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2013年1月31日 (木)

1974 落穂拾い3(木材)

近くの国道を通ると、規模の大きな森林組合の貯木場が目につきます。国内の木材市場で、国産材の割合が3割を切っているとはいえ、かつて木材の一大生産地であった東北には、それなりの規模で、林業や製材業などがまだ生き残っています。しかし、問題はコストでしょう。平場で大規模に伐採できる北米材や東南アジア材に比べ、くねくねとした林道を刻んで、チマチマとしか集材できない国産材とでは、海上輸送費を加えても殆ど勝負にならない訳です。

しかし、国産材でも材木としての用途以外に用途を拡大し、一本の材木を数種類の製品として活用する事が出来れば、価格競争力も格段に上がるでしょう。例えば、芯の部分は材木として建築用に、製材屑や枝葉などの林地残材は木質ペレットなどのバイオマス燃料に、樹皮はタンニンやツヤ酸などの成分を抽出して化学産業の原材料に、樹種によっては同じく抽出物質による殺菌剤や芳香剤などの用途に、燃料として燃やした後に残った灰は肥料に、といった具合に「一粒で何度も美味しい」という使い方をすれば、国産材もその付加価値を上げる事が出来、十分に山から降ろすコストを吸収し、全体としての価格競争力を持たせる事も可能となるでしょう。つまりは、木材の多面的な活用により、目方当たりの市場価値を、例えば現状の倍程度に高める工夫と言うことになります。

ボンヤリ眺めていれば、単に緑の葉が茂っていて、手入れの行き届かない山林ですが、木材を部位ごと、成分ごと、用途ごとに分解してその用途を拡大する事により、新たな価値を生み出す事が出来ると言う例になるでしょう。つまりは、田舎であっても足元にある「ありふれた素材」に、新たな価値を見つける(付加する)事により、新産業が興せる可能性を示唆しているとも言えるでしょう。そう考えると、山や里にある一木一草にも、新たな価値が見出せるかも知れないのです。今は知識(知恵)が途切れたために足で踏みつけられている雑草も、かつては薬草として重宝されていたかも知れないからです。あるいは、得難い栄養成分を含んでいる山菜として新たな健康食材として蘇る可能性もあるかもしれません。これは、植物の分野での落穂拾いと言えるでしょう。さらに続きます。

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2013年1月30日 (水)

1973 落穂拾い2(地中熱)

自分の足元を眺めてさらに気付いた事を書いてみます。足元には、地面がありますが、その地下の温度は、雪国であっても年中ほぼ一定のはずです。その温度は、春秋の平均気温にほぼ近いでしょう。しかし、夏場や冬場には、気温との間にかなり大きな温度差が生ずる事になります。夏場に、その温度を室内に導けば冷房になりますし、冬場に地中の温度と熱交換し、それを室内に送れば、暖房とまでは行きませんが、部屋のベースとなる気温を上げる事も出来るでしょう。これが地中熱の利用です。地中の熱を組み上げるのに最も単純な方法は、二重の管(地中管)を埋め込み、その中に空気を循環させるものです。これは既に実用化が進んでいて、ヒートポンプとの組合せで、地中熱冷暖房システムとして市販もされています。

もう一つの方法は、「ヒートパイプ」と呼ばれるエレメントを地下に埋める方法で、このパイプの中には冷媒が封入されており、地中熱により蒸発したパイプの中の冷媒が、地上で液体に戻る過程で地上に熱を伝えます。液体となった冷媒は、ウィック(毛細管)を伝って自然に地下に流下する循環を繰り返します。このエレメントには可動部はなく、管が腐食されない限りは半永久的に地中熱を地上に汲み上げ続ける事が出来ます。

建物の断熱性を十分に上げておけば、殆ど冷暖房に要するエネルギーを使うこと無しで、一年中室温を快適に保つ事が可能となります。出来れば、地上部の管を壁面まで立ち上げておけば、「壁面冷暖房効果」も加わりさらに高い効果が期待できます。ヒートパイプは比較的古い技術であって、決してハイテクではない点、中小企業でも十分に手が出せる分野でもあります。

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2013年1月29日 (火)

1972 落穂拾い

1971に新たな時代に向けたあるべき産業の姿と書きましたが、それが必ずしも最先端の科学技術や大規模資本で達成するものでは無い事はしつこく繰り返しておく必要があります。何故なら、例えば「新エネルギー」を取り上げて見ても、大型風車群による発電やメガソーラなどは、大規模な火力発電所や動かせなくなった原発を、そのまま代替させようと言う「安易な」考え方で、そこには何の工夫もありません。お金と工業技術さえあれば、何とかなるので、20世紀型の考えに凝り固まった政治家や企業家・技術屋には取っつきやすい方向です。

しかし、今後の社会に求められるのは、徹底的な地域分散型でかつ自律型(自律型)のシステムなのです。その意味では、同じ太陽光発電も、戸別の屋根発電は、メガソーラに比べれば、かなりマシなアプローチだとは言えます。それがベストと言えないのは、これでも大規模な工場で生産される工業製品であり、例えばある日決意を固めたとしても、地方の中小起業家には手も足も出ないからです。彼に出来るのは、精々パネルを取り付ける架台を作って、屋根に取り付ける事業程度になるでしょう。それでも、地域に雇用が生まれる点においては、メガソーラより何倍もマシなのです。

ここで、落穂拾いと書いたのは、私たちがこれまで「利便性」の御旗の元に打ち捨ててきた、地域のある(あった)資源を、再度見直して、拾い上げてみては、と言う提案なのです。例えば、投稿者の生まれ故郷には、「財産区」と言う制度があって、地域のバックの山林は、地域の共有財産でした。これは今でも変わっていない様で、変った事と言えば山林や里山が切り開かれて、住宅や商業地域になり、財産区は地代を得る様になったと言うことくらいでしょうか。しかし、そこにはご先祖様たちが植えた松林や雑木林もかなりの規模で残っています。それは、かつては地域の薪として、伐採⇒樹木の萌芽再生によって回っていたバイオマス資源でした。地面を掘れば、火山である鳥海山の恵みである、暖かい地下水(温泉とも呼びます)も汲み上げる事が可能です。火傷する程は熱くなくとも、入浴や暖房には十分すぎるくらいです。少し、田舎に行けばなだらかな里山から流れ出る数多くの小川がありますので、田んぼで働いて貰う前に、少しくらいなら電力も起こす事も出来るでしょう。かつて、この水は水車小屋に導いて、精米や粉ひきに使われていたものだった筈です。ここ秋田では今でも、少し(かなりかな?)田舎に行くと現役で動いている水車小屋を見る事が出来ます。「落穂」は、少し注意力を傾け、自分の足元を見るだけで容易に見つける事が出来る筈です。

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2013年1月28日 (月)

1971 新産業興し2

さて具体的な新産業の中身です。とは言いながら、人々のニーズ自体が新しくなる訳ではありません。相変わらず、基本的な衣食住充足こそが、ニーズのベースであり、そのための「ベース産業」はしっかりと残していかなければなりません。しかるに、未だに20世紀型の「TPPでバンバン輸出して足りないエネルギーや食糧を輸入すれば良い論者」が幅を利かせるこの国では、体質改善も遅々として進まないというリスクも高いのです。

そうではなくて、ますます厳しくなる輸出産業を取り巻く環境を考えれば、基本的な(衣)食住のニーズに対する国産率を増やすための産業は、絶対に拡充する必要があるでしょう。その意味で、農業生産を上げるための研究開発者や農業従事人口を増やし、食糧の自給率を上げる必要もあるでしょう。また山林も、国産材の産出を増やすために適正に伐採、再生させる林業・製材業に加えて、その残材を活用したバイオマスエネルギー産業をきめ細かく育てていく必要もあります。もちろん、化石燃料に頼りっ放しのエネルギー産業こそ、大幅な体質改善が必要です。国産の再生可能エネルギーを増やした分だけ、20兆円を超える1次エネルギーの輸入を減らす事ができ、その分輸入に必要な外貨を稼ぐ必要が無くなる訳で、メーカーも身を削るギリギリのコストダウンで、無理して製品を作る必要もなくなります。これらの産業をもう一度再生し、国産率を上げる事により、たとえ経済のマス(ボリューム)が小さくなったとしても、健康体の社会に近づけるのでないかと思っています。

結局、この国の血管(モノ・金の流通)は、まったくの輸出頼み体質であるが故に動脈硬化を起こし、立ち行かなくなったと思うのです。海外の途上国の産業もそれなりに力をつけ、一方で食料やエネルギーの輸入が減らない(国産化率が低下している)状況に歯止めが掛からない限り、この国の経済体質が変わる筈もありません。ベースとなっているニーズを充足させる産業の国産化率を、環境に配慮しつつ向上させる事こそ、新たな時代の産業だと思うのです。その意味では、「新産業」と呼ぶのはあまり正しくなく、「新しい時代のあるべき産業の姿」とでも呼ぶべきでしょうか。さらに続きます。

