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2011年9月29日 (木)

1500 環ビジ83(メンテナンス業)

省エネ指導で、種々の業種・業態の企業を回っていますが、「省エネの前にすべき事」がありそうな気がします。それは、計画的な設備メンテナンスです。一般的に、あらゆる設備について、ほぼ初期の性能を維持させるためには、毎年取得価格の3-5%のメンテナンス費用を掛ける必要があると言われています。1000万円の設備では30-50万円になりますので、一見高そうにも思える金額です。しかし、これには、潤滑油や消耗部品、日常のメンテナンスの工数(手間賃)、数年ごとの部分的分解点検・修理を含んだ金額の平均なので、決して高いとも言えないのです。

この時代、いわゆる修理屋はめっきり減りました。アフターサービスに修理依頼をすると、色々な一方で、金額を積み上げて修理費用の見積を膨らまし、「結局買った方が安いですよ」などと、顧客を丸め込み修理を嫌がる風潮もあります。それは、腕のいい修理スタッフが殆ど居なくなったこの時代、仕方がないのかもしれません。しかし、だからこそこれからの時代は、修理屋や腕の良い修理屋が貴重で、必要な時代になったのだ、とも言えるでしょう。修理が、喩え割高になるにしても、どう考えても新品を作る場合に比べれば、資源。エネルギー的に負荷が小さいのは当たり前です。例えば、小さなベアリングが痛んでも、機械は動かなくなりますが、軸や歯車を慎重に外し、軸受を交換して、グリスアップして組み立てれば、殆どの機械は新品同様に蘇ります。消耗した資源は、1個か2個のベアリングを作る資源とエネルギーと、少々の作業者の筋肉労働だけです。車は、世の中で使われている台数が多い事もあり、修理技術は維持されていて結構派手な事故車もきれいに直りますが、産業機械や家電品などについては、本当に修理屋が居なくなってしまったのです。これからの時代、修理屋(メンテナンス業)こそこれからの時代に絶対必要であり、しかも右肩上がりの市場拡大が期待できる、数少ない分野だと確信しています。

明日から小旅行のため数日間休稿です。

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2011年9月28日 (水)

1499 湿度考

省エネ研修会で、湿度と体感温度の関係を体感する実習を行いました。ミスナールの式により、理窟では理解していたつもりでしたが、狭い部屋に加湿器2台を持ち込んで、実験した結果は想像以上に劇的でした。実験前は、室温が30℃程度はありましたが、湿度が45%程度しかなかったため、「カラッとした暑さ」でした。そこで、2台の加湿器を作動させ、湿度を上げ始めてみました。効果はテキメンで、湿度が10%程度(つまりは55%程度)になっただけで、同じ温度でありながら、かなりムッとする感じに変わりました。さらに湿度を上げて、65%までなると、その部屋はもうサウナ状態になり、事務仕事でさえも続けられない状態まで激変したのでした。

WBGT計で計ると、3℃以上の上昇を示していたので、湿度の10%の変化は、体感温度ではざっと1.5℃程度の変化に相当する事が「体感」できました。そういう目で見ると、現在市販されているエアコンは、確かに気温は下げたり上げたりしてはくれますが、湿度は気温を下げた結果として(凝縮水になって排出されて)変わるのであり、機械が調節してくれているわけではありません。体感温度は、気温、湿度、輻射温度を主なファクターとして変化しますので、湿度や輻射(夏場は窓や壁や天井から来る熱気)を無視したエアコンは、片手落ちどころか1/3しかコントロールしていないとも言えそうです。

湿度だけコントロールする「デシカント冷房」という考え方がありますが、例えばこのデシカントエアコンで20%湿度を下げると、体感温度で3℃下げたのと同じ効果が得られて、しかも太陽熱を併用すればほとんどエネルギーを使わないでこれが達成できます。上の実験でも分かるように、たとえ気温が30℃でも、湿度が低くカラッとさえしていれば、何もたくさんのエネルギーを消費する今のスタイルのエアコンを動かさなくても、結構快適な室内環境が得られるのです。

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2011年9月27日 (火)

1498 物納

増税論議が盛んです。やれ、増税すれば景気回復が遅れる、やれツケを次世代に回すな、やれ増税は減税とのセットで、などなど。しかし、全てをお金の問題に還元して議論する事には賛成できません。巨額の財政赤字と復興財源を考えれば、いずれにしてもかなりの程度の増税は避けられない話なのですが、考えてみれば物納という手もあるはずなのです。メーカーであれば、復興に資する製品を作って国庫に納入する、サービス業であれば、復興に直接資するサービスを提供する、消費者も被災地の産品を購入する事で、増税分の税金を納めるなどの方法、それもできない人や体力の余っている人は直接的な労働奉仕で払う、などが考えられます。つまり、増税が「直接被災地復興」に向かう事が明確でさえあれば、納税者は納得できるでしょうし、ましてや納めやすい物納であれば、収税も進む事でしょう。

今の様に、税金をお金として集める限りは、お金は一度「訳の分からない金庫」に吸い込まれてから、訳の分からない政策に沿って、訳の分からない目的でお金がばらまかれます。役人は役人で、前年の実績(=既得権)を強調しながら、出来るだけ支出の内訳が分からない様に税金を使う「例のテクニック」を駆使しますので、結果的には税金の一部しか被災復興に向かわない恐れがあります。

お金には色が着けられませんが、物納であれば目で確認できるはずです。裏金を見かけ上きれいにするマネーロンダリングという手法もありますが、「タックスロンダリング」も分かりにくいと言う点では、五十歩百歩でしょう。そうではなくて、人々は、自分が払った税金が、直接的に復興に使われる流れを確認したいはずなので、それを目に見える形にするのが、税金を集める側の責務だとは思います。

