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2013年6月30日 (日)

2116 夕暮れ時

物心がついてから今の文明を50年近くかんさつしている見てきた立場として、このブログの最初の方で、この文明の「夕暮れ」について書いた様な気がします。つまりそれは、この文明に24時間の寿命があるとして(事実過去反映した全ての文明は、現在の文明を除いて消滅してしまいました)、一体今は何時何分なのだろう、という素朴な疑問を持ったからなのでした。

初期は石炭、その後は石油を原子力などの化石エネルギーと多くの地下資源に頼って歴史上でも最も成功をおさめ、隆盛してきた今の文明も、それらの資源産出がピークを打ったいま、投稿者の感じでは夕方の4時半ごろの様に思えるのです。資源の丁度半分を消費したから、今は正午だと考えるのは明らかに間違いです。その証拠には、シェール革命と呼ばれる石油や天然ガスの採取方法は、既に自噴する能力を失った古い油田や、それまで見向きもされなかった、密度の薄い油田やガス田に、薬品を突っ込んで「無理やり絞り出す」採取法であるわけで、それらの油田やガス田から採取できなくなる時は、パタリと出なくなるはずだからです。徐々に減る場合は、何らかの対策も打てるのでしょうが、突然の「油断」は、昼からすぐに夜になる様なもので。この文明はまさしく途方に暮れざるを得ない事になります。

そうならないために、私たちはエネルギーや資源を徐々に「再生可能なもの」に切り替えていく必要がある筈なのです。再生可能であると言う事は厳密な意味で言えば、太陽光発電や大型風車などのカラクリは除外しなくてはなりません。何故なら、資源や電力が少なくなる局面で、それを複製する事は困難だからです。しかし、オランダ風車であれば、石と木と布で作れますから、ほぼ再生可能な仕掛けだと言っても良いでしょう。夕暮れ時に頼りになるのは、まだまだ輝き続けてくれる太陽光であり、それにほぼ100%依存する仕組みを早く作り上げなければなりません。ご先祖様たちは、人口が今の数分の一だったとは言え、確かにその仕組みを実現していました。しかし、その生活は天候や地震などの天変地異によって過酷なものであった事は歴史が語るところです。しかし、我々には既に地下から彫り上げた地下資源が手元にあります。これらを上手くリサイクルして、エネルギー効率を極限まで高めれば、夕暮れ時から夜に入ったとしても、しばらくはの文明を続けていく事も可能となる筈です。

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2013年6月29日 (土)

2115 自己複製

地球が誕生して、例えば45億年経ったと言う学説が正しいとして、その後数億年を経て無生物の海から生物が生まれたと言われる仕組みに関しては、未だに想像の域を超えない「学者達の作った物語」の数々に留まっている様な気がします。暖かい(熱い)原始の海に、日夜激しい落雷(放電)があり、宇宙線が雨あられのように降り注いで、スープの中から偶然にアミノ酸が出来たとして(1950年代には既に実験室で放電でアミノ酸を合成する事に成功していましたが)それらが更なる偶然でつながってタンパク質が出来たと仮定しても、それが生物になるなどとは、確率が低すぎて(素人考えでも)とても納得が出来ません。

と言うのも、アミノ酸の鎖がDNAの様につながったとしても、それが自分と全く同じモノを複製するには、そのための数多くのタンパク質合成酵素も必要とするからです。その酵素自体も、ある種のタンパク質でもある訳です。DNAを二本に分解する酵素、RNAを使って二分された紐から、まったく同じ片割れを作り出して自分を複製する酵素、更に再度DNAとなるための酵素などなどです。ここでのキーワードは「自己複製」という事になりますが、それこそが生物が生物たり得る所以だと言えます。ところで機械が、自分自身を構成する全ての部品を、自分自身で作り、さらにそれを組み立てるなどと言う事は、未だSF映画の世界に留まっているのです。

しかし、全ての生き物には、私たちヒト自身もそのホンの一部ではありますが、何故かは分かりませんが、ラッキーな事に自己複製の能力を授けられている存在である事は確かです。20世紀で起こった戦争による徹底的な破壊と、それを再生する営々と続いた活動の結果、殆どのモノが復旧し、その何十倍もの社会インフラが作られてきました。一方で、例えば環境の悪化や地方のコミュニティの崩壊、あるいは核家族化など、多くの犠牲も払ってきたと振り返っています。それを何とか持ちこたえて、現在の社会システムを維持出来ているのは、その何故かは分からない、私たちに授けられた「自己複製能力」故なのでしょう。震災からの復興もかなり遅れている様ですが、自己複製能力が残っている限り、時間は掛かってもやがていずれかの形で復興する事は間違いありません。昨日のNスぺではありませんが、大規模な津波被害の場合、それは一世代では終わらない可能性は高いのですが…。

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2013年6月28日 (金)

2114 T塚の夢

昭和時代の少年・少女の夢は、かなりの部分T塚治虫によってInspireされたと言っても過言ではないでしょう。何しろ氏は少女向けにリボンを付けた主人公の漫画も描いていた訳ですし、殆どの人は、その漫画に触れていた事でしょう。しかし、鉄腕アトムほど影響力の強大だった漫画は、たぶんこれからも現れないだろう事は、断言してもたぶん反対する人は少ないでしょう。その影響力は、国内のみならず、数えきれないほどの同世代の少年たちに21世紀に懸けた夢を植え付けたのでした。

小型の原子炉を胸に収めたアトムは、10万馬力を出して空を飛び、重量物を持ち上げて見せたのでした。一方で、人間を思いやる優しい心を持ち、人間と同じように悩み苦しむロボットでもありました。一口に10万馬力と言っても、現代の技術で言えば、強力なエンジンを持ち、1週間で太平洋を横断してしまう大型のコンテナ船の馬力と同程度になりますから、それを内蔵したアトムの体は、そこらにある金属ではその馬力に耐えられない筈です。真面目に、アトムの技術的可能性を書いてもせん無い事ですが、T塚が描いた科学技術で21世紀に間に合ったものは、実のところ殆ど無かったのでした。T社は、ハイブリッド自動車のCMで何とか21世紀に間に合った製品として、ややはにかみながらアピールしたのでした。

さてアトムの10倍も出力を持つ原発は、震災のストレスに耐えきれず崩壊してしまいましたし、人型ロボットはといえば、その崩落現場で働けるほど性能の高い登場していません。問題は、パワーを生み出すパワーパックが、未だにバッテリーから脱却出来ていませんし、動力源が電気モーターに替わるものが発明されていないのです。結局、行動時間と瞬間的なパワーのいずれに対しても、十分な性能を持つロボットは影も形も見えていないのです。これは、産学官の怠慢と言うしかない状態です。低い軌道に人間を長期滞在させるだけのお金と技術者が居れば、とうの昔に性能の高いロボットが開発出来た筈なのです。それを、車会社や産業用ロボットメーカーだけに任せてきた結果、今日の体たらくを招いたと言えるでしょう。それを巻き返すのは「今」しかありません。

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2013年6月27日 (木)

2113 還元論ではなく

2112の結論の別の言い方かもしれません。世の中の還元論が気になります。還元論とは、~は結局~に過ぎない。という極論です。例えば、存在する全ての物質は、結局究極の素粒子からなり、その粒子の存在が重力の存在さえも「要求する」、などと主張する「統一理論」などもその代表でしょう。身の丈サイズの世界では、ニュートンさんの理論で十分だったものが、原子レベルを弄る様になるとアインシュタインさんが登場し、質量と光の速度とエネルギーを統一してしまいました。更に小さな素粒子レベルから、大宇宙までを統一した原理で統一してみたい、というのが現代の物理学者の夢なのでしょう。

同様の還元論を、現代の社会システムにも見てしまいます。それを一言で言ってしまうなら、「お金還元論」でしょうか。このシステムでは「結局お金に換えられない価値は無い」という言い方に還元されます。たとえ人の命であってもです。ですから、医療事故やその他の事故では、過失の程度に応じて、人の命の価値を評価して補償金を支払わせる制度が定着しているのでしょう。生物や遺伝学の世界では、DNA還元論も目立ちます。

