« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月31日 (土)

1677 夏冬型気候

この国の良さの一つに、春夏秋冬の四季がはっきりしている点が挙げられます。しかしながら、投稿者が密かに心配しているは、今後は春秋がほとんど無い、夏冬型気候になるのでは、という推測が現実になる事です。その推測の根拠は、北極海の浮氷の現象です。減少するとはいっても、流石に日が当たらなくなる季節には、北極海は結氷します。夏場に大きな面積で浮氷が焼失し、逆に冬場には薄い氷で覆われるという季節サイクルを前提にすれば、夏場は海洋高気圧が高い緯度まで持ち上がり、冬は極気団が日本辺りまですっぽり降りてくる事になり、暑い夏としっかり寒い冬が短い春秋を飛び越して繰り返す事になるかもしれません。

つまり、これは、今は緯度の低い地域で観測される、乾季と雨季の「二季気候」が、日本辺りまで上がってくる事を意味します。緯度の低い地域では、乾季と雨季ですが、緯度が高くなると「夏冬型気候」になる訳です。何故なら、高緯度地方ほど夏場の日照時間が長くなるので、寒気さえ降りてこなければ、気温は結構高くなるからです。

本当にこの兆候が強まりつつあるかどうかが確認できるとすれば、今年の寒い春が急速に過ぎ去り、あっという間にすぐに暑い夏になると言う気候変化を目撃する時でしょう。もちろんこの推測が大きく外れる事を願ってはいますが…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月30日 (金)

1676 ガソリン価格

ガソリン価格の上昇が止まりません。数年前(2008年夏)の瞬間最大値は、たぶん170円を超えた様な気がしますが、その異常値を切り捨てたトレンド値(高原値)は155円前後だったとみています。実はピーク価格は問題ではありません。長期的な価格上昇のトレンドこそが重要なのです。その意味では、ガソリン価格は短期的には上昇下降を繰り返しながら、毎年6-7円の幅で上昇するトレンドカーブを描いている様に見えます。仮定しても、それから3年以上経過している現在は、それを軽く突破してもおかしくはないでしょう。事実、通常から価格が高めの地域ではすでに160円を突破している様です。この傾向は定着し、今後とも140円台前半には戻れない様な気がします。

その価格上昇圧力の原動力は、相変わらずダブついている投資マネーと、それと同程度の押し上げ圧力となっているのは、C国を中心とする途上国のガソリンのガブ飲みです。とりわけC国においては、毎年1000万台もの新車登録がある訳ですから、それぞれが例えば年間数百リッターのガソリンを消費するとしても、ガソリン消費量の毎年度増加率は尋常ではありません。エネルギー増加率は、ほぼ経済成長率に連動しますので、この国だけでも大雑把に言えば毎年10%レベルで増加を続けている事になります。

さてそれでどうするかですが、消費者が出来る唯一の抵抗手段は、ガソリンを買う量を減らす事しかありません。震災の時に、必要とするガソリンが買えない被災者を助けるために、私たちは不要不急の給油を我慢したではありませんか。出来ない相談ではありません。消費量に頭打ち感が出ると、価格の上昇圧力は弱まるはずです。余剰マネーは、利潤を求めてその他の地下資源や食糧に向かって流れるでしょう。ガソリンの消費を減らす方法は簡単です。不要不急の要件で、車を動かさない事です。先ずは、自転車や歩きで移動する楽しさを、ぜひ見つけましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月29日 (木)

1675 PM2.5

あの環境汚染が著しいC国でさえ、ここにきてPM2.5の規制を打ち出してきました。PM2.5とは、数ミクロン以下の微粒浮遊粉じんのことで、5ミクロン以上の大きさの粉じんが、気道にある繊毛で補足されるのに対し、それ以下の微粒子は肺の奥深くまで達し、肺胞に付着する性質があります。肺胞に付着した粉じんは、もはや排出される事はなく、異物として肺組織の細胞に取り込まれてしまいます。もちろん無機物の場合は細胞内で分解されませんので、死ぬまで肺に留まり続ける事になります。

粉じんの形状や生体との親和性にもよりますが、場合によっては石綿繊維の様に発がん性を発現する場合もある様です。PM2.5の主な発生源は、化石燃料の燃焼によるものですが、とりわけ車の排ガスに含まれるものが、量も多くかつ多種類に及ぶことから、中には有害なものも多い事が懸念されます。

かつて、有鉛ガソリンを燃やしていた車や、性能の悪いディーゼルエンジンの排気ガスや亜硫酸ガスなどを含む工場排煙による、喘息や呼吸器疾病を伴う大気汚染公害が、裁判を伴う社会問題となって、大気汚染には懲りているはずのこの国が、諸外国の動きに押される形で、やっとPM2.5にも社会の目が向き始めたのは、遅きに失した感があります。PM2.5は、非常に高性能の粉じん対策用マスクでも着用しない限り、体内への侵入を防止する手段がありません。発生源から絶つしか有効な対策は無いはずなのです。その対策を考え様にも、十分なデータさえまだ殆ど整備されていないのが現状です。先ずは、車や工場からのPM2.5の排出量と大気濃度の実態調査から始める必要があります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月28日 (水)

1674 秋田で考えた事

25-27日は仕事で秋田に行っていました。秋田は生まれてから学校を出るまので20年暮らした故郷でもあります。滞在中の天気はといえば、春3月とはいえ、冬型気圧配置のため、曇り時々雪・霰でした。県の海岸沿いは、田畑の雪も殆ど消えていますが、北や内陸では、まだしっかりと根雪が残っています。風が吹くと体感温度は急激に下がります。道路は凍結していませんので、プラス数℃なのでしょうが、湿度も高く底冷えがします。

しかし、秋田に限らず、東北には無限の資源がある事をとしみじみ再認識しました。山を見れば先人が植林した山々(手入れは出来ていませんが)、海を見れば大陸から吹き降ろしてくる風や押し寄せる波、冬でも凍らないで流れる大小の川、有り余るだけの雪、農業から出るもみ殻や農業残渣、すこし地面を掘れば温泉が湧き、夏は北ほど日も長くなり気温も結構上がります。こんな地域で、化石燃料を燃やし、電力を使って暖房や給湯をしている現状を見て、やはり何かが間違っていると、改めて考え込みました。

やるべき事は、山ほどあると思いました。断熱材が薄い安普請の建物で、多量の冷暖房のエネルギーを使うのは絶対にレッドカードです。ならば、出来る限り安価に高断熱にリフォームする事業には追い風が期待できるでしょう。同時に、耐震工事も行えば、一石二鳥なので、工事費のハードルも更に下がるでしょう。小規模な太陽熱やバイオマスやマイクロ水力やマイクロ風車や地熱を上手く組み合わせれば、石油やガスや電力を殆ど使わない冷暖房や給湯も可能になります。後必要なエネルギーはといえば、車のガソリンと調理のための熱源と冷蔵庫や洗濯機や電灯などのコンセント電力程度でしょう。いわゆる新エネルギーを活用して化石燃料を削減すれば、原発代替の火力発電所での石油やLNGの消費も下がり、ひいては石油製品の価格上昇圧力も弱められるでしょうし、原発停止の長期化も怖れる必要も無くなります。

