« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »

2013年5月31日 (金)

2086 地域マネーを逃がさない

地域内にお金を循環させるには、先ず地域からお金を流出させる要因が何かを見渡してみる必要がありそうです。例えば、今住んでいる秋田県南部のY市では、「緑の分権推進会議」などのデータを使ったデータベースによれば、熱エネルギーの需要だけで、人口一人当たり年間30万円を使っているとなっています。熱需要とは、冷暖房・給湯・調理などに関わるエネルギーで、電気エネルギーは別枠なので、つまりは灯油やガスの消費に関わる金額という事になります。寒冷地なので、どの家でも冬場の灯油代は頭の痛い出費になっています。

さてこのお金の内の大部分は、石油会社やガス会社を経由して、石油やガスの産地(中東やブルネイやロシアなど)に流れる事になります。地域に残るお金は、ガソリンスタンドやガス供給業者の手元に残る僅かな手数料だけになります。それを多めに見積もって2割としても、絶対額では200億円を大きく超える額のお金が、地域から外に流れる勘定になります。そのお金はどうやって稼ぐかと言えば、基幹産業である農林業や漁業、加えて弱電や自動車関連の下請け企業が必死になって頑張るしかないのです。

折角苦労して地域で稼いだお金を、上で述べた様に、みすみす地域外へ流出させながら、多くの地域は疲弊に喘ぐと言うのは間違いなく矛盾です。何故地域で「熱エネルギー」を産み出さないか全く不思議なのです。例えば、投稿者の住む街には住宅のフローリングを作っている企業がありますが、そこからは月間100トンを大きく超える量の木屑が排出されます。これは今は廃棄物扱いとなっており、お金を払って処理業者に渡しているのです。これは乾燥した鉋屑や木挽き粉なので、優良な燃料になります。しかし、もしこれを固化してペレット燃料として売れば、毎月数百万円の燃料が新たに生まれる事になります。皮算用では年間では数千万円の売り上げが企業に入る事になりますから、新たに数人を雇用して燃料工場を動かす事も可能となるでしょう。その結果、この売上金は地域の中で完全に循環する事になりますから、小売など別の業界にもそれなりに波及する事となります。目標を低く設定して、例えばこの街の家庭の熱需要の僅か1割だけでも地域で自給する事が出来れば、地域に30億円の新たな市場が生まれ、外部に流出するお金も、同じ額だけ地域内に留まる事になります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月30日 (木)

2085 化石の呪縛

少し前、今住んでいる街でショールオイルが出た、という事で全国ニュースになりました。実は、元々その少し横には古い油田の試掘井戸があったので「油気?」はあった場所なのです。鳥海山の周囲は、どうやらそういう場所の様なのです。そういう場所というのは、元々太古には頁岩の層が広がっていた地域に突然鳥海山が噴火して、コニーデ火山を作ってしまったと勝手に想像しています。従って、新潟から男鹿半島にかけては、掘ればそれなりに石油やガスが採れた(今でも細々とは採れています)場所だったと言えます。

しかし、米国で進歩した頁岩層からシェールオイルやガスを「絞り出す技術」によって、放棄されていた古い油田に再びスポットライトが「瞬間的」に当たっただけなのです。日本の頁岩層は小規模なので、まじめに掘ればあっという間に枯渇してしまうでしょう。尖閣近くやサハリン周辺にはもっと規模の大きな石油が採れそうな地殻が広がっている様ですが、所詮それも掘れば無くなるガス状か液体の「化石」に過ぎません。

私たちは、そろそろ「化石の呪縛」から抜け出さなくてはならないでしょう。化石燃料は、産業革命の原動力となって、言わゆる先進国を富ませては来ましたが、それは一時の花火の様な文明の煌めきに過ぎなかったと改めて認識すべき時期なのです。石炭や石油を利用し過ぎた弊害は、何も温暖化だけではありません。元々地面に埋まっていた化石を掘り出す事によって、それは自動的に呼び名が「マネー」に変ります。その化石マネーは、日々信じられないスピードで世界中に広がっていきますので、私たちはいまそれに押しつぶされそうになっているのです。更に困った事は、化石は地域的に極端に偏在していますので、紛争も絶えないのです。植民地の農業国であったB国が大国になり得たのも、ある時期テキサスで石油が見つかったと言うというたまたまの幸運に過ぎないのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月29日 (水)

2084 街を作り直す2

続きです。街は人が集まる事によって作られます。街が出来ると、日々の生活を支えるための色々な生業も生まれるでしょう。食糧を支える農家、農具や生活のための道具を作る鍛冶屋、呉服屋や寝具屋など衣を支える商店、家を建てる大工や水回りやガス配管を担当するガス・水道屋、電気店や靴やなど。何より今の時代にはコンビニやスーパーなど食料品と日用雑貨を同じ場所売る小売スタイルは必須ともなってきました。

そうやって出来た街の形が、今後の復旧工事でどうにか元に戻ったとして、一度街を離れた人々が、果たしてどの程度戻ってくるのか、かなりの危うさもありそうです。これまで三陸の主な産業は、漁業と観光だったと言えます。その三陸も釜石まで北上すれば、そこには特異的に製鉄業という一大産業がありましたが、残念ながら既に高炉の火は消えていますので、今は鉄鉱石からの製鉄(精錬)ではない二次的な鋼製品を細々?と作っているのと、サイドビジネスとして自家発電で余った電気を電力会社に売りながら、どうにか事業所は閉鎖せずに済んでいる様です。その中で地域の高齢化と人口減少は急速に進み、新たな産業(例えばバイオマスなどの再エネ事業等)も未だ限定的な規模に留まっているのです。

ここでの結論は、長い時間を掛けて作り上げてきた街が震災+津波で壊滅的に破壊された後、それを元通りに戻すだけでは済まないだろうと言う点です。行うべきは、「創造的復興」でしょう。先ず注目すべきは、その地域に存在する特徴的な資源でしょう。釜石には元々砂鉄が出たので、古くか製鉄業が栄えましたが、それも背景の山か木材(木炭)も併せて産出した事が大きな推進力となったはずです。その山の木をバイオマスとして活用すれば、持続可能な範囲内ではそれなりの規模で産業となるでしょう。しかし、もはや釜石では大規模な製鉄業は成り立たないでしょう。しかし、猫の額ほどの平野しかない、三陸の街々で見つかる資源には一体何があるのでしょうか。これは、やはり復興に際して最も困難な課題ではあります。勿論、三陸には美しい海がありますから、今後ともやはり海に頼るしかないでしょう。それとどう付き合っていくのか、このブログでも引き続き考えて行きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月28日 (火)

2083 街を作り直す

仙台からの帰路、改めて三陸海岸を北上してみました。石巻を起点とし八戸に至るリヤス式の三陸海岸を走る道路は、もし忠実に海岸線に沿って走れば、数日を要する長さになるので、今回は、海岸道路と少し内陸を走る国道を千鳥に走る事としました。最初、いきなり女川町の海岸沿いを走る県道に入ると、道路の幅はバイク向きに狭くなり、集落がある入り江部は海岸まで下がりますが、次の集落までは半島の峠を駆け上がると言う風景が続きます。これが、まさにリヤス式海岸の典型的な風景です。いずれの集落もこじんまりとした港があるその周りに数十戸の集落があった筈なのですが、港はどうにか岸壁や防波堤は形を留めているか復旧されていて、それなりの数の漁船も係留されてはいますが、家は全て土台だけを残して全滅状態のままです。そこし走ると、高台の狭い場所に仮設住宅が建てられていて、生活の匂いも少し感じられます。

しかし、多くの県道ではいまだに仮復旧の状態だったり、崩落個所は片側交互通行のままの場所もかなり残されたままです。.