しかし、「~は~でもある」という、統合的な見方も忘れてはいけないと思うのです。とは言いながら、それを簡単にホーリズムとは呼びたくもないのです。何故なら、森を見れば気が見えなくなり、木を見れば全体としての森が見えなくなるのが人間の限界だからです。進化論で行けば、DNAがその個体の形質の全てを決定すると言う視点は明らかに正しくないでしょうし、一方でその個体の育ち方だけで、個性が決まってしまうわけでもないでしょう。つまりは、両者を併せた(あるいは場合によってモードを使い分ける)いわば「ハイブリッド論」こそが、最も真実に迫る見ものの方ではないかと思うのです。私たちは、還元論に陥っている時は、ふと我にかえって全体を眺め、全体しか見ていないと感じた時には、虫めがねを使って細部にズームインすべきなのでしょう。その意味でも、経済還元論者で改憲還元論者であるこの国のリーダーには、世界を俯瞰するバランス感覚の具備を望みたいものです。

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2013年6月26日 (水)

2112 分けることの意味

2110で書いたことの続きかもしれません。電気式のコンピュータにとって最も得意とする事は、現象を兎に角細かく分けて、更にそれを0/1の信号に分けて「白黒の計算」する事だけなのです。ですから、写真でさえも、色をRGBの三要素に分け、明るさの諧調も256段階程度に分けて処理するしかない訳です。しかし、自然の色がそんな程度の少ないデジットで表現できる筈もありません。経済問題や工学における応力の計算に於いてさえ、先ず当てはまりそうな方程式を立て、事象を「離散化」した上で、離散点毎の方程式を連立方程式として解く「しか」方法を持たないのです。

しかし、生物が非力な脳で行っている事は、実は「統合」なのではないかと思っています。つまり、ある事態に遭遇した際に、生物が行う行動はその事態の分析では決してない筈だからです。そんな分析をしていたら、あっという間に「食われてしまう」からです。そうでなくて、その事態が自分の身の上にどの様な結果をもたらすかを、瞬時に「総合的に」判断し、取るべきアクションとして、戦う、耐える、逃げると言うリアクションを決める事になります。勝てるかも知れない相手とは戦い、そうでない相手とは擬態を作って必死に耐え、それが効かないと判断した場合には、最速の逃げ足で、その場を離れるのが、脳(本能)の教えになる訳です。

しかし、人間が、特に頭でっかちの人間がし易い行動の一つは、兎に角今目の前で起こっている事を理解し、それを分析して、取るべき行動を必死に考える事なのです。しかし、その人は強いストレスに晒され、そんなことを重ねている内に病気になるでしょう。しかし、分けないで「統合」しながら判断したらどうなるのでしょう。つまり、今目の前で起こっている事態に対して、総合的に見て戦うべきか、耐えるべきか、あるいは逃げるべきか、その判断には時間は掛からないでしょうし、それを145くらいの割合になる様に暮らせば、楽に暮らせるでしょう。物事を、ある限度(結局は自分の常識で理解できる程度)以上に、無理をして分ける必然性は無いのだと思っています。そう割り切ってから人生がかなり楽になってきたような気がします。

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2013年6月25日 (火)

2111 Winner takes all

毎回選挙結果を見て感じる事があります。なぜ「雪崩の現象」が起こるのか、という素朴な疑問です。確かに、有権者の期待に沿えなかったグループは、リーダーの席を譲る必要はあるでしょう。しかし、その罰は期待値に対する達成度程度で収まって欲しいという気はするのです。公約の60%しか達成できなければ、担当していた勢力は4割くらいは議席を失っても仕方がありません。しかし、結果としてそれが1/4に落ちむのは何かが違うと思うのです。

別に投稿者自身が特定のグループを支持している訳ではありませんが、いわゆる無党派層の振れ具合が、選挙結果に影響を与えているのは間違いないでしょうし、投票率が低ければ、組織表を束ねているグループが有利であるのも理解できます。それにしてもです・・・。表題は、ABBAの歌のタイトルにもあった様な気がしますが、勝者が総取りするシステムには、間違いなく欠陥があると思うのです。

敗者は砂を噛んで佇むしかないシステムや社会は、結局下剋上を推奨している事と同じ結果しか生まないでしょう。世の中が右肩上がりの時代は良かったでしょう。誰がリーダーになろうが、結果として経済は拡大し、人々の生活レベルも上がっていったからです。上がったのは、リーダーや政党の手柄と言い張っても、誰も文句は言いませんでした。だからこそ、一つの政権が何十年も居座る事も可能だった訳です。しかし、今後の右肩下がりの時代にあっては、優先順位を付けた上で、良い政策を選び取って前に進む必要がある筈です。この時代に「対立軸」は必要ありません。優先順位が高く、誰良い政策は、考えても良いものであるからです。

つまり、今後必要な社会システムとは、良い政策を紆余曲折無しに選び採れる様なものだと言えるでしょう。憲法論議の前に、国の意思決定のシステムこそ見直されて然るべきでしょう。Aベノミクスのお経だけではこの国は沈むしかありません。

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2013年6月24日 (月)

2110 生物コンピュータ?

コンピュータに出来た事と言えば、人間が一生掛かっても解けない複雑で長大な方程式を、いとも簡単に解いて見せてくれる事と、遊びの世界ではチェスや将棋のトップクラスの指し手に、時々勝つ事が出来たくらいでしょうか。コンピュータに「五感」に相当するセンサーや喜怒哀楽の言う言葉を教え込んだとしても、モノの持つ手触りや食べ物の歯ごたえや夕焼けのグラデーションの美しさや、食べ物を飲み込んだ時のえも言われぬ香りの違いなど、とてもとても数値化はできないと想像しています。ましてや、喜怒哀楽の感情表現などは千年掛かっても覚え込ます事など土台無理な相談であるとも言えるでしょう。

それで何が言いたいかといえば、つまりは生物の営みが如何に凄いかという事の再認識が必要だと言う話です。人間で言えば数十兆もある細胞が、ある統一性を以って一つの「自己」を形成していると言う事実、逆に数十個の細胞しか持たないプラナリアが、それなりの生活史を保って生物として存続し続けているという事実、アリや蚊など指先よりも小さな昆虫が、何らかのメカニズムで互いにコミュニケーションを取り、あるいは人間の出す呼気などを頼りに吸血すると言う凄い能力を持つという事実を知るにつけ、人間が電気仕掛けで作った回路の稚拙さが目立ちます。

つまり、問題はパワーではない訳です。目的(Object)を達成するための、必要かつ十分な能力を備えたシステムこそが必要とされているのだと思います。小さな昆虫に許されているのは、数ミリグラムかそれ以下の重さの脳(ではなく信号処理器官)を持つ事だけなのです。ただそれだけで、生きて、子孫を残している訳です。ならば、私たちには現在のコンピュータに替わる、生物コンピュータという発想があっても然るべきでしょう。それは、生き物に学ぶ=生物の真似をする「バイオミミクリィ」という姿勢に他なりません。

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2013年6月23日 (日)

2109 ILCが何様

昔スイスに建設されたCERNの巨大円形加速器の部品のごく一部を加工する試験に関わった事があります。それは山手線の大きさに匹敵するサイズのビッグな加速器なのですが、軌道が曲がっていると素粒子自身の遠心力が悪さをして、正確な衝突が実現できない問題があるのだとか。そのため、今度は30㎞以上の「直線のトンネル」を掘って、より高い速度・精度での素粒子衝突を実現させて、より小さな素粒子を叩き出す「必要」があるのだそうです。それを国際直線加速器(ILC)と呼ぶのだそうですが、その施設を、事もあろうに日本に誘致するのだとか。気の遠くなる様な金額の投資と、世界各国から常時数千人の研究者や関係者が集まる学者村が出来る事によって、莫大な経済効果が期待できるなどと言われています。そこまで聞くと、ナンだこれは科学の問題ではなく景気対策の問題なのか、という事がバレてしまう訳です。