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2011年9月26日 (月)

1497 ホタルガ

ここ数日、歩いたり自転車で移動したりしている時に、黒くて、小さくて、羽に白い筋がある蝶を良く見かけます。昼間に飛んでいるのでてっきり蝶だと思ってネット図鑑で調べてみても見つかりません。しかし止まっている姿を見て納得しました。それは蝶ではなく蛾だったのです。蝶は羽を上に合わせて閉じますが、蛾は体に沿わせて後ろに畳むという大きな違いは、虫マニアでなくても常識です。もちろん、大分類で言えば蛾も「蝶目」なので、大差ありませんが…。気になるのは、今この季節に何故同時に多くの個体が羽化するのかという点です。この種では春先にも羽化のピークがある様ですが、秋には蝶や蛾の数が減るので、とにかく良く目立ちます。目立つという事は、天敵である鳥にも捕食されやすいと言う事を意味します。

ところで、ホタルガの名前の由来は、とまっている姿がホタルに似ているからの様です。蛍は、捕食されると強い臭いを出すので、鳥からは敬遠される様なのですが、ホタルガはそれを利用して鳥から逃れているのかもしれません。いわゆる擬態です。もう一つ、秋になると猛烈な食欲を持つ南からの渡り鳥がそろそろ帰り始め、危険も減ってくるので、涼しくなり始めてから出現する方が、生存に有利なのかもしれません。たぶん羽化のきっかけは、台風一過で急激に下がってしまった気温なのかもしれません。

いずれにしても、小型でヒラヒラ愛らしく飛ぶ、黒くて白筋の入ったこの蛾は、頭の中の図鑑にインプットされましたので、今後道で会った時には「挨拶」が出来そうです。

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2011年9月25日 (日)

1496 国境2

国境がお金の洪水を防ぐ堤防として最早その役割を果たせない今、一民に出来る事は限られてはいますが、何もできない訳ではありません。例えば、ある時期に流行ったキャッチフレーズが少しは役に立つかもしれません。それは、Buy Japanese.といった、国産品購買の奨励です。もちろんこの時は、輸入相手国からのしっぺ返しを覚悟しなければならないでしょう。ですから、これは誰にも内緒で、密かに、しかしジワジワと進める必要がある「作戦」ではあります。

もう一つは、食料やエネルギーにおいて、その自給率を高める行動が考えられます。半分を大きく超える率の食料を輸入し、ほぼ全てのエネルギー資源を輸入に頼っているこの国では、20世紀型のお金の流れが狂ってしまっては、もはや国の存続も叶いません。モノを輸出して外貨を手に入れなければ、食料もエネルギーも手に入らないからです。自給率が上がれば、海外に売らなければならないモノの量も少し減ります。国内に産業が育ち、食料やエネルギーのセキュリティも向上するでしょう。これを、キャッチフレーズ的に言うならば、Support ourselves.とでもなるのでしょうか。自分たち自身の食料やエネルギーは、やはりある程度以上は自分たちで支える必要があると思うのです。

取り敢えずは、狭くても庭がある家では、例外なく1坪でも良いので畑を作り、それが無いマンション住まいでも、ベランダに所狭しとプランターを並べて野菜や作物を作りましょう。太陽光発電パネルが買えない家でも、最低でも屋根には太陽熱温水器を載せて、ガスの使用量を半分にしましょう。家庭内の電化製品を見直して、その数を半分にしてみましょう。これだけで、食料の自給率もエネルギーの自給率も、5-10%は改善するはずです。お金の洪水の勢いも、僅かですが弱まる事でしょう。そんな行動を、50年も続ければ、この国も社会も随分変貌すると思うのです。それは、実は20世紀の後半を通じ行ってきた行動の「逆回し」に他ならないのですが・・・。

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2011年9月24日 (土)

1495 国境

当たり前の事ながら、国には国境がありますが、一方お金には国境がありません。もちろん地域通貨だけが流通している限りは、その通貨は(法を犯さない限りにおいては)国境を越えられないのですが、それでは国際貿易は成り立たないので、いわゆる国際通貨が何らかの形で決まってくる事になります。20世紀を通じては、B国の力があらゆる側面で強かった事もあり$がその地位に君臨してきました。EU統合後は€も一部その地位を奪ってきたのでしょう。その結果、あらゆる製品や産物は、事実上自由に国境を越えて取引され、その代価としての国際通貨も自由に往来できたのでした。

しかし、今や実際の取引で動く通貨量に比べ、債権や為替取引という形で国を超えて動く、目に見えない電子マネーの量が、たぶん何桁も多くなってしまったのです。電子マネーが、実質的な通貨の価値を激しく揺さぶり、通貨比較の物差しでもある為替レートを激しく揺さぶります。その影響は、小さな小石で引き起こされた波紋(地域の小さな経済ニュース)が、ネットに乗って瞬く間に世界中に広がる間に、何倍にも「増幅」されます。

国境に塀やバリケードで関門を設ける事はできますが、お金や、まして電子マネーは今やほぼ完全にボーダレスであり、その波紋や洪水を防ぐ事は事実上できない状態です。その意味で、もはやお金は「Tsunami状態」にあるとも言えるかもしれません。その波高は、実のところ年々歳々高くなっている事は間違いないでしょう。何故なら、全通貨量は信じられない勢いで膨張を続けているからです。その額は、もやは「兆」などという単位ではカウントできず、一つ上の「京」など言う単位を持ち出さないと数える事さえできません。しかし、国家予算である「兆」単位なら何となく想像はできますが、それ以上の単位になると、人は数字としては認識できず、アナログ的に「非常に大きな額」としか認識できなくなります。したがって、認識・把握できないその量をコントロールする事も、もはや叶わない相談になります。今の状況は、世界の国々がマネーという「混沌の海」に漂っていると言う喩えが最も近いのかも知れません。ではどうすれば良いのか。続きます。

