« 1530 超貿易社会 | トップページ | 1532 ブータンシボリアゲハ »

2011年11月 1日 (火)

1531 経験という引出し

本から学んだ知識は、いわば引き出しの見出しの様なもので、引き出しの中身は「経験」でなければならないと考えています。しかし残念な事に、人が一生の間に経験出来るエピソードの数は、非常に限られています。色々な国を放浪して、数々の職業を経験し、多くの人々と交わればそれはある程度は満足されるのかも知れません。それを補うものとして、たぶん本やメディアがあるのでしょうが、それは何処まで行っても疑似体験でしかなく、知識の範囲にとどまります。

経験や体験は、何は無くともその場に居合わせて、それを目撃し、その場の空気を吸い、音を全身で感じ、出来れば手で触って感触を確かめなくてはなりません。つまりは、五感を総動員して味わって記憶する必要があります。もちろん、何も世界中を歩き回らなくても、考えてみれば毎日行動する範囲内でも、立ち止まって注目しないが故に、見逃してしまう貴重な体験のチャンスは多く転がっている様にも思えます。要は、立ち止まってしっかり観察する事で、得られるものは非常に多いのではないかとも思います。

さて、道端の外来種の植物や、見慣れない昆虫や鳥等、観察すべき対象は非常に多くあるでしょうし、例えば何の特徴も無いような、ありふれた工場でさえ、しっかりと観察すると、結構興奮する発見があるものです。この数年、自営業=自由業になって、その気になりさえすればしっかり観察できる時間が取れる様になって、初めて気が付いた(つまりは、それまで目には入ってはいたけれど認識していなかったもの)が非常に多い事に、改めて驚いています。経験という引出は、日常の細かい観察からでも、十分幅を広げ深める事が出来そうです。

|

« 1530 超貿易社会 | トップページ | 1532 ブータンシボリアゲハ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 1531 経験という引出し:

« 1530 超貿易社会 | トップページ | 1532 ブータンシボリアゲハ »