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2012年12月31日 (月)

1944 今年のまとめ2

さてドロ舟の行く末です。たとえドロ舟ではあっても、その上に人々が暮らしている限りは前には進まなければなりません。どこに向かうかは別にして、時は進んでいくからです。出来れば、他の国の模範となる様な「持続可能性の岸」にたどり着きたいものではあります。そこは、海外からの資源やエネルギーや食糧にあまり頼ることなく、ソコソコ働いて、モノは豊かではないけれど、ココロは豊かに暮らせる世界と言うイメージになるでしょうか。

しかし、そんな暮らしは、時を数十年も遡って、田舎の暮らしを思い出してみれば、この国の至るところにありふれていたはずなのです。高度成長期とそれに続くモノが溢れた社会の実現の過程で、私たちの中の価値観だけが大きく変容してしまったと言うしかなさそうです。つまり、慎ましいモノを分け合いながら、家族や子孫の幸福を願うココロの満足感を至上のものと考えていた先人と、ゴミの捨て場所にも困り、edibileな食べ物を捨てるほど過剰に供給されるモノ・カネの魔力に染まってしまった我々の世代との違いです。

さて、震災後です。一時的には命が助かった事への感謝や人々の絆などが注目されたのもつかの間、現在の衆目は専ら景気対策しか見ていない状態に陥りつつあります。A倍ノミクスの中身を透かして見れば、お金印刷機のフル回転と、列島強靭化という名の「A倍版ミニ列島改造計画」しかない事は明らかで、短期のカンフル効果しか期待できないでしょう。しかし、カンフル効果がが切れた後の更なるサグ(sag)が、這い上がれないほどの「谷」になる事を懸念します。お金の問題をお金で解決しようとしても、貯蓄が無く景気の良い状態で何十年掛かっても返しきれないほど借金が膨らんでしかったこの国では、更なる借金を重ねるしかない事に皆が気が付くべきです。

そうではなくて、来たるべき時代には、お金はあまりなくても、皆で助け合ってココロ豊かに暮らす価値観と、その実現のための具体的な方法の提案こそが、求められている様に思います。新しい年に向けて、このブログでもそこに向けての提案をさらに増やしていきたいとは思っています。

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2012年12月30日 (日)

1943 今年のまとめ

ここで、世間に倣って一応今年のまとめをしておきます。勿論、10大ニュースを書き並べるつもりは毛頭なく、投稿者の視点からのまとめになります。

今年の印象はと問われれば、間違いなく「この国の存在感の大幅な沈下」と答えるしかなさそうです。旧政権のドタバタ、経済の停滞(又は退行)、震災予算の省庁間の横取り合戦、ゾンビ?政党の復活、紙のお金の印刷に追われたN銀、老齢化時計と人口時計ならぬ「借金時計」の加速的な進行、島々を巡る小競り合いなどなど。書いてみるとやっぱり、後ろ向きの愚痴になってしまいそうです。これらは全て、1940-1942にも書いた「エイジング」というKWで括れるかもしれません。この国は、急激に「年寄り国家」になりつつあるようです。

更に、俯瞰してみると、この国を遡行させ、「日はまた昇る」夢を描くのは殆ど期待できず、これからはむしろ斜に構えて「午後の有益な過ごし方でも工夫する」社会への移行を考えなければならない時期に至ったと考えるべきだとも思うのです。この国の国力は、バブル期かやや甘く見ても人口のピーク(2004年)で頂点を打ったとみるべきでしょう。仕方がないのでこれからは、平均年齢が世界でも最も高い国として、高齢者が最も(ただし精神的に)幸福に暮らせる国を目指すしかないでしょう。物質的な幸福のためには若い世代に大きな負担を強いるからです。そのために年寄りは、「決して寝たきりにはならない」と言う並々ならぬ強い決意が必要でしょう。老人は歳を取れば取るほど毎日の筋トレを欠かさずに行い、病気を寄せ付けない質素な食生活を実行し、病気が逃げ出すほどの勢いでウォーキングも続ける必要もあるでしょう。その日々の活動の中で、若い世代の負担を如何に軽減出来るかを考え続ける事を「生き甲斐」とするわけです。決して、贅沢な海外旅行や温泉旅行ではありません。

カチカチ山ではありませんが、借金の海に浮かび火事(例えば景気後退とデフレと超円高等)が起こっているドロ舟に、いくら新たなドロ(新たな国債の発行と公共事業のことです)で塗り固めようと、ズブズブに水がしみ込んで脆くなった舟の沈没は止められないでしょう。新たな浮袋(≒産業)の創出こそが必要なのです。それがエレクトロニクスではなく、自動車でも航空宇宙産業でもない事は既に証明されてしまいました。では何を考えるべきか、さらに続きます。

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2012年12月29日 (土)

1942 社会のエイジング

形あるモノは全てエイジングが進むとして、では一見形のなさそうな人間社会に老化は無いのでしょうか。そんな事は全くないと言いきれます。実際この国は、少子高齢化の流れの中で、人口ピラミッドはと言えば、欧米型である「釣鐘型」をとっくに通り越し、今や世界的にも類例が無い「ツリー型」に移行してしまいました。一人の女性が産む子供の数は、最近の子供助成金でやや持ち直したとはいえ、世界でも最低ラインに貼りついたままで、逆に実態は寝たきりが多いとはいえ高齢者の寿命は世界トップレベルで固定されたままです。これこそが、この国の社会の直接的な意味でのエイジングに他なりません。

人は高齢になると誰しも守りに入ります。新たな挑戦は控え、若かった頃の思い出に浸りながら、現在の安寧な生活が一日でも長く続く事を願うだけの、いわば後ろ向きの存在になるわけです。これは一個人に限りません、企業や自治体や国の組織、あるいは政治家においても似たような「老化現象」が観察されます。例えば、これから新しい政府が打とうとしている「手」を見ると、強い既視感に襲われます。それは、古き良き昭和の時代の化石政策に他ならないからです。これと、古い思い出にしがみつく老人と何が違うのでしょうか。

企業は30年で一つのサイクルを終えると良く言われますが、国の仕組みは、あるいは社会のシステムの1サイクルは、一体何年に相当するのでしょうか。この国のシステムが大きく変動して(明治維新)から、百数十年経過しました。さらに、戦争後もう一段変化してからでも70年近く経過してしまいました。前者を近代化への変化、戦後を経済優先化への変化と考えるならば、今後はどんな変化を伴う時代になるのでしょうか。これまでの変化を反省し、否定するのは簡単ですが、ではそれをどの様に変えるべきかという提案は非常に難しい訳です。何故なら、世の学者先生はあまりにも「専門化し過ぎ」全体を眺める視点を何処かに忘れてしまっていますし、政治家先生はと言えば一歩先の政党勢力図の事しか頭に無いように見えるからです。競馬ウマの様なブリンカーを付けた学者や、数合わせの電卓しか持ち合わせていない政治家に、20年後のプロットを描くこと、ましてや百年の計を立てるなどとても期待できないでしょう。というわけで、この国のエイジングは、もはやちょっとやそっとの手段では止める事が出来ないほど危機的な状況に陥っている、大きなとため息をついています。

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2012年12月28日 (金)

1941 資源のエイジング

岐阜に帰省のため、今日から当分は自動投稿です。人工物である構造物と同様、人間社会もやはりエイジングすると考えるべきでしょう。文明とは、いわば多様性が消えて、人々が同じような色に染まる過程だとも言えるからです。その文明との中では、人々の価値観が似通ってくる結果、その価値観を強めるための資源へのニーズが高まり、結果としてその資源は枯渇するでしょう。消えて無くなった古代文明で言えば、その当時の資源は多分「水=食糧」と「薪炭=森」だったでしょう。計画性の無い取水はやがて水源を枯らし、あるいは植林を伴わない皆伐は、森の保水性を無くすと同時に、燃料も枯渇させる事になったはずです。

しかし、これは過去の話では、決してありません。それどころか、古代文明と同じような破滅への過程を、現代文明も突き進んでいるとしか見えないのです。水の視点から言えば、B国の中西部やその他の国の乾燥地帯で行われている「化石水農業」は、帯水層に残っている水量限りの先の見えない農業でしょう。産油国で行われている石油や天然ガスの採掘も、化石エネルギーと呼ばれる様に、事情は水と全く同じで、それは例えば鉄鉱石と石炭などでも変わりません。

その意味で、今や化石水の帯水層や石油や天然ガスを含むドーム状の地下構造も、ドンドン老化が進み、既にそのピークは通過し、今後は採取が徐々に困難になってくるでしょう。仕方がないので、B国ではシェール層に浸み込んだ石油のカスや天然ガスの名残まで絞り取り始めたのです。

