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2011年8月31日 (水)

1478 作られた需要

何故モノがそれほど売れなくなったのかを考えてみると、実は結構単純なのでないかと思っています。素人経済学の域は出ませんが、需要には、大きくは3つの種類がありそうで、日々の基礎的な消費(食べ物や日用品)への需要、耐久消費財の新規需要、同じく耐久消費財の買い替え需要です。もちろん企業の設備投資、企業間取引など、幅広い定義があるのでしょうが、ここでは思いっきり単純化して考えます。

自分が生まれ育ち、歳を重ねてきた越し方を振り返ると、ある時期以降「需要の創出」などという言葉が飛び交っていたような気がします。つまり、新たな需要を作り出し、企業の売り上げを伸ばす、といった企業行動の事です。そのための企業の戦略は徹底していました、あらゆるメディア(マスコミからDMからチラシの折り込みまで)動員し、商品や製品を露出し宣伝しまくる作戦です。子供たちは好んでCMソングを口ずさみ、代表的な商品名が、その製品群の代名詞になったりもしました。特に徹底的だったのは、菓子や食品や飲料業界、車、薬品、化粧品、洗剤や電化製品業界などでしょうか。

しかし、これらは結局「作り出された需要」であったわけで、結果としての市場への押し込み生産であった訳です。人々は、過剰な食品を押し込まれた結果、食べ過ぎとなり肥満や生活習慣病と仲良くなり、一人1台の車を乗り回し、数多くの電化製品に取り囲まれながら、より多くの電力を要求し、それを満たす必要悪としての原発を乱立させてきた訳です。その絶頂は、いわゆるバブル期と呼ばれた「お祭り騒ぎ」の時代でしょう。この作られた需要に人々が気付き始めた昨今、LOHASや省エネやゴミ減らしといった市民レベルの行動が、結果としては国や行政も動かし始めたのが最近の状況ではないかとみています。ではこの先はどう考えれば良いのか。さらに続きます。

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2011年8月30日 (火)

1477 この国の行く末

新しいリーダーの誕生に際して、一人の国民として、この国の行く末を心配してみました。世界的な閉塞感の中で、この国も内外に憂いを抱えています。憂いというよりは、患部といった方が良いかもしれません。資源をほとんど持たないこの国は、資源を輸入し、それを加工して外貨を稼ぎ、それでエネルギーや新たな資源や食糧を買うしかない体質の国になってしまいました。それは、投稿者が子供の頃から一貫してこの国の施策であり続け、国や社会の構造もすっかりそれに対応して構築されても来ました。そういえば中学の社会科でも「加工貿易」なる言葉を習った様な気がします。

しかし、国を取り巻く状況は、特に新しい世紀入って数年で明らかに変わってきました。それは、この国の原動力であった輸出に陰りが見えてきた事に象徴されます。直接的には、アジアの諸国、とりわけC国やK国の台頭があり、Iンドの追い上げなども加わってきました。何を作って、どこの国にいくらで売るのか、し烈なシェア争いの末に、結果的に敗れる商品市場が増え、撤退も相次いでいる訳です。加えて、この円高が追い打ちをかけています。いくら品質が高い商品でも、値段が競合製品の2倍ではとても勝負になりません。例えば車です。現地メーカーの50万円の戦略車に対して、現地での売値が100万円となる輸入車では、庶民が買えるのは前者に決まっています。電化製品でも事情は全く同じでしょう。外貨を稼いでいた、車、電化製品、プラントなどなど、円高で一度シェアを失ってしまえば、その回復は非常に困難でしょう。

さてこの国は一体何で食っていくのか。新しいリーダーに秘策はあるのか。残念ながら、震災復興や原発収拾などの内向きの課題や政局に振り回されている限りあまり期待はできません。そうであれば、私たち一人ひとりが、これからの飯の種を考えて行かなくてはならないでしょう。このブログでも、環境ビジネスというカテゴリーですが、いくつものビジネスの枠組みを提案してきましたが、それがどのようなビジネスであれ、その視点は少なくとも50年後を見据えなければならないでしょうし、何よりそのビジネスは「持続可能性」が十分に高いものである必要もあります。当然の事ながらこのテーマは永く続きます。

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2011年8月29日 (月)

1476 月山

このブログを書く以外では数少ない趣味の登山ですが、27日は仕事で秋田に向かったついでに(どちらがついでかはさておいて)月山に登ってきました。山形県の中央にそびえるこの山は、形から数年前に登った鳥海山などと同じように、火山である事は間違いないのでしょうが、かなり古い造山と見えて、噴出したのが粘い溶岩だったのか、或いは風化が進んだためか、かなり丸みを帯びた山容です。

東北の山を見て気が付くのは、多くの山の裾野がブナやミズナラなどの広葉樹林にしっかりと覆われていて、山が重要な水源であるとの位置づけが明確だという事です。そうでなければ、南アルプスの様に、原生林を切り倒して針葉樹の人工林に植え替えられていたはずです。それぞれの山には、水源守り神を祀る神社が建てられ、昔から修験者を含む地元の人たちに崇められてきたはずです。月山にも、頂上に立派な神社が建てられており、無理やり拝観料を取られて、無理やりお祓いをさせられるのはあまり好きではありませんが、それらのお金が山の自然を守るためにも使われる事を願いました。高山植物も豊富で、多くが花の季節を終えて、ささやかに残っているだけですが、2000mに満たないこの山でも緯度が高いため、北アルプスなどでは2500mを超えないとみられない花々も見つける事が出来ます。飛び飛びにそびえる山で、同じような高山植物がみられる事は少し不思議な気もしますが、鳥の助けを借りれば、離れた山に種を運ぶのも容易なのかもしれません。植物の戦略にはいつも感心させられます。

その日の朝は、早起きして湯殿山神社への参道も歩いてきたのですが、鬱蒼とした広葉樹林帯の中に作られた古い道は、まさに森林浴そのものが満喫でき、寿命が一年くらいは延びたような気がしました。この付近には「60里越え」と呼ばれる修験者道も作られており、1週間近くかけて修行をした往時を想像しました。もちろん今でも、この道を歩き通す人も居るにはいるらしいのですが・・・。東北の山は、単に頂上に登る「登山」だけで済ますのは、あまりにも勿体ない山が多い様です。もちろん、山の裾野にはいくつもの温泉が湧き、ひなびた温泉宿もあります。

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2011年8月28日 (日)