一方国道は様相が全く異なります。日本中の重機とダンプカーが三陸に集まっている様に錯覚するほど、道路はラッシュ状態になっています。国道は、主に半島の山の中を走っていますが、南三陸町や陸前高田など大きな湾の奥に平地が広がっていいる場所では、その平地をかさ上げする土木工事が本格化しているからです。しかし、ダンプカーが一度に運べる土砂は精々十数㎥ですから、ヘクタール単位の土地を数メートルかさ上げするだけでも、どれだけダンプをかき集めても、気の遠くなる様な回数往復する必要があるのです。かさ上げに使う土砂は後ろの山の木を伐採し、斜面を削って新たな雛壇上の土地を削り出す事によって得ています。素人目に見ても、先ず高台の造成地と、浸水場所のかさ上げだけでも数年から5-6年は掛かってしまいそうに思えます。それが出来上がってやっと、復興住宅なり公共施設などが建てられるのでしょうから、取り敢えず表面上の町の形が整うまでにはやはり最低でも10年は掛かってしまいそうです。

今は、何もなくなった陸前高田などの街が一体どれほどの年月を掛けて作られたのかは想像するしかありませんが、チリ津波を含む何度かの大津波に襲われながら、長い年月を掛けて高台移転と、痛みを忘れた頃に便利な場所に再度家を建てる事を繰り返しながら、しかし再度今度の大津波に根こそぎ持って行かれたのでしょう。今回は、しかしチリ津波の直後とは事情が全く異なりました。三陸の海岸平野という平野は例外なく地盤が沈下して、海抜が1m前後も低くなったので、そこに土地があっても、現状のままでは道路も作れないし何も建てられないのです。続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月27日 (月)

2082 定点観測者

フリーランスになって7年余り経ちましたが、最近しみじみ感じるのは、自分がやっと定点観測者っぽくなってきたと言うことでしょうか。企業や組織の中にいたのでは、どんなに構えてみても所詮は「当事者」ですから、客観的に物事を眺めるのは本当に難しいことでした。そこから出て自分の来し方や国や社会の出来事を、客観的に眺めていると、最近やっとどこが間違っていそうなのか、どうしたらより良い方向に進めるのかが分かり始めてきた様なのです。しかし、この歳になってもやはりまだまだ勉強が足りないことも痛感するこの頃です。

この世の中には、知るべき事が多過ぎます。世界では納得できない出来事が日々発生するのですが、それは人心が70億通りを少し超えた程度存在するからでしょう。しかし、それにも増して森羅万象の仕組みや、その結果生ずる現象は不思議で満ちています。それは、一人の人体を構成する細胞が60兆個にも及ぶ事を知るだけでも十分です。それがたった一つの胚から発生し、機能分化していったことを想像するだけでも、気が遠くなる様な不思議さを感じます。

更に、言えば植物が水と二酸化炭素と土壌中の微量のミネラル分を材料に、太陽光だけをエネルギー源として作り出す物質の多様性は、少しその仕組みをかじっただけでも、驚異という言葉を宛がうしかないのです。セルロースやリグニンやヘミセルロースなどと言う、植物の主要な構成要素は勿論、各種の生物の食べ物となるアミノ酸やタンパク質やビタミンと呼ばれる物質群を、その多様性を保ちながら、何故殆ど間違いも起こさずに合成できるのか、たぶんどんなに偉い学者が生涯勉強し続けても解明する事は叶わないでしょう。

しかし、それでも同じ場所に立って、世の中や森羅万象を観察し続けていれば、例えばファーブルが「昆虫の本質」に迫った様に、あるいは養老が「脳の本質」に迫りつつある様に、凡庸な投稿者にも、その内に「環境の本質の様なもの」が、ホンの少しは見えてくるであろうことを淡く期待しているのです。このブログを始めてまだ二千回を少し超えた回数しか、日々の感想を書いてはいませんが、飽きるまで或いは書く事が無くなるまでは投稿を続けようと思ってはいます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月26日 (日)

2081 遮蔽するしか

原発で発生する放射能自体には、害はあっても使い道はありません。原発でパワーとして使っているのは、核の崩壊で発生する熱エネルギーだけだからです。放射能は、いわば副産物、というかむしろ不要な有害ゴミであるとさえ言えるでしょう。その有害な放射能に対処するための対策は、実のところところたった一つしか見つかっていませんん。それは単純な「遮蔽」という方法だけなのです。その結果原子炉は出来るだけ厚くて、放射能が「殆ど」漏れない程度に減速したり、吸収したりする能力を持つ物質や材料と、コンクリート壁などで構成されています。燃料ペレットは、ジルコニウム合金で出来たチューブの中に納められ、それを減速材でもある水に浸漬し、それを分厚い鉄板でライニングされたコンクリート容器(圧力容器)に収め、その外側には数メートルはある鉄筋コンクリートで作られた格納容器が取り囲んでいる訳です。その結果、原発内で働く人たちは、毎年1回レントゲン検査を受ける程度かそれ以下の被ばく量しか浴びずに済んでいたわけです。

しかし、あの機構がこのご時世に一体何を実験しているのかは知りませんが、彼らはまたぞろ放射能漏れ事故を起こしてしまいました。それが廃炉のための実験であればまだマシですが、もし原子力利用の更なる拡大のための実験であれば、言語道断と言うしかないでしょう。最優先で必死になって為すべきは、遮蔽以外の放射線対処法の開発のための実験だけでしょう。そうでなければ、福一の事故後処理も次の廃炉処理も俎板に載せる事が出来ません。

投稿者が想像するに、メルトダウンしてしまった燃料の塊(核燃料とシース材であるジルコニウムや炉を形成する金属などが融けて再度固まったもの)を炉内から取り出すには、たぶんタップリの水を満たしたプールの中で、融けた燃料を機械的にガリガリと削り、その削り屑を水と一緒に吸い出した上で、厳重に「遮蔽」された処理室で、再臨界に達する事が無いように少量ずつ分けて地下深くに永久埋設して容器と土壌で地上と「遮蔽」するという非常に手間の掛かる地道な作業になる筈です。残念ながら今の技術ではそれしか方法しかないのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月25日 (土)

2080 バブリィな戦略

社会のファンダメンタルがまだ殆ど変っていないのに、株価だけが上がり企業の資産がドンドン膨れていくと言うのは、一体どういうカラクリでしょうか。たぶんこういう状況を資産バブルと呼ぶのでしょう。土地の値上がりは「まだ」始まっては居ない様ですが、過去の例から言えば間違いなく後を追い始めるでしょう。その内に便乗値上げ(もはや懐かしい言葉になりつつありますが)が横行し、物価が必要以上に上がるでしょう。そうこうしている内に不動産が株を追い越して値上がりし、またいつか来た道を繰り返すのでしょうか。どう考えても、何もしないで株券や債券や権利書を右から左に動かすだけで、お金がガッポリ儲かるなどと言うカラクリが堂々とまかり通って良いはずがありません。ましてやそれを政治屋や銀行の元締めの手柄にされたのでは、ますます腹が立ちます。

本来株価が上がるためには、実際に企業の業績が上がって、あるいは将来の業績アップが確実視されるなど言った、好ましい条件が必要でしょう。優良な債権とは、その様な好ましい企業や組織や国が発行するものであって、そうでないタダの債権は、泡の表面にくっつき、その膨張・収縮に伴って価値が増えたり減ったりする「紙」を指すものでしょう。