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2011年9月23日 (金)

1494 彼岸花

春秋に毎年感じる事ですが、彼岸花が季節を感ずるセンサーの巧妙さに感嘆します。想像するに、気温ではなく夜昼の長さを感知しているのでしょうが、それにしてもこの季節、昼の長さ(夜の長さ)の変化率は、精々1日に数分程度しかない筈です。その数分を計り、ほぼ等しくなる直前に、急速に蕾を冠した茎を伸ばし、花を咲かせる訳です。

植物は日中に光合成を行い、例えばデンプンを作って根に蓄えます。反対に、夜はそのデンプンを分解する暗反応が進むのでしょうが、その差をどの様に感知しているかはやはり謎ですが、案外単純なのかもしれません。つまり、夏の間はデンプンが根に蓄積し、秋になるとそのデンプンの分解が進む結果、根に残っているデンプンの量が単純に、開花のスイッチを入れているとも考えられます。もちろん植物がデジタル時計を持っているはずもありませんので、単純な物理量のバランスが指標としては確実だと想像しています。そういえば、アサガオも昼の長さが11時間以上になると、日没後10時間後(つまりは早朝)に開花すると言う話を聞いた覚えがあります。これも、やはり葉の光合成と、夜の暗反応のバランスが開花信号を送っている様です。

こんな事をあれこれ考えているのは、結局のところ、菊の様に電照で開花時期をコントロールして、出荷時期を調整する農業者の工夫をまねて、LED照明などで、葉がまだ日中だ、或いはまだ夏だと勘違いするシグナルを送り、光合成をより多くする工夫が出来ないものかと、ある時思いついたからです。ただし、電照菊の様に、多量の電力を使う方法ではなく、最少のエネルギーで最大の収量を挙げる事が目的なので、植物を「勘違いさせる更なる工夫」が必要でしょう。例えば、光合成は行えないまでも、昼に合成したデンプンを消費する暗反応を抑制する波長と光量の光を当てるなどの工夫です。

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2011年9月22日 (木)

1493 グリーンエネルギー2

グリーンエネルギー(再生可能エネルギー)に関しては、その追い風がますます強まってきています。もちろんそれを後押ししているのは、言うまでもなく原発事故による、エネルギー政策の破たん=需給ひっ迫による行き詰まりです。しかしながら、今のところ国としては、エネルギーシフトについては言葉だけで煽っている状態に留まっている様に見えます。グリーンエネルギーの固定買い取り制度も、今のところそよ風程度にしか作用していない様な気がします。

それは、市場の形成が未熟である事によるところに大きな原因があると言えるでしょう。つまり、十分な取引価格や取引規模が期待できる市場さえ確立されれば、企業が放っておくはずがないと思うからです。市場とは、結局「お金が上手く回る仕組み」の事ですから、企業が参入する条件としては、補助金が無くてもそれなりの利益が生まれる取引量が必要です。最初は、税金を投入しても構わないので(というより積極的に投入すべきですが)、びっくりするくらい高いレベルの取引価格が必要なのです。ヨーロッパでは、電力買い取りの4倍程度の売り渡し価格が設定されました。この価格設定は、つまりはインセンティブなのですが、もちろん市場が拡大するにつれて、この価格差は徐々に縮小されるべきでしょう。そうでなければ、税金を無駄使いする事につながるからです。

さて、問題は中小企業経営者の本気度です。超円高の長期化によって、彼らの事業へのマインドは冷え切っている様にも見えます。そうではなくて、地域でエネルギーを起こして、地域で売る、いわゆるエネルギーの地産地消は、決してトレンドではなくて、「必然」だと認識すべきなのです。超円高で、ガソリンなど見かけのエネルギー価格は確かに下がっていますが、結局内需を喚起できないでグズグズ進む結果、このまま輸出が細れば、最終的には企業は工場を畳むしかないからです。まだ体力がある内、銀行がお金を貸してくれるムードが強いうちに、ぜひ起業すべきでしょう。

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2011年9月21日 (水)

1492 台風

昨晩は目の前の木曽川が溢れそうでした。今朝はその時よりは2m位下がったようですが・・・。さて、今回の最初は小粒であった台風16号が、何故ここまで強力になったかですが、一にも二にも日本近海の海水温上昇に原因がありそうです。沖縄近海で、長い間とどまっている間にたっぷりと湿って暖かい雲を身にまとってから、おもむろに踵を返して本州に向かってきたのでした。この台風は、2000年の東海豪雨を思い出させます。あの時も、名古屋市内を流れるいくつかの川が溢れて、大きな水害を起こしました。北側に停滞する秋雨前線に、台風からの湿った気流が長い間入り続け、大水害を引き起こしたのでした。

日本近海の海水温度が上昇しているのは事実です。沖縄近海でも、海水温の上昇の結果、サンゴの白化が起こっている様で、サンゴの白化は海水温の平均値で1℃以上の上昇で報告されていますので、これを裏付けています。このような、環境変化の指標を「生物指標」と呼びますが、同じような生物指標があるかも知れないので、気を付けてウォッチしています。例えば、海水温で言えばプランクトン相の変化など、地上で言えばダニ相の変化などが考えられます。しかし、これらの分野は「地味」なので人気が無く、したがって研究者も少ないため、手に入るデータも限定的な点に悩みがあります。