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2013年1月27日 (日)

1970 新産業興し

どう考えてみても、金融政策や公共事業のバラマキだけでは、1-2年で再び経済が息切れする事は避けられないでしょう。その筋に見透かされたら、この夏(の選挙)まで持たないかもしれません。動脈硬化で血管がガタガタになった人に、カンフル剤や強心剤をいくら処方したところで、薬の効果が無くなれば、延命効果も切れるでしょう。やはり、生活習慣を改めて、健康体を取り戻す努力が欠かせないのです。

では、血管の若さを取り戻すには、どうすれば良いかですが、やはり来たるべき時代に向けた、新たな産業を興すしかないでしょう。国は藁にもすがる思いで、IPS細胞を利用した再生医療産業や創薬産業、あるいは大型洋上風力発電などの再生可能型エネルギー産業を新たな産業の柱にしようと躍起になっていますが、如何せんそのためにはかなり長い助走期間が必要なのです。多くの基礎研究が、実際に産業になってお金を稼ぎ出すまでには、平均的にも20年程度の期間を要しています。エネルギー産業に関して言えば、石炭から石油、さらには原子力やLNGへの転換に関して言えばそれぞれ20-30年の歳月が必要だった筈です。それは、エネルギー産業側の製造インフラとそれを使う側の消費インフラが同時並行的に変化を遂げる必要があります。従って、大上段に振りかぶってインフラ転換に着手する前に、移行期の算段が必要となると思うのです。

さてその算段ですが、滑らかな移行のためには、結構細かい調整が必要になると予測されます。しかし、現状をしっかり把握した上で、最終的な姿(ゴール)を頭に置いたうえで、移行期を滑らかに繋ぐ必要があるわけで、その道筋は結構狭いのです。従って、狙った道筋からのズレをモニターし、細かな修正を掛けていく作業が不可欠で、これは実は行政の最も苦手とする作業でもあります。彼らは、基本的には実績主義、現状の外挿でしか計画を立てたり、それを実行に移したりする訓練は殆ど受けていないと言えるからです。しかし、新しい産業を形にするには、ゼロから青写真を描く能力が必要で、しかも短いスパンで微調整を繰り返す能力が必要で、そのための人材育成が必須なのです。時間は掛かるかも知れませんが、過去に新プロジェクトを形にしたベテランをかき集めて、早急に人材を育てる事が、結果としては体質改善のショートカットだと言えそうです。続きます。

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2013年1月26日 (土)

1969 自立更生

社会システムを修正するのに何かを働き掛けなくてはならないとして、すっかり力の弱くなった国や自治体にそれを期待するのは所詮無理な相談です。行政とは、そもそも何か目標を立て、それに向かっての計画を実行する機能は薄く、公的サービスの執行機関か精々コミュニティの公助機関であったはずです。高度成長期に国がお金を集め過ぎたので、その分配(地方交付税など)のために中央省庁が拡大し、そのおこぼれ(例えば公共事業や地方交付税)を処理するために、各種の出先機関がやたらと増え、それに対応するために地方の自治体も人を増やした筈です。田舎の平均的な自治体では、多分人口の1%程度が役所勤めをしており、ある意味では雇用の少ない地域で「雇用の受け皿」ともなっていたりするのです。

しかし、時代は変わりつつあります。お金が無い(どころか借金まみれの)国では、政治家が「自由」に動かせるお金の額が急速にしぼみ、税金用途の仕分けやチェックも厳しくなった事もあり、かつての様な地元への利益誘導(バラマキ)もめっきり出来にくくなりました。国や自治体に出来る事は、お金をダブつかせる事と、目先の公共事業を増やす事くらいでしょう。今度のリーダーが言う3本目の矢は、実のところ「民自身」がつがえ、自ら打ち放すべきだと思うのです。

つまりは、もはや国や自治体への期待や依存を諦めて、自らの力で新たな産業を興すべき時代に至ったと思い定めるべきでしょう。貿易赤字が6兆円以上の入超になったのであれば、20兆円越えで輸入しているエネルギーを3割削減するか、その一部を国内の再エネでカバーする産業を興せば良い訳です。その際、どこからか補助金を引っ張ってくることだけを考えるのではなく、市民ファンドを立ち上げる方法や「まだ」お金のある企業がリスクを負っての投資や、あるいは3セクなど、あらゆる仕組みを駆使して、ジワジワとでもホフク前進するしかないのでしょう。

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2013年1月25日 (金)

1968 台風を抑える?

1966の続きです。世界の経済状況が、いくつかの低気圧かあるいは台風を抱えているとして、それを抑える方法はあるのでしょうか。偏西風などの恒常風が、ヒマラヤなどの高い山に当たると、下流に渦(カルマン渦)が生まれます。それが、地球の自転や日射エネルギーにより発達し、低気圧や台風が生まれます。場所が変われば、キリマンジェロに対するインド洋のサイクロン、ロッキー山脈に対するハリケーンやトーネードなどに名前は変りますが、仕組みは同じです。

さて台風は、強い偏西風による大きな渦が、大洋における強い日射により成長しますが、勿論偏西風が弱い季節や日射(による上昇気流)が弱い冬場には発生しにくいので、台風を抑えるためには恒常風を弱めるか或いは、日射を弱めるかの2つの方法が考えられそうです。もちろん、人間技でそれが出来る訳ではありませんが、もし人間が大きなエネルギーを自在に駆使できるならば原理的には可能ではある訳です。

経済への敷衍です。経済における風とは、つまりは地下資源(鉱物資源や石油、天然ガスなど)を製品にして消費するモノやお金の流れに似ています。一方で、低気圧や台風に相当する現象とは、つまりはマイナスの経済活動(例えば負債)だと仮定してみます。国単位の大きな負債は、台風だと見なす訳です。低気圧や台風の強さは結局は、気圧のこう配で表されるでしょう。B国の様に、急激な経済変化の勾配を「崖」と呼んでいた様に、低気圧の気圧の深さが深いほど、等高線の密度が高い程、社会に与えるインパクトは大きい筈です。であれば、たとえ絶対的な気圧差は大きくても、その変化勾配を抑える工夫が欠かせないと思うのです。

具体的には、ショックをを和らげるためには、いわゆる軟着陸を指向する必要があるでしょう。軟着陸するためには、バラ色の予測をちらつかしておいて、上手く行かないと土壇場でテーブルをひっくり返す(例えば内閣総辞職)のではなく、ステークホルダーにマイルストーンを示しつつ、ジワジワと気圧の底に近づける努力が必要だと思うのです。この際のKWは、折れ線での変化ではなく、S字カーブで変化をさせると言うことになます。つまり、変化の先を予測し、微調整を加えると言うきめの細かい調整が必要なのです。もし人智で台風(破局的な経済変化)を抑える事が出来ないのであれば、被害を最小限に留めるためには、オオカミ少年とそしられても、毎日の様に災害(景気の悪化)に対する備えを説いて回る回るしかないでしょう。

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2013年1月24日 (木)

1967 利雪

これだけ毎日雪が降ると、日々の雪よせが嫌になると同時に、この雪をどうにかして利用したくなります。雪の利用を短く「利雪」と言いますが、視野の狭い元技術屋としては、ついつい「低熱源」としての価値など思いつくだけですが、ここではさらに無い知恵をギュッと絞ってみます。

さて雪は、その中に多くの空気を含んでいるので、断熱目的としては使えそうです。例えば、建物構造を十分丈夫に作って置き、さらに屋根や壁の断熱性能を高くしておけば、雪降しなどしないで、むしろ積極的に建物を雪で覆ってしまえば良い訳です。そういえば、エスキモーが狩猟のために使う「家」は雪と氷で作っていました。屋根と壁の境目のないドーム型の家は、けっこう雪国に向くかも知れません。

また雪の断熱性とその下ではほぼ氷温を維持できる性質を利用すれば、食料(特に野菜果物類)や酒類の貯蔵場所としての可能性も十分でしょう。田舎に行くと、古い国道や県道の使われなくなったトンネルが残されています。そこにタップリと雪を貯めておけば、初夏頃までは氷温貯蔵庫として十分活用できると思うのです。

とは言いながらやはり、熱機関や「熱電発電」の低熱源としての利用方法も考えない訳にはいきません。しかし、残念ながら北海道ではない東北では、雪温は精々0℃(+/-2℃)程度なので、年中ほぼ一定の地中温度との間には15-6℃しか差が取れません。熱力学の法則で言えばT1T2の差があまりにも小さく、熱機関としての大きな効率は期待できません。しかし、その絶対量は殆ど無限に大きいので、たとえ熱効率が数%でも、雪発電の可能性は検討しない訳にはいかないでしょう。何しろ、北陸、東北の日本海側の全ての地域では、全ての田畑や野山が平均厚みで50-1mの雪で覆われ、それが4-5か月間持続するのですから…。もちろん、積もっままの状態では、雪は断熱材なので、地面に近い所では0℃程度でしょうが、凍結防止剤を加えればかなり低い温度にする事も可能でしょう。適当な濃度の塩カルの場合、理論的には零下30℃まで凍結しないはずです。それによって熱効率も少しは稼げるでしょう。

