで発電され、どのようなルートで送電されているのか、大まかにでも認識している必要はあります。電力会社には、その情報公開が求められます。

さて、エネルギーの地産地消です。送電によるエネルギーロス防止と、セキュリティを考えれば、発電所と需要家はできるだけ接近している必要があるでしょう。究極は自家発電です。うるさい事を除けば、ガスタービン発電やディーゼル発電などでも、排熱の利用まで行えば、大規模火力発電所で発電するよりは高い熱効率が得られます。企業などでも、ピーク電力を押し上げている設備負荷を切り離して自家発につなぎ、電灯や保安的な電力を電力会社から買う、という電源の二重化だけでも、ずいぶん基本料金やコストが下がり、セキュリティも向上するはずです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月16日 (月)

1378 技術者の敗北

H岡原発の停止は、いわば技術者が自然の脅威に敗北したことを意味します。そんな極端な言い方をしなくても、と突っ込みが来そうですが、それは認めなくてはならないでしょう。技術者が設計時にした「想定」は、今回の震災・津波の前では無力であったことが証明されてしまったのですから、仕方がありません。投稿者に、元技術屋として全く悔しさが感じられないのは、たぶんですが、ほぼ技術屋からの卒業が出来た結果かもしれません。

技術が完ぺきではない事は、繰り返し書いても来ましたが、かつてH岡原発を見学した際に見た、4号機のタービンで折れて飛んだタービン羽根を見たときにもそれを強く感じました。蒸気タービンの羽根が飛んだ事故は、舶用のものでは実は若いころ何度か見たことがありました。しかし、考えてみれば「絶対安全」を謳っていた原発でも、同じような事故が起こる事は、何も不思議な事ではないのでした。製造技術に完ぺきはあり得ないでしょうし、オペレーション側にもヒューマンエラーは付き物だからです。

今度のH岡5号機の停止間際には、おまけがつきました。どうやら復水器の冷却管に穴が開いていたようなのです。ほとんど純水の冷却水があまり強い放射能を帯びる事は無いのでしょうが、海水が冷却水に混じったという事は、冷却水も海水側(海)に漏れ出した事も意味します。つまり、復水器は、冷却管という絶った数ミリの金属管を境に原子炉と海水がつながっている、危うい場所でもあった訳です。この管は、常に海水からの腐食環境に晒されている訳で、古くなった原発では、ありがちな普通のトラブルでもあります。原発技術者は素直に敗北を認め、拙速な運転再開を画策するのではなく、先ずは謙虚になって原発技術の仕切り直しをじっくり考えるべき時期でしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月15日 (日)

1377 ツバメ

今年も、事務所1階の駐車場の梁に、ツバメが巣を構えました。昨年心無い家主が、少し壊してしまった巣を、しっかり泥と藁で補強し、前よりも住みやすくなったように見えます。それにしても、事務所の窓の前の電線に止まっているツバメの、なんとか細く、頼りない姿でしょう。卵1個分も無い体重のほっそりした体型ですが、その内に蓄えている生命力の力強さとは対照的です。一日に何度となく田んぼに通って泥を運んで巣を修復し、その合間に空中で虫を採ってお腹を見たし、来たるべき抱卵・ヒナの誕生と、子育てに備えている事でしょう。

数ミリ以下の小さな虫が持っている、「ミクロの構造」にもいつも感嘆しますが、季節ごとに海を渡る小さな鳥の、ほとんど永遠に続いている営みの連鎖には、さらに感動します。それは機械に囲まれて暮らしていた、かつての技術屋稼業の時には絶対に感じたはずのない感動でもあります。またそれは、何億年も掛けて少しずつ、またある時期は急速に進んできた、生物の仕組みに対する感動でもあります。ツバメなどの野の生き物を愛おしく感ずるのは、自然の仕組みに対する畏敬の念から出てくる抑えようのない感情の様にも思います。などと、人工の環境に囲まれながら感じています。今年も「がんばれツバメ」…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月14日 (土)

1376 環境破壊の不可逆性

これも別の形で書いた(と思っている)テーマですが、原発事故を想いながら書き直す事とします。放射能に限らず、本来環境中に高い濃度で存在しない物質は、それを分解・代謝する自然の仕組みもほとんど存在しないか、十分ではない筈です。例えば、PCBという化学物質があります。塩素を含む高分子の一種であるこの物質は、液状であり熱安定性や化学的安定性に非常に優れていたため、その毒性には目をつぶって、トランスなどの絶縁油として多量に使われました。しかし、しかしそれが環境に放出された場合、「難分解性」という特長が仇になって分解が進まず、環境汚染は非常に長い期間に亘って続く事になりました。いまだに多くの施設では、費用が掛かるので、PCBを内蔵する電気設備などは地下倉庫に保管したままとなっている事でしょう。一方。間違って放出されたPCBは、薄く拡散する事はあるでしょうが、自然に無毒化される速度は気が遠くなるほど緩慢です。

