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2011年6月30日 (木)

1421 分散型エネ

代替エネは、再生可能型エネでもあり、結局は太陽光が形を変えたものしか利用できません。例外的には、もちろん地熱(地球が元々持っていて、地表に出てくる熱)などもありますが、利用できる場所がかなり限定されます。

もちろん太陽光は膨大で、地球上どこでも入手可能ですが、残念ながら広く薄く(最大でも1kw/㎡程度に)分散しているのが難点でもあります。従って、1ヶ所だけで原発1個分の100万kwなど言う巨大な太陽光発電所などというものは、全く意味を持たない事になります。それは、勝手に想定すれば、一辺が数kmにも及ぶ広大な面積を有する発電所になりますから、海の上にでも作らない限り、とても現実味がありません。

結論とすれば、代替エネは、自動的に分散型エネにならざるを得ないという事になります。それも、究極的な姿としては、需要家が個別に設置するのが理想です。問題は、その発電システムを系統と連携するか否かですが、連携しない場合には高性能の蓄電池などが必要となります。雨の日が続き、電池が完全に放電した場合に備えるならば、バックアップの仕掛けも必要でしょう。ですから、現在の便利さのままで、代替エネの解を求めようとすれば、結局はバカ高いシステムとなりそうです。そうではなくて、太陽光からエネルギーが得られた日はラッキーで、曇りや雨の日は何らかのエネルギーのストックを伴う別の手段を工夫するか、それも手に入らない日は、さっさと寝てしまう、などという割り切った考え方に立てない人は、しかたがありませんので高いお金を支払っていただく事になります。それを「便利コスト」や「便利税」とも呼びます。

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2011年6月29日 (水)

1420 代替エネ

原発と火力発電に代わる代替エネを考え続けています。水力は、多くの日本の短い河川では、上流部や狭い用水路などに設置する、ごく小型のものを除けば、開発しつくされた分野だと言うしかなさそうです。とは言いながら、人影がメッキリ減ったしまった山里などでは、まだまだ潜在力はあるかもしれません。もし、非常に小規模で、需要家のすぐ近くで発電を行うなら、まだかなり潜在力はあると言い直しても良さそうです。

同様に、電力の需要を電灯や限られた電子機器の利用だけに限定し、その他のエネルギーをバイオマスの熱利用への依存度を高めるならば、これも間伐材などのバイオマス資源の入手が容易な地域では、エネルギーの転換は比較的容易だと考えられます。

エネルギー転換で、最も厄介なのは、実は交通・運輸に掛かるエネルギー源だと言えるでしょう。皆が切り札と頼んでいた電気自動車に、電力削減という大ブレーキが掛かってしまった今、今後長い期間に亘って、私たちの石油への依存度が小さくなることはなさそうです。という事は、T社やN社やM社など自動車産業で反映を築いた企業には、ぜひ石油と電力に頼らない輸送手段を、まだ石油がある内にそのインフラが構築できるように、急いで開発して貰いたいのです。水素自動車も良いでしょう。でも、その水素をガスや石油を改質して得るとい言った途端、その技術はニセモノに陥ります。前の石油ショックの直後には、太陽光と触媒を使って、低い恋率ながら自ら直接水素を分解すると言う技術もあったはずなのです。その研究者や、研究室で学んだ学生は、一体どこに消えたのでしょうか。

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2011年6月28日 (火)

1419 環ビジ81(何でも環ビジ?)

環境ビジネスとそうでないものの境界はあいまいです。誰も自動車産業や電力会社が「環境ビジネス」であると主張する人は居ないと思いますが、では、車が木や竹や少量の金属で出来ていて、動力は人力も使いながら、太陽電池で走るものであったら、或いはある電力会社の電源が、100%自然エネルギーである(つまりは太陽光や、風力や水力で発電している)場合はどうでしょう。その企業は、一応環境ビジネスを展開していると主張しても、そんなにおかしくはなさそうです。

それはそうなのですが、投稿者はもう少し厳しい条件を要求したいのです。それは、何度も書きますが、「持続可能性」という物差しに照らして、「可」とするか「否」とするかという視点です。太陽光発電パネルに使われている希少元素(例えばシリコンやゲルマニウムなど)が、持続的に入手でき、寿命が尽きた太陽電池が100%リサイクル可能なものであるならば、確かに可と言えるでしょう。しかし、それが新たな資源枯渇や廃棄物の山を残す技術であれば、その有益性の如何に関わらず「否」と断ずるしかありません。

技術が未熟で、持続可能性に照らしては×か△ではあるけれど、現在の技術よりは環境負荷が大幅に小さくできるなら、とりあえずは「準環ビジ」と呼んでおいて、来たるべき時代には本物の環ビジに置き換わるもの、というカテゴリーに放り込んでおくしかしかありません。ハイブリッドカーや電気自動車などは、もちろん準環ビジでも何でもない、と切り捨てるしかないでしょう。

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2011年6月26日 (日)

1418 脱エネ3

省エネルギーを指向し、実行しているという企業によく出かけます。しかしながら、現場を眺めていつもがっかりします。精々、壁のあちらこちらに、「節電励行」や「冷房温度は28℃」などの「標語」がベタベタ貼られている程度の取り組みしか目につきません。この国では、多くの企業で水と空気と目に見えないエネルギーはタダか、無視できる経費だと思われているフシがあります。

そうではなくて、たとえ月数万円しか省エネメリットを生み出せなくと、その数万円の純利益を生み出すために、一体いくら売り上げを伸ばさなければならないのかを考えれば、経営者でなくとも省エネの重要性が分かるはずです。つまり、逆から考えると、エネルギーを垂れ流すということは、そのコストを稼ぎ出すために、本来作らなくとも済んでいた製品や、不要なサービスを、余分に提供する必要があるという事にもなります。

脱エネの基本は、決してささやかな省エネ行動であってはなりません。まずは本当に必要なエネルギーだけを積み上げてみて、それが結果として現在のエネルギー使用レベルから何割か減っている、というアプローチが必要となる訳です。その際、現在の設備や工法ありきで考えてならず、オイルショックを経験した先輩たちが、30-40年前にはどう工夫をしていたのかを、改めて学んでみる必要があります。モノやエネルギーが十分ではなかった時代ほど、それを上手く使うワザを磨いていたはずなのです。