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2013年1月23日 (水)

1966 天気と景気のアナロジィ

1962の続きです。Aべノミクスが今の日本の「風」であるとして、しかしそれが「この国の空気」になるかと言われれば大いに疑問です。確かに新しいリーダーは、「小型扇風機」を据え付けて、ブンブン回し始めましたが、それがこの国や世界の上空を吹いている季節風と同じ方向だとはとても言えません。それどころか、投稿者の目から見ると全くの逆方向に風を吹かしている様な危うささえ感じます。

それを喩えるならば、扇風機(景気対策+金融緩和)をぶん回す事により、自分はその推力に負けて後退している絵が浮かびます。似たような例として、若い頃瀬戸内で小さなヨットを乗り回していましたが、瀬戸内海の潮流は激しいので、いくら良い風が吹いても、潮の流れが自分が進みたい方向が逆だった場合、陸地に対してはむしろ後退していたことを思い出しました。もっと言えば、これは台風のど真ん中で扇風機を回すのとあまり変わりません。勇気もパワーも知恵も必要ではありますが、台風の目に直接働き掛けない事には、扇風機の効果が切れた時には、ますます強い風を受ける事にもなり兼ねません。

結局、経済とは「方便」であると見定めなければ、何も変わらないのだと思っています。方便ですから「彼ら」は、ハッタリも小さな恫喝も、ウソも何でもありのなりふり構わぬ行動も許されると主張します。しかし、方便は決して「原理」や「真理」ではないのです。虚言癖で村人から信用されなくなったオオカミ少年がいた様に、直近の経済活性化を期待させる言葉やお金や債権の増刷だけでは、その効果が切れた時、現状からの後退に終わる可能性もあります。経済における台風とは、間違いなく巨大な財政赤字である事は明白です。台風の中で扇風機を回す事とは、たった今の向かい風を弱める悪あがきと言うしかないでしょう。そうではなくて、風をどうにか掻い潜って、台風の目に近づいて行って、そこに働き掛けるしかないのです。かつて票集めのために大盤振る舞いをしていた党が、成り行きで蘇ったとはいえ、新しくもないリーダーには期待はできません。私たちは、自分達自身の知恵と行動で、難局を乗り切るしかなさそうです。政治には、最低限、台風の目に立ち向かう決意表明だけはして貰わないと困ります。この国では、言いっ放し、やりっ放しで結果責任も取らず、1年程度で後退した(させられた)リーダー達の何と多い事でしょう。元技術屋の経済問答など休むに似たりですが、具体案については続きます。

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2013年1月22日 (火)

1965 バッテリー考

蓄電池屋さんに「立ち入り」が入った様です。電池屋ではない元機械屋ですので、痛々しく焼け焦げた「バッテリーの気持ち」は何となく想像するだけですが、焼けるには焼けるだけの事情(原因)があった筈です。バッテリーが焼けなければならない状況としては、過充電と過電流による放電が考えられそうです。前者は、今のことろ「シロ」らしいので、残るは過電流になります。もちろん、欠陥による内部ショートも考えられますが、それは追って明らかにされるでしょう。もちろん、一人バッテリー屋さんを責めるのは全くの片手落ちです。当然、いくつかの関門で厳しいFT(機能試験)を行った上で搭載された筈だからです。

過電流(過剰放電)の原因としては、負荷側での短絡か、あるいは過大な負荷が考えられます。前者はやはり、今後の調査で明らかにされるでしょうが、同種の短絡事故が重なって報告される事は考えにくいので、残りの可能性を吟味してみます。航空機がシステムとして最も不安定な状況は言わずもがなですが、離陸時と着陸時です。このうち、離陸時は機体速度があまり上がっていないにも関わらず、エンジンパワーとしてはMaxとなり(つまりは多量に燃料が燃やされる)なり、降着装置(ランディングギヤや動翼関係)のパワーもま最大になる筈です。これまでは、エンジンで直接駆動される油圧ポンプからの油圧で動かしていたアクチュエータ類の多くが電動化されている新しい機種では、パワエレ関係の電力もまた、Maxになる時間帯でもあります。

さて、この時バッテリーには、大きな負荷が掛かり、同時に追加充電のために発電機からの電力もまたバッテリーに殺到するでしょう。しかし、航空機においてはバッテリーの保護のためとはいえ、ブレーカを切る訳にはいきません。精々過充電に対しては、ダミー負荷で電流を逃がす事しか出来ないでしょう。

バッテリーの静的なテストは、十分過ぎるほど行われてから機体に装着された事は疑いがありません。しかし、実際の負荷や荒れた気象条件下などで想定以上のマニューバによる、ダイナミックな負荷変動にどれほどの事がシミュレーションされ、それを含んだ機能試験が行われたか、複数の事故の報道から考えても、心元無い限りです。バッテリー自体も負荷(内部抵抗)の一つなので、充電でも放電でもジュール熱が発生する機器なのです。また、その際の放熱がどの程度考慮され、対策がされていたか、つまりは電気屋に熱の事がどれほど理解されていたか、事故報告に津々たる興味が湧きます。

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2013年1月21日 (月)

1964 大雪のメカニズム

灰色の空を見上げていても、雪は止みそうにないので、取り敢えず何でこんなに積雪が多いのか考えてみます。そもそも、北陸から秋田辺りまでは、後ろに山脈が控えている地形に、日本海の暖流からたっぷり蒸発する水蒸気が、シベリア降ろしに冷やされて、深い積雪がある世界でも稀に見る多雪地帯なのです。しかし、冬場の気温はといえば0℃を挟んで数℃上下する程度なので、夜間に降った雪も、昼間にはかなり目減りするのが冬場の通常の気候なのです。しかし、この冬の様に豪雪と呼ばれる年は、平均気温が数℃低く推移しているので、昼間の融雪が殆ど期待できません。そこに、次の日も降雪が加わるので、積雪量はドンドン積み上げられる事になります。つまり「降雪量」は平年並みでも、気温が低い年には「積雪量」が増える事になります。

さて、豪雪・厳冬のメカニズムですが、北極圏を上から見たジェット気流の蛇行図を眺めるとそれが納得できるかも知れません。北極海の浮氷が薄くなって、夏場にはかなりの面積が消失する事は、地球規模の温暖化傾向の一つの証拠とされていますが、流石に冬ともなると再結氷します。しかし、氷は薄い(1m程度)ので夏場に暖まった海水中の熱量を完全にブロックするには不十分です。結果として、北極海上の気温は十分には低下しません。一方、ロシアやカナダ北部やグリーンランドなどの陸地部分は、早めに氷雪に覆われるので、冬の到来とともに速やかに気温が下がります。結果としては、相対的に陸地の上の気温が、北極海より低くなるので、寒気団(極高気圧)は陸地に偏って蓄積する事になります。

結果としては、これが北極気団の外周を取り巻く偏西風(ジェット気流)の大蛇行を引き起こす事になります。しかし、本来の大きな蛇行は中央アジアに向けて下がってくるだけだったのですが、この冬の様に日本が厳冬の年は、東アジアで特に蛇行が強くなっているのです。北極海の浮氷が増えない限り、温暖化傾向とはいえ、日本の冬場の厳しさは強くなると予測しています。もちろん、夏場は昨夏の様に、酷暑傾向が続く事になります。従って、今後の日本の季節は四季ではなく、厳しい二季+小さな春秋となりそうなのです。ジェット気流の解析は下記URL参照。

http://www.cokbee.com/weather/jet.htm

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2013年1月20日 (日)

1963 除雪・克雪

久しぶりに雪国暮らしを始めて、除雪の方法が以前と違っている事に気が付きました。最近の除雪は、先ず道路に降り積もった雪を除雪車で路肩に寄せる「除雪」と、その雪をダンプトラックに積み替えて雪捨て場に運ぶ「排雪」の二段階になっているのです。除雪は、朝暗い内から大小の除雪車かトラックの前に雪搔き版を付けたもので走り回ればどうにかなりそうですが、問題は排雪です。これは、限られた数のダンプトラックを使ってのピストン輸送になるので、なかなか思うに任せません。従って、路肩の雪の壁は日々高くなり、車道や歩道は徐々に狭められる事になります。