1475 モンスーン

25日から秋田に出かけていました。古い友人から紹介して貰った仕事の下打ち合わせでしたので、半日で終わります。どちらか「ついで」であったかは横に置いて、東北の山にも登ってきました。今回は月山です。庄内平野の東にそびえるこの山は、羽黒山、湯殿山と並んで出羽三山の一つですが、その中では兄貴分です。いずれの山も古くからの信仰の山で、それぞれに立派な神社でご神体を祀っています。

さて、27日に登った時は、秋雨前線が南下して東北北部は北の乾いた空気に覆われ、絶好の登山日和となりました。空気もかなり澄んで、眼下の庄内平野はパノラマ写真の様に見え、月山の上の兄弟分の鳥海山もくっきり見えました。しかし、南を振り向くと朝日連峰より南は雲が湧き、まだ夏の名残の空気に支配されている様に見えました。実際に、その日のうちに山鹿県を南下し、新潟県を走っている間中は晴天でしたが、夜になって長野県に入った途端に土砂降り状態になりました。それは、縦に長い長野県を通り抜けている間中続き、岐阜に戻ってからも同じでした。長く続く土砂降り雨は、モンスーンから水分の補給を受けている場所(閉塞前線)で発生します。寒冷前線がもたらす強い雨は、数時間程度で通り過ぎるからです。

一日の内に、このモンスーンと北の空気の境目を走った訳ですが、どうやらこの境目は、近年はかなり北まで持ち上がっている様なのです。「梅雨の無い」は長らく北海道の枕詞になってきましたが、どっこい最近はオホーツク海に近い海岸部を除いて、モンスーンの影響を受ける様になってきました。彼の地でも豪雨が発生したりもすることでそれが分かります。これが温暖化の影響なのか、別の理由なのかは、長期の気象データがやがて白黒をつけるのでしょうが、事実として、夏場の北極海の浮氷面積の縮小によって極地方の海温(気温・地温)が上昇し、冷たい空気が弱くなってモンスーンの北上を抑えきれなくなってきたことが挙げられます。大洋や地殻(表面)は膨大な熱容量をもっていますので、この傾向はひどくなる事はあっても、容易に後戻りはしない様に思えます。非常に近い将来には、この国がある中緯度地域も、夏場は「午後のスコール」も見られる「パートタイム亜熱帯地方」の仲間入りをするのかも知れません。

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2011年8月25日 (木)

1474 竜巻

近年気になる気象現象として竜巻もあります。アメリカ中西部でも、多くの犠牲者を出していますが、超大型竜巻発生の頻度が上がっている様な気がするのです。同様に、日本でも小型ではありますが、どうやら竜巻と呼べるつむじ風が多く発生する様になっても来ています。これは1472で書いた、絶対湿度との関連もあるでしょうし、明確なデータは手元にありませんが、大気上層と地表付近の温度差が大きくなっている事も関係しているかも知れません。つまり、地表付近の気温が夏場の日射などで急激に上昇し、上層との温度差が大きくなると、強い上昇気流が発生、同時にそれを補うための下降気流も発生し、結果として激烈なつむじ風=竜巻に成長します。これまでは、入道雲+夕立程度で済んでいた現象の規模が大きくなっている可能性があるのです。

これに大気中の湿度がどの様に関係するかといえば、気圧低下部分(竜巻の中心部)と一方で竜巻の周りの上昇部分で、空気中の水分が蒸発すると温度が下がり、一方で空気中の水分が凝縮すると発熱して温度が上がります。つまり、空気中の高い湿度は、竜巻に関わる温度差をさらに大きくする方向に働くと考えられます。

温暖化が進めば、気象現象が激烈になると言われていますが、竜巻数の増加もそのような傾向の一つだと言えるかもしれません。

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2011年8月24日 (水)

1473 環ビジ82(木質燃料)

国内でかなりの量が調達できるエネルギー熱(熱源)として、バイオマスにはやはり注目し続ける必要があります。この分野のキモや、やはり地域での循環を軌道に乗せる事でしょう。石油にしても、電力にしても戦後の長い時間をかけて、インフラを整備し続けてきた結果、木炭や薪や石炭を駆逐して、現在の座を獲得した訳です。ここでのインフラとは、つまりは製油所や備蓄基地であり、ガソリンスタンドであり、送電線網などを差します。

木質燃料に関してのインフラは、実はささやかなもので済みます。薪や木炭やペレット燃料に関して言えば、材を定常的に切りだすための里山(道路から100m程度の範囲を差します)や奥山(道路から500m以上奥の山を差します)からの搬出方法、それを薪にする加工場所、炭焼き小屋、ペレット製造小屋などです。これらを敢えて「工場」と呼ばないのは、急峻な日本の山の利用においては、大規模化は全く不向きなので、これらは「小屋」でなければなりません。しかも、材を運ぶ距離をできるだけ短くするためには、それらのインフラは何が何でも小型で、しかも山の中の道路の切れる様な場所に所在する必要があります。したがって、そこで使われる動力も、理想的には小川の水を使った「水力」が理想的なのです。つまりは、水力を使った鋸盤や薪割機、ペレット製造装置こそが理想なのです。炭焼きのエネルギーは薪自身の燃焼熱なので、これについては燃料調達の問題は無いでしょう。

燃料に加工したバイオマスは、先ずは軽トラで搬出し、村内の販売所に集積します。家々から予め注文を受けているのであれば、直接配達するが理想です。村内で余ったバイオマスは、近くの町まで運んで、専売所で売ります。ガソリンスタンドかコンビニかJAで扱うのも良いかもしれません。消費者は、車のトランクに詰める程度(1週間分程度)の木質燃料が手軽に買える環境が整います。薪ストーブは煙が出るので、町での使用は近所迷惑ですが、木炭やペレットストーブであれば全くの無煙燃焼(完全燃焼)が可能なので、問題ないでしょう。

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2011年8月23日 (火)

1472 豪雨

昨夜の雨はまさにゲリラ豪雨でした。すぐ近くでは、1時間内に100㎜を超える雨が降って、地盤が低い地域では家屋の浸水も多く出た様です。毎朝通勤で通る踏切近くのマンションでは、1階にある駐車場(地下ではないのですが1段低くなっています)では、車が水につかって、通勤前の大騒ぎになっていました。強い降雨が起こる条件としては、先ず一にも二にも空気中の湿度が高い事が必須です。次に、温度が低い空気と高い空気の接近(前線の発生)、或いは強烈な日射、または非常に冷たい気団の接近などの条件で、強い上昇気流(同時に下降気流も起こる)の発生も必要です。これらの条件が重なると、いわゆる積乱雲が発生し、雲の中に大粒の雨粒が溜まってきます。