中身の無いままに膨らむものをバブルと呼びますが、中身を詰める努力を20年以上も怠ってきて、ここに来て恰好を付けるために泡のサイズだけ大きくする政策は、間違いなく何らかの歪を起こさずにはおかないでしょう。実際望まない長期金利の上昇は始まっていますし、一方で企業の設備投資マインドは冷え切ったままです。何より、国が作りつつある成長戦略も、2079に書いたあるべき姿の長期展望が抜けていますし、中身の無い耳に心地よい言葉だけを並べ立てた具体性の乏しい「作文」になりつつあります。国の運営に離れワザやマジックなどは存在しない筈なのです。道筋を作るのであれば、フェイズと具体的道標を示した「ロードマップ」こそが必要なのです。それが無い戦略もやはり、中身の無い「バブリィな戦略」に陥るだけです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月24日 (金)

2079 ハンドルの無い車

この国にはアクセルとブレーキしかないのかとため息が出ます。何故かですが、政治の世界では現状を肯定し、アクセルを踏む人々を「右」、現状を批判し改革を叫んでブレーキを踏む人を「左」と呼んでいる様ですが、そうであればなおの事、誰かにこの国の行く末を展望して、正しくハンドルを操作して貰いたいのです。この国の為政者が、国の行く末の見極めを怠り、どうやら誤った方向に走らせたらしいと言うことは、過去20年以上にも亘る国政や社会・外交の停滞の結果を見ても明らかでしょう。

では、どうすれば良かったのか、これからどうすれば良いのかに関しては、相変わらず方向が示されていない様に思えます。Aべノミクスで無理やり景気を持ち上げてみても、これは失われた20数年の前の状態に引き戻すだけです。その結果は、かつての様に株持ちが儲かり、そのうちまた土地が値上がりして地主を喜ばせ、大企業を中心に業績がやや上向き、庶民はそのおこぼれで、僅かなボーナスの増額に取り敢えずは喜ぶ、といった程度しか想像できません。

そうではなくて、問題はこの国の方向を示すことなのです。方向ではなく、100年後の青写真を描くことでも良いでしょう。しかしどんな国を目指すのか、まったく見えてきません。北欧には、高福祉高負担の国々のモデルがあります。B国の様に自由(とその結果の責任)を極端に重んずる国も存在します。貧しくても、国民の幸福度を物差しにする国もあります。つまりは、何を「社会の共通価値」に据えるかが問われていると言い換えても良いでしょう。

この国は一体何処に向かっているのか、それ以前にこの国に住む人々はこれから何に価値を置いて暮らしていくのか、さっぱり見えていないのです。ソコソコお金があって、モノに囲まれて、何割もの食べ物を捨ててメタボに悩む暮らしが望みなら、たぶん私たちは既に20年ほど前に実現しました(が飢餓感だけが残った様な気がします。)。しかし,清貧を見直し、精神的な安定と満足感が望みなら、まだ私たちは価値観の転換に成功していません。全員が物質的に豊かになる事など、資源の無いこの国ではかなり無理をしなくては実現困難でしょう。でも全員が貧しくても心豊かに暮らそうと考えるなら、やり方はいくつも考えられそうな気もします。でもここで結論は出そうもないので思い出したらまた書きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月23日 (木)

2051 大竜巻考

B国の大竜巻は多くの子供を含大きな人的、物的被害をもたらしました。竜巻について考えてみます。竜巻に限らず、低気圧は上昇気流の発生に伴って、気圧の低くなった部分に周りから空気(風)が流入する事によって生じ、地球の自転によって風が一定方向に旋回する事によって発達します。その原動力は、地上と上空の温度差である事は、ニュースなどでも解説されています。しかし、何故この時期に極端な温度差が生じ、竜巻シーズンとなるかについてはあまり詳しく報じられません。竜巻の被害が度々繰り返されるにしても、竜巻発生の多い年とそうでない年に何故分かれるのかについても知りたいところです。

他にも理由はあるのかも知れませんが、投稿者の見方として竜巻の多発は、ジェット気流の極端な蛇行にあると見ています。ジェット気流は、対流圏の上の方を流れる強い偏西風ですが、寒帯ジェットと亜熱帯ジェットの二つの気流が存在するのです。それらが、高い山、ヒマラヤやロッキー山脈程度の標高の山に当たると数千キロ下流には渦(カルマン渦)が発生します。B国の場合、ロッキー山脈の南端で特異的にカルマン渦が発生しやすく、カンザスやオクラホマ地域などの平原地域で大規模な低気圧が発生すし易くなる訳です。左旋回のそれは北半球では単純に低気圧になるだけですが、上空にジェット気流が持ち込んだ強い寒気が存在する場合には、上昇気流が強烈になり、低気圧が急発達=竜巻化する事になります。その極端な例が今回の様な大竜巻という事になります。

実際、今現在のジェット気流の観測結果はかなり蛇行しており、上記の条件が揃いやすい気象条件になっています。別の竜巻が次々に発生してもおかしくない状況なのです。竜巻は、地表の凸凹した地形に影響を受けて、進路が曲げられたり、急速に弱ったりするものですが、如何せん米国の平原は、かつての水盆であったため真平らの上、この時期は真夏並みの日射強度で、地表の温度も急上昇する結果、この季節の昼過ぎには竜巻が多発する条件が更に強化される事になります。温暖化がどれほどその条件を強化しているのかは分かりませんが、ジェット気流の蛇行はかなりの程度正確に掴めますし、地下室を作って逃げ込めば、命は助かる訳ですから、今回の様な人的被害は出さずに済むでしょう。それは津波対策としての避難計画に良く似ています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月22日 (水)

2077 CSRからCSVへ

またまた横文字略語です。このタイトルでは以前にも書いた様な気がしますが、何度繰り返しても良いテーマだと思っています。さてCSRは、もうかなり耳にタコが出来つつある日常語になってしまいました。この言葉は、どうやらISOが今世紀に入って企業の責任(SR)を規定した事に端を発している様です。それに多分マスコミなどが乗っかって、社会的責任に拡大した様なのです。その結果、特に社会的に名の知れている大企業が、企業メセナの次のお題目としてCSRを取り上げ、環境活動とCSR活動を合体させた企業レポートを公表するのが流行になったと言う経緯です。

さて、CSRは企業活動を環境保全や社会との結びつきを「格好よく」まとめれば、どうにか形になっていましたが、CSVはやや趣が異なります。CSV(Creating Shared Value)は文字通り日本語にすれば、共通価値の創造になりますが、これだけでは何のことかよく分かりません。更に違約すれば、「社会の問題を解決に寄与する事業活動」とでもなるでしょうか。何故なら、社会に横断的に存在する問題を解決する事こそが、社会の共通の課題であり価値につながるからです。

ますます分かりにくくなりそうなので、具体例を考えましょう。田舎では、少子高齢化が深刻で、結果として人口減少や農業存続の放棄など、農村の荒廃が進んいます。これは、まさに大きな社会的問題です。確かに、草の根の特産物作りや行政が主導する6次産業化や、大企業の文字通り畑違いの農業参入などいくつかの動きはあります。しかし、問題はそれらの対策が、問題の根っこに切り込んでいない点なのです。根っこを放って置いては雑草(問題)は相変わらず蔓延ります。なぜ、都市から農村に人口が出て行ったきり戻ってこないのか、農村を住み易くするにはどうしたら良いか、もっと真剣に知恵を使わなければなりません。暮らしをどうやって立てるのか、子育てはどうなるのか、歳をとったらどういう終わり方が出来るのか、具体的な提案が必要です。何より、より多くの「羨むべき実例」が必要です。それは単に退職者が田舎に、別荘風の家を建て、晴耕雨読で余生を送る様なスタイルではありません。それではちっともCSVにつながらないからです。そうでなくて、田舎に移り住んだ人がアクティブに活動し、上記の田舎の問題を一つずつ解決し、「田舎の価値」を改めて創造する様な活動である必要があるのです。続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月21日 (火)

