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2011年7月31日 (日)

1450 超円高

最近の超円高状況の再来で思い出す事があります。90年代の中ごろ、80円を突破した超円高期がありました。素人には裏のカラクリは良く分かりませんが、バブルの崩壊があったにも関わらず、海外投資が縮小した一方、輸出は好調であった事もあり超円高となったようです。

今回は、逆パターンで、ヨーロッパとB国の信用が低下した結果の円高なのでしょうが、輸出依存体質からいまだに脱出できないこの国では、産業の足をしっかり抑え込んだ上で、ジリジリと引っ張っています。

前の円高では、最早国内でモノを作り、それを組み込んだ製品を海外に輸出する事業は成り立たない。取り敢えずは、部品は可能な限り海外で作らせて、高い円で買ってくるべきだ、という議論が社内で巻き起こり、それに巻き込まれた形で、ヨーロッパ、B国、アジアなどのベンダーを購買担当者とチームを組んで回り、見積もりを取りまくった記憶がまざまざと蘇ってきました。今回の円高でも、さらに長期化するなら、企業経営者はやはり輸入を志向するか、またはいっそ海外での生産を選択する事でしょう。

しかし、近視眼的行動は、結果として自分の首を絞める事につながります。国内の空洞化は、伸びが著しい、アジアの競合相手に塩を送る事につながるからです。モノづくりを止めて、金融ゲームに走った国々の末路は、改めて指摘するまでもないでしょう。資源を持たないこの国の運命としては、やはり知恵と工夫を積み重ねて、他の国ではとても真似のできない、優れた製品を生み出し続けるしかないと思うのです。それは、「資源やエネルギーを極限まで絞り込んだモノづくり」という点に最大の特徴を持つものでなければなりません。投稿者はこのブログで、それも「環境ビジネス」と呼んできました。

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2011年7月30日 (土)

1449 今更アストロノーツ

新たな宇宙飛行士が3名も誕生した様です。スペースシャトルが退役し、20世紀型の「宇宙開発」は一段落したものだと思っていました。20世紀型と揶揄したのは、つまりは宇宙ステーションに行ったり来たりする、いわば重力⇔無重力遊びだと思うからです。

宇宙ステーションには、無重力以外は何もない事に、税金を払っている人々は早く気が付くべきでしょう。そこに置いた種を発芽させようが、宇宙飛行士が犠牲的精神で、骨粗鬆症をシミュレーションしようが、何も得られるものはありません。無重力下で完全無欠の合金や薬品が合成出来たとしても、それが工業的に作れる訳ではありません。そんなにややこしい事を持ち出さなくても、これから彼らが、あの限られたスペースで一体何をさせられるのか、明確な「目的」が見えません。目的のはっきりしない行動は、一般的には手段の目的化が起こっていると思われます。この場合の「手段」とは、スペースシャトルやその他の手段で、宇宙飛行士をステーションに送る、というミッションを指します。このミッション自体が目的化を引き起こすと、宇宙ステーション自体を維持する事が主目的になってきます。

宇宙ステーションを打打ち上げるのにも、「天文学的額のお金」が使われたはずですが、その維持のための物資輸送や人の行き来のために、更なる同じ程度の税金が注ぎ込まれる事になります。儲かるのは、宇宙タクシーを独占する事になった北の国だけです。アフリカで今起こっている飢餓も、その予算のホンの一部を回すだけで、かなりの程度救済されるでしょう。何より、能力のある新たな宇宙飛行士たちの人生が、宇宙ステーションを中空に浮かばせ続けるだけのために費やされるのが、いかにも残念です。始めるのは簡単ですが、原発にしても宇宙ステーションにしても、20世紀の遺物をどの様にして終息させるか、そろそろ真面目に考えなければならない時期です。

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2011年7月29日 (金)

1448 電気の本質

1446で(熱)エネルギーから除外した「電気エネルギー」についてもその本質を考えてみます。先ず「電線」です。もちろんこれは自然物ではない人工物なのですが、これを「エネルギーを送るパイプ」と見立てると、何やら電気エネルギーの本質が見えてくる様な気がします。液体燃料やガスは中空のパイプで送りますが、電気は中身の詰まったアルミのパイプ(送電線)で送っていると言えます。

発電所は、その意味では「電気エネルギーをパイプに押し込む場所」という表現になります。需要家の配電盤やコンセントは、電気の取り出し口という事になります。しかし、考えてみると私たちは電気を電気のままで使う事は殆どありません。最終的には、熱や光や動力に変えて使っている訳です。パソコンの中では、確かに電気(電子)が流れて演算をしているのですが、最終的にはモニター上に光の強弱や色の情報として表示しない事には、機能が完結しません。つまり、人類は最も使いやすいエネルギーの形態として、20世紀を通じて「電気」を選択してきたと言う事が出来そうです。電気の本質として、しかしそれを送るパイプ(電線)がつながっていない事には、その便利さを享受できません。ギリギリの選択として、移動体である電車は決まった軌道を走る事の代償として、電気を動力とする事が出来ている訳です。

同じく移動体である車に、その電気をバッテリーに詰め込んで走らせるEVが注目されていますが、発電所効率(40%強)と送電効率(80%前後)を掛け合わせた総合的な「電力効率」は、30%程度しかないので、もし原発が殆ど休止してしまうと、化石燃料を電気に変えて、それで車を走らせるという変な事態に陥ります。そうなってしまうと、車の熱効率(ガソリンの燃焼エネルギーが車を転がす事に使われる割合)は20%を少し超えるレベルですから、EVとガソリン車の「環境負荷」は、どっこいドッコイという結論になってしまいます。いまガソリン車を作っているメーカーも、少し頑張れば、すぐEVの効率を追い越せるという事も言えそうです。

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2011年7月28日 (木)

1447 生体内半減期

放射能について考える場合、いわゆる放射性物質の自然崩壊による「半減期」の他に、生体内での半減期を考えてみる必要があります。これを抜きにして考えると、例えばセシウムに関して言えば、「暫定値」を2倍程度超えた牛の肉は、もしそのまま肉の状態で保管したと仮定すると、20-30年経たないと口に出来ない計算になります。