この雲が移動しながら雨を降らす訳ですが、これに地形も絡みます。今住んでいる付近は、平野と山地の境目に近いですから、南から雨雲が近づいてきた場合、雨が落ちやすい場所に当たります。同様に、川筋の谷に沿っても積乱雲が移動しやすいので、谷合でも豪雨が発生しやすくなります。今朝は、やはり下呂辺りでも集中豪雨があったようです。

何度か書きましたが、背景には大気中に温暖化効果ガスとしての水蒸気の絶対量が増えている事が疑われます。つまり、これまでは時間当たり50㎜程度を豪雨と呼んできたものが、今では時間100㎜の降雨が決して珍しくなくなった事が、その傍証だとも言えます。海に蓋をする訳にもいかないでしょうから、GHGとしての水蒸気(絶対湿度)の増加に関しては、私たちは全く無力です。この雨を、砂漠の国にプレゼントする事が出来たら、アフリカでの飢餓も、中緯度の豪雨被害も同時に解決できると思うと、地域を破壊し犠牲者の山を築くだけの軍事費や役にも立たない宇宙開発費の、せめて一部でもそのような研究に向けてくれたらと、つい八つ当たりしたくなります。

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2011年8月22日 (月)

1471 シンテッポウユリ

今年は、ジョギングを休止して、週末に裏山(420m)の登るのが楽しみになりました。登り下りで計3時間くらいかかりますが、丁度一汗かくのに手頃な距離です。もちろんただ登るのではなく、動植物を観察し、美味しい空気を吸いながら登ります。でも、昨日はシトシト雨で、虫は葉陰で休んでいる様でした。植物は、しかし雨ですっかり元気を取り戻し、特にテッポウユリは山道に沿って、一列に並んで咲いています。誰かが植えたにしては、石ころの間から茎を伸ばしており、やはり野生の様に見えます。どの様にして道端にきれいな列を作ってきたのか、その繁茂の戦略には興味が湧きます。

高い山では、ヤマユリやニッコウキスゲなどが、大きな群生地を作っている場所は良く目にしますが、道端に並ぶには、ヒトや動物に繁殖を依存する必要がありそうにも思えます。ユリはユリ根(球根)で増えるのでしょうが、近くに「分家」を作るには、何らかの方法で地下茎を伸ばす必要がありそうです。

少し調べてみると「葉っぱの岬」というHPで、これはどうやら正確には「シンテッポウユリ」という自然の交雑種で、タネでも増える種だとの事で、やっと納得しました。それにしても、自然の仕組みは実に巧妙です。雑草もあまり生えない、乾燥して石ころだらけの道端というニッチに、種としてのテリトリーを広げるために交雑したか、交雑した結果その能力を持つようになったのか、その順序は分かりませんが、そんな事はどうでもよく、結果として見事に繁茂に成功している訳です。実際には、両者(種と環境)が微妙に絡み合いながら、変化の道を進むのかもしれません。

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2011年8月21日 (日)

1470 ホメオスタシス

恒常性とも呼ばれる表題は、もちろん本来の意味での生物の活動に関わる代謝バランスという意味でも重要なKWですが、一方では環境の持続性という意味でこそ最重要だと思っています。右肩上がりの経済拡大(人口も同様に拡大)の時代において、最も酷く破壊された環境としては、森林の畑地化のための破壊、優良な畑地や里山の住宅地化、工業用地化、道路化があったと振り返っています。

環境=自然は、自律的な回復力を持っています。しかし、それは非常に緩慢な回復力なので、それを超える破壊に対しては、かなり無力です。例えば、森林は年率であれば1㎞以下程度であれば、気候変動に応じて移動が可能だと言われています。つまり、温暖化で砂漠化が進んでいる場合、1km/年程度で森林は後退し、灌木地に変化が可能だという事です。しかし、現実に起こっている温暖化(熱帯や温帯の北進)のスピードは、10/年にも達していると言う試算があり、このスピードには森林は全く追いつけないので、結果としては森林が淘汰され完全な砂漠化が北進していく事になります。

自然界のホメオスタシス確保のためには、とにもかくにも人間が自然に加える改変は、可能な限りゆっくりでなくてはいけません。先人は、自然に手を加える場合、全て人力で行っていましたから、ほとんどの場合、環境破壊や改変は、実のところ自然の回復力の範囲内にあったはずなのです。しかし、機械力や爆薬を使った大規模な土木工事や自然の改変は、その範囲を大きく逸脱する事になる訳です。

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2011年8月20日 (土)

1469 中央集中から地域分散へ

これも数回書いたような気もするテーマですが、次世代のデザインではやはり欠かせない視点です。戦後、全てのモノやシステムが一貫して極端な中央集中化の道を突き進んできた事を考えれば、何らかの見直しが必要なのは言うまでもありません。毎日ニュースになっている電力会社や電力会社の統合集約は言うに及ばず、教育システムから、行政、産業に至るまで、スポンジが水を吸い取る様に、東京を核とする大都市が吸い取ってしまったのでした。それは、あたかも大都市が標高の最も低いところにある湖に、周りから全ての水が流れ込むと言うイメージも連想させます。事実東京だけを考えても、日本全体の人口の10%を吸収してしまったのです。(最高時には11%を超えました)

水が流れ込むところには必ず淀みができ、オリが溜まります。流れが強い時には、どうにか上手く回っていた中央集中システムも、一旦流れが止まると、しかし淀みのオリも腐敗し始めます。それを閉塞感と言い換えても良いのですが、2000年代に入って、日本の人口統計が明らかに飽和状態を示し、次いで減少に転じた事もその閉塞感を増長したはずです。閉塞感を打ち破るには、結局は新たな流れを作り出すしかないのでしょう。そうであれば、何も新たな危険を冒す必要はないと思うのです。これまでの流れをゆっくりで良いので、逆流させれば、最低のリスクしか生じないはずです。つまりは、中央集中の流れを、地域分散に切り替えると言うことです。

