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2012年4月30日 (月)

1707 電子制御

十数年ぶりで車を購入しました。こだわって、マニュアル車を探しましたが、小型車では最早数種類しか残っていませんでした。それでも、どうにか車種を決めて、3か月待たされてから納車されました。しかし、最初からやや強い違和感がありました。クラッチとブレーキを踏まないとエンジンが掛けられないのです。もし交差点でエンストしてしまったら、きっとパニックになるかも知れません。それに加えて、始動はイグニッション・キーではなくボタンで行います。ハンドルの横に手を伸ばせば、キーに触れて、目で確認しなくてもエンジンが掛けられた前の車とは大違いです。

そうこうしながらも、やっと操作にも慣れて、車を運転するのですが、まだ何かしっくりきません。アクセルを踏んでも、エンジンの吹き上がりが0.1秒かそこら遅れる様なのです。これは非常に重要なタイムラグで、エンジンの回転数を上げてクラッチを繋ぐ際に、やや回転不足のまま繋いでしまう事になるからです。従って、どうもキビキビした運転が出来にくくなってしまうのです。

ディーラーに苦情を言ったら、それは仕方がないとの返事。今の車は、電子制御になっているために、アクセルを踏んでから、実際に燃料が入るまでに、車載のマイコンの演算時間が必要なのだとか。もし、マイコンが故障したら、エンジン回転数が突然上がったり(これはフェイルセーフではないので、絶対にそうは設計されていないと信じたいのですが…)、あるいは突然エンジンが止まったりするのでしょうか。全く困ったものです。アクセルとエンジンスロットルが直接繋がってないマニュアル車は、まさに「まがい物のマニュアル車」と言うしかありません。

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2012年4月29日 (日)

1706 ブレークポイント

ブレークポイントにはいくつかの意味がありそうですが、ここではプログラミング用語で、バグのチェックのために、プログラムをある時点で一時停止させること、と言う意味で考えてみます。現在の社会システムは、お互いに複雑に絡み合いながら、しかしお互いが変動の原因となったり、起こった結果が更に別の変動の原因になったりもしています。つまりざっと考えるに現在のシステムには、ブレークポイントが仕組まれていない、危ういシステムなのではないかと言う、素朴な疑問が生じます。負の連鎖の結果、事象が停止する事を「破局」と呼びますが、ブレークポイントの仕掛けが無いと、歯止めが利かないのでないかと心配になるのです。

技術屋を卒業してしまったので、あまり例としては挙げたくはないのですが、航空機の構造では、例えば構造部材に亀裂が発生しても、一気に破局的な破壊に至らない様に、別の部材でその進展が止まるように「設計」されています。一方で、今の社会システムには、例えば誰か偉い設計者が居たわけでもなく、成り行きで出来てきたモノの様に降り返っています。経済システムがその最たるものでしょうか。戦後の世界経済には、いくつかのエポックや危機があった様にも思えますが、その都度それを乗り越えながら現在のシステムに行き着いたのだと思います。しかし、その形はよくよく考えられて設計されたものでは決してなく、いわば行き当たりばったりの積み木細工の様なものに見えます。

現代の社会システムは、その土台になるブロックを、たった1個外すだけで、全体が崩落してもおかしくないほど、脆く、硬直したモノの様に映ります。ホンの半世紀前までは、地域はかなり独立した存在でしたが、人やモノや情報の移動が激しくなり、同時に経済活動も広域化、国際化が加速し、局所的な小さな破局が、地域の境や国境で止まらず、瞬時に突き抜けてしまう事に、その根がありそうな気がします。ヨーロッパの一部で発覚した経済破綻やこの国の政治屋のごたごたのブレークポイントは、一体何処に存在するのでしょうか。

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2012年4月28日 (土)

1705 効力感

20代~50代の働き盛りの生活保護費の受給が増えているそうです。この背景には、この世代の独身率の急上昇もありそうに思えます。独身率の上昇は、結果として労働意欲の低下につながるとみているからです。独身であれば何故労働意欲が低下するかですが、たぶんそれは「効力感」と言う言葉で説明できそうな気がします。この言葉は、このブログでも何度か取り上げた様な気がしますが…。

効力感とは、簡単に言えば「自分が誰か(何か)の役に立っている」と言う達成感を指します。人が働くのは、結局は自分のためでも、お金のためでもなく、誰か(何か)の役に立っていると言う達成感=幸福感しかないと思うのです。普通の人間では、それは家族のためと言う事になるでしょうから、働き盛りで独り身の人たちの労働意欲が極端に低下するのも無理もない話です。家族の、とりわけ自分の子供のためであれば、人はかなりの辛い労働にも耐える事が出来そうに思えます。そうでなければ、先人が過酷な労働に耐えて成し遂げた過去の偉大な事業や日々の単調な労働の積み上げの説明が出来ないでしょう。

さて、全ての人に効力感を持ちながら、労働に励んでもらい貰う方策は無いのでしょうか。考えられるのは、労働形態の多様化かも知れません。つまり、現代の「まともな」労働の形態は、企業に雇われて働く「サラリーマン(パーソン)」が圧倒的に多数を占めているのです。自営業や農業などの比較的自由な労働形態は、多様な労働の形態を必要としますから、サラリーパーソンから見れば、一見落ちこぼれた多様な人材の受け皿になり得るでしょう。現代社会での人の価値が、企業から受け取る給料の多寡に偏り過ぎている事は否めないでしょう。そうではなくて、働く人がその人なりに、人の(何か)の役に立っていると言う効力感を持ちながら、多様な働き方を許す社会こそが、見かけ上の落ちこぼれを無くす方策になり得るとみています。

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2012年4月27日 (金)

1704 断熱産業

電力グリッドに加えて、熱グリッドが必要だと仮定して、エネルギーを考える上で、この国の住宅事情やインフラがこのままで良い訳ではありません。何より、特に北欧の住宅などに比べて圧倒的に断熱性能が劣ります。比較的新しく建てられた北海道の住宅などは比較的高断熱仕様となっているのでしょうが、本州の住宅の断熱材は精々グラスウールが75㎜~100㎜も入っていれば御の字でしょう。グラスウールは、確かに断熱材の一種ではありますが、性能のレベルは低い断熱材だと言うしかありません。グラスウールは、スカスカのガラス繊維の綿の様なものですから、通気性が良過ぎるからです。従って、内外の温度差が10-20℃くらいまでなら何とか断熱材として機能しますが、それ以上の温度差の環境では荷が重いのです。

従って、更に上の断熱性能を発揮させるには、ガラスウールの密度を上げるか、あるいは独立気泡を持った断熱素材に任せるしか断熱性能を高める方法は無さそうなのです。先ず、前者ですが、ガラス繊維には弾力性があるので、単に圧縮しただけでは、力を掛けるのを止めれば元の嵩に戻ってしまうでしょう。例えば、表面フィルム越しに、粗くミシンを掛けるなどの方法で、密度を保たせる必要があります。後者としては、ウレタンフォームなどがありますが、ウレタンを製造する際の石油資源の消費や火災時の有毒ガス発生などを考えれば、別の材料を検討すべきでしょう。最右翼候補はパルプでしょうか。古紙のリサイクル用途としても有望です。古紙パルプの中に、如何にして独立気泡を作るかは、かなりの工夫が必要でしょう。

同様に、熱媒体(たぶん温水になります)を、熱のロスを少なく送るためには、高断熱パイプも必要となります。しかしながら、ヨーロッパにはそのような市場がありますから、種々の断熱パイプが安価に入手できますが、例えば数百メートルの温水輸送に適する様な、規格化された温水パイプは、この国では殆ど製造されていませんので、入手できても非常に高いものにつきます。住宅やビルの屋根面、壁面の断熱に適する、薄くて性能の高い建物用断熱材と、高断熱パイプの市場は、非常に有望で、かつ強いニーズのある成長分野だと断言しておきます。