しかし、同様の施設をB国が作ろうと工事を始めたものの、たった1㎞位トンネルを掘っただけで、あまりに巨大な投資金額に議会から反対論が巻き起こり、中止になった事をILCの推進論者(主に政治家と誘致自治体の首長や地元の企業団体などですが)は知っているのでしょうか。何より、この研究施設で、ナノ秒かそれ以下の時間しか存在しない素粒子を見つけたとして、一体私たちの将来に何をもたらしてくれると期待しているのでしょうか。トップクオークだかヒッグス粒子だかより小さな素粒子を見つけたとして、その素粒子を構成しているかも知れない更に小さい「究極の素粒子」が存在するかも知れない可能性が存在する限り、今度は100㎞のトンネルを掘る必要が出るかも知れないのです。逆に、宇宙は何処まで広がっているかについても、未だ答えが出ていないのが科学の現状であり、いわばそれが科学の限界だとも言える訳です。

そんな、限界の外の事を知るためだけのために、莫大な税金と優秀な人材を浪費するくらいなら、何故ILCなんぞに金を出そうとする先進各国や科学者たちは、「使用済み燃料の放射能を消す研究」に取り組もうとしないのでしょうか。一方返す刀で、やはりハヤブサⅡを切らない訳には行きませんが、小惑星から微量の物質を持ち帰る事なんぞに血道を上げていないで、原発の廃炉技術の開発の、その優秀な人材の一部でも振り向けていただけないものでしょうか。伏してお願いいする次第です。

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2013年6月22日 (土)

2108 売れば良いのか?

原発輸出の続きです。核商人に成り下がったお国のリーダーの話は書くのも情けないです。一方、カテゴリーはやや異なりますが、例えばJAXAの新しい衛星打ち上げシステム(ロケット)についても、似たような事が言えそうです。今度のシステムは、プレス発表によれば、ペイロードをかなり抑えて、発展途上国でも手が届くそれなりの小型衛星を、比較的安いコストでドンドン打ち上げるさせる様な市場をにらんでいる様なのです。しかし、地上3600㎞の静止衛星の軌道上は、数えきれないほどの軍需、民需の人工衛星と、退役して破壊された衛星の屑が蠢いている、中空のゴミ捨て場になっている事を、この組織は全く言及していません。

更に言えば、車の輸出に関しても同様のことが言えそうです。車を1台輸出すると言うことは、それを買った顧客やその国に、1年間に数百リッターのガソリン消費が増える事を「強要」します。車を買った人は、間違いなく喜び勇んで急ぎの用もないのに走り回るでしょうから、下手をすれば1kℓは焚いてしまうかも知れません。その結果、大気中の二酸化炭素を増やし、エンジンの環境性能は大分良くなったとはいえ、それなりにPM2.5も増やし、最終的には車は廃車となって、リサイクルできない部分は、数百キロの燃えないゴミの山となってしまう筈です。

モノを作って売りまくることにはいい加減に歯止めを掛けなければなりません。何故なら、モノを必要以上に売る事は必ず新たな問題を引き起こす事が明らかだからです。地下資源の枯渇、エネルギーの使い過ぎによる化石燃料の値上がりや温暖化、最終的には廃棄物の処理問題です。モノを売るなら、これらの問題を軽くするアイデアをセットにして提案しなければなりません。これまでの半分しか材料やエネルギーを使わない製品、しかもそれは修理が利いて長い期間使え、使用済みになってもほぼ100%リサイクル可能なものである必要があるのです。その上で、デザインや手触りが良いモノを作っていけば、多少高い値段を付けても売れない筈はないのです。問題だらけの原発やロケットや車を、トップが先んじて売り歩く様な国の未来は暗いものになるでしょう。

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2013年6月21日 (金)

2107 動くが回らない

またぞろ素人経済学です。この国でもB国でも、世界のあちらこちらで、量的緩和のオンパレードです。これほど、お金を印刷して、一体この先どうなるのかは、実のところ誰も体験していない世界だろうと素人なりに心配しています。何より、せっかく増やしたお金が回っていない事が異常です。本来増えたお金には、企業の設備投資に回って、新たな雇用を増やす役割が期待されている筈なのですが、実際にはダブついたお金は、利益だけを求めて少しでも安くなった通貨や債権を買い、僅かでも値上がりしたら売り抜く、と言った手法で増やすしか方法が見つからず、電子マネーとなって光ファイバー内を日夜右往左往するだけです。大国の金庫番の一言や失業率の数字に泡立つお金は、まるで寄せては返す海の波頭の様です。しかし、本来の目的であるグルッと回って、利益を生み出すその目的は全く果たされていません。

理由ははっきりしています。三本目の矢がまだ放たれていないのです。本来であればこれが一本目の矢として、産業構造修正し規制緩和して受け皿を作った上で、ドッとお金を印刷すれば、乾いた土に吸収される水の様に働き、景気を根っこから持ち上げると言う路線に乗せるべきだと思うのです。

方法はあります。例えば、地域で日常使われているエネルギー、とりわけ熱として使われているエネルギーを地域で賄える範囲内で、再生可能エネルギーに転換していくパラダイムシフトが考えられます。地域のエネルギー源からお金が生まれ、それが地域の中でグルッと回るでしょう。バイオマスなどの再生可能型エネルギーの産業には、実は多くの人手が必要ですので、雇用も間違いなく増えるのです。一方、それまで海外に払っていた化石燃料代を減らす事が可能となります。そのお金のは、と言えばどこかの石油王からどこかの銀行の秘密の口座に預けられ、どこかのファンドに運用が任され、結果としてお金の海の量を増やし、更に景気の波を荒くするのに使われる筈のだったものでした。

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2013年6月20日 (木)

2106 使わないための技術

原発や他の「ハードなエネルギー」技術に対して、省エネ技術は本質的に安全だと言えるでしょう。それは「使うための技術」ではなく、「使わないための技術」あるいは「減らすための技術」だからです。何であれ、使わずに済ます技術や今使っているものを減らす技術には追い風が吹いてもいます。誰も好き好んでエネルギーや資源を浪費したり、その結果として廃棄物(ゴミ)など増やしたりしたくはないからです。

ならば、これからの時代、それをこの国の御旗として、産業構造や社会構造を見直していくべきでしょう。使わないための技術は、結構知恵と工夫を要求します。しかし、考えてみれば、70年代にオイルショックを経験した世代は、それを身を以って経験していた筈なのです。それはそれは涙ぐましい知恵と工夫の山を作ったものでした。それらが今継続され来たお蔭で、さも政治家が自分の手柄の様に、「辛うじて」省エネ大国などと、したり顔が出来ている訳です。それらの知恵や工夫については、思い出したものはこれまでもこのブログで紹介してきましたし、更に今後とも追加していくつもりです。何より、使わない技術はそれを考える事、実行する事が「楽しい」のです。楽しくて、それがこの国の産業になり、しかも他の国から尊敬される様になるのなら、他方で爪に火を灯しながら1円でも安く作り、摩擦に晒されながら出血価格で売りさばく事をと比較すれば、どちらを選ぶべきかは自明です。

逆に、いまトップセールスで進めつつある原発の「外販」は、まさに使うための技術であり、しかも使用済み燃料(ゴミ)を処理する仕組みも無いプラントの輸出は、時代錯誤も甚だしい行動になります。それは、言われる政治の右傾化など以前の「モラルの問題」だとさえ言えるでしょう。つまり自分の会社さえ栄えれば、売った商品からでる廃棄物やその商品が古くなった際の処分方法など知った事ではない、とウソブク企業の経営者と同じなのです。実に恥ずかしい行動だと断じておきます。

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2013年6月19日 (水)

2105 患者を診ずに…

患者を診ずに病気を診る、という言い方があります。現在の医療はまさにこの喩えそのものになっている様に思えます。医者はたった3分の診療で、各種の検査データを「読んで」、病名や治療や投薬の中身を決めてしまいます。そんな事は、医者が居なくても検査データをコンピュータに突っ込み、適切なロジックのプログラムを通せば、ドンズバリの病名と、投薬すべき薬のリストも出力できる時代になっている筈です。振り返ってみれば、医療検査の手法が限られていた時代は、医者の役割は時間を掛けて問診や触診・打診を行う事だったのでした。何時から医者は、データを眺めて診断を下すだけの人間診断装置になってしまったのでしょう。

