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2012年12月22日 (土)

1935 分散システム

何度目かのテーマです。戦後一貫して、この国はシステムの集中化を推進してきました。それが効率化とコスト削減による国際競争力を高めるとの信念からでした。それはある意味で、ある時期は確かに正解でした。集中化し、自動化すれば製造コストは下がり、当面の利益率は上がるように見えます。しかしながら、集中化・自動化の推進の結果、製品の品質は向上した反面、その多様性や個性は失われ、結果として製品は薄っぺらになった様な気がします。それは、例えば各社が生産している車の個性の弱さにも確実に見て取れます。

同時に・自動化による大量生産は、生産の極端な集中を加速し、その結果製品の輸送・配送に関しては、より多くのエネルギーを使う結果となった訳です。つまり、集中システムは製品当たりの見かけ上のコストは抑えられるかもしれませんが、原材料のムダ(=廃棄物の増加)、過度な自動化によるエネルギー原単位の上昇、配送に係るエネルギーの増加、結果としての在庫の廃棄率の増加など、システム全体としての省エネ・省資源が置き去りにされてきたと言えそうです。

一方、分散システムは、必要なものを必要とされる場所で作り、そこで消費する事を前提に構築されますから、あらゆる無駄が目に見える状態に置かれます。無駄な食糧は作られなくなるでしょうし、無用な在庫も減るでしょう。何より、原料や製品の配送に係るエネルギーも最小限で済みます。つまりは、コミュニティの構成員の目に見え、手が届くシステムだと言えます。この事は、そのシステムの問題点も明確になる事を意味します。その結果、システムの修正が必要となった場合でも、小さな規模ではそれも容易に実行できます。

その意味で、最もフレキシブルな生産システムとは、結局はシステムの要所要所に「人」を配し、人手でシステムを動かすシステムだと断言できます。この様なシステムでは、昨日の状勢変化による生産の修正を、翌朝のライン稼働に反映させる事も可能なのです。それを機械に任せ、中央で集中コントロールすると言う、今主流の考え方はやがて行き詰るでしょう。

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