ところで、橋の上は路面温度が低く、積もった雪は殆ど融けません。仕方がないので寄せた雪が歩道側に押し込み、人が通る幅だけ小型の除雪機で川に吹き飛ばすため、自然に歩道面が高くなります。その高さは、40-50㎝ほどにもなります。いずれにしても、除雪した雪を、どこかの雪捨て場に運ぶのは量が多過ぎ、トラック輸送では無駄が多すぎます。予め、歩道と車道間に雪をスタックできるスペースを作って置き、そこに積み上げるのが現実的な様な気がします。歩道は、人がすれ違えればOKなので、最小限の幅で除雪すれば良い様でしょう。駐車場の出入り口は、どうせ大型の重機で除雪するので、歩道部分には、滑らない様に緩やかな階段かスロープを刻む必要はあります。もちろん理想は、融雪溝の新設ですが、たかが数か月の積雪のために、予算はつかないので行政は毎年のように頭を抱える事になります。

さて問題は、屋根の雪です。一冬の間には、かなりの数の人が除雪中の屋根からの転落や落雪でケガをしたり亡くなったりします。傾斜があり足場の悪い屋根に登って、除雪作業を行うのは、体力のある若者でも結構危険です。既にエンジン駆動の除雪機があるのですから、二階の屋根に届くような腕を付けたミニエクスカベータで、徐々に屋根の雪を取り除く道具が必要です。既存の除雪機の動力軸を利用し、オプションで腕を付ける構造にすれば、投資は最小限で済むでしょう。それにしても里でも50-60㎝の積雪、少し山に向かえば1-2mにもなる今年の積雪は、あまりにも降り過ぎで「酷雪」と呼ぶしか無さそうです。

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2013年1月19日 (土)

1962 空気を読む

この国では「空気」で物事が決定される、とU田樹も他の人も言っています。確かに、例えばある人数が揃った集まりで、賛否を多数決で決める際にも、勢いよく手を上げる人、おずおずと手を上げる人と、手を上げた人数を見て後から手を上げる人、その結果としての「場の空気」を感じて仕方なく手を上げる人などが居て、最終的に雪崩的に意見が決まる光景を時々目にします。また、決まりにくい議論の場で、一人の強力な論客が意見を述べる事によって、場の空気を一変させてしまう事もまた多いのです。何人かが述べた弱々しい意見ながら、それらが場の空気を支配した時、空気を一変させる事に生き甲斐を見つけて、別の方向から強い風を吹かす人のなんと多い事でしょう。

この国では政治さえ、空気に支配されます。それはさながら、風にはためく旗にも似ています。かつて「風見鶏」と揶揄されたリーダーも居りました。旗竿の下流には、カルマン渦が生じますので、旗はバタバタと左右にはためきます。その様は、政党の多数派工作で右往左往するその他大勢議員や、先の選挙結果でも証明された様に、世論でさえ左右に大きくブレる国なのです。それは、皆が自分の信念や意見で先行きを決めるのではなく、直前の空気を感じ、風を読む国民であるから、としか説明が出来ません。

KYが差別?表現である様に、この国では空気を読めないと生き辛いのかも知れません。しかし、ここでは空気と風を分けておきましょう。つまり空気とは、その場を一時的に支配する雰囲気であるとすれば、風はその上空を吹いている大きな流れになります。時間的物差しで言っても瞬間と数年程度の差はあるかも知れません。しかし、考えてみなければならないのは時代の底を流れる「潮流」だと思うのです。潮流とは世代や時代を超えた、本質の流れだと思うからです。

あのリーダーの持つ小さな扇風機程度では、時代の風向きを変える事など出来ないでしょうし、ましてや潮流に影響を与える事など夢にも考えられないのです。具体例については続きます。

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2013年1月18日 (金)

1961 石橋をガンガン叩く

B787の続きです。バッテリーを中心に犯人探しが進みそうですが、問題はそれだけに留まらないと見ています。B787を作ったB社は、元々安全第一主義で、航空機のコンセプトの変更に臆病なほど「コンサバ」でした。だからこそ、実績のある構造のスケールアップだけで、1960年代の終わりに、あの様に巨大なジャンボジェットの開発が可能となった訳です。その意味で、B747はアルミ構造の旅客機として最も安全性の高い航空機だと言い切っても良い程です。

しかし、ビジネス(パーソン)はその(技術屋の)ポリシィの継続を許しませんでした。何故なら、競争相手であるA社の台頭が著しかったからです。A社の航空機開発は、航空機のモノづくりを大きく変えました。それまでの、板金を曲げた部品や形材をリベットで組み立てる伝統的なB社の構造に対し、厚いアルミブロックを機械でガリガリ削って作り出すHog out(削り出し)構造を大幅に採用したのでした。また、尾翼だけとはいえ構造部分にも複合材を積極的に採用し、軽量化と言う面でもB社をリードしたのです。加えて、小牧空港で起こったC華航空事故でも明らかになった様に、コントロールに純電動であるフライバイワイヤー方式までも採用したのです。B社も、「ビジネスで負けないために」この路線を追いかけ始めましたが、如何せんなかなか思うようにセールスが伸びません。

そこで打った「博打」がB787Dream liner)の開発だったのです。売るためには、この時代には何はなくとも燃費の向上が不可欠です。そのために機体重量の軽減に注力し、伝統的構造を捨ててまで、ほぼ複合材だけの胴体構造の採用に至ったのです。加えて、A社並みに純電動コントロールも採用、多分軽量で容量が大きいというメーカーの売り込みのままに「新しいLiイオンバッテリー」を、これも多分ですが、軽量に設計された新しい燃料弁などなど、ありとあらゆる軽量化された目新しいコンポーネントをまとめて採用したのだと想像しています。

その博打にいま「裏目」が出かかっています。大概の故障が起こっても、単に止まってしまうだけ車とは異なり、最悪の場合は墜落してしまう航空機には、本来博打はご法度のはずです。ビジネスに走ったB社には黄色灯が点灯しかけている様に見えてなりません。石橋を叩いてもなかなか渡らないあのB社の伝統は何処に消えたのでしょうか。一連の事故は、エンジニアがビジネスに押し切られた結果の様に思えてなりません。

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2013年1月17日 (木)

1960 リダンダンシィ

 

B787がピンチです。バッテリーからの発火、数度の燃料漏れ、電気系統からの発煙などなど。初期不具合にしては続き過ぎです。燃料漏れは別にして、電系統のトラブルに関して言えば2つの事が疑われます。一つは、機内湿度の増加ともう一つはリダンダンシィ(冗長性)の低さ(の可能性)です。

 

機内湿度の上昇は、実は機体構造の変化により可能となりました。アルミ構造の胴体では、上空で非常に低温になった状態で、機内の湿度が高い場合、結露によって機体の底の部分に水たまりができます。その水分は、空港のある海辺からの潮風も加わって、構造の腐食を加速する事になります。それを防ぐために、機内(キャビンも含め)の空気をカラカラの乾燥状態に維持しておく必要があるのです。そのため、B787以前の機体では、多くの乗客は喉の渇きや鼻粘膜の乾燥を訴える訳です。しかし、この機体は胴体の殆どが復造材であるため、結露に強く機内空気の湿度を高めに維持できる、と言うのもメーカー「売り」の一つでもあります。その結果、結露は内部にあるその他の金属部品に集中する可能性が高くなります。バッテリーを収めている金属の箱もその例外ではないでしょう。ビショビショに濡れた、電圧の高いバッテリーがショート(=発火)を起こす可能性は格段に高くなります。

 

近年の航空機の操縦系統は、実は殆どが電動(フライバイワイヤ)でコントロールされています。それ以前は、小型のものではメカニカル、大型のものでは油圧システムを採用していました。御巣鷹山に墜落したあのB747も、尾翼を動かす系統は、4系統に分かれた油圧システムでした。しかし、油圧管が後部隔壁の同じ場所を貫通していたため、瞬間的に全ての油圧管が吹き飛び、昇降舵と方向舵の全コントロールが失われたのでした。リダンダンシィの数は十分だったものの、その配管ルートが適正でなかった事が原因でした。さてB787はどうでしょう。発電機は、主エンジンとAPUも含めると最低3個(実際はそれ以上だと思いますが)はあるでしょう、バッテリーもそれ以上の数を備えているかもしれません。しかし、その電気信号と電力(パワエレ)を伝えるケーブルが、一体何重になっているのか、それが、構造の何処を走っているのか、またそれが破壊された場合のバックアップはどうなっているのか。それが納得できない限り、投稿者としてはとてもこの機体には乗る気にはなりません。電気系統のリダンダンシィは、電力が失われた場合全く無力である事は、Fクシマ原発で、嫌になるほど証明されたではありませんか。真の二重化とは、原理の異なる2つ以上のシステムでなければなりません。技術者は、謙虚に失敗経験に学ばなければならないでしょう。

 

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2013年1月16日 (水)