一方、いまこの国の社会システムや政治・経済の仕組みが、かなり病んでいると言われても、それに真向から異論を唱える人は少ないでしょう。この国のリーダーや、彼らを支えているブレインも、実は患者(民の実情)を診ずに「経済の症状」だけしか見ていない事に危機感を感じているのは、投稿者だけではないと思います。という意味では、今の政治家や官僚は単なる「経済の専門医」でしかないと言っても言い過ぎにはならないでしょう。彼らの頭の中には経済、もっと言えば景気の回復しか無さそうに見えるのです。

症状だけを見ても、この国には2099に挙げた様な、諸症状が発現しているのです。それらの症状に一々手を打つことを「対症療法」よ呼びますが、それではモグラ叩きと何ら変わるところは無いでしょう。そうではなくて、今必要な事は、細かい問診や打診だと思うのです。それによって症状が発現する「真の病巣」を探り当てる必要が絶対にあります。例えば、2099で真っ先に上がっていた環境問題も、その範囲はだだっ広いのですが、元を辿ればそれは私たちの物欲や強くなり過ぎた食欲や、過剰な利便性やアメニティなどを追い求めた、大量生産、大量消費、大量廃棄の社会っ構造から出ている筈なのです。これを悔い改め、縮小方向に向かわせるだけで、先に挙げた社会的問題の半分以上は解決するのは明白です。大きな病巣の一つはまさに「その事」なのです。間に合わせの対症療法は、間違いなく病巣の拡大と悪化を招きます。

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2013年6月18日 (火)

2104 超学際

大きなプロジェクトでは、色々な分野の人たちが集結し、それぞれの分野の専門を生かしながら、困難なタスクを克服します。例えば、航空機の開発や宇宙開発プログラムなどが思い浮かびます。航空工学屋や宇宙物理屋や気象屋や金属材料屋や燃焼屋やプロジェクト管理屋や品質管理屋などなどが同列で協力し合います。

しかしながら、歴史的に見れば「オタク」の集まりであった各種の「学会」は、外から見る限りにおいてですが、今日でもその性格は余り変わっていない様に見えます。例えば、研究者が論文をモノにしようと思えば、先ずは学会が発行している冊子に掲載される事が必須です。しかし、同じ穴の中の仲間しか読まないのが学会誌なので、そこに学際的な「査読」が入る余地は殆ど無いのです。公平な立場の査読を可能とするためには、論文の本来あるべき姿は、他分野の研究者やそうでない一般の人たちにも、ある程度は理解できる術語なり表現が求められるし、しかもそれを広く公開べきだと思うのです。

それは、他分野や一般の人たちの目に触れる事によって、学際的あるいは社会的な、さらに言えば倫理的な位置づけも明確になる筈なのです。そうでない場合、研究者はそれでなくても狭い専門分野の、さらに狭い穴の隅を、どこまでも深く穿ち続けなければ、博士号など得る事が出来ない専門スパイラルから抜け出る事が出来ないままとなるでしょう。学際的な交流で、研究者の視野は格段に広がるでしょうし、更に「超学際的」な社会的視点が注がれていれば、研究成果の目的外の悪用(例えば軍事転用や興味本位の遺伝子改変など)も防げるでしょう。

他の研究者がこれまで踏み込んでこなかった領域の研究を始めるには、研究者はモラルハザードすれすれの実験も行わなくてはならないのかも知れません。時々ニュースになる、微生物や有害物質や放射能の漏えい事故など、研究者の功を焦った結果の「前のめり」の実験によると思われる事故を知るにつけ、専門分野の閉じた世界で行われている事に不安を感じます。全ての研究は、最終的には人類の幸福につながるものでなければなりません。研究のための研究、論文をモノにするためだけの研究、(それを知ったところで幻滅につながるであろう)学術的トリビア?を知るためだけの研究には、お金を出す側はもっと敏感になる必要がありそうです。具体的な事例に続きます。

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2013年6月17日 (月)

2103 二つの合理性

合理性には二つあります。あるいはそれ以上あるのかもしれませんが、ここでは科学的合理性を社会的合理性について考えてみます。

前者は明快です。つまり、科学(技術)の原理や原則にのっとって判断すれば、Yes or NO、あるはGo/No goの結論は明確に出ます。それも数値で確認できますから、殆どの場合反論はできないでしょう。反論できるのは、結論の前提となった原理・原則が誤っている場合だけです。科学者や技術者の使命は、その原理・原則に従って、より正しい道筋を示す事だと言えます。

しかし、社会的合理性となると途端にモヤモヤが漂ってきます。つまり、大多数の利益が時として少数者の不利益となる場合があるからです。それを回避する手段として「最大多数の最大幸福」という言い回しもありますが、これはどちらかと言えば左寄りの社会科教師が、中学の社会科の時間にお経の様に繰り返していた事を思い出します。社会科が結構好きだったので、授業を真面目に聞いていたのですが、しかしこのお経には余り納得していた訳ではありません。

この「お経に」対抗するお題目として、投稿者が提示したいのは「7世代後の子孫の最大利益」です。これは実はネイティブアメリカンの受け売りなのですが、この場合の利益とは、単に物質的あるいは金銭的な利益を指すのではなく、子孫が必要かつ十分な食糧やエネルギーを継続的方法で入手するための手段を、7世代前のご先祖になるべき我々が、ある程度準備すべきだと思うのです。勿論、我々の世代だけで全てのお膳立てが出来る訳でもなく、それぞれの世代が継続的に役割を果たしていかなければならないでしょう。

我々の世代でしておくべきは、先ずは行き過ぎた拝金。拝物主義に歯止めを掛け、ある程度のUターンを始める事でしょうか。その方法については、このブログでも縷々書いてきましたが、も少し書き続けていこうと思っています。

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2013年6月16日 (日)

2102 ファクター4再考

ファクター4は、A.ロビンスらが広めた、資源消費当たりの豊かさを4倍にする、具体的には消費資源・エネルギーを半分にする一方、豊かさは2倍にするという、いわば非常に「都合の良い」考え方です。この考え方の前半部分は100%賛成なのですが、後半の「豊かさ」とは一体何を意味するのかをここで考えてみたいと思います。

ここでモヤモヤしているのは、実は「豊かさの定義」なのです。モノが増えて物質的に豊かなのが「豊か」なのか、あるいは精神的に満ち足りているのが真の「豊かさ」なのか、ファクター4では必ずしもしっかりとは説明されていません。ヒマラヤの麓にあるB-タンという国は、想像するに物質的に言えば、世界全体でも中以下のランクになると思うのですが、国民の幸福度は逆に世界的にも高い位置になる筈です。

もし、真の豊かさの定義が「精神的な満足度」による割合が大きいのだとすれば、エネルギーや資源の使用量を半分にしても幸福度は倍に出来るのかも知れません。しかし、物質的な充足度をそのままにして、また快適性をそのままにして、ファクター4は「絶対に」達成できないだろうと断言しておきます。いくら、科学・技術が進歩しようと、否進歩すればするほど、モノ依存度、エネルギー依存度は拡大する筈だからです。ロビンスがもし科学・技術に頼る考え方を持っているのであれば、その実現は難しいでしょう。しかし、私たちが物質やエネルギーを半分にするための努力を楽しむ事が出来て、それによって精神的な満足が得られるのであれば、ファクター4は成功する可能性があるかも知れません。

つまり、座して「誰か(科学・技術)に」ファクター4の実現を期待するのではなく、私たち自身が例えば、額に汗しての薪割りで熱源の一部を得て、その結果多少の筋肉痛と引き換えにそれなりの「精神的」満足感が得られたとすれば、ファクター4の実現はたぶん手が届くところに見えてくるでしょう。

