« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月30日 (金)

1913 人口問題

数日前のNHKラジオで人口問題が取り上げられていました。70億を超えてしまった世界人口の問題と、ピークを打って減少に転じたこの国の人口問題を同時に論じていました。世界人口の予測によれば、その数は結局100億前後で頭打ちになる様です。資源・エネルギーや食糧も有限なわけで、頭打ちになるのは当然だとも言えます。この国の人口減少と世界人口の膨張の問題の根は異なるにしても、どちらにも言える守るべき基本原理として「ソフトランディング」は不可欠でしょう。

ソフトランディングが出来ないあらゆる現象は、間違いなく「破局=カタストロフィー」を迎える事は、ほぼ原理として確立されているからです。ほぼと書いたのは、投稿者が知らない例外があるかも知れないと思うもからです。かつて栄えた文明の破局は、戦争で敗北したものを除けば、例えば人口増加と食糧のバランスが崩れた事や、生活や産業を支えるための無計画な森林資源の伐採の結果としての環境の砂漠化=水源枯渇など、資源・エネルギーの枯渇や、食糧生産の変化と、人口バランスのソフトランディングに失敗したケースが殆どだったと思うのです。

さて、今の文明ですが、最終的には100億に近づくにしても、そのアプローチ(漸近線)を如何に手前から出発させ、如何にスムーズに近づけるかの議論が早急に必要です。スタートが早ければ早い程ソフトランディングの可能性は高まり、遅れれば結局はハードランディングに近い着地になるだけです。さて似たような直近の現象として、B国経済の崖にも注目しましょう。かなり解決を延ばしていますので、その着地にはかなりのショックが予想されます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月29日 (木)

1912 電気料値上げ

各電力会社の電気料値上げが申請されたり、予定されています。投稿者としては、ぜひ値上げを実行して貰いたいと思っていました。それが10%であれ、20%であれ問題ではありません。これまでの企業の省エネ指導では、「先ず30%の削減をしましょう」と言ってきたからです。この国は、70年代に二度のオイルショックを経験しており、その時には100%のエネルギー価格の値上がりを経験し、そのためエネルギー半減を目指す省エネに取り組んだ経験を持っている、世界でも数少ない国なのです。しかし、その後のエネルギー需給のダブつきにより、省エネへの取組みや新エネの開発も中だるみになっていた事を考えれば、丁度良いカツにはなるでしょう。

その間に、風力利用では北欧やスペインに追い越され、大きなシェアを誇っていた太陽光発電でも、DイツやC国に追い越されてしまいました。まだ省エネ技術は、お家芸だと胸を張ってはいるですが、その中身を詳細に見ると、甚だ心もとない気がします。確かに、一般的な家電や設備などを個々に見れば、インバータなどを組み込んで省エネ型にはなっていますが、何か特別な技術があるかと改めて問われれば、省エネ技術の中身は薄いと言わざるを得ません。

この際、文句を言わず電力料金値上げをスンナリ受け入れて、家庭や企業には、値上げ後も値上げ前の料金以下に抑え込む工夫を重ねて貰いたいのです。それにはタネも仕掛けも必要はありません。ひたすら工夫が必要なだけです。エアコンで言えば、室内温度を1℃上げ下げするか、逆に室外機の周辺温度を1℃上げ下げできれば10%近い節電が出来ますし両方実現すれば2割削減も可能です。照度を計測・評価した上で、部屋の隅の蛍光灯を10本に1本間引くだけで10%の省エネが達成できます。風呂でも水道でも全て10%節約すれば、エネルギー価格の10%値上げも簡単に吸収できるのです。家電メーカーや設備メーカーには、是非更なる省エネの要求をぶつけましょう。彼らには、まだまだ省エネの知恵や工夫が足りないと思うのです。狙うべき目標は、先ずはエネルギーの半減です。そうなれば、危ない原発は自動的にシャットダウンされるはずです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月28日 (水)

1911 原理主義

時間はたっぷり出来たので、時々は世界情勢にも目を向けます。最近(でもないですね)目につくのは、各種の「原理主義」でしょうか。Iスラエル・Gザでもそれが真っ向から衝突しています。Iスラム原理主義、経済成長原理主義、新自由主義、国土拡大原理主義、政党政治原理主義、デフレ脱却原理主義などなど、原理主義のオンパレードです。原理主義と言うのは、~は~でなければならない、と言う、原理原則への凝り固まり主義であり、根本主義(Fundamentalism)とも呼ばれます。

一方、その反意語は明確ではありません。~もあるし~もあるよね、と言った自由な考え方は、自由主義とも言えるし、見方によってはご都合主義とも呼べるからです。とは言いながら、投稿者は新しい言葉を考えるのが好きですので、ここでは例えば「やぶにらみ主義」と呼んでおきます。投稿者自身が、何かを考えて遠くを見ている時、やぶにらみになるらしいのですが、決して差別語ではありません。そのお蔭か「立体視」も得意です。と言うより、焦点(原理)が複数あり、同時に複数の視点(Point of view)を持てると言う点では、むしろ親に感謝すべき?かもしれません。投稿者は、時々自分の事を「環境原理主義者」と呼んだりはしますが、人知で解明する事は殆ど不可能な「環境」の事で、ましてその循環の原理などは未来永劫解明されない筈なので、無責任な使い方ですが、環境には笑って許していただきましょう。

さて、すっかり狭くなってしまったこの地球においては、もはや「原理主義」には退場願わなければならなくなりました。その際に必要な「原理」は、勿体ない主義、足るを知る主義、あるいはココロの満足に根差した幸福主義などになるでしょう。そのためには、私たちは早急に物欲(あるいは快適主義)とココロの満足との妥協点を見つけ出さなくてはなりません。その妥協点は、可能な限り物質から離れ、よりココロに近づく必然性があるのは、このブログでも嫌になるほど繰り返してきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月27日 (火)

1910 ユースウェア

夜来の雨が雪に変わり、今朝秋田は猛吹雪です。さて、世の景気は下降気味なのだそうです。国内はデフレで、しかもモノが売れない、頼みの輸出も細っている、いわば八方塞がり状態だと匙を投げかけています。しかし、産業界は一体何を見てそう言っているのでしょうか。人は、つい二分法をに陥ってしまいます。つまり、景気が良くなければそれは不景気状態であり、結果企業家のマインドも下がります。

同じような二分法が、製品にも使われている様な気がします。例えば、ハードウェアメーカーとソフトウェアメーカーの区分法です。車で言えば、ハードのメーカーが、エンジンや車体を作り、ソフトメーカーが、車載コンピュータとソフトを作り、製品に息を吹きこむ、と言った構図です。この論理で決定的に抜けがあるのは、ユーザーの「使い勝手(ユースウェア)」と言う視点です。つまり、ある製品としての車が、使い易いのか否か、使いにくいのは、ユーザーのどの様なグループなのか、殆ど分析されていない様なのです。実際は、それなりに分析はされているのでしょうが、精々アンケート調査程度だと想像しています。しかし、面談や出来れば運転が苦手だと言っているユーザーに寄り添って、一体何が問題なのか、どうすればそれが解決できるのかを、車の設計者が同乗して確認するならば、きっと素晴らしい車が出来ると思うのです。その上で、不必要なモノは徹底的にオプションに落とし、ユーザー毎にカスタマイズできる様にしておけば、コストも抑えられて、無駄な装備による重量増加(=燃費悪化)も防げるので、一石二鳥です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月26日 (月)