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2012年4月26日 (木)

1703 タンポポの直観

この季節、雨上がりの日の朝には、田圃の畔には頭をもたげたタンポポの綿毛が目立ちます。数日前までは全く気が付きませんでしたから、1-2日で急速に綿毛の茎を伸ばした事でしょう。さながら、タンポポは、この日が晴れて、乾燥した日になる事を、雨が降っていた前日から予測していたとしか思えません。それは、これほどまで広く繁茂に成功した、タンポポ(とりわけ西洋タンポポ)の遺伝子に組み込まれた戦略が見事に効奏した証左だとも言えます。実際、春先の低気圧は、急激に発達しますが、雨上がりは結構短い時間で回復し、晴れ間が広がるのは日常経験するところです。

そもそも植物が、天気図やレーダーを使わないで、どの様な気象情報を集めれば、雨の日の翌日がからりと晴れた、かなりの風の吹く快晴になると予報できるのかです。明日の天気は、もちろん気温だけでは決まりませんから、想像するに雨の降り方、地中の水分率、大気中の湿度の変化、気温の変化率、気圧の深まり方などの情報を総合的に「演算」しながら、綿毛を飛ばすタイミングを見計らっているはずです。

言わば、色々な数多くの小さな情報をかき集めて、これから何が起こりそうかを判断し、決断を下す事を「直感」と呼ぶならば、これはまだにタンポポの直観そのものでしょう。悲しい事ですが、私たちの直観は、情報量が多くなるにつれて、極端に弱まってしまった事は否めません。直感を高めるためには、小さな変化に敏感になる必要があると同時に、それらの小さな情報を統合する必要もあるからです。その意味では、ある情報は、特定の状況では、他の情報を増幅したり、あるいは無視したりする、働きがありそうな気がします。

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2012年4月25日 (水)

1702 自家「発力」

化石燃料の輸入量急増に関しては、一言、国にも企業にも「知恵が足りない」と、切って捨てるしかないでしょう。原発の停止で出来た穴を、化石燃料(とりわけLNG)による火力発電で100%埋めるなどと考えるのは、あまりに安直です。足りないのは、電力供給量ではなく、エネルギーを有効に使うための知恵なのです。

何度も書くように、電気をそのまま電気として使う用途は限定されています。多くは、動力や熱として使われているのです。例えば、ある工場で24時間回っている大きな送風機か集塵機を考えてみましょう。それが、合計で100kw程度の比較的容量の大きなものだったとしましょう。この工場の契約電力量は、無条件に100kw分だけ上積みされるでしょう。契約電力料金は、たぶんkw当たり1000/月以上にはつくでしょうから、経営者はこの動力分だけでも毎月10万円の基本料金と、90万円程度の従量料金、合計では100万円毎月毎月を払い続ける事になります。

さて発電所効率を40%と仮定し、送電効率を80%と仮定すれば、発電所では売るべき電力量の約3倍の熱エネルギー(石油かLNG)を投入しなければならないのです。しかし、日本の火力発電では廃熱を殆ど利用していませんので、悲しい事に発電ボイラからの排気はそのまま煙突から放出され、大気を暖めるだけにしか使われません。しかし、もし上記工場の送風機か集塵機を直接ディーゼルエンジンやガスタービンで駆動させる決断をすれば、90万円の電気料はそのまま浮きますので、新たに導入したエンジンの燃料代に回せる上に、契約電力料金も10万円浮く事になります。送電ロスも無いので、効率の良いエンジンを用いれば、燃料代もかなり少なくて済む筈です。加えて、エンジンから排出される熱は、工場の他の部署で使っている熱源として使えますので、総合的な熱効率は多分60%をかなり超えるレベルまで高める事も可能です。工場で動力+熱供給した分に応じて、当然の事ながら工場のボイラで焚いていた重油や発電所で使う化石燃料も減らせるはずです。

以上の議論で、企業が自分である程度の動力や熱を自前で賄う事により、日本が輸入すべき化石燃料は、ざっと半分程度まで削減できるポテンシャルがあると言う事がお分かりいただけたと思います。足りないのは電力ではなく知恵なのです。

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2012年4月24日 (火)

1701 貿易赤字

昨年のこの国の貿易収支は、大幅赤字だったとの事。その額はGDPの1%に迫る4.5兆円規模とか。いよいよ、この国も売るモノが無くなってきたのと同時に、原発の停止に伴う化石燃料の輸入にも拍車が掛かってきた感があります。

先ず、売るモノが無くなってきたと言う点です。車や家電は、耐久消費財とも呼ばれますが、途上国の常識で言えば、それらは立派な財産で、決してこの国や先進国の常識である様に「消費財」ではないのです。ですから、これらの商品は、一通り行き亘れば、やがて中古市場が生まれて、新品の売れ行きは鈍化する筈です。車市場も、先に石油需給ひっ迫が来るかもしれませんが、量的にも間もなく飽和状態に入る事は明白です。何度も書きますが、10年後、20年後、この国は一体何で食っていくかについて、国を挙げて真剣に考えるべき時なのです。その意味では、この国の政治家も(話を聞いてみれば、似たりよったりの政策を掲げている事が明白な寄せ集め集団でしかないのですが)他の党の揚げ足取りをしている場合ではないでしょうし、メーカーもメーカーで、カルテルなんぞを結んで、少しばかりの利益アップを図るなどという姑息な手段を弄している場合ではないのです。

追い風が吹いている分野は明白です。省エネルギーや新エネルギー分野です。1リッターで100㎞走る車や、これまでの半分のエネルギー源単位(単位製品当たりのエネルギー量)で製品を作る手法やその設備などは、今後何倍にも市場が拡大するポテンシャルを持っています。現状の製品の量産手法を磨いて、ひたすらコストを下げるだけの「20世紀型の生産手法(具体的にはカンバン方式などです)」は、すでに行き詰っている事に早く気が付くべきです。このままでは、貿易赤字は雪だるま式に積み上がって、赤字債権との双子の赤字国への坂を転げ落ちるしかないのですから…。化石燃料の輸入量急増については、項を改めます。

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2012年4月23日 (月)

1700 発「熱」機

発電機ではありません。発熱機です。このブログでは度々動力の直接的な熱変換に言及していますが、それをもう少し具体化しておきます。力を熱に変えるのは結構簡単です。固体同士をこすり合わせれば、当然の事ながら摩擦熱が発生します。しかし、問題なのは固体同士の擦過では、どちらかが(あるいは双方)がすり減って、徐々に磨滅していく事です。それを防ぐには、例えばディスクとパッドを水中でこすり合わせるなどの工夫が必要です。

一方、流体摩擦(液体の粘性などによりファクターが変わる)を利用する考え方もあります。具体的には、非常に粘性の高い物質の中で、アジテータ(プロペラの様なものです)を回すと、しっかり発熱させる事が可能です。類似の実用例としては、風車で作動油に圧力を加え、それをノズルから高速で噴出させる事により油温が上昇させ、それをラジエータ(放熱器)に循環させた暖房システムなどが挙げられます。

しかし、流体の比熱や安全性を考えれば、作動流体(熱媒体)としては、水が最適である事は間違いない訳で、少し工夫は要りますが水を中心に据えて考えて行くのがベターでしょう。例えば水の粘性を上げるため、食品などに使われる安全な増粘剤を使う事は有効かもしれません。発熱機で温度を上げた水を、しっかり断熱材を貼りつけたタンクに貯蔵しておけば、エネルギーの一時貯蔵も容易です。それによって、水量の変化などによって、得られるエネルギーが変動するのを補完する事も容易でしょう。いずれにしても、これら動力を熱に変えるシステムは、太陽熱や地熱など、その場所で得られる他の熱源と組み合わせて、多面的に利用する事も必要な条件となります。