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2011年6月25日 (土)

1417 酷暑

暑いです。というより熱いです。一昨日に輪をかけて昨日は暑かったようです。投稿者はといえば、冷房の無い事務所で、熱いコーヒーを飲みながら、ひたすら発汗能力を鍛えています。汗腺の発達は、実は生まれてから3か月間晒された気温で左右されます。つまりは、夏に生まれた人は汗かきが上手く、寒い冬に生まれた人は、寒い時期の体温維持が得意なのでしょう。

では、夏場に生まれながら、冷房の効いた部屋で育てられた赤ん坊の将来はどうなるのでしょうか。言わずもがなですが、彼らは熱中症予備軍になります。高齢者に熱中症患者が多いように、汗かきが下手な彼らは、夏場に短時間屋外で活動しただけで、簡単に熱中症に負けてしまうはずです。もちろん、先天的に汗腺の発達が未熟でも。水分をしっかり取りながら、しっかり汗かきの訓練をすれば、貧弱だった汗腺もそれなりに鍛えられるでしょう。

もう一つの要素は、毛細血管の発達です。毛細血管は、いわば生体のラジエータです。温度変化の少ない環境に馴染めば、これは急速に退化します。暑さ、寒さで鍛えられた場合にのみその長さを延ばす訳です。さて今日も「ひとり我慢大会」を開催するとしましょうか。

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2011年6月24日 (金)

1416 脱エネ2

この国では、全ての順序が逆転しているのではないかとの錯覚にとらわれる事があります。今俎上されている増税論議にしても、先ずは事業仕分けや(天下り等の)無駄な人件費とカットなどでの歳出圧縮がありきだったはずなのに、何回かの「仕分けショー」で誤魔化されているうちに、いつの間にか増税の幅と実施時期に論点が移ってしまいました。

エネルギー問題についても事情は全く同じで、遠い将来に自然エネルギーの割合を何%するか(したいか)というリーダーの想いはさておき、先ずは原発がなかなか動かないこの夏を、或いは今後の数年をどう乗り切るかを、額を寄せて考えなければならない時だと思うのです。歳入不足は、毎年多額の借金で埋め合わせをしながら何とか国を動かしてはいますが、電力はごまかせません。デマンドが発電能力を超えた瞬間に大規模停電が現実のものになるでしょう。夏場のデマンドで問題になるのは、間違いなく猛暑日の冷房負荷による電力ピークでしょう。人々は、耐え難く蒸し暑い職場で作業を続けるため、死にそうな屋内で熱中症にならないためについついエアコンのスイッチに手が伸びます。

しかし、順序は逆で、職場や住宅を快適にするためには、先ず建物自体の断熱や遮熱にお金を使うべきだと考え直すべきでしょう。コンクリートの建物は暖まりにくく、冷めにくいので、外断熱工事を施せば、最小限の冷暖房負荷で快適に過ごせるはずです。同じく、薄い鋼板やスレートで葺かれている多くの工場でも、屋根に断熱材が入った屋根材を乗せるか、遮熱シート、遮熱ペイントなどで「武装」すれば、真夏もより少ない冷房エネルギーで乗り切れるはずです。冷暖房に関して言えば、先ずは断熱・遮熱工事を考える事こそ、全てに優先する「脱エネ行動」なのです。不要な電灯や設備のスイッチをこまめに切る程度のささやかな「省エネ行動」では、今後の夏は間違いなく乗り切れないでしょう。

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2011年6月23日 (木)

1415 夏至

昨日は夏至でした。今頃は、沈まなくなった太陽が北極点を24時間照らし続け、すっかり浮氷のすくなくなった北極海を暖めますので、この夏も北極海にはたっぷり太陽熱が蓄えられるでしょう。北極海が暖まると、南からの湿った高気圧が、より高い緯度まで押し上げられ易くなるため、この夏もここ数年と同じパターンで猛暑日が頻発するのでしょう。そういえば昨日も早速、多くの地域で今年最初の猛暑日の洗礼を受けたようです。

以前にも書きましたが、投稿者はもう一つの温暖化効果ガスとして「水蒸気」を疑っています。つまり、温暖化が進むと、中緯度地域の「平均的湿度」が上昇し、その結果として太陽からの熱を大気中に抱え込むという筋書きです。何しろ、水蒸気こそ最強の温暖化効果ガスですから…。日頃実感できるように、この季節で湿度が高い日は猛暑日や熱帯夜になる事も多いのです。

さて、相変わらず、扇風機しか夏を乗り切る武器の無いこの酷暑の事務所で、どうすれば蒸し暑い日本の夏を、エネルギーを使わないで涼しく過ごすか、額に大汗をかきながら考える毎日です。今年のささやかな追加武器は、水で濡らして首に巻く、「ひんやりジェル」です。紙おむつに入っている樹脂を、目の細かい筒状のスカーフに詰めたもので、300円を少し超える程度のものを2個仕入れました。1個は首に、もう一つは鉢巻きにして額を冷やします。なかなかに快適です。でも考えてみれば、紙おむつ1枚とハンカチが何枚かあれば、何個でも同じものが作れるのでした。もう一つの武器として工夫しつつあるのが「水冷座布団」ですが、省エネ指導で毎日忙しく走り回っているため、まだ完成していません。

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2011年6月22日 (水)

1414 汚染水処理

放射能汚染水の浄化処理が進んでいない様です。彼らの見通しや計画は全く甘いと、言うしかありません。何故なら、浄化すべき汚染水の性状に不明な点がいくつもあるからです。原発のシステムには、かなりの油圧装置や機器も組み込まれているでしょうから、それらのシステムが水没した結果、かなりの油分も漏出したでしょう、津波の海水と同時に中身の分からない泥や有機物も流入したはずです。メルトダウンによって、金属や非金属が融けると同時に微細な粒状になって飛散し、再度水に混じった事でしょう。そんな訳のわからない危険な泥水を、緊急で輸入した単純な仕掛けで浄化できるとは、投稿者の様な素人が考えても大きな無理がある事が分かります。