さて、台風は紀伊半島をかすめて本州直撃コースを進んでいますが、スピードを上げてできるだけ短時間で通過する事を願うばかりです。

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2011年9月20日 (火)

1491 東北ミニ紀行

今日から「ハーネス」に戻りました。仕事を貰ったついでに、バイクで東北を走り回ってきました。ガソリンを60リットルばかり焚きましたので、環境にはあまり優しくない行動です。秋田での仕事を終え、日曜日朝に走り出しました。あいにくの雨模様でしたが、南に走るにつれて晴れてきました。山を越えて岩手県に入ると、高速道路に所々段差を補修した跡が見え始めました。この日は山形まで入る予定を立てていたので、先ずは津波の被害を自分の目で見ておきたいと思い三陸海岸を目指しました。あまり北に入ると遅くなるので、一番南の石巻に入る事にしました。石巻の手前20㎞位から、空き地には瓦礫の山が築かれ、小規模な仮設住宅も点在し始めます。新市街に入ると、街の様子は全くの日常に見えました。ショッピングセンターや外食店は、日曜日でもあり何処も賑わっている様に見えました。しかし、一歩海岸に近い旧市街に入ると、まだ津波の爪痕を残したままでした。商店は流されていないまでも、2階まで水につかり、手つかずのまま放置されています。信号機は、まだ完全には復旧していないので、辻つじに警官が立って手信号で整理しています。たぶん、この地域は地盤が沈下している事もあり、再開発予定か何かの都合で、復旧が始まっていないのかもしれません。満潮でもないのに、市街地レベル比べ、かなり高いと感じました。川に近い駐車場には、土嚢が高く積まれてもいました。牡鹿半島に守られた石巻でさえこの姿なので、湾口が太平洋に口を開けている、三陸海岸の多くの町々の被害を改めて想像しました。

街の中心に近い高台の日和山公園は、既に「観光地化」していました。つまり、ここに登れば、市街が見渡せて、津波の被害も一目瞭然なのです。観光バスを仕立てて、学生らしき団体や年配者のツアーバスが、何台も狭い頂上の駐車場にひしめいていました。一人で来たとはいえ、彼らとあまり変わらない立場なので、海岸側の何もない旧市街地を確認して、早々に山を降りました。その後松島を見ながら南下しましたが、こちらも海水に洗われたのでしょうが、見た目は島々の松は学生時代に自転車で走った時に見たままで、道路も渋滞が生ずるほど観光客が戻ってきている様で、やや安心しました。仙台市内はバイパスして、山形(蔵王)に向かいましたが、内陸部も道路はかなり被害を受けていて、地震の強大なパワーを感じました。

海岸部の被害を、完全に「復旧」させようとすれば、市街地全部を1m程度土盛りしてから、再建しなければならない訳で、気の遠くなるような歳月(例えば10年から20年)が必要かも知れないとも感じました。仕方がないので、先ずは腰を据えて、しっかりと長期の青写真を描きながらボチボチと戻していくしかないのでしょうが、当面コミュニティを仮の姿で維持しながら、本来の形に戻していくしかないとも思いました。コミュニティは一度崩壊すると、建物やインフラの再建以上に、その修復が困難だからです。先ずは、三陸産の魚介類や産物をできるだけ多く食べる事など、長続きする日常行動でこの地域を支援しようと考えました

さてその後は、山+温泉モードに入ったので、ここでは省略します。

 

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2011年9月15日 (木)

休稿

出張のため数日間休稿です。

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2011年9月14日 (水)

1490 グリーンエネルギー

グリーン原料を使ったグリーン産業のエネルギー源は、言うまでもなくグリーンエネルギーでなければなりません。電力に色を付けられない限り、原発や火力発電所で作られた電力に、僅かばかりのグリーン電力を混ぜたものを使うわけにはいかないでしょう。望ましくは、グリーン産業を興す地域で、その産業に使うエネルギーを調達したいものです。とはいいながら、グリーンエネルギーは必ずしもグリーン電力は意味しません。産業活動には、電力の他に熱エネルギーや機械エネルギーも同時に必要ですので、工夫をすれば、地元調達の可能性も広がるはずなのです。熱エネルギーについて言えば、バイオマス自身が熱源になってくれるでしょう。つまりは薪炭です。これを、現代の技術でスマートに燃やせば、ありふれた重油ボイラと同等の使い勝手で利用できるはずです。

機械的エネルギーについては、小水力や場合によっては風力、ソーラータワーとタービンとの組合せによる太陽熱も併せ技で使いたいものです。短時間・小規模であれば、人力や畜力も考えられるかもしれません。グリーン原料は、グリーンエネルギーと組み合わせてこそ、その意味があると言えるからです。

グリーンエネルギーの大元は、もちろん太陽光です。太陽熱と、太陽光と、太陽光発電を上手く組み合わせて、グリーン産業のエネルギー源とするためには、何もハイテクが必要な訳ではありません。むしろ、例えば江戸時代などの先人の知恵に、現代の技術を組み合わせるだけで勝負できるとみています。そのためには、絶対に必要なエネルギーを吟味しつつ、それを必要なタイミングで、必要なだけ生み出すことが求められるだけです。

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2011年9月13日 (火)

1489 グリーン原料

持続可能な産業の原料として、想定されるのは、植物(生物)が作り出す資源(バイオマス)です。これは、土壌+水があって適当な温度(望ましくは平均15℃程度)があって、太陽光が降り注いでいる限り、持続可能に生産され続けます。したがって、人間がこの条件をぶち壊さない限りにおいては、100年後も1000年後も持続可能性の点では、文句はつけようがありません。したがって、グリーン原料と呼ぶ事が出来るでしょう。空気(酸素や窒素や炭酸ガス)水も、それを汚さないで、環境に戻す限りにおいては、グリーン原料と呼べるでしょう。