2076 NIMBY

NIMBYとは言わずもがなですが、少し前の流行語で、Not in my bacyardの頭文字です。つまり、「厄介な事は我が家の裏庭には持ち込まないで欲しい」、という程の意味です。誰しも、厄介事は嫌なもので、だからこそ僅かでも放射能の香りがするものは、たとえ福島から遠く離れた三陸で海岸で津波で倒された松から作った薪を、京都の大文字焼きの一部に加える事さえも拒否されたのでした。同様に、多くの自治体では、津波被災地で発生した瓦礫の受け入れを拒否し続けても来ました。

同様に「厄介」で思い当るのは、原発から出た使用済み燃料の始末です。再処理して、もう一度燃やせるプルトニウムをある程度遠心分離したとしても、強烈な放射能を出し続ける原発ゴミを引き受けると手を上げる自治体は、絶対に現れないでしょう。従って、それぞれの原発は、発電所内の燃料プールに未来永劫使用済み燃料を保管し続けるしか道は無いでしょう。それにしても、厄介な仕組みを作ってしまったものです。人類は原発を実用化する前に、必死になって放射能を消す技術を開発すべきでした。(勿論それはできない相談なのですが・・・)

とは言いながら、これは普遍的な問題でもあるわけです。ゴミの焼却施設の誘致、最終処分場の設置、火葬場の建設、飛行場や基地など、いわゆる迷惑施設は枚挙に暇がないわけです。迷惑がっているのは、もちろん裏庭(自分の住む地域の近く)に、それらの施設を持ってこられる人たちです。そのたびに、反対運動が起こり、賛成・反対の住民対立が連日報じられる事になります。便益は受けたいが、迷惑施設は困る、というのが人間の身勝手の典型ですが、その根は迷惑施設の集約と大規模化にあると見ています。その昔、ゴミは自分の家の裏庭で燃やしたり、埋めたりして処理せざるを得ませんでした。しかし、ゴミの量がまとまってしまうと、一筋縄ではいかない厄介者に変身してしまうのです。利便性を追求し、大規模化、集中化を図るほど、NIMBYの悩みは大きくなり、解決の道が見えない事態に陥る事になります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月20日 (月)

2075 千年に1回

地質学者によると、先の東日本の大地震はおよそ千年前の「貞観地震」と同等の規模だったとか。原発が事故を起こす確率は十分に低く、例えば1万年に1回起こるかどうかだと設計者が主張しても、その1回が明日起こらないと言う保証は何もない訳です。想定外という言葉ありますが、所詮人間がする想定など、その人(達)が持つ僅か数十年の人生での経験に加え、文献などで参照できる数百年程度の過去の事例から作られる限定的なものでしかない筈です。

どの様な形あるものも、やがては確実に崩壊すると言う前提に立てば、この世の中に完ぺきな構造など存在せず、したがって安全性は壊れる事を前提に保証できなければなりません。その様な考え方をFail safeと呼びますが、この考え方では実際に、あるいは頭の中で徹底的に壊してみる訳です。しかし、大変なのはそのFailure caseをどれだけ多く想定出来るかです。その想定に漏れるものがあれば、即ちそれが「想定外」になってしまうからです。

その意味で言えば、先の福一事故で、津波の襲来による電源喪失などと言う事態は、想定の初歩の初歩だったとも言える訳です。問題は、それをバックアップすべき非常用の発電機が動いたとしても、肝心要のモーターが水に浸かって全く動かなかったと言う事態です。それは、津波でモーターが水に浸かると言う事態が全く想定されていなかったと言う点です。津波などと言う災害は、別に近くで大地震が起こらなかったとしても、南米やアリューシャン列島当たりで大地震が起こっても、「トバッチリ津波」が来襲した事は、比較的最近の歴史でも分かっていた筈なのです。

千年ではなく、数百年間の想定でも津波に対しての想定でも十分だったのです。それを怠ったと言うことは、やはり人災と言われても仕方がない事故とも言えるのです。

同様の想定ミスは、彼の旅客機のバッテリー事故も全く根は同じだと言えるでしょう。バッテリーが絶対発火せず、あるいは発火したしても煙が機内に充満させない、という想定は事故を起こして初めて「再想定」された訳です。さて、現在の想定で全ての想定を網羅したかは、かなり怪しいと見ています。何故なら、航空機は退役するまでの何万時間も飛びますし、たぶんあの旅客機は数千機作られて飛ぶはずなので、その掛け算の数字の中で想定される事故は級数的に増加するからです。忘れてならないのは、古くなるにつれて機体は確実に劣化すると言う事実です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月18日 (土)

2074 科学と技術

このテーマに関しては、繰り返し考えます。自分が元技術屋であったということもありますが、何より科学・技術の乱用が気になるからです。まず科学ですが、多くの科学者は科学のために科学を研究している筈です。それは、科学が人間が人間である証としての「好奇心」の発露でもあるからです。その結果発見された物質や法則や化合物や原理などが、その後技術となって現代の我々の生活を豊かにしている事は間違いないでしょう。しかし、好奇心もそれが過ぎると、逆に害を与える事も多いのです。例えば、物質の根源である原子(核)に対する好奇心は、結果としては史上最も危険な武器である核爆弾と、一見有益な原子炉を生み出しました。しかし、その原子炉も表面化した大きな事故としては3回ほど起こしましたが、隠れた(隠された)小さな事故であれば、数えきれないほど起こしていた事でしょう。

ある原理の発見で、科学者の好奇心が満足されても、技術レベルの発達が十分でなければ、それは危険な発見であり技術になり得るでしょう。ノーベルのニトログリセリンは、未だに多くの紛争で人を傷つけるために使われ続けてもいます。彼の遺産が、科学のための科学に使われている事は、かなりの程度歴史の皮肉でもあります。勿論、近年は社会に役立つ「実用的な科学」が受賞の対象になる事も増えはしましたが・・・。

さて技術です。技術が技術として突然生まれた例は、皆無ではないのでしょうが、例外的です。その例外は、たぶん古くからあるワザが新たな科学の力で、近代的に変身したものなどになるのでしょう。しかし、技術の使用には倫理が不可欠です。ダイナマイトは爆弾に、航空機は特攻や9.11事件でも証明された様に空飛ぶ爆弾になり得るからです。船舶は軍艦に、自動車や建機は簡単に戦車に変身させられるでしょう。一般に科学者は、悪いのは科学者が導いた原理を間違った方向で使う技術の側にある、と主張しがちですが、科学と技術で同罪と見るのが公平でしょう。何故なら、すばらしい原理であればあるほど、それを悪意で応用すれば、極めて危険な技術(武器)になり得る事は歴史が証明しているからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月17日 (金)

2073 逆比例の法則

科学・技術の定点観測人でもあるM上陽一郎の「逆比例の法則」に共感しました。これはリスクの感じ方に関する見方に関しての、氏の提唱ですが、これはつまりリスクに対しての危機感は、距離、時間、心理的距離が大きくなるにつれて、逆比例的に小さくなると言うものです。例えば福一原発で起こった過酷事故は、福島や東北で人々が感じた(感じている)リスクの大きさと、東京やましてや関西に住んでいる人々が、報道などから感ずるリスクとは、地理的距離に反比例して小さくなると言う視点です。投稿者などは、むしろ「距離の自乗」に反比例すると極言しても良いとさえ感じてしまいます。