1909 メガソーラの愚

ここ秋田ではこの数日、降れば雨ではなく雪になっていましたが、昨日は久々の太陽が顔を出してくれました。やはりお天道様は暖かいです。そこで、標高200mほどの丘にある公園へ、片道1.5時間の遠足に出かけました。さて、日照時間が日本で一番少ない秋田でも自治体がメガソーラを設置するのだそうです。一般家庭500軒分で、投資額が6億円だとか。一軒当たりで割れば、約120万円なので投資金額としてはまあまあ妥当でしょうか。しかし、頭を冷やして考えてみれば、分散型エネルギーの代表である太陽光発電を、敢えて更地に建設するのが得策でしょうか。建物の屋根に乗せるのであれば納得はできます。一方で、空き地とはいえ優良な平坦地を太陽光パネル(PV)で埋めてしまう事にはどうしても納得できません。PVの下には、基本的には日が差さない訳で、植物を育てる事は諦めなければなりません。つまり、メガソーラと農業は、お天道さんの恵みを巡って真向背反すると言う事です。

それでなくても国土の狭いこの国で、現在は有効利用されていないと言って、埋め立て地や公共施設などの優良な平地を、決してPVなどに転用すべきではないでしょう。PV用地として活用すべきは、建物の屋根やビルの屋上、あるいは国道や高速道路の南向きの法面でしょう。道路の法面などは、放っておけば雑草の独壇場となり、草刈り費用だけでも天文学的な費用(国道だけでも100億円規模?)になる筈です。PVで日差しを遮れば、その費用も随分安く上がるでしょう。

変・送電に係るロスも無視できません。系統連携するためには、直流を交流に変換した上で、さらにトランスで昇圧しなければなりません。エネルギーは変換する都度ロスが避けられない代物ですから、ドンドン目減りしてしまいます。結局、メガソーラ程度の規模では、スケールメリットではなく、デメリットに陥るでしょう。PVは、小規模な地産地消にこそ最大のメリットがある仕組みなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月25日 (日)

1908 V字編隊

日課の1時間ウォークの途中(天気や仕事によって朝か夕方)、エサ場に向かうのか、ねぐらに帰るのか、時々ハクチョウの群れを目にします。感心するのは、渡り鳥に特有の見事なV字編隊での飛行です。元技術屋の頭で考えると、多分翼の端に生ずるカルマン渦を、すぐ後ろの鳥が上手く浮力として利用し、省エネ飛行を可能にしているのではないか、などと思ってしまいます。少なくとも、直列飛行では前の鳥の乱流の影響を受けますから、後ろの鳥はより多くの体力を消耗する筈です。しかし、きっとそんなややこしい事を考えながら飛んでいる筈はないのかもしれません。そんな基本的な行動は、遺伝子の奥深くに組み込まれていて、その遺伝子が掛けていた種族は、きっと渡りの途中で力尽きて絶えてしまったのでしょう。

かつて、鳥の羽根の構造について詳しく解説している書物を読んだような気がしますが、その微細な構造は、間違いなく乱流を抑えのに理想的なものだと書いてありました。羽根の強さを作り出す軸と、面積を広げるための枝、さらにその先に広がる微細構造に、乱流を抑えるテクスチャーが仕込まれています。乱流は層流が剥離する事によって発生するものなので、空気の粘性を味方に付けて、層流が最後まで羽根から剥離しない様な構造になっていれば、羽の浮力は最大に保てる事になります。

例えば航空機の翼表面にも、乱流の発生を抑えるための微細な筋を設けておけば、多分燃費もかなり向上できるのでしょうが、多分コストや使用中の汚れの付着の問題などで、誰もそんな技術に取り組もうとはしないでしょう。しかし、鳥の羽根が常に清浄に保たれている事を真面目に研究すれば、防汚技術だってしっかり磨ける筈なのです。白鳥の編隊からの元技術屋の妄想でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月24日 (土)

1907 リストラ

リストラは、今や人員整理の代名詞となってしまいました。しかし、本来の意味は企業活動の再構築(=Restructuring)、つまりは新たな事業の立ち上げと、結果としての事業体質の脱皮をと伴う行動の筈です。人減らしの首切りだけを行って、当面の黒字を確保したとしてもそれが一体何になるのでしょう。整理したい?「余剰な」人員と同時に、それ以上の割合で有能な人材も失い、企業の活力は急激に低下する事になります。

選択と集中と言う言葉も、一時大企業のリストラのお題目でした。しかし、皆が同じ分野に集中した結果が、たとえば今日の家電業界の落日を招いたのだと言うしかありません。薄型テレビや太陽光発電(PV)が儲かるとなれば、どっとその方面に集中し、結果としての価格の雪崩を引き起こす事になります。この行動の何が間違っていたかと感がえてみれば、それは設備型産業や製品に集中してしまった事にありそうです。薄型テレビもPVも、結局は素材があって、設備があれば作れてしまう製品です。中途半端な集中で終わった日本企業に対し、その上を行く設備投資を行ったいくつかの国々に、結局は競り負けてしまったのです。

真のリストラとは、やはり知恵を出し、汗をかいて、まだ後ろの国々が目を付けていない新たな分野に進出し、市場を開拓する必要があるのです。その分野が何であるか、あるいは何でなければならいかについては、このブログでも散々書いてきたつもりです。国内のニーズをベースとし、持続可能な資源やエネルギーを使う、「持続可能性向上」に寄与する産業、製品、あるいはサービスか、加えて社会的問題の解決につながる産業、製品、あるいはサービスでなければならないでしょう。そうではない、地下資源や化石エネルギーに依存した産業は、未来永劫にわたって資源価格の相場に踊らされ、為替水準に泣かされ続ける事になるのは明らかです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月23日 (金)

1906 公平ということ

TPPを推進し輸出を増やそうとする工業界と、農産物を守ろうとする農業者の利害が真っ向からぶつかりつつあります。その合間を縫ってかつての与党は、TPPには一見?反対を表明しながら、同時に赤字(建設)国債をエサに建設業界から票を集めようとしている様に見えます。そのTPPは、関税の完全撤廃を目指しており、国際貿易の公平性を主張するB国の(新)自由主義経済の権化とも言える枠組みです。

ここで、公平と言う事を考えてみます。貿易は、双方向の商行為です。その際に関税を完全に撤廃する事は、一見公平性の観点からは問題が無さそうに見えますが、実際はそうではありません。そのぞれの国、それぞれの貿易で扱われる商品で、国際競争力は全く事情が異なるからです。国際競争力が十分に大きな産品を多く持つ国は、TPPで大きな利益を得るでしょうが、逆の国はTPP攻撃で、産業に壊滅的な打撃を受ける事になります。関税は、それぞれの国が自国の産業の保護を目的に定めて、しかも折に触れて国内産業を眺めながら微調整してきたものなので、それを一気に取り払う行動は、やはり暴挙と言うしかなさそうです。

一方で、農業で負けて、工業で盛り返せば、勝ち負けトントンではないか。つまり、関税を撤廃する品目数が同じであれば、公平な関係は保てると主張もできます。しかし、これでもフェアであるとは言い切れません。何故なら、日本が得意とする工業製品は食えませんが、他方で食糧を握っている側がこの国の台所を牛耳る事になるので、まったく公平とは言えません。その意味で、B国における穀物とは間違いなく「戦略物資」そのものだと言えます。TPPへの参加は、先ず前提となるハンディキャップを小さくしてから、つまりは貿易パートナーとして対等な国同士が締結すべきなのです。工業製品が以前に比べて海外に売れなくなったのにはそれなりの理由がある訳で、関税の多寡せいではない筈です。関税を撤廃してもやはり工業製品が売れず、その一方で安い農産品がどっと入ってきて、農業が壊滅したら、TPP推進者はどう言い訳するのでしょうか。私たちは、表面上のTPP論議の前に「公平性」の本質をもっと深く掘り下げるべきでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月22日 (木)