しかし、生体(生きている動物)内の半減期を勘定に入れるならば、例えば牛の筋肉に入った、セシウムは、一方では生体活動の結果日々体外に排出されますので、概ね90日程度で半分になると言われています。現状では、筋肉中の放射能レベルが、暫定値を倍程度越えている牛も、さらに90日間生きた状態で飼育を続けるなら、自然に暫定値以下に戻る訳です。同じく、人間が牛肉などの食物から取り込んだ放射性セシウムも、一生を通じて体内に留まる訳ではなく、やがて汗や尿や便となって代謝され、牛と同じく90日程度で半減してしまう事になります。自然界からの環境放射能やラジウム温泉などからの、低レベルの放射線被ばくは、長い歴史の結果としてみるならば、生き物の「緩やかな突然変異」や進化に寄与してきた可能性も否定できません。今流布されている暫定値の根拠は良くは分かりませんが、放射能を必要以上に恐れる必要はないとみていて、基本的には楽観しているものです。

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2011年7月27日 (水)

1446 熱(エネルギー)

エネルギーの本質について時々考えます。一言で表現を試みるなら、その本質は「熱振動」だと言っておきます。絶対零度でない限り、全ての物質(固体、液体、気体に関わらず)は、熱振動をしています。その振動の度合い(強さ)を便宜上「温度」と呼んでいる訳です。熱振動は、しかし環境との間に温度差がある場合、温度の高い物質は、より温度の低い物体(あるいは周囲環境)と同じ温度になろうとして、エネルギー波を放出します。このエネルギー波を、一般的な呼び名では「電磁波」と呼び、特別なバンドの波長を、紫外線、赤外線、或いは電波や可視光と呼んだりしています。

生物は、単純に表現すれば、高いエネルギーを持つ電磁波が、より低いエネルギーの電磁波に変わる「落差」のエネルギーを使って生きているとも言えます。もちろん、そのエネルギーの根源は、表面温度が6000℃で太陽系を照らしているお天道様から来る訳です。そう考えると、森羅万象が結構単純に見えてくるような気がします。もちろん、事はそんなに単純ではない、という突っ込みが入るかもしれません。上記の割り切り方では、例えば金属内の電子エネルギーは説明できていませんし、いわゆる核力(原子力)等、物質そのものが変化する現象に関してや、磁気エネルギーなども説明できていません。

しかし、それは電気伝導度を持つ「一部」の物質カテゴリーであり、ましてや自然界では低いレベルで続いている、原子核崩壊による「自然核エネルギー」(例えばオクロ鉱床の例など)は、マイナーな部分として、横目で見ておくだけで良いのでは、と思っています。例えば、自然界で「自然に」電流が流れる現象は、カミナリさんくらいしか思い浮かびません。金属内を流れる電流などは、フランクリンさんがカミナリは電流であることを発見し、ボルタさんやアンペールさんが、人工的に電気や電流を作り出して以降の「ささやかな人間の営み」に過ぎないではありませんか。

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2011年7月26日 (火)

1445 黒い小さな蛙

雨上がりの時間帯、毎日事務所に通う途中のあぜ道に、非常に小型の蛙がたくさんいる事に気が付きました。色は黒っぽく、大きさも1センチくらいしかないので、動かなければ、道に小石が転がっている様にしか見えません。トノサマ蛙やヌマ蛙とは違う種類の様なので、別の種類の蛙の幼形なのかも、とも思います。何年も同じ道を通っているのに、なぜこれまで気が付かなかったのか、自分でも不思議に思います。たぶんこれまでは、結構スピードを上げて自転車のペダルを漕いでいたのかもしれません。気になりだすと、種類を知りたくなりますが、Net上でも多くの同じような写真を見かけますが、種類まで特定してくれているサイトはこれまでのところ見つかっていません。

今日もうっとうしい梅雨の様な一日となりそうですが、早い梅雨明けと、安定しない夏空は、セットになっているのかもしれません。天気の周期は、90日程度と信じているので、7月末の冷夏は、9月以降の残暑を予感させます。一方、自営業が忙しく、なかなか山に向かう日程が取れないので、かなりストレスが溜まっていましたが、自分が出かけられない時期に天気が悪い事は、勝手ながらそれなりに気分が良いものです。

さてもう少し、蛙のサイトを探してみる事にしましょうか。(PS:結局ヒキガエルの幼形でした。お騒がせいたしました。)

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2011年7月25日 (月)

1444 土に刻まれた歴史

考古学や地質学にも、それなりに興味があります。石ころになるほど古い地質にも、浸食や堆積の歴史が刻まれ、その中から見つかる生き物や植物・花粉などの痕跡が、過去の歴史をありありと物語ります。まだ石になっていなくても、少し掘るだけでも地層からは数千年の歴史が現れます。土壌の体積は、1000年で30㎝程度と言われ、1mも掘れば3000年までの過去を観察できるはずです。

津波の歴史も、間違いなくありありと記録されているのでしょうが、いかんせん人々は忙しすぎて、今そんなのんびりした観察ができるのは、一部の学者くらいでしょう。考古学であればB化庁やM科省などから予算が出るのでしょうし、深い地層の断層の研究であれば、土木や原発等の構造物の地盤を知る上で重要ですから、事業費として予算が取れます。しかし地層を掘り返すのは、単なる学術研究になるのでしょうから、規模もささやかなものにとどまると想像しています。

しかし、重要なのは数万年や数億年前の歴史ではなく、ここ数千年の足元(地球)の歴史なのです。間違いなく一部の学者からは、1000年に一度起こってきた大地震と大津波に対して警鐘が鳴らされていたはずですが、「事」が起こるまで、それらは完全に無視されてきたのでした。何故なら、それを想定する事は、あまりにも対策コストが掛かり過ぎて、原発の経済的優位性が損なわれる恐れがあったからです。恣意的に、重要な警鐘を無視してきた構造や組織こそ非難されるべきで、その部分の反省無しに、今後のエネルギー政策もクソもあったものではないでしょう。

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2011年7月24日 (日)

1443 エネルギー比率

原発の運転停止数が増え、電力のひっ迫が取りざたされていますが、そんなに心配はしていません。というのも、現状で電力の大きな部分が「熱利用」となっているからです。この熱利用には、冷房時の「冷熱」も含まれますし、暖房や冷蔵庫や給湯も含まれます。そうであれば、熱の供給が目的なら何も電力に頼る必要はない、と考え方を変える事も出来るでしょう。

熱利用を考える場合、特に夏場の冷房電力需要期には、お天道様の力がグンと強まりますので、これを利用しない手はありません。しかし決して、太陽光を電力に変えて、オール電化のガジェットやエアコンや冷蔵庫を動かそうなどと考えてはいけません。太陽光は、そのまま熱として最大限利用します。太陽熱温水器でお湯を沸かし、ソーラークッカーで調理をし、デシカント冷房で空調も行います。その分、確実に電力や化石燃料を削減できますから、より多くの電力を産業用に回す事も可能です。

