« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »

2013年4月27日 (土)

2058 竹力

竹を粉砕する機械のデモに立ち会いました。以前自分でも使った事がある九州のメーカーのガソリンエンジン駆動の機械を、地元の業者に紹介するのが目的です。テストとして粉砕した材料は太い孟宗竹です。太いものは直径10㎝ほどもありましたが、サクサクと数ミリの粉になりました。生竹の粉は、手に取るとフワフワとして暖かく、その用途のアイデアが膨らみました。

先ずは、これを家畜の敷料に使いたいと思いました。粗い竹のチップだと少しチクチクして、神経質な乳牛は嫌がるかもしれませんが、木挽き粉くらいフワフワの粉であれば牛も喜んでくれそうな気がします。竹の成分には殺菌、消臭機能もあるので、畜舎の臭いも改善されでしょう。

以前に投稿者自身試したのは、竹で作るペレットです。原料の水分をしっかり飛ばせば、燃料としては十分使えますがやや、灰が多いのが難点でした。燃え尽きた後も、固いしっかりした燠として残るので、暖房用としては期待以上の熱量が得られた様な気がします。

生竹の粉砕物は肥料としても有望です。竹の幹?の構造は、細い導管の束で出来ているので、粉砕したものは微生物が棲みつき易く、リグニンが少ないので、短期間のうちに分解されます。米ぬかなど、竹の成分を補完する材料と併せて醗酵させれば、理想的な堆肥になる筈です。実際、その様な試みも行われていて、結果も出ている様です。この他にも、竹にはいくつかの効用があると言われていて、更なる用途開発が待たれるところです。

竹は、かつて材(竹竿や竹垣など)として、あるいは春先には竹の子を採るために植えられ、増やされましたが、ある時期以降完全に放置される様になって、地下茎で毎年数メートルも横に伸びる竹は、里山を占領するまでに蔓延ってしまいました。上で紹介した移動式の粉砕機が1台あれば、現場で粉砕して軽トラで竹粉だけ持ち帰れますから、竹林の整理もグンと進むでしょう。何より、無心に竹を粉砕する作業は楽しいので、参加する人も結構喜ぶと思うのです。

さて、連休を利用して自宅に帰省するので、このブログへの投稿はしばらく休みます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月26日 (金)

2057 ブラックボックス化

何やら、バッテリー事故を起こしたあの旅客機が、有耶無耶のうちに、再度飛行を再開する様です。原因追究が一体どうなったのか、まだ発表はありませんから、原発の事故後の再稼働同様、経済優先の「見切り発車」と言うしかありません。同じLiイオンバッテリーと呼びながら、車と航空機では、実は電池へ掛かり負荷のシビアリティには大きな差があります。それは、一言で言えばリダンダンシィの大きさだと言えるでしょう。システムの定常状態での最大負荷を100%とすると、車だと重量の制限が緩いので、例えば設計値を200%程度に取り、プラス100%の余裕を待たせても、それがコスト的に許されるならあまり大きな問題にはならないでしょう。

しかし、それは航空機、とりわけ旅客機においてはそれは「重量的に許されない」話なのです。何故なら、旅客機の採算性は、同じサイズ・重量であれば一人でも多くの旅客を乗せる事が出来る機体が航空会社に採用されるチャンスが大きくなるからです。一人の平均体重を60㎏とすれば、バッテリーの安全性を高めるために余裕を持たせ、例えば余分に120㎏の重量増加になれば、二人分の旅客を諦めなければならなくなるでしょう。これは、メーカーにとっても航空会社にとっても耐えられない「不経済」なのです。従って、旅客機の設計者に許される「安全率」は、200%ではなく例えば120%程度に留まる場合もあり得る訳です。

もう一つの問題は、特に新しく開発された機体程、先端技術が詰め込まれているため、メーカーが「機能」だけを保証し、中身を「ブラックボックス化」する傾向があることです。特にそれが軍事に関連するものであれば、使用者が絶対分解できない様にシールすらされています。その意味で、今回のバッテリーも旅客機搭載は最初のケースであった事、操縦系統を油圧から電動に大幅に移行させた事を見ても、多くのブラックボックスが集まったシステムである事が想像できます。同じ様な状況(ブラックボックス化)は、原発の制御システムでもそうでしょうし、身近なところでも、最近の車はオーナーが弄る事など全く出来なくなっている事でも加速している事が分かります。インプットとアウトプットだけは分かっているが、中身が見えないシステム箱の中には、まさに「黒い闇」が入っている様に感じられます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月25日 (木)

2056 子供じみた人々

 

なにやら、この季節と夏に、ある神社に注目が集まるようです。閣僚が何人参拝したとか、議員が何人行ったとか、次元の低い話に毎回ウンザリします。戦争で犠牲になったのは、この国のためにと死んでいった兵士だけではないでしょう。同じくらいの数の庶民だって、空爆や栄養失調で亡くなり、その何倍もの数の人々が旧植民地や戦場となった国々でも亡くなったはずです。だったら、あの人たちは、それらの人たちが埋葬されている場所にも、等しく参拝しなければならないでしょう。戦争犠牲者を同時代で知っている訳でもない、戦後生まれの二世三世議員たちが、「皆で参れば怖くない式」で神社に出かける姿は、子供じみていると言うか、この国の庶民が見てもチャンチャラおかしいと言うか、むしろ不快な姿と言うしかありません。

 

自分が親になった時、「自分がされて嫌な事は、他人にもするな」などと、子供に説教をたれた人も結構多いと想像しています。彼の国々の人たちが不快だと言っている事ならば、少なくともそれを逆なでする行動はやらないに越した事はないでしょう。そんなに、戦争犠牲者を悼みたいのであれば、戦場となって膨大な数の犠牲者を出した、彼の国々の庶民の埋葬地にも参るべきなのです。

 

それに加えて、神社とはそのそも「八百万の神々」を祀っている場所のはずで、戦争犠牲者とはいえ、人間なんぞをまとめて合祀する場所などでは決してないのです。マスコミも含めて、誰も「彼ら」をタシナメないのは、この国の、とりわけ外交上のバランス感覚の欠如というしかない、悲しむべき現実です。バランス感覚に欠け、従って他人を思いやる事が出来ず、自分がやりたい事をやる人を、日本語では「子供」と呼びます。有力すべきは政党の右傾化ではなく、あの人たちの幼児化傾向かもしれません。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月24日 (水)

2055 需給のミスマッチ2

説明無しにギャップとミスマッチという似たような言葉を並べたので、2054の続きを書きます。需給のギャップですが、ここでは需要と供給の大きさに差がある状態を「ギャップ」としました。モノが足りない、モノが余ると言った状況です。一方、供給するモノと、消費者が欲しいモノのカテゴリーに違いがある場合を「ミスマッチ」としました。要は両者に質の差があるケースです。20世紀は「量の時代」でもありましたから、あの時代の需給問題とは、専らギャップの問題だったと言えそうです。

一方、この世紀に入って、かなり趣が変わってきた様な気がします。何かピントがずれているのです。メーカーが作るモノと消費者が欲しいモノとの食い違い、つまりはミスマッチが目立ってきたのです。というより、量はもうたくさんで「何か別のモノ」が欲しい、と人々はボンヤリ感じ始めている様にも見えます。実は彼ら自身もそれが何かは、はっきりとは認識出来ていないフシもあります。多分それは「モノではない」のがその理由なのかも知れません。しかしそれがかえって現代人の悩みを深くします。

