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2012年12月29日 (土)

1942 社会のエイジング

形あるモノは全てエイジングが進むとして、では一見形のなさそうな人間社会に老化は無いのでしょうか。そんな事は全くないと言いきれます。実際この国は、少子高齢化の流れの中で、人口ピラミッドはと言えば、欧米型である「釣鐘型」をとっくに通り越し、今や世界的にも類例が無い「ツリー型」に移行してしまいました。一人の女性が産む子供の数は、最近の子供助成金でやや持ち直したとはいえ、世界でも最低ラインに貼りついたままで、逆に実態は寝たきりが多いとはいえ高齢者の寿命は世界トップレベルで固定されたままです。これこそが、この国の社会の直接的な意味でのエイジングに他なりません。

人は高齢になると誰しも守りに入ります。新たな挑戦は控え、若かった頃の思い出に浸りながら、現在の安寧な生活が一日でも長く続く事を願うだけの、いわば後ろ向きの存在になるわけです。これは一個人に限りません、企業や自治体や国の組織、あるいは政治家においても似たような「老化現象」が観察されます。例えば、これから新しい政府が打とうとしている「手」を見ると、強い既視感に襲われます。それは、古き良き昭和の時代の化石政策に他ならないからです。これと、古い思い出にしがみつく老人と何が違うのでしょうか。

企業は30年で一つのサイクルを終えると良く言われますが、国の仕組みは、あるいは社会のシステムの1サイクルは、一体何年に相当するのでしょうか。この国のシステムが大きく変動して(明治維新)から、百数十年経過しました。さらに、戦争後もう一段変化してからでも70年近く経過してしまいました。前者を近代化への変化、戦後を経済優先化への変化と考えるならば、今後はどんな変化を伴う時代になるのでしょうか。これまでの変化を反省し、否定するのは簡単ですが、ではそれをどの様に変えるべきかという提案は非常に難しい訳です。何故なら、世の学者先生はあまりにも「専門化し過ぎ」全体を眺める視点を何処かに忘れてしまっていますし、政治家先生はと言えば一歩先の政党勢力図の事しか頭に無いように見えるからです。競馬ウマの様なブリンカーを付けた学者や、数合わせの電卓しか持ち合わせていない政治家に、20年後のプロットを描くこと、ましてや百年の計を立てるなどとても期待できないでしょう。というわけで、この国のエイジングは、もはやちょっとやそっとの手段では止める事が出来ないほど危機的な状況に陥っている、大きなとため息をついています。

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