やるべき事は、緊急に新品のタンカーを船主から譲ってもらい、それに真水を積んで原発の岸壁に横付けさせることです。真水は、今後の原発の冷却に使います。今溜まっている泥水は、取り敢えずは、空いたタンクに収めれば良いでしょう。タンカーの中の汚水の処理技術は、今後数年かけてじっくりと開発すれば良いのです。今のタンカーは、完全な二重底構造となっているので、そこにも水を入れておけば、放射能だってほとんど外には漏れないはずです。

タンカーは50億円も出せば、善意の船主が譲ってくれるはずです。なんならエンジンなどは無くても良いでしょう。船上には人も住まないので居住区も不要で、タンク部分だけの箱でも用が足りますから上の半額くらいでも十分間に会うでしょう。今あわただしく、バタバタと深く考えないで打っている方策、例えばチマチマと細かく作った汚染水タンクやバカ高い輸入浄化装置、ほとんど効果のない建屋への布カバーなどに費やしている費用に比べ、なんと安上がりな事でしょう。世界中を鐘や太鼓を叩いて回れば、1-2週間の間には、タンカーを横付けできるでしょう。今まさに、汚染水が溢れ出し、海へ流れ出す前夜の状況なのですから、まずはきれい事で遠い将来のグリーン電力買取法案などは放っておいて、緊急行動ありきでしょう。

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2011年6月21日 (火)

1413 脱エネルギー

前首相の、大幅な原発へのシフトを前提とした、CO225%削減という国際宣言は、原発の爆発と同時に霧散しました。しかし、逆に新たな原発が作れない事態に至ったという事は、今後既設の原発もどんどん「高齢化」することを意味します。もちろん原発の減った分、省エネルギーに励めば、ほぼ自動的に上の目標に近い数字が出るのでしょうが、今後火力発電や自家発電が増える様であれば、目標はさらに遠のくのでしょう。震災後、今の首相が言い出した太陽光発電の大幅拡大だけでは達成できない事は明白です。何故ならこのシステムは、雨の日、曇天、夜間には全く力(パワー)が出せない本質を持っているからです。

そこで、脱エネです。前のオイルショック後や、京都議定書の枠組み以降のキーワードは、「省エネルギー」(によるCO2削減)でしたが。このたびの原発事故以降のキーワードは、脱エネルギー(脱エネ)でなければならないのです。さもなくば、絶対に脱原発も見えてこないからです。脱エネは、別の言葉で言えば、脱化石エネ、脱原子力を意味しますが、さらに言えばそれは脱電力に向かわなければならない、と投稿者は予言しておきます。

電力は非常に便利で、有益なエネルギーですが、自然界ではすこぶる手に入れにくいエネルギーの形態でもあるからです。電気ですぐに頭に浮かぶのは、精々電気ウナギか雷さんくらいです。手に入れにくいという事は、その元となるエネルギー源、つまりは化石燃料や核熱反応や太陽光などから、電力を取り出すには、多大な犠牲(廃熱や変換ロスの事です)を払わなければならない事を意味します。その貴重な電気を使って作った熱で、風呂やお湯を沸かし冷暖房や調理を行うオール電化に事故後強い逆風が吹いたのは、全く自然な成り行きだと言えるでしょう。

脱エネには、熱は熱としてエネルギー源から必要で十分なだけいただき、電気は照明やテレビ程度に留め、人力を最大限活用し、先人の暮らしの知恵や工夫を最大限現代風にアレンジしてモノを製造し、暮らしを立てる必要があると思うのです。このタイトルは重いので今後何度も書き続けます。

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2011年6月20日 (月)

1412 感性

数名のT山大学のゼミ生に、「ペレットストーブ」の何たるかを話す機会をもらいました。彼らは工業デザインの実習として、数か月を掛けてストーブのデザインをするのだそうですが、話をしていて感じた事がありました。それは「感性」についてです。消費者が欲しいと思う製品を実現するのが設計者ですが、技術屋が「理窟」で形を決める場合、まちがいなく機能一点張りで味気の無い製品が出来上がります。何故なら、多くの技術屋には感性が欠けているものだからです。元技術屋の投稿者が言うのですから、これほど確かな事はありません。感性が十分に豊富か、或いは感性だけの人はきっと芸術家か芸人?になるのでしょうか。工業デザイナーは、実はこの両者(理屈と感性)を高いレベルでバランスよく持っている必要があります。

その意味では、その様なタレントに恵まれた工業デザイナーは、結構少ないのではないかと想像しています。それが証拠に、デザインが良くて、機能も優れていて、ぜひ購入してこの手に取ってみたい電化製品や道具や車などのなんと少ない事でしょう。少なくとも投稿者は、ここ10年くらいはそんな経験が無かったような気がします。最後の経験は、たぶんDイソンが作ったサイクロン式の真空掃除機でしょうか。売値が結構高かったので、店頭で触って満足してしまいましたが・・・。その後、日本の才能のない?えせ工業デザイナーたちが、それをすぐコピーした事は記憶に新しいところです。

工場の設備にすら今や「工業デザイン」が取り込まれつつあるのは、喜ばしい事です。つい触って動かしてみたくなるような、旋盤やマシニングセンターや油圧機械があると、味気ない工場の作業にも潤いが出るかもしれません。世の中の、技術屋=設計者には、ぜひ多くの芸術作品や良い音楽などを鑑賞してもらい、少しは感性を磨いてもらえば、世の中にはもっと楽しい製品が増えてくるのかもしれません。

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2011年6月19日 (日)

1411 夢の跡

昨晩は奈良泊まりでした。1300年祭も終わって、またしっとりした街に戻ったような気がしました。朝食前に時間があったので、宿となった施設の裏手の丘に登ったところ、何やら遊園地の様な施設の横に出ました。看板を見ると「XXドリームランド」と書かれていましたが、今は草ぼうぼうの廃墟となり果てていました。スクラップとして売れる遊具や観覧車はとうに取り払われたらしく、残っているのは木製のジェットコースターの土台程度でした。まさに「夢の跡」です。しばらく眺めていたら、これは実は「20世紀(或いは昭和)の遺跡」ではないかと思えてきました。日常では感じる事が無い、何Gかの大きな加速度の体験をさせるアトラクションは、今はさらに過激になったのかも知れませんが、毎日馬車馬の様に忙しく働いて、たまの休みには通園地などで「非日常」を体験するという、20世紀(昭和)型のレジャーの終わりとも感じました。