ミスマッチとは、ここでは「質の違い」を指しますので、既に市場にあるモノと、いまだ市場に存在しないモノ(あるいは形の無いもの)の食い違いは、まだ誰も言い当てていないとも言えます。もしかすると、少数の賢者は大分以前にそれとなく言及していたのかもしれませんが、悲しいかな凡人にはそれが聞こえなかっただけかもしれません。何やら抽象的な話になってきましたが、例えば家電業界を想像してみます。例えば、信じられない程多くの機能を詰め込んだオーブンレンジの様な多機能調理器具ですが、それを使って昔ながらのポンと飛び出すトースターで焼いた食パンの焼け具合に勝るかと言われれば、そうではないと言うしかないでしょう。では、車はどうでしょう。いま借金しても乗りたいと思うクルマがどれほど見つかるでしょう。店頭には平均点の省エネ車が並んでいるだけです。店頭に並べれば飛ぶように売れたあの時代を知るセールスマンは、現状をどの様な目で眺めているのでしょう。多分ですが、いま消費者が欲しいのは豪華な設備を備えた高級車ではなく、高価ではないが、細部まで自分の好みに合った、世界で1台だけの車なのかもしれません。つまりは究極のセミオーダー車の様な気がします。だとすれば、作る側もそれを可能にするモノづくりの方法を考え出すしかないのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月23日 (火)

2054 需給のミスマッチ

需要と供給は一定の振れ幅で、均衡している事が理想です。もしそうなっていない場合は、市場での取引価格が乱高下し、同時に市場在庫も大きく変動する事になるでしょう。これが需給ギャップで、いわゆる景気循環論などは需給相互の変化を過去の事例からそのサイクルに「法則の様なもの」を見出そうとした結果生まれたものでしょう。しかし、これらの理論っぽいものも、国全体、あるいは世界全体の経済規模が右肩上がりの状況でこそ当てはまったものであった、という但し書き付きで飲み込む必要はあるでしょう。

しかし、今起こっている事は需給ギャップではなく、需給のミスマッチではないかと見ています。これまでの押し込み生産システムでは、メーカー側が勝手に売れそうな商品を作り、それを市場に押し込みながら、マスコミに露出しながら認知度を上げて、シェア拡大を進めていけば、それなりのビジネスが成り立った時代でもありました。柳の下の二匹目、三匹目のドジョウを狙ったとしても、市場の拡大局面では、誤魔化しも利いた筈なのです。しかし、欲しいものがあまりなく、しかし目の肥えた消費者に、更に商品を押し込むには無理が伴います。仕方がないので、これまでは市場を海外に求めて凌いできた訳ですが、家電業界の落ち込みに見られる様に、その手も行き詰まってしまいました。これから成功しそうな商品は、結構厳しい「ニッチ=隙間」にドンぴしゃハマったものに限られるでしょう。

別の手段としては、逆に徹底的に(あるいはある程度)顧客のニーズに寄り添う「オーダーメイド(又はセミオーダー)システム」しか残っていないのかも知れません。このシステムでは、原料在庫は別にして、製品在庫は持たないので、メーカーとしてのリスクは低くなります。問題は、工場(設備)や作業者が遊ばない様に、継続的な受注を受ける工夫ですが、ネット社会となった現在では、そんなに難しくはなさそうな課題ではあります。つまり、需給のミスマッチを無くす(減らす)仕組み自体が、今後は重要なビジネスになり得る筈です。その意味では、AマゾンやR天のネット販売システムにもまだまだ改善の余地は残っているはずだ、と言っておきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月22日 (月)

2053 4月の雪と極東寒気団

ここ秋田では、里は雨でしたが、少し山側に行けば雪模様の日が何日か続きました。季節外れの寒波が居座ったためです。日中の最高気温も5℃程度と二月並みでした。最近、フィンランドとロシアの間のバレンツ海の冬の結氷と夏場の融解状態が、極東の冬の寒さに影響を与えている事が分かってきました。その様子を良く示すのが北極から見た偏西風の蛇行図です。極を取り囲んで反時計回りに吹く「寒帯偏西風」いわゆるジェット気流は、時速100㎞以上で吹く北極気団の縁を回る強い西風の事です。この風は、何故か殆ど円形で流れる事もあれば、三つ葉や四葉のクローバの様に極端に蛇行する場合も観測されます。

蛇行の理由は、多分海と陸地の地形の変化ですが、蛇行が生まれたり消えたりする明確な理由にはいくつかの説があり確定していません。その一つが、北極海の浮氷の消長だと言われています。北極点に対して、ほぼ同心円状に浮氷が分布していれば、偏西風の蛇行も少ないのでしょうが、バレンツ海の様な部分的な浮氷の消失は、偏西風を妨げる上昇気流の発生の原因となり、流れを捻じ曲げるでしょう。部分的な蛇行は、結果としてかなり下流での別の蛇行を引き起こし、蛇行が増大する事につながると言う順番になります。その蛇行が南下する場所がウラジオから日本上空の極東に当たる様なのです。

さて、そうだとすれば、今後バレンツ海の冬場の結氷は、温暖化に伴ってますます薄くなるでしょうから、この傾向は今度固定してしまう可能性が高くなりそうです。その様な目で、偏西風の蛇行図を日を追って観察すると、日本付近の上空の南下は、北海道と同じ緯度にある北ヨーロッパや北米の五大湖付近より、かなり大きく南下し続けていることが分かります。これは、どうやら上の推測が実際の(気象ではなく)気候の変化として固定しそうな事を裏付けている様です。さて今年は、何月頃まで「極東寒気団」が居座るか、じっくり見守る事にしましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月21日 (日)

2052 バイオガス発電の課題

三陸K市で計画中のバイオマスのガス化発電所計画について、元技術屋として「気になる点=リスク」についてまとめてみます。発電設備の詳細を聞いた訳ではないので「ガス化発電」というKWからの想像での感想と言うことになります。

さて、先ず原動機がガスエンジン(レシプロ)であるにせよ、ガスタービンであるにせよ、一番の問題点は回転数の安定だと言えます。そこが、バイオマスの発電利用への最大のポイントだと言っても良いでしょう。つまり、発電機は60Hz(又は50Hz)に対応した然るべき回転数(一般的には周波数の整数倍)で安定的に回転させる事が出来なければ、系統連携はおぼつきません。そのためには、先ず燃料の性状の安定と、回転数を安定させるための仕掛け(ガバナーと呼ばれます)の良し悪しで勝負が決まります。ガス化ではなく蒸気タービンを選択した場合は、効率は下がりますがボイラという蓄圧器があるので、上記の持つ(内部)エネルギーが安定化していると言うメリットを内在しているのです。しかし、バイオマスを乾留したガスの熱量が安定しているとはあまり想像できません。

問題は、そのガス化炉です。原料は木材チップですが、そのチップこそが条件を揃えるには非常に苦労する元凶になる訳です。先ずは水分のバラつきがあります。屋外に積まれた原料を破砕しても、材種ごと季節ごと日ごとにチップ中の水分率は異なるでしょう、また燃料としては質が落ちる樹皮(バーク)がどれほどの割合で含まれるか、によってもガスの持つ熱量は大きく(例えば数倍)は異なります。ヨーロッパで成功している事例を眺めてみると、多くが性状の安定しているホワイトチップ(針葉樹で樹皮を含まないチップ)を使っている様なのです。メーカー側は所定のプラント性能が出ない場合、設備側の瑕疵ではなく、燃料の質が悪いと主張する事もありがちなのです。

