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2013年1月19日 (土)

1962 空気を読む

この国では「空気」で物事が決定される、とU田樹も他の人も言っています。確かに、例えばある人数が揃った集まりで、賛否を多数決で決める際にも、勢いよく手を上げる人、おずおずと手を上げる人と、手を上げた人数を見て後から手を上げる人、その結果としての「場の空気」を感じて仕方なく手を上げる人などが居て、最終的に雪崩的に意見が決まる光景を時々目にします。また、決まりにくい議論の場で、一人の強力な論客が意見を述べる事によって、場の空気を一変させてしまう事もまた多いのです。何人かが述べた弱々しい意見ながら、それらが場の空気を支配した時、空気を一変させる事に生き甲斐を見つけて、別の方向から強い風を吹かす人のなんと多い事でしょう。

この国では政治さえ、空気に支配されます。それはさながら、風にはためく旗にも似ています。かつて「風見鶏」と揶揄されたリーダーも居りました。旗竿の下流には、カルマン渦が生じますので、旗はバタバタと左右にはためきます。その様は、政党の多数派工作で右往左往するその他大勢議員や、先の選挙結果でも証明された様に、世論でさえ左右に大きくブレる国なのです。それは、皆が自分の信念や意見で先行きを決めるのではなく、直前の空気を感じ、風を読む国民であるから、としか説明が出来ません。

KYが差別?表現である様に、この国では空気を読めないと生き辛いのかも知れません。しかし、ここでは空気と風を分けておきましょう。つまり空気とは、その場を一時的に支配する雰囲気であるとすれば、風はその上空を吹いている大きな流れになります。時間的物差しで言っても瞬間と数年程度の差はあるかも知れません。しかし、考えてみなければならないのは時代の底を流れる「潮流」だと思うのです。潮流とは世代や時代を超えた、本質の流れだと思うからです。

あのリーダーの持つ小さな扇風機程度では、時代の風向きを変える事など出来ないでしょうし、ましてや潮流に影響を与える事など夢にも考えられないのです。具体例については続きます。

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