その意味でも、今の仕事の半分を占めている省エネ指南もそろそろ卒業し、この夏以降は、東北に軸足を移して、本格的に新エネ利用に取り組もうと決意を固めながら帰ってきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月26日 (月)

1673 鳥の目

しかしながら、虫の目だけで世の中や現象を見るだけでは、全体としての方向性を見失うでしょう。国のマツリゴトでも、増税やその使い道である予算の事ばかり論じていても、堂々巡りからはなかなか脱出できません。そうではなくて、時には鳥になって、上空からこの国の姿を眺めてみる必要があるのです。一体何のために、国会があり、行政組織があり、税金や予算の仕組みがあるのか、彼らにはもう一度考えて貰いたいものです。

国の行く末を案じ、そのあるべき姿と取るべき政策を論ずるのが、政治家(Statesman)の本来の仕事のはずですが、23世議員やや業界団体の利害の代理人的な、職業政治屋には、その気配すら感じられません。時には、議事堂の天井付近から国会論議を眺める鳥になったつもりで、いまの重箱の隅をつつくような堂々巡りの論議を眺め、反省して貰いたいものです。あるべき姿が明確になれば、舵取りの方向や選択肢はそれほど多くはない筈なのです。政党とは、あるべき姿の描き方の違いで自然発生的に出来るものであり、政策の手法だけで群れるべきではないでしょう。そうでなければ、政治的無関心層が50%を超える様な、世界でも稀なシラケた国であり続けるしかないのです。

鳥の目を養うのは、しかしそれほど容易ではありません。先ずは何より、世界を広く見聞する必要があるでしょう。その上で、良い点は学び取り、良くない点は批判的に切り捨てれば、より確からしい価値観が醸成されるはずです。その意味で、政治家は当然としても、虫の目はしっかり持っている多くの技術者も、一方では鳥の目も持たなければならない事を、最も心掛けなければならない人種だといえそうです。そうでなければ、技術的には優れているが、公害を出し温暖化を加速する様な、社会に役立たない(あるいは有害な)モノを作ってしまうかもしれません。(出張のため明日は休稿です)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月25日 (日)

1672 虫の目

物事の見方にはいくつかの視点が考えられますが、先ず「虫の目」について、書いて見ます。虫の目とは、物事を見る際に虫の様に、極端に近寄って詳細に観察する事を指します。全ての物質は分子や原子、さらには素粒子レベルまでブレークダウンできるはずですが、同様に例えば人間の世界で起こる社会現象も、微視的に観察すれば、個人の行動の集合だと見る事も出来るでしょう。これを還元的な見方とも言いますが、いわば森の中で木々や植物を観察する事に似ているでしょう。現象を把握するのに、全体だけを大雑把に観察しても、何も見つからない事は良く経験するところです。

しかし、微視的に見れば、そこで何が起こっているか、その集合として全体で何が起こっているか、起こりそうかが見えてきます。というより、普通の人間の頭では還元的な物事の理解しか出来ないとも言えるかもしれません。もちろん、一を見て瞬時に全体を把握できる天才も少数は存在するでしょうが、私たち一般人はそうはいきません。個々の要素を良く観察し、それを理解してからでないと、全体像がぼやけて良く見えないのが通例です。

これは、投稿者が「元技術屋」だからかもしれませんが、科学や技術の多くは還元的なモノの見方に立脚しているとおもっています。つまり、如何に大きな構造物や装置といえども、数多くの部品から構成され、個々の部品の性能が、全体としての機能を支えているという見方です。社会現象でも、自然現象でも微視的に観察し、事実を積み上げなければ結局何も見つからないでしょう。最近のニュースでも、大きな地震の前に、樹木の持つ電気伝導度に大きな変化が観察されたとか。大地震前の地下水位の変化も多く報告されている様に、継続的でしかも微視的な観察は非常に重要な行動だと言えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月24日 (土)

1671 金毒・金害

石油価格が知らない間に随分上がっていました。家の車の燃料が減っていたので、何気なくスタンドで入れたら金額で7千円以上も入ってしまい、びっくりしました。そのはずで、単価を見たらいつの間にか158/ℓになっていました。数年前に、170/ℓレベルになった時がありましたが、それに迫る勢いの値上がりです。今回の値上がりは、イランがホルムズ海峡を人質に取るとの脅しで始まったのでしょうが、お金のある人たち(投資家)が、こんな絶好の「チャンス」を見逃すはずもありません。石油先物相場に揺さぶりを掛けて、実質の相場変動幅以上に吊り上げているに違いありません。その意味で、世界のどこかに異常に吹き溜まってしまったお金は、それ自身が既に正常な経済活動にとっては有害な存在になっているとも言えます。

さて、話は変わりますが公害の歴史を振り返ると、それが起こった地域では、人体に有害な物質が環境に多量に放出され、その結果環境への蓄積=環境濃度の上昇を招き、結果として生物被害や人的被害を出してしまう「社会現象」と説明する事が出来ます。そのアナロジーで、日常経済活動に伴って動き回っている「まともなお金」は別に有害だとは言えませんが、淀みに溜まって腐敗しかけている「余っているお金(例えばオイルマネーや複雑な金融マネーや債券等)」は、もはや有害な種類のものに変質してしまいます。それらをここでは「金毒」と呼び、それから受ける害を「金害」と呼んでおきましょう。

金毒・金害は、その規模が拡大し過ぎて、もはや一国の国家予算を何倍も上回るパワーを持っていますので、高度成長期には国の金融政策でどうにかなったはずの、マネーフローの制御や為替コントロールも殆ど機能していません。さて、それではどうすれば良いかですが、投稿者の単純な頭では、なかなか良い知恵も浮かびません。黙って座っていても、エネルギーはドンドン消費され、同じ勢いでオイルマネーが積み上がるでしょうし、それを効率よく「運用」しようとする輩を押さえつける術も見当たりません。その意味で、油井やガス井こそまさに「バンドラの井戸」だと表現するしかなさそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月23日 (金)

1670 息切れ

C国やIンドなどの勢いのある途上国の、息切れはいつ頃始まるか時々は注目しています。この国は、かつてはB国がくしゃみをすると、風邪をひくと言われてきました。しかし、気が付くと最大の貿易相手国は、もはやB国ではなくお隣のC国になっていました。

しかも、この国との関係は、好むと好まざるとに関わらず、C国からは安い工業品や大量の食糧を輸入し、こちらからは工作機械やC国が得意としていない高機能部品や製品の輸出等、経済の相互依存関係のパイプは太くなるばかりです。その中で、C国やIンドなどにも息切れがかなり顕著になってきている様に思えます。理由は、例えばC国では沿海部と内陸部の格差が拡大し、かなり根の深い国内問題となりつつある事が挙げられます。つまり、沿海部には潤沢なモノやエネルギー(石油)が、潤沢に供給されますが、何千キロも内陸に入った地域では、それも限定的になるでしょう。例えば、何千キロもの内陸にタンクローリーを走らせるは、タンクローリー自身が走るために燃料をかなり食ってしまう事にもなります。また、沿海部でも内陸部でもあらゆる種類の公害問題が深刻ですが、流石にC国といえども、経済と人の命を天秤にかける場合、結論は決まってしまいます。また、C国やIンドも軍事力の増強にまい進している様ですので、その経済負担も重くのしかかってきています。軍事力を増強し続けた大国で、息切れもしないで経済的にも上手く立ち回った国は、これまでも殆ど存在しなかった事を考えれば、両国も例外にはなり得ないでしょう。

