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2012年8月31日 (金)

1827 トレランス

日本語で言えば「寛容性」、「許容性」などとなるのでしょうが、取り敢えずトレランスと書いておきます。さて、これは人間関係のみならず、自然現象全般にも当てはまる筈の概念です。例えば、環境が汚されたり破壊されたりした場合、自然に回復できる場合もありますし、回復不可能な場合もあるわけで、それはさながら人間関係において、相手の行動に対して我慢が出来る、出来ないという心情とも共通しそうだからです。

その境目を「しきい値=閾値」あるいは「いき値」などと呼ぶ事もあります。人間関係で言えば、子供が(あるいは大人も)他者に対していじめ行動を行うのか、あるいはぐっと思いとどまるかの境目も、ある種の閾値であるのかも知れません。自然が回復するための閾値は、自然の仕組みの中に内蔵されているのでしょうが、人間が絡む閾値は、よく分からない点も多いのです。例えば、昔に比べて学校でのいじめが多くなった様に見えるのは何故なのか、まだ誰かの納得できる説明をしているのを聞いた覚えがありません。

投稿者の見方は、多分ですが、いじめをする子供と社会との関係が上手く築かれていない事にあるとみています。子供だけの集団の中では、行動が内向きになり過ぎ、抑制が効かなくなる事も多いのです。ある集団が出来て、その集団に馴染まない他者に対しては、疎外行動、つまりはいじめと言う形での行動になり易いと思うのです。一方、子供の集団が上手く大人との関係(=社会関係)が築けると、行動にある規範が出来上がります。つまりは、していい事としてはならない事の境目、他人と折り合って生きる方法などを学習する筈なのです。子供が学年の境を越えて群れて外で遊び、それを地域の大人が見守ると言う、昔あった様なの関係が崩れてしまった今、いじめを防ぐ妙案はあまり見当たらない様にも見えます。それにしても、人におけるトレランスはどの様に考えたら、限度を超えずに上手く制御できるのでしょうか。

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2012年8月30日 (木)

1826 温故知新エネ

数日前の、万能の調味料である「塩麹」を現代に蘇らせた女性を紹介した番組は示唆に富んでいました。つまり、昔の人は非常に研究熱心で、しかもそれを克明に書き残しておいてくれたんだ、と言う事実に気が付くだけでも、非常に有意義だからです。それで思い出した事があります。それは二度のオイルショックの時代の話です。あの時代、石油価格が2倍に跳ね上がり、同時にガソリンや灯油や日用品が極端な品薄(実は元売りの売り惜しみ?)にもなり、人々はパニックに陥りました。

しかし、その後の逆オイルショック時代(つまりは石油製品や関連商品の大幅な値崩れ)までの数年は、実のところ省エネルギーや新エネルギーに関しての発明やビジネスが、百花繚乱の如く世の中に溢れたのでした。中小の風車メーカーがポコポコと誕生し、各家々は屋根に太陽熱温水器を上げ、太陽光や太陽熱を使った多くの技術を並べた「太陽博」が開催され、多くの省エネ型製品や設備がもてはやされました。しかし、この国の人たちは、石油製品が安くなり、LNGの大量輸入が始まり、加えて原子力が電力のかなりの部分を供給する様になると(つまりはエネルギーが安定的に手に入る様になると)、それらの発明や工夫をことごとく、お蔵入りにしてしまったのです。どうにかこれまでつながって来たのは、太陽光発電(PV)くらいでしょうか。

その頃、特許として認められた省エネ・新エネ技術であっても、全ては既に権利が切れているでしょう。さて、そこで技術の「塩麹」です。この頃の省エネ・新エネ特許や、工業新聞や文献などを丁寧に掘り越せば、実は省エネ・新エネアイデアのネタはゴロゴロと発掘できると思うのです。世の中に、掃いてもはいても降り積もるほどの情報が溢れているのとは反比例して、人々の創意や工夫力は、ますます低下傾向にあります。仕方がないので、先人の知恵を少し借りて、現代の技術に結びつけるだけで、もの凄い産業に育つ可能性が広がる筈なのです。先ずは、「技術の塩麹」を探し出しましょう。それらは間違いなく、古くてしかし新しく、しかも「味のある技術」であるはずなのです。

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2012年8月29日 (水)

1825 食物連鎖2

このタイトルでは2回目かもしれません。毎日ジョギングする堤防や田んぼや河原には生き物が多く見られます。虫眼鏡で見なければ分からない様な小さな虫から、トンボやバッタなど昆虫、小型動物やカラスやキジなどの大型の鳥類まで、結構狭い地域でも多様性に富んでいます。しかし、それもこれも植物が存在しなければ、進化し得なかったのが全ての動物です。植物をエサにする昆虫、それをエサにする鳥類や小動物、それらをエサにする大型動物や猛禽類、それらが死ねば微生物に分解されて土に戻ると言う、どこまで行っても終わりが無い食物連鎖です。しかもそれが、何億年も繰り返されてきたのが、海や地上の「生物圏」です。

その連鎖が、心無い人間の仕業によって、切れたり狂ったりしている多くの例が報告されています。昨日のニュースでは、ニホンオオカミに続いて、ニホンカワウソも、少数の剥製を残して、とうとうこの地球上には存在しない動物になってしまいました。土地開発や農薬の濫用等により、彼らを育んでいた、川魚や小動物の密度が薄くなったと同時に、彼らの棲家であった河原の藪も、切り開かれ、すっかりコンクリートの護岸になってしまったからです。

生き物にとって理想的な環境とは、人工環境と自然環境の完全な分離ではなく、人工環境との自然との、緩やかなグラデーションだと思うのです。徐々に変化する環境の中には、それに従って多様な植物や動物が棲めるはずなのです。その意味で、水辺と田んぼの間や、里山と田畑との間には、やはり数十メートル幅の灌木や草地が広がる、「準自然」の緩衝帯が絶対に必要なのです。水環境であれば、それは例えば海岸の干潟や、アシなどが生える川や湖の水際になります。そのグラデーション環境の中でこそ、食物連鎖がうまく繋がる事が可能となるのでしょう。

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2012年8月28日 (火)