とはいっても、手をこまねいていてもその流れが出来るわけでもありません。何らかの引水が必要となるでしょう。英語ではインセンティブとでも言うのでしょうが、税制も考えられるでしょうし、積極的には助成金も付けなければなりません、もちろんその原資は更なる集中へのペナルティ(罰金)から回してくる必要があります。政令都市の首長は真っ向から反対はするでしょうが、しかしこれはこの国の将来に向かっては避けて通れない道だとも思います。そうでなければ、都市の閉塞感の中で、国自身がドンドン深みに沈んでいくしかないからです。

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2011年8月19日 (金)

1468 50年後の社会デザイン

戦後の経済拡大期は、ある意味では経済界も政界も楽でした。増加した経済(利権)をどの様に分配するか考えていればよかったからです。政・官は、それを仕切る仕掛けであれば良かったのです。したがって、政・官の利害は一致し、官から財への助成金とその見返りとしての税金をしっかり回してさえいれば、経済は自動的に右肩上がりになっていったのです。利権の山分け(リベートとも呼びます)の例には事欠きません。造船疑獄、Rッキード事件、もう少し規模を下げれば各種の公共事業の政・財の受発注関係などなどが思い出されます。

しかし、その拡大の陰りが見え、右肩下がりが見えてきたこの10-20年、このカラクリは最早機能しなくなってきた事を明確に認識しなければなりません。松下さんの塾が何を教えてくれたのかは知る由もありませんが、20世紀型の政治や経済のカラクリしか教えてくれなかったとしたら、これまでの、或いはこれからのこの国のリーダーには何も期待できません。混迷の時代こそ、リーダーは「将来像」を掲げて進まなければならないはずなのですが、相変わらず為替操作や、金融工学、或いは種々の景気浮揚策と税金を絡めた論議しか俎上されません。実際、景気浮揚策と称して、この国が天文学的税金(や債券)を注ぎ込み、そしてそのほとんどが効果をもたらさずに単なる借金になってしまったかを考えにつけ、それを看過した一国民として、呵責の念を禁じ得ません。

欲しいのは、今の子供が世の中を背負っている時代の社会デザインなのです。そのために、今の世代がどれだけ血を流し、汗をかかなければならないのかを差し示すリーダーが登場しなければなりません。戦後の事を考えれば、先人は禿げた山に木を植え、粗末な住宅事情にも耐えながら、我々のために基盤を整備してくれたではありませんか。我々の世代は、その恩を次世代に返していくとの決意こそが必要だと思うのです。

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2011年8月18日 (木)

1467 戻す努力2

インフラを取り壊して元に戻す場合、単に壊せば済む話ではありません。如何に元に近い姿に戻すかをしっかり意識する必要があります。ドイツの例ですが、ルール地方を流れ、かつては石炭船が行き交っていた中小河川であるエムシャー河は、ほとんどコンクリートの護岸で固められていました。流れは淀んで、工場からの処理不十分な放水もあり、ほとんどドブ川に状態でしたが、ドイツ政府は素直に反省し、護岸を剥がして土手に戻す工事に着手しました。もちろん、そのころは石炭の産出量は殆ど無くなり、石炭重化学工業も終息状態でしたので、石炭の廃坑に川のヘドロやコンクリートの瓦礫を埋め立て、両岸を土手に戻したのでした。この結果、魚や水鳥も戻り、2002年に訪問した当時は、すっかり田舎を静かに流れる川といった風情になっていました。

この事業に、ドイツ政府がどれほどの税金を注ぎ込んだかを想像するにつけ、振り返ってこの国のインフラ戻しを考える時、その道のりは非常に遠いとため息が出るばかりです。山を削り、谷を埋め立てて造った、ほとんど車の通らない高規格林道を見るにつけ、砂防ダムを作って下流の護岸をコンクリートで固めた日本の川を見るにつけ、自然に近い状態でこれらのインフラを元に戻すのは絶望的なほどの努力を要すると思われます。

しかし、一方では何も完全に諦める必要もないとも思うのです。つまり、方向性を定めた上で、今後インフラに手を加えるついでに、少し後戻りをさせれば良いわけです。例えば、道路を補修する必要が出た場合は、交通量を再評価して道幅を削る「減幅」工事をすれば良いでしょう。ついでに動物の通るトンネルも道の下に作ってやるべきです。

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2011年8月17日 (水)

1466 戻す努力

エントロピーの法則を持ち出すまでもなく、物事はより安定性の高い方向へ不可逆的に進みます。高い温度のモノは冷えて、周囲温度と同じになろうとするし、ゴミの始末を放置すれば必然的に「ゴミ屋敷」が誕生します。整然よりは雑然の方が、よりエントロピーが増大し、安定するからです。先人は、しかしささやかですがそれに人力で逆らってきました。里山や深山に分け入って、自然のままの森林に手を加え、落葉樹を植えて水源を涵養する努力をしてきましたし、その下には棚田を刻んで、人工のミニダムを築いてもきました。

山の手入れを怠れば、林床に日が差さなくなり、土壌の固定が出来なくなり少しの雨で土砂が流出するでしょうし、棚田の維持を怠れば、石垣が崩れ、林地も新入してきて雑木林に戻る事でしょう。人間が作り上げた生活を維持するためには、必要な事は、この自然(混沌)に戻る事への不断の抵抗しかないわけです。戦後の時代は、多大なエネルギーと重機を使い、山の奥深い場所にまで林道を刻みましたが、そんなものは多分10年に1回くらいの豪雨で、簡単に崩落する程度のモノでしかありませんでした。多大なエネルギーをつぎ込んだインフラは、やはり多大な維持のエネルギーも必要とするのです。

戦後この国で、莫大な税金を注ぎ込んだインフラは、今その維持にやはり莫大な税金を要求し続けているはずです。少し山に分け入れば、立派に舗装された林道が、あちらこちらで崩落し、落石がゴロゴロしています。多くの橋は老朽化し、港湾のインフラもやはりメンテナンスを求めています、ダムは土砂に埋まり、公共の建物にもとうに寿命が尽きたものも多いのです。これらを造り替えるのか、或いは取り壊して更地に戻すのか、一度立ち止まって考えてみる必要はあるでしょう。

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2011年8月16日 (火)

