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2013年1月 9日 (水)

1952 経済は手段

続きです。以前にも「目的と手段の逆転が気になる」と書きましたが、いわゆる経済と実体との逆転もまさにその例に当たります。返り咲いたリーダーは、盛んに景気回復を繰り返しますが、さも景気が良くなる(=経済活動が拡大する)事が、最大の目的だと信じ込んで(あるいは人々をそう信じ込ませようとして)いるフシがあります。景気が良くなれば、実体もついてくるだろう、程度の考えであれば、それは即ち「目的と手段の逆転」になります。

本来の目的は、実体の改善にある訳ですから、政策はその「中心」に向かって集中させていく必要があるでしょう。中央銀行の金庫の扉を開けさせるのは、単にムード作りの一手法に過ぎない事を、20世紀型の政治家(屋)は知るべきでしょう。あるべき手段とは、この国が、その国民が今後何を生業として生きていくべきかを指し示す事ですし、それは取りも直さず、少子高齢化社会のあるべき形の明示となるでしょう。その事は、例えばヨーロッパやC国など、この国と同様の悩みを抱えている国々の手本ともなるべき国のあり方です。その形の提案は、決して「対策」であってはならないでしょう。それは将来に向かっての「提言」である必要があります。

後ろ向きの対策と言えば、かつての公害問題に関わる施策を思い出してしまいます。甚大な公害被害を出してしまったこの国は、数々の公害「対策法」を作って有害物質の排出に対し「規制」の輪を絞りました。その結果、確かに公害問題は目に見えて縮小しましたが、決して皆無になった訳ではありません。低濃度ではありますが、規制値の範囲内であれば、未だに工場外に有害物質を排出する事は違法ではないからです。それはあの「水道水のホルムアルデヒド汚染」事件を見ても明らかです。真に公害を無くしたいと望むのであれば、有害な物質を決して使わない、出さない製造プロセスの確立を奨励すべきなのです。一方ヨーロッパには、確かにこの方向のプロトコルが存在します。それは例えばRohs指令でありReach規制である訳です。それは、この国の様に出てしまった害悪を後から規制するのではない、いわゆる「予防原則」と呼ばれる概念です。

経済に関しても、まったく同様の事が言えそうです。この国に「不景気になりにくい経済構造」を作り直さなければ、持続性のある景気浮揚にはつながらないのです。それは、ココロある人たちが主張するように内需拡大(=国民が絶対に必要なものは国内で作る)であり、輸出に関して言えば、海外では絶対に作れない技術の塊の様な製品だけを売るべきでしょう。どこにでも作れる製品をひたすら安く売り続けるならば、それは必ず経済摩擦を産み出す事が必定だからです。

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