もう一つの問題点はガス化発電設備は、立派な「化学プラント」であると言う点です。プラントの性能を維持するには、そのプラントを良く知る技術者が深く関わる必要があるでしょう。単なるオペレータでは用が足りないのです。つまり、例えばプラントがタールやその他の不純物で汚れた場合、プラントパラメータのバランスが崩れ、出力が低下するばかりではなく、時には危険な状況さえ出現する事にもなり兼ねません。その意味で、いきなり数百キロワットレベルのプラントを作るのではなく、先ずは数十kwレベルの小型プラントで、運転パラメータを固めてから、スケールアップを図るなどステップを踏んだアプローチが欠かせないのです。彼のK市のプラントは800kwレベルで、集まってくる木材も何種類もの材種が混合している様なので、上記のリスクを頭において計画を進める必要がありそうです。プラントが動き出してすぐに受け取るのではく、半年か1年位(つまりは季節変動を織り込んでの安定性の確認期間)はメーカーの技術者を張りつけるなど、慎重な契約条件も必須でしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月20日 (土)

2051 現代のゴジラ

子供の頃観たゴジラ映画のストーリーは殆ど忘れてしまいましたが、南洋のトカゲだったかイグアナだったかが、ビキニ環礁での水爆実験でまき散らされた放射能により、突然変異を起こして巨大化したのが話の発端だと記憶しています。しかし、実はこれは荒唐無稽の「作り話」ではありませんでした。巨大化こそ起こさなかった訳ですが、基本的には人の役に立つように飼いならされた「巨像」が、ある日の午後に起きた大地震と引き続いて起こった大津波によって、突然狂暴化してしまったのでした。しかも数頭が同時にです。それらの巨像が暮らしていた場所は「福一動物園」と呼ばれていました。

同様な動物園は、東京や大阪など大都市圏を除いて日本各地に散在していました。大都市圏に動物園を作らなかった理由は、巨像を飼いならした人たちも「一抹の不安」があったからに他なりません。つまり、しっかり飼いならしたつもりでも、ゾウ使いのミスかあるいは大地震の様な天変地異に驚いた像が暴れ出す事を懸念したからに違いありません。そのため、なるべく人口密度の低い、海辺の町や村に動物園が置かれる事になったわけです。

さてこれらの狂った巨像は、「現代のゴジラ」だとは言えないでしょうか。放射能で狂い、人智では最早コントロールできなくなった怪物は、あのゴジラと何ら変わるところは無いでしょう。私たちの出来る事は限られています。それは、ささやかに水を掛けなながら、ゴジラの怒りが静まるのを待ち続ける事だけなのです。余りにも破壊力や飛散する放射能が強力過ぎて、地球上の如何なる標的に対しても使えない筈の爆弾=水爆を開発した人間たちも愚かだったのですが、巨像は常に温和でありゴジラになどなる筈がない、との幻想を抱いた科学者や技術者たちや、それを信じてしまった私たちも、同じ程度に愚かだったと言うしかありません。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年4月19日 (金)

2050 成長=寿命短縮

「成長」という言葉は、前向きで、何か明るい未来を感じさせる言葉の様に受けとめられがちです。しかい、ややハスに構えてこの言葉を眺めると別の視点が見えてきそうです。人の一生で考えてみれば良く分かる筈です。つまり、毎年訪れる誕生日とは、残りの寿命が一つ減る日でもある訳です。江戸時代の人は、まさにこのことを川柳に読んでもいました。毎年の「歳取りの日=正月」は、実は地獄(あの世)への一里塚だと詠んだ訳です。

さて、その経済成長へのアナロジーです。もし現在の経済や社会システムに寿命があると仮定すれば、経済成長などに血道を上げる事は、将来世代の幸福を考えるなら間違いだと言うことになります。何故なら、将来世代に残すべき成長の機会を奪ってしまうからです。今の経済学者が今の文明の寿命を見極めているかどうかは定かではありませんが、所詮マクロ経済学者などにそれが出来るとは思えません。何故なら、マクロ経済学とは過去に起こってしまった経済活動やその現象を体系化したものに過ぎないからです。

ざっと考えてみても、今の文明は「化石燃料文明」と言っても間違いではなさそうです。石炭や石油や天然ガスを巡って多くの戦争が勃発し、それが軍備の微妙なバランスの上にどうにか収まると、戦後の石油のがぶ飲み文明が花開いたのでした。今が「化石燃料文明」である限りにおいては、化石燃料の埋蔵量の尽きる時が、今の文明の寿命である事は、賢い未来学者でなくても言い当てられるでしょう。投稿者が、景気回復や経済成長を進める学者や政治家の言動に懐疑的な所以です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月18日 (木)

2049 金融で食う

現代の経済を考える上で「金融」というKWは欠かせない様です。しかし、金融だけでモノが作れる訳ではないでしょう。元々金融業(金貸し業)は、基本的には元手の少ない起業家のための仕組みでした。しかし、今やそれを動かす人達が、社会のキーマンになってしまった感があります。金融で物価をコントロールし、それが為替を動かし、結果として株価も上げ下げしてしまう時代なのです。事態はそこに留まらず、金融をいじっている人たちが、実は大金持ちだったりする訳です。お金を右から左に動かすだけで、何故お金が生まれてくるのか、貧乏人には想像の世界ですが、金融業界の利益は単なる手数料収入ではないでしょう。多分金利の差や為替変動などをテコに、利ザヤで荒稼ぎする手法だと想像しています。

短期の小さな利ザヤで大きく儲けると言う課題には、金融マンは巨額の資金を動かす事で挑むのでしょう。世界中を、24時間天文学的額のコンピュータマネーが、ネット上を動き回る事によって、世界の隅の些細な出来事のさざ波が、結果としては大きな波になる場合も多いでしょう。それは、さながらお金によるドミノ倒しとも言えそうです。

金融業界にお金が集まるのは、庶民がお金を預けるからである事は、投稿者の様な素人が考えてもすぐ分かります。現在のシステムでは私たちは、ささやかなお金を銀行や保険屋や郵便会社に預け、それらの「機関投資家」がまとめた巨額の資金、を金融システムの中で転がす訳です。また、私たちは莫大な量のエネルギーを消費し、多額のオイルマネーを中東の王族に支払ってもいる筈です。彼らは、やはりその莫大なお金を金融システムで運用する事になります。つまり、私たちは知らないうちに、金融業の片棒を(もしかすると金融神輿の担ぎ棒を)しっかり担いで、日々暮らしている事になりそうです。

さて、今後です。もし、お金を短い時間で、しかも地域で回す事を考えれば、少ない量のお金が元気よく循環する事になり、金融業界がそれを牛耳る機会はグンと減る筈です。取り敢えずは現金を減らして、地域マネーや物々交換で動く地域経済が増えれば、私たちの棒を担ぐ負荷はグンと減ると思うのです。中央に金が集まり、地方が疲弊する今の仕組みは、絶対に改めなければならないのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月17日 (水)

2048 ネガワット産業

メガワットクラスの太陽光発電(メガソーラ)を検討する前に、やるべきは「ネガワット」活動でしょう。これはA・ロビンスが言いだした言葉の様ですが、言いだしっぺが誰かはさておき、このブログでも同様の事を、それこそ指にタコが出来るほどの回数書いてきました。つまり、原発や火力発電に替わる(代替エネルギー)を何で賄うかの議論の前に、先ずは今何気なく使っているエネルギーを、どのレベルまで下げ得るかに最大限の努力を傾けるべきなのです。ここで再度念押しをせざるを得ません。

この国の全電力会社が持っている発電能力は、大雑把にいえば、標準的な原発で換算して200個をかなり超えるレベルだと言えます。実際に稼働していた原発は50基余りでしたから、総発電量の1/4程度を原発で賄っていたと言えます。という事は、25%程度の省エネ=ネガワットで、基本的には原発ゼロで、なおかつ現有発電設備で、デマンドを賄える可能性を示唆します。さて、その具体的な可能性ですが、投稿者としてはその実現性は十分に高いとみています。