資源のエイジングを食い止めるには、方法はたった一つしか考えられません。それは「節約」の二字に集約されるでしょう。これまでの半分の採掘量で社会が動かせるなら、資源の寿命は倍に伸びるでしょう。しかし、リサイクルしさえすれば良いと言うこれまでの考え方では、資源老化のスピードに歯止めは掛からないでしょう。リサイクルとは、出てしまった廃棄物をどうにか始末しようと言う「後向きの対策」に過ぎないからです。これまでの3Rに代えて、ここでは新たな3Rを提案しておきます。つまりそれは、ReduceRduce and Rduce.です。

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2012年12月27日 (木)

1940 エイジングの恐怖

ヒトは誰でも歳を取ります。というより形あるものすべては歳を取るのでしょう。勿論、太陽にも地球にも年齢や寿命があり、老化もそれなりに進んでいます。しかし、特に人間が作ったモノ(人工物やインフラ)は、自然に比べて急速に歳を取ると言う特徴があります。年月を経たトンネルの天井(の鉄の吊り金具)はやがて腐食し崩落します。勿論トンネルのコンクリート壁自体にも寿命があるでしょう。30年で崩落するか、良く手入れして50年持たせるかは、使う側の心掛け次第ですが、いずれにしてもコンクリートの老化を含めて、それを完全に止める事は出来ない訳です。

加えてこの国には頻繁に風水害や地震が襲来します。それらは、ジワジワとあるいは急激に、人工物の老化を早めます。

エイジングとは、技術屋用語で言えば、エントロピーが増大し続ける過程とも言えます。多様性が徐々に消えて、最終状態である全て一様な世界に至る過程と定義できます。岩は砕かれて礫になり、礫はやがて砂になり、それも風化されて、やがては細かい粘度になって、湖底や海底に沈殿するのです。今は頑丈そうに立っている高層ビルも、コンクリートは酸性化した雨や地下水に犯されてボロボロになり、鋼鉄も酸化されて、やがては鉱石として掘り出された時と同じように酸化鉄に戻ってしまう筈です。

そのエイジングは、高度成長期や列島改造熱にうかされて建設された全てのインフラが寿命期を迎えている事にも及んでいます。土木屋さんの罪は、そのメンテナンス方法の確立や設計寿命の設定にあまり熱心に取り組んで来なかった事の様な気がします。少なくとも、新たなインフラ建設より、既存インフラのメンテナンスにお金を使うべきだ、という声はこれまで殆ど聞かれなかったと言うのが、投稿者の認識です。エイジングの恐怖感は日々高まってきています。

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2012年12月26日 (水)

1939 ブレているのは

今度の選挙で、色々な政党が節操なく湧いてきて離合集散し、既存の政党の軸もかなりブレまくった、との批判がマスコミを賑わしました。確かに、その時の都合により前言を翻した候補者や政党のなんと多かった事でしょう。ひどい場合には、原発ゼロと言う公約を、事実上時期を延ばしての次世代に押し付けを平気で行っておいて、それを突っ込まれても、あいまいに誤魔化してシラを切る始末です。その結果か、選挙制度が悪いのかは今後の成り行き(つまりは参院選?)を待ちますが、あの議席数の再逆転が起こった訳です。政治屋や政党の軸は簡単にずらせる様です。

しかし、反省して見なければならないのは、では果たして我々有権者側の軸にブレは無かったのかという点です。あるいは、我々はあまりにも多くを政治や国(行政)に期待し過ぎてはいないかと言う振り返りも必要だ、とも言い直せます。欧米の政治家の言葉にあった様な気がしますが、「国が我々に何かをしてくれるかではなく、我々が国のために何が出来るか」を考えなければならないとも思うのです。

企業が儲からない事を政治や海外の景気のせいにするのは簡単です。もっと公共事業をやれば、もっと助成金を増やしてさえくれれば、関税を外せば、ともの欲しそうな期待をして、それを口約束した政治家や政党に投票するのは、やはり他力本願です。そうではなく、私たち自身が知恵を出し、工夫をして新たなビジネスを起こし、結果として経済が持ち直し、その結果として税金が増えると言う、正のスパイラルに入るべきなのでしょう。しかしこれから、政権を担当する事になる政党は、デフレと言う負のスパイラルを、お金の印刷や将来世代からの借金で無理やり上向きにしようという、工夫の無い(20世紀型)の策しか持ち合わせていない様に見えます。これは昨日まで心臓が悪くて動きが鈍かった患者に、今日無理やりカンフル剤を注射して、短距離を走らせようするハチャメチャな医者を連想させます。オイルショックやバブルや、リーマンショックや為替相場に一喜一憂し、左に右に大きくブレているのは、実は私たち有権者自身だと言うしかありません。

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2012年12月25日 (火)

1938 原発⇒再エネ発電所

原発の廃炉に向けては、1924にも書いた様に、作戦が必要です。つまり、かつては原発を推進する立場であったJ民もM主も官僚も、実際にそれを建設した電力会社も、膨大なインフラになってしまった原発を「勿体なくて」そう簡単には捨てられないと思っている筈です。いくらかでも原価を償却したいと言う気持ちが、色々な時間稼ぎ作戦を考えださせる訳です。つまり、既にある原発でも、もう2-30年は設計寿命が残っている訳で、それを、もしもう一度大地震や大津波に襲われたら、今度こそこの国は放射能汚染列島になってしまう、という「脅し作戦」だけでは、75日経てば殆ど全てを忘れる事が許される?この国では、その作戦では徐々に力を失うからです。

しかし、何度も書くように使用済み燃料の有効な処理方策が確立されない限り、原発はもはや数年程度しかまともに動かせない事も明白です。であれば、ただ反対のための反対ではなく、廃炉後に向けた前向きな提案も必要だと思うのです。その一つが、1927で述べた廃炉原発のリサイクルです。

もう一つは、1924の最後にも少し書いた様に、原発を再エネのメッカに作り替える作戦です。原発には、言うまでもない事ですが、送電線網がつながっています。しかし、廃炉後も原子炉を抱えている限り、その保安にはかなりの人数も必要でしょう。お金も掛かります。それを、単に電力会社のお荷物として押し付けるだけでは、電力料金にも跳ね返るでしょうし、何も生まれないどころか膨大な損失です。

海岸に所在すると言う原発の立地条件と、比較的広い敷地を持っている事、送電線というインフラを既に持っている事を考え併せれば、やはりここを発電所として活用しなくては、この国の損失にもなります。再エネ発電の増強に関しては、国からも国民からも「絶対に」反対は出ないでしょう。電力会社も、その世論には抗えないでしょうから、思い切って大規模洋上発電も、テラソーラーの太陽光発電も、近隣の山林や港湾施設を利用して集材によるバイオマス発電も、原発敷地内に全て設置すれば良いのです。バイオマス発電では、既存のタービンや復水器もそれなりに再活用できる筈です。電力会社としても、少しでもお金を産み出しながら封印された原子炉をお守りする事も出来るでしょう。その中に、この国独自の再エネ利用の試みも織り込む事により、新たな産業も生まれ、地元の雇用も増える筈です。麻薬の様な助成金漬けで、地元の活力を失わせた原発政策は完全に止める必要があります。膨大な借金の海に沈没しつつあるこの国に必要なのは、他の国に尊敬され得るような新たな再エネ産業の創出しかないのです。

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2012年12月24日 (月)

1937 負債または負の遺産

たまたま昨夜NHKでも国債の特集していましたが、これはそれ以前に書き溜めていたものです…。最近「負債」という言葉が気にかかります。別の言葉では借金となりますが、負債は借金ほど軽い響きではなく、もっと根が深い様に感ずるのです。借金と書けば、その利害関係者は単純です。つまり借り手と貸し手の二者だけです。

しかし、負債と言われれば、そこには単数の借り手(例えば企業や国)と複数の債権者というイメージになります。しかも債権者も別の負債を抱えている場合が多いので、かつてバブルが崩壊した時の様に、終わりのない倒産連鎖が生じたりすることも多いのです。勿論、バブル崩壊の後遺症が完全に消えた訳ではありません。今は辛うじて体裁を保っている企業ではあっても、まだまだ「潜在的な不良債権」を抱えたままの企業や金融機関も多いからです。企業であれば、何とか会計をやりくりして、見かけ上の債権を消して見せるテクニックもあるのでしょうが、国の負債はそれほど見事に隠す事が出来ないため、連日報道される様に、900兆オーバーの債権が積み上がる事になります。これは、取りも直さずバブルで生じた、この国全体の債権のショーケースだとも言えそうです。

あのバブル崩壊を記憶している、この国の債権者や投資家が生きている限りは、かつてと同じレベルのバブルは起こらないでしょうが、既に天文学的に積み上がった債権を消すには、殆どの債権者には債権証書を握ったまま、静かにお隠れになって貰うしか解決策は無さそうです。つまりは、債務の帳消しです。