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2012年4月22日 (日)

1699 連結水車

ここでは、小さな規模の水車を考えてみます。小規模な水車(マイクロ水力)の利用例では、上掛け水車やアルキメデス水車(螺旋水車)が多く見受けられます。しかしながら、疑問に感ずるのは、これら回転数の遅い水車を、無理に発電目的に使っている点です。発電機は、回転数が高い程コンパクトに出来、かつ発電効率も高くできます。従って、風車や水車などから毎分数十rpm~数百rpm程度の回転数しか取り出せない場合、仕方がないので高価な増速機(ステップアップギヤ等)を付けるしか方法がない訳です。

このブログで何度も書いているのは、低速の動力源の場合、何も無駄に電気などに変換しないで、そのまま「発熱装置」を駆動して、熱利用したらどうでしょう、というものです。それはそれとして、どうしても電力が必要なケースでは、ではどう考えたら良いのでしょうか。一つの考え方は、水車や風車の直径を小さくして、回転数を稼ぐ方法があります。例えば、毎秒1m程度の流れ(それほどの急流ではありません)から動力を取り出す場合、水車の直径が2m程度の水車(周長では6m強)では、10rpm程度しか回りませんが、直径を1/4にすれば回転数は4倍に高まります。一方トルクは1/4に減りますので、これをカバーするためには、いくつかの水車を機械的に連結すれば良い訳です。

イメージ的には、例えば50m程度の比較的小さな流れの中に、50個程度の小さな水車の列を並べ、例えば5-10kw程度の出力を得る様なものを想像して貰えば良いでしょう。もっと直径が大きく、トルクも大きな水車は、そのままの回転数で発熱機を回し、直接温水としてエネルギーを取り出せばよいのです。いずれにしても、水力発電に適するのは、流速が速く(つまりは落差が大きく)それなりの流量も稼げる限られた立地になると言う点は、重要なポイントです。そうでない場所の水力は、それなりに利用するしかない訳です。

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2012年4月21日 (土)

1698 スマート「熱」グリッド

電力におけるスマートグリッドが注目され、小さな地域でのいくつかの実験も始まっています。しかし、何度も書くようにエネルギー利用の最終形態は殆ど熱なのであって、直接電気そのものを必要とするのは、家庭においては例えば電灯やテレビやシロモノ家電のモーター程度なのです。冷暖房であれ、調理であれ、給湯であれ、量的に圧倒的に大きいのは熱利用だと念を押しておきます。

さてその熱は、現在のところは、LNGや灯油や電力から得ていますが、来たるべき社会では、太陽熱や地熱やバイオマスや廃熱など、あらゆる熱源を組み合わせる必要があります。その際に、低温の熱源を上手く使う技術は、まだまだ未熟だと言うしかありません。そこで、ここでの提案は、熱をスマートに使うための仕掛け=スマート熱グリッド、というわけです。それはどんなものかと言えば、需要家側で発生する、熱のデマンドを熱量計(温度と水量を掛け合せて算出)で把握し、熱供給事業者側では、それに合わせて、その時間帯に得られる多様な熱源を組み合わせて、熱を作る訳です。もちろん、コストの高い熱源を使う時間帯は、単価はしっかり上げておきます。しかし、熱は電気とは違って容易に温湯タンクなどで貯めておくことが可能なので、需要家側でもそれなりに工夫すればコストセービングは出来易いでしょう。

当然のことながら、熱は遠くへ送るほどパイプから逃げて目減りするので、このグリッドは比較的狭い範囲で使われてこそ最大限の効果が発揮できるでしょう。理想的には、田舎では例えば、木材工場などのバイオマスが容易に入手可能な施設を、都会では熱や蒸気を多用し、廃熱が得られる施設を核として、その周辺地域でグリッドを組めば良いでしょう。それが期待できない地域では、太陽熱や地熱などを利用した、さらに小さなグリッドになりそうです。究極は、戸建て住宅での自立型熱供給システムになるかもしれません。

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2012年4月20日 (金)

1697 冷熱源

山形からの帰路、山々や谷あいに残った豊富な残雪を眺めて、改めて豊かな気持ちになりました。高い山々に降った積雪は、夏前までの貴重な水源であると同時に、豊富な「冷熱源」でもあるからです。温度差があれば、エネルギーを取り出す事も出来ると言うのが、熱力学の諸法則が教えるところですから、雪国には新たなエネルギー源があると考え直せば良いわけです。

単純に考えれば、雪解け水は水源であると同時に、高い場所にある水ですから位置エネルギーも持っていますので、昔から大小の水力発電や村々の水車などで利用されてきました。新しい技術としては、以前にも紹介した、低温で気化・液化が可能な物質(例えばフロリナート等)を使って、地熱と雪氷温度の差を利用して、熱サイクルを組む事も出来ます。また、最近注目されているのは、熱電素子です。温水程度の熱源があれば、冷熱源である雪氷温度とは7-80℃程度の温度差を作る事が可能ですから、熱電素子を使って直接電力を取り出す事も可能です。温度差が小さいと変換効率も低くなりますが、それは面積でカバーすればよい訳です。何しろ、谷合の雪は夏場まで残っていますから、温泉熱が使える場所は非常にラッキーですし、そうでなくても太陽熱で得られた温水や温風と、残雪の温度差は十分使えるエネルギーだと言えます。

それに加えて、以前にも同様のアイデアを書いた様な気もしますが、春先に、例えば使われなくなったトンネルなどに雪を運び込んで蓄えて置けば、野菜や酒などの氷温貯蔵が可能になりますので、作物の端境期の調整や、食品や酒の品質向上による付加価値もあがりますので、これも有望な冷熱源の利用法となるでしょう。つまりは、北国の積雪は、厄介者どころか、逆に非常に有望な資源だと見直されて然るべきなのです。雪を上手く克服し(克雪)それを利用する技術(利雪)は、まだまだ磨いていく必要がありそうです。

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2012年4月19日 (木)

1696 熱源アイデア

1695で書いた様に、私たちは真剣に、石油、LNGやそれを使って起こした電力を使ったものに替わる、新たな熱源を探さなくてなりません。バイオマス(木質燃料など)はその一つではありますが、これも決して切り札にはなり得ません。確かに森林が豊かな地域では、それでも高い割合で、化石燃料を代替できるでしょう。例えば、50%かそれ以上までの代替も可能だとは思います。

そうは言っても、人口が極端に大きく、周りに山や森林もない都市部でこれが実現出来る訳もありません。しかし、都市部では都市部なりの熱源も見つかるはずなのです。例えば、工場やビルの廃熱、ビルや工場の屋根に降り注ぐ太陽熱、切れ目なく走る車からの廃熱や道路を通過する衝撃力さえ、工夫さえすれば熱として取り出せるかも知れません。冗談に聞こえるかもしれませんが、人が体表面から放つ熱量は概ね70w前後ですが、1000万人の発する熱量は、70kwですから、寄せ集めれば原発1個分くらいの熱量は期待できると言う事にもなります。言葉を替えれば、もし体から出る熱を殆ど逃がさず溜めこんだり、放出したりできるなら、私たちは70wの熱源を身に着けている事になるので、その意味では私たちはまだまだ「不完全な衣服」しか持っていないと言っても良いかもしれません。魔法瓶と同等な断熱性能を持つ衣服が開発されれば、事実上私たちは暖房器具を必要としない筈です。

そこまで極端な話でなくても、周りを見回して何となく暖かな煙や蒸気を放出している工場や家や建物や設備等、非常に多様で量も多い事に気が付きます。田舎に行けば、これに加えて小川や用水路には豊かな水が流れていますので、流れのエネルギーも熱に変換できれば(実のところ機械エネルギーから熱への変換効率は100%です)、農業残渣や家畜し尿からのメタンガス燃焼熱、さらには「堆肥の発酵熱」なども加えたバイオマス熱源に加えて、熱源は更に多様化が可能です。