先ず産業用ですが、現在のままの工程での省エネ対策では、精々10%削減が良い数字でしょう。しかし、製品やサービスへ「付加価値」を付けているエネルギーとそうでないものを峻別する事により、更に20%程度の省エネが可能である事は、投稿者のこれまでの省エネ指導でほぼ実証しています。もちろんこれを実現するためには、工程を熟知した者が、しっかりと知恵を働かせる必要はあります。しかし、事実として前のオイルショックが起こった際、それに続く10年間で、エネルギー効率は確実に30%以上向上した先人の実績を確認すべきでしょう。

一方民生用ですが、典型的な事務所ビル等においては、冷暖房に係るエネルギーが1/3、事務機器やOAなどのコンセント電力が1/3、残り1/3が照明負荷といった割合になります。これがショッピングセンターやスーパーなどでは、OA関係が減り、20%以下に留まります。しかし、この国の建物の断熱性の悪さは目が当てられない状況である事は、何度でも指摘していく必要があります。これを、北ヨーロッパ並みに改善すれば、冷暖房に係る負荷を現状の1/2程度には低減できる筈です。これだけで、20%程度の省エネが可能となりますから、高効率の照明器具を少しずつ増やしていけば、25%の省エネも見えてくるでしょう。これを実現するためには、いわゆる断熱材産業や省エネリフォーム産業の拡大も必要となりますから、製造業の出る幕はむしろ大きくなる筈です。20兆円以上にも上るエネルギー輸入額を考えれば、ネガワット産業の規模は、数兆円に拡大しても不思議はありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月16日 (火)

2047 デカップリング

デカップリングは金融用語の様ですが、ここでは一般化してこの言葉を考えてみます。さてカップリングとは、ある事象と別の事象が、強い相関関係を持っているために、それらが相互に干渉し合って変化する事です。一蓮托生などという熟語がこれを良く説明してくれるでしょう。一方、デカップリングとは二つ(又はそれ以上)の事象を、切り離して考えてみようと言う態度を指します。経済用語では、農業政策と、休耕・転作補償金は、一体として議論されますが、例えばこの国の農業を考えるに当たって、農家の生活安定化を切り離して考えるとする時にこの言葉を使います。

少し掘り下げて考えるてみると、この問題では国の農業政策と、この分野の職業の人たち(=農家) を、お金(所得)という要素でカップリングしている事が分かります。本来国の農業政策(例えば食糧自給率の向上)と、後継者が減った=農業が若者を引き付けなくなった事は、別次元の課題だと思うのです。同様に、エネルギー政策とFIT制度は、「電力(料金)」という要素で強くカップリングされているので、再生可能エネルギーへの転換を推し進めるに当たって、採算性や投資回収期間などと言う「経済用語」が前面に出て、壁を作る事になるのです。

そこで、デカップリングの出番です。国のエネルギー政策、つまりは将来世代へのエネルギー政策の引き継ぎに関して言えば、先ずはその理想形の議論があるべきなのです。原発はどうあるべきか(もちろんゼロが前提です)、化石燃料のフェイドアウトと、代替する再生可能エネルギーのフェイドインのタイミングとその時々のバランス、あるいはエネルギーと絡んだライフスタイルの見直しなど、青写真を描いて見せなければ議論は一歩の前に進みません。この国の経済が停滞しているのは、まったく別次元の問題なのです。デフレ克服とか内需拡大とか、産業の構造改革などの議論は、何も最近俎上された言葉ではないでしょう。椅子取りゲームに夢中になって、それらを先延ばししてきたこの国リーダー達のツケを、今度のリーダーが仕方がなく3つまとめてカップリングしてしまっただけなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月15日 (月)

2046 人口ヒステリシス

2043の続きです。現代の社会システムの後戻りを考える時、最も難しいのが多分人口の偏在問題でしょう。20世紀後半の、この国の、産業構造の劇的な変化、つまりは第1次産業から、第2次産業への大幅なシフトと、その結果として3次産業人口の急拡大により、マグネットに吸い寄せられる鉄粉の様に、地方の人口が都市に吸い寄せられてしまったからです。確かに、そのマグネットが持っていた磁力は、産業の空洞化などで弱くはなりましたが、人口動態にも当てはまる「慣性の法則」により、地方へのUターンの流れは生まれませんでした。

今後何らかの人口Uターンのための誘導政策を打ったとしても、先ごろの人口動態予測の様に、投稿者が敢えてUターンした、ここ秋田県の人口は、30年も経たないうちに30%以上減少してしまうと言う「統計の予言」を受け入れるしかない訳です。ここでも、私たちはヒステリシスループの呪縛から逃れられない様なのです。つまり、都市の人口は、ある時期自乗カーブに乗って増加しましたが、これを逆転させる強力な政策を打っても、それがUターンに転ずるスピードは、非常にゆっくりとしか進まなし、その割合も小さい可能性が大なのです。

それは、都市の持つ「内部エネルギー」で説明できるかも知れません。都市の持つ人を引き付けるエネルギーは元々大きなものがあります。というよりそういう場所を都市と呼ぶのかもしれません。人やモノが集まり、便利で、「文化的」で、就職の機会が多く、いわゆるお金も手に入ります。しかし、そのエネルギーの大きさも、お金を物差しに使う限りにおいて、という条件を付さない訳にはいきません。生活が不安定でお金もあまり儲からない、全てのモノが高い、ゴミゴミしている、災害に弱いなど、人付き合いが苦手で疲れる、など別の基準を持ち込むと、途端に田舎の株が急上昇するでしょう。どの様な道筋で考えてみても、全てのモノを外から運び込まなければ、一日として日々の営みが出来ない都市と、贅沢さえしなければ、必要なモノが地域内で手に入る田舎では、混沌の時代において後者が有利である事は自明です。何時Uターンすれば良いかと問われれば「今でしょ」というしかありません。都市の内部エネルギーは今後急速に萎むと予測しておきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月14日 (日)

2045 電気の色

企業などの省エネ指導の時、投稿者は「エネルギーの色分け」を提唱してきました。つまり、誰も居ないトイレで点いている電灯は、何の役も立っていないので「赤エネルギー」、一方製造ラインで材料を加工し製品にしている機械の動力は「青エネ」、工場内の物流とか換気とか掃除機などの動力は良く分析しないと赤青の判定が難しいので、取り敢えずは「黄エネ」に分類して貰いました。赤:青:黄の割合は、一般的な製造業では、136程度になる事が分かっているので、それなりの省エネは取り敢えず赤エネを叩き、本格的な省エネに取り組みたい企業には、黄エネを徹底的に分析させました。これを半減できれば、全体では3割の省エネも視野に入ってくるからです。

しかし、喜多方の酒造会社の当主がラジオで、「電力の色」と言っていたのを聞いて目から鱗が落ちました。聞きかじりなので、少し違っているかもしれませんので投稿者が定義し直してみます。例えば、水力発電で起こした電力の色は「水色」でしょうし、風力発電で起こしたものはきっと「青空の色(空色)」でしょう。バイオマスで発電したものは多分木材の色か葉っぱの「緑色」でしょうし、地熱発電で起こした電力は、水蒸気の「白色」かもしれません。太陽光発電で起こした電力は、多分電池パネルの「濃い紫色」になりそうです。

一方で、火力発電所で起こした電力は、メラメラ燃える「火炎色」でしょうし、原子力発電所から送られてくる電力は、多分放射能を連想させる「黒いドクロ色」の様な気がします。多分その下には、骨で作ったXマークがつくでしょう。

さて私たちは、今後のモノづくりや暮らし方を考える際に、完全に電力のチョイスが自由化された暁には、エネルギー源として、先ず何色の電力を買うかを決めなければならないでしょう。然る後に、買った電力の使い道として、可能な限り青色用途に使わなければなりません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月13日 (土)