見直すべきは、発電所のエネルギー比率(つまり、化石エネ:原子力:自然エネ)の比率ではなく、熱利用における比率(電気エネルギー:自然エネルギー)なのです。例えば、200リットルの水を、太陽熱温水器で50℃程度暖める場合、それはほぼ12kwhの電気エネルギーに相当します。つまり、1kwの電熱器に12時間通電した時に発生する熱量と同等なのです。これを、まだ屋根やベランダに太陽熱温水器を設置していない世帯に法律で設置を義務付け、例えば2000万戸に新たに設置したと仮定すれば、これで原発20個ほどのエネルギーに相当する熱量を、得る事が出来るはずです。もちろん曇りや雨の日もありますから、実効を1/3に減ずるとしても、原発5-6個分には相当するでしょう。これはたった2㎡程度の小型の太陽熱コレクター(ソーラーコレクター)での計算ですから、屋根や壁に取り付け、空気を熱媒体とするコレクター(ソーラーウォール)を設置すれば、この何倍も熱量を得る事も可能になりますから、ほとんど原発に頼らなくても、この国の暮らしは成り立つことになります。つまり、来たるべき脱原発社会では、熱は基本的にはお天道様に作っていただき、雨や曇りの日の足りない部分を化石燃料や地熱から補給する方向に持っていく必要があると言えるでしょう。

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2011年7月23日 (土)

1442 WBGT計

最近WBGT計を入手しました。それなりに高かったのですが、京都にある寺の舞台から飛び降りたつもりで買いました。WBTG計は、日本語にすれば「黒球・湿球温度計」とでも呼ぶのでしょうか。黒球で「輻射温度」を計り、サーミスタで計る気温と湿度センサーのデータを組みあわせ(演算し)、例えば熱中症予報などにも使えるWBGT指標を表示できる優れものの「温度計」です。体感温度の6要素である、1)気温、2)湿度、3)輻射温度、4)風速、5)労働強度、6)被服のうち、3要素を加味するので、より実際の体感温度に近い数値を指標化できます。

それでどうなのかですが、この指標を例えば、冷房の運転開始・停止のトリガーにすれば、間違いなく省エネにつなげることが出来ます。つまり、気温はかなり上がっているが、湿度が小さく、建物の壁温度(輻射温度に関係する)があまり上がっていない午前中は、今は8時に自動的に運転開始しているビルでも、たぶん10時頃まで、運転時間を遅らせる事も可能です。事務所に朝日が差さない方角(つまりは西日が当たる方角)にあれば、さらに遅らせる事も可能でしょう。

一方、気温は既に27℃くらいに下がっている夕方でも、もし建物の西壁が35℃に熱せられたままの状態になっていると、体感温度は31℃前後となるため、熱中症のリスクはMAXのままとなります。この場合は、リスクを低減するためには、冷房を運転し続ける必要があります。輻射温度計は単独でも機能しますので、これは例えば冬場の暖房器具の性能評価などにも活用できるはずです。

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2011年7月22日 (金)

1441 浅い技術

元技術屋として、やはり技術の「仕業」については関心があります。原発を作った技術が、果たしてどの程度のレベルだったか、自分が関わったものではなくても、やはり気になるのです。ここでは、技術レベルの深浅について考えてみます。何をもって、技術のレベルの深浅を判断するかですが、投稿者は「想定ケースの多寡」を提案しておきます。

想定ケースを、例えば「森羅万象」を含む全ての最悪ケースを想定したと仮定すれば、全ての建造物や破壊した時に危険な状態が発生する設備は、全く作れないはずです。何故なら、建物や設備設計には、必ず「安全率」を想定しなければならず、そのためには想定される危険を数値化しなければならない訳です。例えば、ブラジルの建物を見たときに衝撃を受けた記憶があります。それは、素人目にも細く見える建設中の鉄筋コンクリートのスケルトン(骨)でした、技術屋の直観として、確かに静荷重には耐える強度の様には見えましたが、震度5程度の地震が襲ったら、ひとたまりもない様に見えました。その建物は、スケルトンに煉瓦で作った壁を追加して完成する途中だったわけです。考えてみれば、彼の国ではチリで地震が起これば、僅かに振動を感ずるのでしょうが、基本的には国民は「地震」という言葉を知りません。ですから、静荷重の「想定」で十分と考える事が出来ます。一方この国では、有史以降でも繰り返し大地震や大津波に襲われてきました。ユーラシア大陸の縁に位置する国の運命でもあります。

さて、これ(最悪の想定)をどの様に技術に、設計に盛り込むかですが、それは一に掛かって技術屋の広い知識と良心に依ると考えるしかありません。少なくともフクシマでは、原子炉を設計した機械系の技術屋は、専門外の地質学的に稀なリスク、ましてや1000年前の貞観地震までは想定していなかった事は明確です。それを想定外と切って捨てるか、可能性として安全率に盛り込むかによって、建設コストは多分、数十%の違いは出てしまうでしょう。技術屋は、コストという言葉に弱いと言うウィークポイントを持っている事は否めません。技術屋には算盤勘定の苦手な人が多いのも事実だからです。コストで押し切られて「妥協設計」がなされた原発がどの程度あるのか、直接関わった技術屋は、今は退職していればなおのこと、何らかの形で告白すべきでしょう。

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2011年7月21日 (木)

1440 水

水は実に不思議な物質です。1gの水の温度を1℃上昇させるのに、昔の単位で1cal(今の単位では4.2J)必要としますが、100℃の水が沸騰すると、たった1gの水の蒸発で、540calも奪ってしまいます。したがって、大気圧状態では水は100℃以上になることが出来ません。また、0℃の水が0℃の氷になる際には、さらに1g当たり80calの熱を奪う必要があります。これらは、相変化に伴う、気化潜熱、融解熱に相当するものですが、多くの物質の中で「水だけ」が大気圧下で、しかもたった100℃の範囲内で、2つの相変化を可能とする存在なのです。 生物、とりわけ植物は、水の相変化、特に液体⇔気体の相変化を巧みに使って生体を維持しています。葉が持つ、気孔などは、まさにその真骨頂でしょう。もちろん、同様にヒトも特に昔の人は、このカラクリを上手く利用していました。夏場の暑さを乗り切る濡れ手拭いや打ち水、砂漠の民の素焼きの壺や皮袋などは、知恵のホンの一例に過ぎません。 また水は、最も比熱が大きく、暖まりにくく冷めにくい物質です。したがって、海や大きな湖の近くでは、気温の変化が小さく、湿潤で温和な気候を与えてくれます。さてこの性質を上手く利用しない手はありません。身近な例では、コンプレッサーの無い冷風扇がありますが、ドライミストを簡単に発生させる装置(例えば超音波加湿器の大きなもの)を使えば、もっと小型で性能の高いものが実現できるでしょうし、同じものはエアコンの室外機の空気吸い込み側に設置すれば、大幅な省エネも可能です。なぜなら、加湿する事により気温が数℃下がるので、それに応じてエアコンのコンプレッサーの出力も10-20%下がるからです。同様に、例えば水を吸い上げる性質のある物質で屋根を掛ければ、屋根の下は単なる日陰の気温以下に下がるはずです。水を蒸散させている広葉樹の木陰の気温が、日向に比べて10℃近く低くなる所以です。コンビニや、多くの事務所ビルなどで、カンカン照りの屋上に置かれている室外機を見るたびに、勿体なくてため息が出ます。