さて、アジア・エンジンの回転が落ちると、その勢いの恩恵に与っているこの国の経済はどう転ぶのでしょうか。それなりに車産業など、好調な一部の分野を除けば産業の空洞化はかなりの程度進んでおり、とりわけ投稿者が寄り添っている(つもりの)中小企業の体力は、ずいぶん落ちてきている様に見えます。それは、これまで作っていたものを親会社から取り上げられて、海外生産に切り替えられたことが主な理由です。新たな分野を切り開いた企業はどうにか生き残るのでしょうが、良い技術があっても作るものが見つからない企業は、結局フェイドアウトするしか方法がない様です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月22日 (木)

1669 理想の暖房

厳寒のカザフから帰ってきて、理想の暖房とは何か、と改めて考えてみました。カザフの建物は、高い建物を除けばほぼ全てがレンガ造りです。レンガは構造材でもあると同時に、多孔質の断熱材でもあり、部屋の内側に断熱材を追加すれば、それなりに断熱性の高い建物となっているはずです。しかし、屋根の断熱性はあまり良くない様で、暖房熱で屋根の雪が融けて、どの家も長いツララをぶら下げています。窓はほぼ例外なく木製サッシですが、もちろん100%二重窓になっています。(外部のサッシは鉄やアルミ製となっている事もありますが、熱ブリッジ=結露を防ぐため内部は木製です。)

暖房は、ほぼ100%が熱水による地域暖房です。街外れに、大きな煙突の熱水工場があり、地下に熱水管が張り巡らされている様です。道路の横断部は、地下ではなく配管ブリッジになっているところもあります。部屋の中には、鋳物製や鉄管を曲げて作ったラジエータが設置されておりますが、ホテルなどではやや高級なアルミ製のものが付けられています。ラジエータの表面温度は意外に低く、50℃を少し超える程度ですが、この温度が非常に心地よいのです。それは、体温に近い物質から出る遠赤外線が、人間にとって最も心地よい事がその理由です。例えば、子供を背負った時の体温が、理想の暖房温度である事は日常経験するところです。ニクロム線のジュール熱で暖房を行う電気ストーブや、石油やガスの燃焼ガスで暖房を行う器具が、決して快適な暖房手段でない事は、これも日常経験するところです。

つまり、体に非常に近い物体の表面温度が体温並みに、あるいは人間を取り囲む部屋の壁や天井や床などが、20℃~25℃程度に暖められている部屋とする事が、最も心地よい暖房環境だと言えそうです。事実、カザフで滞在したホテルの部屋は、窓際のラジエータだけで夜中でも20℃を下回る事はありませんでしたし、今回訪問した工場も建屋全体が20℃前後に保たれていました。これが、必要かつ十分で、しかも人間にとって最も快適な暖房方法だと再確認しました。つまり、理想の暖房とは温風で室温を上げるのではなく、建物の断熱性を可能な限り向上させて、空気を暖めるのではなく、「寒い場所を作らない」事がその本質だと言えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月21日 (水)

1668 メガソーラー

お金のある大企業がメガソーラーを建設する事が流行の様です。メガソーラーといえば、巨大な太陽光発電施設であるかのような響きがありますが、それでも日中だけやっと300軒の一般家庭の電力が賄える程度の規模しかありません。作らないよりは、かなりマシですが、投資目的が7月から実施される固定買取り制度を当て込んだ利殖にあるならば、あまりにも電力需要家をバカにした行為だと言うしかありません。

メガソーラーという言葉も誤解を招きます。上に書いた様に、1メガワットのソーラー発電所でもたった数百軒の住宅の電力が賄えるだけです。例えば、100万キロワットの原発1基を太陽光発電だけで代替しようと目論むなら、少なくとも一辺が2.5㎞ほどの広大な空き地が必要となる筈です。国土が狭く、それでなくとも農地が潰されて道路にされ、建物が建てられているこの国で、一体どこにそのための土地の余裕が見つかるでしょうか。太陽光発電所の下には太陽光は差しませんので、農地としては使えませんし、住宅地にもできません。精々駐車場に出来るくらいです。

そうであるならば、太陽光発電の適地は工場やビルの屋上や壁、更に言えば土盛りをした道路の法面や、平面駐車場の上程度にしか見つからないはずなのです。そういえば、工場立地法で、工場敷地には一定以上の緑地を確保する事が義務付けられていますが、それと同列で、ぜひ全ての工場の屋根にも、一定規模の太陽光発電を義務付けるべきでしょう。それであれば、農地と太陽光発電間での太陽光の奪い合いは生じないで済みそうです。つまりは、メガソーラーなどと、言葉だけの先走りさせ、その適地など探している間に、需要家に限りなく近くに設置する「ミニソーラー」を出来るだけ数多く設置することの方が、結局は近道になると思うのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月20日 (火)

1667 原発の津波対策

C電のT浜原発の、地震対策や津波対策について、その内容を説明した映像を見る機会がありました。津波対策としての、巨大な防波堤、停電対策の2重の非常用電源、冷却水系統の多重化、モーター設置エリアの水密区画化、更なる地震対策など、技術屋としても一応は納得できる内容だったと思います。それにしても残念なのは、このうちの一つでも二つでも、F島の原発に適用されていたら、悲劇は少なくとも半分に(津波被害だけに)出来ていたと言う点です。

取り分け、津波が押し寄せた場合でも冷却水ポンプのモーターが水に浸かる事故の回避は、何にも増して最重要の地震・津波対策だったにも関わらず、これまで殆どの原発では数台の非常用ディーゼル発電機しか準備していなかったと言う事実を見れば、F島の事故は「人災」と指摘されても仕方がないとも思いました。水に浸かったモーターは、絶縁が低下して、電源復旧後にいくら電気を送っても、モーターからは火か煙が出るだけで、決して再起動はできないからです。非常用ポンプは、電気モーター以外の原理で動くものでなければ、本質的な意味でのバックアップとはなっていないと言えます。

ポンプ自体は頑丈な構造なのですから、モーターの置かれている区画(殆どが地下か海水ポンプの場合は屋外の地上部)を水密にするよりも、モーターの軸を延長して、津波に絶対浸からない高所(櫓の上など)に予備モーターを設置しておくべきでしょう。津波が引いた後に、素早く予備モーターとポンプ軸を結合すれば、冷却水ポンプが止まる時間は最小限に出来るはずです。現在の対策に、これを加えれば、津波対策は更に盤石となるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月19日 (月)