しかし、これ以外の原料は、実のところ使えば減る(無くなる)原料だと考えるしかありません。しかし、これらは物質として地上から消えて無くなる訳ではありませんので、もしこれらの資源を、純度を劣化させる事なしにリサイクル可能であるならば、それもグリーン原料と呼べるかもしれません。しかし、これは非常に困難を伴う技術と呼ぶしかありません。例えば、資源としての金と銅があるとします。しかしこれを色々な割合で合金する事は容易ですが、逆に合金された金銅を、純粋な金と銅に分離する事は至難の技だと言えるでしょう。それは、さながら間違って混ぜてしまった、砂糖と塩を分離しようとする努力にも似ています。砂糖と塩ならどちらも調味料で、水に溶けるので、まだ分離方法は工夫できる可能性もありますが、では砂糖と石灰ならどうでしょう。

いずれにしても、バイオマス以外の原料は、100%完全なるリサイクル技術が確立されている場合以外は、やはり消耗資源でしかありません。とは言いながら、バイオマスは原料としてはほぼ水と空気から作られる物質でありながら、その膨大な賦存量と多様なバリエーションには、感動するしかないでしょう。例えば、植物は炭化水素とタンパク質(アミノ酸)など単純な物質を使いながら、信じられない種類の物質を生み出しています。木材に限っても、主なものだけでもセルロース、リグニン、ヘミセルロース、タンニンなどなどがありますが、驚くべき事にそれらは樹種毎に組成が微妙に異なっているのです。しかも、その複製(再生産)仕組みは、それ自身の中にあるDNAに完全にプログラムされている訳です。

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2011年9月12日 (月)

1488 何で食う

新しい産業興しが必要だと以前から思っています。しかし、これまでの国や企業のR&Dの動きは、例えばITや航空宇宙や、ナノテクなど、いわゆるハイテクと呼ばれる分野の技術をテコにして、新たな製品を作り出す、非常に偏ったものだった様な気がします。例えば、航空宇宙産業はスペースシャトルを生み出し、宇宙ステーションに人を滞在させる程度までには技術を高めましたが、しかしそれが単に、無重力に植物の種を保管して地上での発芽の影響を見る、無重力下で骨の脱灰(骨粗鬆)の進行を観察する、地上と交信して子供たちの夢を掻き立てる、或いは自分に聴診器を当てて、遠隔診断を可能にする程度の実験に留まるのであれば、即刻プログラムを中止していただき、そのお金はぜひ震災復興に振り向けたいものです。ましてや、スペースシャトルや宇宙ステーションの製造技術から、新しい民生向けの製品が生まれたと言う話をついぞ聞いたことがありません。多額の税金は、何を生み出すために費やされたのでしょうか。

そうではなくて(技術先行ではなくて)、ニーズ先行で、しかも今後数百年を見越しても、持続可能性の高い製品を、知恵と工夫とアイデアを使って、育て上げなければならない時代だと思うのです。ニーズには、しかし根源的な(衣食住に関するもの)と、やや或いは非常に贅沢なニーズ(我儘に近いもの)がある事には注意する必要があります。好きな時に、好きな場所に移動したいと言うニーズは、どの様に考えてもやや贅沢で我儘に近いと思われます。そのニーズを充足させるための製品、例えば車は決して根源的なニーズに基づいた製品であるとは言えません。

では、今後必要な新しい産業とはどのようなものになるのかですが、それは兎にも角にも、先ずは身近で手に入る持続可能な資源を使って、日々の生活に密着した高いレベルのニーズに基づいた製品を生み出す産業という言い方になります。具体的に言えば、日々の衣食住を思い返し、それらを支える製品、商品がどの様に資源とエネルギーの無駄の生みながら作られたかを想像すれば、それを回避するための新たな産業にも思い至るはずです。間違いなく、それらは多様で、かつ小規模である必然性もあるので、それらを興すにそれほど高いハードルも存在しないでしょう。続きます。

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2011年9月 9日 (金)

1487 数値目標

省エネでも、その他の企業目標でも、数値目標を立てるのは日常行われている事ですが、残念ながら肝心の数値自体の計測は、ほとんど行われていないのが実情でしょう。例えば、ある企業が電力削減の数値目標を立てたとしましょう。しかし、その評価は精々月々の電力会社の請求書から、使った電力を管理表に書き写すのが、担当者の仕事で、経営者はそれを眺めて、先月はまだ削減が足りないと、工場長を呼びつけて小言を言って終わる事でしょう。

そうではなくて、数値目標を立てるからには、最低でもその数値を自前で計測できなくてはならないと思うのです。電力計は、最近便利な小道具が安く手に入る様になりました。Oムロン社などが出している、電力量をメモリーカードにも記録できる掌サイズのモノがお勧めです。これをパソコンに取り込めば、時間的な変化やピークや平均値が、何の苦労も無しにグラフ化(見える化)できます。ピークを下げれば、直ちに契約電力量も下がり、月々の基本料金も下がります。平均値を下げるためには、系統別の電力量を1週間単位で、計測しそれを重ねあわせれば、概略ですが系統別(設備別)の電力の切り分けが出来ます。切り分けさえできれば、割合の大きな部分に焦点を当てた省エネが出来易くなるので、得られる効果も大きくなります。