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2011年7月20日 (水)

1439 生体濃縮

食物連鎖の頂点に立つヒトは、常に生体濃縮のリスクに晒されています。小魚が弱い「毒」を含むプランクトンを捕食し、その小魚を大きな魚が捕食し、その魚を人間が食べる、或いは弱い「放射能」に汚染された穀物や稲わらが牛や家畜のエサになり、その乳や肉を人間が口にすることによって、弱い毒や放射能が「濃縮」される状況が、生体濃縮です。

弱い毒でも毒、弱い放射能でも放射能である事は間違いないのですが、より美味しい食物を口にする代償として、そのリスクを受け入れるしかないのでしょう。もし、ヒトが植物(穀物)や野菜だけで生きていく決心が出来るなら、この地球が養う事が出来る人口は飛躍的に拡大しますが、肉に対する欲求が抑えきれない限り、現状の人口でも既にオーバーフローしている事は疑いないところです。世界各地で10億人前後の人口が、恒常的に飢餓に晒されている事実が、それを明白に示唆しています。

さて生体濃縮ですが、「毒」が生体内のどの物質と親和性があるかによって、濃縮される部位が変わります。よく知られたところでは放射性ヨウ素は甲状腺に集まり、今話題になっているセシウムは、カリウムと似た物質だと言われているので、生体内ではカリウムポンプに関わるため、たぶん血液や筋肉で多く見つかるでしょう。とは言いながら、カリウムと同様、取り入れられたセシウムもやがて代謝され、体外に排出されますので、その間に被ばくして遺伝子が傷つけられたとしても、普通の体力があればその傷も修復される訳です。その意味で、放射性物質や放射能を過度に恐れる必要はないのでしょうが、環境に与える負荷の大きな肉食は、やはり戒められるべきでしょう。

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2011年7月19日 (火)

1438 トレーサビリティ

今回の、放射能汚染牛肉の報道で、牛の肉の行方が、あらかた明らかになってきました。フクシマから出荷され、関東で食肉処理された肉は、遠くは四国や山口まで運ばれて消費されている事が報道されたのでした。そこで、九州からの肉などと混ぜられたり、ミンチされたりして消費されたのでしょう。それでも国産肉とは表示できます。

さて、工業製品のトレーサビリティは比較的容易です。製品本体に、ロット番号や通し番号が識別されているでしょうし、何よりメーカー名や製造国、製造年月などが明記されているからです。これは、製品安全に関わる法律(例えばPL法)などでも、必須項目として義務化されているはずです。

しかし、食品は原料が多岐にわたること、それらが調味料などと混ぜ合わされること、そのプロセスが複雑なこと、また流通経路が複雑なこと、そのいずれをとってもトレースが困難である上、それが組み合わさっている訳ですから、ほとんど不可能だと言っても良いかもしれません。辛うじてトレースできるとすれば、地元産の食材を使って、地元で調理されたものを、地元で消費する以外に方法は見つかりません。言葉を変えれば、食品のトレーサビリティは、消費者のわがままが不可能にしているとも言えそうです。旬外れた食べ物を、何時でも、安定した価格で、調理する手間を掛けずに口にしたい、という非常のわがままな要求を、工業的な食品加工業と流通業が可能にしてきたのでした。この上は、食べても害がない微小なマイクロチップでも開発して貰い、それを各食材に混ぜ込んで、口にする直前に、携帯電話に組み込まれたセンサーで読み取って、産地と安全性を確認する、と言ったシステムでも開発しない限り、心配性の人は、食事の度に、「清水の舞台から飛び降りる」決意が必要となるかもしれません。

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2011年7月18日 (月)

1437 解体工学

この国のこれまでの技術は、ひたすらモノを作る技術に集中してきました。それはKンバン方式に代表される様に、無駄の無い工程を指向し、安く、効率よく、品質の良いモノを、大量に作る技術でした。しかし、ここにきて矛を収める技術が俄然注目を集める様になりました。これまでも、いわゆる廃棄物減らしとしての静脈産業やリサイクル技術に関しては、それなりに議論され、進歩もしてきました。

そうではなくて、ここで言いたいのは、具体的にはこれまで作り続けてきたインフラを減らす技術、さらに具体的には、例えば30年を超えた原発を、安全に廃炉にする技術などを指します。インフラについては、例えば建造されて長い時間が経過した橋梁やビルの劣化状態の明確な評価基準は、ありません。あるのは、建設時の設計基準や検査基準だけなのです。原発についても、既に劣化した本体や機器を、完全に新設時の状態に戻すことはできない相談ですから、どこまで使っても大丈夫か、基準を設けたいところではあるのですが、実体の破壊テストを行う事も出来ない状況では、その基準すら一つの「想定」でしかありません。したがって、ある年限が経過したインフラは、やはり一度解体して、もし絶対に必要なものであれば、さらに安全なものを再構築すれば良いわけです。もし、高度成長期には必要と思われたものでも、これからの時代にはそれほど必要とされないものは、撤去して更地に戻せば良いだけです。

モノを作る技術は、技術屋も熱心に取り組み、一応洗練されてはきましたが、既にあるモノを、安全に、廃棄物をできるだけ出さずに解体する技術は、あまり面白味もない分野でもあり、開発はこれからでしょう。しかし、これは今後非常に重要となる技術分野である事は間違いないでしょう。具体的に提言するなら、全ての工科大学に「解体工学」を専門とする学部を起こさなければならない時代だということです。

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2011年7月17日 (日)