放射性物質に関しても、事情は全く同じことで、確かに放射線を発する能力(放射能)には半減期がありますので、数日~数百年も経てば、それは徐々に弱まるのでしょうが、基本的には環境へ薄く拡散するのをじっと待つしかない汚染の一つであることは言うまでもありません。つまり、多くの環境汚染の場合、汚染の原因物質は環境中に物理的に拡散・浸透するという「不可逆な過程を経る」事が問題の本質だと言えるでしょう。もし、その物質が目に見えていて、しかも塊になっているのであれば、手間は掛かりますが一個一個拾い集めて回収すれば良い訳ですが、環境中に浸透・拡散した汚染物質への対策は、大量の環境物質(水や大気や土壌など)と混ぜて濃度を薄めるか、地下に穴を掘って埋めるか、自然に拡散して薄まるのを座して待つしかないという事になります。

これらの汚染に対しての対策は、原因物質は今以上生産しないで、既に作ってしまった物質はそれを破壊する技術を開発し、ひたすら神経質になって排出を抑制するしか方法は見つからないでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月13日 (金)

1375 原発停止

H岡原発が停止され始めました。決定までに裏でどんな取引があったのかは想像するしかありませんが…。さて原発を、例えばボイラに喩えると、つまりは火を落とした訳です。ボイラは、内部の蒸気圧力に耐えるために、熱い鉄板の容器(ドラム)やチューブ(水冷壁)などから構成されています。圧力容器の内部では、水分子が熱せられて、激しく熱振動を行っています。ただし、原発の場合その圧力とは、蒸気圧に加えて、「高い放射能圧」の二つを同時に保持する必要が訳です。水の場合激しさの程度を「圧力」と呼びますが、核反応を水が蒸発しない温度、圧力まで下げれば、原子炉はただの核燃料貯蔵庫になる訳です。

高い圧力を保持するためには、どうしてもその高いエネルギー状態の物質を圧力容器内に閉じ込める必要があります。元技術屋の立場で考えるならば、どんな圧力容器も100%の信頼性で製造する事は出来ない相談だというしかありません。容器の製作には、その材料(例えば圧延された鉄板)、加工(例えば熱曲げ加工や溶接)、組立工程などがあり、そのすべてに設備と作業者が介在します。それぞれが、100%の信頼性を持っていなければ、結局はその掛け算である圧力容器の信頼性も100%にはなり得ないのです。例えば、完全無欠の技量を持った溶接作業者などは存在しないはずなのです。それを担保するのが「非破壊検査」ですが、所詮これも人間に対するレントゲン撮影や超音波診断と全く同じ内容の検査なのです。内部欠陥は、あくまで白黒写真を眺めながら、やはり完全無欠ではない検査員が良し悪しを判定するしかないからです。

また通常のボイラであれば、ボイラの圧力が異常に高まった時には、燃料である重油やガスを止めさえすれば、火は消えて圧力は自然に下がります。燃料遮断弁が動かない時には、燃料ポンプやガスの元弁を人力で止めれば事なきを得るでしょう。一方、原子力の本質は「抑制された核分裂」ですから、制御棒や水で中性子の運動を抑制する必要がある訳です。しかし、今回の事故で明らかになったように、制御棒だけでは核分裂の暴走を止める事が出来ない事が素人にも分かってしまいました。そうであるならば、どんな天変地異が起こっても反応容器の中は「絶対に水位低下を起こさない」システムにしない限り、原発の安全性は担保されないはずです。その意味で、防潮堤のかさ上げや、非常用発電機の移設などは、何らの本質的な安全対策にはなっていないと断定できます。とりあえずのH岡の停止は朗報ですが、「本質対策」が出来ない限り、再稼働は大きなリスクは残ったままになるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月12日 (木)