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2012年4月18日 (水)

1695 熱源の多様性

山形のT芸工大で開催された、オーストリアのバイオマス事情の報告会では色々刺激を受けました。主に山形在住の色々な立場の人たちも、それぞれの立場で現地視察を行って、それぞれの立場で刺激を受けて帰ってきた様です。その中で、現地報告の中にあったシステムとして、都市の大規模な熱電併給施設も立派なものですが、一方で村々の小規模な熱供給組合が印象的でした。つまり、数軒の家や、やや規模の大きな事業所を核にした熱水のネットワーク(報告の中ではマイクロネッツと呼んでいました)を組んで、暖房熱供給や給湯を行っていると言う点でした。これは、以前にフィンランド人から聞いた彼の国での事情とも重なるので、北ヨーロッパの国々には、熱水による暖房や給湯の長い歴史があるのだと改めて思いました。(1669のカザフの事情も参照)

さて、ここで書きたいのは、熱水による暖房や給湯にも熱源が必要ですが、北ヨーロッパではインフラとして、水道管と並んで「熱水管」のインフラが出来上がっているという事実で、それはとりもなおさず、エネルギーインフラの多重化が既に出来上がっているという事でもあります。つまり、電力供給というインフラ、LNGという気体化石燃料のインフラ、灯油や重油という液体化石燃料のインフラに加え熱水インフラ、という様に少なくとも4重にはなっている訳です。一方、この国では電力網整備に力を入れ過ぎた結果、辛うじてそれに加えて石油類の化石燃料に都市部でLNGインフラが出来ているのみで、いわば精々2.5重程度にしか多様化されていないとも言えるでしょう。そこに持ってきて、この原発停止です。その2.5重のシステムも、今は2重程度まで後退しようとしているのです。

昨年の震災以降エネルギーの多様化はマスコミでも、話題に上らない日はありませんが、エネルギーの多様化(多重化)は、決して発電方法の多様化だけではありません。寒冷な地域では、冬場の暖房や給湯の熱源(今は灯油やLPGLNGですが)こそが必要なのであり、決して電力などではありませんし、温暖な地域でも年間を通じての給湯需要と、夏場の高温多湿の耐え難い気候をしのぐための方法なのであって、電力それ自体ではないのです。つまり、この国でも必要なのは、今以上の発電設備の増強などではなく、実は「熱源の多様化」だと結論できるでしょう。

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2012年4月17日 (火)

1694 遊び心

週末は、東北の山形まで行ってきました。往きは高速バスで東北道を使いましたが、帰りは日本海側に抜けて、富山まで車に同乗して移動しました。この季節、蔵王や月山を始め日本海側の山々は、また真っ白な衣装をまとったままで、峠では道路脇に数メートルの雪の壁が出来ていますが、流石に里は雪も消えて早春の風景です。それにつけても、この国の日本海側は、世界でも稀に見る豪雪地帯である事をしみじみ再確認した思いです。とは言っても、この雪が無いと雪解け水を利用した農業も、夏場の水供給も危うくなる訳で、その意味で豪雪の「天然のダム」としての価値には、非常に大きいものがあります。

さて、高岡で仕事をして、高山線で岐阜に帰る道すがら、列車の窓から見える飛騨川の谷の光景には、何時も見とれてしまいます。傾斜が45度かそれ以上ありそうに見える谷の両側は、天然林と人工林が入り混じっており、岩壁は殆ど見えません。先人が、どの様にして急傾斜の斜面に、数百メートルの高さにまで植林を行ったのか。たぶん、縄などで体を支えないと、滑り落ちてしまったでしょう。体を支えながらの作業は、実は非常に難しいのです。趣味が登山の投稿者としても、それが痛い程想像できます。

しかし、感心するのは、植林された人工林ばかりではありません、その人工林の中や天然林のあちらこちらに、実は桜も植えられている事です。他の季節にはそれに気が付く事はありませんが、今はまさに桜の季節ですので、暗い色の森林にいくつかの灯りが灯った様に、桜は自己主張します。それは、つらい肉体労働の合間にも、数十年後の子孫の目を楽しませようと考えた、ご先祖様の遊び心でもあったはずです。時間に追いまくられている、忙しい時代に生きている私たちも、ぜひこの様な遊び心は忘れない様にしたいものだと思った帰路でした。

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2012年4月16日 (月)

1693 規制法から基準法へ

法律の多くは「義務法」や「対策法」である事は、法律の素人でも想像がつきます。無法状態では、社会の規律が保てないので、何々をしなければならないと言う義務条項と、何々してはならないと言う禁止条項を列記した法律が作られます。しかし、これからの時代に必要なルールは、あるべき望ましい基準を示す、いわば「基準法」ではないかと思うのです。

分かりにくそうなので、具体例を挙げてみますが、例えばエネルギー関係の諸法が思い当ります。現在のいわゆる「省エネ法」では、エネルギー使用の合理化(管理)と年率1%の削減などを義務づけています。一方、ここでいう基準法とは、例えば何年か後の使用エネルギーの何%かを、自然エネルギー(再生可能エネルギー)で賄うべきであると言う、エネルギー源の割合レベルを示すものを指します。この基準があれば、例えば企業や家庭でも、将来に向けての設備投資の計画が立てられますし、一方でエネルギーを供給する側(例えば電力会社)としても、無駄な投資が抑えられるはずです。

確かに、時の首相が時々「我が国の西暦XX年における再生可能エネルギーの割合を〇〇%にしたい」などと花火は打ち上げますが、それはしかし決して法律ではありません。単なる、有権者や国際社会に向けての、拘束力のない口約束に過ぎません。もちろん難しいのは、単に基準を示すだけでは無責任で、そこに至る道筋をかなり具体的に示す必要もあります。単に、自然エネルギー全体の%を示すのではなく、太陽光、小水力、風力などの個別のエネルギーの割合と、加えて、例えば太陽光による空気中の炭素固定(つまりは人工光合成の事ですが)などの、将来絶対に必要となるはずの技術に対するガイドラインも示している法律でなければならないでしょう。ガイドラインさえあれば、企業としても経営資源をそちらに振り向ける意欲もグンと強くなる筈です。

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2012年4月15日 (日)

1692 所得の二極化

社会が一番安定しやすい構造を考えると、たぶんピラミッドの様な人口構成と、分厚い中間層を持つ、「正規分布の収入分布」を持つ場合である事は、誰が考えても明らかです。しかし、特にこの国では下が細い「樹木型」の人口構成と、いまや完全に二極化した収入分布を持つに至りました。この国が他の国と異なるのは、低所得層に対しては、退職した富裕層(あるいは食うに困らない世代)からのサポート(所得移転)があるため、いわゆる途上国での社会不安程は、不安の度合いは大きくないと想像されます。過去に、しっかりと年金を収めた世代の子供(いわゆるアラフォー世代やそれ以下の世代)のかなりの割合が、かなりの程度経済的に親に頼って暮らしている可能性があります。典型的には、独身で、かつ親と同居しているパターンでしょうか。

しかし、このままで済むはずがありません。今や「四十にして惑わず」は全くの死語になりかけており、四十にして親に頼り、結局は独身のままで生涯をすごす人の割合が増加しているからです。その意味で、団塊世代はこのままで楽隠居できそうもありません。人口ピラミッドの樹木型への移行は如何ともしがたいにしても、少なくとも所得の二極化には何としても歯止めを掛ける必要があります。一つには、実際に所得の再配分を行って、所得を移動させるか、あるいはもう一つの方法としては、所得が低くても暮らしていくのに心配の無い社会を作るか、といういずれかの方法を取る必要があるのでしょう。前者の手段としては、例えば団塊世代は二世世代に対して、自立を即す様に指導を続ける必要があります。即ち、団塊世代は忙しさにかまけ、自分の子供世代の教育を学校任せにしていた事を反省する必要があるでしょう。企業の中でも、自分の後輩に目を掛け、彼らの成長を十分にサポートし得たか、振り返ってみる必要もあります。企業で30数年働いて、企業からそれなりの退職金を得て、その後年金まで貰って、悠々自適の生活に入ろうなどと考えるのは、あまりにも身勝手というものでしょう。退職金や年金を貰うのは、もちろん彼らの権利ではありますが、では彼らの退職後の義務は?と考えれば、どう考えても若い世代の幸福と安定をサポートする事以外にはあり得ないでしょう。何度も書きますが、「楽隠居は待った!」です。

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2012年4月14日 (土)

1691 消費は悪徳・美徳?