1666 省エネ商売

投稿者の現在の仕事の半分は、企業への省エネ指導です。今回のKザフでの仕事もやはり省エネ診断と指導でした。この仕事は結構好きで、熱心に指導しています。何故好きかと考えてみたら、何よりこの仕事は誰もがハッピィになれるからだと気が付きました。例えば、企業の工程改善やコストダウンの指導をしたとします。それが実を結べば、確かにその企業のコストが下がって、市場での競争力は向上するでしょう。しかし、一方ではその企業の競争相手の市場シェアが少し減って、従業員の給料やボーナスが少し下がるかもしれません。これでは、勝ち組だけを応援する不公平の手助けをする事と同じです。

しかし、省エネ指導はこの例とは異なります。エネルギーの使用を減らせば、その企業では従来経費(固定費)と考えていた月々の光熱費が下がり、結果として純利益が上がりますので、従業員の給料を少し上げられるかもしれません。しかし、結果としてその会社の市場のシェアが上がる訳ではないので、競争相手への影響もないでしょう。唯一、エネルギーの供給企業、例えば電力会社の売り上げは少し減りますが、どうせ原発は減らさざるを得ないでしょうし、彼らはコストに利益を上乗せして電力が売れる幸せな企業群ですから、基本的には痛くも痒くも無いでしょう。

エネルギーを減らせば、CO2の増加にもブレーキが掛かり、将来世代に対しては、温暖化の防止もさることながら、化石燃料などの資源の温存にも貢献できます。そんな手助けが出来て、おまけにささやかながら謝金までいただける今の仕事は、サラリーマン時代からみれば大きく収入は減りましたが、3日やったら辞められない、理想的な商売だとますます好きになりつつあります。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年3月18日 (日)

1665 Kザフの事

アッと言う間の出張で、もう日本に帰ってきましたが、Kザフの印象を追加します。治安については、南や西の都市では、隣接する国からの麻薬や犯罪の流入もあり、あまり安全ではない様にも聞きますが、ロシアに近い北や、モンゴルに近い東の地域、非常にのんびりした地域で、安全だと言えそうです。投稿者が滞在した街でも、夜間に一人で歩いてレストランに行っても、何の危険も感じられない雰囲気でした。車も増えている様ですが、歩いている人も結構多く、車屋さんには申し訳ありませんが、車の普及率と犯罪率は多分比例するのではないかと思っていますので、その意味では、政治的にも今の大統領が引いた中立的な路線が続き、内紛などが起きない限り、今後しばらくは安全な地域であり続けるとみています。この国も、それを見越してか、首府を南のAl,amityから北のAstanaに移したのでしょう。

滞在したのは、Ust-Kmenogorskというロシア(統治)時代に付けられたと思われる長い名前の街でしたが、気づいたことですが、交通マナーは全世界が学ぶべきものでした。交差点で、歩行者が横断しようとすることがはっきり分かる場合、車は信号に関わらず止まってくれるのです。車同士の譲り合いも「素晴らしい」の一語に尽きます。人種も、白人(ロシア系)とアジア系と中東系が「ほぼ均等」に混じりあっていますので、人種問題もあまり問題にはならないでしょう、街の中には、モスクもそれなりにありますが、あまり立派ではなく、頭にスカーフを被った女性も、Almatyでは少数みましたが、北東の街では見かける事もありませんでした。街の名前も、伝統的な名前のオスケメンという呼び方に戻しつつあるようです。

街の建物はレンガ造りで古いのですが、安い燃料や電力を使っての地域暖房や電化製品も揃っている様で、それなりに文化的な生活は送っている様ですし、豊かな鉱業生産が今後ともこの国の生活水準を上げ続ける事は間違いないところです。それを見越してか、往き返りの飛行機便でも、「利に敏い?」中国や韓国人のビジネスマンを数多く見かけました。資源小国の日本としても、数年も何もしないで推移すれば、後塵を拝すのは間違いないところです。人口1500万人ほどのこの国は、石油・石炭・天然ガスと始め、周期律表に乗っているほぼ全ての鉱物が産出するとも言われるほど豊富な地下資源は持ってはいますが、技術や産業基盤は低くて殆どの製品を輸入に頼っており、一方で日本は全くその逆ですから、これほど相互補完が上手くいきそうな組み合わせも少ないのではないか、と思えてなりません。その役に立つなら、今後何回かは日本とこの国を往復しても構わないとも感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月16日 (金)

1664 Kザフにて

 

Kザフ最大の都市、Almatyの空港で書いています。南のきな臭いイスラム国家が近いこの街は、麻薬の中継地にもなっているとの事で、到着ロビーには目つきの余り良くない白タクドライバーが数十人たむろしていて結構物騒な雰囲気なので、国際線への乗り継ぎで長いフライト待ちの時間があるのですが、街に出る気も起きません。従って、空港のパソコンスペースで粘る事に決めました。

 

この国での滞在は、Almatyから更に国内線で1時間半ほど飛んでやっと辿りついた、アジアのど真ん中のこの国でも、更にモンゴルに近い30万人程の地方都市でした。僅か3泊4日の滞在でしたが、それなりに充実した日程でした。無駄な時間は殆ど貰えず、忙しく働きました。この国で、一番大手の自動車メーカー(とはいっても多分唯一のメーカーだと思いますが)の省エネの助言をするため、はるばる日本から飛んだ訳ですが、最大と言っても従業員は400人程の、日本で言えば中堅企業といったところでしょう。しかし、鉱山業以外これといった大きな工業の無いこの国では超優良企業らしく、新たな合弁での生産(もちろん完全なノックダウン生産ですが)された最初の車がラインから出てくる日には、この国の大統領も臨席するほどの大騒ぎの様で、本社ビル=工場の玄関には、その種の写真が壁一面に掲げられていました。ロシアの小型車やGMKIA等の小型車を中心に、ノンビリとしたペースで(しかし対応したマネージャの言では、大車輪状態だとか)ラインを動かしていました。とは言いながらしばらく見ていても、一向にラインが進む気配もありません。

 

それはさておき、極寒のこの地では、今年もマイナス40℃以下の気温を何度も記録したとか。流石に3月も中旬ともなれば、日も長くなり、日中はプラスになる日も増える様ですが、それでも日陰は一日中バリバリに凍ったままです。雪は深くはありませんが、道端には除雪した雪が1mほど積まれており、野山はこの季節でも全くの銀世界です。ホテル近くの川の傍の公園には、背の高い落葉樹や針葉樹が生い茂っていましたが、朝に川から立ち上る川霧が木々の枝先で瞬間的に凍る(つまりは霧氷です)ため、この世のものとは思えないほどの幻想的な風景を作り出しています。いくらお金を積んでも、温かい日本ではこの様な風景を作り出す事は出来ないでしょう。朝に太陽を背にすると、ダイヤモンドダストを飽きるほど見る事ができます。

 

一方、街の建物の殆どは工場であれ、住宅であれ、事務所ビルやアパートであれ、ほぼ全てがレンガ造りで、背の高いビルだけが例外的に鉄筋コンクリートでできている様です。暖房は、殆どが地域暖房のため、大きな熱水工場がいくつかあって、太いパイプで町中に熱水を送っているようです。家々では、昔ながらの鋳物のラジエータで暖をとり、工場ではラジエータと熱交換器を通して得られた温風で、暖房を効かせています。ホテルの部屋でも、夜中でも20℃を下回る事はありませんでした。もちろん、冬場は電気式のエアコンでは暖を取る事は不可能です。電気は安そうなので、多くの建物では、韓国製のクーラーは設置している様です。聞けば、夏場は40℃になる事もあるようで、80℃にもなる気温差の話には呆れるばかりです。続きは帰国してからになります。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月15日 (木)