1905 国境

G-グルアースを時々眺めます。地形図に出てくる黄色い国境は、多くの場合ヒトが勝手に引いた境界です。例外的には、海や大河や険しい山脈が自然の境界になっている場合もあります。この国は、その例外の一つでしょう。小島を巡っての「小競り合い」はありますが、基本的には国境は海岸線によって明確です。しかしながら、例えばアフリカ大陸を眺めれば、現在の国境を持っている国々は、かつては資源を巡っていくつかの強国(宗主国)の陣取り合戦の結果としての支配権下で、境界が緯度経度に沿って勝手に引かれてしまって現在に至っています。

一方で、環境が定める自然な境界と言うものも存在します。それは、植物や動物によって、つまりは気候や風土条件によって言わば自然にひかれた境界と言えるでしょう。植物が進出できない厳しい気候風土では、当然の事ながら動物も棲めません。例外的に、海洋のプランクトンが豊富で、それを食する動物プランクトンなどが湧きあがる極地方には、クジラや海獣やシロクマなどが棲む事が許されているだけです。環境上の境界こそ、本来重視されるべき「自然の境界」でしょう。

しかし、ヒトは環境上の境界を自由に超えて移動します。移動しながら、その移動先で軋轢を産み出し続けても来ました。新しい土地では、その土地にある森林や肥えた土壌と言う資源を徹底的に、使い尽くす事になります。その後には、不毛の土地(=砂漠)だけが残されます。こうして多くの文明が繁栄しては、数百年あるいは千数百年後には砂の中に消えて行った訳です。その意味では、今の文明は、地下資源を上手く、しかも徹底的に使いながら、歴史の中では例外的に長期間に亘って繁栄を続けてきたとは言えます。しかし、エネルギー=化石燃料も、食糧生産の命綱ともなっている、地下深くの真水=化石水も、枯渇への坂道を転げ出しています。素人の観測でも、化石水の方が先に枯渇する事は間違いないところでしょう。何故なら、化石燃料は価格が上がれば消費は抑制されますが、食糧不足は価格が上昇し様が何し様が、否応の無い人口増加圧によってますます逼迫の度合いを高めているからです。環境の「境」とは自然の境目なのです(たぶん)。グーグルアースからの連想でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月21日 (水)

1904 困り事

企業活動の根本には「ニーズ」がある筈です。ニーズに基づかない製品やサービスなどは、そもそも売れないでしょうから、企業活動も持続出来ないわけです。とは言いながら、ニーズにはレベルがある事も忘れてはならないでしょう。例えば、非常に強いニーズを「赤」で表し、弱いニーズを「青」で表現するとした場合、中間的なニーズは、信号機ではありませんが「黄」にしておきましょう。衣食住の基本的は部分は多分真っ赤でしょうし、不況になれば売れなくなる贅沢品や高級車は、このフィルターを通して見れば、多分真っ青でしょう。

ニーズは時代背景によっても左右されます。発売された当時は、完全な贅沢品で高値の花だった3C(多分車、クーラー、カラーテレビだった様な気がしますが…)は、今や一家にそれぞれが数台入っている事でしょう。生活レベルやライフスタイルの変化と同時に、製造技術も格段に進歩し大幅なコスト削減が進んで、価格的にも普及品になったのでした。エネルギー価格についても、同様な時代背景があったと思います。前のオイルショックの時には、石油製品の価格が一気に2倍になり、社会は縮こまってしまいました。そこで、この国は省エネ技術を磨いて、同時に石油需給も緩み、一方ではこれに懲りた国も「原発政策」を推進してきた筈です。しかし、ここに来て特にメーカーは途方に暮れて佇んでいます。時代背景としては、欧米型の自由主義経済は行き詰まりを見せていますし、エネルギー供給地図もかなり変化ししてきました。RシアによるLNG価格のコントロール、B国シェールガス・オイルの増産による中東依存度の低下、原発への向かい風、C国の領土拡大政策、新エネの拡大などなどです。

とは言いながら、世の中に不景気風が吹き始めて、あるいはC国の低価格に負けて受注が大幅にダウンした、などと嘆いていないで、上に述べた「赤ニーズ」を掘り越してはどうでしょう。その中でも、誰かが困っている事を掘り起こせば、必ずそこには強い真っ赤なニーズが見える事でしょう。ここ北国で言えば、ついに寒い長い冬に入りました。暖房のエネルギーは、今やほぼ100%の家庭が灯油暖房です。しかし、間違いなく石油価格は長期的に見れば右肩上がりです。B国が国内で苦労してシュール層から絞り取った石油を、同盟国だからと言って安く、分けてくれる筈もありません。価格は市場で決まるからです。ならば、やはり足元を見まわして、今は使われていない「未利用エネルギー=新エネ」を掘り起せば、新しい産業も生まれる筈なのです。残念ながらたった今は、石油・LNG需給はそれほどタイトではないので、困り事レベルで言えば、新エネはまだ「橙色」程度でしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月20日 (火)

1903 借家人の義務

国(社会)のあり方や、私たちのライフスタイルを考える際に、今を生きる私たちは、借家人であるとの感覚を忘れてはならないでしょう。私たちは、自分が働いたお金で土地を「買い」、家を建てたと信じ込んでいるのですが、結局のところ「所有」とはその個人が生きている限りの、社会との約束事でしかありません。その所有権が誰かに継承されたとしても事情は変わりません。

個人財産はさておき、環境についても全く同じ事が言えます。今私たちが恩恵を受けて暮らしている「環境」は、現世代が先人から受け継いでいる借りもの、と考えねばならないでしょう。それを汚すだけ汚して、次世代に引き渡す事の倫理上の過ちについて、もっと敏感になり、忸怩たる思いを強く持たなければならない筈です。先の原発事故で、間違いなく私たちは国土をひどく汚してしまいました。化石燃料の多量消費によって大気を汚し、工業製品の多量廃棄によって、大地を汚しても来ました。借家人の行いとしては、もはや悪行としか呼べない状況だと言えます。

借家やアパートを引き払う際に、借家人は所有者との契約により汚した部屋のクリーニング代や内装の修理代に相当する金額を払う義務があります。同様に、環境の借家人である私たちは、所有者である自然(=地球)にどんな代価を支払えば良いのでしょう。つまるところ、物質的な豊かさとは、環境からの債務残高(借金)の大きさだった言えるかも知れません。この国が抱える天文学的な債務は、私たち現世代が負っている環境からの債務を一つの数字に直したものだと、改めて認識する必要もあるでしょう。私たちは、債権に書かれている「見かけ上」の所有者に返済すると同時に、環境への債務も返済していく必要があると考えれば、実はその額はが額面の倍以上はあると言うしかありません。しかも、景気を浮揚させて税金でこれを返すと言う、現世代の合意(が出来ているかどうかも分かりませんが)は、間違いなく環境への債務を増やすことにつながる言う矛盾を、ますます色濃くするのです。結局のところ、私たちは環境への債務を減らす行動(例えば環境修復)を新たな産業(これは国が唱える「似非環境ビジネス」とは絶対に異なります!)に据えながら、しかも見かけ上の債務も減らしていくと言う、これまでの時代には考えられなかった、新たな挑戦を余儀なくされている言えます。それ程、私たちの環境への債務は膨張してしまったのです。以上、環境坊主の朝の読経でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月19日 (月)

1902 現チュウ

2大政党制を理想に掲げたM主党の目論見は崩れた様に見えます。海外情勢変化景に起因する景気変動や、震災とそれをトリガーとする原発事故、など色々な逆風があったにせよ、結果としてその節目、節目で有効な手を打てなかったか、あるいは下手な手を打った結果が今の姿かもしれません。その原因は、(他の野党も含めて)遠い将来に到達すべきあるべき社会の姿についてのグランドデザインが誰にも描けていない事にある様な気がします。その理想さえ描けるなら、そこに向けての過程では、国民に求める忍耐の根拠も明確になるでしょうし、どれだけの期間、どの程度頑張れば良いのかの目安も出来るはずです。