20世紀のある時期「消費は美徳」などと、叫ばれた時期がありました。その行き着いた先はといえば、結果としては、バブル時代というあだ花の開花につながりました。土地価格がロケットの様にグングン上昇し、高級車や派手な装飾品などの高額商品が飛ぶように売れ、皆が金儲け(財テクは懐かしい言葉にありました)とそれで儲けたお金を使う事に熱中した時代でもありました。

しかし、時代は変わりました。今や消費は、環境を悪化させゴミを増やす元凶であり、「悪徳」に近い印象を持たれる行動になってしまいました。そうなると、モノが売れなくなり、景気も下降してしまいますが、もはや政府も「消費は美徳」だなどとは声高に叫ぶ事も出来なくなりました。先立つもの(税収)が落ち、おまけに震災被害の復興に加えて、ほぼ全原発の停止という強烈なボディブローを食らい続けています。その中で、この国の景気を押し上げていく事が、本当に可能なのか、多くの経営者も打つ手が見つからず、結局赤字減らしのためには、企業規模をシュリンクさせ、身を低くし逆風をやり過ごす「カタツムリ作戦(あるいはアルマジロ作戦?)」を取り始めています。

とは言いながら、身を縮めなければならないのは、逆風に立ち向かうからである事を、経営者は早く気が付かなければならないでしょう。そうではなくて、追い風を探す方が出口は近いと思うのです。追い風を感ずるには、何は無くとも「アンテナの感度」を最大限に上げる必要があるでしょう。企業活動にどっぷりと浸かっているとあまり感じない「時代の風」も、投稿者の様な自由業の立場に居るとかなりしっかりと感ずる事が可能です。何しろ、どうにかしてオマンマを食べていかなければならないので…。

さて、消費は美徳でも悪徳でもありません。あるのは、必要な消費とそうではない消費の2種類があるだけです。しかし、その境界は時代によって、揺れ動くのは否めません。バブル時代の必要な消費は、今や贅沢で不要な消費と考えられる様になりました。しかし、反省する必要があるのは、人間には楽しかった贅沢の記憶をなかなか忘れられず、願わくは「夢よもう一度」と考えてしまう悲しい癖がある事です。

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2012年4月13日 (金)

1690 企業の行き詰まり

SニーやSープの巨額赤字が報道されていますが、それは図体が大きくなるほど小回りが利かなくなる、動物で言えば「象」や「クジラ」を連想させます。しかし、たった50年前を思い起こせば、その頃は高度成長期の真っただ中で、今は大企業と呼ばれる多くの企業もまだ創世記にあったはずです。SニーやSープに限らず、HンダやTヨタだって、まだ規模もそんなには大きくなく、経営的にも幾多の困難に遭遇していたはずです。しかし、彼らは小さいながら、元気印で頑張って来たのでした。もちろん、その頃の企業経営者がラッキーだったのは、社会の経済規模全体が右肩上がりで、かついくつかの海外特需もあり、打つ手の殆どが結果的に上手く転がってくれたと言う点にあるでしょう。

とは言いながら、この頃の経営者は、実は立派な「起業家」でもあった訳で、伝説のH多総一郎氏も二輪から四輪車への転換に夢中になっていた時代でもあったでしょう。先ず軽自動車を作り、ついで空冷の1300㏄車をデビューさせ、更にCVCCをテコとした低公害車により一気にシェア拡大を図ってもいました。1689でも書いた様に、二輪車から四輪車へのステップアップは、製品としては企業の総合力をアップさせる素材として理想的でもあった訳です。もちろん社会的背景として、パーソナルな移動手段としての車に対しては、強烈な需要が起こっていた事が追い風になった事は間違いないでしょう。

今大企業病に掛かっている企業に忘れて欲しくないのは、しかし起業家精神でしょうか。企業経営は、実は守りの戦略しか必要としません。攻めに転ずるためには、バネに力を蓄える様に技術力や人材力を矯め、しかる後に今後進むべき方向に照準を定めて、力を集中させる必要があります。それは、決して「現在儲かっている分野」への選択と集中ではなく、来たるべき社会を見据えた新たな方向であるべきです。そのためには、「真のニーズ」を見透し、しかも独創的なアイデアに溢れたものである必要もあります。企業の行き詰まりの原因としては、結局は独創性の枯渇がトップに来るはずです。戦後、企業創世記の起業家たちの頭は、溢れる様なアイデアに満ちていたはずです。

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2012年4月12日 (木)

1689 何故車?

車メーカーは、国際化戦略、つまりは途上国での生産=海外生産で作った車を、周辺途上国へ輸出し、利益を日本に持ち帰る戦略でまだまだ進めると考えている様に見えます。ところで、なぜ車が、いまだに国際戦略の商品として機能しているかを考えてみると、それが適当な製品だからというしかありません。車は、住宅を除けば最大の大きさで、しかも高額な個人向け商品であり、かつその中に種々のコンポーネント(工業製品)が使われている、裾野の非常に広い工業製品ではある訳です。車の中には、エンジンブロックを始め、各種の電装部品、ゴムやガラスや内装品から、オーディオからカーエレクトロニクスまで、企業数でいえば何百社(下請け孫請けまで入れれば数千社)の裾野が広がっている訳です。

しかも、途上国では基盤としての工業力がそんなに高くなくても、先ずは完全なノックダウンから始めて、徐々に国産率を高めていくアプローチが可能であるため、途上国にとっても工業化のステップを刻む製品として適当な素材でもあります。これに替わる適当な工業製品が他にあるかを考えてみても、考えつきません。電子化が高度に進んでしまった電化製品は、大きな設備投資が必要でしょうし、航空機などはあまりにもハードルが高すぎます。その意味では、車ほど技術レンジが幅広く、かつ裾野が広い製品は他に見つからないのでしょう。さて、車産業がこのまま拡大を続けることが出来るかどうかは、実のところ石油の産出量と価格の推移に掛かっていると考えられます。石油産出量が減り、価格が庶民の手の届かないレベルに跳ね上がれば、車もただの「鉄の箱」と化す事でしょう。

では、何がそれに代わり得るかという点ですが、間違いなく新エネルギーしか見当たらない事は、異論が出ないところだと思います。新エネルギーと一口で言っても、その幅は非常に広く、薪炭の新しい利用(バイオマス)や、オランダ風車(やスペイン風車)の様な、伝統的な技術で利用可能なものもありますし、何より太陽光の直接利用(熱利用)などは、難しい技術を必要としないはずです。かつては重工が風車を手掛けていましたが、石油が易くなって投げ出しました。最近も車メーカーが中型風車を再度開発しかけましたが、価格競争はなかなか厳しそうです。しかし、車メーカーに体力が残っている内に、この国として「新エネルギー大国」にのし上がるしか、生き残る道は無いと思い定めるべき時期です。

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2012年4月11日 (水)

1688 何を作る3?