1465 変わらないもの

投稿者が生きてきた20世紀後半の半世紀と、21世紀の最初の10年余りを振り返ってみると、何もかもが変わってしまったことに改めて感嘆します。産業、食べ物、人やモノの移動の手段、日々の暮らしぶりなどなど、逆に変わらないものを探すのが骨です。敢えて探せば、それは伝統的な工芸職人や、人間国宝の人たちの生活の一部(手仕事や国宝の部分)にその痕跡が見つかるかもしれません。彼らとて、日常的には洋食をたべ、車や新幹線や飛行機で移動するのでしょうから、日常生活を含め全て「伝統的な暮らし」を続ける人は、余程の深い山里でひっそりと暮らすお年寄り所帯くらいにしか見つからないと想像しています。

こんな事を書いているのは、もちろん変わってしまった生活を嘆いているからですが、何より完全に変わってしまった場合、もはや後戻りができなくなる事を怖れているからでもあります。加えて、本当に伝統的な暮らしぶりは、今や公共放送のアーカイブにある古い紀行番組位でしか見る事が出来ない時代になってしまいそうですが、その暮らしを支えてきた手仕事や先人の知恵は、映像だけでは決して伝える事が出来ないとも思っているからです。

どの様な道筋で考えても、その土地に産するものを食し、産する材料で伝統的な産業を維持する暮らし方を考える場合、高度成長期以前の暮らし方から大きくはみ出る事は出来ないはずなのです。その制約を超えるために、この国は多くの石油エネルギーや鉄鉱石や石炭など原料を輸入して産業を興し、得た外貨でさらに便利な暮らし得る道を選択してきました。そのために、沿海部の優良な農地や里山を潰して工場や住宅を建て、確たる計画も無しに人工的な都市を形成してきた訳です。人工的な都市を維持するには、膨大な電力(エネルギー)と、食料を含む全てのモノの供給を、周辺の地域や海外に依存せざるを得ない事は、今回の震災で改めて認識されたはずです。震災で、コンビニやスーパーの機能は停止し、鉄道や道路が寸断されてサプライチェーンは破たんし、原発事故で電力も制限される事になった事実は、物事が変わり過ぎたことへの警鐘と捉えなければならないでしょう。ではどうすれば良いのか、さらに考えてみます。続きます。

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2011年8月15日 (月)

1464 ブルーベリー

ブルーベリーには年間360日くらいお世話になっています。食べ方は、ほぼ100%トーストにブルーベリージャムを塗るという単純なものです。残りの5日は、買い置きのブルーベリージャムが切れた日か、或いはおせち料理が出て、トーストが出ない朝になります。なぜ、こんなにもブルーベリーが好きなのか考えてみたことがありますが、答えは見つかりません。一種の中毒なのかもしれませんが、アントシアニンが目には少しは良いらしいし、特に体に悪い中毒でもないので、気にはしていません。

勝手に想像を巡らせれば、たぶん遠いご先祖さまは、ブルーベリーの葉に住み、甘い実の汁を吸っていた昆虫か、小動物だったのかもしれません。進化の順番から言えば、間違いなく先ずブルーベリーの形態が定まり、それに依存する動物の形態が進化を進めたはずです。一方、植物としても、動物との共生関係のなかで、自分の種のニッチを少しでも広げるために、動物たちを利用して種をばらまくために、さらに実の甘さを加えたのかもしれません。年に一回くらいは、生のブルーベリーを口にする機会がありますが、確かに身震いするくらい感動します。痩せた土地を好むこの地味な植物には、密かなパワーが宿っている様な気がします。

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2011年8月14日 (日)

1463 人間力

昨日も山に入っていました。例によって、3000m級日帰り登山です。今回は、少し低い山ですが、南アルプスの光岳(てかりだけ)です。

さて少し前、この言葉を再認識させられました。ある会合で、若い教育者から彼が教育で重視している言葉として紹介されました。動物としてのヒトと人間が異なるのは、たぶん後者はヒトとしての能力に加え「コミュニケーション能力」を兼ね備えている特別な存在だという事なのでしょう。つまり、個人としてのヒトの能力はささやかなもので、たくましさにおいては犬猫にも劣るかもしれませんが、いったんグループとして徒党を組んだ場合の能力は、相乗作用で何倍にも高まるからです。

確かに、数十年前の高度成長期を経て、その後世界に冠たる輸出大国にのし上がったこの国には、ものすごい量の人間力(ヒューマンパワー)があったと思い返されます。しかし、いわゆる「個性重視」の教育の中で、人と違う事は素晴らしいと言う価値観の中で、人間力は急速に小さくなったのではないかと疑っています。言葉を替えれば、この国の人間集団が、個々の行動や志向のベクトルが合わない単なるヒトの集団になりつつある過程かも知れないと言う危惧です。さらに別の言葉で言えば、この国には20世紀の後半を通じて、「経済的成長」以外の目標が無かったのかも知れないと思い返しています。

経済成長以外の、尊敬される国として、或いはすばらしい国民としてのどの様な価値観を共有するか、という基本的な目標無しに突き進んだ結果、確かにお金持ちにはなったのでしょうが、その他の多くの人間としての基本的価値観を置き去りにしてきた様な気がするのです。お金持ちになったヒトほど手の付けられない存在は他にはないでしょう。お金さえ使えば、法律で禁止されていること以外は、ほぼ全ての欲望をかなえる事も可能だからです。この国に足りなかったのは、確かに人間力でしたし、その前提となる人間としての倫理観なり価値観だった事を再確認しています。

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2011年8月12日 (金)

1462 後知恵

毎年この時期の1週間は、毎年原爆の悲劇を考えさせる時期になります。加えて、今年は多くの人に原発事故についても深く考えさせることにもなりました。原爆も原子力も、放射性物質(ウラン)の核分裂のパワーを利用する事において、本質的な違いはありません、前者は、小さな火薬の爆発によって、核物質を瞬間的に衝突させ、一瞬のうちに核の大爆発を引き起こすものですし、後者はそれを減速材や水によって、緩やかに持続させるものという違いがあるだけです。しかし、質量がエネルギーに変わると言うアインシュタインさんの式を見れば分かるように、エネルギーは光速の自乗に比例すると言うものですから、1秒間に30万㎞も走る光速の自乗も想像を超える桁数ですが、そのエネルギーもまた想像を超えるものだとしみじみ思います。