1374 経済のレンズ

経済とは、モノとお金を回す仕掛けの一つだと定義できます。その仕掛けに「経済しかないのか」と問われれば、今はそれが唯一無二と考えている人が大多数だというしかありません。かつて、赤い国々では、少し異なるシステムで国を動かしていましたが、ほとんど失敗に終わってしまいました。一方で、経済はその規模拡大が前提となっている、「かなり癖のある」システムでもあります。つまり、何某かの経済成長が無い経済システムは、やがて行き詰るという悪い癖がありそうなのです。私たちは、その時々立ちふさがった行き詰まりを「恐慌」などと呼んだりしてきましたが、緩やかな行き詰まりはなんと形容したら良いのでしょうか。仮にそれを「緩やかな恐慌」と呼ぶ事にすれば、現代社会がその過程には突入していない、と誰も断言はできないとも思います。

ところで、経済はさながら拡大レンズの様にも見えます。それを通して眺めると、世の中が大きく、楽観的に見えるのですが、このレンズの特徴として、どうしても周辺部分に「歪み」が出るのです。経済の歪みとは、平たく言えば貧富の差の拡大に代表されます。そのほかにも、モノや資源の偏在と歪んだ集中も起こります。

ところで、最近替えた投稿者のメガネは、かなりの乱視が入っているものなのですが、レンズに周辺が歪んで見えない改良(非球面レンズによる収差改良)が施されている様です。経済のレンズにも同様の工夫が出来ないか、まじめに考えています。そういえば、カメラにも「合わせレンズ」という技術がありました。経済にも「合わせ経済」があっても良さそうですが…。本件はもう少し「焦点」がはっきり絞られたら、さらに議論を進める事とします。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2011年5月11日 (水)

1373 環ビジ71(農林の巻き返し)

投稿者は、長い間いわゆる「工学」で飯を食ってきました。十年ほど前に、そこからの卒業を目指してもがき始めたのですが、その過程でしみじみ考えた事は、人生のごく初めの段階で、道の選択を誤ったとの反省でした。人生のやり直しができるものなら、投稿者は農学か林学の道を選ぶことでしょう。

それは、何度も書きますが、工学は地下資源や化石エネルギーの採掘と消費(最終的にはゴミとして環境への廃棄)を前提に構築されている一方で、農学や林学は、地表にある土壌の永続的な利用を前提にしているという、大きな違いがあるからです。持続可能性に照らして考えれば、工学は間違いなく凋落の道を辿るしかないでしょうし、資源やエネルギーの枯渇が見えてくるにつれて、いくつかの分野が壁に突き当たりつつあると言えるでしょう。この夏は、取り敢えず「電力の壁」が高さを増しながら見えてきました。

他方で、地下資源(農林業機械のエネルギーや化学肥料)や、太古の時代に涵養された地下水に頼ってきた近代的な農業や林業もまた大きな壁に突き当たり始めています。新しい時代の農学や林学には、結局地下の資源に頼らず、植物の力を最大限活用した「持続可能性の追求」にそのベースを置かなくてはならないという必然性があると思うのです。N-P-Kを効率よく回収し、土壌に還流させる新しい循環を設計し直し、構築しなければ、農業といえども地下資源に依拠する工業と何ら違いが無い凋落産業に成り下がってしまうからです。震災・津波被害を受けた地域の再興の一部では、これらの実験場として、新しい農林業の形もぜひ試行してみるべきだ、と提言しておきます。その具体的な内容は追ってアップすることとします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月10日 (火)

1372 環ビジ70(江戸的ビジネス)

類稀な、循環型社会であった江戸時代の事は、このブログでも何度か触れました。ここでは、この時代から投稿者が、環境ビジネスのほぼ全ての原型があったと考えている、いくつかの江戸的ビジネスを発掘することとしましょう。

江戸的ビジネスの、本質は実は循環であったことは、間違いありません。ほぼ全ての物質が、人手を介しての循環が保たれていたために、廃棄物の蓄積が起こらず、百万都市であった江戸の清潔さも維持されていたのでした。そのあたりの事情は、石川英輔の、「大江戸~事情」シリーズに詳しいのですが、とりわけ投稿者が注目するのは「リン・サイクル」です。リンは、植物成長においても3大要素ですし、人間の体の中でも、骨格に取り込まれたり、基本的代謝であるATPサイクルなど使われたりして重要な位置を占めています。そのリンが、今不足し始めています。リンは、これまで海鳥のフンが堆積したなれの果てである「グアノ」リン鉱山から採掘されてきましたが、近年この資源が枯渇し始めているのです。リンは主に、リン酸肥料などとして化学肥料に加工され、農地に大量に施肥されます。現在の、反収が江戸時代などより大幅に増えた背景としては、リンを含む化学肥料に負うところが大きいのです。江戸時代には、人間が摂取し代謝したリンは、し尿として有価で取引され、田畑に戻されていました。川や海に流れ込んだ、リンも魚介類や海藻に取り込まれて、食料になったり干鰯(ほしか)として加工されたりして、これも最後は田畑に貫流していました。