2044 エネルギー自治

SWを入れっ放しで寝てしまったラジオで、夜中に目が覚めました。何気なく放送に耳を傾けると、福島の喜多方で酒蔵を営む当主の談話が流れていました。彼は、原発事故で停電して改めてエネルギーについて考え、調べ始めた結果、実は福島県は水力発電だけで完全に自立できる恵まれた地域である事に気が付いたのだそうです。確かに福島県は、新潟県や山形県や栃木県との県境に、たっぷりの積雪がある山々に囲まれており、豊富な水力に恵まれた県である事が分かります。その豊かな水を使って、かつては電力を自給する中小の発電会社が存在し、それを利用したアルミ精錬も行われていた様ですが、国の奥只見の様な大規模ダムの開発と、電力会社の集約再編によって、それらは全てT電の管理下に置かれる事となった訳です。

今回の福一事故で、福島は長時間の停電を経験した様ですが、実はその間東京は停電していなかったのです。つまり、福島の水力発電で作られた電力は、100%東京に送られ、一方で福島の電力は福一か福二から送られて来ていたと言う事実が、図らずも露呈してしまったのでした。なんという大矛盾でしょう。福島は、地元で作られた再生可能(グリーンな)電力が吸い上げられ、代わりに欲しくもない(ブラックな)原発電力を買わされていたのですから。

これと同じ構図はどこかで見た気がします。例えば、県民が払った税金が一度中央に吸い上げられ、地方交付税として改めて国から県に降ろされるというあの構図です。従って、地方の自治体の財政は、県民・市民税で賄う割合は極端に低くなり、2割自治とか3割自治とか揶揄される事にもなるのです。地方分権が叫ばれて久しく、その声は道州制などの論議で日々大きくはなっていますが、どうせなら「エネルギー自治」も是非抱き合わせで考えて貰いたいものです。つまりは、各電力会社の権利を徐々に地元に委譲し、東京などの電力消費地は、地域の余剰電力を購入する事になります。その結果地域にお金が回り、豊かな地域には人も戻ってくる事でしょう。何故、都会に、人やお金や資源やエネルギーや食糧などを一度集めて、それを再度工業製品や加工食品や地方交付税などの形でばら撒かなければならないのか、そのために必要な、今や製造業を大きく超える労働力を吸収しているサービス産業や輸送産業などの「偉大なムダ」を考えると、人は何のために働いているのか、訳が分からなくなってしまいます。行政の自治、エネルギーの自治、食糧の自治を推し進めれば、地域の中でモノやお金が回り、地方はもっともっと豊かで元気になれる筈なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月12日 (金)

2043 ヒステリシスループ

このブログでは、このままで進んでも良い事は見つかりそうもなく、仕方がないのでゆっくりと後ずさりしようと何度も何度も書いてきました。しかし、残念ながら戻ろうにも歩んできたのと全く同じルートを戻れる保証は何もありません。それどころか、戻りのルートは間違いなく別の道になる筈なのです。電磁気の物理現象として、磁束密度と磁界の強さの関係をカーブに描くと、往きと戻りが異なる曲線を描く事が知られています。同様に、圧電素子などでも同様の現象が観察されます。これをヒステリシスループ(又はカーブ)と呼びますが、実はこれは多くの現象に普遍的な変化の原則ではないかとも、感じています。それは、系に入力(I)があり出力(O)がある場合、I/Oが完全に相関するのではなく、系の中に存在する「内部エネルギー」の増減も考慮しなければならないからです。

例えば、入力の全てが内部エネルギーとして蓄えられる過程においては、出力は全くのゼロとなるでしょうし、別の理由で内部エネルギーが放出されている状況で、入力があった場合、入力以上の出力が観測される場合だってあり得るからです。まして、2元系や多元系の現象の場合、更に訳の分からない状態も観測される筈です。

さて、現代の社会変化です。時間を巻き戻して逆転させても、決して古き良き?昭和には戻らないでしょう。何故なら、内部エネルギーの変化としてのインフラ充実や各種の技術開発や人口の増加や膨大な額に膨らんだ国の債務などなどをざっと考えるだけでも、とても昭和には戻れない事は自明です。それでも、やはり私たちは戻らなければならない、と主張したいのです。例えば、磁界を弱めれば、確かに磁束密度も下がる事は間違いありません。下がり方の程度が、上げの時とは異なるだけです。一本調子の上げは、必ず最は崖から転げ落ちるカタストロフィー(破局)に終わる事は、ざっと考えるだけも分かる筈です。地下資源はやがて枯渇し、廃棄物によって私たちの住む狭い生命圏(つまりは地表の狭い範囲とそれにつながる水圏や大気圏)の汚染により自家中毒に陥る事が目に見えているからです。変化の破局から逃れる唯一の手段は、慎重な後ずさりによるショックの少ない軟着陸しかないのです。必要な事は、多分ヒステリシスループを考慮した、後戻りの設計でしょう。これは、結構骨の折れる作業である事も間違いないところではあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月11日 (木)

2042 あるもの探し

再生可能エネルギーの活用を考えるに当たっては、先ずは足元で見つかる資源に着目する必要があります。エネルギーに限らず、一般に商品は運ぶ事によってただの1円だって付加価値は増えない訳ですから…。運ぶ事によって、価値が上がる様に見えるのは、ある地域で欲しくても手に入らない商品を、産地から運んでたっぷりの運賃とマージンを乗せても、需要が強ければ飛ぶように売れるからです。

しかし、再生可能型エネルギーは、太陽光に由来するものが、多く広く薄く分布していますので、上のケースとは異なり、極端な地産地消を指向するしかない訳です。そこで「あるもの探し」になるのです。そのためには、自分が住む地域をじっくり眺めてみる事が必要でしょう。使うものは自分の足、少しズボラをしても精々自転車で我慢しましょう。休みの日と平日に、ブラブラと歩き回ります。特に、里山の山際辺りがおススメです。そこには、多分最近は人手が入らず、入って歩くのが難しい程込み入った雑木林や竹藪が目に入るでしょう。もう少し歩くと、沢になった場所などでは小川やため池や棚田なども見つかるでしょう。あるいは、昔の製材所や水車小屋や家畜小屋等の痕跡(中には現役もあるかも)が見つかるかも知れません。農業からは、モミ殻やワラや農業残渣なども生み出されるでしょう。上手く行けば、地元民しか知らない様な温泉宿が見つかるかもしれません。

それらは、かつての(そして多分現在でも)地域の資源そのものだったのです。かつて人々は、殆ど「お天道様」の恵みにだけ頼って暮らしを立てていました。山に水源涵養のための照葉樹を植え、山際に棚田を刻み、裏山には子孫のために針葉樹を植え、田畑を耕して暮らしを支えていた訳です。地域によっては、コメ以外にも果樹や桑など換金できる作物に力を入れて、収入を得たりしていたでしょう。

一方海岸部では、海の幸に依存する割合が高く、半農半漁の生活もあり得たでしょう。海岸部では、太陽エネルギーが別の形に変った状態が観察できます。例えば波や風です。変ったものでは、川の水が海に注ぐ際に起こる、塩分濃度の変化もあります。これも立派なエネルギー源になり得ます。エネルギーは温度差や電位差、イオン濃度差など、物理量のこう配があるところから取り出す事が可能だからです。そんな難しい事を考えなくても、ゆっくり移動しながらキョロキョロ見回せば、その地域にいっぱい「あるもの」が見えてくるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月10日 (水)