1959 外圧国家

個々の歴史的事実に当たった訳ではありませんが。この国は、多分外圧だけで変ってきたのでしょう。古くは中国の中心(中華)に詣でて漢字・仏教などを含む大陸文化を学び、江戸末期にはペリーに無理やり開国させられ、文明開化で欧米とりわけEギリスに社会や政治システムを学び、戦後はB国の子分(と言うとやや情けないので弟分と言い直しておきます)になる事によって、大きな混乱を伴わずして、しかし大きな変化を伴って発展してきたのだと言えそうです。課題の解と言うか手本が既にあって、先ずは盲目的に模倣し、それをこの国風にアレンジすれば良いので、「成果/努力=変化の効率」は常に最大となってきたのでした。

しかし、外圧で変る事に依存し過ぎ、それに慣れ過ぎた結果、この国は自ら路線を引く事をすっかり忘れてしまった様なのです。例えば、世界でも断トツの先頭を走っている行き過ぎた「少子高齢化社会」に向けた社会のシステムやその中で機能する経済活動などの仕組みに関しては、実は参考となるモデルは、歴史上も存在していなかったと思われます。ならば、私たちは最大限の知恵を絞って、それを乗り切る方策を考え出さざるを得ないのです。この問題は、外圧や海外の先進例を待望してもその答えは何処にも転がっていないからです。

この問題の根は、たぶん少子高齢化社会でのそれぞれの世代の役割分担の在り方だと思うのです。とりわけ高齢者が社会のお荷物となる事態だけは何としてでも避けなければなりませんし、それどころか高齢者こそ進んで社会の下支え(コヤシ)になる事を考えなければならないでしょう。そのためには、高齢者も踏ん張って筋トレをし、食生活にも気を付けて、お荷物(=寝たきり)にならない努力も必要でしょう。

私たちには最早外圧や真似をするお手本を待っている様な時間はありません。それどころか、すぐ後を追いかけている、一人っ子政策の国や出生率のあまり上がっていない欧米諸国の先を走る少子高齢化国のトップランナーとして、率先垂範で範を示す責務も負っている筈です。

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2013年1月15日 (火)

1958 正解を探す

自分達が受けてきた教育を振り返って見る時、その教育成果を評価する指標としてテストや試験だけが異様な熱意を以って行われてきた事に気が付きます。例えば中間テストや期末試験と言った手段で、子供達の理解度(=教師の教え方の手際でもありますが)を評価した訳です。しかし、考えてみなければならないのは、その中身です。試験の中では、子供たちは○を付けて貰える「正解を探す」事に没頭したでしょう。正解以外は「不正解」なので×になります。○を足し合わせた点数が評価基準の全てとなります。それが、個人の理解度やクラス・学校の平均点や偏差値の根拠の全てだったのです。

さて、このような試験制度の弊害かも知れませんが、この国の(国民の)特質として、何時の頃からかは分かりませんが、「正解主義」が蔓延してしまった様なのです。数学の計算問題を除けば、多くの問題(や課題)への答えとしては、不正解から正解(らしきもの)との間に多くの「グラデーション解」があっても不思議はないのです。つまりは多くの実際の問題においては正解は、既に何処かにあってそれを見つけるものではなく、最も正解近い答えを考え続ける中で作り上げていくものでなくてはならない筈です。

経済の縮小均衡やデフレが、果たしてこの国の問題であるのか否か、その正解らしきものが経済刺激策とその結果としての経済成長の持続しかないのか、と頭を冷やして考えれば、今度のリーダーのあの「一辺倒の答え」の押し付けには大きな疑問符が付きます。何が今日の問題(もしそれが大きな問題だとして)を生み出した根であるのか、それを正して将来向かうべき国の姿はどうあるべきかの議論を抜きにして、この夏の選挙結果だけしか頭にない政策など、一顧だにする価値は無いでしょう。

問題根っこの分析と将来の青写真を描き、国民の同意を取り付ける事が出来れば、そこに向かっての正解(らしきもの)への道筋は、自然な議論の中で形成されるはずのものでしょう。実際の問題に向かって立つとき、先ずは首を垂れてその足元を観察し、然る後に次に踏み出すべき「最初の一歩の方向」を見定める必要があると思うのです。

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2013年1月14日 (月)

1957 バックヤード

「国(国体)」の姿を眺める時、種々の側面がありそうです。例えば国民の資質、例えば経済、例えば歴史・文化、例えば海外からの目、例えば地政学的視点、たとえば気候風土などなどですが、このブログでは一貫して環境と言う視点を持ち続けてきたつもりです。とは言いながら、この国を包む環境とは、実は上記視点の全てを抱合して考えざるを得ず、したがって日々のブログの内容もあちらこちらに飛ばざるを得ない事になります。

さて、環境側面を引いた目で俯瞰するならば、この国の環境は戦後に限って眺めても大きな変貌を経験してきた事が分かります。西洋に追いつけ追い越せの掛け声の元、大きい事は良い事だ、列島を改造するのは是だ、あるいは豊かになるためには手段を選ばない闇雲な経済拡大などなど、かなりの無理を重ねてきた筈です。その歪の表れる先が実は環境の変化と言う指標になるでしょう。環境(例えば大気や水や土壌や森林・田畑など)中の有害物質の濃度増加(汚濁や汚染の悪化)、気候の異常、大気中のCO2(やNOx、SOx)などの濃度、埋め立て廃棄物の蓄積などなどの指標です。

投稿者は、企業の環境経営の審査も仕事の一つにしてきましたが、その際企業活動を透かして見る際に、最も有効な方法はその企業のバックラードを見ることなのです。メーカーの場合、材料倉庫は折々に棚卸を行って整理していますし、生産ラインや製品倉庫も同様に4Sと称した整理が行き届いています。(そうでない企業は多分既に淘汰されたはずです。)しかし、話がバックヤードになると事情は全く違います。バックヤードには、その企業で不要になった端材やゴミや、壊れた設備の残骸などが雑然と放置されているのが普通です。つまり(材料)+(エネルギー)-(製品)=(廃棄物+CO2)となる訳で、その現場である廃棄物置き場を眺める事で全ての企業活動を透かして見る事が可能となるわけです。

さて、この国のバックヤードは何処になるのでしょうか。ゴミだけで出来た埋め立て島、長い期間に亘って「ゴミ島」にされてしまった瀬戸内海の豊島、大量の不法投棄廃棄物に埋まった東北の山あい、あるいは原発ゴミの中間処理場(できれば最終処分場)にされかかっているRヶ所村、あるいは巨大地震と大津波で出来てしまった、天文学的な量の震災ゴミと津波ゴミなどなどのバックヤード現場を見れば、この国の活動を透かして見る事が出来るでしょう。たぶん続きます。

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2013年1月13日 (日)

1956 日本と言う国

久しぶりに腹に入る本を読みました。U田樹の「日本辺境論」です。この本は、刑事コロンボ風に最初から日本あるいは日本人の特性に対しての犯人(結論)をぶら下げておいて、それを検証するのに、一見脈絡のない論点をいくつも展開し、犯人(本質)を追いつめていきます。

さてその結論ですが、一つにはこの国(に住む人々)は古来から「比較主義」であったと言う点です。つまりこの国の国民は自分達の立ち位置を、他者との比較でしか確認できない様なのです。それは、この国を誰も強い意志を持って建国したという意識も無かったでしょうし、戦後の「独立」過程でも別に民衆の激しい独立運動の結果手に入れた訳ではなく、どちらかと言えばB国がその手綱を徐々に緩めるによって、転がり込んできた様なものだからでしょう。

もう一つのこの国の特質として、常に変わらなければならないと言う強迫観念にとらわれている点を著者は強調しています。それは、新しく建国されたB国や欧米諸国、さらに言えばイスラム国家などとは異なり、この国のリーダーや国民は「絶対的な価値基準」を持ち合わせていないからだ、と論を展開するのです。それは、上で書いた相対主義と根が重なるかもしれません。つまり、先進国Aと途上国Bの間に、自国の経済力や国力や文化レベルを位置付ける事によってのみ、安心感が得られると言う、稀に見るこの国の民の特性によると言うのです。その結果、上を見上げてそれを取り入れて自分を自国を変えようと執念を燃やす事になります。

確かに、例えば「経済大国」と言う脈絡では、C国に追い越された事にやや落胆し、それを盛り返すために公共事業を連発し、さらなる国の借金を重ねる事においても、B国よりはやや「絶対額が小さい」と言う比較論ですこし安心するのです。また、B国が「Change」をKWに大統領選挙を展開すれば、やはりこの国でも政党を変えてみようとする力が何処かから生れる事にもなります。もちろん、話はそんなに単純な結論で括る事は出来ないのでしょうが、この2点はスンナリ腹に入ったのでした。

ところで、投稿者が技術屋を辞めて環境屋になったのは、この本の脈絡に照らしてみると、どうやら「絶対的価値基準」が欲しかったからの様な気がしてきました。つまり、常に競争相手より、技術的・コスト的に比較優位に立つべき責務を負わされた、技術屋サラリーマンが持つべき「相対的価値基準」ではなく、持続可能性の極大化と言う「絶対的価値基準」に憧れた結果の様だと自己分析しているのです。

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2013年1月12日 (土)

1955 移染・散染?