何故か、空を見上げて別の連想もしてしまいました。大枚の国費と人材を使って、宇宙ステーションでゼロに近いGを、数人の宇宙エリートだけに体験させているのも、やはり20世紀型の「国威高揚」型事業の一つの形に他ならないとも感じたのでした。このいずれも、1.0Gの地表では日常は体験できない重力でしょうし、戦闘機乗りか宇宙飛行士でもない限り、特別高いGの訓練や体験などは不要でしょう。どの様な道筋で考えても、私たちは1.0Gの世界に適応して進化してきたのでしょうし、これからも生きていかなければならないはずです。夢の後は、地に足を付けて「地道に生きていく」決心が必要です。遊園地の廃墟からの変な連想でした。

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2011年6月17日 (金)

1410 P to P

現在の物流システムに関して日頃から感じている事があります。それは、今の物流の大きな部分が、ハブ&スポークタイプになっている事に対してです。もちろん、一部の部品メーカーと組立工場の間には、直行便が仕立てられていますが、残りの大多数は、高速道路のインター近くに作られた「物流センター=ハブ」に一度集荷され、そこから行先別に仕分けされて、地域への配送するシステムでおこなわれています。個別配送には、もう一段くらいの集配のサブシステムが存在する場合もあるでしょう。

もちろん、効率が高いのはPoint to Pointでの配送です。これは、出荷する場所から、最終的に配送する場所へ直行便を仕立てるものです。現在の様な、小分けされた貨物を、チマチマと毎日配送するには、たぶん今のシステムが向いているのでしょうが、単位貨物重量当たりの配送燃料使用量という指標を導入した場合、非常に無駄の大きなシステムだとも言えます。

考えてみれば、毎日配送するから貨物が小分けになるのであって、1週間分、2週間分をまとめるならば、直行便を1便仕立てるに十分な量の貨物になるでしょう。できれば、目的地では積み替えをしないで、コンテナ部分を外してサッサと帰りたいものです。その際、その地域からの別の貨物を詰めたコンテナを積んで帰れば、空のトラックも少なくなるでしょう。この国の人々は、いつの間に宅配便やスーパーマーケットなどの量販店の便利さに慣れ過ぎて、たった1週間でさえも待てない気が短い人たちになってしまったのでしょうか。

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2011年6月16日 (木)

1409 国家の重み

お国の重みがドンドン軽くなってきたような気がします。政治家の発言の軽さは、今に始まった事ではありませんが、国の重みが軽くなったのは他に原因がありそうです。まずは、記憶を昭和の時代に巻き戻しましょう。投稿者の記憶も鮮明な高度成長期においては、国が主導する産業振興政策が次々と繰り出されました。大量物流や輸出入に不可欠であるが故の、護送船団方式による造船業振興、高速道路網や新幹線の路線整備、青函トンネルや長大橋の架橋(いわゆる列島改造計画)や、少し遅れて必要性の薄い地方空港や港湾整備も切れ目なく行われたのでした。

かつてのT産省やU輸省は、まさに国の牽引省庁の代表であり、優秀な官僚集団により、国家の裁量権も最大限になったのでした。

これが狂ってきたのは、たぶんバブルの崩壊以降の事でしょう。最早、一国の為替政策だけでは、瞬間的にピクリとしか動かないほど膨張してしまった電子マネーという見えない経済、一方のスーパーパワーの崩壊によって、極端に流動化した国際情勢は、手の付けようもないほどあちらこちらでキナ臭い煙を上げ続けています。いくつかの天変地異や人災も重なりました。人災の留めは9.11であり、天災と人災のコンビネーション極端な例は。今回の震災・津波・原発被害でしょうか。いずれにしても、90年代以降の時代の流れの中で、国の重みは極端に軽くなった事は否めません。その一つの証拠としては、各地の首長の発言の重みは日々強くなっている事が挙げられます。しかし、その一方で力もお金も無くなった国に対しての財政的要請が、日々強くなっている事は皮肉な現象に見えます。

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2011年6月15日 (水)

1408 リスク評価

飲み水、野菜や、お茶の放射能レベルに関するニュースが日々流れています。合理的に考えれば、例えば茶葉の乾燥工程前後で、白黒判定がひっくり返る様な「茶番」は、やはりおかしな話です。基準は、科学的で明確でなければならないのです。

その基準は、先ずは外部被ばくと内部被ばくに分けて考えなければならないでしょう。外部被ばくは一時の事で、環境放射能レベルと、暴露時間の積で評価できます。しかし、内部被ばくは、半減期との関係もありますが、放射性物質が代謝・排出されない限りは非常に長い時間に亘って、被爆が続く事になります。しかも、線源が脳や神経や臓器に非常に近い訳で、当量として考えれば、深刻度は高い筈です。同時に、内部被ばくの原因となる放射性物質は、どのくらいの期間体内に残留するかの評価は非常に重要です。例えば、骨格組織に取り込まれるというストロンチウムは、一体何年間残留し続けるのか、何も基準は示されていません。骨も、破骨細胞が働いて、やがて入れ替わるのでしょうが、その際放射性物質は、何らかの形で再度取り込まれるのか、或いは尿となって排出されるのか、その割合は、などなど疑問点は数多く存在します。

一方、この国には、広島や長崎の大きな犠牲の上で得られた貴重な被ばくデータが存在するでしょうし、スリーマイルやチェルノブイリからのデータも存在するはずです。徒に、何ミリシーベルトであるとか、何ベクレルであるとか、瞬間の放射線レベル値だけを公表して、混乱だけを招くべきではないでしょう。体重当たりの、時間当たりの外部被ばくと、水や食料や呼吸からの内部被ばくの想定量の基準を明確に示して、科学的なリスク評価こそ重視されるべきでしょう。

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2011年6月14日 (火)

1407 回顧と回帰

もし、今の世の中が良い方向に向かっている否か、というアンケートを取れば、この国では過半数の人が「そうではない」と答えそうな気がします。理由は、いくつかあるでしょうが、何より将来に対する閉塞感が考えられます。どうやら、将来に希望が持てない人の割合が非常に多くなってしまったのでしょう。それは何故かをさらに想像すれば、科学・技術の進歩の停滞が目立ってきた事と、逆に負の側面が急浮上した事が挙げられそうです。科学・技術を使って21世紀にやっと間に合ったのは、超小型原子炉で動く鉄腕アトムなどではなく、ギクシャクしながら動く?ハイブリッド車だけだった訳です。宇宙開発では、多額の税金を使いながら、何も宇宙ステーションまで出かけなくてもできそうな、結構つまらない実験を繰り返していたりする訳です。