1824 エコクッキング

久し振りの単身生活で、仕事以外での大事は、やはり炊事です。事務所(兼住居)に居る時は、一応100%自炊ですが、献立には実はあまり困りません。これを料理と呼ぶかどうかは別にして、毎回冷蔵庫にある食材を組み合わせて、煮物、炒めもの、蒸し物として、これに加えてサラダや冷奴を作る?だけなので、まったく迷う必要が無いのです。ただし味付けだけは、和風(醤油または味噌など)、中華、コンソメ(ブイヨン)、カレー、塩麹などを順繰りに変えます。ご飯は、炊き込みご飯と、白飯を交互にまとめて炊き、毎食分を個別のパックに入れて冷凍です。

とは言いながら、省エネクッキングには気を使っています。先ず、煮込み料理は出来るだけ避けます。タップリの水を長い時間沸騰させるのは、たくさんの熱量が必要だからです。開発した?手法は「蒸し煮」です。食材を少量の油で炒めたら、火を超トロ火に落とし、少量の水(又は野菜だけの水)か少量の水溶き調味料を入れてから、蒸し煮にします。時々、仕事に戻って火に掛けているのを忘れる事もありますが、そんな場合でも絶対に焦げないくらいのトロ火にするのがコツです。火を使わない料理?もエコクッキングの極意です。納豆と、なめ茸醤油煮と、芽昆布など、ネバネバしたものに、さっぱりした大根おろしを加え麺つゆで味付けしたものを、暖かいご飯に載せて食べます。これが「何丼」になるかですが、実はまだ命名していません。飲み物のお湯を沸かす場合には、電気ポットを使いますが、勿論お湯の量はカップで計って、丁度1杯分だけ沸かします。

後始末にもやはり気を付けています。近くのスーパーにリサイクルボックスがある容器は、全て洗って乾かしてから持ち込みます。PET、缶類、透明容器、牛乳パック、発泡スチロールなどなどです。商品を買うときは、野菜であれば地元産の包装無しのものを選び、個装の商品でもゴミが少ない簡易包装のものを選ぶようにしています。

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2012年8月27日 (月)

1823 原発ゼロに向けて

原発ゼロ論議が、もはや「底流」になりかけています。これまで、この国の人々は色々な意味で,熱しやすく冷めやすかった様な気がしますが、こと原発に限っては、Fクシマの現実がそうはさせない原動力になっていると思われます。この国の原発政策は、放射性廃棄物の処理方法や廃炉技術も確立しないまま、原子力推進派の言うままに、突き進んできました。原発推進の学者が政府のブレーンになり、元通産役人が原発企業の中に入って推進する訳ですから、推進力の強さも半端ではありません。

さて原発ゼロに向けて何を為すべきか、あるいは何を為さざるべきかを考えてみます。先ず、為すべき事ですが、先ず私たちは出来るだけ速やかに2次エネルギー、とりわけ電力への過度な依存から脱却すべきでしょう。つまりは、電力への依存を減らす生活や、モノづくりの手法を確立すべきなのです。それを、単に省エネ行動と言ってはあまりにもパンチが弱いので、投稿者は「脱エネ行動」と呼びたいのです。

次いで、何を為さざるべきかですが、取り敢えずは新たな原発の新設は勿論、現在の火力発電設備の代替以外の建設は見送るべきでしょう。風力発電所や太陽光発電所などの再生可能型発電設備は、それなりに頑張って作れば良いのです。今不足しているのは、経済界が言う様に安くて安定的な電力ではありません。多少高くて、安定性にも欠けるエネルギーと上手くつき合いながら、安定的な生活や製造を行うための、エネルギーの上手な使い方への知恵出しなのです。

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2012年8月26日 (日)

1822 横型連携

これも今後の社会のあるべき姿にとって重要なKWになるでしょう。これまで、日本の社会は、政治も経済も社会全体が、いわば「縦社会」でした。ピラミッド状のHierarchyに組み込まれた縦につながる構造は、横の連携に乏しく、政治では省庁連携など、企業においては組織横断や企業横断の風通しが非常に悪くなっていたのです。政府が成長戦略だけを振りかざし、経済をけん引していた右肩上がりの時代は、このシステムも結構うまく機能し、その証拠にこの国の経済も、東洋の奇跡と呼ばれるほどに成長しました。

しかし、この混迷の時代です。これまでの様に、上から常にタイムリーに正しい情報が流れてくるとは限らない時代になったのです。これまでは、上流からの情報を待っていればそれなりに仕事にありつけた下請け企業も、あるいは刻々変わる不確定で下向きの情報や、下手をすればひどい情報遮断に、右往左往を繰り返している様に見えます。政治の旗振り役を挿げ替えても、混迷の度は逆に深まるばかりでした。

いまや、企業は政府や大企業の言う事を鵜呑みに出来ない時代に入ってしまったと認識すべきでしょう。では誰の情報を信ずるべきかですが、正直に言ってしまえば、この時代にマッチしたリーダーは、未だ登場していないと言うべきかも知れません。今後行動するには、自分自身で情報をキャッチしながら、次に踏み出すべき一歩を決めなければならないのです。そのためには、正確に情報を受け取る受容器(センサー)と、多くの情報を濾しとるフィルターこそが必要だと言うしかありません。その際、頼りになるのは、企業であれば同業や異業種企業との横の連携だと思うのです。右肩上がりの時代、同業他社は競争相手でしたが、今や彼らは運命を共にする仲間と考え直さなければならないでしょう。つまりは、例えば、緩いが非常に幅広いネットワークの構築こそが、混迷の時代には必須の武器になる筈なのです。

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2012年8月25日 (土)

1821 一次産業から一次エネへ

岐阜から夜通し10時間以上走って、秋田に戻ってきました。今回、秋田に移動するに当たって、ややモヤモヤしていたものがここに来て少しハッキリ見えてきました。東北で火を付けたかった産業は、いわゆる再生可能型エネルギー産業あるいは一次エネルギー産業と呼ばれるものなのですが、いずれにしても殆どゼロからの出発では、行き足がつくのに10年以上の年月が必要な予感もしています。そうなれば、投稿者も決して若くは無いので、志半ばで力尽きるかも知れません。

そこで、考えたのが、既にしっかりした基盤のある一次産業(つまりは主に農林水産業ですが)を土台にし、それをテコにした展開です。一次産業といえども、資源を100%有効に活用している訳ではないでしょう。農業からは、もみ殻や藁など十分に活用されていない残渣、林業からは間伐材や林地残渣や製材屑、漁業でさえ牡蠣殻や魚介類の加工残渣などなど、消費者が結構贅沢になった昨今、原料が製品になる割合(歩留まり)はますます低下する傾向にあると想像しています。つまり、食べ物で言えば美味しいところだけ製品にして、皮や骨や種など消費者が欲しがらない部分は、予め加工場ですっかり除去する必要がある訳で、その捨てられる部分が大きくなっていると思うのです。

そこで、これら廃棄物の有効活用の主要な方法として、これらをエネルギー化し、地元で、あるいはその産業用のエネルギー源としてリサイクルする訳です。東北の産品には、たぶんこの数年は震災復興へ衆目が集まっていて、追い風が吹くと思われますが、東北産品が売れれば売れるほど産業廃棄物が増えるのでは、それを恵んでくれた大自然に申し訳がたたないでしょう。大地や海からの、つまりはお天道様からの賜りものであれば、勿体なさ過ぎて、たとえもみ殻一粒、木の小枝1本、貝殻1枚とて無駄にはできないでしょう。先ずは、これら産業の現場を見て歩き、そのバックヤードに積まれた廃棄物を見て歩こうと決意しました。そこから、何らかの知恵が出てくると思うのです。たぶんそんなものは、先人がとっくに気が付いて、その昔はしっかりリサイクルしていたとは思うのですが、その知恵を改めて発掘しましょう。今後このテーマは度々登場する筈です。

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2012年8月22日 (水)

1820 地域ブランド考

地元の商工会から依頼され、盆休み中は地域ブランドについて考えていました。たどり着いた結論は、至ってシンプルで、ブランドは実は地域産業のために立ちあげるのではなく、顧客満足の向上のためにこそ必要だ、と言うものでした。Brandとは、手元の英和辞書によれば、元々は自分の家畜の識別のために押した焼印だったとの事。焼印は、自分の家畜が他の群れに混じるのを防ぐための自衛手段ですが、近年使われる「ブランド」とは、結局は自社製品と、類似の後発製品を差別化するための、イメージ戦略だとも言えそうです。

さて、ある種の産業が集積していると言っても、それ自体がブランドになる事は稀です。勿論、特定の産物や原料が、その地域でしか産出しないと言う特殊な条件があれば、それ自体がブランドの核となる事が出来ますが、例えば単に精密加工業が集積している、と言うだけではブランドにはなり得ません。

最初の結論の様に、先ずは顧客目線で思考して、その結果新たなニーズが見つかり、そこに向かってその地域の知恵を結集して(望ましくは、地域企業数社が連携して)、新たな製品を市場に送り出す必要があると思うのです。そこには、新規性や進歩性(これは特許権を得る要件でもありますが…)に加えて、マスコミが取り上げる様な話題性も必要なのです。その様な、製品がいくつか積み重なって、製品群となった時、初めて地域ブランドのイメージが出来上がると思うのです。今日から残務整理のため、短期間岐阜に戻るので、何日か投稿が抜けるかも知れません。

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2012年8月21日 (火)

1819 コノシメトンボ

この時期、川の土手をジョギングすると、コノシメトンボだけが目につきます。このトンボは、羽根の先が黒いので、すぐ識別できます。子供の頃は、たしかカネコトンボとか呼んでいました。彼らの生活の場は、土手の内側に広がる田んぼや用水路でしょう。今は繁殖の時期の様で、番でつながって飛んでいます。色はまだ夏色=褐色のままで、秋色である真っ赤になるまでにはしばらく時間が掛かりそうです。

田んぼも、最近はかなり減農薬が進んでいると見えて、昔並みとはいかないでしょうが、生息数も濃くなってきた様です。かつて、このブログで、生物が環境保全状況の指標となると書いた様な気がしますが、その時は土壌のダニ相について書いたと思うのですが、トンボもかなり重要な環境指標の様な気がします。つまり、トンボの幼虫であるヤゴは水中で成長しますので、水環境や水中微小動物の濃さの指標になりますし、地上や空中での生息数は、それを捕食する野鳥の生息数にも影響するからです。田んぼや土手にトンボの数が濃いこの地域では、確かにツバメの数も多い様に思えます。

しかし、稲と稲との間にも注目して観察するのですが、稲につく害虫を捕食するクモ(例えば田んぼで良く見かけるアシナガグモ)の数が昔に比べては少ない様な気がするのです。稲につくクモは、基本的には稲につく害虫を捕食してくれる益虫なのですが、やはりそれなりの量では農薬が使われているのかも知れません。そう思ってよく観ると、稲の間に雑草がポツポツと出ている田圃には、クモが多い様なのです。たぶん、手入れ=除草剤散布があまり行われていないのでしょう。その意味で、クモもやはり重要な環境指標である事は間違いありません。クモの密度は、結局は多くの羽根のある小型昆虫の密度と比例関係にあるからです。

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2012年8月20日 (月)

1818 K国お前もか

お隣のK国の様子もおかしくなっている様です。大統領が取ってつけた様に、T島に上陸したのも、国内の耳目を「経済以外」に向けたかったからかも知れません。これまでのK国の国是は、たぶん日本に追いつけ、追い越せだったと想像しています。かつての軍人の支配体制が倒れてから大きく舵を切って経済優先政策に走り、極端とも見える規制緩和をテコに日本に迫り、一部は日本を追い越してしまった分野も生まれました。しかし、悲しいかな、同時に「日本病」にも掛かってしまった様なのです。日本病とは、つまりは、過度の輸出依存病とでも呼ぶべき経済体質の事です。

K国の場合は、財閥系企業が中東のインフラ建設で大きな外貨を稼ぎ、それを元手に装置型産業に大きな投資をして、新しい工業製品を安価に、大量に輸出するという体質を確立したのでした。それを支えたのは、日本の技術力だったのは、皮肉な話であり、日本病の罹患と無縁ではありません。いわば、それはモノづくりのシステムから設備まで、日本のコピーだった訳ですから…。EUとのFTAの締結後、K国の製品の主たる顧客は欧州でした。しかしながら、ご存じの近年の欧州のデプレッションです。

さて、T島問題で、日本との仲を悪化させてまで外交問題に衆目を向けさせて、国内の経済問題の直視を避けてみても、この事態が好転するとも思えません。いままさにこの国も陥っている、輸出不振による沈滞ムード=日本病問題の解決には、多くの知恵の結集を必要としています。K国には、ぜひ日本と手を取り合ってお互いに知恵を出し合い、この病気の克服に立ち向かって貰いたいものです。しかし、この病気の克服には、たぶんモノやカネから距離を置く事しか無そうなので、そう簡単な話ではありませんが…。

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2012年8月19日 (日)

