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2012年12月 9日 (日)

1922 心配しなくても

再び原発問題です。経済への影響を懸念するだけで、原発維持の必要性を叫ぶにはやはり無理があります。頭を冷やして考えてみれば分かりますが、原発事業は既に破綻しているからです。何故なら使用済み燃料の保管場所が残り少ないのです。使用済みの燃料棒は、専用のプールの中に縦向きに吊り下げられて、冷却水を循環させ、一定の温度以下になるまで冷やされ続けます。その後は再処理され、再度燃料として使用可能なプルトニウムが取り出されますが、その残りは高濃度の核廃棄物として地下深くに長く(多分人類が絶滅するまで)保管されます(と言う計画でした)。しかし、天文学的な投資を積み上げた、国産の再処理工場は未だ開業の目途は立っていませんし、頼みのヨーロッパの再処理工場は、いくらお金を積まれても最早受け入れる余裕はない様です。再処理工場の地元住民の反対も根強いからです。

一方、原発内の燃料プールは、今後大幅な増設をしない限り数年で満杯になる筈です。そもそもは、今世紀に入る頃までには核燃料サイクルが上手く回ると言う目論見で、容量が設計されていたからです。しかし、六ヶ所村がいまだに稼働の目途が立たないどころか、いまや低濃度の核廃棄物ですら、県内に最終処分場を引きうけると言う自治体は皆無です。ましてや、高濃度の核廃棄物の最終処分場においておや、でしょう。

つまり、数年後には間違いなく、殆どの原発の燃料は燃え尽きて、しかしその燃料棒を取り出す事が出来ない、と言う深刻な事態に陥る訳です。往生際の悪い電力会社は、多分敷地内に燃料プールを増設するかもしれません。しかし、それとて原発建屋内に限定されますので、限界があるでしょう。あの政党もこの政党も、「○○年後には脱原発を実現する」、とか言って約束していますが、最終処分場に手を上げる自治体が現れないがぎり、心配しなくても10年以内には全ての原発が止まってしまいます。もし、間違って(お金が欲しくて)処分場の受け入れに積極的になる首長が現れた場合は、仕方がないので国民全員でボコボコに袋叩きにすれば良いでしょう。どの様なハイテク技術が使われようが、出口が無いシステムは、間違いなくフンづまりで破綻するのです。

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