このタイトルでは何回か書いた気がするので、一応その3としました。さてS社が1万人規模の人員整理をするとか。更新国が、近代化の道を進むとして、この国で起こった出来事を思い出しても、産業の基盤でもある鉄鋼や造船が先導し、産業全体を底上げする中で、時代の作ったチャンスとでも言うのか、トランジスタという電気素子を使って、最初にラジオやテープレコーダ等を作った企業が、今や20万人を抱える大企業になった訳です。しかしながら、この国の産業の在り方は、先進国のモノ作りを真似しながら、そこに改良を加えて、品質を上げつつ、コストは下げると言う手法にこだわりつつ、しかしそこからは抜け出せないままで、ここまで来たのだと思います。

その産業の中から生まれたのは、家電製品であり、あとは車くらいしかなかったと言えるかも知れません。残念なことに、Iンテルに出来て、日本に出来なかったのはパソコンのCPUを開発して世界標準にする事でしたし、トロンという基本ソフトもメジャーにはなり得ませんでした。パソコンでは、DルやHPッカードの安さには勝てませんでしたし、携帯電話はといえば、やたらと色んな規格やデザインのものを市場に流し込んだだけで、何らのDefacto standardすら生み出せませんでした。スマホやパッド型の携帯端末でも、オロオロと欧米や韓国や台湾や中国の後追いを繰り返すだけです。

では今後どう考えて何を作っていくかですが、発想の転換が是非必要だと思うのです。素材や技術は全てあるのです。問題の根は、将来を見越した長期戦を構えて、市場の真のニーズを把握し、それを実現するための機能を持つ製品と、それに使われる規格や技術を世界標準に誘導するための戦略が、これまでは殆ど無かったというしかないのでしょう。とりわけ、数年単位で株主から求められる結果に汲々とする、多くのサラリーマン社長の責任は重大だと言うしかありません。自分の社長時代には、株主からコキ降ろされようが、意にも止めず10年後20年後評価される事にまい進する様な「真の経営者」が、今の企業には決定的に不在なのだと思います。

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2012年4月10日 (火)

1687 PVを冷やす

少し前のニュースでは、陶磁器メーカーが太陽電池を(たぶん素焼きの)タイルと少量の水で冷や実証試験を行っているとの事でした。確かに、投稿者の手元にある実際のシステムデータでも、10kwの公称出力を持つPV(太陽電池パネルです)の、夏季の実出力は最大でも7kwがやっとでした。カタログ値からみれば約30%の目減りです。もちろん、カタログに載せてある出力は、渇して誇大広告ではなく、ちゃんとした条件で計測すれば、公称出力は出せるはずです。出力が目減りする最大の原因は、実は太陽光パネルの過熱による効率低下にあるあるのです。少なくとも目減りの20%分は、過熱が直接の原因と言い切って良いでしょう。

効率低下の詳細なメカニズムはさておいて、いずれにしても太陽光から電力への変換効率が低下する訳ですから、その対策としてはともかくPV自体を冷やす事になります。しかし、冷やすために自分が作った電力を使って、例えば冷凍機などを動かすのは、タコが自分の足を食べる事と同じになりますので、そうではない自然の原理を使ったものを工夫する必要があります。それが、素焼きのタイルという訳です。これは何も日本人の発明ではなく、現代でも砂漠の民は、皮袋や素焼きの壺に水を入れて、表面に少しずつしみ出た水が蒸発する気化熱で、中の水を冷やして喉を潤しています。

同じ原理で、少量の水で濡らした素焼きタイルを、PVの裏に接して設置すれば、たぶん10℃程度は、下げる事が出来そうです。問題は、日本の気候と、砂漠のそれは非常に異なると言う事です。つまり砂漠では、日中は殆ど一桁%の湿度まで下がりますが、日本の夏は70-80%の湿度となる日も珍しくありません、日射があって、しかも湿度が高い日が多い、日本の気候では「素焼きタイル作戦」の効果も限定的となりそうです。それを改善するには、たぶんタイルからの蒸発を促進するための通風でしょうか。それも、電気を使ってファンを回すのではなく、太陽の日射で出来た高温の空気が起こす上昇気流を利用した、自然「強制空冷」などの方法が理想でしょう。

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2012年4月 9日 (月)

1686 漂流記

現在のこの国の状況や、世界の揺れ動いている国々を眺めていると、子供の頃読んだJ.ベルヌの「15少年漂流記」を思い出さずにはいられません。島に流れ着いてからの出来事の詳細は忘れてしまいましたが、複数のマストを持ち当時の最先端の造船技術で作られ、スピードも想像以上に速かった(現在の足の遅いタンカー等よりはよっぽど速かったのです)帆船である「スクーナー」が、「普通の嵐」で遭難し、漂流してしまったと言うストーリーが、今起こっている状況に似ていると思った訳です。

このストーリーとのアナロジーで言えば、スクーナーは、工業化され、複雑な物流・経済ネットワークで結ばれている現在の社会システムであり、嵐の海は「暴れる金融の海」に喩えられるでしょうか。一見土台がしっかりしている様に見える社会インフラも、暴れまわる金融システムのコロの上に乗っかってしまえば、滑って転んでしまう事にもなり兼ねません。何とか投資顧問の顛末も、間違いなく氷山の一角に過ぎない事は、素人目にも明らかです。その少し前には、20年間も損失を飛ばしていてバレなかった光学機器メーカーもあったくらいですから、現在の金融の流動化と嵐は、あのバブルの時代の末期から既に始まっていたと考えるべきなのでしょう。というより、バブル崩壊の後始末は、決して水底のヘドロまでは浚っておらず、表面に浮き上がったスカムだけを掬い取っていただけだったとも言えそうです。

さて、この国を含む15少年(=多くの国々)が、果たして陸地にたどり着けるかどうかは、見えているかも知れない陸地や島影に気が付く事が出来るかどうかに掛かっています。リーダーたちが足元の、激烈な荒波だけに気を取られていて、進路を見失う事が最も懸念されます。今は、救命ボートの中で誰がリーダーになるか、小競り合いを繰り返している様にしか見えません。リーダーの最も重要な資質とは、結局のところ他の人よりどれだけ遠くを見通せるか、という能力だけに掛かっていると思うのです。

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2012年4月 8日 (日)

1685 カネに拠らない社会

Gリシャで、年金生活者が減額に抗議して自殺をしたとか。あの歴史の長い国でも、食糧も医療サービスも、今やカネでしか手に入れる事が出来ない事情は変わらない様です。たとえ、国の借金が膨大で、年金を減額されても、例えば基本的な食糧や医療の現物供与がある社会システムがあり、屋根のある住居がありさえすれば、このような悲劇は避けられたかもしれません。

翻って、ラジオから流れるこの国の国会論議を聞くとはなしに聞いていても、やり取りの中心にはカネが多い少ないという話しか出てきません。いわく、タコが自分の足を食う年金制度、あるいは超高齢化社会で、毎年1兆円ずつ医療・介護費用が増加し続ける、いわく消費税が何%になれば、歳入が何兆円増える、しかし国債費は何兆円増え続ける云々カンヌン。

私たちは、そろそろ何でもかんでも価値をカネに換算するのを止めにしなければならないと、心底思います。カネが無いと何もできず、何も始まらないし夜も日も明けない社会に、この国は一体いつから入り込んでしまったのでしょうか。手に職があって、日々の稼ぎが得られる人たちには、江戸の商人も、ツケ(=信用だけ)で喜んで(又はシブシブだったかもしれませんが)モノを渡していたではありませんか。

そこで提案ですが、このブログを読んでくれた人だけでも結構ですが、カネに頼らない経済の割合を少しずつでも増やしていって欲しいのです。具体的には、物々交換や、カネを求めない労働奉仕や善意の交換や、農作物の小規模な自給自足などなど、カネは無くても食える仕組みは色々なパターンやレベルで実現できると思うのです。そういえば、親は儲からないクリーニング業を営んでいましたが、カネにあまり頼っていなかったかつての時代、しばしば月々のクリーニング代のツケを米や野菜や果物などの、客が作った商売モノで受け取っていた事を思い出しました。手元にカネは無くても、働く事さえできれば何とか食うには困らない社会には、社会の構成員である私たちさえ努力すれば、一歩ずつにはなりますが近づくことが出来ると思うのです。