その想像を超える核力を内在した放射性物質を、敷地内の原子炉や冷却プールに何トンも抱え込んでいる原発の、底知れぬパワーを改めて想像すると、やはり身震いを禁じ得ません。今回の事故のメルトダウンで、圧力容器の底に穴が開き、核燃料が格納容器の底に落ちた辺りで止まっているとすれば、全く不幸中の幸いだったとしか言うしかありません。最悪の場合には、生の核物質が、大気中に躍り出し、猛威を振るう事態もあり得た訳です。そうなった場合には、広島や長崎の比ではない惨事になっていたかもしれません。それにしても、全ての電源を失っても、何とか水だけは切らさないシステムになっていれば、ここまでひどい事故にはならなかったとは言えるのでしょうが、いずれにしてもすべて後知恵でしかありません。

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2011年8月11日 (木)

1461 信用収縮

最近の超円高(欧米通貨の下落)にしても、それを承けての株価暴落にしても、何らかの調整局面だとはみています。その何かとは、一つは通貨に対する信用力の調整ではないかと思うのです。紙に印刷しただけの通貨は、それを発行し、流通させている国や国の連合体への信用力によってのみその「価値が保証」されています。しかし、それらの国々が最早それほど信頼できなくなった時、お金持ちは通貨やそれが形を変えた債権などから逃げ出し、現物に向かう事でしょう。事実「金」の価格は上昇の一途をたどっていますし、穀物や石油の先物価格に関しても事情は同じでしょう。

これは、実のところ「モノの価値の再評価」としての意味もあります。それは例えば、ペットボトルの水よりも安いガソリン価格、土壌の養分や化石水と呼ばれる地下水を絞りとって作付される安すぎる穀物価格、全世界の保有量が有史以降2倍程度にしか増えていない金の価格など、ダブついた通貨に比べ相対的に価値の低くなってしまったモノどもへの再評価局面だと言えなくもありません。

別の見方をすれば、いわゆる労働の代価の見直しという意味もあるのでしょう。お金持ちが、そのお金を「運用」して、利益を得る事は、もちろんこの時代は合法的に認められています。しかし、合法である事と、倫理上正しい事とは根本的な相違があります。ほぼ全ての法は、トラブルや悪意を防ぐための対策法に過ぎません。したがって、法文の多くは何々をしてはならない。何々を超えてはならないなどと、ネガティブな表現になっていると想像しています。法文では禁止されていないとはいえ、不労所得などは倫理的に言えば抑制されるべき行動でしょうし、一方でまっとうな労働こそが、より高く評価されるべき行動だと思っている投稿者は、この調整局面を。期待をもって眺めています。

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2011年8月10日 (水)

1460 土砂降り

最近の雨の降り方を見ていると、明らかに空気中の水分(湿度)が高まっている様な気がします。夏の日射によって上昇気流が巻き起こり、たっぷりと水気を含んだ空気が10,000m程度の高層まで上昇します。気温のピークを過ぎると空気は冷やされ始めて、氷や水の粒になり、数ミリの大きさになった時点で、もはや上昇気流では支えきれなくなって落下(降雨)します。一般的な呼び名は「夕立」ですが、最近の雨の降り方は土砂降り、または「スコール」と呼びたくなるような勢いです。スコールは熱帯地方の現象ですが、もしかするとこれは日本付近が熱帯化している一つの証拠かもしれません。

大気中の水蒸気は、実は最も強力な「温暖化効果ガス(GHG)」です。したがって、湿度が高い日には、夜間の放射冷却が抑制される結果、気温が十分に下がらず熱帯夜になりがちです。最近の気象は、翌日の日中の高温を呼ぶと言う「悪循環」が生じているように見えます。残念ながら、大気中の湿度をコントロールする術を、私たちは持ち合わせてはいません。自分たちの仕業が引き起こしたかも知れない温暖化やその結果の現象は、甘んじて受け入れるしかないのでしょう。

それにしても、暑い夏です。冷房のないこの事務所の気温は連日35℃に貼りつき、WBGT指標も30℃に近いので、労働強度としては「手先の作業」しかできない状況です。幸いにも、キーボードを叩けばある程度仕事が進みますので、どうにか熱中症にならずに済んでいます。

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2011年8月 9日 (火)

1459 森に帰る

ヒトは森を出て、近くの草原に進出した「サルのなれの果て」だと言う説を信じています。森には、色んな生き物が溢れています。木や草やキノコなどの植物、それを住み処やエサとする昆虫や微生物、その昆虫などを捕食する小動物、その小動物を狙う大型の爬虫類や哺乳動物や猛禽類など。見事な食物連鎖が完成していて、しかもその連鎖は「人間が壊さない限り」は、ほぼ永遠に続くサイクルでもあります。

森から離れすぎて、都市で暮らすようになった私たちは、もう一度森に入って、何かを感じてみなければならないでしょう。都市には人間が作った構造物以外何もありません。公園の樹木ですら、昔からその土地に根付いた樹種ではなく、見栄えを考えてどこかの樹木業者から買った、よそ者の植物で構成されています。その根土には、よその土地の生き物の卵や幼虫も付着していて、九州にしか居なかった南の昆虫、例えばクマゼミなどが、首都圏や北の都市の公園でも大合唱をしている訳です。

先ずは森に分け入って、森の声、鳥の鳴き声や昆虫の羽音に耳を傾け、森の匂いを嗅ぎ、植物に触れてそれらの本質をしみじみ眺めてみたいものです。それらがどの様にしてそのニッチを確保しながら、悠久の年月を生き抜いてきたのかを考えてみるのです。先日も、山に登るつもりで、南アルプスの真ん中辺りまで出かけたのですが、沢沿いの登山道を3時間ばかり沢を遡ったところ道が突然消えていました。腰までつかって対岸に渉る事も出来たのですが、結構流れが速かったので、安全を考え諦めて引き返しました。しかし、たっぷりと森の空気を吸ったことにより、えも言われぬ幸福感に包まれました。いずれにしても森には、不思議な力が宿っているようです。

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2011年8月 8日 (月)

1458 マイクロ水力

山を越えた隣町である関市に結構縁があります。先日、関市在住の人から突然電話が掛かってきて、小水力発電を始めたいから相談に乗って欲しい、との依頼がありました。直前に名刺を交換した、新聞社の編集者から紹介でした。数日後に出かけてみると、河岸段丘を駆け下りる農業用水がその候補地でした。水量も結構あり3m程度の落差が取れそうなので、単純な上掛け水車ではなく、小型にできるタービン型の水車が良いのではないかと助言しました。タービン型と言っても、特殊な水車を注文したり、開発したりするのではなく、例えば市販品の軸流ポンプや遠心式のポンプに逆に水を流して回すアイデアです。これだと、中古のポンプを何処かから「貰って」来れば、先ずは水車が完成します。水の導入は、水道屋の知り合いに頼み込んで、余った塩ビパイプなどで安く設置します。発電機は、取り敢えずは中古の車のダイナモで間に合わせます。タービンポンプは結構高速で回転しますので、大がかりな増速装置も必要ありません。単純なVベルト駆動で十分でしょう。これなら予算は締めて10万円以下で済むはずです。できた電気は、車と同様12Vのバッテリーに蓄え、直流のままか、インバータで変換して交流として使います。