2041 得るもの=失うもの

ますますの円安・株高が加速しています。実体は何も変わっていないにも関わらず、です。いわゆる思惑買いです。実体が伴っていないと言えば、思い出すのはあのバブル期です。高度成長期には、間違いなく人口が増え続け、しかもその人口の都市流入が続き、結果として製造業やサービス業を含む経済活動がそれ以上のスピードで拡大していたため、急激な物価高や給料のアップも裏付けがあったと言えます。しかし、バブル期には特に土地価格と株価の値上がりに先導され、その含み益を数字に直しただけの債権が、実体をはるかに超えて膨張したのでした。

さて、今の状況を見ると、あまりにも急激な株価上昇と円安の進行は、素人目に見ても間違いなく行き過ぎと言うしかありません。何故そう言えるかですが、それは「変化率」の問題として考える必要があるからです。変化率は、変化量の時間についての微分で示されますが、その傾きが急激すぎる場合、その変化を取り巻くシステムのフィードバック回路が追随できない可能性が高まるのです。とりわけ、その危険性は変化の下り坂で生ずるのです。つまり、緩やかな坂道であれば、「おっとっと」と言いながらでもなんとか下る事が出来ますが、ガケの様に急な下り坂では、転がり落ちて大ケガをしてしまうでしょう。最も最近の大ケガは、この国でのバブルの崩壊、海の向こうではリーマンショックや欧州危機やB国の財政のガケ騒ぎでしょう。

株持ちや土地持ちの人たちは、多分「夢よもう一度」とA倍さんやK田さんを応援するでしょう。しかし、実体が伴わない(つまりは企業の実体が拡大せず、実際の土地需要が増加しない状況)での、株価や土地価格の上昇は、間違いなく再度収縮するか破裂し、紙屑になるか二束三文になるしかない訳です。実体経済拡大を伴わない「ゼロサムゲーム」では、誰かが儲けると、間違いなく誰かが同じ価値を失わざるを得ないのです。ババを握っているか否かが、このゲームの勝敗を分けるだけです。もう一度、あのギャンブルをしてみたいと言う人たちを止めはしませんが、絶対に関わりたくないものです。断言しておきますが、Aベノミクスは間違いなく「幻想」です。どんな時代になっても、価値が変わらないモノだけを考えて、それに関わって行きたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月 9日 (火)

2040 官と民の間

この国の社会システムは、民がありそれを官が「守る?」という前提の元に築かれていると、一応は言えるでしょう。しかし、世界的な水準からすれば、中負担中福祉の社会システムを選択しているこの国では、官+民だけでは、システムの維持に十分に機能を果たしているとはとても言えない状況が露呈している様に見えます。多くの非正規労働や増え続ける生活保護や医療費の負担に、今のシステムでは持ち応えられない様なのです。それを改善するために、実施が目前の消費税の増税ですが、税率が8%や10%程度では、焼け石に水である事は、素人目にも明らかです。

やはり、何かが足りません。それは、多分カ官と民に間をつなぐ(又は埋める)、多分「公」の部分だと思うのです。しかし、一言で公と言っても何かピンときません。例えば、公民館活動と言われるものがありますが、実はその活動レベルはピンからキリまであります。週に何度もイベントがあって、上手く活動しているケースがある一方、建物だけが立派で、殆ど活用されていない地域も多い筈です。公の部分を拡大するためには、地域の細かいニーズや問題の掘り起こしと、それを解決するための仕組み作り、それを支えるボランティアと少しの予算が必要でしょう。

組合活動も、公の仕組みとして重要と思われます。一般的な生協の様に食や日用品の部分だけではなく、エネルギー供給や住の部分までカバーできる様な、何らかの仕組みが求められるでしょう。「結い」言われる小さな単位から、町内や集落全体をカバーする様なやや大きな枠組み、それを束ねる3セクの様な更に大きな仕組みも必要かも知れません。いずれにしても、これは実際に機能する枠組みを如何に上手く設計し、それを持続的に運用するか、というソフト面の課題である事は論を待ちません。世の中を見回すと、結構上手く行っている様に見える枠組みも各地に散見されますが、それをそのままコピーしても機能するとは限りません。その地域にマッチしたカスタマイズが不可欠なのです。そのためには数字に裏付けされた現状分析と課題の整理が欠かません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月 8日 (月)

2039 後戻り

何やら、金融の質的量的緩和が話題です。しかし、経済・金融の素人がざっと考えるだけでも、如何にも危うい動きに見えます。学者がどう考え、銀行(金融)屋がどう考えるかは自由ですが、彼らが少し経済学をかじっただけの政治屋とつるんで勝手に「経済実験」するのは迷惑な話だと言うしかありません。必要なことは、今この国は未曽有のゾーンに突入しているという認識なのです。何が未曾有かと言えば、20世紀型の社会から、脱却できるかどうかの崖っぷちに立っているからです。経済の面からみると、B国がつい最近直面した、多額の国の債務(の償還)という崖っぷちがあるでしょうし、科学技術のの面で見れば、20世紀の負の遺産である「原発」を始めとする「核問題」が厳然と存在します。バブル崩壊後20年にもなろうとしているデフレも、実は経済システムの質的変化の中での一症状に過ぎないと見ています。その証拠としては、これまで誰一人としてデフレ退治に成功した政権や経済学者は存在しなかった事でも明らかでしょう。

今度のA倍、K田アライアンスで、それに挑戦しようとしては居ますが、それは間違いなく最後の「ギャンブル」だと言うしかないでしょう。輪転機を回して増刷した多額の借金で、最後の賭けに出た様にしか見えないのです。これに失敗する事は、国の経済の破綻につながり兼ねません。ヨーロッパのいくつかの国々の様に、海外からの借金は少ないので、債務のデフォルトも国民や国内の機関投資家に「ごめんなさい」と言えば、なんとか国の屋台骨は残るのでしょうが、市場からは見放される事でしょう。超円安と株暴落のダブルパンチを食らうでしょう。

そうではなくて、私たちはここで20世紀型(大量生産、大量消費、大量廃棄型)の文明からの脱却を始めなければならない時期なのです。21世紀型のあるべき社会システムのKWは「持続可能性」である事は誰も異論は差し挟まないのでしょうが、それは戦後の経済拡大が始まる前には、この国でもその他の国でも、間違いなく営まれていたはずなのです。その時代に真っ直ぐ逆戻り出来るわけもありませんが、少なくともジリジリと後戻りする事は可能だと思うのです。またぞろ、株や土地やゴルフ会員権などの「投資」が人気を取り戻しているらしいですが、その人たちは、それらが紙切れになったバブル崩壊を忘れてしまったのでしょうか。多分バブル崩壊の本当の痛みを知らないだろう主婦群が「ミセスワタナベ」などと呼ばれて投資に走っている状況を知るにつけ、強い危機感を感じざるを得ません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月 7日 (日)

2038 化学物質

ラボアジェやベッセマーなど、工業化学の祖やその推進者を挙げるまでもなく、私たちの生活は今や殆どが化学物質に支えられていると言えそうです。石油化学が無ければ、燃料もプラスチックも肥料も手に入らないでしょうし、合成化学が無ければ西洋医学の薬品も、多分食品添加物や殺虫剤も作れないでしょう。

しかし、かつてのPCBや有機水銀公害や、最近のインク洗浄剤が引き金のガン発症の例を引くまでもなく、化学物質には両面がある事を忘れてはならないでしょう。その負の部分には、人体に対しての、隠れた有害性ともう一つ環境への残留性が挙げられます。前者について言えば、急性毒に関しては、例えばMSDSが作られて一応の歯止めが掛かっている様にも見えますが、慢性毒や胎児への影響、あるいはガンのイニシエータとしての因果関係の見極め等、まだまだグレーな物質も多いのです。後者については、PCBに代表される様に、毒性が確認され製造禁止後すでに数十年を経ても、未だ社会的問題であり続ける「難分解性物質」が大問題です。環境中で、何年かで完全に分解される事がはっきりしている物質であれば、製造を中止すれば問題は解決可能なわけで、几帳面なケミストがなかなか分解されない物質を合成してしまう傾向は困った性癖です。