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2013年6月15日 (土)

2101 ネガティブな成長戦略

国リーダーが唱える成長戦略に違和感があります。何より「成長」の定義が納得できないのです。経済規模さえ大きくなれば、雇用が増え、税収が増えて国の借金が減らせる、という一点張りの主張には、少し物事を考える人であれば、絶対納得しないでしょう。

その戦略の背景には、海外からより多くの食糧や資源や半製品を輸入し、より多くの工業製品を輸出しさえすれば、経済規模が拡大し、皆が幸福になると言う「高度成長期の神話」があるからです。しかし、A倍氏のひどく「シンプル過ぎる戦略」では、たとえそれが効奏したとしても雇用が増え、税収が増えるなどとはとても思えません。例えば、地下資源は地球が長い時間を掛けて貯め込んで地下深くに隠してくれていた「資本」である筈で、私たちはそれを増やすどころか、もの凄い勢いで「食いつぶして」いるのです。

20兆円を超えるエネルギーを輸入しているこの国で、真に成長させるべきは自前の「再生可能なエネルギー産業」を総力を挙げて育成することです。また、今の半分しかエネルギーを使わない技術や産業も、死にもの狂いで育てるべきでしょう。何故ならそれが真の「プラス成長」になるからです。モノを沢山製造して大量に消費し、結果出てくる廃棄物を大量に処理する産業を拡大すれば、確かに経済規模は拡大するでしょう。しかし、それは将来世代に残すべき資本を食いつぶしての、短期的な繁栄にしかつながりません。それはつまりは、ネガティブな成長と呼ぶべきなのです。

同様に、介護産業が急拡大し、ネットで薬が買える様になってM木谷氏が微笑んでも、それもネガティブな成長に過ぎません。そうではなくて、老人が亡くなる直前まで自立して生活できる仕組みや薬に頼らなくて済む様に健康寿命を延ばすため産業こそ、ポジティブな成長につながる筈なのです。ボジティブな産業には、実はより多くの手間が掛かり、結果多くの雇用も生まれる筈なのです。成長戦略は、プラス側の成長戦略でなければならないのです。

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2013年6月14日 (金)

2100 双方向の6次化

産業の6次化が叫ばれて久しくなりました。さて、事が進まないのには理由があるのでしょう。例えば、農家には農産物を作るノウハウはあるにしても、それを加工し、売りさばくノウハウは殆どありません。彼らが農産物を売る手段として実行できているのは、JAに出すか、道路端の無人販売所あるいは道の駅などでの「産直ショップ」位でしょう。稀にネット販売で成功している例も見られますが…。しかし、そこには「加工」が入っていませんから4次産業に留まっています。

しかし、6次産業化は何も、1次産業側からのアプローチでなくても良いはずなのです。3次産業からのアプローチは既に始まっています、大手流通業が、農場や牧場と契約するか、あるいは直営農場を運営する事例も増えてきています。ここで強調したいのは、しかし2次産業からのアプローチなのです。殆どの「メーカー」にあるのは、効率的加工のノウハウや品質管理のノウハウですが、実はこれが1次産業に大きく欠けている視点なのです。大手農協では、確かに高性能の選別設備を入れて、色や大きさ、糖度などで素早くクラス分けを行って出荷する事は行っています。そうではなくて、ここで言いたいのは栽培における品質管理のことなのです。高く売れるレベルの作物を作るためには「歩留まり」をより高くするように、きめ細かな土壌管理や水管理、肥料管理などが求められます。温室栽培では、温度管理はもちろん、湿度管理やCO2管理さえ求められます。最新の機器を使えば、人が介在するよりもっときめ細かく管理する事も容易な筈です。

例えば、温室で作物を育てている場合、温室の環境は、土壌や温度管理だけでは不十分で、湿度に加えてCO2濃度、日照管理も重要なファクターになる筈です。それらをモニターし、コントロールするのは、例えば車の各種センサーやコントロールシステムを作っているメーカーにとっては「造作もない」技術なのです。そうであれば、メーカーが工場の横で、工場からの廃熱を使って温室栽培を行い、それを売りさばいたって良いでしょう。あるいは、その技術をパッケージにして農家に販売しても良いのです。工業製品を売りさばいていた販売網で、農産物を売ったって良いはずです。工業製品を運ぶトラックの空きスペースに農産物を詰めて出荷すれば、運賃も半分で済むでしょう。それを妨げている各種の規制は、たぶんこれからA倍さんがドンドン外してくれるでしょうし・・・。

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2013年6月13日 (木)

2099 三十余の社会的問題

何度目かのCSVCreating Shared Value)ネタです。CSVは、企業活動に社会的問題の解決を織り込む、との考え方ですが、手元の雑誌に面白いアンケートの結果が載っているのでの紹介しておきます。この雑誌のアンケートで使っている設問では、以下の19個を社会的問題の例として挙げているのです。

それらの問題とは、回答者から重要な社会問題だと挙げられた割合が高い順に、1)環境(悪化)問題、2)自然災害、3)高齢化、4)税の公平、5)食の安全、6)医療(費)問題、7)若者の失業率、8)少子化、9)福祉問題、10)所得格差、11)財政改革(赤字)、12)低い食糧自給率、13)ネットの悪用、14)教育再生、15)安全社会、16)テロと治安、17)森林荒廃、18)行政改革の遅れ、19)地域間格差、でした。

更に、これに投稿者が10個ほど追加するなら、20)低いエネルギー自給率、21)農地の荒廃、22)放射性廃棄物処理と廃炉処理、23)通貨のダブつき、24)電力の使い過ぎ、25)石油の使い過ぎ、26)拝物・拝金主義の横行、27)メタボ人間(不健康人間)の増加、28)精神疾患の増加、29)1次産業従事者の増加、30)3次産業の過度な増加、31)製造業の過度な縮小、などを挙げておきます。

つまり、今後企業はこれらの社会的な問題を解決するための、ビジネスモデルや製品・商品を手提供する事に注力すれば(CSV活動を行えば)、間違いなく追い風を掴めると言う結論になります。何を作るか悩むより、どんな社会的問題を解決できるか考える方が前向きに決まっています。さて、お国の成長戦略にこれらを「根本的に解決する方策」が一体何個入っているのか注目しましょう。単に景気の回復や経済成長を図るだけでは、これらのどれ一つとして解決できない事は、「太陽を見るよりも明白」です。「国が栄えて、民が困窮する社会」など、毛ほども想像したくはありません。

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2013年6月12日 (水)

2098 主客転倒

この場合の「主」とは言わずもがなですが私たち人間で、「客」とは私たちが利用してきた科学・技術です。主は「あるじ」ですから、その家(国)で起こる全てのイベントをコントロールしているべきで、そのはずなのですが、ある時期以降、主の統御が客に対して効かなくなってきたのです。その兆候は、たぶん先の世界大戦に見つかると思います。この戦争の終わり頃、二つのビックプロジェクトが形を現しました。一つは、天才フォン・ブラウンが主導したロケット(大陸間弾道弾)の開発、もう一つはあのマンハッタン計画です。

皮肉な事に、これらの悪魔のプロジェクトは、戦後の冷戦構造の中で急激に接近し、やがてICBMとして、東西に核弾頭が何千発も配備される事になっていしまったのです。米ソは、その爆弾の原料としてのプルトニウムを取り出す目的もあって、競って原発を建設し、使用済み燃料からそれを分離して蓄積したのでした。しかし、それらの技術を統御していたはずの主に対し、客が牙をむいて反抗し始めたのでした。その例としては、原子炉創世期のイギリスの原発事故を除けば、1979年のスリーマイル島事故、1986年のチェルノブイリ事故が真っ先にリストに上がるでしょう。それに加えての今回のフクシマの事故です。つまり、ある時期以降、科学・技術は巨大化し過ぎて全体が見え辛くなってしまった結果、マニュアルに書かれていない異常事態での統御の方法が誰にも分からくなってしまったのです。

これは、さながら遠慮しがちに振舞っていた客が、居直って上座に座ってしまった状況に似ています。私たちは、客の笑顔だけ(技術のメリット)だけに注目してきましたが、実は客の全体像をハッキリとは見ていなかったのだ、とあらためて気が付くべきでしょう。巨大化してしまった科学・技術は、邪悪なココロで使えば、あるいは「想定を超える過酷事故」を起こしてしまえば、主に対して自然災害以上の牙をむくのです。それを防ぐ手段は限られています。そんな強大化した客を、門から入れないのが最も確実な方法でしょう。つまりは、原発の全面廃止です。一度は作ったが全面廃止を決めたドイツや、賢明にも元々原発を作っていない国々もヨーロッパには多いのですが、トンデモナイ事にA倍さんはその一国であるトルコに「それ」を輸出すると言う。主客転倒のバーゲンセールが始まったのでしょうか。

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2013年6月11日 (火)

2097 マイナスの成長戦略?