債務は、しかしお金の問題だけでは勿論ありません。余り例として出したくはありませんが、原発事故で放出された放射性物質や、原発の燃料プールに積み上がった、使用済み燃料棒などはモノとしての負の遺産の典型と言えます。大気中に放出されてしまった二酸化炭素も、各地の最終処分場に積み上がった埋め立てゴミも、あるいはまだ古い建物の多くに残されている筈のアスベストや、地下の倉庫に残されたままのPCB入りトランス等、この手のモノの負の遺産も枚挙に暇がありません。公害問題は決して過去の出来事ではなく、現在も抱えたままの負の遺産なのです。

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2012年12月23日 (日)

1936 古い産業に新しい技術

さて、分散システムが今後の正しい方向だとしても、それは直ちに昔ながらのシステムに戻る事は意味しません。何故なら、今のシステムは戦後の50年をかけて徐々に、時には急速に行われてきた社会のリストラだからです。結果、社会インフラやそれに伴っての人口動態や年齢ピラミッドまで含めて、大きく変わってしまったからです。人々は、都市に群れて住み、狭い国内を新幹線や飛行機を使って旅行し、季節感の無い商業作物を口にし、モノは作らずただ消費を助けるだけのサービス業の従事者が、なんと国民の2/3を占めるまでになった訳です。

勿論、1次産業(例えば農業)を完全にネグレクトしている訳ではありません。ココロある人は、農業と加工と販売をリンクさせた、6次産業化などと言う言葉を作って、雇用を創出しようと提言しています。しかし、これとて農業そのものを拡大する効果は大きくはないでしょう。相変わらず、コメ離れは続き、後継者の無い農地は荒れ果てていくだけです。何故なら、これは2次産業・3次産業の雇用が増えるだけの取組みだからです。

投稿者が提案するのは「1次産業+1次エネ」型の産業です。農業は、林業なども含め太陽光を作物や木材として固定させる産業ですから、基本的には太陽光に依存した産業です。しかし、悲しいかな太陽光は非常に広く、しかし薄くしか存在しないエネルギー源なので、集中的な生産や流通には元々向いていないのです。そのため、昔からコメなど貯蔵が利く作物以外は、地元で作られ、地元で消費されていたはずです。つまりは、地産地消は、太陽光依存の必然だったと言うことです。

従って、エネルギーを再生可能型(≒太陽光)にシフトする限りにおいては、全てのシステムを分散型に設計し直す必要があるのです。とは言いながら、この事は必ずしも古い産業構造に引き戻す事は意味しません。そこに、ここ数十年で磨かれてきた新しい技術を組み合わせる訳です。木材を加工したペレット燃料や液化燃料、あるいは稲わらやモミ殻を加工した固形燃料やアルコール化、さらに言えば少し時代を遡れば村々に存在した「地域水車」の水源を利用した、効率の高い小水力発電など、足元を見渡せば古い産業の痕跡が見つかり、そこに新しい技術(必ずしもハイテクは意味しません)を適用すれば、新たな産業に成長するポテンシャルは大きいと言えます。勿論地産地消の原則は外せませんから、例えば小さな川の流域など、昔からあった地域内で動く小さなシステムを構築すべきでしょう。

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2012年12月22日 (土)

1935 分散システム

何度目かのテーマです。戦後一貫して、この国はシステムの集中化を推進してきました。それが効率化とコスト削減による国際競争力を高めるとの信念からでした。それはある意味で、ある時期は確かに正解でした。集中化し、自動化すれば製造コストは下がり、当面の利益率は上がるように見えます。しかしながら、集中化・自動化の推進の結果、製品の品質は向上した反面、その多様性や個性は失われ、結果として製品は薄っぺらになった様な気がします。それは、例えば各社が生産している車の個性の弱さにも確実に見て取れます。

同時に・自動化による大量生産は、生産の極端な集中を加速し、その結果製品の輸送・配送に関しては、より多くのエネルギーを使う結果となった訳です。つまり、集中システムは製品当たりの見かけ上のコストは抑えられるかもしれませんが、原材料のムダ(=廃棄物の増加)、過度な自動化によるエネルギー原単位の上昇、配送に係るエネルギーの増加、結果としての在庫の廃棄率の増加など、システム全体としての省エネ・省資源が置き去りにされてきたと言えそうです。

一方、分散システムは、必要なものを必要とされる場所で作り、そこで消費する事を前提に構築されますから、あらゆる無駄が目に見える状態に置かれます。無駄な食糧は作られなくなるでしょうし、無用な在庫も減るでしょう。何より、原料や製品の配送に係るエネルギーも最小限で済みます。つまりは、コミュニティの構成員の目に見え、手が届くシステムだと言えます。この事は、そのシステムの問題点も明確になる事を意味します。その結果、システムの修正が必要となった場合でも、小さな規模ではそれも容易に実行できます。

その意味で、最もフレキシブルな生産システムとは、結局はシステムの要所要所に「人」を配し、人手でシステムを動かすシステムだと断言できます。この様なシステムでは、昨日の状勢変化による生産の修正を、翌朝のライン稼働に反映させる事も可能なのです。それを機械に任せ、中央で集中コントロールすると言う、今主流の考え方はやがて行き詰るでしょう。

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2012年12月21日 (金)

1934 スマート社会の前に

スマートシステムとかMEMSとかHEMSとかの横文字がメディアに踊っています。しかし、その前に考えるべき事が山ほどあります。例えばこの国の、断熱性能に乏しいビルや住宅で、いくらエネルギーを賢く使いましょうと、スマートシステムを導入しても、ピーク電力をやや低く抑え、無駄が少し減るだけで、エネルギー使用のベース(水準)は決して下がりません。夏に室内に侵入した熱は、やはりヒートポンプで外に汲み出して、暑い屋外をさらに暑くするしかないからです。しかし、北欧並みに断熱性の優れた建物は、夏も冬も室内の温度変化小さくでき、快適性を保ちながらエネルギー使用量のベースは十分に低くできる筈なのです。

ここ数十年で飛躍的に向上した底の浅い?技術(例えばエレクトロニクスやITなど)ばかりに頼るのではなく、先ずは地道ではありますが建物の断熱性を高める方向を目指すべきでしょう。そのためには、広く郊外に分散してしまった住宅を、ヨーロッパの都市並みに、耐久性の高い中層住宅を都市の中心部に戻す、いわゆる都市のコンパクト化も不可欠です。コンパクト化が進めば、たとえば「地域冷暖房システム」も構築しやすくなり、水道局と同列の「冷暖房熱供給局」といった公共的なエネルギー供給インフラも可能になります。

ここまでやれば、間違いなくエネルギー使用のベースは、現状の半分以下に低下し、原発などに頼らなくても済む国になるでしょう。何故なら、火力発電所を都市に近接して立地させる事により、発電所の排熱をこの目的に「お下がり利用(カスケード利用)」出来るため、発電所の熱効率は、現状の40%程度から70-80%ほどに飛躍的に向上するたからです。コンパクト化の削減効果と組み合わせれば、結果としてエネルギー消費のベースを現状の1/4に低減させる事も夢ではないでしょう。そのインフラを構築する過程で、スマートシステムを織り込んでいけば、更なる低エネルギー社会への発展も出来る筈です。現状のままで、電力だけを取り上げるスマート化の議論は、間違いなく「方向」と「順番」が違います。

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2012年12月20日 (木)

1933 問題解決型ビジネス

1932の表現が分かりにくければ、「問題解決型ビジネス」とも言い換えられます。何か社会に困ったことがあり、それを解決する方法(機能)を提供するもので、困っている人たち(潜在的顧客)はそれに飛びつくでしょう。しかし、問題を解決するビジネスが全て成功する訳ではありません。というのも、全ての問題には「深さ」があるからです。問題の根を掘り出すのも、それを解決するのも難しいのが「深い問題」です。深い問題の根っこの原因を掘り出し、それを解決する手段を提案すれば、その根にはたくさんの困り事を抱えている人達がぶら下がっているので、ビジネス成功の可能性が高まります。

とは言いながら、非常に深い根を持つ問題が、必ずしも全ての人の問題であるとは言えません。地域的限定的な、あるいは年齢限定的な、あるいは性別やその他深くても狭い範囲内の問題であれば、恩恵を受ける範囲も限定的になります。そこで考えるべきは、いくつかの問題が絡み合った、複雑な問題を解決するビジネスです。その波及する範囲は格段に広くなるでしょう。例えば、エネルギー問題と一言で書いても、それは多くの問題を抱合する「スーパー問題」でもあります。つまり、それは原発是非問題(放射性廃棄物の処理問題)を含み、エネルギー源の海外依存があり、温暖化問題を含み、あるいは地域経済の疲弊問題もあり、さらに言えば私たちの電気・車依存のライフスタイル問題も含んでしまう訳です。