1817 家電の苦戦

家電メーカーの苦戦が続いています。この数年、老舗の大手家電メーカーが大規模なリストラに走っているとのニュースが続いています。家電業界は、かつては、この国の産業の優等生でもあり、外貨をバンバン稼いでくれた存在だったのに、です。勿論、欧州などの景気下降による輸出不振に加え、お隣のK国やC国との競争に水を開けられたのが直接の敗因なのでしょうが、根はもっと深いとも思います。

家電業界は、戦後一貫して生活を便利にしてくれる製品を次々と世の中に送り出してきました。白物家電と呼ばれる家電セットに始まり、3Cと呼ばれたアメニティ製品、さらにはAV機器の数々です。しかし、ここに来ての庶民の率直な感覚としては、「もうこれ以上欲しいモノは無い」、と言ったところではないでしょうか。壊れたり、古くなったりして買い替えせざるを得ないものについては、修理需要や代替需要はそれなりにあるのでしょうが、これらの業界が今後右肩上がりに成長する事は「絶対」に無いと言いきっても良いでしょう。いわゆる家電のニーズは、最早充足してしまった、と言うべきかも知れません。

庶民の一人として、おまけに筋金入りの環境人間としてさらに付け加えるならば、今後の家電業界には、これまでと同じ機能の家電ならば、製品に使用される原料(の量)と使用中のエネルギーが半分になり、しかも使用後はほぼ完全にリサイクルできる製品をぜひ開発して貰いたいのです。つまりは、環境性能で現在の2倍を超える製品の開発です。勿論、それは今の製品と比べて、コンセプトや作動原理や材料がこれまでと同様であるとは限りません。むしろ、現在の製品を超える、大きなブレークスルーが必要かも知れません。しかし、それを怠って価格競争に走り、その結果敗れて海外生産に切り替えて、その結果製造技術まで彼の国に持って行かれたというのが現在の惨状の始まりでしょう。新たな省資源・省エネ・完璧リサイクル製品のヒントは、たぶん自然の仕組みの中にこそ見つかると思うのです。(KW:バイオミミクリーです)

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2012年8月18日 (土)

1816 低温熱源

低温熱源を確保する方法を考え続けています。敢えてこのブログなりの定義をするなら、低温熱源とは、雪氷温度から精々100℃弱程度の温度を指します。この程度の熱源は、冷暖房や給湯、北国であれば融雪など、温度は低いが大量に必要な熱源の温度と言う意味で重要です。例えば、暖房であれば30℃を少し超える温度、冷房であれば井戸水温度程度(15-6℃)で十分でしょう。入浴目的であれば50-60℃もあれば十分でしょうし、融雪目的ならやはり井戸水程度の温度で十分です。

しかし、この温度の熱源を、「再生可能な手段」を使って、必要な時(季節)に、必要なだけ手に入れるのは、結構大変です。勿論、天然ガスや石油や、やや需給が厳しくなったとはいえ電力を使えば、それはコックやスイッチをひねるだけなので、たぶん猫にもできるワザなのでしょうが、その土地で手に入る、再生可能な手段は結構限られます。どこでも温泉が湧き、勢いのよい水路が流れている訳ではないでしょうし、必要な時に太陽が顔を出し、風が吹く訳ではないからです。

そこで、知恵を使わなければならないのは、エネルギーを貯めておく手段です。低温熱源の場合は、一義的には温水や冷水の保温槽を意味します。つまり、お湯や冷水(あるいは雪氷)を、出来る限り長い時間、一定温度に保つための方法を考えなければなりません。幸いな事は保とうとする温度と環境温度との差が比較的小さいと言う事でしょう。必要なお湯と、外気温度の差は50-60℃程度でしょうし、雪氷を夏まで貯めておいても40℃程度の温度差に留まります。そうであれば、比較的安い断熱材が使えるのです。さらに知恵を使うなら、自然物の利用を考えたいものです。例えば、木製の浴槽は抜群の保温効果がありますし、大量の低温度の水なら、地下の帯水層を使う手もあるかもしれません。必要な温度を、太陽光や風力なら数日は保って置きたい訳です。引き続き、そのための知恵をひねり出していきます。

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2012年8月17日 (金)

1815 脱2次エネルギー依存

脱原発依存論議が相変わらず盛んです。しかし、原発をゼロにして、その殆どを化石燃料で代替し、再生可能エネルギーを少し増やしただけでは、日本人が得意とする「問題の先送り」に陥ります。つまり、それは電力や輸送用の化石燃料の消費量を今のままにして(あるいはちょっぴり減らして)、それを他の手段で代替するという、あまりにも安易でズボラな対策だからです。

1813で述べた様に、LNGや原発などのいわゆる1次エネルギーを使って作り出すエネルギー、例えば電力などを2次エネルギーと呼びますが、私たちは先ず脱2次エネルギーを達成しなければ、脱原発のスタートラインにも立てないと思うのです。電力を潤沢に使い、省エネ性能が多少高まったとはいえ、車もバンバン乗り回して、脱原発だけを叫んでいては、無責任のそしりを受けざるを得ないでしょう。脱2次エネルギーのための努力や苦しみが必須なのです。

先ず、電力を3割削減してから脱原発を主張し、さらに5割まで削減して、脱化石エネルギーを叫ぶのであれば、十分な説得力があります。しかし、2次エネルギーの供給が減り、結果電力単価が上昇すれば、産業の国際競争力が落ちて、景気が急速に下降する、と言う産業界の主張は詭弁か、あるいは全く工夫を放棄した態度だと言うしかありません。そうではなくて、産業界はこれまでの半分で生産が出来るプロセスを開発するのです。その技術は、これから間違いなく逼迫する化石エネルギーの削減に寄与するでしょうから、その技術自体が海外に売れる商品になる筈なのです。

製造業に関しての例を挙げれば、金属のネジを加工するのに、今の時代誰も旋盤を使ってネジ切りをする人は居ません。それは、今は「転造=塑性加工」と言う技術を使って、瞬間的に(しかも省エネで)加工してしまうものだからです。勿論、切り粉など一切出しません。同様に、鋳物や射出成型やプレス加工などの従来型加工法に替わる、省エネギー型で、材料の歩留り率が高く、しかもコストの安い新加工法を開発すれば、その技術や設備が売り物になると思うのです。

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2012年8月16日 (木)