先ずは、兎に角目の前にある水路で、ささやかでも電気を起こしてみる事が必要なのです。出力アップアや改良は、その後にボチボチ進めれば良いわけです。自分たちで作った発電機が動き出して、出来た電気で電灯が灯ると、理窟無しに嬉しさがこみあげてくる事請け合いです。こと再生可能エネルギーに関して言えば、効率などは二の次で良いのです。

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2011年8月 7日 (日)

1457 蝉の戦略

今朝も多分南アルプスの山の中なので、やっぱり自動投稿です。さらに生き物シリーズです。今年は、なぜか蝉が少ない様です。たぶん、7年ほど前も同じ状態だったかもしれません。その年は成虫が少なく、地中に残された卵も少なかったのでしょうから、その時の幼虫が孵化する今年も同様に少なくなったと思われます。

蝉がなぜ7年間も(種類によっては17年間)も地中で暮らすのか、考えてみればかなり不思議です。投稿者なりの理窟では、気象変動の平準化の様な気がします。気象は、太陽の黒点や地軸の歳差運動などの要因で、短期的な変動を繰り返します。これは、温暖化などの長期に亘る「気候変動」とは明らかに異なる原因と変化なので、この周期に繁殖行動が敏感に影響を受ける種は、その年によって個体数を大きく増減させる事になります。例えば、イナゴの大発生や急激な減少は、気象変動が植物の繁茂状態に直接影響し、それに依存している代表的な昆虫の例の一つに過ぎないとみています。

しかし、セミは数年間地下に潜る事により、これを見事に回避しているのではないかと思えるのです。毎年の成虫の発生数は確かに、大きく変動するのでしょうが、地下にはその6-7倍の幼虫が眠っているので、全体としての個体数は、精々十数パーセントの範囲でしか増減しません。この推測が正しいとすれば、「蝉の戦略」はなかなかにしたたかなものだとは言えるでしょう。

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2011年8月 6日 (土)

1456 不便を楽しむ

今朝は暗いうちに起きだして山に向かっているので自動投稿です。さて昭和がますます遠く感じされる今日この頃です。ところで、本気になって脱原発=脱電化を実現するには、「不便を楽しむ心意気」が必要です。そのためには、先ずは便利なモノを身辺から遠ざける事から始めると良いでしょう。より便利なモノとは、より最近に開発され売り出されたモノのはずですから、新しいモノはとりあえず納戸に仕舞い込み、出来るだけ古いモノを引っ張りだしてくることがその近道です。具体的には、エアコンのプラグを抜いて(エアコンの待機電力はバカにならないワット数です)、古い扇風機を引っ張りだしてくる、掃除機を納戸の隅に押し込んで、ホウキとハタキとモップを手前に出してくる、車にしばらくお休みいただいて、油の切れかかった自転車を引っ張り出し、油をさして通勤や買い物に使ってみる、テレビを消して、ラジオの電池を替えて生き返らせるなどの行動を指します。

不便は、しかし単に不便なだけではありません。不便に甘んじると、必ず頭を使い、体も動かさなければならないので、ボケが防止出来て、同時に体が丈夫になり、手先の器用さが戻ります。不便に慣れてくると、不便の楽しさが段々実感できてくるはずです。その楽しさとは、いわば「効力感」から生じてくる楽しさだと言えます。効力感とは、自分が行動して周りに働きかけた結果が、何らかの変化として自分の五感で実感できる状態を指します。それが、自分の望んだ方向と一致していれば、その効力感は最大になるでしょう。例えば、気合を入れてホウキとハタキとモップ(雑巾)を使って掃除して、部屋がすっかりきれいになった状態を見る時の幸福感は、電気掃除機をスイスイ動かしただけでは決して得られないものだとは思うのです。

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2011年8月 5日 (金)

1455 非インフラ

大手の重工、重電機メーカーの提携が昨日のニュースに踊っていました。これからの成長分野である、再生可能エネルギーやエネルギーインフラ事業に共同して当たるのだとか。しかし、ちょっと待ったです。前半の再生可能エネルギーの利用拡大には反対はしません。問題は、「エネルギーインフラ」という言葉です。この中心には、いわゆるスマートグリッドやスマートシティと呼ばれる、高度にコントロールされた、エネルギー供給・消費インフラが意識されている事でしょう。一方で、インフラという言葉は、あまりにも安易に使われ過ぎているとも思うのです。

インフラは、そのコミュニティに適用される基盤技術ですから、その成員は。好むと好まざるとにかかわらず、それに依存せざるを得ません。スマートシティやスマートグリッドなどという「インフラ」は、やはり集中化された「電力」というエネルギーに依存している事には変わりありません。もちろん、停電すれば充電器につながれたEVのバッテリーから、自動的に家庭の配電盤に電気が供給され、1日か2日程度は電気のある生活が続けられるのでしょう。しかし、これとて発電所というインフラにべったりと依存したシステムである訳です。

そうではなくて、エネルギーにはある程度のストックがなければならないと思うのです。ストックとは必ずしも電気に対するバッテリーという意味ではなく、薪や炭などのバイオマスや太陽熱で温めた温水やフライホイールやアキュムレータなどへの運動エネルギーの蓄積など多様な蓄積の組み合わせを意味します。それらの組合せは、地域の事情などに応じて、特徴的なものでなければなりません。天候の変化や季節変動、夜昼などデマンドの変化による対応は、機械が自動的に行うのではなく、人間が少し先を予測しながら適当に行う訳です。人間のカンによる「適当」は、下手な自動制御システムよりはよっぽど優秀で、融通も利くはずなのです。インフラは設備や自動制御に100%依存し、一方で非インフラは、大きな部分を「人」に依存するところが最大の違いです。

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2011年8月 4日 (木)