基本的に、人の考え方にケチを付けるのは余り好みませんが、違和感は唱えておく必要があります。A倍さんの成長戦略の概要が見えては来ましたが、それに大きな違和感があるからです。経済規模を拡大すれば全てメデタシなのか、もう一度考え直して貰いたいのです。経済規模だけを見れば、例えば医療産業や介護産業が拡大してもパイは大きくなるでしょう。しかし、病人が増え、介護される人の数が増えてもそれを経済成長と呼ぶのでしょうか。医療は大切ですが、病人を作らない工夫の方がもっと大切です。介護はせざるを得ませんが、健康寿命を延ばして、寝たきり期間を可能な限り短くする方がもっともっと大切なはずです。

本来目標にし努力すべきは、健康増進産業を奨励し、三浦さん型人間を増やす事にあると思うのです。エネルギー産業を拡大するのではなく、省エネ産業こそ育成し、エネルギー半減を目指すべきでしょう。パイを拡大し、市場に出回るマネーの量だけをダバダバにするだけでは、所詮大きな無理があります。金は天下の回りものではありますが、その所在が偏ってしまう困った存在でもあるからです。量が増えるほど偏りの度合いが大きくなる、マネーが持つ悪い性癖は誰にも止められません。過去にそれに挑戦した社会システムの殆どは失敗に終わってしまいました。一方で、最貧国と呼ばれる様な流通マネーが最小限の国々では、貧富の差も最小限で収まってるいる筈です。

社会や経済が安定するためには、2096でも書いた様に「縮小均衡」しかないのです。拡大だけを推し進める先にあるのは、崩壊(カタストロフィ)だけでしょう。この国は、もう結構なレベルまで拡大してしまったと見るべきでしょう。だからこそ、自然の調整機能が働いた結果、バブル崩壊後の経済の右肩下がりや低迷が20年以上も続いた、と考えるべきだと思うのです。社会にとって後ろ向きの産業を拡大するのは、やはりマイナスの成長戦略というしかありません。

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2013年6月10日 (月)

2096 安定させるには

続きです。「現象」を安定させるには、何かを「減少」させなくてはなりません。別に語呂合わせではないのですが…。いわゆるラーニングカーブ(学習曲線)とは、学習するスピードは、確実に低下し、やがていくら学習してもそれ以上は進歩しなくなる事を示しています。何故なら、脳は基本的には処理(判断)器官であり、オマケとして有限のメモリーを備えているに過ぎないからです。メモリーがある程度埋まってくると、食欲と同じようにゲップが出て、ある程度以上学習すると能率(学習スピード)はグッと低下(減速)する事になります。

経済の規模や社会システムの拡充も、その意味では「ほどほどレベル」がありそうに思えます。それは人口や、社会基盤や、国民の教育レベル、工業化レベルなどによってある程度決まるものの様な気がします。経済学では「経験的に」適正レベルを決める公式の様なものがあるのかもしれませんが・・・。

現象を安定させるには、「拡大均衡」と「縮小均衡」の二つのアプローチがありそう思えますが、実際には後者しかあり得ないと思っています。前者は加速度を減じて、最終的には等速度運動に入る事を目指すと言う考え方ですが、実際の現象ではそのための微妙な加速度の匙加減は非常に難しいのです。車でカーブに差し掛かった時、車の性能が許す最大限の速度で回るのは、高度に熟練したレーサーにしかできない芸当なのです。一番安全で、安定したコーナリングとは、カーブの前で十分に減速し、遠心力に振り回されない程のゆっくりしたスピードでコーナーに入るべきなのです。

しかるにAべノミクスのドタバタです。景気などそれほど良くはなくとも、企業がそれなりに存続し、人々がそれほど汲々しなくても暮らせる、ほどほどの景気レベルがあり得る筈でなのです。国のリーダーがそこを目指すと目標を定めれば、企業にも知恵がありますから、そこから逆算(バックキャスト)した、長期の計画も立てられると思うのです。ここでの結論としては、安定には縮小均衡こそが最良で唯一のアプローチだと言っておきます。

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2013年6月 9日 (日)

2095 上がったものは…

上がったものはやがて下がります。こんな当たり前の「原則」が何故しっかり理解されないのでしょうか。国のGDPだって、会社の利益だって、世界の人口でさえも、やがて減少せざるを得ないのです。何故なら、地球は有限だからです。歴史上の全ての文明も、この原則からは逃れられず例外なく衰退してしまいました。水を使い果たし、あるいは木を切り尽くし、あるいは資源を掘り尽くして、それらは滅びてしまったのでした。

急激に膨らんだ景気回復への過度な期待なども、少しの失望で急降下するのでしょう。それは、最近の株価や為替の変動を見見るまでもなく明らかです。単なる「期待」ではなく、自ら起こす行動には、少なくともやってやるぞという「決意」や「行き足=イナーシャ」がありますから、ある程度長続きはするものですが、現在のような他力本願の期待は、馬券や宝くじを買う事よりも、更に行動を伴なわないものなので、幻滅のスピードはあっという間に崖から落下する様に加速してしまいます。

そろそろ私たちは、どこでこの社会を安定させ、その社会でどの様にパイの分配を最適化するのか、真剣に考えなければならない時期だと思うのです。今より少しモノやエネルギーの使用量が減った同じレベルの社会が、来年も10」年後も、100年後も続いて何が悪いのか、という基本的な問にしっかり答えて行かなければならないのです。この問いに、20世紀型の右肩上がりの経済学に凝り固まった経済学者や経営者や増してや政治屋にまともに答えられるとは思いません。だからこそ、世の中の景気はこれまで「ジェットコースター」の様な乱高下を繰り返してきたのです。「上がったものは必ず下がる」という原則には、何人とも抗えません。ジェットコースターが一番安定しているのは、位置エネルギーがも最も低いゴール(スタート)地点しかないのです。思い定めるべきは、必要かつ最低限(Minimum sufficient)のレベルなのです。このことが、株主の利益しか考えようとしない機関投資家や、自分が潤うことしか頭に無い、「ミセス・ワタナベ」諸氏にはなかなか理解して貰えないのが歯がゆいところですが…。続きます。

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2013年6月 8日 (土)

2094 雑草の戦略

毎日堤防をジョグ散歩していて、雑草の戦略に気が付きました。植物に疎い、元技術屋が気が付いた程度なので、実はもっと深い戦略が隠されていそうな気もしますが…。

先ず、春先に気が付くのが「先行逃げ切り型」でした。フキノトウやタンポポやツクシは、春一番に顔を出し、他の雑草が伸びてくる前に事(子孫を増やす事)を済ましてしまう戦略です。これは、競争相手も少ないため、結構高い成功率を誇っている様です。しかし彼らは、前年に密かに努力を重ね、地下茎にしっかり養分を蓄えていた事も間違いありません。

次が、「背伸び作戦」でしょうか。タンポポでも在来種よりはセイヨウタンポポの方が、それよりブタナの方が茎を高く伸ばし、遠くまで綿毛を飛ばそうとします。その他の綿毛で種子を飛ばす植物も同様に、背の高い種類がニッチを広げている様に見えます。それらにも増して、単子葉植物であるイネ科の雑草は、成長スピードが速く、綿毛植物を追い越してしまいます。同じ様な種類でも、シロツメクサとアカツメクサでは、後者の方が背丈が高く、背の低いシロツメクサより繁殖力が強い様で、同じ場所に生えている場合、常に優勢を保っている様に見えます。