1436 電化中毒2

この言葉も数回使ったような気がします。家庭の中にある電化製品を数え上げてみると、あきれるくらいあることが分かります。ちなみに、子供の頃家にあった電化製品をあげてみると思い出せるのは、せいぜいテレビ(白黒)、冷蔵庫(小型1ドア)、電気釜、いくつかの電灯くらいです。暖房も1台の板金製の薪ストーブだけでした。

一方、電化製品は世間様に比べ比較的少ないと思っている我が家を眺めると、テレビ3台(最近替え替えた液晶型1台と子供部屋に各1台)、録画機2台、冷蔵庫(中型3ドア)、洗濯機(1台)、電気釜(1台)、トースター(1台)、電子レンジ(1台)、扇風機(3台)、エアコン2台(内1台は不使用、1台は西日が当たる夕方から少しだけ使用)、パソコン(2台)、シャワートイレ(使う時だけ電源を入れる)、ヘアドライヤー2個、照明器具各部屋に数台、掃除機(2台)、電気鍋1台(冬場に数回使用)、パネルヒーター(寒がりの娘が冬場に使用)などですが、それでも如何に多くの電化製品に囲まれているか、考え込んでしまいました。

高度成長期以降、電機メーカーと電力会社は、お互いにお互いを刺激し合いながら、現在の状態を作り上げてきました。夏冬にボーナスを貰えば、家族の話題や楽しみは、今度はどんな「便利な電化製品」を買うかでした。現在の電化中毒から脱却して、「非電化生活」を送るには、かなりの決意が必要である事は間違いないでしょう。その決意が固まらなければ、ましてや冷房の効いた、昼間っから人工照明が明る過ぎる部屋で、脱原発など口にする権利はない筈です。

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2011年7月16日 (土)

1435 38.8℃!!

わが事務所の昨日の最高温度は、なんと38,8℃を記録しました。冷房は一切無し、夕方からはしっかり西日も当たる、酷暑に最強の?条件なので、この記録も当然でしょう。これに対抗する唯一の武器は、扇風機と首に巻く吸水樹脂が入った冷え冷えバンド?だけです。水分は、暖かいコーヒーを何杯も飲んで補給していますし、ミネラル分の補給は、コーヒー用として山水を汲んできているのでたぶん大丈夫でしょう。念のため時々ですが、コーヒーに塩をふります。暑さに耐えながら、夏場の省エネや冬場の省エネ暖房を考えるのもなかなかに乙なものです。開発中?の水冷座布団は、今週超多忙であった事もあり、残念ながらまだ完成していません。週末に頑張るつもりです。

しかし、この環境は「汗かき訓練」には最適だとも言えます。しっかり暖かい事務所の環境で汗かきの名人になったおかげで、全く熱中症の心配はありません。体温は、昨日も全くの平熱の35.8℃でした。つまり、体が持っている自前のクーラーは、体中の血液温度=体温を3.0℃程はしっかり下げるだけの「冷却能力」を持っている事が日々証明されています。少なくとも40℃を超える事はないこの国で、なんで冷房機なんぞが必要なのか、改めて考えてみる必要はありそうです。過去100年かそれ以上前を振り返れば、たぶん最近の酷暑より、暑い夏もあった事でしょう。しかし、昔の人は小柄で痩せていたので、体重当たりの体表面積が大きい事も幸いして、「暑気あたり」程度はあったにしても、熱中症ごときで死ぬ人などは殆どいなかったでしょう。

クーラーに慣れた人の体表面は、きっと熱を運ぶ毛細血管の密度が少なくなっている筈なのです。短時間校庭にいただけで、バタバタと熱中症で倒れる生徒の家庭は、きっとエアコンがよく効いている事は断言できます。毛細血管の長さは、皮膚表面にせっせと血液を運ばせる訓練をしないと決して伸張しません。汗かき訓練は、最も効果的な「毛細血管伸張作戦」でもあります。

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2011年7月15日 (金)

1434 忙中閑

ここ数日は間が回る忙しさで、2日ばかり投稿もできませんでした。営業活動はしませんが、来た仕事は断らないと言うこの事務所の代表(投稿者の事です)ポリシーの結果です。経営者=従業員ですから、ポリシーには逆らえません。今日はポッカリと自分の事務所で、ブログ三昧が出来そうです。

もうすっかり夏にもなったので、山に向かう算段もしなければなりません。春先は、まとめて休んで、北海道にでも向かおうか、と考えていたのですが、この調子では数回の日帰り登山が「関の山」かもしれませんが・・・。

さて、今回も原発の話題です。今の首相も、原発のフェイドアウトを決めた様ですが、抵抗勢力は党内を含めまだまだ強力でしょう。ハードを建設する企業、それを運用して電力事業を営む企業、その株主、何より電力料金に敏感な企業団体がこぞって、激しい抵抗のノロシを上げる事でしょう。そのたびに、私たちはフクシマの残骸の映像を凝視し直さなければならないのだと思います。残骸は、安易に薄っぺらなシートドームで覆い隠すべきではないのです。それは、醜いものを覆い隠し、さも重大な問題が少し小さくなった事を装う行為に過ぎないからです。フクシマは、広島の原爆ドームと同様、たとえ一部ではあっても絶対に現状のまま保存しなければなりません。

一方、原発を動かし続けたいのであれば、いかなる事態が起こっても、絶対に冷温停止する事を、システムとして保証しなければならないのです。津波想定を見直して、それを少し超える堤防を築いても浜岡が安全になるとは言えません。その堤防を越える津波が来るかもしれませんし、そんな堤防なんぞ打ち砕く激しい津波が来るかもしれません。事実、三陸の湾口堤防の多くが崩壊したではありませんか。津波が、震度6とか7とかの揺れと合わさった事態は、誰にも正確には想定できるはずもありませんし、ましてや完ぺきな対策など立てられるはずもありません。そうであれば、取り敢えずは冷温停止→廃炉が正しい選択でしょう。

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2011年7月12日 (火)

1433 知恵出し

エネルギーの利用目的で、圧倒的に大きな部分を占めるのは、熱利用です。家庭生活だけに限っても、冷暖房、給湯、冷蔵庫、調理などなど。それが冷たいか、暖かいか、熱いかは別にして、最終的なエネルギーの利用形態としては、80%以上が熱だと言っても良いでしょう。工場等では、その割合が50%以下に落ちるのでしょうが、それでも半分程度は熱利用だと想像しています。