これを解決する一つの方法として、例えばバイオマスエネルギー利用拡大のビジネスを提案する場合、これら多くの問題をある程度解決できる事が分かります。特に、反原発への象徴的位置づけ、エネルギーの自給率の(僅かですが)アップ、温暖化への(ささやかな)ブレーキ、地場産業としての林業の活性化などが考えられます。もし、上記のスーパー問題を、もう少し高いレベルで解決できるビジネスが提案できれば、そのビジネスには間違いなくもっと強い追い風が吹くでしょう。

しかし問題解決型ビジネスの提案には、何は無くともその問題の根(真の原因)を突き止める必要があるのは論を待ちません。それを怠れば、表面的で対症療法的な提案しか出てこないでしょう。口は達者だが、問題の本質を見ようともしない政治屋の言い分、景気が悪いからお金を増刷せよと言う安直な政策の様に…。

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2012年12月19日 (水)

1932 CSVビジネス

1931のビジネスモデルは、実はどの業界にも普遍的に応用できる考え方です。これをCSV(Creating Shered Value=共有価値の創造)モデルとも呼んでおきますが、つまりは企業はモノやサービスを売るビジネスから脱却し、代わって「社会的な問題を解決する手段や機能を提供する事」をビジネスの柱に据えると言う考え方です。1931の例では、量だけは潤沢だが不健康な食生活という社会的問題の解決ですが、同様に高齢化社会における「寝たきり老人のQOL」や「クスリ漬け医療」あるいは、「増加を続ける生活保護世帯」さらには、「高い若者の失業率」または「低い職業定着率」などなどの社会的問題を良い方向に導くのであれば、どの産業であれ追い風は期待できる筈なのです。

そのためには、先ずは問題そのものを本質まで掘り下げる必要があるでしょう。そうでなければ、有効な解決策も提案できないからです。例えば、「クスリ漬け医療」を考えてみましょう。西医学における薬は、その殆どが「対症療法薬」です。痛い、痒い?、炎症を起こす、発熱、高血圧、高血糖が高いといった、人間本来の正しい体の反応(西洋医学では症状と呼ぶ)を抑え込む、いわゆる鎮痛剤、抗炎症薬、解熱剤、抗生物質、降圧剤、インスリンそのものなどなど、ひたすら症状を和らげて、見かけの症状改善を図るクスリ群なのです。

この国の最近の医療費の総額は37兆円で、なんと国の歳入に肩を並べるとか。まさにクスリ漬け列島です。この「社会問題」を解決する方向は一体どの様なものになるのでしょうか。たぶんそれは、ヒトの持つ本来の自己治癒力、あるいは免疫力を高める薬草・ハーブなり薬膳など、毎日の食生活の中に取り込める食材や献立(薬膳と呼ばれます)になる様な気がします。さらに言えば、ヨガになるか何になるか分かりませんが、運動習慣の改善によって正しい呼吸法や腸の運動を促進する事によって、やはり自己治癒力を高める適当な方法があれば、これも立派なCSVになり得ます。つまりは、日夜新聞やマスコミのニュースを騒がす問題点に関して、じっくり考えればCSVビジネスは、いくつでも見つかると言うことなのです。新しいビジネスを起こせば、自然に失業問題など消えて無くなるでしょうし…。

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2012年12月18日 (火)

1931 例えば新しいスーパーの姿

スーパーマーケットは、食材や日用品を安く、大量に売る場所です。そのため、陳列棚にはメーカーの異なる同じ種類の製品が、大量に並べられています。日用品は別にして、食材はそのまま食べる訳ではなく、必ず調理して食卓に出されます。例えば、今晩はすき焼きでもしようと考えている人は、野菜コーナー、豆腐・糸コンコーナー、肉コーナー、調味料コーナーを回らなければなりません。しかし、献立ごとにコーナーを作れば、客は迷う事はありません。鍋物コーナーに直行すれば良い訳です。カレー・シチューコーナーや焼き肉コーナー、中華料理コーナー、イタリアンコーナーなどなど、献立ごとのコーナーを作る訳です。必要な陳列作業はと言えば、何人前かを掲示するだけです。勿論、大食の人も小食の人も居ますから、0.5人前刻みのパッケージも必要です。

一方で、急速な高齢化社会や子供のアトピー増加、肥満や糖尿病予備軍など生活習慣病の増加、あるいは痴呆症患者の一本調子の増加などの社会的背景を考えれば、スーパーには別のビジネススタイルの可能性が拓けてくるとも思うのです。というより、スーパーはこれらの食に関連する社会問題を作り出してきた張本人だとも言えるのです。安い食べ物を、一週間分まとめ買いすれば、ココロの弱い人間は、ついつい食べ過ぎになる事でしょう。

そうではなくて、スーパーは健康志向の食べ物や献立情報を提供する場所に変貌すべきだと思うのです。アンチ糖尿病食、アンチメタボ食、アンチアトピー食、アンチ高脂血食、アンチ痴呆食?などなどの健康に資する食材や献立のコーナーを、管理栄養士などを配置して、展開すべきでしょう。つまり、食材別の陳列ではなく、機能別陳列を行い、顧客の健康増加に寄与するビジネスモデルを作れば良いのです。生産者を泣かせて安い食材を仕入れ、客には好きなだけ買わせ、食べさせて、結果顧客を病院に送るビジネスモデルはもう終わりにしましょう。病院や薬の量販店が困るくらいの健康大国になれば、この国の多くの問題、寝たきり老人の爆発的増加、薬漬け医療、若年層への生活習慣病の蔓延など多くの問題、ひいては医療費や福祉会計の破綻もかなりの程度解決できる筈なのです。

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2012年12月17日 (月)

1930 インフラの整理

昨日の選挙結果は、与党が自ら崩壊した結果とはいえ、あまりにも揺り戻しが大き過ぎて、別の意味で不安を覚えます。たぶん民意を正確に反映しできない選挙制度の設計が悪いのでしょう。さて、正直に告白すると、人間的にあまり好きにはなれませんが、落選したT中康夫もたまに良い事を言います。例えば、他の政党が景気浮揚や災害に強い国を目指すための公共投資などを訴えていますが、彼はインフラのメンテナンスの重要性を主張していました。しかし、投稿者はそれに加えて「インフラの縮小」を強く主張したいのです。何度も書きますが、現在の規模のインフラは、この国の人口に比して過大です。ましてや今後の人口減少時代にあってはなおの事です。

しかしインフラを単純に縮小する訳にはいきません。例えば、都市の郊外に住んでいる人たちへのインフラ、つまりは下水道や電線網や道路や他のインフラを、壊れたままに放置しておく事はできません。その前に為すべきは、「人口の集約」なのです。別の言葉では「都市のコンパクト化」、とも言いますが、人が集中して住むエリアと、人が住まない郊外エリアを、完全に区分けします。郊外エリアには、無計画に家を建てない様に税金などでペナルティを設定すれば、比較的短期間に人口を移動させられるでしょう。代わりに、都市の中心部に住むためのインセンティブを設定し、人を集めれば良いでしょう。街の中心部の活気は戻り、商店街も生き返ります。代わりに、郊外型の大規模店舗には閑古鳥が鳴きはじめるでしょう。

人々の買い物や通勤の移動手段としては徒歩や自転車や中心に組み立て、補助的に電車(=LRT)・バスを併用します。都市中心部は、3階建くらいの中層ビルを並べて、住宅エリアや商業エリアを近接して確保します。この結果、インフラ例えば何千キロにも亘って敷設されている首都圏の下水管の距離も、都市のコンパクト化に比例して縮小できるでしょう。

しかし、よくよく考えてみれば、実はこれはヨーロッパの多くの都市に見られる典型的な風景である事に気が付きます。その意味では、ヨーロッパの国々は、この事にとっくに気が付いていたとも言えそうです。ソロソロこの国も、他の国の手本となる成熟した国家を目指すべき時期に来ています。政局争いや国境の小競り合いや景気対策などに汲々としている場合ではないのです。

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2012年12月16日 (日)

1929 積極的省エネ⇒創エネ

消極的な省エネは、もう卒業しなければなりません。つまり、こまめに電灯を消す事や待機電力を落とすなど、いわゆるケチケチ作戦です。ケチケチ作戦で、達成できる省エネは頑張っても10%が精々でしょう。不要なものを節約するのは、むしろ当たり前の行動なのです。しかし、積極的な省エネは、その分のエネルギーを作り出した事と等しいと考える事が出来そうです。メガソーラー(1000kw以上の出力を持つPV発電所)で生み出す電力は、一見一般家庭の300軒分を賄えそうな気がしますが、夜間や曇りの日、雨の日をカウントすれば、その実力はその1/10程度に目減りするのです。