これは確かに法則の様な気がします。しかし、意識の上でのリスクとは異なり、放射性物質の様に大気中に飛散したものが陸地や水系に降下し、2次的な汚染を引き起こす場合、それは当てはまりません。遠く離れた茶どころやシイタケ栽培の農家が、実際に放射能汚染の被害を受けている事でも、それは明確です。つまり、現象は全て距離に応じて同心円状に波及する訳ではないのもまた事実なのです。

ともあれ、一般的に言えば逆比例の法則は確かに存在し、特に事件や事故の「当事者意識」という点では、間違いなく当てはまる法則だと言えそうです。この法則に逆らおうとすれば、事件・事故の現場に足を運ぶか、あるいは豊かな「想像力」に頼るしかありません。しかし、単純に想像を膨らませるのではなく、当事者に寄り添った想像こそ必要なのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月16日 (木)

2072 隙間を埋める技術

いわゆる先端技術というものがいくつかありそうです。例えば、航空宇宙(材料)やナノ物質やロボット技術や遺伝子操作などなどです。しかし、最先端技術などと呼ばれるものほど、その基盤技術やそれを用いるに当たっての倫理などはスカスカの手薄になっているのも事実です。例えば、基本的な倫理さえ定まっていない、どんな臓器でもなり得るISP細胞やクローン生物が作れる遺伝子操作、あるいは人体に取り込まれ場合の影響評価が終わっていないナノ粒子、あるいは取り敢えず数十人の人間を、月や数百キロ高度上の宇宙空間には送ったが、それで人類の幸福度が格段に上がった訳ではない所謂「宇宙開発」はかなり空虚な最先端技術だと言えそうです。

技術は、裾野がしっかりしたものである事が絶対に必要です。何故なら、技術は私たちの最大多数の項幸福度を上げるための「手段」でしかなく、技術それ自体が目的であってはならないモノだからです。裾野のしっかりした技術は、それに関わる人たち、あるいはそれを使う人たちの人生を豊かなものにするでしょう。しかし、先端だけが尖がって、中身がスカスカの技術は、時に予想外の危険を生み出したりもするのです。それは、いちいち過去に種々の公害や薬害事故を引き起こした「化合物」を引き合いに出すまでもなく、メリットだけに飛びつき、マイナス面を見なかった拙速さに原因があるでしょう。

技術には必ず負の側面もあり、それを解決しながら土台を固めるのが「裾野技術」である訳です。化学物質で、まったく人畜(や植物や微生物)に全く無害であると証明されているものは存在しないと断言しても良いでしょう。自然が作り出した物質は、少なくとも何億年も掛けて、無害性が照明されたか、あるいは生物がその有害性を受け入れてそれを回避しながら進化してきたはずだからです。フロンも、PCBも有機水銀も有機溶剤やプラスチックなど人工的な化合物にロクなものはありません。それが自然のメカニズムで無害なものに分解されるならまだしも、環境に蓄積するいわゆる「何分解性物質」は、どの様な種類であっても有害だと言えます。人工物質に完全に安全が保障されたモノは無い、言い切る所以です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月15日 (水)

2071 CO2の洪水

ボヤっと暮らしていたら、マウナケアの観測所のCO2平均濃度が既に400ppmを超えたとか。頭の中にあったわりと最近の数字は380ppm程度だったので、それから4-5年で20ppmも増えた勘定になります。これは、「CO2の洪水」としか呼べない状況に見えます。CO2の洪水が、標高3000mを超えるマウナケア山の上にまで押し寄せているのです。私たちは、その大気を呼吸して生きている存在なので、洪水から逃げる訳には行きませんが、しかし何らかの手は打たなければ、将来に禍根が残りそうです。というより子孫に申し訳が立ちません。

現状の化石燃料の使用量を半減したとしても、この洪水に歯止めが掛からない事は明らかですが、かといって何もしない訳にもいかないでしょう。焼け石に水ではあっても、取り敢えずエネルギー使用量の半減にはチャレンジする必要はありそうです。やる事は明確です。全てを半分にすれば良いのですから。先ず車の重量を今の半分にしましょう、それが出来ないのなら、走行距離を半分にするしかありません。6割ほどの食料が輸入され、その内の3割以上が廃棄されている現状と、メタボな人が増えている現状を見れば、いま流通している食糧の量を半分にするのはそんなに難しくはなさそうです。

問題は、冷暖房や給湯に掛かるエネルギーの削減でしょう。すっかりひ弱になった現代人には冷暖房が不可欠となっているという嘆くべき状況なのです。毎日風呂に入らないと気が済まない、過剰な清潔志向人間も同様に厄介です。夏場や冬場の冷暖房エネルギーを半分にするには、たぶん設定温度を4-5℃上げる(下げる)必要がありますから、夏は30℃を超える気温に耐え、冬は17-8℃の気温で寒さを感じない程度に着込む必要があるでしょう。しかし、10℃以上では、暑さも寒さも、湿度が上昇する程体には厳しく感ずるものなので、投稿者が提唱する太陽熱で湿度を下げる「デシカント空調」が実用化できれば、空調エネルギー半減も視野に入ってくるはずです。その前に、安普請で断熱性の悪いこの国の住宅やビルの、断熱性能を上げる改良は絶対不可欠だと言えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月14日 (火)

2070 田舎に仕事を増やす2

2066では、廃棄物扱いとなっている植物バイオマス資源の活用により、ビジネスを生み出そうとの提案をしましたが、ここでは更なる新ビジネスを考えてみましょう。田舎で余っているモノとして見回せば、例えば家畜のし尿や、農業残渣(稲わらや売れない廃棄作物など)が目につきます。確かにその内のいくらかは、堆肥として活用はされてはいますが、量としては僅かに留まっています。いくつかの堆肥センターなるものが存在し、堆肥が作られてられてはいても、出口が少ないために在庫が積み上がるばかりなのです。

一つのビジネスモデルとして、京都府のY木町で、し尿や農業残渣を原料としたバイオガスの活用プラントが立ち上がってはいますが、そこでの問題点は、実は高すぎる設備コストだと言えるでしょう。あの規模のプラントに何億円掛かったのか、正確には把握していませんが、ざっと見て一桁は高すぎる見ています。何に対して髙いかといえば、それは減価償却できるであろう設備費に対してです。大きな補助金が降りるプロジェクトであれば、コストがいくら掛かろうが、いくつもの大メーカーが競って高性能のプラントが提案できるでしょう。しかし、例えば20年で減価償却すると想定すれば、バイオガスや電力や熱で回収できる金額が1,000万円あると仮定しても、設備投資は2億円以下でなければならないでしょう。実際のメリットは、その半分以下でしょうから、投資はせめて1億円以下には抑えたいところです。

さて、田舎に仕事を増やすには、たとえ効率が高くても高額で、取扱いが複雑なプラントは不向きであることは間違いありません。そうではなくて、かなりの程度人手に頼る(雇用の増加につながえる)アナログなシステムで、しかもユーザーにプロセス全体が見通せるものである必要もあります。その意味で、ドイツで見たシンプルなバイオガスシステムと50kw程度の発電機のセットが、総額で2-3000万円程度であった事は、理にかなった費用対効果であったと思い返しています。更に続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月13日 (月)

2069 火山の季節?

