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2013年4月25日 (木)

2056 子供じみた人々

 

なにやら、この季節と夏に、ある神社に注目が集まるようです。閣僚が何人参拝したとか、議員が何人行ったとか、次元の低い話に毎回ウンザリします。戦争で犠牲になったのは、この国のためにと死んでいった兵士だけではないでしょう。同じくらいの数の庶民だって、空爆や栄養失調で亡くなり、その何倍もの数の人々が旧植民地や戦場となった国々でも亡くなったはずです。だったら、あの人たちは、それらの人たちが埋葬されている場所にも、等しく参拝しなければならないでしょう。戦争犠牲者を同時代で知っている訳でもない、戦後生まれの二世三世議員たちが、「皆で参れば怖くない式」で神社に出かける姿は、子供じみていると言うか、この国の庶民が見てもチャンチャラおかしいと言うか、むしろ不快な姿と言うしかありません。

 

自分が親になった時、「自分がされて嫌な事は、他人にもするな」などと、子供に説教をたれた人も結構多いと想像しています。彼の国々の人たちが不快だと言っている事ならば、少なくともそれを逆なでする行動はやらないに越した事はないでしょう。そんなに、戦争犠牲者を悼みたいのであれば、戦場となって膨大な数の犠牲者を出した、彼の国々の庶民の埋葬地にも参るべきなのです。

 

それに加えて、神社とはそのそも「八百万の神々」を祀っている場所のはずで、戦争犠牲者とはいえ、人間なんぞをまとめて合祀する場所などでは決してないのです。マスコミも含めて、誰も「彼ら」をタシナメないのは、この国の、とりわけ外交上のバランス感覚の欠如というしかない、悲しむべき現実です。バランス感覚に欠け、従って他人を思いやる事が出来ず、自分がやりたい事をやる人を、日本語では「子供」と呼びます。有力すべきは政党の右傾化ではなく、あの人たちの幼児化傾向かもしれません。

 

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