その意味では、今の政治も結局のところ55年体制(=官僚主導体制?)からどれほども先に進んではいないでしょう。赤字の垂れ流しを横目に、予算の分捕り合戦しか頭にない官僚、彼らを論理的に抑え込めず政局にしか興味の無い「先生方」の椅子取りゲームに、かなり前から国民がシラケ始めている事に、支持政党無しが過半数と言う世論調査の結果を見ても彼らは危機感を全く感じないらしいのです。喩えて言えば、「官僚の鋳型」の中で、M主党も、第二のJ民党にRecastされてしまったのだ、と言えるかも知れません。鉄もアルミも同じ鋳型の中では、結局同じような形になってしまうからです。ましてや、スクラップ金属の寄せ集め政党においておや、でしょうか。

改めて作るべきは、当面の政策(=対策)を書き並べたマニフェストではなく、この国が進むべき方向を示した「指南車」の設計図なのです。それは、望ましい価値観と環境保全に照らして妥当な産業構造や、全方位的な対外政策や(国民の)ライフスタイルの提案を網羅するものである必要があります。勿論、その根底には、将来世代の安寧を保証する持続可能性が高いものである必要があるのは当然です。その中心に据えのは、決して現世代の刹那的な満足ではなく、将来世代の幸福であるべきなのです。先人は、確かにその様に思い定め、黙々と努力し、静かに去って国の礎になってくれたのですから。長い歴史を振り返っても、今の時代ほど、「現世代中心的な時代」は無かった様な気がします。ここでは、新しい言葉を作って現世代中心的な行動を自己チュウに倣って「現チュウ」と呼んでおきましょう。現チュウ政党には、間違っても投票しません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月18日 (日)

1901 クモの糸

芥川龍之介の「クモの糸」ではありませんが、最近このクモの糸(というよりクモの巣)についてしみじみ考える様になりました。芥川のクモの糸はたった1本ですが、クモの巣(Web)は、見るからに「ネット」ワークそのものです。今の時代、その糸は光ケーブルなので、結果として全ての事がバーチャルの域を抜け出す事ができません。文字や画像や音声情報は、あくまで画面上の情報であり、決して「実体」ではないからです。しかし、やはりこれもコミュニケーションの重要な手段ではあり、要はハサミと同様使い様なのでしょう。

投稿者は、50歳過ぎにクモ糸(というか凧糸)を自分から切ってみました。そのままでは野垂れ死にするだけなので、取り敢えず拾ってくれた中小企業で、一宿一飯の義理を果たし、55歳の時には完全なフリーランスになり「フリーフォール」を始めたのでした。その中で、意識して築いてきたのは、全方位のネットワークだった様な気がします。企業も官も、利害関係が無ければ、ただの知り合いですから、その人に知り合いをさらに紹介して貰えば、ネズミ算式にネットワークは広がる訳です。その際、メールでファーストコンタクトするにしても、必ず会いに出かける事を基本にしてきました。メールのやり取りをして、名刺を交換し、利害関係の無い雑談を交わして、初めてネットワークの細いクモ糸が太くつながる訳です。

実体としてもモノや実体(人物)と繋がった、いわゆる生きた情報交換によって、ビジネスを展開するならば、WEBは非常に強力な情報交換手段に変貌し得る筈です。勿論、WEBで繋がったネットワークは、必ずメンバー同士が直接的に接触する事によりバーチャルではなく「実体」のあるコミュニケーションに置き替わります。投稿者としても、この原則を可能な限り実行して今のネットワークを築いてきたつもりです。従って、単なる「メル友」は一人も持っていないと断言できます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月17日 (土)

1900 プロダクションスタイル2

「私はうそつきではありません解散」により、この国も今後しばらくは流動的な状態が続きそうです。これが、この国がより良く生まれ変わるための「蛹の中の流動(蛹は脱皮前に芋虫から一度ドロドロに流動化する様です。)」であれば結構ですが、更なるカオスのスタートになりそうな悪い予感も少しあります。

さて、1899の続きです、製造に掛かる環境負荷の指標の一つとして、環境効率があります。環境負荷とは、処理せずに環境に排出する廃棄物の事ですが、固形のものばかりではなく、気体(例えば二酸化炭素)や液体(例えば汚染水)或いは、廃熱や光なども生き物に重大な影響を与える場合は立派な環境負荷になります。この環境負荷を分子に置き、分母に製品重量なり、サービスの量(例えば売上高)を置けば、単位製品重量またはサービス当たりの環境負荷と言う指標、即ち環境効率が定義できます。

この指標のより小さいビジネスモデルが、即ち環境効率が高い事業だと主張できます。私たちが、将来に亘って、温暖化による環境悪化や、資源・エネルギーの確保に関し、持続可能な社会とするためには、研究者はこの指標を1/4以下にする必要があると主張しています(別の主張では1/8以下)。指標を、上下逆にする表記もありますので、持続可能性ファクター(環境効率)を4倍または8倍にすると言う、いわゆる「ファクター4」あるいは「ファクター8」とも呼んでいます。

この主張に従えば、例えばエネルギー消費に関しては、私たちは今のレベルに対して、75%(又は87%)の省エネを実現する必要があると言う数字になります。勿論、現状のモノづくりや生活スタイルのままでは、これは実現不可能である事は明らかです。これは、つまりはライフスタイルやプロダクションスタイルを、劇的に変える必要があると言うことと同じ意味になります。どう変えるかですが、ざっと考えてもボタンを押せばものが出てくる自動化は縮小する必要があるでしょうし、一度に作るロットサイズも大幅に小さくせざるを得ないでしょうし、結果として1898で述べた様に注文生産を基本に据える必要もあるでしょう。その姿は、今のモノづくりが最も効率的だ(つまりはコスト最適だ)と考えている世代には想像する事は難しいかもしれませんが、戦後のモノづくりを知る世代にはある程度想像できるかも知れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月16日 (金)

1899 環境材料

1898では注文から出荷までを電子的に繋いで、「純」注文生産に近づけるアプローチを書きましたが、ここでは素材について考えます。現在の工業製品の材料(エンジニアリングマテリアル)として頭に浮かぶのは、多分金属材料(とりわけ鉄とアルミ)やプラスチック、加えて電子産業で重要なシリコンなどでしょうか。しかし、考えてみればこれらの全ては、実は地下深くに埋まっていた原料であったと言う共通点を持っています。金属資源もプラスチックの原料である石油も、まさに再生不可能な地下資源なのです。しかも、それらの精錬や加工には、これまた莫大な量の主として化石燃料から得られるエネルギーも必要です。

環境材料の定義は、詳しく書くと長くなるのですが、簡単に言えば石炭、石油文明以前に使われていた材料を指すと考えても間違いではないでしょう。具体的に言えば、木材や石や泥やそれに少し手を加えた、炭やレンガや瓦などになります。砂鉄を、木炭で還元して作った鉄(たたら鉄)も立派な環境材料にカウントできます。環境材料とは、別の言い方をすれば、たとえ用済みになった場合でも、100%また環境に戻せる材料だとも定義できます。

さて、木材だけを使って車が作れるでしょうか。エンジンのついた自動車は作れませんが、動力が動物である馬車は木材と少量の金属で作られており、かつての主要な交通手段でした。エンジンは金属でないととても作れませんが、車体だけであれば「圧密」してアルミ並みに強度を高めた木材(木材は、最大では密度1.6程度までは圧縮可能です)を使えば、多分立派な車体構造が作れるはずです。一方、レンガや瓦は、いわばセラミックスの一種ですが、この分野の進歩は著しく、金属を削る刃物や耐熱材料、半導体としても使える、いわゆるエンジニアリングセラミックスも環境材料として有望です。木材と石やセラミックスと少量のリサイクル金属を使えば、製造業における素材のかなりの部分が代替で出来ると思うのです。技術屋に足りないのは、環境材料を上手く活用する知恵と工夫だけなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月15日 (木)