投稿者は、これらのはしゃいだ事象を「時代の正の振れ」でしかないと切り捨てます。逆に、「負の振れ」には、公害とか温暖化とか原発の事故などが挙げられるでしょう。今日のタイトルの中の「回帰」は、本来あるべき方向へ戻る事を意味します。太陽が、北と南の回帰線の間を往復するように、架空のグラフの上にプロットされる時代や社会の正・負の振れを鳥瞰し、そこに「回帰直線」を引くならば、それが社会の本来あるべき正しい道筋なのでしょう。

間違いなく、今の時代は資源やエネルギーを使い過ぎ、便利過ぎる方向に大きく振れています。流石に江戸時代までには戻れませんが、少なくとも、まだまだ多くの人が「回顧」できる1970年代レベルまでには、少なくとも資源・エネルギーの消費規模の点では、戻る必要がありそうに思うのです。それは、今の丁度半分のレベルにはなりますが、そうなれば原発などは1基も要らなくなるはずです。

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2011年6月13日 (月)

1406 バージョンアップ

このタイトルも、書いてから2回目かな?とも思いました。でも、考えながら書いていくと、たぶん前回とは少し見方も違っているかもしれないので、まー良いか、です。

さて、世の中にはありとあらゆる製品が流通しています。しかしながら、形(デザイン)、機能、耐久性、メンテナビリティ(修理のし易さ)、コストパフォーマンス、質感、最終的な顧客満足度、などなど重要な製品指標を満足できる製品は、ほとんど見当たりません。

それは、新しい製品の開発に追いまくられるあまり、既存製品の「バージョンアップ」を行っている結果である事は明らかです。例えば車です。マイナーチェンジを繰り返すとはいえ、10年を超えて売れ続けている車種は数少ないものです。一方で、T社の戦略に見るように、同じパワートレンを使って、片方の手ではとても数えきれないほどの車種を乱発し続ける例もあります。例えば、10年余り乗って車の寿命が尽きて(実際には20万キロ程度の一応の寿命まで乗る人も希少ですが)、今では車を買い替える時、同じ車種が存続している可能性は非常に低くなっています。

そうではなくて、30年後も十分に時代の要請に応えられるように、不断のバージョンアップを続けるなら、車の決定版が生まれると思うのです。デザインについて言えば、見るたびに新しさを発見する形は必ず存在すると思うのです。人間の頭で思いつかないなら、自然の造形に学べば良いだけです。無駄の無い究極の形は、間違いなく製品ごとに存在するはずなのです。機能に関して言えば、顧客への徹底したアンケート調査で、不満足点や不具合点を掘り出して改善すれば、「ほとんど文句のつけようがない製品」だって完成すると思うのです。世の技術屋は、売らんかなの事務屋の言いなりになって、バージョンアップを忘れてはいませんか?

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2011年6月12日 (日)

1405 環ビジ80(ドライフォガー)

高速道路のSAや夏場のイベント会場では、ドライフォガーが大活躍します。その中に少し長く立っていても、ベッショリとは濡れない程度の細かい霧(ドライフォグ)を出す装置です。細かい霧が、瞬間的に蒸発して消え去る際に、気化熱を奪いますので、気温は数℃下がります。湿度が高い曇りの日にはその効果が減りますが、湿度が高くても晴れた日には、蒸散量が大きくなるので、それなりの効果は期待できるでしょう。

さてそのドライフォガー応用問題ですが、投稿者ならこれを絶対に夏場の節電対策にも使います。具体的には、例えば冷凍機や冷房機の室外機の多くは、空気で冷やされていますが、真夏の熱い空気では、冷却効果も限定的です。したがって、コンプレッサーはフルパワーで回る必要性がある訳です。このドライフォガーを、室外機が並んでいるエリア(多くは直射日光が当たる屋上や庇の上に設置されています。)に設置し、室外機に向けて霧を放出する訳です。数℃気温が下がった空気で室外機を冷やす事により、今までと同じ設定温度でも10-20%の電力削減につながるのです。

増してや、設定温度を1℃控えれば、併せ技で25%削減も見えてくることでしょう。開発して貰いたいのは、小型で水使用量も電力使用量も小さなドライフォガーです。水は毎分1リットルも使えば十分でしょう。これを指向性の高い送風機の気流に乗せて、各室外機器届くようにするだけです。これだと数万円の費用で出来そうな気がしますので、たった一夏の電力削減料金で元が取れそうです。

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2011年6月11日 (土)

1404 薪プロジェクト

三陸のある海岸では、数千本の海岸の松並木が津波でなぎ倒されて、たった1本だけ残ったのだとか。地元の人は、倒れた松をチェーンソーで細切れにし、斧や薪割木で割って「震災薪」として売り出したとか。このニュースを見て二つの事を思い出しました。

一つは、ふるさと秋田の海岸にあった松並木です。それは、並木というにはあまりにも広大で、幅が広いところでは、幅が1㎞ほどもあったような気がします。ある時期、松枯れ病が発生して、かなりの被害が出ましたが、それでも多くは冬場日本海からの厳しいシベリアおろしを防いでくれています。小学校の時に夏休みの宿題か何かで調べたところ、この並木は江戸時代にたった一人の庄屋が全財産を投げ打って植林を始めた偉大な成果なのだとか。それまでは、何を植えても育たなかったこの地方の砂地が、「防砂林」おかげで豊かな農地に生まれ変わった、との感動すべき歴史が見慣れた並木の背後にはあったのでした。三陸の並木にも、ほぼ同じような歴史が刻まれていたと想像すると、やはり倒されたとはいえ、薪にするというのは、地元の人にとってはやるせないものなのでしょう。