現代にこのサイクルを持ち込もうと考えるなら、どうしても下水処理場に着目する必要があるでしょう。現在は、下水処理場から排出される大量の汚泥ケーキは、無為に燃やされたり、精々その灰をコンクリートの材料に混ぜたりするくらいのささやかなリサイクルしか行われていません。今必要な事は、リン・サイクルの復活なのです。例えば、リンを大量に代謝・固定する微生物も多く存在するでしょうから、これらの微生物を使って下水を処理し、効率よくリンを回収するプラントも考えられるでしょう。いずれにして、あらゆるリサイクル業のルーツは、江戸時代以前に既に存在していたことは、銘記すべきでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 9日 (月)

1371 環ビジ69(バイクトラック)

今回の震災でも、被災地では(阪神の震災に輪をかけて)、道路が寸断され、瓦礫で埋め尽くされて、輸送が完全に停止しました。このような状況でも活躍できるのは、たぶんオフロードバイクしか考えられないでしょう。何本かの柱が道路を塞いでいるだけでも、車は通過できませんが、バイクなら可能です。バイクに、1輪か2輪のリヤカーをつないでおけば、最悪の場合はバイクとリヤカーを切り離せば、かなりの障害でも乗り越えられるはずです。トライアルレースでは、熟練したライダーたちは、太い土管や壁の様な岩だって平気で乗り越えてしまうではありませんか。

どうしても乗り越えられない道路上の障害も、リヤカーから荷物を降ろし、人手で運んで障害を乗り越えてから、積み直してからさらに先に進めば良いでしょう。1輪のリヤカーなら、昔の峠道や踏み分け道さえ見つかれば、先に進む事は容易です。

これは、もちろん通常時は、混雑した都市の中での小口配送に使われる事を想定しているシステムです。リヤカーは、バイクから外せば、歩行者天国や人しか入れない小路にまで入ることができるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 8日 (日)

1370 環ビジ68(エネルギーチューン)

1369に書いた「エネルギーチューン」という言葉ですが、これは「省エネ」の次に注目される言葉になるだろうことを、投稿者は疑いません。というより、ぜひこの言葉を流行らせようと目論んでいます。省エネは、いわばケチケチ作戦です。使っていない電灯を、片っ端からパチパチ消して歩くような行動だと言えます。これでも、結構な省エネにはつながるでしょうが、とてもとても半分にするまでにはいかないでしょう。

エネルギーチューンは、これを打ち破る考え方です。基本的に、全ての設備や機械は、一定の余裕率を含んで設計されています。構造物の強度計算では、これを安全率と呼んだりもしていますが、実はエネルギー的にも、かなりの余裕を持たせているはずなのです。例えば、3台のエアコンを使っているスペースがあるとしましょう。もちろん、真夏か真冬でも無い限り、これらの機械はフル稼働している訳ではありません。フル稼働しているように見える真夏でも、3台目のエアコンは、発停を繰り返して「コントロール」しているはずなのです。

エアコンやエアコンプレッサーなど、気体の圧縮を伴う機械では、実際には圧縮を行っていない「アンロード状態」でも、実は50%程度の負荷がモーターには掛かっています。もし3台目のコンプレッサーにインバータが組み込まれていると、この機械はオンオフ制御ではなく、容量コントロールで制御する事が可能になります。10%の部分負荷で十分な時は、モーターにも10%の馬力で回って貰いたいのです。その結果、インバータが無い場合、アンロード状態でも50%の負荷で回っていた3台目の機械では、例えば40%の省エネが達成可能となる訳です。同じく、複数台回している冷却水ポンプや曝気ブロアなども、常に最適な量に調整する事により、大幅な省エネが見えてきます。理想的には、通常の省エネ行動に加えれば、合算で50%の省エネも決して絵空事ではなくなります。とは言いながら、エネルギーチューンのためには、そのシステムを「熟知」していることも求められるのも事実です。その意味で、多くのオペレータは、その設備の中身をろくに知らずに使っているのだ、とも言えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 7日 (土)

1369 資源・エネルギーの壁

ラジオから流れてきた言葉が耳に残りました。「資源・エネルギーの壁」という言葉です。この言葉の投稿者なりの解釈ですが、これまではボヤケていたものが、この震災でアウトラインが明確になってきたような気がします。まず資源に関しては、震災前でも既に、レアアースを中心にその資源偏在と需要の急速な伸びが主な理由で、ショーテージと価格上昇が問題になり始めていました。