しかし、もし節電努力が単に「昼休みはできるだけ消灯しよう」とか、「冷房温度は28℃で控えめにしよう」など言う(標語)目標を、目標として掲げている限り、その企業の省エネは何年たっても進まないはずです。その目標が数値である限り、出来ればリアルタイムで、それが出来なければ可能な限り短い時間単位、設備単位で、計測できなければ、目標値は単に掛け声に過ぎなくなります。多くの設備には、温度計などの計器は付属しているでしょうから、追加で流量(あるいは電流値)さえ読み出せれば、エネルギーの定量評価は容易にできるのです。10日、11日は旅行不在につきアップはありません。

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2011年9月 8日 (木)

1486 経験値

ヒトは幸いにも進化の過程で優秀な頭脳を授かりましたが、残念ながらその脳の想像力の及ぶところは、自分の経験の及ぶ範囲に限定されます。それを補うのが、先人が残した膨大な書籍や、近現代の論文や文献ですが、それらは逆に膨大過ぎて、多くの人はその存在すら知らずに日常を暮らし、死んでいきます。書いてある経験を書物から引き出すのは、大変な時間が掛かる作業なので、例えば災害や事故が起こった場合に、直ちに打つべき対策を、書物や文献に問うていてはとても間に合いません。その意味では、多くの書物や文献は、死にそうな(あるいはあまり活きが良くない)知識だと言えます。そうであればなおの事、今生きている世代から、少なくとも次の世代へは、口伝でも「生きた経験」や知恵を引き継いでいく必要があります。

その経験の深さは別にしても、一度経験をしておけば、それに似た新たな事態に対しては、パニックになる事なしに対応が可能となります。この国の不幸は、小さな放射能拡散を含む原発事故が殆ど起こらなかった結果、今回の大事故に際して、非常事態への対応がお粗末だった事にあるのかもしれません。というよりも、事の重大さの認識が弱かったと言い直しておきましょう。小さな経験は、大きな異常事態のシビアリティの見積を容易にします。地震に対しては、この国の国民は、ほぼ十分な経験を持ち、対応可能でしょう。しかし、津波や甚大な原発事故に対しては、その事態の重大さを見積る「物差し」をほとんど誰も持ち合わせていなかったと言えます。

経験や経験値は、非常事態の大まかな見積には非常に大切ですが、残念ながら今後に関しては、悲観しています。多くの人々は、テレビやネットや書物で、多くの事を「経験した積もり」の状態で満足しているからです。経験は、その場に居て、五感や第六感も総動員して、体で感じなければ完了する事はできません。脳は、体からの五感情報でしか事態を判断できない「灰色の盲目の臓器」であることを忘れてはならないでしょう。

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2011年9月 7日 (水)

1485 除染

原子炉からの放射能放出のリスクも一段落したように見える昨今、既に放出されてしまった放射性物質の除染が本格的な議論になってきました。除染とは文字通り、例えば汚染された土壌から、放射性物質を分離して、放射線のレベルを下げる事ですが、言うは易くて、実行は非常に困難な作業だと言えます。何より、放射線を出している物質は目で確認する事はできませんので、計器で計りながらレベルの高低を判別しながらの作業になるでしょうし、土壌ではその汚染レベルが土の深さ方向に大きく変化していますので、どこまで取り除けば「本当に安全」かの判断も難しいからです。直感的にも分かるように、モノをまき散らすのは非常に簡単ですが、一度散乱したものを、純粋にかき集めるのは非常に困難です。

急いで開発しなければならないのは、新たな除染技術です。既にいくつかのアイデアや実験は始まっていますが、十分ではありません。何は無くとも国や東電が音頭を取って、研究機関や大学や企業に、ニンジンをぶら下げて技術開発を促進させなければならないでしょう。分離技術には、いくつかのパターンが考えられますが、原理はそれほど多くはありません。土壌の場合、実用的には、放射性物質を多く含んでいる粘土層を水中で比重差などを利用して分離する方法、或いは放射性セシウムなどの汚染物質を、酸などで化学的に処理し、親和性の高い物質と結合させて分離するなどの方法しか思い当りません。

加えて、取り除いた結果、逆にレベルが高くなってしまった放射性物質の処理方法の確立も必要です。方法としては埋め立てくらいしかないのでしょうが、大量の土砂を長期間安定的に埋め立てる技術は、新たに開発しなければならないでしょう。この国には、残念ながら人里か遠く離れた、例えば砂漠などのスペースは存在しません。そうであれば、その技術はできるだけ深くて大きな穴を、出来るだけ安価に掘る技術になる筈です。しかし、その埋立地近くに住む人たちからは、強い反対も受けるでしょうから、多くの人が納得できる合理的説明が出来るシステムでなければならない点、ハード面以外に更なる工夫も必要です。立坑よりは、掘りやすい水平トンネル方式が現実的でしょう。日本には多くのトンネルボーリングマシンもあるでしょうし、技術の蓄積も豊富ですから…。

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2011年9月 6日 (火)

1484 食べ物と絆

衣食住とはよく言ったもので、とりわけ食の重要性については改めて強調するまでもありません。それにしても、今回の震災や原発事故後ほど、食料の供給や安全について、生産者と消費者の関係について、真剣に議論された事はかつてなかった様な気がします。確かに、カビ米や食中毒菌や狂牛病などの病原菌などで食糧が汚染され、しばらくの間マスコミを賑わした事は何度もありましたが、取り敢えずそれらは影響の及ぶ範囲が限定的で、原因となった食品を廃棄すれば事態は収拾できたのでした。

しかし、低濃度で放射能汚染された食料は、その「しきい値=安全性の限度」が必ずしも明確ではない事もあり、しかもその影響が非常に長期に亘る事が確実な事もあり、影響の及ぶ範囲や期間の限定が事実上存在しない種類の汚染だと言えます。極端な例を挙げれば、1950年代や60年代に大国がこぞって行った、大気中での原水爆実験で放出された放射性物質は、いまだに自然の放射能レベル(バックグラウンド)を僅かながら押し上げていると言う事実もあります。