もう一つの作戦で気が付くのは「忌避作戦」です。自分種族以外の植物が忌避する様な物質を根から出して、自分達のシロを作ります。草むらを良く見ると、見事に1種類の植物だけで標らえている一角があるのが観察できます。特に草丈が高い訳でもなく、葉っぱが広い訳でもないので、やはり何らかのオーラを出しているのでしょう。

更に言えば、「色戦略」もありそうなのです。春先に見られる花は何故か黄色や白色が多いように思えます。初夏になって太陽光が強くなってきた今頃は、濃いピンクや紫の花々が多く見られます。花の色は、花に立ち寄ってくれる昆虫へのアピールですから、紫色はこの時期強くなってきた紫外線に近い光を反射し、より多くの虫を引き付けるのかもしれません。春先は、枯草との対比で、目立つ黄色が適している様な気もします。あいにく虫の目を持っていないので想像するだけですが…。

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2013年6月 7日 (金)

2093 復興の難しさ

大震災から2年以上経過経過して、復興の槌音も大きくなってきた様です。先日三陸をバイクで走った時も、東北中あるいは北海道辺りからかき集められたダンプや建設重機が忙しく動き回っていました。しかし、山を削って低地を嵩上げし、区画整理して道路を作ったにしても、コミュニティが蘇ると思うのは早計でしょう。コミュニティとは、そもそも人が自然発生的に集まり、集落が出来てそれが徐々に拡大していったものなのでしょうから、土地があり道路やインフラが整ったからと言って、短期間に元通りになるとはとても思えないです。

震災前のコミュニティの中では、人々はそれなりの役割を担って暮らしていました。例えば、漁業だけを考えてみても、漁をする人、そのための船や道具を作る人、仲買市場でそれを取引する人、加工して流通網に乗せる人、などなど、コミュニティの中で役割分担をしながら暮らしを立てていたはずです。しかし、流された漁船を作り直しても、乗組員の何名かが歯抜けになり、すぐには船を動かせない事もあったでしょう。コミュニティにあった電気屋さんや水道屋さんが不幸な目に遭遇した場合、住民はさっそく困り果てることでしょう。多くの場合、コミュニティは長い時間を掛けて、約割分担が出来上がる過程は、さながらそれはログハウスの木々が水分を放出して寸法が定まり、どうにか納まりが付くSettle downの進行に似ている様な気がします。

他の国には、人間がゼロから作った「人工都市」と呼ばれる場所があります。例えば、ブラジリアやキャンベルやサンシティなどですが、道が出来、家が建てられ、都市が出来あがったとしても、それが有機的に機能するコミュニティになるとは限りません。人が集まり、ギクシャクを繰り返しながらも、しかし折り合いをつけて、やがてはSettle downする事になります。その意味では、復興計画は、住民の折り合いの余地を残した柔軟性を織り込んでおく必要もある訳です、とは言いながら、計画的に予算を使う行政の都合と、しかしその計画に住民の意を汲む柔軟性を持たせる、という二律背反の取組みになり、やはり困難なものである事には変わりありません。その意味では、各地の取組みを横睨みしながら、それぞれの良いとこ取りが出来る「予算のポケットを持った」計画にはしておくべきでしょう。

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2013年6月 6日 (木)

2092 自己目的化

組織は何らかの目的があって作られます。コミュニティの中では、自然発生的に組織化が進む事はあるのでしょうが、やはり多くの場合組織は何らかの目的で、何らかのルールの元に形作られる筈です。例えば行政組織、例えば会社組織、学校組織などがそれに当たります。行政組織の場合、最初は国民や行政区の住民の便益や福祉を図るためなどに作られたのでしょう。IT業界用語で言えば「オブジェクト指向」によって組織された訳です。

しかし、組織が長年存続し続けた結果、その組織は「組織の存続自体が組織の目的」に変容してしまいがちです。というより、必ずそうなる運命にあるとさえ言えるでしょう。何故なら、組織の中の人間が、すき好んで組織を壊し自らを不安定な状態に投げ出す事は考えられませんし、逆にその組織を利用していた側としても、それなりに頼りにし始めるからです。しかし、通常行政と住民が対等な立場で向き合う事はまれで、たいていは例えば許認可権の様に、上下の関係とならざるを得ない訳です。

結果として、許認可を出す側は、さながらそれが既得権でもあるかの様に横柄に振る舞い、公僕としての立場や役割を見失ってしまう事になります。かくして、お上と住民の乖離や不信感は、時代や場所や社会システムが変わっても、さながら金太郎飴のように等質になってしまうのでしょう。それはこの傾向を回避することに、歴史的に成功した国がどこにも無さそうなのも、その証左かもしれません。それは、人間の体が、何か目的を持って作られ、それに向かって生きているのではない事に似ている様にも思えます。「人生の目的」などと大上段に構える偉人もいるのかも知れませんが、所詮人間は寿命が尽きるまでは生きるしかない存在であり、それが生きる目的なのではないかとも思うこの頃です。

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2013年6月 5日 (水)

2091 何を作るかより…

メーカーは、今いったい何を作れば良いのかについて深く悩んでいいる様です。開発部隊は、顧客は一体いま何を欲しているのか、市場調査を繰り返し、売れる新製品をモノにしようと日夜励んでいる事でしょう。しかし、今消費者が欲しいものを作って売るのは、あまりに当たり前過ぎて、競争も多いことでしょう。メーカーは苦労して開発し、コストを下げて、薄い利益を受けとるしかないのです。競争相手の企業も同じ様な製品を作って市場に押し出す訳ですから、やがて値崩れが起こり、赤字事業に陥る事は目に見えています。この負のスパイラルに見事にハマってしまったのが、この国の家電業界などでしょう。それは液晶テレビや太陽電池の例を引くまでもない話です。

私たちが今考えるべきは、今何を作るかではなく、「今後どんな社会にしたいか」だと思うのです。その社会は、勿論省資源、省エネルギー型社会で、現在より「格段に持続可能性が高い」システムであるべきでしょう。メーカーが提案すべきは、その様な社会のイメージを描きつつ、そこに向けて提案する製品を作るべきだと思うのです。実は、それは「製品」ではないかもしれません。何故なら、私たちが欲しいのは、機能であってモノではない事も多いのです。1年に1回しか使わないモノを買うのは馬鹿げています。それならリースで十分でしょう。では、年回3回使うものは、5回使うものは買うでしょうか。1週間に1回ならどうでしょう。

もし、リースが非常に簡便に出来るシステムが出来ていて、コンビニかガソリンスタンド並みに、近い場所で便益が受けられるなら、私たちが購入するものは随分減るかもしれません。車にしてもそうでしょう。サンデードライバーなら、何も高いお金を出して車を買い、税金や、保険料や車検などと言った煩わしくない「簡易レンタカー」で十分でしょう。B国には確かに、レンタカーの中古車を集めた、グレードの低いレンタカー屋が数多く存在します。まともな車を1か月借りても2-3万円の出費で済んだと思います。そう考えると、モノを余り作らなくて済む様なビジネスが、今後盛んになるのかも知れません。

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2013年6月 4日 (火)

2090 Parity check

Parity checkとは、データやプログラムにエラーが無いかチェックするために使う冗長なデータを意味します。音楽CDなどでも、Parityデータが織り込まれているために、例えば読み取るべきデータがゴミや傷などで飛んでしまっても、失われた部分が再現できるため、問題なく再生できる事になります。

この話題を取り上げたのは、原因が特定されないまま、何某かの対策を施して飛び始めたB787のシステムを案じているからです。システムの異常を検知するには、例えば随所にセンサーを取り付け、その信号が設定値を超えた時にアラームを出す仕組みが考えられます。バッテリーのセルが設定温度を超えた場合、あるいは温度が上がって煙が出たとか、充電電流が過大であったり、と言った異常をセンサーで検知するのです。今回の事故後、たぶんセンサーは数多く追加され、国内航空会社のデータは地上からモニターもされる様です。