1663 ご先祖様

 

中央アジアのKザフという国の、モンゴルに近い東の端の地方都市にいます。ここに来たいきさつを書くと長くなるので、気候と感想を少し。マイナス20℃の気温を期待?していたのですが、流石に3月ともなると春が来ていて、昨日の午後は、日が差して朝はバリバリに凍っていたはずの道路のアスファルトが見えていました。話を聞くと、今年の冬の最低気温はやはりマイナス40℃を下回ったとのことで、やはり極寒の地域である事は間違いありません。しかし、この季節は昼に融けた路面が、夕方になるとその再び凍結する、といった0℃を挟む気温です。道路の外の住宅地や野原は、まだ一面の雪景色ですが、積雪はせいぜい30センチ弱といったところでしょうか。想像するに北海道東部の内陸地方に近い気候かもしれません。雪質も、北海道のそれと同様サラサラで握れません。ユーラシア大陸のほぼ中央のこの場所で、雪になる水分が何処で補給されるのか、全く不思議です。もしかすると、カスピ海辺りの海や湖から限定的に水蒸気が出ている可能性もあります。昨晩も、夜に入るとチラホラ粉雪が落ちてきましたが、空には星も見えていました。

 

仕事の話はまた追って書くとして、短い感想ですが、それはどうやら「我が家のご先祖は間違いなく中央アジアらしい」というものです。何故なら、国内線乗り継ぎ待ちで泊まったアルマティの空港近くのホテルで、受付のおばさんを見てギョッとしたからです。彼女は、自分の姉に、双子の姉妹だと言われても信じてしまうほどそっくりの顔をしていたのでした。それだけならそれで終わっていたのですが、翌日の国内線の待合室で、今度は母方の叔母に全くそっくりのおばあさんが、隣の赤ん坊をあやしていたものですから、どうしても我が家のご先祖様のルーツを考えざるを得なくなったという訳です。この国には、ロシア系とカザフ人、モンゴル系に近い人種、更に南のイスラム系の人種が入り混じって暮らしていますし、かつては砂漠の交易の中継地でもあったでしょうから、我が家の母方のご先祖様が遠い昔この地域から、モンゴルや中国や朝鮮半島を経由して、日本に辿りついたとしても不思議は無いのかも知れませんが…。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月13日 (火)

1662 リニューアル

衰退傾向と思われていた銭湯のリニューアルが結構進んでいるとか。それに加え、郊外には大型銭湯(入浴施設?)の建設も結構活発です。リニューアルや新設が活発なのはニーズがあるからです。誰が平日の昼間っから銭湯に行くかを考えれば、ニーズの主は明白です。お金も暇もある、年配の人たちに違いありません。そう考えれば、これからこの国の需要を引っ張るのは、彼らの持つシニアマネーしかないと言う結論が、自然に導かれます。

もしそれに間違いなければ、私たちはこの国インフラや施設やモノづくりの仕組みを、シニア仕様にリニューアルする必要がある筈なのです。公共施設や遊興施設、移動の交通手段から、工場設備に至るまで、彼らが元気に機嫌よく暮らしてもらうための工夫が必要です。実際、ゲームセンターでの高齢者の割合は増え続けている様です。ならば、ゲームクリエータには彼らの好みをリサーチして、理想の高齢者向けゲームを創り出して貰いたいものです。ただし、このゲームには、ハマればはまるほど、認知症に縁遠くなり、指先が器用になり、姿勢もシャッキリするモノでなければなりません。それらのゲームを前面に押し出して、ゲセンも高齢者向へのリニューアルも進めなければなりません。

高齢者向けの乗り物もリニューアルが必要です。歩く事をさせない「老人車」や、オートマ操作の車などとんでもありません。先ずは歩きが基本ですが、自転車を主な移動手段とするため高齢者向けに徹底的に安定性を向上させ、使い勝手も良くする必要があります。車も、ヨーロッパの様にマニュアル車を主体に供給し、体をボケさせない事が必要です。何しろ、彼らは100%マニュアル車で免許を取った世代ですので、まったく問題はありません。オートマ車は、「コンビニ突進事故」を増やすだけです。住宅もどうせ改築するならバリアフリーなどではなく、逆にバリアだらけで、そこで生活する事により自然に身体能力を鍛える事が出来るものとすべきでしょう。人間は、楽をすればするほど、能力が退化していく生き物である事を、決して忘れるべきではありません。今回は、高齢者よ、ピンピンコロリに向かって、脳と体を鍛えよう、そのために社会インフラを作り直そうという提案でした。

さて今日から、海外出張のため1週間ほど休稿予定です。出かけた先でネット接続が出来れば、何回か投稿するかも…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月12日 (月)

1661 震災の日に考えた事

震災の日に当たって、多くのメディアで過去の映像や、被災地の現状が報じられました。それらの映像を見るにつけ、逆説的にはなりますが、大震災といえども、今は穏やかに凪いで海や静まりかえった山々には、小さな爪痕ほどの影響も与えなかったと言う事実です。震災、特に津波被害は、海と山に挟まれた、海岸沿いの扇状地や沖積平野の海岸部など、ごく狭い範囲を破壊しただけに過ぎなかったわけです。しかも破壊されたものは、自然そのものではなく、人間が土地の上に作り上げた構造物だけだったと言えそうです。

謙虚に首を垂れて考えれば、結局私たちは海と山の間で、「辛うじて生かされていたか弱い存在」でしかなかったのでないか、と言えるかも知れません。そのか弱い存在が、今の文明の繁栄の結果として、かなり自信過剰となり増長してしまったのかも知れません。具体的な、増長の例としては、海岸に近い沖積平野に群れて暮らし、そのための多くのインフラを築き、そこに地下資源から作ったモノやエネルギーを送り込んで、「文化的」な生活を作り上げたのでした。ここで言う「文化」とは、結局は狭い意味での西欧文化(とりわけ歴史の浅いB国文化)でしかなかったと振り返っています。それを目標にして戦後の短い期間で追いつき、ある面では追い越した訳ですが、それは沖積平野の土の上にポンと乗せられただけの、底が浅く根の無い文明でしかなかった事が、いみじくもこの震災で証明されてしまった、と言うしかなさそうです。

さて、ではこれからどうすべきかですが、先ずは皆の心の中に自然に対する畏敬の念を改めて醸成すべきでしょう。その上で、かつてその地域にあった伝統的なライフスタイルに注目し、少しずつでも良いので、それを参考にした根を張った産業、根を張った生活をもう一度築き上げるしかないとは思います。それは、東京発のアイデアでは実現できない種類のものであることは間違いありません。その土地にある、海や山や川や土地と、そこで手に入る産物を中心に据えた産業やエネルギー構造や生活スタイルを取り戻すべきでしょう。そうです、復興とは全く新たな文化を創るのではなく、かなりの部分は先人が工夫に工夫を重ねて作り上げた伝統的な生活を思い出しながら、かなりの部分はそれを真似る事に近いと言えそうです。その様な生活では、たぶんお金はあまり回りませんが、食べ物を含めた基本的なモノはそれなりに豊かに暮らせるはずだと思っています

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月11日 (日)

1660 無い袖

連日行われている国会論議が、点けっ放しのラジオから流れてきます。しかし、与野党の議論は全くと言って良い程噛みあっていません。その原因は、少子高齢化社会の背景の中で、膨大に積み上がった国の債務や右肩下がりの経済にある事は間違いないところです。人口が減少しているこの国には、昭和の様な明るい右肩上がりの時代はもう来ないと思い致すべき時なのですが、20世紀型の常識しか持ち合わせていない古い(または古い常識しか持っていない)政治家は、小手先の刺激策で景気が上向くと本気で信じているフシがあります。今後もし間違って景気が持ち上がるとしたら、それは他の国のバブルの尻馬に乗っての短い期間の回復しか期待できないはずなのです。

この国の市場は縮小を続けていますし、C国などが息切れを始めれば、車産業をはじめとする輸出産業も元気が無くなるでしょう。税収は減り続け、国の借金は雪だるまの様に増え続けるしかなくなります。もう振るべき袖は無くなっている事に、特に政治家諸氏にはよくよく考えてもらう必要があるでしょう。いくら票を集められる格好の良い政策を打ち上げても、裏付けとなる財政(お金の入った袖)はついてこないのです。

そうではなくて、現状をしっかりと認識した上で、今後この国が進むべき道筋を描いて見せなければ、政治にそっぽを向く国民の割合は、更に増加し続ける事に、「彼ら」は早く気が付くべきでしょう。潤沢なお金が無くなってしまった今、この国で必要なものは知恵と工夫と汗かきなのです。的確な知恵出しが出来、無いなりに工夫し、「ボランティアベース」の汗が掛けるのは、どう考えても年金をもらっているシニア世代しかない事は明々白です。「あなた方」は、戦後の貧しい時代や、高度成長期のハードワークや、二度のオイルショックや、数度の世界的経済危機をくぐり抜けてきたではありませんか。今、社会を中心になって動かしている世代に、それほどの知恵や危機を乗り切る知恵や根性が醸成されているかについては、申し訳ありませんが疑問を持っています。ついては、ぜひ彼らに知恵を授け、ついでに「袖」も振ってやって貰いたいのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月10日 (土)

1659 始めるのは簡単だが

物事を始めるのは、実は結構簡単です。始める前には十分な準備期間や助走期間も取れるでしょうし、資金もそれなりに準備して掛かれば、立ち上げに関わったスタッフの意気込さえあれば何とかなるものです。また、その維持も前年度の実績を下敷きにして転がせば、どうにか前には進むのでしょう。お上の組織や行政に関しても同じことで、毎年の予算や事業計画は、実績主義の上でしか転がっていきません。それを律する法律はといえば、ある時期の問題点を抑え込むために作られたものも、年月が経過すれば、悪法に陥る場合も多いでしょう。何故なら、殆ど全ての法律は「対策法」なので、状況が変われば対策も変わらなければならないからです。

結局、物事を始める時には、それを終わらせる仕組みも予め織り込んでおく必要があると思うのです。一度始めた事を、終了させるには、それが動いていた時に生まれた「ゴミ」を処理しなければなりません。例えば、ある工場を畳むには、その中にあった設備、在庫製品、仕掛品、原材料、廃棄物の置き場に溜まった産廃などをきれいに始末する必要があります。工場を解体すれば多量の建築廃材も出るでしょう。それらの処理にも、多大の労力とお金が掛かる一方、操業を止めた途端にお金は入らなくなりますので、工場を畳むための資金も貯めて置く必要があります。

しかし、そんな先まで考えて、工場を動かしている経営者も少ないでしょう。全く同じ事が、お国の事業にも言えそうです。ある時代の要請で始めた事業を、なかなか止める事が出来なくて、それが不要になった時にも、継続しているもののなんと多い事でしょう。それらのかなりの部分は、不要どころか、弊害になっている場合も多いのです。それを止める事が出来ない理由は、事業や予算措置を終息させる仕掛けが作られていないため、既得権を手に入れた輩にその権益を貪り続ける事が許されているからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 9日 (金)

1658 組織の柔軟性

国や自治体のイメージである「公」と、私企業や個人レベルの「私」が対比される事が多いのですが、その間には、忘れ去られた、あるいはかつて機能していた多くのコミュニティの形式やサイズがあり得ます。それは、会社組織の様に明確な組織構造を持ったモノもあり得るでしょうし、地域にある「結い」の様にゆるくつながった形もあり得るでしょう。また時間的に、あまり変わらないモノもあるでしょうし、一方では茅葺屋根の葺き替え作業の様に、必要の都度召集される組織形態もあり得るでしょう。

いずれにしても、あらゆる組織は、ニーズや時代の変化に対して即応できる柔軟性を保っている必要がある事は間違いないでしょう。それが出来ない組織は、実例を出して申し訳ないのですが、航空会社のJャルがそうであったように、結局は崩壊(あるいは再編)するしかないのです。さて、ここで言いたいのは、この国の組織です。国の姿を代表している様に見える行政組織ですが、これも国民や時代の要請(ニーズ)によって、徐々に現在の姿に収束してきた事は間違いありません。しかし、近年の国としての行き詰まりは、硬直化した官僚組織や諸制度の修正が、結局のところ時代の変化=高齢化+右肩下がりの経済指標に追いついていない事に原因が求められます。

そこに絡んでいるのは、実のところ「既得権益」であることは、誰が考えても明らかです。年金や福祉や公共事業を食い物にしている輩のなんと多い事でしょう。彼らが、食い物にしているのは、実のところ将来世代のための分け前でもあります。それを完全にしゃぶり尽くすまでは、貪欲な彼らの食欲は収まらないのでしょう。お役人として給料をもらいながら、退職後に更に貪欲に利権を貪る彼らの後ろには、大勢の予備軍が控えている訳で、彼らが組織を流動化させる事には強く抵抗するはずです。結局、この国の官僚組織を柔軟化させるには、「百年河清を待つ」と言う故事そのままになりそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 8日 (木)

1657 100kmカーへの道2

数日前のニュースで、インドのTタ自動車が、100㎞カーのコンセプトモデルを発表したとの報道が流れました。100㎞カーとはガソリン1リッターで100㎞走る車の事です。そういえば自分が書いたブログでそんなコンセプトを書いた様な気がしたので、原稿を見てみると2008年の9月のブログ#802に確かに書いていました。ただし、現在は#1000以降でないと見られなくなっていますので念のため。

さてその100㎞カーの実用開発と市場投入には、更に3年ほど掛かるとか。非常に残念なのは、これを発表したのがインド企業で、日本のメーカーではなかった点です。一体、日本のカーメーカーは、リッター30㎞そこそこのHVの性能で満足しているのでしょうか。インド車もHVの様ですが、ガソリン1リッターで100㎞走るのであれば、発電所効率が30%程度しか期待できない(高いエネルギーである)電力を使うEVの環境性能を、軽く凌駕出来る事になります。今からでも決して遅くはないので、日本のメーカーにも奮起をお願いしたいものです。もちろん、その場合のハードルは更に上がって、120㎞カーでなければなりませんが…。