一方、エネルギーに関しては、輸送用としての石油需要の急増を、原子力が何とかカバーして発電分の燃料から船やトラック燃料に回していた状況だったのですが、フクシマ以降激変してしまいました。原子力が当てに出来なくなれば、石油は相対的に電力向けに回される割合が多くなり、輸送用との綱引きで、需給はひっ迫するはずなのです。中間期であるこの春先は、まだそれが顕在化していませんが、夏場を迎えて電力不足と石油価格上昇のダブルパンチが懸念されるところです。

資源やエネルギーの壁を打ち砕く妙案はたぶんありませんが、何とか回避する知恵はありそうです。それは、省資源設計と省エネルギー製造という2本の柱を打ち立てる事です。もちろん以前に紹介したドイツのP.I.U.Sの様に、5本も柱があれば理想的ですが、取り敢えず2本で辛抱しましょう。まず前者ですが、この視点は、実はこれまでの設計者には欠けていました。というより、20世紀後半の豊富で安い資源供給の陰で、忘れ去られてきた視点だとも言えます。それを見直して、もし今の半分の資源で、同じ機能を実現できる製品が開発できたなら、その企業の将来は非常に明るいものになる筈です。後者についても、製造に掛かるエネルギーは立派なコストですから、これをやはり半分程度に下げる努力を重ねないと、今後のエネルギー不足社会を泳いではいけないでしょう。省エネだけでは、たぶん3割削減が限界となるでしょうが、それを打ち破るのはエネルギーのチューニングだと言えます。(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 6日 (金)

1368 環ビジ67(注文生産システム)

注文生産システムは、何も新しい考え方ではありません。というよりは、むしろこれこそが、昔ながらの無駄の無い合理的な経済活動の基本だと思うのです。例えば、昔のテイラー(洋服の仕立て屋)や鍛冶屋、桶屋など何々屋と呼ばれてきた商売は、実はほとんどすべてが注文生産システムで営まれていました。例えば、お菓子屋もそうで、店先の売れ具合を見ながら、奥にある作業場では、追加の仕込みを行うか、今日は売切れたら店じまいをするか、決めていたわけです。祭りがあれば、朝暗いうちから起き出して仕込み、そうでない日はソコソコに仕込む量を決めていた事でしょう。

しかし、何時の頃からか(たぶん高度成長以降)見込生産が横行し始めました。その最たる例が、あのAK福事件でしょうか。工場と販売を完全に分離した結果、工場では販売店の状況が見えないために、売れ残りが出るほど作ってしまい、「間違った勿体ない精神」により、売れ残りをリサイクルしてしまった訳です。

もし、AK福が1箱売れるたびに、工場にその情報が入る仕掛けがあれば、売れただけ作るという、合理的なシステムが作れるはずなのです。道具は揃っています。POSシステムです。商品には固有のバーコードが付いていますので、これをスキャナーでなぞると、店のコンピュータには売れ行き情報はインプットされます。しかし、その情報は一日の終わりに集計されて、翌日の生産計画には反映されるかもしれませんが、実は情報が欲しいのは、その日に販売店に出荷できる最終の時間と、それから逆算したその日の最終仕込みの時間までに仕込む量なのです。人の動きかが活発で、何時もよりさばけている日は、最終仕込みの量が増えるでしょうし、そうでない日は仕込み量を抑制すれば、売れ残って廃棄される量も最小限で済むからです。というより、むしろ売切れる日が多い方が、その商品の価値は相対的には高まるはずなのです。人は、手に入らないモノを欲しがるわがままな存在でもあるからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 5日 (木)

1367 デマンド

デマンドは、経済活動で良く使われる言葉ですが、あまり好きにはなれません。もちろん言葉自体の責任ではなく、言葉の背景にあるイメージが良くないのです。つまり、経済活動では、経済的にモノとお金が回るのであれば、需要(デマンド)には応じなくてはなりません。何故なら、お客様は神様であり、デマンドとは「神の声」だからです。もちろん、デマンドに応じるサプライサイドも、手をこまねいて座している訳ではありません。話は、むしろ逆でメディアに広告やCFなどをしつこいほど流し続け、デマンドを人為的に作り出している面が強いのです。