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2012年4月 7日 (土)

1684 車頼み

B国や途上国での車需要の増加に対応するため、車メーカーやメーカー連合の海外生産能力の急拡大ニュースが目白押しです。しかし、考えてみればこれが長期のトレンドである筈がありません。例えば、途上国での車の普及率の瞬間風速が10%あったとして、数年後もその上昇カーブの傾きが持続するかといえば、そんな訳はなく、間違いなく近い将来には飽和するはずです。その後は、減速も始まるでしょう。数十億人の人たちが、あまねく車の恩恵に与れるなどと考えるのは、まったくの幻想に他なりません。車は移動の手段の一つではあっても、決して人間が生きていくのに必須のモノ=衣食住ではありません。車が無くて、目的地に行くのが不便だったり、着くのが遅くなったりしても別に命に関わる訳ではないのです。

この国は、一体いつまで車産業とその輸出に頼り続けるのか、10年後を見越す時、背筋がうすら寒くなるのを禁じ得ません。この国の将来を先導する人たちが持つべき、「その先の戦略」が、殆ど見えてこないからです。ガソリンや電気を使って快適に移動する手段を提供する車産業や、ましてや航空機産業などを無理やり鼓舞して前に進めるのではなく、環境技術や省エネ技術や新エネ技術が、本当にこの国の将来のメシ種だと主張するなら、そこに至るための具体的な青写真を描かなくてはならないでしょう。安易に、太陽電池とオール電化で、実質エネルギー消費ゼロのZEH/ZHBだと言い張るのではなく、途上国でも容易に導入可能な、自然の仕組みを巧みに利用した、パッシブなPSH(パッシブ・ソーラー・ハウス)やPSHETH(地中熱利用ハウス)を早急に形にしなければならないでしょう。(PSHETHも勝手な略語ですので念のため)

これらのパッシブなシステムで、最も重要となる技術は、太陽光発電パネルでもヒートポンプでも、スマートハウスでもなく、それは「断熱・遮熱・蓄熱」技術であること銘記すべきでしょう。例えば、断熱性の良い家やビルは、室内に暑い場所(冬は寒い場所)が無く、均一な温度分布となるため、僅かなエネルギーでも良好な冷暖房効果が得られるため「本質的に省エネな住宅」となり得る訳です。北海道で優良な断熱住宅は、そのまま本州の温暖な地域でも優良な住宅になり得ると言う事です。車作りしか目に入らない、車メーカーには、先ずは夏の暑い盛りでも、殆ど冷房を掛けないで済む、断熱性の良い車を開発して貰い、それをそのまま住宅技術としても転用して貰いたいのです。

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2012年4月 6日 (金)

1683 Failure Case2

このテーマでは、以前も書いた様な気がするのでその2としました。話題は当然の事ながら、再稼働が近そうな停止中の原発の事です。さて、ストレステストがどの様に行われたか、もちろん外部の人間に詳細は公開されていませんし、直接的に公開されても素人に分かる筈もありませんが、似ているものに対比させて考えるのは、容易な理解に通ずるはずです。ここでは、原発と航空機を対比させて考えてみます。

航空機の安全に取って、最も重要な事は、どんな事態になっても、パイロットがどうにかこうにか安全に着陸させ得るかどうかです。例えば、着陸時には安全のためにスピードを落としますが、そうなれば揚力も低下しますので、飛行は不安定になります。そのため、航空機の翼にはフラップやスラットと呼ばれる、「高揚力装置」が必ず組み込まれています。それによって、翼の面積を広げ、あるいは翼の前後縁の角度を調整する事によって揚力も何割か増加させる事が可能となります。しかしながら、機械仕掛けで動かすこれらの装置は、種々の原因で故障する可能性を秘めています。油圧の低下、電気系統の故障、センサーの故障、あるいはメカの引っかかり等などです。これらが別個に発生する事もあるでしょうし、運が悪ければいくつかが重なる場合も考えられます。それら、考えられ得るトラブルのケースをFailure Caseと呼ぶわけですが、投稿者が見聞きした範囲でも、航空機の高揚力装置だけでもFailure Case20数ケースに及んだと記憶しています。

同じことが原発にも当てはまるでしょう。つまり、どんな非常事態に陥っても、少なくともどうにか冷温停止までは持ち込めるシナリオが絶対に必要な訳です。Fクシマでは、そのシナリオがつながらず、炉心溶融という最悪の事態まで突っ走ってしまった訳です。ストレステストで、一体何ケースのFailure Caseが想定され、それに対する冷温停止シナリオが全て成立しているのか、内容が公開されていないので全く不明ですが、もし地震の揺れや津波の襲来を、別個に議論してそれぞれに結論を出しているのであれば甚だ危険な結論だと言うしかありません。地震で、燃料棒の制御系が被害を受けた場合、あるいは冷却に関わるポンプが破損した場合などは、いくら非常用電源が確保されても、冷温停止にはなかなかたどり着けない筈です。地震や津波や人的エラー等、複数のトラブルが重なった場合でも、何とか制御棒を押し込み、あるいは冷却継続する事を可能とするシナリオがつながっていない限り、安易な再稼働などはすべきではないでしょう。

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2012年4月 5日 (木)

1682 爆弾低気圧

 

春の嵐の限度をはるかに超える、爆弾低気圧が通り過ぎました。春先に発達する低気圧は、南からから上がってくる暖かい空気団と、北から降りてくる寒気団のせめぎ合いの境界で生まれます。その二つの気団の温度差が大きい程、急速にかつ強大に発達する事にもなります。台風は、ヒマラヤなどの高山の下流に生ずる「カルマン渦」が、太平洋上の強烈な日射によって発達するものなので、主に夏場の気象現象ですが、春の低気圧はあくまでも、南北の気団の勢力争いの結果なのです。

 

さて、その低気圧がこれまでの気象記録にない程発達したと言う事は、南北の温度差が記録的に大きかったと言う証左でもあります。今年は、寒気団が遅くまで南に下がって残っている事は、なかなか暖かくならない事でも分かりますが、一方では太陽高度は春分の日を過ぎて、ますます高く、日射強度も上がってきているのも間違いないでしょう。しかし、単に気団に境目があるだけでは、前線が出来るだけで、低気圧が大きく発達する要素は生じません。それらがせめぎ合い、混じりあう時に渦の発生が必須の要素となります。寒気団の貯蔵庫は、内陸中心部(例えばモンゴル盆地)ですが、それらが吹き出す通路は、実は朝鮮半島の西の東シナ海となっている様なのです。ここから、冷たい舌の様に寒気団が下がってくると同じタイミングで、日本列島沿いに南から湿った暖気が上がってくると、そこには二つの気団の進行方向にズレ(つまりは回転モーメントです)が生じ、渦を発生させる力となります。

 

一方、南の湿った空気が湿度を雨として吐き出すと、凝縮熱が発生して気温が上がりますので、渦の上昇気流は急激に強まり、気圧の低下も加速する事になります。それに、暖かい日本海流のエネルギーがドンと加わります。しかし、それが今回記録的に(台風並みに)強まったと言う事は、投稿者が以前から懸念している、地球規模の気象変動の結果としての地域気象過激化の一つの顕われなのかも知れません。

 

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2012年4月 4日 (水)