Fクシマでは、いわゆる汚染除去作業(除染作業)が続いています。しかし、除染という言葉にはそもそも矛盾が抱合されているはずです。汚染を「消滅」させるのであれば、完全無害になるので除染なのでしょうが、単に汚染された建物や土壌を洗ったり、取り除いたりするのであれば、それは単に汚染の「移動」や「拡散」になるだけです。建物を洗い流した結果、汚染物質は水に移って下流に移動し、取り除いた表土は、フレコンに詰められて、どこかに移動させて積み上げられるだけです。勿論、広大な砂漠地帯など存在しないこの国では、精々人口密集地から少し離れた山林などに汚染を移す程度しか方法がないのです。これを正しい言葉で表すならば「散染」あるいは「移染」と呼ぶしかないでしょう。

砂に混じった砂糖や塩を分離するのがとてつもなく困難である様に、土壌や林床や樹皮に浸み込んだ汚染物質(パーティクル)を、選択的に分離するのはそもそも無理な相談だと言えます。しかし、T電や国には「それは出来ない」とは口が裂けても言えない訳です。仕方がないので、ゼオライトなどを散布して、その分子籠の中に放射能を帯びたパーティクルを取り込み濃度をやや上げた状態で除去するか、濃度の高い表土を上下に切替えして見かけ上の線量を下げる程度の方法しか残されていないのです。もう一つの頼みの綱は「半減期」です。不幸中の幸いは、半減期が長いプルトニウムは殆ど拡散せず、線量を上げていた主な物質は、ヨウ素とセシウムだったことです。放射性ヨウ素の半減期は数日ですから初期被ばくをモニターしておけば、殆ど無視できますが、半減に数十年も掛かるセシウムが問題です。そう考えれば、放射性セシウムと選択的に、しかも強固に結び付く物質の探索・発見(あるいは合成)しか、有効な移染の道は無さそうに思えます。科学者も勿論その様な物質の探索に努力しているのでしょうが、一向にGood newsがもたらされません。悲しい限りです。

一方で、半減期数万年という「プルトニウムに汚染された」使用済み燃料の処置については、まったくと言って良い程目途は立っていません。これなくしては、実は原発ゼロや廃炉の道筋も何もあったものでは無く、未来永劫放射能の五里霧中からは抜け出られないのです。使用済み燃料棒の安全な処理法の開発こそが、甚大な原発事故を起こしてしまったこの国の、産官学がこぞって成し遂げなければならない責務だと思うのです。

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2013年1月11日 (金)

1954 エネルギーのベストミックス

NHKの番組でかなり力を入れて今後のエネルギー問題を取り上げていました。9割以上のエネルギー供給を海外に依存しているこの国では、エネルギーは経済と密接に関連している事は事実で、その安定供給無しには、経済の安定もあり得ない。従って、再生可能エネルギーを3割程度に増やし、かつ中東一辺倒のエネルギー依存を、RシアのLNGB国のシェールガスなど、多様化すべきだと言うのがその論調だった様です。

しかし、腹に入らないのは、そこに省エネルギーの視点が殆ど入っていなかったと言う点でした。25%の電力を供給していた原発がほぼゼロになった今、足りない分をLNGや再度石油火力に頼るのではなく、不足した分は省エネ努力でカバーすべきだと思うからです。勿論、一朝一夕に25%の省エネが達成できる訳ではありませんが、現在のモノづくりや生活スタイルは、安い石油やLNGと原発に依存して出来上がってきた事は否めません。しかし、化石燃料が貴重だった時代も、この国の先人はあらゆる省エネの工夫で、モノを作り輸出してきたではありませんか。

殆どの原発が止まった今、私たちは兎にも角にも、もう2段くらいの省エネを進める必要があるのです。そのためには、モノづくりや生活スタイルの根本から見直す必要があるでしょう。モノづくりで言えば、現在より25%以上省エネとなる「新プロセス」を開発する必要があります。また家庭生活や事務所ビルでは、断熱性をそのままに、機器の省エネ性能アップだけを考えても片手落ちです。それは穴あきバケツに水を入れる様なものだからです。

新プロセスの開発や省エネを可能とする建物の断熱性の向上などによって、20兆円のエネルギー輸入が25%減らせるならば、それは5兆円程度の新たな産業を生み出した事と同義になります。しかも、輸入も5兆円減るのですから、輸出も大幅に減らしても国の経済は十分に回ります。実際にも、それを可能とする技術開発や建物の改装が必要な訳ですから、雇用も生まれるでしょう。残った75%のエネルギーについて、改めてベストミックスを議論すれば良いのです。25%の省エネが達成できれば、遅れている新エネの割合も自動的に2桁パーセントの大台に乗るでしょうし、CO2削減の国際公約も守る事が出来ますね。

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2013年1月10日 (木)

1953 経済(指標)は結果

更に続きです。全ての経済指標は、特定の誰かがコントロールできるものではなく、あくまでも直近の経済活動の結果に過ぎない事は重要な点だと思っています。もし誰かが、恣意的に将来の経済活動やその指標をコントロールできるとするならば、それは即ち何らかの意味での「インサイダー取引」を可能とするからです。例えば株価、例えば穀物の価格、例えば為替相場を恣意的に、かつある確度を持って変動させる事が可能ならば、それを利用して確実に利益を上げる事が出来るからです。もちろん悪質なファンドは、種々の仕掛けで市場を揺さぶり、小さな変動幅の中で短期の利益は上げているのでしょうが…。

しかしながら、膨大な規模、複雑に絡み合った金融システムに膨れ上がった経済活動は、一国のリーダーの主張程度で簡単に動かせる筈もありません。元気の出る掛け声で、一時的にはムードも盛り上がるのでしょうが、やがて経済の実体は市場に見透かされるでしょう。結局は、経済指標は実体経済が回復しない事には、行き着くところまで行ってしまうしかないわけです。実体経済とは、個々の企業の受注であるとか、売上であるとか、経営者のマインドなどの総計(Σ)であり、それ以外の何ものでもありません。公共事業で、ゼネコンやその下請けが一時的に潤うにせよ、それが家電業界や地域の中小製造業にまで波及するなどと考えるのは、、まったくの幻想でしょう。

経済指標は、短くても4半期ごとにしか集計されませんので、その指標を眺めながら、市場はおそるおそる次の手を考え始めるのでしょう。それほど、この国の企業や経営者は、失われた20数年の結果、臆病になってしまった様に見えます。それは、めまぐるしくリーダーが入れ替わる時々の政府によってもたらされた小さなぬか喜びと、その後の大きな失望の繰り返しの結果だと言うしかありません。今度の成長戦略会議のメンバーに多くを期待する事は、更なる深い失望を招くだけかも知れません。やはり、私たちは自分の目で見、耳で聞いて進むべき方向を見定めるしかないのです。

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2013年1月 9日 (水)

1952 経済は手段

続きです。以前にも「目的と手段の逆転が気になる」と書きましたが、いわゆる経済と実体との逆転もまさにその例に当たります。返り咲いたリーダーは、盛んに景気回復を繰り返しますが、さも景気が良くなる(=経済活動が拡大する)事が、最大の目的だと信じ込んで(あるいは人々をそう信じ込ませようとして)いるフシがあります。景気が良くなれば、実体もついてくるだろう、程度の考えであれば、それは即ち「目的と手段の逆転」になります。

本来の目的は、実体の改善にある訳ですから、政策はその「中心」に向かって集中させていく必要があるでしょう。中央銀行の金庫の扉を開けさせるのは、単にムード作りの一手法に過ぎない事を、20世紀型の政治家(屋)は知るべきでしょう。あるべき手段とは、この国が、その国民が今後何を生業として生きていくべきかを指し示す事ですし、それは取りも直さず、少子高齢化社会のあるべき形の明示となるでしょう。その事は、例えばヨーロッパやC国など、この国と同様の悩みを抱えている国々の手本ともなるべき国のあり方です。その形の提案は、決して「対策」であってはならないでしょう。それは将来に向かっての「提言」である必要があります。

後ろ向きの対策と言えば、かつての公害問題に関わる施策を思い出してしまいます。甚大な公害被害を出してしまったこの国は、数々の公害「対策法」を作って有害物質の排出に対し「規制」の輪を絞りました。その結果、確かに公害問題は目に見えて縮小しましたが、決して皆無になった訳ではありません。低濃度ではありますが、規制値の範囲内であれば、未だに工場外に有害物質を排出する事は違法ではないからです。それはあの「水道水のホルムアルデヒド汚染」事件を見ても明らかです。真に公害を無くしたいと望むのであれば、有害な物質を決して使わない、出さない製造プロセスの確立を奨励すべきなのです。一方ヨーロッパには、確かにこの方向のプロトコルが存在します。それは例えばRohs指令でありReach規制である訳です。それは、この国の様に出てしまった害悪を後から規制するのではない、いわゆる「予防原則」と呼ばれる概念です。

経済に関しても、まったく同様の事が言えそうです。この国に「不景気になりにくい経済構造」を作り直さなければ、持続性のある景気浮揚にはつながらないのです。それは、ココロある人たちが主張するように内需拡大(=国民が絶対に必要なものは国内で作る)であり、輸出に関して言えば、海外では絶対に作れない技術の塊の様な製品だけを売るべきでしょう。どこにでも作れる製品をひたすら安く売り続けるならば、それは必ず経済摩擦を産み出す事が必定だからです。

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2013年1月 8日 (火)

1951 景気を良くするには?

