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2011年11月21日 (月)

1551 50年後の社会

1546で書いた底なし沼に沈む事を避けるために、何が必要であるかは、このブログでも縷々述べてはきましたが、結局は泥沼の水抜きをして、地固めを行う事しか方法はないと思うのです。たとえ話の「泥沼の水抜き」を、現実に社会に戻して考えると、それは「モノの裏付けがない価値」の縮小を意味します。モノの裏付けがない価値とは、当然のことながら、債権や有価証券や歳入の裏付けがない赤字国債などのペーパーマネーや電子マネーを指します。

これらの、「数字だけの価値」の氾濫が現実の社会の泥沼化を招いている事に関しては、あまり異論がないでしょう。ではそれらの水増しされた価値は、一体どこから生まれたのかを考えてみれば、間違いなくヒトが持つ金銭欲に源を発している事もまた間違いないでしょう。古くは、イギリスで始まった不安定な海運業に掛けられた貨物保険の仕組み、新しくは株式会社への投資がありましたが、少なくともそれらについては裏付けがありました。しかし、今行われている多額の金を借りてまで投資を行う様な金儲けだけが目的の経済行動は、やはり経済の拡大局面で20世紀に急拡大した好ましくない行動の一つでしょう。

取り敢えずは、放漫経営による赤字や投資目的の借入を「社会悪」として、早急に駆逐しなくてはなりません。替わって、基本的で社会に不可欠な産業と環境を保全・維持するための投資は、子孫へ渡す財産として、ますます拡大しなくてはならないはずです。50年後のあるべき姿を描き、今そこに向かって舵を切らないと、泥沼はますます深く、邪悪になるとみなければなりません。

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