しかし、300軒の家が、3割強程度の省エネを実行するとした場合、100軒分程度の電力が節約できる事を意味しますので、メガソーラー3個分の電力が、省エネだけで捻出できる勘定になります。3割の省エネはかなりキツイ様な感じも受けますが、決してそうではありません。例えば、今投稿者が住んでいる北国では、冬場の暖房費が半端ではなく家計を圧迫します。普通の家でも、月々数万円の光熱費が余分に発生します。

しかし、近所の家々を眺めてみると、まだまだ単層ガラスのサッシの家が目につきます。建築中の家は流石に二重サッシかペアガラスを入れてはいますが、壁の造作を良く見ると、断熱材が100㎜程度しか入っていない様なのです。どうせ断熱材を入れるなら、新築の時に北海道の住宅並みに150㎜か200㎜にしておけば、室内から外部に逃げる熱量を半分程度には抑える事が可能なので、冬季の光熱費もそれに応じて下げる事が可能です。一冬で、ドラム缶2本(400リッター)の灯油を燃やしてしまう家庭では、1本分程度が削減できる事になります。

これは、既存の建物にも適用可能で、サッシを二重にし、外壁側に外断熱工事を施せば、バリバリの省エネ住宅になりますから、同様の効果が期待できます。1シーズンで5万円程度の光熱費を浮かせる事が出来れば、10年での投資回収は無理かもしれませんが、その倍くらいでは元が取れるでしょう。何より、住宅の改修工事などは間違いなく大企業マターではないので、地域に仕事が生まれます。また暖かい地域では、夏場に逆の省エネが出来ますから、この国のエネルギー消費のピークは、夏冬にそれぞれ大幅に低く出来ることを意味します。これはもはや省エネではなく、創エネなのです。

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2012年12月15日 (土)

1928 内需としてのエネルギー産業

円高や対欧州、対C国の輸出先細りの状況のなかで、企業のマインドはすっかり冷えてしまいました。その下請けに入っている中小企業においておや、です。しかし、足元を見ると、この国は20兆円を超える額の化石エネルギーを輸入していると言う数字に気付きます。現状は数%の自給率ですから、代替エネルギー市場のポテンシャルは確実に20兆円はある訳です。この多額のエネルギー輸入に要するお金(外貨)を稼ぐためには、額にしてその数十倍の製品やサービスを輸出しなければならない筈です。

国内で、利用されていないエネルギー源を掘り起し、それによって国内のエネルギー需要を一部を満たす事により、その分この国の輸出依存度を大幅に縮小できる勘定になります。1のエネルギー自給の増加は、例えば20輸出を減らしてもやっていける事を意味します。それを個々では「エネルギー輸入と輸出のレバレージ」と表現しておきます。この例では、レバレージ20になります。勿論、新エネ、代替エネの開発と同時に、もう2段くらいレベルの高い省エネ技術を磨く必要がある事は論を待ちません。

とは言いながら、再エネ・新エネ増加の掛け声に踊らされて、気が付けば各地にニョキニョキと立っている風車の様に、単に海外から輸入したものを立てるだけでは全く意味がありません。それでは、国内に産業を生み出した事にはならないし、化石エネルギーの輸入とあまり変わらない事態に陥るからです。

そうではなくて、私たちは、昔は使われていたが今は使われていない「未利用エネ」と、それらを新しい技術で蘇らせた「真の新エネ」を総動員して、新たな産業を興さなければならないのです。それは、大企業に任せておける様な簡単な問題ではありません。粒の大きさに応じて、個人企業、中小企業もそれなりの守備範囲で事に当たる必要があるのです。その意味で、今の視点が欠けているのは、中小企業にも仕事が回る、例えば地元で入手可能な1次産品の残渣などに注目した、小粒の未利用エネ、新エネの掘り起しだと思っています。その多くは、(電力などに変換しない)熱利用になるでしょう。

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2012年12月14日 (金)

1927 首都をどうしたいのか?

衆院選と同時に、都知事選も走っています。ここでは、首都とは何かを考えてみます。この国の首都は、江戸のなれの果てですが、明治以降の歴史の中で、あるいは高度成長期の首都圏の人口膨張は、地方の出身で、地方の工場で勤務していた投稿者には、まさに異常事態としか映りませんでした。この時期には、地方から言わゆる「集団就職列車」が仕立てられ、大量の若年労働者が首都圏に送り込まれ、彼らが家庭を持つために、郊外には1ヶ所に何万世帯も済む大規模団地が次々に建設されたのでした。

さて2005年にピークを打ったこの国の総人口ですが、東京圏の人口は実はまだ増加傾向を続けているのです。東京圏は2015年ごろまで漸増を続けるのだとか。そのピークは3500万人を超えてしまう様です。この国の3割に近い人口が、相変わらず首都圏に群れて住む事になります。しかし、首都圏の製造業は既にかなり空洞化してしまっているので、この地域にする人々は、結局「サービス業」を生業にするしかありません。巨大な都市を支えるのは巨大なインフラやサプライシステムが必要です。電力網、水道網、下水網、物流・交通網、通信網、ゴミ処理網などに加えての巨大卸売市場や外食産業や小売業などを、日夜休むことなく動かす必要があります。

投稿者が世の中を眺める見方の一つに「都市山小屋論」というものがあります。都市は、高い山の山小屋と同様に、全ての物資やエネルギーや食糧を麓(田舎や諸外国)から運び上げる事によってのみ存続可能な場所だとも言えます。地震で電車が動かなくなっただけで、簡単にその機能を停止してしまう異常な場所なのです。いくつかの政党が主張する様に、中央集権の規模を縮小し、製造業も海外に出て行った首都圏は、やはり徐々に地方分散を図りながら縮小する方向に動かなくてはなりません。地方に向かう人口の流れを作るのは、やはり高度成長期に都市に流れ込んだ世代やその子世代と言う事になるでしょうか。問題は戻った先です。親の残した農地を受け継げる人は全く問題ないでしょう。見よう見まねで農業を始めれば良い訳です。しかし、そうでない人たちは一体何を生業にして生きれば良いのでしょう。ささやかな年金はあるにしても…。今、その方法を、ここ秋田で日々厳しくなる寒さに耐えながら考えています。続きます。

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2012年12月13日 (木)

1926 ソフトエネルギーパス

この夏に、国家戦略会議で示されたE野経産大臣名の「グリーン成長を支える 重要プロジェクトについて」と言う題の資料を眺めていて深いため息をつきました。グリーンエネルギーやグリーン成長と称しながら、あまりにも「ハード」なのです。この対極のイメージとして、かつて読んだ「ソフトエネルギーパス」と言うタイトルの、かなり厚い本を思い出しました。

E野資料が「ハード」だと言う所以は、その中で説明されている内容の殆どは、やれ大容量の蓄電池だとか、スマートグリッドだとか、再エネによる発電であるとか、兎に角大きな設備投資を伴う電力の事しか言及していないシロモノなのです。電力=2次エネルギーは、1次エネルギーを加工した、使い易いがコストの高いエネルギーです。電力を起こすためには、1次エネルギー(熱)と、環境の低熱源を利用したエネルギー⇒力に変換し、発電機を回す事によって為されます。しかし、熱力学の法則が教える通り、カルノーサイクルが持つ効率の壁を超える事はできません。動力は、低熱源に熱を捨て続ける事によってしか得られないからです。通常の商用電源の場合、発電所で捨てるエネルギーが約60%弱、送電ロスを差っ引けばロスがさらに増え、最終的には正味30%程度しか需要家には届かない訳です。

本来の意味のソフトエネルギーパスとは、絶対に必要なエネルギーを化石エネルギーに頼らない形で発生させ、必要なタイミングで使う、と言う「努力と工夫が要る」アプローチなのです。例えば、暖房熱が必要なのに、便利だと言う理由だけで先ず電力を起こし、エアコンを回す行為は、いくら省エネ型のエアコンを用い、スマートグリッドを通じて電力を受けようが、あまりにも環境に対してはハードな方法なのです。電力のごく一部に再エネを持ち込んだとしても、結局は原発や火力発電所に頼る事には変わりがないからです。ソフトなエネルギーの本質とは、放って置けば自然に流れ去って、消えてしまうエネルギー(つまりはそれは太陽光や地熱なのですが)を知恵と工夫で捕捉し、しっかり利用していく事に他なりません。

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2012年12月12日 (水)