1898 プロダクションスタイル

ライフスタイルに対比する言葉として、ここでは「プロダクションスタイル」を挙げてみます。ライフスタイルとは文字通り「暮らし方」ですが、ではプロダクションスタイルとは何を指すのでしょうか。勿論、こんな言葉がマスコミに現れている訳ではなく、投稿者の造語です。プロダクションは、直接的には「製造」の意味なので、「モノづくり企業のあり方」程度に捉えてください。さてライフスタイルにも見直し、即ち大量消費や利便性だけを求める暮らし方から、スローライフや省エネやかつては「清貧」などのキーワードとするライフスタイルの変更が起こっています。

 

同じような意味で、製造業にも見直しが掛かって然るべきだ、と投稿者は主張します。つまり、コストダウンと市場シェア(つまりは利益ですが)だけをターゲットにした、企業経営は決して持続可能ではありません。工場から製品をいくら安く大量に押し出しても、それを欲しがる人が減れば、在庫が積み上がります。モノづくり企業が最終的に目指すべきは、理想的には注文生産であるべきです。ある製造ラインに材料を1個プレイスするのは、営業部門から1個の注文が入ったタイミングとなるのが理想だと言う意味です。

 

それは決して簡単に出来るシステムではありませんが、T社のKンバン方式はそれを目指したものではあります。これに、ネットを結びつけたシステムとすれば、山谷の平準化さえうまく処理すれば、見込生産量を殆どゼロにする事も可能だと見ています。この注文から生産まで、完全に糸がつながったシステムは、実は昔の職人が営む店と全く同じである事に気付きます。あの時代には背広やワイシャツが必要になれば、顧客はまず店に足を運んで、体の寸法を取って貰って注文を入れる必要があった訳です。新しいシステムで注文=生産の山谷を減らす方法は、いくつも考えられるでしょう。例えば、インセンティブ(早期注文割引)やペナルティ(短納期割増)を上手く組み合わせる方法も有効でしょう。とにかく安い製品が欲しい顧客は、納期に余裕を持たせてオーダーを入れてくれるので、バックログ量がコントロールできる事になります。製造に関する環境負荷について続きます。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月14日 (水)

1897 福島行き2

昨日は、片道450㎞車を転がし、福島(いわき)まで行ってきました。従って、今日は寝坊してこの時間のアップです。福島に再度出かけたのは、いわきで木材を多面的に利用している企業のサイトを見せてもらうためと、別の要件で数人にコンタクトし、福島にしっかりしたネットワークを築くためでした。福島産の木材の半分を処理すると言う、この企業は「放射能」で苦しんでいました。木材でも、放射能レベルが高いのは樹皮部分なのですが、その樹皮を剥離しても、福島産材は他県では買ってくれないとの経営者の話でした。この企業では、木材は基本的には全て粉砕し、製紙用チップや燃料チップ、建材用チップ、ペレット燃料などに加工し、残りのバークなどは、肥料や火力発電用補助燃料などとして消費する、ほぼ完ぺきな木材サイクルを確立していたのですが、放射能汚染で出口のかなりの部分が詰まってしまい、バークなどはヤード内に積まれたままになっていました。

現在、樹皮を洗浄し、放射能レベルを下げるプラントを設置し、試験運用中でした。しかし、補助金はT電からの直接的な助成はまだ受けていないのだとか。立派な「風評被害」のはずなのですが…。しかし、ここの経営者の姿勢には、感銘を受けました。「自然が育ててくれた木材には無駄な部分はない」、との信念のもと、親の代からの製材所を、木材の多面的利用企業に脱皮させたわけです。木材のエネルギー化を含む用途拡大を、目指している投稿者とは目指す方向が同じであり、今後のコラボを約束して帰ってきました。

それにしても、薄日が差していた福島(浜通り)に比べて、山形との県境を境に、天候のなんとかけ離れている事でしょう。峠を越えた途端に小雨と太い雨が交互に降る中を突っ走って、庄内に入ると秋田までは、強烈な雷雨で前が見えない程の豪雨です。朝5時に出発して、帰宅が夜11時で、流石にヘトヘトにはなりましたが実りの多い一日でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月13日 (火)

1896 植物力

このブログでも何度か賞賛はしてきましたが、改めて植物の力について書いてみます。植物力の全ては、葉緑素の発明に集約されるでしょう。葉緑素の中の葉緑体は、太陽光の中でもエネルギーレベルの高い紫外光を利用して、水を分解し、水素を空気中の二酸化炭素と結合させて、炭水化物を作る能力の事です。根からは若干の窒素も取り入れて、タンパク質も合成します。木材に至っては、さらに複雑なセルロースやリグニンを合成し、強靭な躯体を高く伸ばして、より多くの太陽光を取り入れる術も手に入れた訳です。

複雑な化合物と言う意味では、例えば薬草に供される様な、種々の植物においては、あるいは身を守るためとはいえ、動物にとっては毒となる様な物質を作っている植物においては、さらに複雑な物資も合成していることも忘れてはならないでしょう。それらの物質は、人間が合成している「単純な物質」に比べ、想像を超える様なメカニズムで、薬として効き、あるいは毒として作用する訳です。企業は、化学合成に限られた技術者のパワーを使うくらいなら、自然に存在する植物から微量物質を抽出し、それが動物にとってどんな作用を引き起こすのかを、徹底的にスクリーニングする必要がありそうに思うのです。先人は確かにそれを行っていて、いま私たちが恩恵に浴している「漢方学」を確立したのでした。この時代になっても、踏みつけにしている名も知らぬ雑草やアマゾンやアフリカの密林には、信じられないくらい素晴らしい物質をひっそりと抱えている植物が、数多く存在する筈なのです。宝は決して、数百キロ上空の宇宙ステーションで見つかるのではなく、足元に転がっているのです。

さて植物は、苦労して?作った豊富な物質を惜しげもなく草食動物に呈し、結果として肉食動物も養ってくれているのです。動物の養い親は植物であるとも言える訳です。野山を見回せば、モクモクと茂る木々があり、その間には単に「雑草」呼ばれる植物が生えている訳ですが、木々には木々の、雑草には雑草の首長と生存権があります。私たちは実に勝手な存在でもあり、人間の役に立つものを作物や森林と呼び、役に立たないものを雑木とか雑草と呼んでいるに過ぎません。私たちは、身近な雑木や雑草についてさえ、何をどれほど知っていると主張できるのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月12日 (月)

1895 Flightrader24

時々、見るともなしにFlightrader24.comを眺めます。基本的には、このサイトは旅客機のフライトデータを開放している西側諸国(この言い方も古くなってきた感じがしますが)の全フライトの便名と現在地が、地図上に表示されるものです。いつも感ずるのは、北米とヨーロッパ上空のフライトの異常とも見える混み具合です。基本的には航路同士は交わってはいけない事にはなっているので、平面的に見れば交差している航路でも高度には十分な差を付けている筈なのですが、それにしてもその便数の多さには毎回驚かされます。さながら甘い食べ物に群がる虫たちにも見えます。

ヒトは、何故にこれほどまで移動しようとする動物なのか、と時々考えますが何時も「それは人類が飛行機と言う文明を持ってしまたからだ」という当たりまえの結論しか出ません。この文明が強く制限された時期がありました。それは2001年のテロ事件の時ろその後のSARS騒ぎの時でした。テロへの脅威によって、飛行機による移動の自由は極端に奪われ、旅客数は直前の半分以下に落ち込んだのでした。SARS騒ぎの時は、瞬間的にはそれ以上の落ち込みを記録しています。前者では、燃料をたっぷり積んだ旅客機は、数百人の乗客を道連れにした空飛ぶ爆弾になる事が証明されましたし、後者では密閉された空間に詰め込まれた乗客間のウィルス感染への恐怖感が移動しようとする欲求に勝りました。