その熱(冷熱)を得る手段として、私たちは電気やガスを使っている訳ですが、ヒーターで直接熱を発生させる設備の非効率は論外ですが、多くのケースでは、電気でモーターを回し、ヒートポンプを動かすことによって、温冷熱を得ている事に気が付きます。エアコン、オール電化の給湯機、冷蔵庫がその代表です。しかし、20℃ソコソコの冷風や、30℃以下の温風、或いはたった50℃のお湯を得るのに、エネルギー源として電気しかないのか、電力不足を嘆く前に、私たちは自分たちの知恵の無さを恥じるべきでしょう。地下には、年中20℃以下の地熱?があり、太陽光からは火傷するくらい熱いお湯や、上手く集めれば調理ができるくらいの高熱だって得られるではありませんか。細かい霧(ドライミスト)を吹き出せば、広いスペースの気温を数℃下げる事も容易です。工場や事務所ビルの屋根や壁には、ぜひ遮熱ペイントを塗るか、ある種の苔を植え付けたマットを敷き詰めて、酷暑を乗り切るべきでしょう。

それもこれも、熱を上手く利用しようとする知恵に過ぎません。知恵出しをすっかり忘れて、やれピーク電力が発電量のXX%になりそうだ、等という電気予報やピークカット論議は全くのナンセンスだと言えます。

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2011年7月11日 (月)

1432 ベストミックス

エネルギーのベストミックという議論があります。ちょっと待った、です。何故なら、現状のエネルギー垂れ流し状態のままで、では原発を止めて何で代替するのか、という議論は殆ど意味がないからです。先ずしておかなければならない議論は、私たちは将来、どの程度のエネルギーレベルでこの国を維持していくのかというポイントなのです。当面少なくとも現状の半分以下、最終的には1/4に圧縮したエネルギー使用レベルを目標とすれば、現状4%のエネルギー自給率は、一気に16%に上昇するでしょうし、大規模水力を含めても9%にしかならない再生可能エネルギーも30%を超える事になります。

その上で、やはり7割は輸入に頼らなければならない1次エネルギー源の割合を改めて考えてみなければならないでしょう。原子力を除けば、石炭、石油、LNGの3本柱には、当面頼らざるを得ないでしょう。しかし、その先を見越すならば、この国にも平等に降り注いでいる太陽光と、場所によっては豊富な地熱と、僅かな風力と、それなりのバイオマスを組み合わせて凌いでいかなければならない事は自明です。

取り分け、太陽については、光として、熱として、そして電力として、日中で晴れた日は最大限利用をしていく必要があります。天候の不安定性を考慮すれば、当然何らかエネルギーを一時蓄えて置く仕掛けも欠かせません。つまりは、効率的な蓄光、蓄熱、蓄電、蓄力の仕掛けの開発無しには、化石エネルギーへの依存度が減らせないジレンマから抜け出られないでしょう。続きます。

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2011年7月10日 (日)

1431 猫兄弟

自転車で、数年まえからタダ同然で借りている事務所に通う途中に、田圃道が国道の下をくぐり抜ける低いトンネルがあります。そのトンネルにこの春から猫の兄弟が棲みついています。誰かが時々餌をやっているらしく、痩せてはいますが、何とかこの夏まで生き延びてきました。彼らのサバイバル作戦は、道の真ん中に寝そべって、自分たちの存在を通行人にアピールする事の様です。自転車が来ても、人が来ても決して道を譲りません。狭い道なので、車は通りませんが郵便配達のバイクが来たらシブシブながら道端に移動します。

誰が捨てたのかは知りませんが、彼ら?を初めて草むらで見たときは、ミャーミャー啼いている生まれたての子猫でした。あまりにも弱々しく見えたので、数日で死んでしまいそうにも見えました。しかし、動物のサバイバル能力には感心させられます。何もできない、生まれたての子猫が、どうにかエサにありつき、冷たい雨をしのいで、しぶとく生き抜いてきた訳です。毎朝、彼らの顔を見るたびに、なにやら小さな感動の様なものをもらいながら、その日の仕事を始めます。

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2011年7月 9日 (土)

1430 脱原発=脱電力

脱原発は間違いなく脱電力を意味します。1970年代、この国の電力(エネルギー)使用量は、現在のほぼ半分でした。その後盛んに建設された原発の恩恵を受けた形で、私たちは潤沢に電力が使える国になった事は疑いありません。その原発を止めると言う選択は、つまりはエネルギー的には結局1970年代レベルの電力供給量への逆戻りを意味するのです。

原発を古いものから順次停止し、最終的に原発が無くなった場合を想定すると、どのような道筋で考えても、これに代わる太いエネルギー源は出現しそうもありません。例えば、核融合も、開発が始まって50年近く経つような気がしますが、今でもやはり「夢のエネルギーのまま」です。太陽光発電は晴れた日にしか当てに出来ませんし、風力発電などは殆ど突っ張りにもなりません。雨がたくさん降っても、数時間か数日で海に流れ下る短い川しかないこの国では、水力発電も既に飽和に近いでしょう。

結局、私たちは1980年代、90年代を通じて手に入れた、シャレた電化製品どもを、順に一つずつ処分していくしか方法はなさそうなのです。では、何を最初に捨てるかですが、それは新しく開発された順序という事になります。何故なら新しいものほど電力を食う様になっているからです。例えば近年大量に作られる様になったエアコンより、古い発明である扇風機の方が、電力を食わない事は自明です。何故なら、扇風機は電力があまり潤沢でない時代に開発された製品だから当然なのです。同様に、見上げる様に背が高く、引き出しが10個もあり、省エネを謳っている大型冷蔵庫より、小型でドアが2つしかない可愛らしい冷蔵庫の方が、電力を使わないに決まっています。1970年代の生活の方が、質素だけれど夢があって楽しかったような気がするのは投稿者だけではない筈です。

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2011年7月 8日 (金)

1429 エネルギー・チューニング

これまでも、このブログで何気なくエネルギー・チューニングという言葉を使ったかもしれませんが、ここで改めてこの言葉を定義しておきます。チューニングとは、例えばラジオ(今はあまり聞かれていない様ですが…)で選局し、一番受信状態が良い状態に微調整する事を指しますが、同じ考え方はエネルギーに関しても適用できます。ラジオのチューニングは、抵抗RとバリアブルコンデンサCで、RC等価回路の容量を変える事によって、電波の持つ周波数と同調させて最大の「信号」を得る行為ですが、エネルギーにおけるチューニングとは、最少のエネルギーで最大の「仕事(効果)」を得る事を指します。

例えば、冷暖房で言えば、より少ないエネルギー(多くは電力ですが)を使って、最大の体感温度の変化幅(夏はより涼しく、冬はより暖かく感ずる)を得る事と定義できます。一方、モノづくりで言えば、より少ないエネルギーで、最大の生産効率を得る事を意味します。しかしながら、数十年前のオイルショック以降、あまりにも安易に使われて続けている言葉、省エネルギーという言葉や行動には、この意味合いはほとんど含まれていません。今使われている意味での省エネとは、誰も居ない場所の電灯を消し、アイドル状態の設備の元電源を切る、冷暖房温度の設定をチマチマと見直す等、いわばケチケチ作戦、勿体ない作戦の延長に過ぎません。

そうではなく、エネルギー・チューニングの考え方では、ある量のエネルギーを使って得られた効果を、何らかの方法で測定・評価しなければなりません。冷房設備では、運転によって得られた体感温度の低下度(℃で表す事にしましょう)を、消費されたエネルギーで除してやれば、単位エネルギー(kw)当たりの体感温度の変化、即ち(℃/kw)という指標が得られます。これを最大にする設備が、エネルギー・チューニングという意味では最良の設備という事になります。さらに時間のファクターを入れれば、効果量とエネルギー量になります。体感温度のファクターは、なんと6個もありますので、冷房温度(室温)或いは移動熱量だけで省エネ性能を評価している今の基準は、全くの片手落ち基準だと言えます。続きます。

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2011年7月 7日 (木)

1428 省エネマジック

照明に関する省エネ対策で、お金も掛からず、確実に効果の上がる方法は間引きです。40+40wの2灯式蛍光灯が10本常時点灯している事務所で、隅か書棚かコピー機の真上の1本を間引けば、照明電力については間違いなく10%の省エネになります。望ましくは、1本ごとに間引き、半分にすると50%の省エネになりますから、年間数万円の電気代が節約できる皮算用が出来ます。その結果、それまでは例えば800ルクスあった照度が、500ルクスかそれ以下になったとしましょう。ほとんどパソコンだけで仕事をしている人ならば、これでも何も困る事はありません。もし職場に、常に書類をプリントアウトし、書類をチェックできない古いタイプの上司が居れば、やや困りますが、その場合はその上司に20wの蛍光灯スタンドをプレゼントしましょう。これを点灯させれば、瞬間的に机上の照度は1200ルクス程度になり、老化でやや視力が落ちた彼(彼女)も大喜びする事請け合いです。

浮いたお金で、超省エネのCCFL(冷陰極線管=液晶テレビなどのバックライトとして多用されている蛍光灯です)や無極灯(中国発の新型省エネ蛍光灯です)をいくつか買って取り付ければ、さらにお金が浮きますので、他の省エネ投資ができる事になります。

これを繰り返せば、知らぬ間に照明に関して言えば、電気代を現状の1/3-1/4に圧縮する事も可能です。結局、新たな元手は出していませんから、省エネメリットだけで新たな省エネ投資が出来た事になります。無から有を生み出す、まるで手品ですね。

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2011年7月 6日 (水)

1427 環ビジ82(磁気冷房)

磁力を使ってなぜ冷やす事が出来るのか、ちょっと聞くと不思議な感じがしますが、古くからまじめに研究されています。特に、超電導磁石を利用して極低温を得る世界では、かなり研究も進んでいるようです。ただ、超電導を得るのに極低温が必要という自己矛盾故に、技術の進展はボチボチの様です。そこまでいかなくても、例えば非常に小型でソコソコの温度(言えば10-20℃及び30-35℃くらいです)を得る事が出来れば、温暖化ガスであるフロンを使わないパーソナル冷暖房が見えてきます。

原理は比較的簡単で、磁石の磁区がバラバラの状態(全体としては磁力が無い状態)で吸熱させると、電流を流すなどの方法で、この磁石を一方向に磁化した場合、放熱反応が起こります。このサイクルを繰り返すと、さながら冷媒を使ったヒートポンプの様に熱の移動が可能になります。冷凍(冷房)サイクルを逆転させれば、発熱を伴う暖房サイクルとなります。

例えば、机の横に置ける程度に小型化するか、さらにはこれを身に着ける程度に小さくでき、出来た冷熱を小さなパッドに導いて、体の必要な場所(例えば額や首筋や背中など)を少し冷やす事によって、体感温度を確実に下げる事が可能になります。

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2011年7月 5日 (火)

1426 エネルギーの呪縛

あるモノへの依存度が高まるという事は、そのモノに束縛される事を意味します。例えば、車に頼れば頼るほど、車無しの生活は考えられなくなるでしょう。電気エネルギーに関しても同じことが言えます。私たちの日常生活も、いまや電気無しにはほとんど考えられなくなっています。

さて、北アルプスのど真ん中に、文明から隔離されたような小さな湿地、「高天原」があります。ここに入るには、どのルートからも途中で一泊しない事には辿りつけません。高天原にはテントを張れないので、山小屋はありますが、冬季には3mを超える積雪のため、小さくて頑丈な一軒の山小屋がポツンと建っているだけです。当然の事ながら電気は通っておらず、自家発電機もないので、夜はランプしか灯りません。一生に何回もは行けない場所ですから、その時はランプ生活も情緒があるなあ、程度しか感じられませんでしたが、これが毎晩だったらどうでしょう。

現実の生活はと言えば、パチッとスイッチを入れれば、明る過ぎるほどの蛍光灯が点灯し、エアコンや、扇風機も動きます。洗濯機も、掃除機も同様です。それどころか、各種のリモコンが手元にあれば、一歩も動かなくても用が足ります。

エネルギーへの過度の依存は、エネルギーによる呪縛をますます強めます。たまに、手洗いで洗濯をし、ホウキやハタキや雑巾で掃除をしてみれば、自分の体で作ったエネルギーを実感でき、エネルギーからの呪縛が弱まって少しはホッとできるはずです。自転車で移動して汗をかいても同じ感覚が得られるでしょう。

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2011年7月 4日 (月)

1425 中古原発

アメリカの技術を何の疑いもなく導入して追随し、原発先進国の仲間入りを果たしたこの国では、既に30年を超えて使われている原発がほぼ3割(19基)に上っています。さらに危ない40年越えもいくつか存在します。元技術屋の立場から言えば、古い原発にはいくつかの事故の懸念が付きまといます。その原因の一つは、金属の腐食です。金属の腐食は、実は目には見えないレベルで始まります。金属結晶の境(粒界)に水素が侵入して始まる「水素脆性」がその代表です。これは、運転中より、むしろ定期点検などで停止し、冷えている時にこそ進行しやすいとも言えます。暖まっている時には、水素はあまり悪さをしないからです。