1925 未利用エネ

新エネルギーや再生可能エネルギーなどと言った言葉が、しっかりした定義も無くマスコミに踊っています。ややこしいので、ここではこれら全部を包括する言葉として、「未利用エネルギー」を提案しておきます。と言うのも、「新」エネルギーと言っても、何が何に対して新しいのかサッパリ分からないし、再生可能エネルギーといっても、地熱が果たして再エネか、という突っ込みも来るからです。例えば、風力などと言っても古くはギリシャや地中海地域で使われていた、セイルウィング(帆布)で風を受ける風車や、オランダの排水・粉ひき風車が果たして「新エネ」か、あるいは昔から田んぼの揚水や水車小屋で脱穀や粉ひきに使われていた各種の水車が小水力利用と何が違うのか。あるいは、太陽光の高度な利用形態である炭化水素固定(光合成)は何億年前に植物が編み出したものですが、その一部を真似た「色素増感型太陽電池」は本当に新しいエネルギーなのか、誰も何の説明無しに新エネとして論じています。全く理解できないのは、「立派な」化石エネルギーであるメタンハイドレートやシェールガスなどに至るまで、新エネと括る場合がある事に至っては全くの混乱と言うしかありません。

火力発電や原子力発電に加えて、従来からある大規模水力発電ではない方法で、「電気を起こす事」を指して新エネと呼んでいるフシがあるのです。ましてや、再生可能エネルギーに至っては、例えば地球の冷却と共に細っていくはずの地熱エネルギーさえも再エネの代表と位置付けられている始末です。

しかし、未利用エネルギーと呼べば、これまでは(あるいは少なくても現在は)「商業的」には利用されていないエネルギーを掘り起す事ですから、より分かり易い定義となるでしょう。それによって、新エネルギーと言う括りでは漏れてしまう、例えば工場廃熱の利用や農林水産業残渣の活用、あるいは太陽光発電の陰に隠れて無視されがちな、低温度の太陽熱の活用などにもしっかりとフットライトが当たる事になります。そうでなければ、そもそも、エネルギー資源の乏しいこの国で、何故100%のビルや家庭が太陽熱温水器を設置していないか、という素朴な疑問にもその答えが出せないでしょう。

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2012年12月11日 (火)

1924 廃炉原発のリサイクル

原発施設の有効活用への前向きな提案です。自分でも結構イケそうなアイデアだと思うので、これを読んだ人は是非シェアしてください。さて、移行期間を別にすれば、最終的にはこの国の「原発をゼロにする」ことはいまや国民の総意になりました。しかし、用済みになった原発を廃炉にし解体しようとする場合、原発内にある殆どの設備や部材は、程度の差こそあれ何らかの放射能を帯びている筈ですから、そこから運び出してリサイクルする事などはとても出来ないでしょう。廃材の輸送やリサイクル施設に運び込む事は、放射能にこれほど敏感になった国民意識を考えれば、事実上は出来ない相談だからです。という事は、たとえ原発内にリサイクル施設を作ったとしても、そこからは何も運び出せない事を意味します。

ではどうするかですが、既設の原発内に火力発電のためのボイラを設置すれば良いのです。タービンや発電機や復水器など、殆どの既存設備は寿命まで最大限活用し、一方で原子炉容器だけは完全封鎖しその後の廃炉に備えます。ボイラの燃料は、LNGが適当でしょう。最近のニュースでも、(ノルウェーやロシアの)北極海のガス田はかなり有望な様ですし、それを運ぶにも温暖化のお蔭で?夏場であれば「北極海航路」も利用できるようになりました。何より日本へのLNG供給量の1割程度にまで伸びてきた、サハリン2の日本製の設備も安定的に動いているようですので…。

ところで、原発には巨大な原子炉建屋も存在します。この屋根や壁を利用してメガソーラも設置してしまいましょう。また全ての原発は、海際に立地していますので、オマケに波力発電や浅海での洋上風力発電設備も設置するのです。ここまでやれば、単に原子炉を封鎖して、見通しの立たない「廃炉技術」の醸成を待つまでもなく、明日からでも原発施設を最大限に活用でき、再エネと組み合わせる事により、すっかり地に落ちた原発のイメージアップにも役立つでしょう。通常の火力発電所であれば、大津波を受けてもボイラの火が消えて「完全停止」してしまうだけなので、本質安全(フェイルセーフ)であり、金が掛かる大げさな津波堤防も不要でしょう。最悪の非常時にも、燃料プールを冷やすための少量の冷却水を確保するための安価な設備さえ追加すれば済みます。

とは言いながら、原発タービンの構造上「過熱蒸気」は使えないので、効率は通常の火力発電よりは低下します。しかし、電力ピーク時のバックアップ用としてはほぼ完璧でしょう。

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2012年12月10日 (月)

1923 地方空港にジェット機?

庄内空港でジェット機がオーバーランしました。原因ははっきりしています。地方空港はジェット機の運航には短すぎて、長さの余裕が小さすぎるのです。ジェット機は、巡航速度を上げるために後退翼を採用している上に、翼面積は狭く設計されています。従って、直陸時の侵入速度もターボプロップ機(例えば200/h)に比べれば、ジェット機のそれ(例えば250/h)はかなり高いのです。つまり、必要な滑走路の長さは、ジェット機の方が2-3割長く必要な訳です。

しかし、地方空港は便数が少なく、収益率も高くないので、初期の建設費を安くあげるため、法律で定められた長さギリギリに作られるケースが多いのです。というより、建設が古い空港は、ターボプロップの就航を前提に作られているケースも多いと想像されます。勿論、ジェット機時代になっていくらか拡張はされているでしょうが…。

そもそもジェット機を止めるのは勿論車輪のブレーキなどではありません。250㎞で着陸した重たい飛行機を、車のブレーキの様なチャチなもので止めれる筈もありませんし…。着地後に翼の上にバシッと立てるエアブレーキと、着陸と同時にジェットエンジンの排気を前方に向けるスラストリバーサの併せ技で減速するのです。車輪のブレーキと使うのは、低速での移動時(タキシング時)に停止位置に止める時くらいです。

それはさておき、飛行距離の短い国内線にジェット機など必要性は薄いと言えます。本当に適する機体は、翼面積が大きく、短い滑走路でも離着陸できる、かつてのYS-11の様なモデルなのです。この様な機体は、離着陸の角度も大きく取れるので、空港周囲の騒音エリアを小さく出来るメリットもあります。ジェット機は、羽田や千歳や福岡などのハブ空港間の幹線(トランクライン)に限れば良いのです。スポーク(地方)路線はもっと小型で燃費が良く、離着陸に無理がない機体を使うべきなのです。

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2012年12月 9日 (日)

1922 心配しなくても

再び原発問題です。経済への影響を懸念するだけで、原発維持の必要性を叫ぶにはやはり無理があります。頭を冷やして考えてみれば分かりますが、原発事業は既に破綻しているからです。何故なら使用済み燃料の保管場所が残り少ないのです。使用済みの燃料棒は、専用のプールの中に縦向きに吊り下げられて、冷却水を循環させ、一定の温度以下になるまで冷やされ続けます。その後は再処理され、再度燃料として使用可能なプルトニウムが取り出されますが、その残りは高濃度の核廃棄物として地下深くに長く(多分人類が絶滅するまで)保管されます(と言う計画でした)。しかし、天文学的な投資を積み上げた、国産の再処理工場は未だ開業の目途は立っていませんし、頼みのヨーロッパの再処理工場は、いくらお金を積まれても最早受け入れる余裕はない様です。再処理工場の地元住民の反対も根強いからです。

一方、原発内の燃料プールは、今後大幅な増設をしない限り数年で満杯になる筈です。そもそもは、今世紀に入る頃までには核燃料サイクルが上手く回ると言う目論見で、容量が設計されていたからです。しかし、六ヶ所村がいまだに稼働の目途が立たないどころか、いまや低濃度の核廃棄物ですら、県内に最終処分場を引きうけると言う自治体は皆無です。ましてや、高濃度の核廃棄物の最終処分場においておや、でしょう。

つまり、数年後には間違いなく、殆どの原発の燃料は燃え尽きて、しかしその燃料棒を取り出す事が出来ない、と言う深刻な事態に陥る訳です。往生際の悪い電力会社は、多分敷地内に燃料プールを増設するかもしれません。しかし、それとて原発建屋内に限定されますので、限界があるでしょう。あの政党もこの政党も、「○○年後には脱原発を実現する」、とか言って約束していますが、最終処分場に手を上げる自治体が現れないがぎり、心配しなくても10年以内には全ての原発が止まってしまいます。もし、間違って(お金が欲しくて)処分場の受け入れに積極的になる首長が現れた場合は、仕方がないので国民全員でボコボコに袋叩きにすれば良いでしょう。どの様なハイテク技術が使われようが、出口が無いシステムは、間違いなくフンづまりで破綻するのです。

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2012年12月 8日 (土)