お金さえ出せば、どんな無理難題でも叶えられると、煽てられ、あげ奉られた消費者と、それを持ち上げて下に降ろそうとしない供給側、という構図が「デマンド」という言葉の背景に見え隠れしています。デマンドは、ニーズとは異なります。というより、違った意味で使うべきだと思っています。ニーズには、実態としての裏付けがありますが、デマンドには見込や投機やバブリーな部分も含めた、供給側の思惑も含まれていると思うのです。

さて、電力デマンドです。オール電化やEVや、電力デマンドを煽る言葉は、だいぶ影を潜めたような気もしますが、一方で相変わらずEVブームは続きそうな様相です。電力不足が問題になっているこの時期に、ポストガソリン車としてEVしかアイデアが出ないのか、エネルギー漬けになってしまっている20世紀人の頭の改造が必要なようです。投稿者の答えは決まっています、自転車の高度な活用しかないと思っています。お手本は、ヨーロッパ、とりわけオランダで十分に学べます。この国のお得意のテクノロジーとかで、羽の様に軽い車体と、坂道を登る時だけの超コンパクトな電動アシスト自転車を開発すれば、坂道の多いこの国でも、快適な自転車生活がエンジョイできるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 2日 (月)

1366 モノ足りない 

物足りないはどちらかと言えばネガティブな言葉と受け取られますが、ここで言うモノが足りない「モノ足りない」は、モノがやや不足した状態を指すポジティブな言葉として定義しておきます。モノが足りないと、実はヒトはそこから知恵を使い工夫を始める存在だからです。ヒトが火を使い始めて以降長い間、火は薪炭で起こしていましたが、人口が増えたり、薪炭を採りつくして不足したりした時に、燃える石(石炭)や燃える水(石油)を見つけ出して利用する様になったのでしょう。さて、震災地では、モノが足りません。もちろん支援が届いている間は、モノによっては余ったりする状態も起こります。そうではなくて、日常生活に戻った時に、地元にあるどの様な資源を使って、どのようなモノを供給する産業を起こすか、という問いに、実はまだ誰も答えていないと思うのです。安い人件費を求めて進出した企業が、震災地から逃げ出した後に、一体何を生業にして生活を続けていくのか、という問いです。

エネルギーに関してだけでも、またぞろ電気・石油に頼る生活に戻るのか、或いは岩手県の葛巻町の様に、風力やバイオマスエネルギーに強力にシフトするのか、早い時期の決断が必要です。それは、国のリーダーが「脱原発」を標榜するだけで、この舵切りは容易に行われ、加速できるでしょう。とにかく、30年を超えるような古い原発から徐々に止めていけば、自動的にエネルギーの「モノ足りない」状態が作られ、それをバックアップする知恵が生まれ、自然エネルギーの利用も増えるはずなのです。もちろん、化石エネルギーにはタップリと炭素税をかけて抑制します。相対的に、東北地方に豊富に賦存する、バイオマス(木材)の価値は上がり、新しい産業も生まれるはずなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 1日 (日)

1365 環ビジ66(水乳化燃料)

石油燃料に水を混ぜて燃やすと、何となく燃焼温度が下がって例えばボイラの効率が低下してしまいそうな気がしますが、事実はそうではありません。確かに、水の蒸発潜熱により僅かに燃焼ガス温度は下がりますが、例えば蒸気を1000℃で供給する訳ではないので、燃焼ガス温度の低下は無視できます。一方、液体燃料は霧にしなければ、空気と適正に混合してくれないので、バーナーや車ではキャブレータ(やインジェクションバルブ)により細かい霧状にしてから燃やします。それでも、細かく見ると霧はあくまで液滴でその状態で燃焼できるわけではなく、その液滴がガス化して、初めて空気と混じりあい、完全燃焼できる事になります。

水混入が効果的なのは、燃料中に微細に分散された少量の水が燃焼ガスの輻射熱(放射熱)で爆発的に蒸発し、燃料の液滴をさらに細かく分断するからだと言われています。言われていると書いたのは、このような微視的な現象は、必ずしも直接観察できる訳ではないので、間接的事実から推測しているからです。いずれにしても、水を適切に混入させた燃料を燃やした場合、空燃比を下げる事ができ、NOxも低下し、良い事ばかりです。

単純に、乳化剤(界面活性剤)と数%の水を混ぜて、乳白色の燃料を作る考え方もありますが、投稿者は、燃焼させる直前に超音波等で「物理的に乳化」させるシステムを推奨しています。界面活性剤そのものがあまり体に良いとは思えないし、その成分が燃焼ガス中に出て大気に拡散した場合も同様だからです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »