« 1464 ブルーベリー | トップページ | 1466 戻す努力 »

2011年8月16日 (火)

1465 変わらないもの

投稿者が生きてきた20世紀後半の半世紀と、21世紀の最初の10年余りを振り返ってみると、何もかもが変わってしまったことに改めて感嘆します。産業、食べ物、人やモノの移動の手段、日々の暮らしぶりなどなど、逆に変わらないものを探すのが骨です。敢えて探せば、それは伝統的な工芸職人や、人間国宝の人たちの生活の一部(手仕事や国宝の部分)にその痕跡が見つかるかもしれません。彼らとて、日常的には洋食をたべ、車や新幹線や飛行機で移動するのでしょうから、日常生活を含め全て「伝統的な暮らし」を続ける人は、余程の深い山里でひっそりと暮らすお年寄り所帯くらいにしか見つからないと想像しています。

こんな事を書いているのは、もちろん変わってしまった生活を嘆いているからですが、何より完全に変わってしまった場合、もはや後戻りができなくなる事を怖れているからでもあります。加えて、本当に伝統的な暮らしぶりは、今や公共放送のアーカイブにある古い紀行番組位でしか見る事が出来ない時代になってしまいそうですが、その暮らしを支えてきた手仕事や先人の知恵は、映像だけでは決して伝える事が出来ないとも思っているからです。

どの様な道筋で考えても、その土地に産するものを食し、産する材料で伝統的な産業を維持する暮らし方を考える場合、高度成長期以前の暮らし方から大きくはみ出る事は出来ないはずなのです。その制約を超えるために、この国は多くの石油エネルギーや鉄鉱石や石炭など原料を輸入して産業を興し、得た外貨でさらに便利な暮らし得る道を選択してきました。そのために、沿海部の優良な農地や里山を潰して工場や住宅を建て、確たる計画も無しに人工的な都市を形成してきた訳です。人工的な都市を維持するには、膨大な電力(エネルギー)と、食料を含む全てのモノの供給を、周辺の地域や海外に依存せざるを得ない事は、今回の震災で改めて認識されたはずです。震災で、コンビニやスーパーの機能は停止し、鉄道や道路が寸断されてサプライチェーンは破たんし、原発事故で電力も制限される事になった事実は、物事が変わり過ぎたことへの警鐘と捉えなければならないでしょう。ではどうすれば良いのか、さらに考えてみます。続きます。

|

« 1464 ブルーベリー | トップページ | 1466 戻す努力 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 1465 変わらないもの:

« 1464 ブルーベリー | トップページ | 1466 戻す努力 »