1814 だから「操縦」が難しいんですって

政府は、Oスプレィには構造的な欠陥は無いとの結論を導こうとしています。その結論は、たぶんそんなに出鱈目ではないのでしょうが、このブログでも数回書いている様に、投稿者はこの機体の操縦がハンパでなく難しいと言っているのです。構造的な欠陥が無くても、操縦の習熟に非常な困難が伴う限り、やはり事故率は小さくはならない訳です。もし、上記の結論後ただちに普天間で訓練飛行を開始しようとするなら、それはさながらラジコンヘリの操縦に不慣れな人が、人が集まった広場でそれを飛ばすようなものです。

構造的な欠陥が無いとの結論だけで、周りに住宅が建て込んでいる基地に持ち込もうものなら、やがて未熟なパイロットが、重大な事故を引き起こすであろう事が容易に想像できます。構造的な欠陥が無いから安全だと主張するのは、単に安全の定義の50%(ハードウェア部分)を保証しているに過ぎません。残りの50%はソフトウェア部分、とりわけ「ヒューマンエラー事故」に関わる部分なのです。少なくとも絶海の孤島や空母上で、十分過ぎるほど操縦訓練を行った後でないと、地上に人が住むエリアでは、決して運用すべきではありません。

それでも、操縦にやや慣れたパイロットが、調子に乗ってケアレスミスを引き起こし、事故を起こす事は、例えば車の事故からも容易に連想できます。車は、平面的な衝突にだけ気を付けていれば、回避できるかも知れませんが、3次元の自由度を持つ航空機事故の可能性は、車の事故率の何乗か程度には高まる筈です。だからこそ、旅客機のパイロットには何百時間もの操縦訓練に加えて、コパイロットとしての長い習熟期間も設定されている訳です。回転翼の推進力が90度も変わるこれまでに存在しなかった航空機、Oスプレィの習熟飛行は、この何倍もの期間が必要な筈です。それはやはり無人の地域でしか行ってはならない種類の訓練なのです。

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2012年8月15日 (水)

1813 1次エネルギー

本日は未明から鳥海山に登っているので、自動投稿です。同じエネルギーでも、1次エネルギーと2次エネルギーに分かれるのだとか。これはお役人の分類なので、エネルギーに変りはないとも思うのですが…。ともあれ、1次エネルギーとは、薪炭や石炭や原子力や太陽熱、水力など、自然から採取した状態でそのまま利用するエネルギー形態と定義されていますし、1次エネルギーを再加工したエネルギー、即ち電力や石油製品や石油から作ったガスなどを2次エネルギーと呼ぶのだそうです。

さて、投稿者が興味を持っているのは、あくまで1次エネルギーでしかありません。1次エネルギーは、1次産業である農林業とも相性が良い筈ですし、出来れば農林業と1次エネルギー産業が、あいまって拡大して貰いたいとも思っています。つまり、農林業が盛んになれば、付随的に生まれる1次エネルギーも増え、あるいは1次エネルギー産業が、農林業を活性化する様な相乗効果を意味します。1811に述べた、穀物の天日乾燥は、まさに1次エネルギーである太陽熱の農業利用である点においては、一つの典型になるでしょう。

また、林業からは木材などのバイオマス資源が生まれ、農業には用水などで小水力と、あるいは農業の源泉である太陽光との相性も良い筈です。また、農産物からは各種の油も取れ、使用済みの廃食油も立派な燃料になるでしょう。しかしながら、政府がいくら旗を振っても、1次エネルギーの供給量拡大は遅々として進みません。それはつまりは、電力や輸送用の液体燃料への強い、しかし偏った需要が、1次エネルギーの拡大を妨げているからに他なりません。ほとんどの1次エネルギーは、かき集めるのが大変であり、それを利用して大量の電力を生み出すには密度が低すぎる一方、単なる熱利用に向くなど、使い勝手が非常に悪いからだと言えます。また、行政で言えば農水と経産の省庁の壁も、別の意味で大きな障害ともなっています。しかし、それとても先人が行ってきた様に、知恵を集めれば多くは回避できるはずなのです。

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2012年8月14日 (火)

1812 光ケーブル開通

そういえば、アパートのサービスの一つとして無料の光接続サービスが付いていた事を思い出し、申込みをしました。1週間後の昨日無事に開通して、ネットを繋ぐと、その速いこと。これまでは、ポケットWiFiの無線で繋いでいましたので、少しイラっとする事もありました。それ以前は、事務所と自宅の両方に光ケーブルを引いて使っていましたが、ある日請求書を眺めていたら、ダブルで光契約をしていると、通信費が収入に比較して髙過ぎる事に気が付き、深く反省して両方とも止めてしまったのでした。

とはいいながらやはり光接続は、なかなかに使える通信手段なので、どうせ接続するからにはこれを活用しない手もないので、今度はIP電話も繋ぐ事としました。これにより、電話代もかなり浮く事になります。更なる通信費の削減として、ポケットWiFiは止めて、これを経由して通信していたスマホは、今後は単なる携帯電話として使う事にする予定です。スマホは元々通信機能を契約せず、ポケットWiFiでネット接続していたので…。

そうなれば、通信費としては、携帯電話料金+IP電話料金+プロバイダ接続料の3つに集約されるので、ずいぶん財布に優しくなります。速く安くなって目出度しめでたしです。

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2012年8月13日 (月)

1811 天日乾燥機

最近は物忘れが上手になった様なので、思いついたアイデアを忘れないうちに書いておきます。先日、友人の農場を見学する機会がありました。最近の農業では、大型機械の使用を前提に圃場も拡大し、田植えから収穫まで機械をフルに使っているので、昔の様な手間暇のかかる稲刈りとハサ掛け(どんな字か忘れました)などの作業は、コンバインと機械乾燥に取って代わられています。

さて、そのモミを乾燥する機械を見せて貰って、何かが間違っていると思いました。つまり、ハサ掛けは即ちモミの天日乾燥作業そのものだと言えます。しかし、機械乾燥ではそれが灯油と電力(つまりは全て化石燃料です)に100%依存した工程になっていたのです。友人いよると、モミは、比較的短期間(例えば1週間)の内に一定の水分量以下に乾燥しないと、品質が劣化するとの事でした。

そこで、発想したのが、「天日乾燥機」です。これは、モミをパラパラと落下させて乾燥をする部分は今と同じ様な機械仕掛けですが、熱源には太陽熱を使います。乾燥場の壁や屋根にソーラーコレクターを取り付けて太陽熱を集めます。空気を直接暖めても良いし、温水を作ってタンクに貯めるシステムも考えられそうです。そのハイブリッドもありかもしれません。さて、その熱源を利用して気温より20℃程度高い乾燥空気を作り出し、モミを乾燥させます。場合によっては、デシカント(除湿)装置を追加すれば、より短時間で乾燥が進むかもしれません。デシカントの再生も勿論太陽熱で行います。灯油を使わない、「天日乾燥米」は、食味も多分昔のハサ掛け米の様な味がするでしょうから、新たなブランド米として少し高い値段で売れるかもしれません。聞けば、灯油を使った乾燥機は、何千台も普及しているとか。米の味が良くなって、売値が上がり、1シーズンに灯油を何百トンも節約できれば、三方誰もが得をして、目出度しめでたしです。

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2012年8月12日 (日)

1810 スマート社会?

