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2011年10月12日 (水)

1511 合理主義の限界

20世紀は科学の時代だったと言っても良いでしょう。実際には、その前の世紀から始まった潮流でした。科学は、物理や数学などの公理や定理や法則に従った合理的学問であり、一見誰にも否定しようがないようにも見えます。話題になった光速より早い粒子の存在も、今のところアインシュタインを否定するところまでは確かではありません。しかし、穴の無い様にも見える科学の合理性も、所詮は森羅万象に対して人間の頭の中で組み立てた、自然界への理解の一側面に過ぎない事は認めなければならないでしょう。人知を超える現象などは、実のことろ珍しくもなんともありません。一握りの土の中で蠢く、虫眼鏡でも見えない微生物たちの「生活」などは、「彼ら」の多くが特定・命名すらされていないものが殆どであることを考えれば、何も分かっていないとすら言えるでしょう。時々テレビの特集番組で扱われる、超常現象と呼ばれる殆どはカメラトリックやフィクションかも知れませんが、それでもその中のいくつかは、底の浅い科学では理解が出来ないが故に否定的に扱われている様な気もします。

つまりは、理窟で理解できない事は、合理主義の塊である脳みそにも理解が出来ませんから、存在しない事と同じになってしまうのです。環境問題に関しても、同じような事が言えます。環境とは、私たちを取り巻く自然界全体=森羅万象ですから、所詮はその全てを理解する事はできません。その証拠には、科学はいまだに人工の植物を作り出し、それが作り出す一握りのデンプンすら手にしてはいないのです。精々、遺伝子操作などの姑息な手段で、これまでとは少し性質の異なる「兄弟」を作る程度の技しか持っていません。

脳が合理的判断に従わないのは、非常に強い激情に襲われた時くらいでしょう。私たちは、しかしこの「完全ではない科学」を使って生きるしかできません。何故なら、ヒトは、正しいにせよ、間違っているにせよ、ほとんどの場合合理的な判断を下す能力しかない脳を与えられているからです。そうであれば、私たちは「科学が完全ではない」事を認めた上で、それを上手く使って生きていくしかないとの結論になります。

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