もう一つは、その松並木の一部を、畑や宅地にするためとはいえ、戦後のある時期、かなりの面積にわたって伐採したことです。小学校の頃、父親と一緒に、伐採された松をのこぎりで細断し、リヤカーに積んで持ち帰り、冬場の薪として軒下に積んだ事を鮮明に思い出しました。松は、油分を含むので、ブリキで作られた薪ストーブは、側面が真っ赤になるほどよく燃えました。倒れた松は仕方がないにしても、次の世代のためにも、私たちは再度しっかりと植林をしていかなければならないのだと、決意を固める必要がありそうです。

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2011年6月10日 (金)

1403 石徹白(いとしろ)

岐阜県と福井県との県境にある郡上市の石徹白(いとしろ)に行く機会がありました。国道から20㎞位山道を走り、峠を超えると、山里と呼ぶのにこれ以上ふさわしい場所は無いと思われる程の、石徹白地区に入ります。聞けば、ここは「元は福井県」だったとか。平成の(越境)合併で岐阜県になってしまったようです。ご多聞に漏れず、規模の小さな農林業以外産業が少ないこの地域でも、冬のスキー客を期待しての無残なゲレンデ開発が行われていました。

ここを訪問したのは、実はこの場所が「小水力発電のメッカ」と呼ばれる場所だからです。冬季は2mを超える積雪があるこの地域では、豊富な雪解け水が得られ、急斜面を駆け下る小さな農業用水が数多く流れています。その流れの一部を導いて、螺旋型(アルキメデス型?)や昔ながらの上掛け水車がいくつも設置され、回っています。もちろん、それらは木製ではなく、しっかり助成金をいただいて作った鋼鉄製です。

少しさびしいのは、それらが全て「ささやかな発電」しか行っていないという事実です。かなり大がかりなものでも、家1軒分の電力をまかなうのがやっとです。そうではなくて、投稿者などは「水力」を本来の力や熱源として多面的に利用する方法もありそうに思うのです。かなり昔になるでしょうが、ご先祖様たちは水車小屋で作った動力を、脱穀や製粉や鍛冶仕事、少し大がかりなものでは製材などに利用していたはずです。力を熱に転換すれば、ほぼ100%の効率が得られるでしょう。ならば、水車で水の中の摩擦板を回し、熱に変えるなどの仕掛けを使えば、雪深い山里でも冬季の暖房や給湯の熱源が確保できるでしょう。電力は、精々LED照明用程度で済むわけですから、オモチャの様な発電機でも十分でしょう。

投稿者の夢は、小水力で木質のペレット燃料を作る「ペレット小屋」を作る事です。これによって夏の間に里山を整理した間伐材からペレット燃料を作り、それを冬に使うという昔ながらのエネルギーの自給自足が実現できる事になります。こんな山里は、この国の田舎には何百も存在するはずですから、一つモデルケースができると、水平展開も期待できます。東北の復興計画の一助にもなりそうな気がします。

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2011年6月 9日 (木)

1402 マニュアル車

買い物車になっている家の車が古くなってきたので、買い替えを検討し始めましたが、躓きました。何しろ、小型車ではマニュアル車の設定が殆ど無いのです。スポーツタイプの車種では辛うじて存在しますが、いわゆる小型ファミリーカーのカテゴリーでは、片手で数えられるくらいしか残っていません。まさに絶滅危惧種です。

ヨーロッパでは、まだまだマニュアル車が元気ですが、今の日本の状態はまるで「米国か」です。そういえば、十数年前に今の車を買った時にも、その車種では既にマニュアル車の割合が5%程度まで下がっていたような気もします。したがって、納車までに2-3か月待たされた記憶があります。

少なくなったマニュアル車の値段を聞いてまたびっくり。なんとオートマ車と全く同じなのです。その昔には、マニュアルとオートマには5万円以上の価格差があったと思います。(今となっては時代遅れの記憶かもしれませんが)マニュアル車が売れないので、値段が上がるのは仕方がないのかもしれませんが、シンプルなものと複雑なものが同じ値段というのも何か納得できません。

オートマ限定免許を作り、マニュアル車の販売を止め、これ以上「不器用な」人間を増やして、国やメーカーは何が嬉しいのでしょうか。とりあえず、今の車は「つぶれるまで乗る」しかない、と思い始めています。

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2011年6月 8日 (水)

1401 環ビジ79(輻射暖房)

輻射冷房が出来るなら、少し季節は早いですが輻射暖房も同様にできるはずです。輻射冷房の仕掛けをそのまま用い、30℃を少し超えるくらいの温水を流せば、寒い冬季でもヒトは室内で快適に過ごす事が出来ます。

さて、もう一工夫です。温度が低いとはいえ、やはり温水を作って循環させるには、それなりのエネルギーが必要です。そこで、輻射冷房と同じくパーソナル暖房を考えてみます。こちらは、少し規模が小さくても大丈夫でしょう。事務仕事であれば、椅子の上に敷く座布団や背もたれがほのかに温まっていれば、他に暖房が無くても、日本でも温暖な地域は大丈夫です。実際、投稿者の事務所でも、電気座布団と電気アンカで冬を乗り切っています。電気ヒーターで直接熱を発生させる方法もあるでしょうし、手に平に乗るくらいの小型のコンプレッサーで動くヒートポンプも有望です。ヒートポンプだとCOPが3倍くらいになるからです。この場合の作動流体は当然の事ながら無害なCO2です。

このコンプレッサーで出来た熱(あるいは温水)を、直接体に接する椅子や机の一部や、場合によっては衣服(ベストなど)に通すと、ほぼ完ぺきなパーソパル輻射暖房ができるでしょう。使う電力は、多くても50W(電球1個分)程度には抑えたいものです。これなら、10人の事務所でもたった500Wの電力で暖房が賄えます。一般的な家庭用のエアコンの半分くらいの電力です。でも考えてみれば、何のことはなく、これは使い捨てではない大判のカイロを各人に配っておくようなものです。確かにカイロは先人の偉大な省エネの知恵の一つですね。

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2011年6月 7日 (火)

1400 環ビジ78(輻射冷房)

ヒトの冷暖の感じ方は、赤外線の収支に依存していると考えて良いでしょう。理論は、いくつもあるでしょうが、これは投稿者の「実感」でもあります。日向や、体温より温度の高い物体の近くに立つと、私たちは肌に「赤外線」が当たるのを感じます。一方で、夏にトンネルの中に入った途端、何か「ヒンヤリしたもの」を感じます。これは、実際には「ヒンヤリしたもの」を受け取っているのではなく、体から赤外線が放射され、トンネルの壁に吸い込まれる感触を「ヒンヤリ」と感じる、と定義しているだけだとも言えます。