もう一つの原因は、金属の疲労です。金属疲労の進展には、振動等の繰り返し応力によるものがありますが、加えて熱応力による疲労も加わります。数年前H岡原発で見た、振動による疲労破壊で吹き飛んだタービンの羽根の残骸は、深く投稿者の心に刻まれています。人の背丈ほどもある金属の羽根が、高速で回転中に遠心力で飛ばされた時の衝撃力は、想像するに余りあります。

金属腐食や金属疲労は、原子炉本体だけの問題ではありません。網の目の様に張り巡らせた大小の配管、計測機器のための枝管など、長さ何十キロにも及ぶ配管の健全性を、どの様に担保するのか、途方に暮れてしまいます。中が単なる水や蒸気であれば、漏れが見つかってから、その系統をシャットダウンして修理すれば済みますが、放射能を帯びた蒸気や液体が漏れ出す事故に関しては、その被害の甚大さは、とても火力発電所事故の比ではありません。とりあえずは、この国の古くなった3割の原発は、どのような道筋で考えても即時停止し、残りの原発の安全性にも二重三重のチェックを掛けるべきでしょう。

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2011年7月 3日 (日)

1424 省エネ騒動

「趣味も仕事も省エネです。」と冗談でふれ回っていたら、本当に仕事としての省エネ指導が忙しくなってきました。ここにきての、休日シフトも加わり、環境経営の審査という仕事も加えれば、環境屋として立派にメシの食えるありがたい時代にはなりました。企業を卒業する時に、頭に描いたのは、晴れた休日には(自営業ですから仕事の無い日は休日です)山に向かって、思う存分山を歩き回って満喫する夢でした。しかし、この省エネ騒動です。今年の夏も、その夢は見事に裏切られてしまいそうです。

ところで、この国の人々は、カチカチ山の狸をご先祖様に持つ人が多いためか、尻に火がついてから走り回るのを常としているようです。前のオイルショック騒動の時にも同じ事が起こりましたし、その後の何度かの金融(為替)・経済騒動でも、そして今回の原発停止騒動でも、右往左往しているだけです。無いものは、何とか工夫して「無しで済ます」覚悟さえ決めれば、飢え死にする時代でもないでしょうから、事態はどうにか乗り切れるはずなのです。エネルギーが足りないのなら、使えるエネルギーだけで乗り切る工夫を集めれば良いのです。工夫の種類はそんなには多くありません。全て挙げても、替える(代替エネや代替法に切りかえる)、止める(当分あるいは今後は無しで済ます)、減らす(回数や運転時間や回転数を減らす)、くらいで十分でしょう。それに加えて、しっかりメンテナンスを行っておけば、機械や設備は新品とあまり変わらない性能を維持してくれるのです。ドロドロの状態で機械や設備を酷使しておきながら、電力が切迫してから慌てて省エネ対策に走り回る姿は、やはり「ドロ縄」という言葉や「ドロ舟に乗った狸」を連想させます。

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2011年7月 2日 (土)

1423 脱電

原発停止に伴う、電力需給のひっ迫は、定期点検明けの原発に対しての地元自治体の慎重な姿勢によって、ますます長引きそうな形勢です。であれば、企業は自前の電気(自家発電、望ましくは太陽発電を含む)に走るか、或いは徹底的な節電に取り組むしか道はなさそうです。投稿者としては、ここで脱電というもう一つの道を提案しておきたいと思います。これまでも、このブログでは度々「脱エネ」については書いてきましたが、ここではもう少し的を絞った「脱電」について書いてみます。節電と脱電が異なるのは、全社が電力の使用を前提として、その節約を考えるのに対し、後者は電気以外の方法を出発点とする違いがあります。

電力を、電気のまま(電流として)工場などで直接的に使っている例は、実は結構少ないのです。例えば、電気メッキや電子機器のコントローラ部分(例えばNC機械など)などしか思い浮かびません。では照明はどうかと突っ込まれても、電灯は電流を光エネルギーに転換して使用しているのであって、昼間から何故わざわざ電灯など点けなくてはならないのか、電気の不便な国の人々はとても不思議がるでしょう。電力の多くの部分は、モーターを回して機器を動かすか、空気を圧縮するか、油圧を発生させてより大きなパワーを得るか、或いはヒーターを加熱して炉を熱するかなどに使われているはずです。

しかし、例えば空気を送るのにモーターで送風機(ブロア)を回すしか方法がないのか、或いは圧縮空気を作るのにやはりモーターに頼るしかないのか、じっくり考えてみれば、別の答えも見つかるはずなのです。たとえば、真っ黒に塗った鉄の煙突があるとして、ここに太陽光が当たると煙突内の空気が暖まって強い上昇気流が生まれます。これに、ダクトをつなげば「太陽熱ファン」が誕生します。晴れた日には、動力は一切不要です。例えばプロセスで余った蒸気を上手く減圧すれば、タービンを回して空気を圧縮する事も可能です。つまり、電気に頼る割合を減らせば、節電ではない脱電が現実のものとなるでしょう。

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2011年7月 1日 (金)

1422 分散型エネ2

分散型エネルギーのもう一つの条件として「必要な量を、必要な形で、必要な場所で得る」が挙げられます。余分に手に入れたエネルギーは、苦労して溜めておくか、さもなければ捨ててしまわなければなりません。車の発電機は、必要以上に電力を起こしていますが、バッテリーが満タンになると、仕方がないので抵抗に電流を流して、熱の形にしてから捨てています。その元はと考えれば、エンジンが動いて作り出したぜっかくのパワーの一部ですが、勿体ない話です。

系統連携をしない独立した太陽光発電も似たような形になるでしょう。つまり、夏の盛りの日中に、力強い太陽光でタップリ電力を作っても、エアコンと冷蔵庫で使ってしまった残りは、熱に替えてお湯として溜めておくくらいしか使い道がなさそうです。バッテリーがあれば、少しは溜めて置いて夜間の電灯くらいには使えるでしょう。

しかし太陽光の最も効果的な利用形態は直接熱に変える事です。簡単な仕掛けの「太陽熱温水器」があれば、一家の入浴に必要な熱エネルギーを確保できます。少し大きなものを準備すれば冬場の暖房にも使えます。一方夏期に太陽のエネルギーを蓄え、利用するのに有望な一つ方法に、デシカントがあります。つまり、太陽光を使ってデシカントを十分乾燥させておけば、湿部屋の空気をしっかりと除湿できますから、蒸し暑い日本の夏には有効です。もし、少量の霧を発生させる加湿器を使えば、水の気化熱により気温を下げる事も可能です。

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