ここで言いたいことは、つまり身の回りで完全な安全は化学物質は、実は存在しないと言う投稿者なりの結論なのです。人間が口にしても安全が確認されている化学物質的なモノに「アルコール」がありますが、少なくともエタノールは合成物質ではなく、自然物でもある訳です。合成物質であるメタノールはもちろん、全ての石油化学で作られる物質は、少なくとも経口摂取すれば間違いなく有害物質でしょう。私たちは、あまりにも化学物質に囲まれ過ぎて、その危険性に麻痺していると思うのです。それらを身の回りから遠ざける強い努力が必要な時代です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月 6日 (土)

2037 エネルギーシフトの本質

各地で、市民レベルのエネルギーシフト(エネシフ)活動が活発化してきました。しかし、その活動にのめり込む前に、押えておきたいエネルギーシフトの本質があると思うのです。現在のエネシフは、大手電力会社から送られてくる電力を、地元の風力発電所や小水力発電所やメガソーラ等の発電事業により、それを代替しようとする動きが主体の様に見えます、勿論、バイオマス資源が豊富な地域では、石油暖房をバイオマス熱源により代替しようとする動きも活発化していますが。

しかし、その前にしておくべき「整理」は、最大限に省エネを推進した場合、どの様な種類のエネルギー負荷が、どの程度残るのかという「見極め」なのです。単に今使っている電力負荷を、再エネ発電で代替しようとした場合、投資は非常に大きなものとなり、最初から経済的には成立しない夢物語に終わってしまうでしょう。また、断熱性の悪い現在の住居で冬季の石油暖房の負荷を、そのままバイオマス暖房(例えば薪ストーブやペレットストーブ)で代替しようとしても、実際に数字を置いて見ると、山の木がどれだけあっても足りないという悲観的な計算になるかもしれません。

そうではなくて、順番として最初に大幅な省エネ活動があるべきなのです。ざっと言えば、それは取り敢えず現在の半分だと言っておきます。そのためには、例えば住宅であれば壁や天井や床や窓の断熱性を、可能な限り高めておく必要があるでしょう。また、多くの熱エネルギーを使う、給湯も、予め太陽熱による給湯に切り替えておく必要もあるでしょう。大型冷蔵庫も、そもそも床下保存で十分な食材や調味料等そもそも冷蔵の必要が無いものを、冷蔵庫から追い出せば、ずいぶん小型のモノで間に合う筈なのです。しかる後に、残ったエネルギー負荷、小型冷蔵庫や洗濯機や扇風機と電灯程度の小さな電力負荷を、小規模な再エネ発電で賄うのであれば、投資だ回収できる可能性は高まります。建物の断熱性を北欧並みに高めれば、冷暖房の負荷は現在の数分の1にはなるでしょうから、可愛らしいサイズの暖房器具でも十分暖かいでしょうし、夏場の冷房も、午後の数時間使うだけで快適に過ごせるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月 5日 (金)

2036 モノ売りだけ賃上げ?

春闘の経過をざっと眺めると、どうやら流通や小売が先行した様な気がします。しかし、考えてみなければならないのは、この業界は運んだり、売ったり「させていただいている」商品を作っている1次産業や2次産業を押しのけて、大手を振っては歩けないはずなのです。ましてや、それらの業界に「金を借りていただく立場」の金融業に於いておや、です。

国も、ボチボチと産業構造の転換についての議論を始めてはいるのでしょうが、その答申が出て、それに予算を付けて、更に実際に産業界が動き出すまでには多分あっという間に5年は経過してしまうでしょう。その間、今の金融政策や財政が持ち応える訳がありません。これらのアドバルーン政策の効果は精々1-2年しか続かない事は過去の事例で証明されているからです。何より、少子高齢化の背景での人口減少のこの国の局面で、売り上げが伸びて、給料も上がって経済成長していくなどと期待するのはノウテンキも甚だしいと言うしかありません。精々国に出来る事は、先ずは歳出をギリギリまで絞って、然る後に富の再配分を適正化して、相対的に低い地盤を、高い部分を削って埋める事くらいでしょう。

一方、モノづくり産業としても、手をこまねいて眺めているだけでは、坂道を転げ続けるだけに陥ります。もう一度、誰が、何を、どのタイミングでどれほどの位の量のモノを欲しているか、改めて考えてみなければならない筈です。これまでの大量生産、大量消費社会の中では、確かに必要とされていたモノ(例えば輸送のための梱包材や輸送手段)であっても、今後のあるべき社会(例えば地産地消ベースにした社会)では、不要になる可能性がかなり高いのです。そもそも運ぶと言う行為が最小化されるからです。その様な社会では、ワンウェイ容器である段ボールやペットボトルなどは、駆逐されてしまう可能性すらあります。何故なら、消費者が欲しいのはその容器の「中身」であり、容器は最終的にはゴミになるしかないからです。所有者にとって不要なものをゴミと呼ぶからです。たとえそれなりにリサイクルされるにしてもです。

地産地消を突き詰めれば、3次産業がはねていた「上前」を、生産者の利益に繰り入れる事も十分可能となるでしょう。6次産業化というのもその一手法だとは言えます。しかし、知恵がそこで終わってしまえば、3次産業優位の社会構造は変わらないでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月 4日 (木)

2035 髙くても売れるモノ

まさに「値上げの春」です。これは考えてみれば久し振りに聞く言葉の様な気もします。かつての高度成長期には、毎年春になると値上げと賃上げのイタチごっこが繰り返されていました。多分賃上げが先で、給料が上がったのだから、製品や材料やエネルギー価格の値上げは当然とばかり、堂々と値上げのアナウンスがなされていた様な気がします。勿論その中には、多くの「便乗値上げ」が含まれていた事は間違いありません。

しかし、2034にも書いた様に市場にお金をダブつかせるだけでは、この国の実質的経済は決して浮上しないでしょうし、トリクルダウンなどという言葉も、政治家や経済学者の方便に過ぎなく、実質的な庶民の実入りも言う程増える筈もありません。また、安い輸入品(原材料や部品、工業製品、農作物など)に慣れきってしまった生産者や消費者は、同じモノなら今より高く買おうとは思わないでしょうし、それよりなによりモノは既にほぼ充足している訳です。ふと気が付くと私たちの身の周りは、安い輸入品で埋め尽くされていたという状況なのです。しかし、円安に誘導される形で、これらの輸入品は間違いなくかな値上がりするでしょうし、連鎖的にエネルギーを始め、あらゆる製品や商品に波及する事になります。結果として、値上げや増税に挟み付けられる消費者はと言えば、自衛のために相変わらず海外から入ってくる安い輸入品を買い続けるでしょうし、国内の産業は空洞化し続けると思われます。

その悪しき連鎖を断ち切るには、何にも増して「知恵や工夫や地道な努力」を積み重ねるしかないのだとも思います。例えば、高くても売れるモノを作る努力をする事が挙げられます。今手元にある「爪切り」は、若い頃長引いてしまったドイツ出張中に伸びた爪を切るためにホテル内のショップで買ったものでした。1マルク110円位のレートの時代、そのゾーリンゲンで作られた爪切りの値段は、なんと20マルク(2000円以上)もしました。そこ頃のサラリーが多分10万円前後で、ビジネスクラスだったとはいえ、ヨーロッパ往復の航空運賃が75万だった遠い昔の話です。そのバカ高い爪切りは、しかし40年も経った今も、手元で快適に使えています。もし、今後切れなくなっても、メーカーに持ち込めば喜んで研磨してもらえ、新品同様に蘇る筈です。これほど価値のある「本物」の爪切りは、多分この国のメーカーでは作ろうとしないでしょうし、多分今の時代背景では売れないかも知れません。しかし、かなりの努力は要るのでしょうが、私たちはこの様は「高くても売れる本物」が堂々とまかり通る社会にするしか、この国のモノづくりが浮き上がる道は無いのだと思い定めるべきでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月 3日 (水)