さて、そこでこれを利用した冷房が出来ないか、という話になります。現代人は、それを実現するカラクリとして「エアコン」を考えだしました。これは、部屋全体の空気を必要なレベルの温度に保ち、結果として壁や床や天井も、この温度に無理やり倣わせ、トンネルと同じ状況を再現しようとするものです。しかし、これではあまりにも非効率です。窓や屋根から容赦なく侵入する「熱」を汲み出すために、これからの季節、エアコンのコンプレッサーは悲鳴を上げながらフルパワーで回り続けます。事務所は、法律で最低でも一人当たり10㎥の気積が要求されます。実際は、この何倍もの気積があるわけで、この空気の温度を侵入熱に打ち勝って、低く保つのは至難の技(というより莫大なエネルギーが必要)です。

そうではなくて、理想は屋根や壁や床の表面だけを冷やして、ヒンヤリ効果を得るのが最少のエネルギーで冷房を実現する最善の方法だと言えるでしょう。具体的には、壁や天井に細いチューブを塗りこめ、そこに井戸水程度の冷水を流す方法が考えられます。実用化もされていますが、設備価格が高いのが難点です。ならば、一人一人の机の横(あるいは椅子の後ろに)に、小さなパネルを立てて、そこに冷水を流すという個人バージョンだって考えられるはずです。それで、エネルギーが今のエアコンの半分以下になるのなら、たぶん売れるでしょう。

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2011年6月 6日 (月)

1399 麦秋

仕事で、郊外を通りかかった時、見事に実った麦畑が目に入りました。そういえば、麦秋という言葉があった事を久しぶりに思い出しました。比較的暖かい地方では、二毛作(これも久しぶりで使う言葉です)としてこの季節まで麦を育て、刈り取った後あわてて稲を植える事になります。

それにつけても津波で塩害を受けた被災地や、放射能汚染で将来の農業再開が全く見えてこない農家の無念や苦悩が想われます。とりわけ、人間の健康被害に関して言えば、放射能は「程度問題」になりますので、近い将来かなりの程度まで放射能レベルが下がったからといって、「完全に安全」と消費者が認めない限りは、一生懸命作っても結局「売れない作物」の山が出来てしまう可能性もあります。

当面、汚染された農地が食糧生産に適さないのであれば、取り敢えずは「燃料作物」を数年作り続け、土壌の放射性物質を植物に吸収させ、来たるべき食糧生産再開に備えるべきでしょう。お米でお酒や焼酎を作る代わりにエタノールを作り、稲わらもバイオマスとして燃料にすれば、いくばくかの収入が入るでしょうから、不足する部分をT電や国から補てんして貰えば、農家が立ち上がる一助にはなると期待されます。良く実った麦畑から、そんなことどもを連想しました。

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2011年6月 5日 (日)

1398 ダブルスタンダード

どう考えても、今の世の中はダブルスタンダードで動いているようです。たとえば、「経済的発展」と「環境への配慮」は、どちらも基本的には誰も反対はできない基準でしょう。しかしながら、それらは共存できないどころか、多くの場合は相反するベクトルを持っているのだと断言できます。

そのダブルスタンダードの中で、この国のトップも、何か訳の分からない4本の(矛盾する)柱を持ち出さざるを得ない事態に至ったのでしょう。その矛盾を取り払って、省エネと再生可能エネルギーだけで営める社会に移行する場合、この国の経済規模は、たぶん現在の半分か数分の一にシュリンクするしかないでしょう。それはしかし、環境保全のために経済を犠牲にすると考えずに、環境から与えられた必然であると認めなければならないのです。それを認めた上で、それを達成する時期を思い定めるのが、国の上に立つ人々の仕事であるはずなのです。その目標年度を、例えば50年後としましょう。考えてみれば、それを高らかに宣言したとしても、その人々は50年後には誰一人残っていない訳です。しかし、10年後には、そこに至る道のりの1/5は進んでいる訳ですから、そこで達成すべき目標値には明確な責任が生じます。しかし投稿者は、国民の大多数が賛成できる方向ならば、政局(まつりごと)がどうあれ信念を持って突き進む真のStates Manの登場を心待ちにする者です。

ダブルスタンダードは、出来るだけ早い時期に20世紀の政治や社会の遺物にしてしまいたいものだともしみじみ思います。「言行一致とは程遠い」、政治屋のやり取りを聞くたびに、この国の行方を憂います。

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2011年6月 4日 (土)

1397 Globalizationの二極

突然表題の言葉が降ってきたので、言葉が導くままに書いてみます。Globalizationが招いた二極とは、いわゆる先進国に偏った豊かな社会とその対極にある貧しいテロ蔓延社会である、と象徴的には言えるでしょう。もちろん、その間を縫うような形で、BRICSと呼ばれる資源もそれなりに持っている国々が、それなりに豊かな第三極を形成している事実はありますが…。

Globalizationの功罪云々は、長い間議論の中心になってきたような気がしますが、それは一にも二にも、それを維持するためには、多量の資源とエネルギーの消費が前提で、その奪い合いの争い、即ち貧しいが資源を持てる国々と、資源は無いが技術とお金を持てるとのし烈な綱引きが避けられないからです。これは、この星の環境問題の行方とも密接に関わりあっている事も間違いありません。

では、Globalizationは悪か、と問われれば、少なくともこの星の持続可能性にとっては、限りなくクロに近いというしかありません。地域に同族の人々がかたまってひっそりと暮らしていた時代には、部族間のささやかなイザコザはあったにしても、少なくとも地球規模の環境問題は存在しませんでした。Globalizationが無限に要求し続ける資源とエネルギーが有限であり、しかもその採掘のピークが過ぎてしまった事が明らかになった今、やはり私たちはLocalizationに向かって、元来た道を少し引き返さなければならないのだと思います。どこまで、戻るかは難しい問題ではありますが、資源・エネルギー的に、今の丁度半分であった、1970年代半ばが一つの目安にはなるでしょう。