3.11の大震災に起因すると思われる、火山の活動が活発になっている様に思えます。例えば、秋田駒ヶ岳では、明らかに地熱の温度が上昇し、笹竹など比較的乾燥に強いとされる植物が枯れる現象が観察され始めています。それを追いかけて最近蔵王山での不気味な火山性微動も報告されています。あの大地震では、GPSの観測データによれば、陸地がなんと数メートルも震源側に押し出されて伸びたと報告されています。

東北の背骨である奥羽山脈には、いくつかのホットスポット(活火山や休火山)が存在します。岩手山や秋田駒、鳥海山、栗駒山や蔵王山から磐梯、吾妻辺りまで、そのいくつかは活火山であり、多くは休火山となっています。しかし、投稿者が生まれてからの60年余りの短い年月でも、秋田駒や鳥海山や吾妻山及び秋田焼山は溶岩の噴出や火山弾をともなう噴火を起こしているのです。(それぞれ1970年と1974年と1977年には2件)これら数年間に亘る一連の噴火が何をトリガーとして始まったものか、門外漢の投稿者は素人考えを巡らすだけですが、少なくとも一昨年の大地震は、千年に1回程度の大きな規模でもあり、東北地方の火山活動にとって、非常に強力なトリガーとなるであろうことは容易に想像できます。

火山の噴火には、予め火山の地下のホットスポットのマグマが蓄積することが不可欠ですから、大地震後ただちに噴火を起こす訳ではありません。たぶん、数年程度の「準備期間」が必要となる筈です。マグマが押しあがってくるためには、それを押しとどめている地殻の割れ目が、地震によってやや緩んでしまう事が不可欠な条件のようなのです。例えば、過去の富士山の噴火でも、フィリピン海プレートによって引き起こされた、関東地方の大地震が前触れとなっている事が史実として記録されている様に、今回の東日本大地震が北米プレートによって引き起こされ、結果として東北の山々の火山活動の活発化を誘発するかも知れない、というあり得べき次なる災害を憂いています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月12日 (日)

2068 最悪のPM2.5は?

春先はC国からの偏西風に乗ったPM2.5が問題になっていました。しかし、身近にはもっと有害で、濃度の高いPM2.5が存在する事は意外に知られていません。その中には、C国から飛来する工場・石炭火力発電所などからの排煙や自動車の排気ガス起源のPM2.5にも含まれない、きわめて有害な微粒子が含まれているのです。その正体は、実は喫煙者が出す副流煙です。

タバコの煙の中には、有害と言われている物質だけでも200種類も含まれていますが、非喫煙者が吸ってしまう副流煙には、主流煙の数倍から数十倍もの高い割合でその有害物が含まれています。とりわけ、タールを始めペンゾピレンやジメチルニトロソアミンなど十数種類は、発がん性があると言われており、煙の状態ではPM2.5以下の非常に細かい粒子となって、肺の奥深くまで到達する事になります。発生源から受動喫煙を引き起こす被害者まで、その距離が非常に近いと言う1点だけで、タバコの煙は最悪のPM2.5なのです。

その意味で、お隣の国から飛来するPM2.5だけをマークするのは、まったく片手落ちというべきで、間接喫煙こそそれを皆無にするように、法律で厳しく規制すべき時期でしょう。一体、かつてはネイティブアメリカンの儀式であった喫煙の習慣が、これほど全べての「新」世界に国に蔓延った真の原因は何だったのでしょう。これは学問になりそうな興味深いテーマではあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月11日 (土)

2067 風車のメンテナンス

風車の事故報告が止まりません。落雷に羽根の破壊はこれまでも起こっていましたが、メカニズムの故障により羽根に過大な遠心力や曲げモーメントが掛かって壊れるケースや、支柱の腐食による亀裂など、本質的な起こるべくして起こった事故が増えているのです。ここでは若い頃のつたない経験をもとに、風車に対して施すべきメンテナンスを考えてみる事にします。激しく動く機械である風車で、最も重要なメンテは、実は潤滑剤の管理だと言えます。多くの軸受や増速ギヤなど潤滑が必要な部位は非常に多岐に亘るのです。これらの潤滑油は、使用中の酸化による劣化や、錆びや金属粉による汚れなど、数年で交換すべき期限に到達するでしょう。最初の数年は、メーカーによるメンテが行われるでしょうからあまり問題ないのでしょうが、流石に10年も経過すると、かなり危うくなる筈です。

もう一つのメンテナンスのポイントは、金属疲労です。例えば、支柱を繋いでいる多くのボルトや屋根を取り付けているボルトなどは、繰り返しの応力と水分による腐食の両方のストレスに晒される部材でもあるので、定期的な非破壊検査(超音波検査や望ましくは抜き取っての磁粉探傷検査)が不可欠でしょう。一体どれほどの頻度でそれが行われているか、ぜひ知りたいものです。

三つ目のポイントは、支柱を含めた部材の腐食です。多くの風車が所在する場所は、風況の良い海岸部が多いので、潮風と湿気による腐食圧力は、船舶などに次いで激しいものだと言えるでしょう。特に気を配るべきは溶接部でしょう。例えば、支柱は鉄板をロールして接合したパイプで構成されていますが、溶接部は母材に比べて腐食に対する感受性が高くなっているものです。塗装は、紫外線によって数年で劣化が進み、ひび割れが出来るので、その後は母材や溶接部が腐食環境に晒されることになります。しかし、例えば高さが100mもある様な、支柱やその上の構造物の検査は非常に困難な作業である事は明らかです。

今後、国内の風車はその数が急速に増えるでしょうが、そのメンテナンスを怠ると、更に重大な事故につながる事例が、飛躍的に増えそうな予感がしてなりません。しっかりしたメンテナンス技術者の養成やそのための検査設備(検査ロボットなど)の開発も不可欠でしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月10日 (金)

2066 田舎に仕事を増やす

住み心地が良い田舎の唯一で最大の問題点は、仕事が十分には無い事です。(ここでの「仕事」とは、ある程度の現金収入を得るための手段という意味で使っていますが・・・。)とりわけ、若い人たちのための仕事は、本当に少ないのです。投稿者が今住んでいる街(平成の合併の結果一時10万人ほどにはなりましたが、今は8.5万人ほどに目減り)の、主な勤め先はと言えば、たぶん役場か医療・介護施設か、かなり淘汰はされましたが醸造業(酒屋、味噌醤油屋)などの食品産業、加えて小さな町なのに何軒もあるパチンコ屋くらいでしょうか。

しかし、今手元にある「緑の分権・・・」という、全国の自治体別のエネルギー使用量や再エネのポテンシャル量を試算したデータベースによれば、投稿者の今住んでいる田舎街が年間に「外部」に支払っている年間のエネルギー代は、電力と石油系エネルギーだけを取り上げても、なんと2,000億円以上にも上ると言うのです。一方で、同じデータベースによれば、この地域の再生可能エネルギー賦存量は、最も実現性が高いものだけを選り出しても、金額ベースでは1400億円に相当する事を示しているのです。話半分ではなく、話1/10と仮定しても、この賦存量の1/10を地場のエネルギー産業として取り込めば、100億円を超える規模の市場を新たに起こせるポテンシャルがあると言っているのです。

もう少し、固めに見積もって、家庭用の熱利用分野(つまりは、暖房・給湯目的など)だけに限ってみても、ここは北国だけに、熱として直接利用するエネルギー代(主に灯油燃料がその源ですが)として300億円を大きく超える金額を毎年石油会社(=中東)に支払っている計算になります。その1/10だけでも地場のエネルギー源(例えばバイオマス)で賄えば、難しく考えなくても30億円を超える新たな市場を生み出す事が可能となるのです。秋田に越してきてから、いくつかの企業を回りましたが、ある木製品を加工している地元の企業では、ざっと計算しても燃料に流用すれば年間数千万円分にもなる鉋屑や木挽き粉を、有料で処理業者に引き渡している事が判明しました。これを燃料ペレットなどに加工する事業を起こせば、数千万円の売り上げが上積みされ、間違いなく数人の新たな雇用を生み出すでしょう。それが30億では、ゆうに数百人の新たな雇用も期待できるでしょう。これは夢でも何でもなく、上で示した様に「固い」見積の数字なのです。さらに続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 9日 (木)