しかし、現在はそんな事が無かったかのように、旅客数や便数がさらに増加し、航空機産業は大きなバックログを抱え、みかけ活況を呈しています。しかし、それは何かのきっかけで、ザワザワと消えて居なくなる虫たちの様に間引きされる可能性も含んでいるはずです。例えば、もう一段の燃料価格の上昇とか、あるいは今回のB国の季節外れのハリケーン等の異常気象の頻発と、化石燃料の使い過ぎの「因果関係」が証明された時かも知れません。何しろ、航空機のジェット燃料としては、石油(ケロシン)以外は考えられない訳ですから・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月11日 (日)

1894 マラソン社会

あるコミュニティの存続、大げさな表現をすれば人類の存続のための活動はマラソンレースに似ています。マラソンレースでは、それぞれのコミュニティが集団を形成しながら走ります。先頭集団を形成する先進国もあるでしょうし、どん尻を走るいわゆる原始的な生活スタイルを守っている社会もあるでしょう。集団がどこに向かって走っているかは確かに問題ですが、兎に角生きていくためには走り続けるしかない訳です。

さて、ひとかたまりの集団、例えばある国の社会を想像してみましょう。より望ましい社会とは、その集団があまりバラケル事無くまとまって走っている状態でしょうか。先頭と、どん尻の開きを「格差」と呼ぶならば、格差の小さい社会程安定しており、平均的なスピードも速い筈です。一方、先頭はずいぶん先を走っているのに、最後尾はまだスタートしたばかりで、トボトボ歩いている社会もあり得るでしょう。例えば、隣のC国です。沿海地域の走り方と、内陸奥部の山岳の農村部とは、天と地ぐらいには離れている事でしょう。しかも、この社会の集団は、地球の(上の人類の)存続に大きな影響を与えるほど大きい訳です。

マラソンレースで集団を整えるには、先頭がややスピードを落とす方法と、最後尾に何らかの援助をして順位を引きあげる方法がありますが、その併せ技が効果的でしょう。ところで、このマラソンレースでのスピードとは何でしょうか。それを、文明が進歩する速さだとしても、では文明の「進歩」とは一体何を指すのでしょう。工業製品を作って、それを誰もが使える便利な生活の実現が進歩と言うなら、私たちはもう十分なレベルに到達したと言っても良いでしょう。これ以上、さらに何を望むのでしょう。庶民は宇宙旅行はできませんが、海外旅行なら信じられないくらい安く、気軽に行ける様にはなりました。基本的には、飢えで命を落とす人は居なくなりましたし…。ならば、私たちは「足るを知って」心安らかに暮らす術をもっともっと磨くべきでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月10日 (土)

1893 累積赤字

自動投稿です。何故この国や、ラテン諸国を中心にした国々で、ここまで国の収支が悪化したのか、時々は考えいます。それは、たぶん将来への過度な期待、つまりは悪化した現状には目をつぶり、将来に期待しようとする人の悪い癖の様なものが原因していそうです。悪い事に、特にこの国では、ある年代以上は、戦後の高度成長期と言う「夢の時代」を成功体験として持っていますので、少なくともその記憶が残っている世代が国の舵取りをしている間は、この傾向は変わらない可能性が高いのです。

ラテン諸国について言えば、確かに彼らには今日が楽しければ、明日は「ケセラセラ」と言う気質があります。船の仕事でIタリア人と付き合い、航空機の仕事で1年間Bラジルで暮らした経験に照らしても、それは確かに言えます。ではこの国はどうかと言えば、彼らほどではないにしても、同様の傾向はありそうです。悪い噂も75日経てば、無かった事になりますし、事が終わって全てを水に流せばこれも無かった事に出来ます。努力して、農作業をしても、所詮収穫高はお天気次第です。何年かおきには風水害に見舞われ、何十年かおきにには、噴火や大震災に見舞われるからです。とりあえず、今年が豊作ならば、秋祭りで神々に感謝して年が越せれば、新しい年を迎える訳です。つまりは、毎年毎年リセットし続けるライフスタイルだとも言えます。そのベースには、権力やお天道様には勝てっこない、と言う諦観も流れているのでしょう。

さて、ある年に景気が悪くなって、歳入が予想より減ったとします。国は、悪化した原因を詳しく分析する事もしないで、取り敢えず外部(お天道様や諸外国)のせいにして、その年は赤字を計上しても、新年度でリセットできます。新年度の予算は、景気の浮揚策(公共事業や金融政策など)などを織り込めば、それまでの成功体験から希望的に類推して、きっと持ち直すと考えて、その様に編成するでしょう。しかし、天候(諸外国の状況や国内のマインド)は一向に持ち直さないまま、赤字を積み上げてきたのでした。やっぱり、この国もケセラセラ国の様です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 9日 (金)

1892 亜寒帯

秋田は、毎日冬空で雨模様の日々です。亜寒帯は、概ね北緯40度以北にある冷涼な気候帯ですが、大陸部ではより南の地域に広がり、大洋に面している地域では、やや北上します。この国では、一応津軽海峡がボーダーになっています。さて、この亜寒帯では平均気温が低下傾向にあるのだとか。その南北に広がる温帯や寒帯では逆に気温が上昇しているにも関わらずです。極地方では、気温上昇の結果として、例えば夏場の北極海の浮氷の面積は大幅に減少していますので、寒帯の温暖化は明瞭です。

これには、ジェット気流(JS)の影響がありそうに思えます。JSには、北半球で言えば北緯40度付近の「寒帯JS」と、北緯30度付近の亜熱帯JSの2本が流れていますが、前者は、極高気圧(気団)の南の縁に、後者は赤道と極気団が南の縁に作る二つの上昇気流がぶつかる緯度付近に出来る下降気流の隙間に生ずるものです。いずれにしても、この2つのJSは、気候帯を分ける流れでもあり、季節変化による極気団の消長によって緯度が南北に移動しますし、一方で地表の凸凹や、海洋気候によっても蛇行や南進、北上を繰り返します。日本付近で言えば、ヒマラヤの北を通るか、南に回るかによって、この国の気候はモンスーンと亜寒帯の間を往復させられる訳です。

さて、亜寒帯とは、寒帯JSが季節によってその上を南北に移動する地域と言う事になりますが、この地域の冷涼化が強まっていると言う事は、このJSがやや南下している事が考えられます。つまり、全体的には温暖化が進んでいるはいる筈ですが、何故か北側のJSだけがやや南下傾向にある様なのです。平均気温で言えば、南下の時間が長い分だけ気温は低下傾向になる訳です。そのメカニズムとして投稿者が疑っているのは、「極気団の扁平化」です。極地方が暖かくなった分だけ、その南の縁での上昇気流は弱くなり、結果として気団が扁平になり、面積は広がる事になるからです。逆に言えば、夏場には相対的に極気団が弱まる結果、より高い緯度まで高温状態が現れる事になります。今後北海道の夏は、今年の様に暑くなる傾向が強まる可能性があります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 8日 (木)

1891 北緯40度線

5日は、久しぶりに穏やかに晴れたので、バイクで県北の能代まで足を延ばしました。農業県でもある秋田としては最大の農業祭(種苗交換会と呼んでいます)が開かれていたからで、東北における農業の現状を垣間見ておきたいとの想いもありました。種苗交換会と銘打つだけに、会場には県内で作付れている主要な果樹やコメや野菜などの品種が、所狭しと並べられ、それぞれに優秀な作物には品評結果の札が下げられています。知事賞(最優秀賞)とか、二等賞とか三等賞などと言った具合です。各地域は、特徴を出そうと農業試験場などと協力して、新たな品種の開発にも熱心に取り組んでいる様でした。それにしても、なんと豊かな農産物の数々でしょう。秋田に住んでいた若い頃は、気にも留めなかったこの豊かさを、ボチボチでも味わって行こうとしみじみ思いました。