現政権にとって景気の回復こそが「全て」の問題に優先する課題だそうです。投稿者はそうは思いませんが、半分ほどの有権者もそれを支持している様ですので、改めて「景気」とは何かを考えてみます。景気は「気」のものと言われる様に、景気とはきっと経済のムードなのでしょう。では、景気を良くするには、市場や縁日で見られる様に、場の雰囲気を盛り上げるセリ人やバイ人の「景気の良い」掛け声だけで十分なのでしょうか。その掛け声に相当するものを、演説会での殺し文句やマニフェストだとするなら、市場や縁日でモノを買おうとする確実な需要が必要です。

その意味で、20世紀型の景気刺激策(=公共事業と金融緩和)しか頭に無い政治家や、金利や為替を横目で見ての金勘定しか出来ない金融マン、あるいは数字の積み上げしか仕事のやり方を知らない行政マンには、逆立ちしても本当の意味での景気回復は出来ないと見ています。何故なら、彼らのいずれもが過去から現在までトレンドを読み、それを外挿した政策やアイデアしか発想出来ないと思うからです。従って、将来が過去の延長線上に無い場合、彼らのアイデアは、現在のすぐ先にしか効果が出ない筈なのです。だからこそ、死にそうな人を取り敢えず蘇生させる「カンフル政策」しか打ち出せないのです。

今度のリーダーの様に、単に「成長戦略」と言ってしまえば、それは単なる標語(キャッチフレイズ)に過ぎません。そうではなくて、先ず描くべきは「将来あるべき姿」の青写真なのです。青写真であるからには、単なる言葉ではなく、ある程度具体的である必要があります。それが姿が見える「写真」の意味なのです。この国が何を売って食っていくのか、その中で企業は何をビジネスとして生き残っていくのか、その中で人々はどの様な能力を培っていくべきか、兎に角具体的である必要があります。単に「新エネ産業の拡大」などと抽象的な言葉では十分ではありませんし、さらに抽象的に「エネルギーのベストミックス」などと言い放してならないでしょう。メーカーは、自分の会社の設備とあるべき社会の中で作るべきモノを照らして、具体的な設備更新がイメージできなければならないでしょうし、サービス業は何を売って、どの様なサービス提供すべきかやはり具体的にイメージできる必要があります。リーダー達は、自分達の能力の無さが露呈するのはやや恥ずかしいかも知れませんが、次善の策としては、ヨーロッパのいくつかの国を手本する事も止む無しでしょう。北ヨーロッパの社会には、確かにいくつかの良い手本が存在しますから、彼らのシステムの欠陥を修正しながら、この国独自のシステムに育てていけば良いのです。

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2013年1月 7日 (月)

1950 核家族税?

1946でやや言葉が足りなかったのは、子育て世代への支援策です。ロクな福祉政策など存在しなかった時代、子育て世代を支えたのは、実はその親の世代やコミュニティだったはずです。そのためには、少なくとも3世代(又は4世代)が同じ屋根の下に同居する必要がありました。子育て世代が、新たに土地を買い、家を建てるのは(あるいは家を買うのは)大変な負担であり、お金を稼ぎながら同時にミスの少ない子育てをやり通すのもやはり大きなパワーを要します。核家族の場合、全ての親世代にとって、子育ては「初めての経験」ですので、投稿者の反省を踏まえて考えてみても、多くの失敗を重ねてしまいます。現代の若者世代における多くの問題、例えば引きこもりや登校拒否や無気力やパラサイト気質などの全てがその失敗の結果だと言うつもりもありませんが、かなりの部分は核家族化の弊害である事は疑っています。

3世代同居家族の場合、ジイやバアは、どんな時でも子供にとっての駆け込み場所になってくれるでしょうし、孫の存在を100%肯定する存在だと断言できるからです。自分を肯定してくれる人が居て、どんな場合も応援してくれる存在が居る子供が、ねじ曲がって育つ確率は非常に低くなるでしょう。なぜなら、ジイバア世代は、すでに自分の子育てで失敗した多くの経験を持っていますから「より確からしい助言」も出来るはずだからです。失敗に学ぶ子育てが、再び失敗する確率が大きく下がるのは理の当然です。

経済的にも余裕を持っているはずのジイバアパワーが、自分の子供世代を支援する社会システムは、世代を跨いだ(ジイバアから孫への)知恵の伝承にも有効なはずで、この国のきめ細かなモノづくりのバックグラウンドは、実は3世代同居の賜物だった可能性は非常に高いと信じてもいます。

結局、(ふがいない)行政なんかに頼らない人口増加策は、再びの3世代同居社会への移行しか見当たらないと思うのです。国に考えて貰いたいのは、精々人々がそうせざるを得ない税制改正くらいです。この税制では、核家族が負担する税をウンと重くして、同居世代の税負担を軽くするだけで済みますので、新たな行政コストはまったく不要です。逆に、子育て支援や介護予算や学校問題などへの支出は大幅に減らす事が期待できます。

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2013年1月 6日 (日)

1949 循環の意味

一体誰がEnvironmentを環境と訳したか知りませんが、確かに名訳です。何より、環境の中には循環の「環」の字が入っているところが素晴らしいと思うのです。全ての形あるものは、たとえそれが巨大な岩山であっても、やがて風化し姿を消します。川は、その流れの道筋を絶えず変えながら蛇行し、反乱を繰り返してきました。しかし、環境は一方で再生もしてきました、地球内部の強大プルームのエネルギーを使って大陸を動かし、海の形を変え、時には噴火で山や湖を築き、今の地球(表面)の環境を作ってきました。

しかし、その上に棲んでいるいるあらゆる生物(正確には殆ど全ての生物)がその姿を再生するエネルギーは、唯一太陽光しかない訳です。勿論、火山の熱水などからエネルギーを貰っている原始生物は存在しますが、それらは進化の過程から取り残された例外に過ぎません。つまりは、生き物に限って言えば、状態を維持したり、進化していくためには絶え間なく太陽の表面から地球に降り注がれる太陽光(の流れ)が不可欠である事が分かります。私たち地球上の生き物は、太陽光が降り注ぎ、それが遠赤外線となって宇宙空間に流れ去る、エネルギーの落差だけを利用して進化してきた訳です。実際には、エネルギーは流れ去るのですが、生き物はDNAにより再生するので、地球環境は見かけ上、循環を繰り返している様にも見える、絶妙の「フローバランス現象」だとも言えるでしょう。

しかし、唯一「ヒト」だけがこの絶妙のエネルギーのフローバランスの中に、余分なエネルギー源(化石燃料や原子力)持ち込んでしまったのでした。さながらそれはパンドーラの箱を開けてしまい、多くの災いを放出してしまった神話にも似ています。今も続くエネルギー争奪戦争、大きな貧富の差、公害や温暖化などの異常気象、さらにはエネルギー発掘権を巡る国境問題、放射能漏れ事故などなどです。

それでどうした、と問われれば、その答えは単純ですが、「持続可能性を高めることとは、如何に太陽光の恵み「だけ」に頼る生活に近づけるかの問題だ」と言うしかありません。それが「真の」循環型社会の定義だからです。

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2013年1月 5日 (土)

1948 健院2

自動投稿からいつもの投稿に戻りました。1週間の帰省中はネットにつながらない暮らしでしたが、それはそれでノンビリしましたが・・・。さて、これは多分2回目のテーマです。ですが新年に当たって改めて考えてみます。「健院」は辞書には無いとは思いますが、言わずもがなですが「病院」の対句です。病院が病気になってから駆け込む場所であるのに対し、健院は病気にならないために通うところという定義になるでしょうか。病気になっていない人の健康を維持するコストは、間違いなく1桁か2桁は安く上がるでしょう。もしかすると、殆ど無視できるレベルかも知れません。それなのに、この国のリーダー達が口を揃えて「成長産業」を連呼する時、新エネ産業以外では、決まって出てくるのが、医療、介護、再生利用、新薬開発などなど「病院産業」ばかりですです。