スマート何々と言う言葉が、マスコミに躍っています。スマートグリッド、スマートハウス、スマートフォン?云々。英語でSmart(スマート)の本来の使い方は、「賢い~」と言う程の意味ですが、マスコミ用語としての言葉使いは、単に「便利な~」と言う意味合いが強い様な気がします。賢いシステムとは、結局は「無駄を排して、必要なものを必要な時に利用する」ものと言えますので、具体例で言えば、レンタサイクルなどの各種レンタル事業をはじめ、カーシェアリングやオンデマンドバスなどのシステムが例示できます。

しかし、単に便利なシステム、例えばスマートグリッドでは、エネルギー(電力)をこれまで通りに使いながら、電力網全体として平準化することにより、電力ピークを抑えると言うものです。つまりは、システムコントロールにより、電力の凸凹を埋めてやろうというものですから、電力量としては決して大きな省エネにつながるシステムとは言えません。スマートハウスも同様ですが、スマホに至っては、単なる便利な道具以外の何物でもありません。

私たちは、本来の意味においてのスマート社会を実現する必要があります。そのために必要な事とは、先ずはデマンドそのものを「見える化」する事が必須です。誰が、何時、何を(どの様な種類のエネルギーを)、どの程度必要としているかを、可能な限りローカルで把握するのです。全体としての把握では、結局全体の平均値や瞬間値しか見えないので、スマートな対策の取りようがありません。その意味では、先ずは私たち需要家が賢くなる必要がありそうです。

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2012年8月11日 (土)

1809 空洞化

40年ぶりの故郷の町の空洞化は、事前の想像以上です。大企業が、苦しくなった場合、先ず切るのは二次下請けで、さらに苦しくなれば一次下請けにも手を付けざるを得なくなる事でしょう。東北には、まさしくその二次下請け企業が多いのです。とりわけ、自動車残業への部品供給や電子・家電メーカー向けの部品製造や小組立など、さらにはそれらの二次下請けを行っている企業が圧倒的に多いのです。多くの企業では、その製造設備でさえ、親会社からの借用であったりするわけで、仕事の引き上げが、同時に設備の引き上げになる場合も多いのです。

そのため、いくつかの工場を回った限りでも、設備も何も無い空っぽの建屋だけが残されている、と言った光景も目にしました。

平成の大合併当時、12万人は超えたと聞いていたこの町の人口は、今や8万人台半ばだとか。35,000人もの人々は、一体何処に行ってしまったものか、その行方が気になりました。色々想像を巡らしていたら、昨日のローカルニュースとして伝えられていたのは、秋田市内でも老舗の結婚式場が「完全リニューアル」して、葬儀場に模様替えしたのだとか、つまりはかなりの数の人が、実はお隠れになってしまったのかもしれません。これも、人口の空洞化現象と言えるかもしれません。少し合点しました。

さて、この空洞化に歯止めを掛ける方法ですが、一つの答えは投稿者が行動した様に、退職後に仕事と子育てに慣れ親しんだ都市(郊外)に居残って、散歩などの暇つぶしに勤しむのではなく、自分や連れ合いが元気なうちに、生まれ故郷にUターンするのも選択肢でしょう。あるいは、終の棲家を求めて思い切って田舎にIターンする選択肢もありかもしれません。ただ残念なのは、それがかなり活発になったにしても、やっぱり田舎の結婚式場の活性化にはつながらない事でしょうか…。10年後はやはり、模様替え後の「式場」にお世話になるのでしょうから。

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2012年8月10日 (金)

1808 ジョギング三昧

アパート横の田畑を抜けると、10㎞以上も車道と平面交差しない(何か所かの橋の下はくぐるのですが…)、自転車+徒歩に最適な「完璧な堤防道路」に出ます。とは言いながら、これをしっかり往復すると「ハーフマラソン」になってしまうので、毎朝のジョギングは、いくつか掛かっている橋を目安に、5㎞程の距離の往復するルートに決めました。とは言いながら最近、すっかりスピードが落ちたので、前後のストレッチ運動を含めると、しっかり1時間は掛かってしまいます。山歩きではあまり感じないのですが、間違いなく心臓は縮んでしまった様な気がします。従って、今の心臓の能力以上にはスピードを上げる訳にはいかないのです。

この季節は少し走ると汗だくになってしまいます。従って、ジョギング後に朝シャワーを浴びて、ヒゲを当たるのがここでの日課になってしまいました。この堤防道路の半分くらいは河川公園にも降りられる様になっていて、川面や花壇の花々を愛でながら走る事になります。

ついでながら、このジョギングコースがある川(子吉川)の下流には、立派な漕艇場があり、ここに立っている建物の1階は大きな艇庫となっていて、2階にはガラス張りの観覧スペースまでついている立派なものです。子供の頃は、たしか対岸に地元の高校の粗末な木造の艇庫兼合宿所と木の桟橋があっただけだった様な気がするので、まさに隔世の変化です。ところで。今月末にはここでカヌー教室も開催される様なので、さっそく申し込む事に決めました。40代の頃、アメリカで単身赴任していた時は、アパート前の小さな湖で、オールが1本だけで漕ぐ素朴でずんぐりしたインデアンカヌーに乗って楽しんでいましたが、それを懐かしく思い出しました。今度は、両方にパドルが付いたオールで漕ぐ、スマートなカヌーで水面を滑る様に漕ぐのも今から楽しみです。

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2012年8月 9日 (木)

1807 高価な「好奇心」

「好奇心」と言う名の火星探査機が無事着陸した様です。私たち住むこの星の最も近い兄弟星である火星には、極地方には凍った水があり、酸素があった証拠としての赤い酸化鉄の土壌があり、水が流れた結果生じた地形(川や谷や海)が存在する事が既に分かっています。当然の推定として、この星にはかつて生命が存在したのではないか、と科学者たちは考える訳です。H.G.ウェルズの想像した、タコ足の「火星人」は流石に存在しないにしても、です。今回の探査の結果、生命あるいは生命の痕跡が見つかった暁には、現在の「地球生物学」は「宇宙生物学」にステップアップできるのだとか。