この会場に向かう途中の国道で、突然「北緯40度線」の看板が見えました。突然と言うのは、行先や距離表示の青いカンバンとは違うイメージの看板でしたので、何のカンバンか少し考える時間が必要だったからです。感想は、「そうか、ここは北緯40度を跨ぐ北国なのだな」と言うものでした。見ると、これから向かう能代の北に連なる白神山地は、標高1000m程度とあまり高くない山々にも関わらず、頂上付近は既に白くなっていました。間もなく全部真っ白になって、本当の白神山地になる訳です。

真っ直ぐに行けば片道100㎞程度の距離でしたが、帰りは八郎潟の干拓地である大潟村への脇道に入り、一周35㎞のソーラーカーレースのコースを少し走ってから、男鹿半島の付け根にある寒風山(355m)に立ち寄って絶景を楽しみました。ちなみにこの半島は、いくつかの火山(低いが富士と同じ立派な「成層火山」です)で出来ている島が、雄物川と米代川の砂州でつながったものです。緩やかな南の海岸線と穏やかな日本海の向こうには、鳥海山が裾野を靄に隠してポッカリと浮んでいました。北国では、今シーズンのバイクツーリングもそろそろ終わってしまいます。八幡平や栗駒山、鳥海山などの山岳道路やスカイラインは、先日の積雪で、すでに冬季閉鎖に入りました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 7日 (水)

1890 ロールズ的社会

哲学者J.ロールズの考え方については、放送大学の大学院で「環境学」を学んでいる時に読んだ、いくつかの経済書や哲学書の中に引用されているものを、孫引き程度に知りました。しかし、「ロールズの格差原理」については、強く記憶に残りました。一言で言えば、「社会で最も恵まれない人を基準とした社会システム」を、倫理(人と人との間の理あるいはあるべき姿)に基づいて提唱しているのです。いわば、「下から目線」の考え方です。

一方で、自由至上主義や新自由主義は、能力ある人や企業を伸ばし、自由競争の中で経済を拡大しようとする、「上から目線」の考え方だと言えるかも知れません。このブログの切り口である「環境の持続可能性」から見ての結論は自明です。環境保全のためには、ヒトにはある程度の我慢を強いるシステムにならざるを得ません。何故なら資源や地球のサイズは有限で、あまりにも膨れてしまった人口を養うには、どう考えても低いレベルで食糧や資源やエネルギーを分けあう必要があるからです。

しかし、20世紀型の価値観に凝り固まっている政治家や官僚は、ここに来ても赤字国債を乱発し、「景気の浮揚」と言う前世期の「見果てぬ夢」に囚われたままなのです。失業対策には景気浮揚ではなく、「ワークシェアリング」で対処する必要があるのです。資源やエネルギーをガブ飲みする新たな産業を興すのではなく、足元に眠っている持続可能な資源や太陽光(エネルギー)を最大限に利用する、小さな「持続可能な産業」を数多く興す事が、ロールズ的社会の実現には不可欠なアプローチになる筈です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 6日 (火)

1889 モノ売り→機能売り

これまで、モノづくり企業は、モノを作って(加工して)それを売っていました。車屋さんは車を作り、電気屋さんはテレビや冷蔵庫やクーラーを作って、売りさばいていた訳です。しかし、考えてみれば人は別に車そのものが欲しい訳ではありません。勿論カーキチと呼ばれる一団は、特定の車を所有したがる様ですが…。もし、自分の家にいつでも呼び出せるハイヤー会社と、然るべき金額(車を保有するくらいの金額)で契約できるなら、別に車なんかは所有する必要はないでしょう。それでなくても狭い、この国の住宅の敷地を削って車庫など作りたくもないでしょうし。

また家の前にコンビニがあるのなら、何も狭い家の中に冷蔵庫なんか置きたくない訳ですし、同じく家の前に小奇麗なコインランドリーがあれば、やはり狭い浴室の前に洗濯機なんかは置きたくないのです。つまりここでは、私たち「消費者」が欲しいのは、工業製品などではなく、その製品が生み出す「機能」であると言いたいのです。機能を提供するには、いわゆるサービス業と呼ばれる業態です。例えば、外食産業は台所の使用頻度を下げましたし、そうでなくとも夕食セットを宅配するビジネスは、まな板と包丁を不要にしました。

どこまで、消費者に媚びるかはさておいて、もしそれが環境の持続可能性を高めるのであれば、モノづくりを必要最小限に留め、機能の提供を強化すべきでしょう。車で言えば、カーシェアリングが各所帯で車を3台も4台も所有するよりは環境に優しいのでしょうが、それよりもヨーロッパの多くの都市の様に、路面電車やバスと自転車の組み合わせが、環境的には正しい選択になり得ます。そのためには、高度成長期以降一貫して徒に広がってしまった都市を、統一された中層住宅に集約した「コンパクトシティ化」を指向していく必要もあるでしょう。これも、安っぽい戸建て住宅を売るモノ売りから、100年使える快適な賃貸の住空間を提供すると言う機能売りへのシフトに他なりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 5日 (月)

1888 社会における役割

時々人の社会における役割について考えます。社会的存在として進化した生き物であるヒトは、社会との関係を上手く処理できないと、多分健康には生きていけません。余り適当でない仮定かも知れませんが、「情報遮断」という異常状態を想像してみても、それは理解できそうです。例えば、暗闇で音も遮断された空間に、数日入っているだけで、たぶんヒトの精神状態は狂い始めるのでしょう。ヒトは社会と繋がり、社会とコミュニケーションし続けるしかないと思うのです。

さて、社会の中で上手く生きていくためには、社会の中での自分の役割を見つけ出して、それを自分の出来る範囲内で担って行く必要があります。しかし、半世紀以上遡ると、世襲によって役割が代々引き継がれているケースも多かったのでした。職人の子供が職人になり、農家の長男は農家を受け継いだのでした。とは言いながら戦後のベビーブームに始まる人口の増加は、それを許しませんでした。今や典型的な世襲は、中小企業の経営者か政治家くらいにしか見かけない社会になってしまいました。いま多くの人は、学校を卒業するに当たって、企業や団体に所属(就職)する事によって、ラッキーであれば、そのまま何らかの役を与えて貰らって、永く勤め人として暮らす事を第一優先として考えるでしょう。。

とはいいながら、少なくとも子育てと言う責任を果たした年代の人たちは、改めて自分の社会における役割をじっくり考えてみても良いでしょう。つまり、どんな行動を起こして、結果として社会にどんな形で役に立てるかについて考えてみる訳です。その際の行動指針としては、投稿者としては「持続可能性」に照らして、是か非かを決めるべきだと信じてきました。その意味では、例えば石油でしか飛ばない航空機を作り続ける仕事は、「非」であると結論するしかなかったのでした。同様に、毎年数千万台の車を大量生産する産業も、長続きするとも思えません。石油は、持続可能でないエネルギー源の典型だからです。最も確実な、持続可能なエネルギーは、やはり太陽光しか考えられません。その利用をいくらかでも拡大する事が、残りの人生における自分の役割だ、と約10年前に決めてしまったのでした。今日は余り上手くまとまりません・・・ね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 4日 (日)