一方で、保健と言う言葉がありますが、これまでの保健所の役割はやや後ろ向きだったと言うしかありません。関係者には申し訳ありませんが・・・。その証拠には、ニュースの中では、インフルエンザの予防接種とかノロウイルスによる食中毒とかの言葉と一緒にしか報道されない事ではありませんか。勿論、特に戦後「衛生」という言葉が日常語になった陰には、(初期は占領軍に指導されたと想像される)保健所の役割は大きかったとは思うのですが・・・。(我々の世代は、頭に占領軍支給のDDTを降り掛けられた経験を持ちます。)しかし、保健所が寝たきり老人やメタボ中年やメッキリ抵抗力が弱くなった子供達が増える傾向を積極的に食い止めたかと問われると、客観的にはNoと言うしかないと思うのです。

世の中のインフラや設備も同様なのですが、「機能」を持つ全てのモノや存在は劣化、老化します。機能不全に陥る(=寿命)までの時間を延ばすためには、一にも二にも「メンテナンス」しかないと思うのです。人のメンテナンスを行う場所こそが健院だと言い換えても良いでしょう。間違った使用法(=生活習慣)を正し、正しい作動状態(=運動習慣)を維持し、不足しがちな給油などの日常点検(=食生活)を補正し、そして小さな異常をごく初期に発見する「予防保全」こそが、健院の役割だと定義しておきます。そう考えれば、社会インフラや設備にも健院にも「予防保全ドクター」が必要な事が分かります。その任には、人に対しては、ベテランの医師やベテラン主婦+栄養管理士、リハビリトレーナー等、一方で社会インフラに対しては、暇を持て余しているはずのOB技術者が当たるのが適当だとの結論になりました。

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2013年1月 3日 (木)

1947 リストラからリストアへ

リストラとはモノや組織を造り替える事ですが、今後の社会ではできればお蔵入りにしたい言葉です。替わってここで提案したいのはリストア(Restore)という言葉です。もっと適正な言葉もありそうですが、ここでは語呂合わせで分かり易くしようと思って使っています。

さてリストアとは、元通りに戻す事を意味しますが、ここでは特にインフラ建設で増えすぎたモノどもに対して提言してみます。代表的なモノとしては、道路や橋やトンネル、種々のダム、港湾施設、地方空港、河川改修、公共施設という名の箱モノなどが挙げられます。考えてみれば、これらは全て鉄とコンクリートで出来ている、典型的な人工建造物だと言えます。最近は国もすっかり貧乏になり、M主党のコンクリートから人へというお題目もあって、かなりその増加率は抑え込まれてはいましたが、高度成長期以降一貫して増え続けてきた事は間違いないでしょう。一つの数字としては、その総額は900兆円にも上る様で、もはや天文学的数字と言うしかありません。勿論、その中には水道や下水道の様に、この時代には不可欠と言えるインフラも含まれますが…。

ここでの提案は、明らかにその維持やメンテナンスでお荷物になっているインフラは、完全に是非取り壊して、元通りの更地や元あった姿にひき戻しましょう、というものです。作り直すにしても、そのインフラの維持や、メンテナンスには人手もお金も掛かります。しかし、壊す費用は掛かるかも知れませんが、元通りにした後は費用は全く掛かりません。コンクリートの護岸を土手に戻し、削った里山は雑木林に戻す訳です。日に数台しか車が通らない、農免道路や林道は、減幅し砂利道に戻してしまいましょう。砂利を入れて工場を建てたものの、倒産して錆びた建屋だけ残っている場合には、砂利を運び出して空き地に戻しましょう。やる気のある人には農地として貸し出します。都市に近くて条件が良い場所では、野菜でも作ればそれなりにお金も生むでしょう。リストアを行う産業、その後に復活できる産業まで考えれば、それなりの新しい雇用も生まれる筈です。

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2013年1月 2日 (水)

1946 子供を増やそう

人口減少は国の活力を失わせる最大の原因と言っても過言ではありません。かつて、1年間ブラジルで暮らした事がありますが、休日にショッピングセンターにでも行こうものなら、見かける客のほぼ100%は、若者か小さな子供を連れたカップルでした。聞けば、ブラジルの人口構成は完全なピラミッド型との事。年寄りは、60歳前後に心臓病か脳血管の病気で早々とお隠れになってしまうのだそうです。そのため、多くの人は30年間務めると(年齢は50歳前半くらいです)サッサと定年退職し、年金で海辺の別荘でも買って、短い忙しくも老後?を楽しむのです。しかし、間違いなくあの国には若い世代から湧き上がるムンムンとする様な活力が感じられました。仕事があろうが無かろうが、彼らの表情は明るく、サンバを踊るかサッカー観戦をしさえすれば悩みなど完全に吹き飛ぶ様でした。

振り返ってこの国の状況はどうでしょう。生活保護世帯の増加、寝たりきり老人の増加、アルツハイマー患者の増加、殆どの人は贅沢病かガンでしか死ななくなってしまいました。医療費と介護費と、生活保護費が国の財政を圧迫し、無い袖を無理に振り続けた結果、普通の社会では完全な破産状態になっているであろうレベルまでに国の借金が膨らんでしまいました。貸しているのは幸いにも今のところは国民自身ですが、今後国は海外にも借金を申し込もうとしている様です。

そうではなくて、今為すべきはあらゆる手を尽くして子供を増やす事に、国民を挙げて取り組むべきなのです。効果は、10年後か20年後にしか確認できないでしょうが、少なくとも子供の増えた社会には活力が戻るでしょう。親は子供のためには、かなりの労苦にも耐える事が出来る存在だからです。独身の若者(+かなりの独身中年)だらけの今の社会は、そのまま行けばやがて、寝たきりの超高齢の親を抱え「夢の無い孤独老人だらけの社会」に移行するだけです。景気対策(≒国債発行と無駄な公共事業)の前にまず為すべきは、同じお金を使って子どもの数を増やす政策を打つことでしょう。多分、使うお金は半分か1/3でも十分な効果と同時に雇用も産み出すでしょう。寝たりきり老人の介護より、子供のナーサリングや教育産業の方がどれほど前向きで生産的でしょう。申し訳ありませんが、高齢者には痛くても可能な限り我慢をしてもらい、痛みが無い時にはしっかり筋トレを行っていただいて、寝たきりにならない努力をお願いするしかありませんが…。

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2013年1月 1日 (火)

1945 仕事を増やそう

 

1944で書いた様に、新年からは、現状の総括(反省)はそこそこに留めて、できる限り前向きの提案を増やすことを心掛けます。あけましておめでとうございます。

 

今年最初の提案です。政治家にも企業家にも私たち自身にも、共通する提案となります。さて、先の選挙戦ではどうやら「経済=景気」対策ばかりが声高に叫ばれた様な気がします。しかし、景気対策の前に考えるべき事がありそうです。それは、「全ての人に仕事を」という一言に集約されそうです。人を腐らせるのは簡単です。仕事を取り上げるだけで済むのです。若い頃目撃した忘れられない情景ですが、会社がオイルショックの煽りを受けた不景気で、造船の仕事が極端に細った時期に、会社は作業者から仕事を取り上げ、日がな一日ホウキを持たせて掃除をさせていたことがありました。職人から仕事を取り上げると言うことは、会社を辞めよと言う最強のメッセージになり得る事をその時学びました。実際にもその状況に耐えらず、船を作る仕事が好きだった多くの仲間が辞めて行ったからです。

 

その意味で新卒の学生にあまねく仕事が行き渡らない社会は、間違いなく活性を失うでしょう。仕事量が十分に無いのであれば、取り敢えずはそれを分け合う(ワークシェアリング)しかないでしょう。確かに2人分の仕事を3人で分け合えば、給料は2/3になりますが、9人分の仕事を10人で分け合う場合であれば1割減で済みます。空いた時間で、必死になって新しいビジネスを考えれば、この国にもエレクトロニクスや自動車産業以外の新たなアイデアも浮かぶと思うのです。長いサラリーマン生活で硬くなった頭ではなく、何でもありの若い頭脳を持ち寄れば、凄いアイデアが生まれても不思議ではありません。固くなった頭でからは、経費節減や後ろ向きのリストラや工場を人件費が安い海外へ飛ばすくらいのアイデアしか浮かんでこないでしょう。

 

例えばこの国は、20兆円以上もの一次エネルギーを輸入し、5兆円以上の農産物を買っている訳です。この一部を自給する産業は、コストを取り敢えず度外視すれば十分可能でしょう。しかし、既にこの国の産業の鎧であった関税は、輸出産業からの圧力ですっかり脱がされ?、さらにFTAやTPPで完全に丸裸にされそうになっています。そうではなくて、消費者の意識だけでもBuy Japaneseの流れを作りながら、改めて国内産業を創り出さなくてはならないのです。1兆円の輸入外貨を稼ぐためには、多分その数十倍の製品を輸出しなければならない訳で、1兆円の産業を作り出すだけで、数十兆円分の「無理な生産と輸出」を止めても良い勘定になります。その比率を投稿者の言葉で「輸出入のレバレージ」と呼んでいます。

 

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