さて。この時代、農家と消費者の絆は「流通業者」によって分断されていると言って良いのかもしれません。一部、産直の食糧を拡大する動きはあるにしても、ほぼ全ての食料は、大小のスーパーマーケットやSCで購入されているはずです。食品パックの裏側に、国産か輸入か程度は表示されているにしても、それらはホンの参考情報に過ぎません。その意味で、事実上多くの食品のトレーサビリティは、流通業者によって切られてしまっていると言っても過言ではありません。もし、全ての食品のトレースを行おうとすれば、予め山地で食べても無害な微小ICチップを食品に埋め込んでおいて、スキャナーでそれを読み取ってから購入するしかなさそうです。それとて、悪用しようと考える輩が居れば、簡単に切れてしまう絆であるとも言えます。結局、私たちは自分が自転車で行ける範囲で生産された食料を主体に、食生活を組み立てる以外に、生産者との絆を確保する適当な方法は見当たらない様です。

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2011年9月 5日 (月)

1483 脳化社会の意味

養老孟司の著書の言葉の中で、印象に残っているものの一つが「脳化社会」です。氏は、自然物以外のあらゆる社会システムやインフラ全ては、人間の脳が作り出したものであり、いわば脳化社会だと断じています。それで何が悪いかですが、投稿者なりの解釈では、人間がその浅知恵で作り出したものには、必ず欠陥が隠れており、事態が上手くいっている時にはそれが見えませんが、一度状況が変化し事態が悪化すると、それが水面下の岩礁の様に顔を出します。通常社会システムとしては、欠陥を修正、或いは欠陥の悪影響を最少化するために、法律を定めます。その意味で、ほぼ全ての法律や法令は、「何々してはならない」、「何々をしなければならない」と書いてある「対策法」となっているはずです。

しかし、一旦脳化社会を離れ、自然の中に身を置くと、自然の仕組みの巧みさに、感動せざるを得ない自分を発見します。それは、何億年という時間を惜しみなく使った自然の、「必然性のある仕組み」の一端を発見する事から来る感動なのでしょう。一方で、僅か数千年間で、さらに言えば今ある多くのものはこの数百年の間に、人間の頭の中で作られた仕組みは、どれも底が浅く見え、欠陥だけが目につきます。社会システムの欠陥の例は枚挙にいとまがありませんが、最近の例としてはやはり原発事故を挙げておきましょう。震災を引き金に起こった甚大な原発事故を振り返れば、今後原発を動かし続けるためには、今ある法律にさらに山ほどの法律や規則を追加しなければならない事でしょう。

脳化社会の最大の欠陥は、つまりは頭の中で考えられる以上の事態を、無視してしまう事にあります。それを「想定外」などと言い訳しますが、原発の「現実のストレステスト」は、地震国の日本では僅か40年の実績しかありません。今後、どの様な「頭の中で考えたストレステスト」を実施するにせよ、所詮それは脳が考えた範囲を超えられるものではない事は自明です。

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2011年9月 4日 (日)

1482 自然の猛威

今回の台風は、自然の猛威という言葉を、再認識させるものとなっています。合計1000㎜(1m)を超える降雨が数日間にも亘ってふり続ける状況は、一生の内でも何度も経験できる現象ではありません。人生60-70年に一度の現象であれば立派な異常気象と言えるでしょう。これは、何度か書きましたが、北極気団の弱体化と無関係ではありません。9月に入ってからの台風は、日本に上陸したとしても、その後は偏西風に流されて、急速に速度を速めるのが普通ですが、このたびの台風はこの傾向に反しています。それは、偏西風がこの時期としては異例に北を流れているからです。偏西風は、極気団の縁を回る気流ですから、これが北を流れていると言う事は、気団が縮小している事を意味します。

風と桶屋の関係を引き合いに出すと、極気団が小さくなっているのは、夏場の極の気温が比較的高かったからでしょうし、その原因は結局北極海の浮氷の面積が小さくなって、北極海が(沈まない太陽によって)しっかり暖められた結果だと想像できます。極地方の異変が、中緯度地方にも影響を与えるのは、つまりは地球規模の熱循環が崩れつつあることの証左でしょう。台風は、南方の海にたっぷりと降り注いだ太陽光エネルギーを、相対的に気温が低い、極地方に運搬する自然の熱コンテナだと言えます。蒸発と上昇気流によって大量のエネルギーを抱え込んだ渦を形成し、緯度の高い地方で降雨によってそれを放出し、地球の気温を平均化しようとする自然の巧まざるカラクリなのです。

しかし、既に夏場の極と低緯度の気温差が縮小している近年の状況では、この日射エネルギーを極地方まで運ぶ必然性も小さくなり、結果として中緯度地方で放出してしまう事にもなってしまっている様なのです。この状況が、果たして人間の活動(CO2の過大な放出)によるものなのか、或いは他の要因(例えば太陽の活動の変化や地球の歳差運動など)との組合せによるものなのかは、さらに長期の気象変動を観察する必要はありますが、例えば過去50年の気象と比較すれば、明らかに有意な変動が生じている事は疑いないところでしょう。

 

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2011年9月 3日 (土)

1481 波?