Globalizationには、もう一つ人口圧からの必然という側面があるでしょう。どう考えても、この国の資源・エネルギーだけで、1.2億の人口が養えるはずがありません。同様に、爆発を抱える途上国にしても、資源を切り売りしなくては、農業だけでその人口が支えきれないでしょう。結局、この二極構造と、結果としての環境悪化は、今後とも間違いなく「前に進む」事になりそうです。それに歯止めを掛けるのは、天変地異か、はたまた人類未知の疫病か、などとつい悲観的に考えてしまいます。これは、今日のブログの出発点であるキーワードが悪いのであって、投稿者のせいではありません。

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2011年6月 3日 (金)

1396 ピークカットではなくて

業界横断の休日のシフトや単独のサマータイムなどの、夏場のピーク電力崩し論議が華やかです。しかしながら、スーパーかウルトラクールビスで、しっかり冷房を止めるのであればまだしも、実際に熱波が襲来すれば、今の決意も消し飛ぶでしょう。本当のピークカットのためには、ラテンの国々で昔から行われているシエスタしかないでしょう。しかし、職住が離れている日本のサラリーマンは、日中の数時間を一体どこで過ごせば良いのでしょう。やはりどうにも答えが見つかりません。

小手先のピークカットではなく、やはり現在の電力デマンドのレベルを1ランク下げるしかないとの結論になります。ここでは、夏場の冷房負荷について考えてみましょう。例えば工場です。典型的な中小企業の工場では、20-30人程度の作業員が工場の中で働き、そこに10-15kw前後の出力を持ついわゆるパッケージ型のエアコンを、例えば4-6台据えている事でしょう。夏場は、屋根が直射日光に焼かれて灼熱地獄になりますから、これらのエアコンは終日フルパワーで動き続ける事になります。しかし、その吹き出し口の方向から外れた作業場では、ちっとも涼しく感じられない事でしょう。流入熱量が大き過ぎるからです。そこで、登場願いたいのはスポットクーラーです。これは、小さなものでは0.5kw程度のものもありますから、これを一人に1台配る事にしましょう。30人分でも15kwの電力で賄えますから、現在の15kw x 4台=60kwに比べれば、なんと1/4の電力で全員が涼しくなるでしょう。

事務所の冷房にも同じ事が言えます。例えば、ペルチェ素子などを利用して、部分的に涼しくなる座布団や椅子の背当てがあれば、人はかなり涼しく過ごせるはずです。電気座布団やカイロの夏バージョンという訳です。これに扇風機でも組み合わせれば、冷房なんかは一夏ほとんど使わなくて済むと思うのです。少なくとも投稿者の事務所では、扇風機以外の一切の冷房はありません。

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2011年6月 2日 (木)

1395 環ビジ77(脱エネグッズ1)

脱原発のためには、先ず「脱エネルギー」への決意が不可欠です。ケチな省エネなどではなく、「脱」エネルギーですから、中途半端でやわな決意では達成不可能です。考え方は至って単純です。とにかく「人力」や「太陽光」に依存する生活を目指せば良いわけです。人力の代表的な利器は、例えば自転車です。乗員と運転手と原動機が同じ人なのですから、これほど脱エネの移動手段は考えられないでしょう。脱エネを目指す社会では、市内や地域の交通システムは、自転車を中心に組み直すべきでしょう。都市間の移動は、電車やバスで、狭い地域の移動は全て自転車と考えるシステムです。足が悪い人も、手で漕げる3輪車ならどうにかなるでしょう。どうしても必要ならば、最小限の電動アシストは許しましょう。

家や職場の掃除はモップやホウキで行い、洗濯も洗濯は電気で仕方がないにしても、脱水は足踏み式の遠心脱水機を開発しましょう。洗濯機の横に、ダイエットサイクルをくっつければ良いだけなので開発は楽チンです。暑い夏は、軽装、団扇、扇風機の優先順位でしのぎます。身に着ける冷房機(実際は保冷剤の様なもの)も良いかもしれません。これはとりもなおさずカイロの夏バージョンです。何しろ使い捨てではない仕組みが重要です。手元に、USB電源で動く、保冷・保温パッドがありますが、温度をもう少し控えて、弾力性のあるパッドにすれば、衣服の内側に入れて個別冷暖房に使えそうです。

パソコンや液晶テレビのバックライトは、ぜひ昼間は太陽光を導いて照明できるように、鏡とレンズと光ファイバーなどを使ったアタッチメントを開発しましょう。バックライトは、省エネ型の蛍光灯であるCCFLを使っているとはいえ、パソコンモニターでさえも30-40wは消費していますので…。これが日中の数時間は、電力ゼロになれば、軽く原発2個分の電力が浮く計算になります。

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2011年6月 1日 (水)

1394 嫌気

昨日はポッカリと暇だったので、久しぶりに事務所の書類整理を行いました。事務所にいる時には、耳の刺激のためにラジオを点けっぱなしにするのですが、たまたま昨日も朝から国会中継が行われていました。

例によって例のごとくですが、野党議員が入れ替わり立ち代わり、現政権を針でチクチクと差しまくり、過去の失策をあげつらいます。確かに、寄合所帯である今の政権は、まとまりも悪く多くの失策を犯してきたのでしょう。しかし、国会の議論の中からは「一切の前向きな提言」が聞かれないのは、この国に住むものとして、寒々しいものを感じます。椅子取りゲームは、しばし休戦にすべきでしょう。今の政権を助ける様な良い提案を出すのであれば、それを出した野党への支持も上昇するでしょうから、震災対応が一段落してから、改めて正々堂々と勝負をすれば良いのです。これ幸いとばかり、失策をあげつらうのは、判官贔屓の多いこの国の国民からは支持を得られないでしょう。これまでの様に無党派層が増えるばかりです。与党も野党も、この国に吹いている「空気」を全くといって良いほど読んでいません。永田町には別の空気が閉じ込められているようです。

さて、嫌気や愚痴ばかりを並べ立てても前に進みません。震災対応の「対策部隊」とは別に、この国の将来像を描く「あるべき社会検討部隊」も並行して設置し、真剣にこの国将来をどうすべきか(この国はどんな国になるべきか)を議論してもらいたいものです。震災復興で、さらに膨らむであろう膨大な借金だけを子孫に押し付けてはならないでしょう。

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