2065 生業とビジネス

仕事は、生業とビジネスに分けられる様な気がしています。生業(なりわい)とは、一般的に言えば、豊かではなくても自分や家族が過不足なく暮らせるようにするための仕事を指す言葉でしょう。一方で、ビジネスという言葉には間違いなく「お金」が絡んでいる様なイメージが付きまといます。つまりビジネスとして体裁を整えるためには、ROI(投資対事業益の比率)などと言う数字がモノを言います。つまりは、ビジネス成否の結果はお金で勘定して評価するしかないのです。

生業では、何とか自分と家族の生活が持続すれば良いので、たとえば自分が作った産品を、近くの農家の作物と物々交換しても、何の問題も生じません。むしろ、税金なんぞを払わないで済むだけ、心安らかに暮らせるのかもしれません。なんせ、申告すべき「所得」が無い訳ですから行政も税金を課す訳にもいかないでしょう。田舎では、山に生える山菜や、物々交換した作物や、労役を提供した際の現物給与などを合算し、少しの田畑を耕せば、殆ど現金なしでも暮らせる筈なのです。いずれにしても、豊かに暮らせるはずの田舎に、現金収入という基準を持ち込んだ途端に、そこは暮らしにくい、という太鼓判が押されてしまいます。生業が魅力を持つためには、何らかの価値観の転換が必要の様です。

それにしても、自分が労力を出して建てるにしても住宅の材料費や衣服や子弟の教育費や最低限のエネルギー費は必要でしょうから、やはりそれなりの現金収入は必要ではあります。それを得る方法については、続きで書く事にしましましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 8日 (水)

2064 思考停止とリスクセールス

2062の続きです。専門家(いわゆる学識経験者)の意見を聞くのは一見合理的にも思えますが、これは彼らに諮問する側の人々の思考停止を招きます。専門家であるから、彼らの専門知識は大体は正しいのでしょうが、しかし彼らが正しい判断基準を持っているとは限りません。むしろ専門家であるが故に、全体を見通すバランス感覚が弱く、専門分野という針の穴を通じて世の中を見ている可能性すらあるのではないか、と疑っています。思考(=考えること)とは、一応の知識を踏まえながら、しかし全体を見通して、最もありうべき方向を選び取る能力だと思うのです。

その一つの例が、原発再稼働問題です。政権の交替が契機とはいえ、原発の全廃問題はさながら一度リセットされた様な雰囲気さえ漂います。「福一」の過酷事故を目の前にして、この国の国民もリーダーも、一度は原発の最終的な全停止をココロに固く誓った筈なのです。唯一の問題は、全廃までの時間だった筈なのです。それは、再度の過酷事故を起こしてはいけない事は当然としても、改めて明らかになった、適切な処理の方法が見つからない使用済み燃料の事を、全国民が明確に認識したからでもありました。それかあらぬか、なんと先ほどのこの国のリーダーは、あの地震国に原発を輸出すると言う約束を取り付ける暴挙に出たのでした。

この、いわゆるトップセールスが、どちらかと言えばマスコミにもポジティブに評価されている様なのです。しかし、原発の輸出だけはどうにも看過できない、「黒いセールス」だと断ずるしかないでしょう。しかも地震大国でもあるT国に売ろうとする態度は、暴挙どころかまったく許しがたいものがあります。何故なら、それは使用済みの核燃料を処理する手段を含まない「欠陥プロジェクト」の輸出になるからです。誰が何と言おうが、プルトニウムを含む使用済み核燃料棒ほど、その処理に厄介な史上最悪の廃棄物であることは論を待ちません。原子炉が実用化されて以降、有効な核廃棄物の処理プロセスを、地球上で未だ誰一人として発見していないのです。欧米のいくつかの企業が、遠心分離機を使ってプルトニウムを含む物質とそれ以外に分けて、前者を再度核燃料として使う方法を、辛うじて商業化出来たレベルなのです。プルトニウム自体やその他の危険な廃棄物の放射能を、消し去る技術というは全く何処にも存在していないのです。つまり、その邪悪な廃棄物が自動的に生まれてしまう危険な箱(原発)だけを売りつけるのは、無責任の極みどころか、犯罪行為だと断ずるしかありません。

誰も彼を止める事は出来なかったのでしょうか。これは、もはやこの国の良心の思考停止と言うしかないでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 7日 (火)

2063 戦う弁護士逝く

昭和の戦う弁護士が「風」になりました。大きな社会問題の加害者と果敢に戦い、被害者に可能な限りの補償をもたらそうと、体を張って走り抜けた人生だったのでしょう。投稿者にとっては、彼といくつかの公害裁判が重なって見えます。例えばいわゆるヒ素ミルク事件は、最も安全であるべき乳児用ミルクのプロセスに使われた物質に、不純物としてヒ素がかなりの量含まれていた、というあの事件です。試験製造では純度の高い1級品を使いながら、量産段階では安い「工業用グレード」を使ったために、これに含まれていた不純物としてのヒ素で、多数の中毒患者を出してしまったのでした。

これは、公害事件の一つの典型だったとも言えます。加害者側は、「この程度の不純物や有害物」が混入していても、環境や人体には殆ど問題は生じないと勝手に判断して事を進めるのですが、比較的長いレンジで見れば、結果として甚大な被害を生じさせるのが公害の本質だからです。ヒ素事件の場合は、有害物に極端に弱い乳児が主な被害者となったため、最悪の結果(被害)が非常に短い期間で拡大してしまった例だと言えます。

彼が関わった事件で、その全く対極にある「ロングレンジの事件」は、実は豊島の廃棄物投棄事件だった言えます。豊島の採石場跡地に投棄されたシュレッダーダストなどを含む、多量の産業廃棄物が引き起こしたあの事件です。廃棄物が少量にとどまっていた時期は、それほど問題にならなかったのでしょうが、量が数十万トンに積み上がるにつれて、廃棄物から染み出る有害物を含む真っ黒な液体や地下から吹き上げるガスやらが、被害を及ぼし始めたのでした。

福一の過酷事故も、ある意味では人災であり、それが過去の公害事件には見られなかったほど、広い地域に及ぼした被害を見るにつけ、これも20世紀のツケが引き起こした「最大規模の公害事件」だとも言えるでしょう。しかし、N坊氏に代わって一体誰が先頭に立ち、「再稼働勢力」と戦ってくれるのでしょうか。彼には。是非彼以上に強力な「後継者」を指名しておいて貰いたかったのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 6日 (月)

2062 御用ご意見番

リーダー、とりわけこの国のリーダー達は、いわゆるブレーンや委員会が大好きです。彼らにある課題について諮問すれば、何らかの答えが返ってきて、それはさも自分の意見の様に答弁や演説にも使えるでしょう。しかし、考えてみなければならないのは、それらのご意見番たちは、ある明確な意思の元に集められていると言う事実です。それは、基本的にはそのリーダーの意見をサポートする方向の見識を持っている人たちでしかない訳です。つまりは「御用ご意見番」という訳です。

加大バークレー校のR・ムラ―によれば、科学者といえども何らかのバイアスからは逃れられない存在だとか。つまり、御用アドバイザーたちがどれほど、科学やデータに基づいた意見を具申しようが、所詮それは国民のための意見ではなく、何らかの意思の元にまとめられた「リーダーのための意見」でしかない訳です。原発が必要な理由を集めさせれば、御用原発学者にかなう人は居ない筈ですし、御用憲法学者に語らせれば、今の憲法の欠陥を100個くらい論う事も可能でしょう。そうやって、世論を形成しておいて、その作られた世論をオブラートに包んで公約に織り込んだ上で、選挙に持ち込めば、多分今の与党は雪崩的な勝利を勝ち取る事も出来る筈です。