1887 蓄エネ

秋田では、今日もどんよりした冬空です。さて、エネルギーの蓄積として思い浮かぶのは、例えばEコアイスと呼ばれる冷房システムでしょうか。水から氷への「相変化」には、大きな潜熱の出入りが伴いますので、比較的小さな容積で、大きな熱量(冷熱)を蓄える事が出来るからです。その意味では、蓄熱剤や蓄冷剤は、水・氷だけではない事に思い当ります。いわゆる、相変化剤(PCM)としては、既に種々の化学物質が開発されているからです。ありふれた物質としては、氷枕に用いられるポリアクリル酸ナトリウムなどの物質は、冷却すると固体になり、暖めるとジェル状に柔らかくなります。蓄熱剤としては、パラフィン系や酢酸ナトリウムなどがありますが、このうちパラフィン系は、膨張率が大きい事を利用して、お湯の温度が調整できる混合水栓にも使われています。

これらには、その組成や濃度などを調整して、蓄えたい温度毎に保冷(蓄熱)剤が準備されており、目的の温度に数時間程度であれば保つ事が出来ます。これを、それなりの数量を冷房や暖房熱のバッファーとして使うと、例えば冷房負荷の小さな夜間や、午前中に冷熱を蓄えて置けば、午後の冷房負荷を低く抑える事が可能となります。同じように、暖房期においては、例えば昼の間太陽熱を蓄熱剤に蓄えて置き、夜間気温が下がった時に、穏やかな暖房熱源として活用できます。

もう一つの需要な蓄エネは、電力の蓄積(蓄電)でしょう。しかし、世の中は太陽光発電や、EVの普及もあるのでしょうが、あまりにも蓄電(高性能バッテリーの開発)に偏り過ぎている様に見えてなりません。つまり、Eコアイスの様に蓄熱で事が足りる用途でも、バッテリーに電力を蓄え、それでエアコンの電気モーターを回そうと考える傾向が強いのです。これは、電気屋さんが電気には強いが、「熱力学」には比較的弱い事も関係しているかも知れません。電気屋さんも、電気は(発電所で)熱から作られた事に思い至るべきでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 3日 (土)

1886 省エネから創エネへ

投稿者の中では、省エネへの取り組みは終わりつつあります。ESCO事業や、省エネコンサルと言ったいわゆる省エネビジネスも、結構中身もありサマになったものが増えてきたからです。企業側の省エネ意識も、昨年の電力危機以降(電力に関しては)それなりに高くなってきており、形ばかりではなく、実質的に高い省エネパフォーマンスを実現できているケースも多く見聞きします。

では、今後何が必要かですが、言わずもがなの新エネ、再エネを活用した創エネです。ややこしい事に、日本近海のメタンハイドレートや、ここ秋田のシェールオイル(ガス)も新エネと呼ばれて注目されていますが、それらは再エネへのシフト時期を遅らせるだけの「邪魔者=似非新エネ」でしかありません。そんなモノに寄り道するくらいなら、(100年後や200年後の子孫にも胸を張って残せる)本物の再エネの開発に、そのお金とマンパワーを振り向けるべきでしょう。新たな化石エネルギーを探索するなどと言うのは、創エネでも何でもなく、単なる何億年前に隠された宝探しゲームに過ぎません。

そうではなくて、創エネには、多くの工夫と地道な改良が欠かせないのです。創エネと言っても、何も無い所から手品のように出す訳ではありません。全ての再生可能エネルギーは(地熱を除けば)、例外なしに何らかの形で「お天道様エネルギー」なのです。太陽光発電はリアルタイムの太陽エネで、バイオマスは去年か数十年前に植物が固定した太陽エネルギーですし、風力は数日前の日射エネルギーの差や季節変化による地表の気温差で巻き起こるもので、水力は山に降った雨や雪解け水の流れ下る力ですから。つまり、創エネと言いながら、要は既にそこここ転がっている太陽エネルギー(の変化したエネルギー源の存在)に気付く事だとも言えそうです。このブログでは、そんな気付きもしっかり書き留めていくつもりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 2日 (金)

1885 環境メッセ

今朝秋田では、まさに「雨あられ」の天気となっています。 さて、岐阜での仕事のついでに、びわ湖畔で毎年開催される環境ビジネスメッセを、今年も覗いてみました。ムードや来場者の数を見ても、かつてに比べれば、メジャーな地方メッセになりつつあるような気がします。理由は、ここは単なるビジネスメッセではなく、第1回目からタイトルに「環境」を冠したメッセであったこと、場所が日本で最大の内水面である琵琶湖の環境悪化を、県民を挙げて改善しつつある滋賀県である事、しかも中部からも関西からも、北陸からも交通の便が良い事が、相乗的に寄与した結果でしょう。中央のメッセが大きいのは当然として、ローカルメッセとしては確固たる評判を固めた様に見えます。

展示は、相変わらずエネルギーの見える化、省エネ照明、水質改善、外の展示ではEVFCVなどが目立ちますが、今年注目したのは、例えばエネルギーの蓄積(蓄熱、蓄冷、蓄熱)などです。詳しくは稿を改めますが、そのほかには、やはり断熱や遮熱、さらには再生可能エネルギーでしょうか。これも稿を改めますが、やはり各展示メーカーにとって難しいのは、如何にして自社の製品の「費用対効果」の有利な事をユーザーに納得させ、そのためには投資回収期間を如何に短縮するかでしょう。良い事は分かっているけれども、投資の回収に10年も掛かる様なものは敬遠される訳です。逆に、1-2年で元が取れる優れものの展示は、結構注目を集めていました。つまり、この時代ユーザーとしては、常に即効性の高いものを求めていると言う傾向の様なのです。

一方で、いわゆる新エネや再エネ関係の展示は、数えるほどしか見られませんでした。この分野こそ、強い追い風が期待できる分野なのに、です。この分野では、1970年代の2度のオイルショックの時期に、それこそ腐るほどの新エネ、省エネアイデアが出されたはずなのです。もし、その時に特許や実新となる様な優れたアイデアであっても、権利期間はとっくに切れていますので、それこそ、今ではタダで使い放題なのです。公平に見ても、モノが比較的足りなかった時代のアイデアの方が、優れたものが多いとも想像しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 1日 (木)

1884 ブランドより中身

岐阜から12時間のロングドライブで戻り、ブログ再開です。

さて、企業力アップ=ブランド力アップのハンドブックを執筆しました。地元の商工会からの依頼です。勿論、基本の「き」から説き起こして、それぞれに成功事例を挙げて、一応の格好は付けて脱稿しました。しかし、書き手の想いがそれを手にした企業にどれだけ伝わるかは、やや疑問です。と言うのも、日本の多くの企業では、企業力は十分過ぎるほどあるのですが、儲からない原因は、実はアイデアや戦略の不足だと分かっているからです。

各地には、既にブランドを確立した地域もかなりの数存在します。モノづくり産業だけを見ても、工作機械や航空機や車や楽器やメガネフレームや洋食器などなど、同業種の集積密度が高い地域を指します。しかしながら、ブランド力とは、結局は貯金通帳の残高の様なものだとも言えそうです。有名な銀行に口座を持っているだけでは十分に信用力が高いとは胸を張れないでしょう。必要な条件の一つではあるでしょうが、十分ではありません。真面目に(合法的に)働いて、コツコツと貯金を積み重ねる姿勢も、ブランドを打ち立てるのに必要かつ十分な条件なのです。

しかし、下を向いて真面目に働くだけでは。混迷のこの時代においては十分ではありません。やはり、固いニーズを掘り起こし、見極めた上で、それにピンポイントで応える為のアイデアが必要だからです。心ある人々は、もはや大量生産の安物は欲しくないと言う事実に、メーカーは早く気付く必要があるでしょう。手触りが良く、所有する喜びが感じられ、長持ちして、修理が利く様な、つまりは長く使えて自分に馴染む「本物」が欲しい訳です。一部のブランド品には、確かにその様なものもあるにはありますが、所詮若い人が群がるブランド品には、本物は多くありません。何故なら、若い人たちのモノを見る目は稚拙で、ロゴマークしか目に入らないと言う事をメーカーも良く知っているので、人件費が安いアジア地域などで大量に作らせてるからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »