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2012年12月14日 (金)

1927 首都をどうしたいのか?

衆院選と同時に、都知事選も走っています。ここでは、首都とは何かを考えてみます。この国の首都は、江戸のなれの果てですが、明治以降の歴史の中で、あるいは高度成長期の首都圏の人口膨張は、地方の出身で、地方の工場で勤務していた投稿者には、まさに異常事態としか映りませんでした。この時期には、地方から言わゆる「集団就職列車」が仕立てられ、大量の若年労働者が首都圏に送り込まれ、彼らが家庭を持つために、郊外には1ヶ所に何万世帯も済む大規模団地が次々に建設されたのでした。

さて2005年にピークを打ったこの国の総人口ですが、東京圏の人口は実はまだ増加傾向を続けているのです。東京圏は2015年ごろまで漸増を続けるのだとか。そのピークは3500万人を超えてしまう様です。この国の3割に近い人口が、相変わらず首都圏に群れて住む事になります。しかし、首都圏の製造業は既にかなり空洞化してしまっているので、この地域にする人々は、結局「サービス業」を生業にするしかありません。巨大な都市を支えるのは巨大なインフラやサプライシステムが必要です。電力網、水道網、下水網、物流・交通網、通信網、ゴミ処理網などに加えての巨大卸売市場や外食産業や小売業などを、日夜休むことなく動かす必要があります。

投稿者が世の中を眺める見方の一つに「都市山小屋論」というものがあります。都市は、高い山の山小屋と同様に、全ての物資やエネルギーや食糧を麓(田舎や諸外国)から運び上げる事によってのみ存続可能な場所だとも言えます。地震で電車が動かなくなっただけで、簡単にその機能を停止してしまう異常な場所なのです。いくつかの政党が主張する様に、中央集権の規模を縮小し、製造業も海外に出て行った首都圏は、やはり徐々に地方分散を図りながら縮小する方向に動かなくてはなりません。地方に向かう人口の流れを作るのは、やはり高度成長期に都市に流れ込んだ世代やその子世代と言う事になるでしょうか。問題は戻った先です。親の残した農地を受け継げる人は全く問題ないでしょう。見よう見まねで農業を始めれば良い訳です。しかし、そうでない人たちは一体何を生業にして生きれば良いのでしょう。ささやかな年金はあるにしても…。今、その方法を、ここ秋田で日々厳しくなる寒さに耐えながら考えています。続きます。

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