しかし、たとえ生物の痕跡が見つかったとしても、それが一体何の役に立つのでしょう。生命誕生の普遍的な根源が判明したとして、それがこの星に満ち溢れている山の様な問題を、1個でも解決してくれるとはとても思えません。その意味で、「好奇心」と言う名の探査機は、結局は科学者の好奇心を満たす事しか出来ないプロジェクトだと言うしかありません。そんなお金と人材が使えるのなら、ぜひ再生可能エネルギー源の開発や人工光合成の研究や、地球生命学を追及して、レッドデータブックに載っている、多くの生き物を救って貰いたいものです。「好奇心」のミッションに費やされた天文学的な額のお金と、この計画に関わった(多くは今後も関わっていくはずの)優秀な科学者・技術者のパワーを考える時、あまりにも勿体なくてため息しか出ません。

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2012年8月 8日 (水)

1806 エネルギーシフト

各地で、脱原発をきっかけとした、エネルギーシフト論議が活発です。いわく、メガソーラーをあちこちに作れば良い、いわく洋上風力発電の潜在性は非常に大きい、またいわくバイオマス発電も必要だ、さらに小水力発電も有望だ、云々…。しかし、第一に、代替エネルギー=再生可能エネルギーによる「発電」、と言う構図は大いに疑問です。第二に、単一または少数の再生可能エネルギー源だけを追求すると言う考え方も、あまりに短絡的過ぎます。

そうではなくて、再生可能エネルギーとは、その土地で持続的に手に入るあらゆるエネルギー源を、多面的に利用すると言う大原則が外せないのです。さらに、その土地で得たエネルギーは、その土地の範囲内だけで使い、他の地域に送る事などは間違っても考えてはなりません。その「狭い地域」の定義としては、投稿者の見方は、1本の中小河川の流域内程度と考えています。大きな川だと、たぶんその支流単位となります。その昔、薪炭が主要なエネルギー源であった時代、山間で得た薪や炭を下流の村や町へ運んだ時代を想像して貰えば、やや合点が行くかも知れません。

しかし、その時代に比べて人口が格段に増えてしまい、しかも町に集中する様になった今の時代、薪炭だけで全てのエネルギーが賄える筈もありません。ましてや、山間の木材を使ったバイオマス発電では下流の町の電力の1%を賄うのも難しいでしょう。石油や原発の代替のエネルギー源は、どう考えても「太陽光」しか考えられない訳です。勿論、火山国であるこの国は、地熱も有望ですが、しかし発電機を回すに十分な温度の熱水が湧く地域は限られてもいます。

このブログでも何度か提案してきましたが、エネルギー=電力と言う構図は、早く忘れなくてはならないでしょう。大部分のエネルギー=大量の低温の熱源、と考えれば、代替エネルギー源は非常に多様である事に気が付きます。つまりは、低温度の工場廃熱や発電所の廃熱、低温度の地熱、太陽熱温水器のお湯、太陽光による空気過熱、太陽熱による空気加温、太陽熱による除湿冷房、場所によっては小型風車や小型水車による「発熱」など、低温度の熱源は非常に多様手段で得られる事に気が付きます。続きます。

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2012年8月 7日 (火)

1805 オーガナイザ

東北はお祭りシーズンに入っていて、活動はまだボチボチなので、今回も生活ネタです。7月一杯まで岐阜で借りていた事務所は、広さが20畳近くもあったので、書類の整理は非常に楽でした。つまり、仕事の内容毎に書類の山を作り、それを床に並べて一番上に見出しの紙を置いておけば、一目で見渡す事が出来、ピックアップも容易でした。しかし、今度の事務所スペースはたった6畳しかないので、上に積むしかありません。

棚板が余っていたので、それを利用して3段のオーガナイザ(棚)を作りました。角材と、追加の棚板を買ってきて、スペースにピッタリ合うものを作りました。こんな場合、大活躍するのがジグソーと電動ドライバーです。棚板に角材の入る切り込みを入れ、それを電動ドライバーにドリルを付けてネジの下穴をあけ、最後に木ネジを同じく電動ドライバーでねじ込みます。1時間も掛からずに、結構しっかりした棚が出来上がりました。床が見えないくらいに置かれていた、書類の入った段ボールが、取り敢えず半分以上は片付きました。残ったモノは、百均でユニット棚の部品を買ってきて、ワイヤネット式のものをもう一つ組み立てれば、床が床として使える様になるでしょう。

これで、やっと仕事をしようと言う機運も盛り上がってきました。とは言いながら、世の中の流れに合わせると、本格的な始動は盆明けになるのでしょうが・・・。取り敢えずは、天気を見計らって「鳥海山」にでも登ってきましょうか。

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2012年8月 6日 (月)

1804 新拠点

新たに秋田での拠点として借りたアパートは、和+洋+DKのこじんまりしたものです。洋室を事務所として使っていますので、生活スペースは最小限です。アパートの周りは、基本的には住宅地なのですが、なんと周囲をぐるりとデイケア施設に囲まれている事に気が付きました。つまりは、田舎の主要な産業の一つは、老人福祉産業という事なのでしょう。こんなにも、高齢者ケアを「産業化」して良いのか、と割り切れないものを感じます。自分が高齢者になった時の事を時々は想像しますが、デイケア施設で食事をあてがわれ、動けなくなったら病院や介護付き施設でベッドに寝かされ、自分で嚥下できなくなれば流動食を流しこまれ、最後は点滴で数か月余分に生かされても。一体何が楽しいでしょう。少なくとも、自分の意志で動けなくなった場合には、あらゆる延命処置を拒否する事を、何かの形で書き残そうと決めています。

話が暗くなりました。アパートの裏手は畑と田んぼで、米どころである平野を潤す川(子吉川)の土手につながっています。堤防道路は細いのですが、舗装されていて自転車やジョギングで走るには理想的な環境である事に気が付きました。当然の事ながら、南側には故郷の山である「鳥海山」がデンとそびえているのを、まったくの視界を遮るもの無しに眺める事も出来ます。実は、ここを決める時は、いくつかの選択肢の中から数分間考えただけで決めたのですが、こんなオマケも付いていて自分ながら結構良い選択でした。