しかし、安全性が高い望ましいシステムとは、多くの冗長性を持つものだと言えるでしょう。冗長部分は通常は使われず、例えば使用されているセルの健全性をチェックするための比較セルとして使うのです。その結果、もし異常があれば、自らその異常セルを切り離して、予備のセルに切り替える訳です。このシステムでは、システム自身が自己診断し、それを修復する能力を持っているのです。いかし、もし現在の様に、単に予備バッテリーだけでバックアップするシステムでは、例えば大元の充電システムに異常があれば、システム全体がダウンする事になります。

Parity checkのあるシステムとは、結局は自己診断、自己修復の出来るシステムであるとも言えるのです。これは、作るためにとてつもなく難しいものではけっして無く、身近な例としては我々自身が持つ免疫システムも恰好なサンプルとなるでしょう。免疫システムは、自己(正常)と非自己(異常)を識別し、異常なものはキラー細胞などを送り込んで排除してしまうシステムです。同様に、人間が作ったシステムにおいても、自己診断システムを備え、破滅的なシステムダウンを未然に防ぐ事は十分可能だと思うのです。

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2013年6月 3日 (月)

2089 モノより機能

これも何度目かのテーマだと思います。さてメーカー、そこで働く技術者や技能者は、日々モノづくりに注力していることでしょう。しかし、考えてみなければならないのは、モノが持つ「機能」だと思うのです。今目の前にあるのはパソコンのキーボードとモニターとマウスですが、それらは文字や数字や記号のキーを持ち、あるいは液晶で色や諧調を表示しつつ、間違いなく入力された事を確認できる「機能」、カーソル位置を指示するなどの「機能「を持ちながらパソコン本体にケーブルでつながれています。

しかし、機能に注目するならば、何も今の形に囚われる必要はないとも思うのです。キーボードの代わりに今主流になりつつあるのは音声入力装置でしょうし、モニターに変ってはメガネに仕込まれた映像装置が注目され始めています。今後は、目で追えばカーソル位置が動き、意識的に瞬きすればクリックやダブルクリックが出来るデバイスも出てくるかも知れません。つまり、抽象的な表現をするならば、それらは全て入出力装置としての機能を持つ機器(I/Oインターフェースデバイス)だと言えるでしょう。パソコンのI/O装置として、マッキントッシュ以降一貫して、キーボード+マウス+モニターという代わり映えのしないトリオで皆が満足しているのは不思議現象だと言うしかありません。

人々が欲しいのは、間違いなくモノではありません。欲しいのは「機能」なのです。今車に乗っている人も、決して車が欲しいのではなく、雨に濡れずに快適に移動できる機能なのです。そういう視点で私たちが現在使っているモノを眺めてみれば、新たな製品も発想出来ると思うのです。勿論新たな製品は、可能な限り省資源で、使うエネルギーも最少でなければ、これからの時代はとても受け入れられないでしょう。そう考えれば、メーカーは作るモノが無いなどと嘆く必要は全くないのです。今目の前にあるモノを、もう一度「機能」の面からバージョンアップしてみれば良いのです。新たなミーボードやモニターやマウスを開発するのにそれほど開発費が掛かるとは思えません。必要な事は、機能面から割り出した形や構造のアイデアと徹底的な人間工学(エルゴノミクス)による吟味だけなのです。

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2013年6月 2日 (日)

2088 お金儲けではなく

東北は震災の影響ばかりでなく、どこでも元気を無くしている様に見えます。東北は戦後労働力の供給元でした。その後は、安い労働力を利用して、大企業の下請けや孫請けが事業を展開してきました。しかし、これまで産業をけん引してきたT社やL社といった大手も元気が無くなり、その下請けに至っては、既に廃業したところや青息吐息で何とか事業を続けているところが殆どです。企業が存続する条件として、黒字経営が最初に来るでしょう。短期の赤字が出たにしても、中期で見れば黒字になっていなければ銀行も融資を引き揚げるでしょうし。

地域の企業がお金を儲けると従業員に分け前が配られ、その購買力で結果として地域も潤います。しかし、そのお金で目いっぱ海外からの商品やエネルギーを買ったのでは、いくら稼いでも足りません。そうではなくて、地域からお金を出さない産業もあり得ると思うのです。一軒の家を想定しても、たとえ現金収入が少なくても、小さいながらも田畑があり、裏山に木が植えられていれば、食や住(暖房や給湯)が自給出来れば、結構豊かな暮らしが出来る筈なのです。2086では部分的なエネルギーの地産地消により地域でお金を回す事を提案しましたが、他に同様の手段は無いのでしょうか。

例えば食べ物に注目してみましょう。子供の頃を思い出すと、実家は小さなクリーニング業を営んでいましたが、父母だけでやっていましたので、現金収入と意味では、無理をして自宅兼店舗を建てた借金を返すのにいつも汲々としていました。しかし、食べ物は結構豊かだった様な気がします。何故なら、農家の人はクリーニング代の替わりに米や野菜や果物を置いていく事も多かったからです。それらは立派に商品になる品質のものですから、見かけも味も十分な品質だったのです。

つまりこれは、単純なバーター取引(物々交換)経済だと言えます。野菜や果物を大手スーパーから買えば、お金は中央に流れます。しかし、モノとサービス、モノとモノを直接交換すれば、見かけ上お金が儲からなくても、「利益」は享受できるでしょう。本来支出したであろうお金をセーブできるからです。その意味でメーカーは、下請けで「半製品」を作ると言うビジネス形態よりは、受け取った側が価値を認める「最終製品」を作る必要もあるでしょうし、1次産業を生業としている企業や個人も、消費者が喜ぶ付加価値を加えて、交換価値を引き上げる努力も必要です。それを今は6次産業化などと呼んだりしているのです。たぶん続きます。

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2013年6月 1日 (土)

2087 Minimum sufficient

植物がニッチを広げる主な戦略として、地下茎によるものや種子を動物に運んでもらう戦略もありますが、野の一年草では綿毛によるものが圧倒的に多い様な気がします。時々、道端の植物を眺める分には余り感じないのですが、殆ど毎日朝か晩にジョグ散歩をする日常なので、植物が目を出し、花を咲かせて、種子を作るまでの過程が観察出来る様になりました。

例えば、春一番に土手に顔を出すのがフキノトウやツクシですが、胞子で増えるツクシ(スギナ)は別として、フキノトウは成長すると花になり、やがて非常に多くの綿毛(種子)を作ります。一方で根からはフキが伸びてきて、やがて大きな葉を広げます。フキは夏の間、太陽光を浴びて根に栄養を蓄え、翌春のフキノトウを伸ばすための準備をする事になります。タンポポやブタナやハルジオンや名前も知らない多くの植物も同様な戦略でニッチを広げています。

彼らが素晴らしいのは、季節季節に応じて、綿毛を持ち上げる高さを変える事です。春先一番に花を咲かせるフキノトウは、それほど高く延びなくても良いでしょうし、胞子を飛ばすツクシも同様です。在来種のタンポポも背は低いのです。しかし、今綿毛を蓄えている植物は、皆背の高さが立派です。それは、他の夏草から頭一つ飛び出さなければ、綿毛を飛ばせないからです。かと言って、彼らは無駄に背を高く伸ばしている訳ではありません。あくまで、必要最小限に留めています。その証には、同じ種類の植物でも、周りの雑草の高さによって、延び方が違っているのです。この必要最小限の努力と、しかし効果は確実に達成する戦略(つまりはMinimum sufficientですが)には、私たちも学ぶべきだとは思います。

この姿勢は、これからの私たちのライフスタイルにヒントを与えるでしょう。大きい事は良い事だと言う時代やバブルの時代は遠く去り、必要かつ最小限の仕組みが求められていると思うのです。その一方で、今のリーダーは、またぞろ借金を重ね、過ぎた夢を追いかけようとしているのです。

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