1681 低濃度公害

廃棄物が廃棄物として処理されたところで問題は終わらない理由は、廃棄物処理の結果が低濃度公害の原因になり得るからです。通常の意味での公害は、四大公害裁判の例でも理解出来る様に、被害は地域が狭いとはいえ顕著で甚大です。しかしながら、ここで低濃度公害と定義しているのは、濃度が低いが故に、今日明日の被害は考えられないにしても、長期的に見た場合何らかの健康被害や環境への影響を与える可能性があるものを指します。具体的に言えば、少し前、ゴミの焼却炉から排出される、低濃度のダイオキシン類がマスコミで取り上げられたことがありました。焼却炉に近い農地の葉物野菜にダイオキシンが付着し、場合によっては体内に取り込まれる心配もあるというものです。

ではこのダイオキシン問題が、今は解決しているかと問われれば、大部分は未解決であると言うしかありません。焼却煤塵の中からダイオキシン類を除去する最も効果的な方法は、電気集塵機(静電気の力で細かい煤塵を捕捉するもの)ですが、その設備の投資額が非常に大きいため、お金が無い自治体での設置が遅れていた事があります。しかし、たとえ設備が出来たとしても、集塵機が100%の有害物質を補足できる訳でもありません。結局、廃棄物処理の結果、低濃度の汚染がより広い範囲に拡散してしまう事は、廃棄物の種類を問わない本質的な問題なのです。

本質は同様ですが、放射能に汚染された震災・津波廃棄物の場合、少し考え方を変える必要はあります。放射能レベルの高い廃棄物は、一刻も早く人が住む地域から遠ざける必要があるからです。それは、ダイオキシンなどの通常の毒物に比べ、口からの取り込み(=放射能の場合は体内被曝)以外での被ばくが重大な健康被害をもたらす可能性があるからです。その意味で放射性瓦礫については、可能な限り放射線濃度を下げた上で、広域に分散保管するしか方法は見つからないからです。被災地以外の地域が、低濃度廃棄物の引きうけまで頭から拒否するのは、同じ国に住むものとしてエゴイズム以外の何物でもありません。

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2012年4月 3日 (火)

1680 廃棄物こそが環境問題

廃棄物の処理に関して考える機会がありました。K境省が作った、廃棄物処理を業とする企業の環境経営のためのガイドラインの説明会に出席したからです。その中で感じた事は、廃棄物の発生そのものこそが環境問題であるという想いです。というのも、全ての産業セクターの活動からは、例外なく産廃が出てくるからです。例外がない、と言い切ったので、例えば農林業や水産業はどうだ、という突っ込みが来そうですが、これらも例外ではあり得ません。農業や林業といえども、農作物でも出荷できない部分を切り取った農業残渣や林業からも製材残材等が出ますし、水産業からは貝殻や魚のアラ等多量の廃棄物が発生します。今の世の中では、お金にならないモノ、あるいは多少のお金にはなっても、経済的に引きあわないモノには、一括して廃棄物という名前が付けられて、やがていずれかの場所に廃棄されます。焼却炉で減容されるか、あるいはそのまま廃棄されるかの違いはあるかも知れませんが、商品として売れない部分は、結局は全て廃棄物となる運命であるわけです。現在でも、廃棄物も一定の割合ではリサイクルもされますが、そのレベルは特にエネルギーの側面で見ると決して十分とは言えません。しかし、廃棄物となった瞬間に全ての物質は環境への負荷となります。焼却炉で燃やされる場合は、そのための燃料である重油や灯油を消費しますし、同時に多量のCO2をまき散らします。燃やさない場合は多くは埋め立てられますが、安定型の埋め立て処理場でも、常に地下水汚染の心配が付きまといますし、埋め立て処分場の適地は殆ど残っていません。更に言えば、廃棄物の問題は、実は最終処分された段階で終わる訳ではありません。続きます。

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2012年4月 2日 (月)

1679 お金にならないモノ

最近の気になる風潮として、お金にならないモノへの無関心があります。B-タン国王ではありませんが、幸福度は決してお金では測れません。わざわざ「決して」と断って書いたのは、人によっては、それなりのお金も無ければ幸福にはなり得ないとの、単純な反論を持ち出す場合も多いからです。その反論への反論として、例えば出家した坊さんの例を挙げましょう。彼らは、お金にまみれた俗世間や財産を捨てて、風呂敷包みに入る程度の身の回りのものだけを持って、僧坊に入ります。一汁一菜の食事と、修行と座禅の日々がどれほど彼らの幸福度を高めるかを想像できれば、幸福になるのにお金は要らない事が容易に分かるはずです。

一方で、親切や、助け合いなどのいわゆる他者との絆も絶対にお金にはなりませんが、特に昨年の3月以降。これらに対する価値観は確かに上昇してきている様に思います。極端な言い方にはなりますが、お金から出来るだけ距離を置く方が、より幸福に近づくであろう事は、たった60年のつたない経験からも、確信を持って言えます。幸福度の条件としては、色々挙げられでしょうが、投稿者としては「他者の役に立つ=効力感」を第一番目に持ってきたいと思います。何故かと問われても、それが人間本来の性質だから、と答えるしかなさそうです。人間が、群れて他者を思いやりつつ暮らす事で、どの生き物より繁栄し、ここまで歴史を刻めたのは、一に係ってこの性質(本能と言っても良さそうです)があっての事でしょう。

つまり、借金まみれでうまくお金が回らなくなってしまった社会では、出来るだけお金にならない物事に興味を持ち、結果として他者の幸福につながるような行動を重ねていけば、自然の報酬として自分自身の幸福度も上がってくるのではないか、と真面目に考えています。環境坊主としても、そろそろ出家の日が近いのかもしれません。その前に、先ずは四国お遍路でも、とボンヤリとは考え始めています。

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2012年4月 1日 (日)

1678 袋小路

いまこの国の政治が入り込んでいるのは、20世紀型の政治システムの袋小路に他なりません。このシステムでは、経済規模の拡大が大前提で、多少の景気の山谷があるにしても、長期トレンドでは、平均すれば年率数%の割合では、経済規模が拡大し続けると言うものです。しかしながら、その前提も、戦後の世界経済の流れの中で結果として偶然そうなってきただけの事で、何か素晴らしい経済理論や政策が効奏してそうなった訳ではないでしょう。それどころか、贔屓目に見てもこの国の政策は間違いなく「行き当たりばったり主義」でここまで来たとしか思えません。間違いなく経済成長だけでは、この国の膨大に膨らんだ借金は返済できないのです。

と言うより、この国の人たちは、遠大な計画を立て、そこに向かって長い時間の努力を傾けるというアプローチは苦手の様に見えます。確かに、戦国時代(江戸時代)の城の普請には、たぶん数年の期間が必要だったと想像していますが、その一方でエジプトや中南米のピラミッドや万里の長城、石造りのヨーロッパの城や教会が造られた歴史を知れば、それらは数百年単位の年月を費やして作られていると言う事実がそれを物語るでしょう。つまり、彼らは数世代~十数世代にも亘って、一つの事業を成し遂げると言う遠大な計画とそれを成し遂げるだけの民族の根気を持ち合わせていた訳です。表面上は権力の強大さもあるかも知れませんが、その底には宗教の力も強く流れていそうな気がします。

さて、そんな長期計画も実行のための根気も宗教の力も殆ど期待できないこの国では、一体どうやってこれからの国づくりを考えて、行って行けば良いのでしょうか。一つのKWは、この国の文化の底を流れる「自然への畏敬の念」でしょうか。それは明確な宗教とも言えない、Shintoism

に一つの形を見る事が出来そうです。つまり、近くの山の頂上や、巨石や川や沼や大木にさえ、神(というか自然環境の象徴)として敬い、それらと共に季節の流れの中で慎ましく暮らす、というライフスタイルを指します。それらは、この国で気が遠くなるほど繰り返されてきた暮らし方なので、決して行き詰る事はない筈です。そうではない成長を伴う如何なる変化も、結局は「成長の限界」という袋小路に入り込む事は、何十年も前に「ローマクラブ」の賢人も指摘していました。

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