すぐ前の4車線の通りは、駅裏に作られたバイパス道路なので、徒歩圏に、駅やスーパーやホームセンターや大手家電店があり、交通も買い物も至って便利な場所だと言えます。さて。ここで始めるつもりの「仕事」については、徒然なるままに書いていく事にします。

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2012年8月 5日 (日)

1803 日よけ

東北の地に移って期待していた事の中に、夏の涼しさがありましたが、それは見事に裏切られました。連日30℃を超え、時には35℃に迫る暑い(熱い)日々です。空気が澄んでいる分日射は強く、いくつかの手続きや、新しい生活に必要なものを買い歩くうちにすっかり日焼けしてしまいました。アパートは東西に窓があるため、事務所として使っている部屋には朝早くから日が差し気温は急上昇します。カーテンで日差しを遮っても殆ど効果はありません。

午後は、台所側の窓や壁が西日に照らされ、熱気がもう一段部屋の気温を押し上げます。何度も書いていますが、体感温度の半分程度は壁や窓からの平均輻射(放射)が支配しますので、これを下げるために取り敢えずはホームセンターに走り、農業用の寒冷紗を買ってきて、東西の窓に掛けてみました。寒冷紗は、遮光率65%のものしか見つからなかったのですが、幅2mのものを合計7m調達し、〆て1,400円也でした。

室内は少し暗くはなりましたが、かなり体がホッとした様です。これで、冷房無しで過ごせそうです。そういえばWBGT(黒球、湿球温度計=熱中症計)があったのですが、対策前後の体感温度を計測するのを忘れていました。明日も晴れなら計測してみます。

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2012年8月 4日 (土)

1802 ターニングポイント

多くの分野で、壁や障害に突き当たっている様に見えます。政治、経済、社会活動、学校現場、国際関係等など。これまでは、いずれも前進か停滞があるのみだった思いますが、どうやらこれからは、真っ直ぐ後退や進路変更も必要な時代に差しかかったと考えるしかなさそうです。文明の進歩は一方向(前)にしか進まず、それが行き詰った時が文明の崩壊である、などという見方は、あまりにも短絡的で一面的に過ぎるでしょう。

文明の進歩でトラック競技である考えてみましょう。トラックにはコーナーが四つありますが、ホームストレッチに戻ってきたからと言って、決して文明が後退し「元の木阿弥」になったと言う事は意味しないでしょう。トラックを1周して得た知識を元にして、より高いレベルの文明ルに到達する事は十分可能です。勿論、ゴール間近ではスローダウンして、資源やエネルギーの使用を絞りますが、しかし精神的には一歩も二歩も高みに登る事が出来る筈です。モノや地下資源(金属やエネルギー)に囲まれた生活にそろそろケリを付けるべき時の様です。それは、たぶんより精神性の高い生活スタイルへの移行を意味します。

さて、この東北の地には、自然に根差した信仰や神話の地も多いのです。青森下北半島の恐山や、山形や秋田の山岳信仰、あるいは単なる自然信仰に留まらず、動物とりわけオオカミやクマなどの強い動物に対する信仰もあったでしょう。取り敢えず、東北の山々にも可能な限り登ってみるつもりですが、出来れば出羽三山辺りでの山伏修行(もどき)もぜひ体験してみたい世界ではあります。その中から、このモノ文明に対する強烈な反省が湧いてきそうな気もします。

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2012年8月 3日 (金)

1801 Needs Orientedで

エレクトロニクスや家電業界の事業縮小が止まりません。その理由を考えるに、「最早Sees Orientedの時代は終わった。」と言うしかなさそうです。これまで、大企業は高度成長期時代やその後のIT時代を通じて培った技術を使って、高度な機能を持つ製品を次々に開発し、市場に投入してきました。モノに渇望していた国内の消費者は、それらに飛びつき、その後はアジアや途上国の消費者がこれに続きました。

しかし、最早その需要にも陰りが見え始めてきました。その傾向は、この5-6年特に顕著になった様な気がします。その間に、東北の震災があり企業経営者の判断基準もグチャグチャになったのでしょうが、間違いなくそれは言えます。つまりは市場が飽和状態にあるという意味においてです。市場の飽和とは、モノが買える人は、既に買ってしまったし、これまで買えなかった人は、たぶん今後とも買えない、と言う状態を示します。つまりこれは、買い替え需要が主体の市場です。

勿論、新たな市場はあり得ます。省エネや新エネ、環境関連など「持続可能型産業」とその市場は、今後大きな伸びが期待できるはずです。しかし、間違ってもそのアプローチが、持続可能性のルールを破ってはならないのです。持続可能性のルールとは、「新たな産業の手段自体が持続可能な資源やエネルギーを基本としたものでなければならない。」と言うものです。(投稿者の勝手な定義です。)大企業と言わず全ての経営者は、過去の栄光はきれいに忘れ、先ずは何が今後の社会が求める真のNeedsであるかを見定めなければならないでしょう。それは、これ以上の台数の車やテレビや家電ではない筈なのです。

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2012年8月 2日 (木)

1800 東北「原」人

新しい立場での投稿再開です。81日より、40年振りで故郷秋田の生まれた町に戻りました。ギリギリサイズの「市」あった町も、合併して今では広さだけは馬鹿でかくはなりましたが、基本的にはやはり田舎町です。今回の移動に当たっては、単に生まれた地に戻ったと言うばかりではなく、ぜひもう一度東北人になろうと決意しています。と言うより、東北「原」人になろうと思います。東北の、東北人による東北のための産業を興すのですから、完全に土着しなくてはなりません。お金はありませんが、ぜひタダ同然の土地を見つけて買い求め(あるいは借り受けて)、掘っ立て小屋を建てるつもりです。

その土地には、小川が流れていて欲しいし、少しの里山も付いていて貰いたいものです。猫の額程度の田畑もあり、庭には実のなる木も数本欲しいところです。理想的には、空き家になった農家を見つける事でしょうか。

とは言いながら、それは少し先の話にはなります。一度は故郷を出た人間が、再び田舎に溶け込むためには、先ずは、手弁当で色々な汗をかく必要があります。それによって、投稿者の考えている事が決して夢物語ではない事を土地の人たちに理解してもらう事も出来るでしょう。また、なんせ原人ですから、考える事、為す事の全てが土地に根差している必要があります。それは、その土地に元からある再生可能な資源だけを使い、土地の「中小企業」が、土地の顧客の持つニーズを満足させるために働き、結果としてその土地の中でモノ・カネの大部分を循環させるためでもあります。ボチボチとスタートです。

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