2034 風船としての金融

財・金・産の三本の矢による景気回復策ですが、今のところムード先行的に金融だけがけん引している様に見えます。財政も追いかけますが、今の様な荒っぽい予算では、潤う範囲も主にコンクリート産業に限られる上に、その裏では多分信じられない程の無駄使いも横行する筈なのです。(復興予算の使い道を見よ!)しかし、今の日本を絵に描いてみるなら、金融政策は風船だと思うのです。先ずは、政府がアドバルーンとして皆の目につくように(紙の)お金を露出し、さも景気が良くなった様に見せかけ、次いで実際にヘリウム(印刷マネー)を詰めた金融バルーンで、景気を少し持ち上げようとしている様に見えます。

しかし、金融は所詮金融です。お札の輪転機を余計に動かしただけで、実質経済が底上げされる訳でもないでしょう。絵的には、この国の経済すっかりデフレ体質となって地盤が沈下した結果、ゼロメートル地帯の様に浸水し易くなっている様なものでしょう。金融バルーンに掴まれる人達(より明確には副首相の様な株持ちと土地持ちです)は確かに浮き上がれるでしょうが、そうでない残りの人たちは、ズブズブの沼で、増税や便乗値上げラッシュの水責めに苦しむ事になるでしょう。この国は、風船政策にはバブル期で懲りた筈なのです。誰もが適度に潤う「程よいバブル」など、結局はあり得ない幻想だと思うのです。良き時代の夢を忘れられない政治家や御用学者が、「ミニバブルよ再び」とばかり景気浮揚を声高に叫んでいるのを見ると、あまりのノウテンキにゾッとしてしまいます。

国のリーダー達が、まず国民に示すべきは、一体この国の国民は今後何を「なりわい」に生き抜いていくべきかの方向性だと思うのです。それは風船をいくら数多く打ち上げても示す事は出来ないと断言できます。一度沈んだ地盤を嵩上げるのは、少しずつ土を運んできて低い場所を埋め立てるしかない訳です。ではその「土」は何処にあるのかと言えば、探してもこの国の中にある資源しか見当たらない筈なのです。それは、人(の知恵)であり、海(海洋)であり、森林であり、放棄されている農地であり、まだ競争力の残っているモノづくり技術程度しか見当たらないのです。最早、借金まみれの国が打ち上げるアドバルーンなどを当てにしてはならないでしょう。この国に住み、生きていかなければならない私たち自身が、考えて行動していくしかないと思うのです。続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月 2日 (火)

2033 仮想的ミニ原発?

政府や電力会社(値上げに音を上げている企業)の原発再稼働マインドに対して、ここでは想像上のミニ原発社会を描いて見ましょう。かつて、多くの人工衛星にはミニ原発が搭載されていました。衛星の電力を賄うためです。それは長い期間に亘って強力な放射能を出しながら崩壊し続ける放射性物質をエネルギー源として、(想像ですが)多分熱電素子で電力に変換して電力を得ている訳です。衛星の外部は極低温なので、小型の原子炉でも外部との温度差で、十分な電力が賄えた筈です。古い衛星が時々高度が下がって、大気圏に突入するとのニュースが流れるたびに、衛星からの放射能汚染が問題になる事でも、原子炉衛星の存在が確認できるでしょう。

さて、ミニ原子炉で発電し、余った熱を利用して給湯できるのなら、原発再稼働を推進しようとする国や電力会社には、ぜひ「ミニ原発」を開発して貰いたいものです。稼働できない原発で余っている燃料ペレットを、黒鉛などの減速材と混ぜて再加工して、ゆっくり原子崩壊する様に調整して、パチンコ玉くらいのミニ燃料を作ります。それを熱源とするEコキュートの様な小型ユニットに仕立てて、発電と給湯を同時に行わせるのです。半減期が数十年の燃料をチャージすれば、その間燃料の補給無しに電力とお湯が使いたい放題ですから、もはや温暖化や石油燃料の枯渇や値上げにも汲々とする必要もなくなります。格納容器を安全にするためなら、頑丈で重くなり結果として住宅用の倉庫くらいの大きさになってしまっても、たぶん需要家は我慢するでしょう。何しろ今後数十年間の光熱費がタダになるのですから。

これを開発してもらったら、真っ先に首相官邸や国会議事堂、経産省などの行政機関、電力会社社員などに配布して、その安全性を身を以って評価して貰いましょう。もちろん、使用者の年間の被ばく量は「1ミリシーベルト以下」になる様に、格納容器を設計する事は言うまでもありません。何しろ、この程度の被ばく量であれば「安全」だと国もお墨付きを出している訳ですから、まったく問題は無いでしょう。小型原子炉は、米・ロを中心に多額の軍事費を使って綿密に開発されたので、技術的にはほぼ完ぺきなはずです。評価試験が終わったら、順次原発推進を叫ぶ一般の人や企業にも、たっぷりの助成金を乗せて購入して貰いましょう。床下から廃棄された微量の放射性物質が見つかっただけで大騒ぎする人たちもいる事なので、多分この国は、レストランの喫煙エリアと禁煙エリアの様に、原発の賛否で住む場所が真っ二つに分かれてしまうかもしれませんが…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年4月 1日 (月)

2032 スケール問題

ノミの心臓をスケールアップしても決してゾウの心臓の代用にはなりません。構造が違いすぎるからです。同様に、例えばある機械の構造をそのままスケールアップ(ダウン)しても、目的に対して最適解にはなり得ません。よく陥る間違いに、大は小を兼ねるとばかり、必要以上に大きなプラントサイズにしてしまい、しかし運用時は現実のデマンドに従って部分負荷で稼働するケースがあります。設計上の効率が90%程度だったとしても、例えば、50%の部分負荷で運転されるプラントは、70%にも60%にも低下してしまうでしょう。発電所などでも同様の事態が発生します。だからこそ、原発には揚水発電所を組み合わせて、夜間に出力が低下しない様に工夫している訳です。

この様な間違いを回避するためには、スケールの小さなプラントを1ユニットとし、それを必要数並べると言う選択肢が考えられます。10台並べ、負荷が50%の時は、5台だけ運転するようにします。結果として、個々の小型ユニットの効率が、1台の大型プラントの定格値より低いとしても、部分負荷時は低下した大型プラントのそれより間違いなく上回るでしょう。そうであれば、何も小型ユニットを一か所に10台を集中して設備する必要もなく、需要家に近い場所に数台ずつ分散設置すれば良いのです。例えば、電力システムなら発電所から需要家までの送電ロスが最小限に出来るため更に有利でしょう。

大量生産、大量消費システムでは、システムは非常に大きなものになり、その規模が最大デマンドに照準が合わせられるために、少しばかりの景気変動が起これば、たちまち大量の在庫を抱えてしま事態に陥ってしまう訳です。かなり極端な方向で考えてみれば、大規模システムの弱点はすぐに理解できるでしょう。つまり、需要家自身が製造者でもある場合(自給自足とも言います)においては、在庫など殆ど必要なく必要の都度少量ずつ作る事になります。精々、1年分くらいの原料のストックがあれば十分でしょう。これら両極端の中間サイズのシステムを「地産地消システム」とも呼んでいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年3月 | トップページ | 2013年5月 »