1454 トンボの登山

生き物シリーズです。週末には、家の裏山(400m)に必ず登ります。土曜日だけの事もありますし、日曜日も続けて登る事もあります。最初は往復2時間くらいかかっていましたが、今は1.5時間で済みます。明王山と呼ばれる電波塔のある頂は、邪魔者の無い眺望が340℃くらい広がっており、南は三河湾、東は中央アルプス、北には北アルプス、西には伊吹山や養老・鈴鹿山系が望めます。

さて、頂上に登ると生き物が数種類飛び回っているのが目につきます。今は、蝶とツバメとトンボの天国です。誰が主役かといえば、それは虫で、ツバメはそれらの虫を捕食するために山に登ってきたのだと思われます。ツバメは生きて飛んでいる虫しか食べませんので、虫が飛び交う山の頂は、まさに秋の南への旅立ちに備えての「腹ごしらえ」なのでしょう。

それにしても、不思議なのは、池や川で羽化するトンボが、何のために山に登ってくるかです。素直に考えれば繁殖のためですが、なぜその場所が水辺ではなく山の頂なのかは、やはり謎です。彼らにしてみれば、何億年前の巨大トンボ時代からの「単なる習慣だ」というかもしれません。汗を乾かしながら観察していたら、悠々と飛んでいたオニヤンマが、見事にツバメにキャッチされました。そういえば最近、酸素濃度を30%以上に保つなど、古代の環境を再現した結果、現代のトンボを古代トンボと同じ程度(体長70センチくらいの大きさ)に成長させる実験に成功したと言う、インパクトのあるニュースと写真を見ました。この大きさだと逆に、ツバメなど軽く捕食しそうなサイズです。生き物は、環境に100%依存し、受け身的に対応して進化してきたのだ、との思いを強くします。

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2011年8月 3日 (水)

1453 トカゲの兄弟

数日前、借りている事務所の中で2匹の生き物を見かけました。仕事中にふと足元を見ると、何やら小さなものがチョロチョロと動き回っていてドキッとしました。見ると10センチほどのトカゲでした。生意気な事に、事務所の床に引いてあるブロック式の絨毯と同じ薄緑色に変色しているではありませんか。しかし、まだ修行中の悲しさで、尻尾の部分しか変色が出来ていませんから、体はまだ黒いままなので、動くと良く目立ちます。そうこうしていたら、部屋の反対側にももう一匹いるではありませんか。なんと、兄弟(姉妹?)で部屋に闖入したようです。目当ては、夜の間に部屋の窓や廊下に集まった虫だと思われます。

今借りている部屋(元は和室ですが、ボロボロの畳の上にブロック式の絨毯を敷いて使っています)や窓のない通路を含む3階には、ヤモリの親子も棲んでいますので、まるで爬虫類ビルです。今年はまだ見ていませんが、隣の古い借家の庭には、間違いなくシマヘビも棲んでいますので、家が隙間なく並んだ地域にはありながら、部屋に居ながらにしてささやかな「自然との共生」も実感できるのは、築40年で安い家賃の貸ビルの「メリット」かもしれません。

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2011年8月 2日 (火)

1452 絶対湿度

通常、「湿度」の指標は相対湿度(RH)で表示されます。しかし、アフリカでの干ばつや、今回の豪雨のニュースを見るにつけ、この星の湿度の分布が様変わりしているのではないかとの疑問にとらわれます。その際、大気全体が含む事が出来る水蒸気の絶対値が知りたくなります。空気中の水蒸気は、過冷却状態にある時は、核になるものさえあれば、急激に雨粒となって落下します。核になるものには実は事欠きません。火山の噴火から出る粉じんやガス(ミスト)、台風で巻き上げられた塩分などのミスト、隣の大国が大量に吐き出している石炭発電所からの粉じんなどなど。それが偏西風に乗ってこの国の上に流れてきて、タップリと含まれた水蒸気を凝縮させて降らせます。

水蒸気は、以前より水温の上がった海表面よりタップリ補給されます。これは、短期的にはラニーニャ現象による東南アジアの太平洋上の海表面温度の上昇によって加速もされますが、一方では、アジアで凝縮して降雨し、相対的に乾燥した大気は、アフリカでは雨を降らせるほどの湿度を持っていませんので、地球を半周して彼の地では旱魃を引き起こすのではないかと推測しています。

一方で、もう一つの要素として、夏場の北極海の浮氷の減少が挙げられます。浮氷が減少すると、太陽光の反射率(アルベド)が低下し、結果として太陽光がより多く吸収され北極海の海水温=気温が上がります。当然の事ながら気温が上がると、極地方に溜まる空気(北極気団)が弱まるため、夏場に湿った空気(モンスーン)が、より北の地域にまで上がってくる事になります。北極気団が弱まると、その縁を回るジェット気流も弱まりますので、それは例えば台風の迷走を引き起こすでしょう。つまり、地球の大気は一つにつながっており、ある地域の気候異変は、巡り巡って地球の反対側や、極地方にまで、大きな影響を及ぼすと言えます。

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2011年8月 1日 (月)

1451 スイッチからダイヤルへ

私たちは、あまりにも当たりまえに、何も考えずに壁や機器のスイッチを操作します。スイッチは、言わずもがなですが「電気」を入り切りする仕掛けです。電灯であれば、パッと点灯し、電気器具であれば動き出します。しかし、考えてみなければならないのは、電灯であればその状況に必要な明るさであり、電気器具(例えば電気掃除機)であれば、その状況で必要とされる出力(仕事率)なのです。外が結構明るい時は、実は電灯の明るさは控えめでも良い筈で、掃除機でも、ゴミがホコリ程度しかない時は、弱い吸い込み力で十分なはずなのです。

ここで言いたい事は、全ての電化製品には、実はONOFFだけのスイッチではなく、明るさや出力を調整するダイヤルを付けて欲しいという事なのです。電灯であれば、ダイヤルを操作すると、先ずカチンと電路が通じて電流が流れ始め、その時に必要な明るさまで徐々に電流を増やします。掃除機であれば、掃除エリアに落ちているゴミを吸い込むのに必要な吸込み動力まで、やはり徐々に上げていきます。つまり、エネルギーはそのありがたみを意識して、小刻みに調整して使うべきものだと言いたいのです。

0-1のシステムでは、ONOFFなので、出力も0-100%となりますが、ダイヤル式の調節器があるだけで、10%でも50%でも80%でも機器が使える事になりますので、出力を減らした分だけエネルギーが節約出来たことになります。

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