経済が循環する波かと問われれば、経済に素人の投稿者ですが、「今まではそうだった」と答えたいと思います。これまでも、この国は何度かの経済の減速を経験してきました。景気を波に喩えるならば、不景気は波の谷間を指しますが、幸いな事に私たちは都度それを克服してきた様にも見えます。しかし、不景気の前後で、社会や経済が完全に連続であったかを思い起こすと、そこには社会や産業構造の「脱皮」もあったと思うのです。石炭・鉄鋼産業から造船産業を興し、さらに電気・電機産業で外貨を稼ぎ、航空機を作り、エネルギーや鉄道などの社会インフラを輸出し、ITやハイテク電子機器の産業を興して、その都度不況を切り抜けてきたはずです。

つまり、景気を波に喩えるのは、決して良い比喩ではないと言えそうなのです。では、今後はどの様に考えて行けば良いのかですが、どの様な道筋で考えても、国や社会の持続可能性を高めるためには、ひたすら体質改善に努めるしかないと思うのです。ここで言う体質改善とは、社会システムや個人生活をシェイプアップする事に他なりません。

景気が波であるにせよ、そうでないにせよ、身を軽くしてそこに漂えば、例え飲みこまれても自然に浮き上がってくれる事でしょう。そうでなければ、景気の谷間で沈んでしまうしかない訳です。身を軽くするとは、企業では文字通り設備投資を抑えた、軽快で借金の少ない経営を指すでしょうし、個人ではモノをあまり持たず、身の丈で暮らす質実な生活を意味します。

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2011年9月 2日 (金)

1480 対症療法

震災後の経済減速や超円高などの大きな変動要因への対応で気になるのは、ほとんどの打つ手が対症的なものであると言う事です。変動をキャッチして修正するのは、自動制御で言ういわゆるフィードバックですが、これが機能するのは、変動をできる限り早期に感知し、間髪を置かずに修正する場合だけです。もし、修正が遅れれば、変動は大きく振れ、好ましくない幅の逸脱、つまりはオーバーシュートが生じます。変動はできるだけ小さな内に感知する事が必要で、時間的な遅れは急速に事態を悪化させるでしょう。

ヒトの健康でも同様の事が言えます。人体での状況変化のオーバーシュートとは、つまりは病気の状態を指します。痛みや症状が出て、病気になってから病院に駆け込むのが、正しい行動かといえば、もちろんそれは遅きに失しているでしょう。体が重い、寝起きが悪い、便通が不規則だ、といった軽い異変が出た段階で、適正に診断を受け対策を打てば、多くの場合は病気に陥らないで済むはずです。

さて、この国は既に病気になっているのではないか、と疑われます。それを適切に診断し、対応を指示してくれる人はあまり見当たりません。何故なら、多くの経営者や経済学者やエコミストは戦後の高度成長期以降に起こった事しか体験していないからです。それ以前の話は、本で読むしか知りようがない訳で、既にそれは「歴史」になっているのでしょう。したがって、いま世界で、この国で起きている負の現象は、いわば未知の症状とも言え、対処方法も手さぐりにならざるを得ないと思われます。しかも、これは何か一つ(例えば経済政策の失敗)が原因となっている症状ではなく、戦後を通じて、いわゆる「社会の体質」が変わってしまったことが原因の、「生活習慣病」に他ならない訳で、その治療には、生活習慣の改善から始める必要がありそうです。具体的に言えば、経済規模を縮小しながら、財政を均衡化させるという、新たな社会システムを構想しなければならないでしょうし、そのための10年、20年レンジの中長期の取組みも必要でしょう。

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2011年9月 1日 (木)

1479 押し込み型生産

作られた需要を支えるのが押し込み型生産です。この生産形態の進展は、T社の生産性の向上の優れた仕掛けであるJIT生産の普及に負うところが大です。つまりは、ピンと張ったサプライチェーンを構築する事により、少なくともラインからは徹底的に無駄が省かれたからです。しかし、整然としたラインからは毎日まいにち一定量の製品が市場に押し込まれる事になります。このシステムは、確かに生産には無駄が無いのでしょうが、ライン在庫が極端に少なく、例えば災害時などの緊急事態には、底の浅さが露呈し、直ちにライン停止に追い込まれます。

これと対局をなすのが、注文生産でしょう。注文を受けてから、資材調達の情報が流れ、ラインの生産計画にそれが追加されます。材料の入庫により生産が始まり、製品の種類によって、例えば1週間或いは1か月で出荷される事になります。しかし、注文生産が機能するのは、この時代では大型の設備製作か、或いは職人が手作りする様な伝統工芸品やクラフト品に限られる事になってしまいました。考えてみると、伝統工芸品の工房には、実に多くの原材料のストックが見られるはずです。木工の世界でも、たぶん数年分のストックは普通ではないかと想像しています。何故なら、木材工芸では、木材を自然乾燥させ、木の狂い・反りを出しきってしまうためには、少なくとも数年間の季節変化を通過させなければならないからです。数年分のストックは、生産側に、原材料供給面で十分な安定性をもたらします。

押し込み型の生産においては、しかし残念ながら朝の生産開始に合わせて、原材料は前の晩に運び込まれますので、ラインストックは精々半日分かそれ以下になっている事でしょう。ラインを安定的に運用するために、しかし結局は部品メーカーに数日分か数週間分のストックを持たせ、製品倉庫や問屋にもやはり少なからぬ在庫を強要する事になります。つまり、押し込み型生産は、非常に硬直化したシステムだと言うしかありません。右肩上がりの時代は機能したこのシステムも、経済の縮小局面では、逆にリスクの大きさだけが目立ちます。それは、春先の震災後の状況を考えまでもなく、中越地震の比較的規模の小さな災害時でさえ、車産業には多大なインパクトが出たのは記憶に新しいところです。結局私たちは、今後の縮小均衡社会に最も適したJITに代わる生産システムを、改めて工夫し直さなければならない時期に至ったと考えています。

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