1921 冬の嵐

この冬、日本海に入った低気圧は、信じられないくらいのスピードで発達し、日本列島に沿って北上して激しい気象現象を起こしています。ここではその理由を少し考えてみます。この季節、大陸からは次々に寒気が降りてきます。北極海は再び凍結し始め、ユーラシア大陸には寒気が溜まってくるからです。しかし、先ごろフィリピンを襲った季節外れの大型台風が示す様に、黒潮やそれから別れた親潮=日本海流は暖かなままです。そういえば、ここ秋田でも連日30℃を大きく超え、暑い暑いと言っていた夏がつい最近過ぎたばかりに様な気がします。温暖化は着実に?進行し、日本海に流入している暖流の温度も、年々上昇する傾向にあります。ここに、強烈な寒気が大陸から降りてくると、そこに激しい上昇気流が生じます。

上昇気流は即ち低気圧の始まりであり、海面と大気間の大きな温度差によって生まれる強い上昇気流によって低気圧は急激に発達します。季節の変わり目の気象現象が激しいと言うことは、結局のところ、例えば夏から秋さらには冬に至る季節の変化が滑らかに行われず、暑い夏と寒い冬が、短い秋を経て温度変化の急こう配を伴って移り変わる事を意味ます。

日本以南の気象はますます温暖化の様相を強め、一方で極地方も温暖化が進んでいる一方、逆に亜寒帯地域では寒冷化が進んでいると言わています。この傾向が顕著になるにつれて、北極海にその年の薄い氷の蓋が完成した途端に、厳しい冬に突入するパターンは続く事になります。その寒さにキーボードを打つ手も冷たくなりがちですが、北国での新たなエネルギー源=熱源を考える毎日です。

ところで、以下のURLで、極気団の縁に出来るジェット気流の日々の様子が確認できます。今は日本付近の蛇行が随分低い緯度(九州あたり)まで下りてきていますね。列島全体が寒くなっている筈です。http://www.cokbee.com/weather/jet.htm

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2012年12月 7日 (金)

1920 インフラ老齢化時代

この件の締めくくりとして前向きな提案です。大分前になりますが、中部の主要国道の橋桁が腐食で破断した時も、今回のS子トンネル事故と同様の危惧を持ちました。つまり、何故破断に至るまで放置されていたのか、事前の腐食検査はできなかったのか、と言う疑問です。このケースでは、破断した鋼材の部位は舗装面の下に隠れていて、目視では検査が出来なかったのです。今回問題となった、アンカーボルトも同様に、目視検査では何も見つからないでしょう。

材料の検査には破壊検査と非破壊検査があります。前者は、実体からサンプル(コンクリートであればコンクリートコア)を採取し、実際にその劣化を調べたり、破壊検査する事になります。問題は、それが出来る場合と出来ない場合がある事です。実体を、一部といえども壊す必要があるからです。一方で、後者は前者に比べてやや信頼性が落ちるにせよ、実体を破壊しないので、現実的でしかも、技術の進歩によってかなり自動化も出来る様になりました。その中でも有効な方法に超音波を使った検査があります。近年は、妊婦さんのお腹の中の赤ん坊でもかなり明瞭に観察する事が出来ます。

しかし、たとえば何万本ものボルトの健全性やコンクリート内での把握力を人手で検査するのは現実的ではありません。国道の橋桁破断事故の時に発想したのは、非破壊検査ロボットでした。このロボットは、有線で電力と水の供給を受けながら働きます。電力は、例えば移動のためモーターを動かしたり、壁や部材に張りついて進むための真空を発生させたりします。水は、検査対象にノズルから「水の橋」を掛けて、それに超音波を乗せる「信号搬送媒体」として使います。この水の橋を渡って超音波を対象にぶつけ、その反射波を受け取る訳です。ボルトの検査では、反射波はボルトの表面と、もし内部に亀裂の兆候があれば、かなり細かいものでも反射の中のノイズとして検出できるでしょう。使うものは、電力と水だけなので、トンネル内のダクトスペースを移動できるように作れば、人は外に居てその検査信号だけを受け取る事が出来る筈です。これなら、下の交通を止める事なしに随時の検査が可能となるでしょう。しかも、この検査ロボットはコンクリート剥離の検査にも使えますので、応用範囲も非常に広いのです。毎年開かれる大学や高専の、何やら楽しげなロボコンも結構ですが、テレビ映りの良いエンターテイメントに走るばかりではなく、そろそろ実用ロボにも目を向けて貰いたいものです。「インフラ老齢化時代」には必須です。

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2012年12月 6日 (木)

1919 何故130m?

今回のトンネル事故で、もう一つ納得できない事があります。それは、落下したのが一つの吊り金具に関わる天井板グループ(=4枚)ではなく、長さ方向に100枚以上も連続して崩落した現象です。土木工学の常識は持ち合わせていませんが、安全率も多分2.0程度は取っていたと思うのです。しかし、一つの金具のボルトがすっぽ抜けたとして、実は安全率は(金属構造で採用される)2.0では全く不十分です。一組の天井板が落下する場合、隣接する金具には「衝撃力」が加わるからです。金属は、降伏点以上の荷重が加わると伸びますが、コンクリートの場合瞬時に破壊します。つまり、コンクリート構造では破壊の「予兆」は期待できないわけです。

衝撃力の予測は、しかしそんなには簡単ではありません。衝撃力とは、非常に短い時間内(ミリ秒単位)にピークを持つ大きな力が加わる現象を指しますので、土木屋さんが得意とするスタティック荷重の解析だけでは予測不可能です。実体を使っての実験が欠かせないのです。もし、この構造を採用する際、繰り返しその様な衝撃荷重の実験と解析を行った記録があれば、設計・施行者の責任は免れる事ができるかも知れませんが、高度成長期のくそ忙しい時代に、そんな悠長な事をしていたとはとても想像できません。

もう一つの危うさは、その工法です。ボルトを接着剤で固めていたと言うアンビリーバボーな工法は全く理解不能です。設計・施工企業は、接着の強度を一体どの様にして保証するつもりだったのでしょう。接着という工法は、実は作業者の技量も大きく関与しますし、施工後の強度保証に至っては殆ど出来ない相談だからです。ある作業者はたっぷりと接着剤を塗り、他の(下請け)作業者は接着剤(材料費)を節約するためにちょっぴりしか塗らないかも知れないのです。主剤と硬化剤の混合割合だってバラつく恐れがあります。かといって、強度保証するためとはいえど、せっかくくっつけたものを、破壊する訳にもいかないので、実際に設計荷重の何倍かの錘をぶら下げて荷重を掛けてみる程度しか方法はないでしょう。航空機の複合材部品を保証するためには、嫌になるくらいの数の試験片を壊して強度を解析し、実体では100%の接着面の超音波検査(スキャン)により欠陥の有無検査を実行します。タッピング検査も勿論併用します。スキャン結果はコンピュータ上で可視化され、記録として残されます。

施工時や使用中の実体の強度保証が出来ない建造物は、やはり欠陥施設とを呼ぶしかないでしょう。そんなに危険ではない電化製品にさえ、取扱い時の安全説明や保守説明書の添付が義務付けられているご時世です。「トンネル保守マニュアル」の中身もやがて白日に晒されるでしょうが、その前に「天井板施工マニュアル」も是非確認したいものです。

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2012年12月 5日 (水)

1918 Aネハマンション?

書き足りないので続けます。土木のど素人でも、コンクリートが専ら圧縮力を受け持つ材料である事くらいは常識です。だからこそ、建物の重さを受け持つ基礎や、橋の橋脚、あるいは強大な地圧を受けるトンネルの構造材に使われる訳です。一方で、この材料は引っ張り応力やせん断力を受け持つのは苦手である事も知っています。コンクリートは(原子同士が金属結合でつながっている)金属とは異なり、粒状の骨材を脆弱なモルタルで繋いでいるだけなので、圧縮応力以外の力では容易に破断するからです。電柱の様に曲げ応力を受ける場合には、それを補強するために、内部にびっしりと鉄筋を入れる必要があります。

今回のトンネル事故の場合、どうやらコンクリートに穴を穿って、接着剤だけで固定したボルトがすっぽ抜けたのが原因の様ですので、「明らかに間違った工法」であったと素人にも断言できます。この構造の場合ボルトの把握力は、コンクリートのせん断耐力だけに依存したものだからです。この構造である限り、接着剤の経年劣化や水分の侵入による把握力の低下、あるいは振動による緩みなどが起こった場合、破壊(ボルトの抜け落ち)は瞬時に始まり、それは直ちに崩落事故につながりことになります。従って、ボルトが徐々に抜け落ちるなどと勝手に想定した「雑な点検作業」には殆ど意味がありません。昨日まで何も異常が見つからなくても、今日突然すっぽ抜けて崩落するからです。今回の事故を起こしたトンネルも数か月前には(多少ずさんではあっても)点検を受けていた訳です。