そういうわけで、このブログは、こと環境に限ってですが、世の中の動きの4-5年先、場合によっては10年以上先を予測出来ている(部分もある?)様ですので、ぜひ遡って読んでいただきたいものです。スタートからのブログの原稿は残してありますので、バックナンバーをお読みになりたい場合、ブログのコメントにその旨の要望を寄せていただければ、送る事はできます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 7日 (水)

1656 経営の品質

経営の品質などと呼ばれる、企業の行動指針があります。しかし、企業の経済効率(要は儲けのが上手い下手の事です)だけをその指標にしては、その方向を誤るでしょう。近年になって、確かに企業の社会的貢献や環境保全活動も重要な指標として取り上げられても来ました。しかし、適正な利益を上げて、それなりの社会貢献を掲げ、環境経営=例えば省エネ行動や廃棄物の圧縮に努めれば、企業の経営品質は十分だと言えるのでしょうか。

このブログでも、再々書いているのは、企業倫理の重要性です。これを、社是や経営方針に掲げている企業は、まだまだ少数派に留まっています。繰り返しにはなりますが、企業倫理への言及無くして、企業の経営品質を議論することほどおこがましい話はないと言っておきます。企業が存続する(できる)ための基本的な条件としては、先ずは顧客ニーズの充足にあります。しかし、どんなニーズでも顧客の要求なら正しい=常にお客様は神様、という事にはなりません。また、ニーズが正当だとしても、そのニーズを達成するための手段が、法にさえ触れなければどんな方法も許されると言うわけでもありません。その意味では、経営方針に「法令遵守」を掲げれば十分だと考えるのは完全な間違いです。

あるべき企業倫理(真っ白)と、法令違反(真っ黒)の間には、広大なグレーゾーンが存在しており、企業理念としては、可能な限り天に向かって胸を張れるように、真っ白を目指すべきだと言えます。現実の経営効率上、それが現実的ではないのであれば、その企業としては早晩退場すべき運命にあると見なければならないでしょう。あるべき企業倫理と企業経営は、少しベクトルの方向はずれているかもしれませんが、方向は同じ方向を向いているはずなのです。具体例を挙げておきたいので続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 6日 (火)

1655 五権分立?

症状が出てから打つ手を対症療法と呼びますが、これまでのこの国の政策は、殆どがこのパターンで進んできたと言えます。何故なら、立法府と呼ばれる仕組みは、基本的にはその時に法律を作っていれば事は済んできたからです。法律は、ほぼ100%が「対策法」ですから、何か問題(例えば公害被害など規制が無い事によって出る問題)でも出ない限り、政治家の役目としては、例えばある利益団体を代表して政策を誘導する事くらいしか必要なかったからだと言えます。しかし、この仕組みは、右肩上がりの時代には殆ど問題も無く機能してきたのでしょうが、今後の時代には、間違いなく行き詰る筈です。

何故なら、今は病気の本当の原因を突き止め、その原因を取り除く「根治療法」が全くと言って良い程行われていないと思うからです。立法、司法、行政の三権分立はもはや過去の仕組みと考えるべき時代に至りました。「真の問題の分析と検証」および「将来社会の仕組み作り」を、今の三権に加えて独立させた「五権分立」が必要な時代に至っています。

でなければ、今のデフレと、震災(原発事故)復興の重荷と海外経済からの悪影響が波状に襲いかかるVicious Spiralからはとても脱出できそうもないからです。誰もが納得できる「真の問題点」の特定とそれを踏まえた将来に向けた青写真は、現世代へ忍耐を強いるためにも十分な説得力を持ち得ます。何故なら、将来世代を思いやる事は、人間だけが持っている能力だと断言できますし、誰もそれに抗う事は出来ないからです。本当に自分の子や孫に資する行動であれば、人間はかなりの苦しさに耐える事が出来るはずなのです。そうでなければ、先人が辛酸をなめながら気の遠くなるような年月をかけて成し遂げた、土木工事や植林や開墾など、(自分の世代の生活向上には直接つながらなかったであろう行動)の説明が出来ません。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年3月 5日 (月)

1654 Ex-E

これまでも脱エネなどの表現を使ってきましたが、Ex-EとはEx-Energyの略で、より広い意味で積極的なエネルギーの呪縛からの脱出を意味する、投稿者の作った新しい略語です。原発の事故もあり、この国では産業も民生も、エネルギーの需給事情に関しては非常に敏感になっています。昨年の夏や今冬は、どうにか乗り切ってはきましたが、原発が全面的に止まっているであろう今年の夏は、まさに正念場になる筈です。一方で、原発で出来た穴をカバーするために火力発電所で焚かれる石油やLNGは、全世界で奪い合いが激しくなり、価格の右肩上がりの傾向固定は確実視されています。

その意味で、不足しがちなエネルギー市場の騒動やその価格動向に一喜一憂するよりも、いっそその呪縛からの脱出を画策すべき時期に差し掛かっていると見ています。これまでは、温暖化防止に向けた省エネ行動だけでどうにか済んできましたが、原発事故以降マスコミに躍るキーワードとしては、海底に眠るメタンハイドレートの発掘や再生可能エネルギーによる「創エネ」となってきました。しかし、化石エネルギーや原発に頼り切っていたこの国の体質からすれば、慌てて増やしても精々10%程度にしか届かない創エネではとても足りない事は目に見えています。創エネで10%稼ぐ一方で、Ex-E2030%削減すれば、原発が全て動かなくなっても、エネルギーの需給に心配は無くなるでしょう。

さて、その方法です。先ず必要な行動は、今投稿者が日中の殆どの時間を過ごしている貸事務所の様に、冷暖房や便利な電化製品を一切置かないで、暮らしてみる事でしょうか。何もなければ、どうしても必要なモノやエネルギーが見えてくるでしょうから、それをゼロから積み上げていく事です。これは、モノやエネルギーの無かった戦後に、私たちの親の世代が行ってきた事のトレースそのものです。モノやエネルギーを使う機器の追加に際しての選択基準は、「あれば便利」ではなく、これが「無ければ一日も暮らせない」であるべきです。必要性の吟味と峻別基準の厳しさ度合が、即ちその人の生き方や環境への向かい方そのものを示します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 4日 (日)

1653 ロボットの限界

続きです。職人から手仕事を奪った張本人として「ロボット達」を挙げる事も出来るでしょうか。しかし、所詮ロボットごときに、人間の手仕事が真似できるはずもありません。例えば、人間の指先は数ミクロンの段差や傷を感じる事が出来ますが、ロボットの位置決め精度でさえそれより2桁か3桁くらい劣るでしょう。ロボットには、逆立ちしても米粒の上に、文字や絵を描く芸当はできない相談なのです。また、人間の柔らかな指や腕は、数グラムから数十キロまで、状況に応じた力を出すことが出来る優れたアクチュエータでもあります。私たちが持つ筋肉というアクチュエータは、出力を出す筋繊維の中にセンサーも内蔵していると言う優れものです。つまり、作業の中で「手加減」が出来る訳です。