しかし、現システムを変えるにしても、その前には四方八方から「立体的な意見」を集めて、課題を浮き上がらせる必要があるのは言うまでもありません。その際に絶対に必要な視点は、越し方の歴史を踏まえた上で、将来を見越す力と、科学的・合理的思考に加えて、種々の意見の良い点を濾し取る力が必須です。そんな力を持っていたと思われる、いわゆる大物オピニオンリーダー達が次々とお隠れになってしまった今、我々は途方に暮れるしかないのでしょうか。政治家は、オピニオンリーダーたり得ず、所詮はマツリゴト屋に過ぎません。続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 5日 (日)

2061 早咲きと花冷え

しつこい花冷えが続いています。少し前にも書きましたが、今年は春先になっても極東(ウラジオ上空を中心とする)寒気団が固定化している様です。逆に、北米では暖気がかなり高い緯度まで北上しており、それに呼応する形で「亜熱帯ジェット気流」も北上していますので、この季節としては異常とも言える気温の上昇が起こっています。北極海の温暖化が進み、冬季の浮氷の厚みが薄くなってきている近年、基本的には北極気団の強さは低下している状況で、気団の縁を取り巻くジェット気流の蛇行も、非常に極端になってきているのは間違いない様です。

蛇行の結果として、蛇行が南下している地域では寒気が溜まり、逆に北上している地域では暖気が支配的になる訳です。ジェット気流の蛇行の原因はと考えて見れば、それはある地域における継続的な上昇気流や下降気流の存在と、ヒマラヤなどの高度の高い地形である事はほぼ間違いないでしょう。地形に変化がある訳ではないので、残ったファクターは、固定的な地域の温度差の存在となります。地球規模の視野で見れば、それは「熱塩循環」における北大西洋での海流の沈降流と、北太平洋における湧昇流が原因である事は明らかです。細かく見れば、沈降流はグリーランドを挟み込む様に流れており、それが南の海からの莫大な熱量を持ち込み、この地域の平均気温を上げています。

北海における熱塩流の沈み込みには、海面付近における塩分濃度も重要なファクターとなります。塩分が濃い海水は、温度が下がれば速やかに深海まで沈み込みますが、逆に濃度が低い場合には沈み込みが上手く進みません。例えば、グリーンランドの陸氷が過度に融けると、海水の塩分濃度を低下させるでしょうし、また北極海の海氷が十分に厚くならないと、やはり海表面の塩分濃度も十分には高まりません。海水が凍る際には、塩分が氷の中から追い出されるからです。浮氷が厚くなるほど、塩分濃度も高まる筈なのです。しかも、海水の温度も氷点下といえども比較的高い温度のままで推移する訳ですから、ますます熱塩流の沈み込みを阻害する方向に作用します。

と言う様ないくつかの現象が重なった結果として、北海やバレンツ海での平均気温を押し上げ、その部分に発生する低い気圧の地域がジェット気流を押し曲げると想像しています。つまり、投稿者は、今年の様に早い春の訪れの一方、その後は冬への逆戻りを繰り返す気候は、今後固定化するのでないかとみています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 4日 (土)

2060 バイオマスの活用に向けて

バイオマスの活用は、資源の賦存量や技術的ハードルの低さを考えても、是非大きく推進させる必要があります。最近見学した山形の温泉施設でも、従来の重油焚きボイラから、バイオマスボイラへの転換を実現しました。見るからに立派で、高そうな施設でしたが、しかし、同時にいくつかの課題も見えてしまいました。その1は、高額となる初期投資額です。たとえ燃料費が、重油よりかなり安くつくとしても、初期投資が高過ぎては、何時まで経っても投資が回収できません。設備寿命が、例えば20年弱だとしたら、その2/3の期間内で投資を回収し、残りの期間は次の投資のために、利益を蓄積できるくらいの費用対効果が期待されるシステムである必要があるでしょう。

その2は、燃料とすべきバイオマスの品質管理です。例えば、水分率が10%程度(つまりはカラカラの状態)の燃料と、40%程度(つまりはジュクジュクの状態)で比較した場合、同じ1㎏の燃料から得られる熱量は、後者では重量当たりの熱量が、2/3程度に低下するのに加え、水分を蒸発させるために、燃焼で得られた熱量を消費するため、結局は有効な熱量は半分程度に目減りする事になります。製造が簡単な木材チップ燃料でも、ペレット燃料の様に、形状や水分率を一定の幅に抑え込めれば、それを燃焼させるメカニズムも随分簡素化できるでしょう。

その3としては、上記二つのポイントにも関連しますが、燃焼させるためのメカニズムも、可能な限り簡素化する必要もあるでしょう。それは、製造コストに直接関わるのみならず、使用中清掃などのメンテナンスや修理コストにも大きなインパクトを与えずにはおかないからです。例えば、見学した施設の設備には、油圧システムと空圧システムと電動システムが混在して使われていました。全体は、電気的な制御システムでコントロールされていますから、それぞれのシステムを熟知していない限り、微妙なバランス調整(システムの最適化)は専門家にしかできない芸当なのです。

これらを解決し、より安定的な燃料を使った、よりシンプルなメカニズムでより安価なシステムを実現しなければ、バイオマスの活用も絵に描いた餅になってしまうかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年5月 3日 (金)

2059 雪崩或いはカタストロフィー

しばらく投稿を休みましたが、岐阜への帰省から今朝戻りましたので再開です。この連休中も何件か雪山の雪崩事故が起きました。この季節の雪崩は、底雪崩も多く、規模も大きくなりがちです。さて、雪崩を想像する時、何故が今の時代背景を同時に思い浮かべてしまいます。雪崩は、そもそも積雪の中に生じた内部応力が、ついに積雪自体が持つ「強度」以上に高まってしまい、カタストロフィックに崩壊する現象です。つまり、ソリッドの氷の様に強度が十分に高ければ、それは崩壊する事なしにゆっくりと滑り下りるでしょう。それが氷河です。しかし、山の斜面の積雪の強度はその数分の一か数十分の一程度でしょうから、雪庇の崩落や登山者の体重程度の追加のストレスで簡単に崩れてしまうのです。

さて、現代社会とのアナロジーです。今の社会システムは、戦後構築された仮システムの上に、次々に振りそそいだ新たなシステムが築かれた、いわば降雪と同じような構造を持っていると思えてならないのです。新たなシステムと古いシステムの関連性が取れていて、密着度が高いソリッドなシステムであれば問題も生じないのでしょうが、屋上屋を重ねた継ぎはぎだらけのシステムであればあるほど、崩落の危険性はドンドン高くなる筈なのです。

例えば、今目の前にあるパソコンのOSですが、MS-DOSから何度かのバージョンアップを重ねては来ましたが、もし新たなバージョンが一つ前のOSに改良を加えただけのものであった場合、旧OSが持っていたかも知れない脆弱性を内在したままになっている可能性も否定できません。悪意のハッカーはそこを狙うのでしょう。ところで今回の本題は、この国の政治システムや経済システムなのです。戦後、何の大きな反省や制度改革も行われずにここまで引っ張ってきたものですが、これが山の斜面の積雪の様に、雪崩を起こさないと言う保証は全く無いと言うしかないでしょう。誰が、何時の間に政治家や日銀総裁にこんな強大な権限(例えば原発の再稼働権限や、天文学的な公債の発行権限)を与えたのでしょうか。この国の持つ古き良き土台と、今の新しいシステムの間には、危なっかしい「滑り面」が内在していると思ってしまうのは、投稿者ばかりではない筈です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年4月 | トップページ | 2013年6月 »