今回事故を起こしたのと同構造のトンネルは、全てが設計に問題がある欠陥トンネルだと言うしかありません。繰り返しますが、慌てて「点検」をしても何の保証にもなりません。今後、車を通すとしたら、結局は全ての天井板を外してしまう他ないでしょう。少なくとも投稿者は、今後同構造のトンネルは通りません。天井に、この構造で付けられたボルトにぶら下がった1トンのコンクリートの下に座って見ろと言われても、まっぴらご免だからです。天井板を外して換気が問題になるのなら、ブルーシート?の様な軽い素材で出来た、仮の布ダクトにでもするしかありません。これは、間違いなくあの強度不足で解体されたAネハマンションと同じ種類の欠陥構造問題なのです。その意味では、家宅捜索すべきは、道路管理会社ではなく設計・施工企業でしょうね。

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2012年12月 4日 (火)

1917 吊り金具の衝撃

昨日の続きです。新聞の記事の解説記事で、S子トンネルの天井吊り金具の形状を見てひっくり返りました。この金具は、いわゆる「I型」ですが、それが製鉄所で一体に圧延されたものであればまだしも、もしこれが溶接構造だったりした日には、それこそアンビリバボー=開いた口が塞がりません。これほど重要な構造がそんなチャチな構造だとしたら、殆ど犯罪行為かもしれません。もし、このままの構造だとすれば、数年に1回は、全ての金具の非破壊検査(例えば浸透探傷検査)が絶対に必要です。何故ならたとえ1ヶ所でもこの金具が破断すれば、間違いなく天井板と左右の仕切り版は崩落しますし、その反動で隣接する金具も道連れ崩壊も起きるからです。

実際はその様になっている事を期待しますが、現在の形の金具であれば、本来は上下2個のT字型の形材を2枚の帯板が挟む構造の吊り金具であるべきですし、それが破断した場合のバックアップとして、トンネルの肩の左右に渡した桁の上にコンクリート板を載せる構造を併用すべきでしょう。

もう一つは、その金具を吊り下げているアンカーボルトの情けなさです。そんなに厚くないトンネルの天井に埋め込まれていたのは、真っ直ぐなボルトの様で、埋め込み深さは多分20センチくらいの様です。しかも、想像するに、そのボルトはコンクリートの養生が終わってから、改めてドリルで開けられた穴に、モルタルか接着剤で埋め込まれたと思われます。土木ど素人の投稿者が考えてもこれでは納得できません。家の土台で柱が浮かない様に使うアンカーボルトと異なり、これは1トンを超える荷重を吊り下げる最重要なボルトであり、すっぽ抜けないと言う絶対的な保証が必要です。もしその保証が出来ないのであれば、吊り下げ金具は一断面に複数個配置し、一つが抜けても他の金具でこらえる構造にする必要があるでしょう。それが、あろうことか、中央のたった一個の吊り金具で、左右の2枚の天井板を支えているという、チャチな構造だったと言う訳です。一体どこにフェイルセーフの欠片があるのでしょう。

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2012年12月 3日 (月)

1916 ボルト使用の危うさ

S子トンネルの天井板の崩落事故のニュースを見て気になった点があります。それは、ボルト・ナットの使い方です。ボルト・ナットが破損する場合、最も可能性が高いのは、ボルトのネジ底から亀裂が入って破断するケースです。ネジ底は、一種の切欠き状態であり、応力が集中する場所であると同時に、ネジ部に水分が入る事により、腐食環境にも晒されるからです。しかし、残念なことに、この部分の点検は簡単ではありません。数少ない手段としては、ボルトの先か頭から超音波を使って非破壊検査をするか、抜き取って磁気検査を行う程度しか考えられないのです。

もう一つの危うさは、ボルトを差し込む方向です。ボルトはいくつかの部材を締めつける有効な手段ではありますが、ボルトを張力が掛かる方向で使うのは明らかに間違っています。何故なら上述の様に、ネジが切れた場合に、部材が完全に外れて、バラバラになって崩落するからです。橋であれば桁が落ち、トンネルであれば天井板が落下する訳です。

ではどう使うのが正しいかですが、ボルトは本来は「シュアピン」として使うべき部品なのです。つまりは「せん断力」で力を受けるのです。部材は、重ねて力を受ける方向と直角にボルトを通すと、それはシェアピンとして機能します。しかし、部材を天井から吊り下げる場合に、天井側にボルトを植えこみ、それに部材をぶら下げて荷重を持たせる構造の場合、ボルトにはテンション(張力)が掛かりっ放しになります。もし、ボルトが地下水などで腐食環境にある場合、さらに車の排気ガスに含まれる、硫黄酸化物や窒素酸化物がその水に溶け込む事により、条件は更に厳しくなります。

どうしても、ボルトをテンション用として使わなければならない場合、慎重な設計者であれば、必ずバックアップ手段を講ずるでしょう。例えば、鉄鋼の部材が落下しても、別のワイヤなどで完全な崩落を防ぐとか、あるいはバックアップ用の桁を追加するとかです。これを「フェイルセーフ構造」と呼びますが、墜落してはならない航空機は間違いなくその様に設計されています。この常識が、果たして土木屋さんの常識にもなっていたかどうかについては、事故調査委の報告を待つしかありません。

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2012年12月 2日 (日)

1915 物事の順番

原発停止と新エネの拡大が、選挙戦の焦点の一つとなっています。ある陣営いわく、新エネが拡大する以前に原発を止めるのは、民生や経済へのインパクトが大きく無責任だ。またある陣営いわく、軟着陸させるために20-30年掛けて徐々に止めれば、そのうちに新エネも増えてくるだろう。あるいは別の陣営はやや性急に、今原発は殆ど止まっているのだから、即時全面停止は可能だ、だから今すぐ決断すべきだ。云々かんぬん。

しかし、考えてみなければならないのは最終的に目指すゴールと、そのための対策の優先順位及びマイルストーン(行程表)でしょう。どうやら最終的に原発を無くすと言うゴールは、どの政党も意義はない様です。新たな原発を作るなどと発言した瞬間に票が逃げていくからです。そこで彼らの作戦は、何時それを実現するかと言う「時間稼ぎの逃げ道」を考え出しました。結果として、20-30年後には、多分この世の居ない筈の世代の票をいただこうと言う算段です。当然、対抗策として、若い世代の票(≒浮動票)を取り込もうと考えている政党は、即時停止を打ち出すしかない訳です。真ん中を狙うあの政党は、10年後の2022年と言ったりすることになります。

断言しておきますが、新エネが重要だと口で言うだけでは、新エネの増加はボチボチしか進まない事は明白です。FITFeed in tarif)の導入で、太陽光発電が少し加速した様に、あるいは炭素税が同様の効果を生むように、政策の加速にはアメとムチが必要です。しかし、もっと大切な事は、私たち自身が先ず「困ってみること」だと思うのです。70年代の「オイルショック」が、省エネと新エネ研究を加速した様に、あまり適切な表現ではないかも知れませんが「原発ショック」で、更なる省エネと「新エネの実用化を加速」する必要があると思うのです。アメとムチではなく、ショック療法とも言えるかも知れません。従って、投稿者の結論は、「先ず原発を止めて、皆で困ってみましょう」作戦となります。「必要は発明の母」ではありますが、困窮はもっとも強く発明を要求するからです。

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2012年12月 1日 (土)

1914 家系図

十数年前に亡くなり子供の無かった叔母が、ささやかな財産を残していた様です。財産は叔母の連れ合いの親族が管理していた様なのですが、そのその親族が高齢になったので、息子が処理に困って、ある日突然連絡をしてきました。ささやかな額なので、よきに計らって貰いたかったのですが、ご丁寧にも家系図まで作って、法律上の相続関係をまとめてくれました。それにしても、明治・大正・昭和にまたがる我が家のご先祖様の家系のややこしい事。離婚やら死別やら、再婚やら養子縁組やら、図を一見しても説明を受けるまでは訳が分かりませんでした。

これまで全く音信の無かった、「叔母の養父の連れ合いの家系」まで含む新しい?親戚まで書かれている家系図でした。なかなかに興味深かったのですが、しみじみ思ったのは、死ぬ時には葬儀代より多くの財産など決して残すものではないと言う事でした。

でも家系図を眺めながら、何となく今ここにいる自分と言うものの拠って来るところのアウトラインが少し見えた様な気もしました。ご先祖さんは山形出身である事、長男(祖父)は内地に残ったものの、兄弟の多くが北海道に移住した事なども分かりました。何の事はなく、叔母のお蔭で歴史に名を残す事もない庶民の家系図が作られた。ただそれだけですが…。

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