いまどきのロボットで出来る事は言えば、精々卵を割らずに移動できるとか、人間の5本指を模倣し、指先に圧力センサーをくっつけたレベルのアクチュエータが作れたと、喜んでいる程度なのです。しかし、コンパクトに作られた関節には、間違いなく精密に作られた小さな歯車が入っているので、その華奢な厚みの歯車では、数キロの荷重持ち上げるのが精一杯でしょう。一方、動力は電動モーターですので、もし自立して移動させようとすれば、とてつもなく重いバッテリーを持ち運ばなければなりません。結果として見れば、いま本当に困り切っている原発事故現場で、実際に役に立っているロボットが無いと言う情けない状況から脱していません。

技術者がどんなに頑張っても、バッテリーの何倍もパワーを蓄積でき、何分の一も軽いパワーパックと、人間の筋肉にも似た、センサー内蔵のアクチュエータを実用化できない限り、今後ともロボットには単純なモノの移動や溶接やペンキ塗り程度の単準作業からは脱出できないでしょう。手間暇と莫大な開発費を掛けてあまり役に立たないものを開発するくらいなら、人間をトレーニングして、立派な技能を持った人材を育てる方が、どれほど世の中の役に立つことでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 3日 (土)

1652 手仕事の復権

モノづくりのスピードを極限まで上げた仕組みが、自動化された大量生産工場だとすれば、その対極にあるのが手仕事です。何日、何週間、何か月も掛けて一つの製品=作品を生み出す手仕事は、今の時代すっかり社会の隅に押しやられた感があります。第一、十分に手間ひま掛けて作った製品は、当然の事ながらびっくりする程高いものにつくでしょうし、飾り棚に入れて鑑賞するならいざ知らず、とても日常生活で使う気にはならない代物だ、と思ってしまうからでしょうか。

しかし、職人が確かな腕で作ったものは、量産品に比べものにならないくらい長持ちしますし、使えば使う程手に馴染むはずです。しかも、そんな製品であれば、もし壊れても修理が効きますから、長い目で見れば決して高価なものとは言えないはずです。漆器などでも、塗りが剥げても、割れが無い限り塗り直しが効きますし、使い慣れたモノを直して使えば愛着も更に湧いてくるでしょう。

手仕事は、単調で儲からない労働と思われがちですが、例えば数千万円もする手作りの腕時計が存在すると言う事実を見れば、これを仕上げるのにたとえ1年間掛かったとしても、時間単価に直せば、高給取りのサラリーマンより「割は良い」でしょう。もちろん、いくら高額の給料をもらっていても、所詮は会社に雇われている身より、自分の意志で仕上げた手仕事の方が、何倍も達成感が得られるはずです。手仕事を疎かにする国は、結局は文化としても廃れる宿命にあるような気がしています。徒弟制度のPros &Conesは、色々あるとは思いますが、親方と弟子の濃密な関係の中で受け継がれるワザや生き方は、学校教育や企業内の研修などでは、決して得られない種類のものでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 2日 (金)

1651 準静的過程

学校で居眠りしながら習った言葉に「準静的過程」というものがありました。これは、例えば熱サイクルで最大効率を出すためには、可能な限りゆっくりと(殆ど静的に)プロセスを進行させる必要があると言うものです。一例として、2500rpmで回転している自動車のエンジンを、例えば10rpm程度にスローダウンする事が出来れば、熱効率は飛躍的に向上するはずだ、という話になります。実際、大型の舶用のディーゼルエンジンは100rpm程度で回転し、高い熱効率を実現していますが、残念な事に高速エンジンと同じ出力を出そうとする場合、低速エンジンは大きくなり過ぎ、とても車などに積んで走らせる訳にはいきません。

この準静的過程を自然現象に敷衍すると、自然への理解がグンと深まるような気がします。つまり、自然の生き物はお天道様から得るエネルギーと、水と、炭酸ガスを使って生きていますので、そのいただいたエネルギーを仇や疎かにしないために、プロセスを可能な限りゆっくりと進めている様に見えるのです。それは、植物の生長や細胞の増殖を眺めても、周りから入手できる物質やエネルギーの範囲内で、ゆっくりと変化しています。

一方、人間だけが地下資源や化石エネルギーや化石水を掘り出して、それを駆使しながらあらゆる活動を加速させている様なのです。60年ほどの人生の中でのつたない経験で得た結論は、「物事の加速には必ず犠牲が伴う」と言うものです。これは、殆ど法則と呼んでも良いかもしれません。エンジン出力が何百馬力もあるスポーツカーに乗れば、痛快な加速度が体験できるかも知れませんが、事故のリスクは極度に増し、燃料もガブガブと食ってしまう訳です。同様に、化学工場で合成反応を加速するために、危ない触媒や熱エネルギーや電力を多用すれば、各種の公害や、温暖化を加速する事になる筈です。つまりは、環境悪化を加速して元凶は、私たちの社会システムを必要以上に加速させている全ての(生産や物流や移動などの)活動だ、と言い換えても良いでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 1日 (木)

1650 何を壊し、何を作ったか

震災や経済危機の前に立ちすくんだり、逆に闇雲に前に進んだりする前に、私たちが、特に戦後の時代から今日まで、何を壊してきて、何を作ってきたか、と問い直す事は大切です。高度成長期において、私たちは伝統的な農林業をほぼ完膚なきまでに捨て去り、ビルや工場を建て、高速鉄道や道路や橋や港湾を作り続けてきました。つまり、土壌や海に頼り、有機物(生き物)を育ていつくしむ伝統的な暮らしを捨て去り、無機質な製品を大量に生産し、それを運ぶためのインフラをせっせと作り続けてきた訳です。

このブログでも、ひたすらモノを運び、自らも乗り物に乗ってあまり必要もないのに移動したがる生き物である私たち自身を、ホモサピエンス(人類)を文字ってHomo-movens(動かし、動き続ける存在)と自嘲気味に呼んできました。まさに、その移動手段を担う産業の真っただ中で生きてきた人間として、その反省というか反動も大きかった訳です。なるべく作らず、なるべく運ばず、なるべく動き回らない生活に戻る事しか、環境の悪化に強力なブレーキを掛ける方法は見つからないとの確信は日々強くなっています。もし動き回る「本能」をどうしても満足させたいのなら、お遍路の様にテクテク歩くか精々自転車で移動すべきでしょう。これだと、環境への負荷は殆ど無視できます。

また、どうしても手や体を動かしてモノを作りたいなら、自分自身で作れる範囲をあまり超えないように、モノを運びたいなら昔の山小屋の荷揚げの様に、歩荷(ぼっか=荷担ぎ)で運ぶ量をあまり超えないようにすべきでしょう。大量生産の工場も、何とかメモリー社の様に、やがて行き詰るでしょうし、どんなに長い距離を運んでも決してモノは増えないでしょうし、価値も大きくはなりません。お隣のC国も、ここにきてどうやら息切れし始めた様です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »