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2013年8月31日 (土)

2174 新たなニーズ?

モノが売れなくなると、企業は、いわゆる新製品を市場に送って新たなニーズを開拓しようと躍起になります。国も、何しろ三本目の矢を空手形ではなく、少しでも実のあるものにしようと、盛んに煽り立てるでしょう。Aベノミクスと言えども、お国が自分で事業を始める訳ではないので、学者先生が成長が期待できると「占いを立てた分野」を成長分野と取り敢えず決めて、民がお金を借りやすい様に、市場の資金をジャブジャブに増やして環境を整えてはいる訳です。

とは言いながら、人口が増えないどころか右肩下がりになっている現状で、そんな都合の良い成長分野などある筈もありません。スマートフォンの機能をいくら付け加えたとしても、一人で何台も使う訳もありませんから、絶局はパイの奪い合いの「セロサムゲーム」を繰り返すだけに陥ります。医療分野が成長分野だとしても、そに市場を成長させるためには、結局医療費が膨らみ、それを支える人たちの負担が増えるだけになるでしょう。私たちは、パイなど最早大きくはならないと思い定めるべきでしょう。

そうではなくて、考えるべきは「地域市場を地域に取り戻す」事だと言えるでしょう。これは、あの党の「日本を取り戻す」という訳の分らないキャッチコピーとは違います。地域にある基本的なニーズを、その地域のビジネスが充足させると言う意味なのです。これを「地産地消」と言い換えても、大きな違いはないでしょうしもっと正確には「地域循環」と呼ぶべきかも知れません。いずれにしても、衣食住と言った基本的なニーズの充足を、もっと多くの地元企業が引き受ける仕組み作りが必要です。しかし、考えてみればこれは数十年遡れば、どこの地域でも普通に行われいた事でもあります。私たちは、資源やエネルギーを大量に輸入し、自動化された工場で大量に生産し、それを消費して大量にゴミを排出する、20世紀後半の仕組みを作り上げてきましたが、それは地域循環からは大きく逸脱する流れでもありました。私たちは、足元の宝物(ニーズや資源)を放り出して忘れ去り、新たなニーズの鉱山を掘る事だけに夢中になってきた様な気がするのです。たぶんどこかで道を誤ったのでしょう。足元を見もしないで、新たな鉱脈を指し示すリーダー達に盲目的に従った結果なのかも知れません。

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2013年8月30日 (金)

2173 やっとくすぶり始めた

1年前、東北にUターンし、再生可能エネルギーの重要性とそれをテコにした地域産業の活性化を、行政や企業に対して「お経」の様に繰り返し説いて回った結果、ここに来てやっと何かがくすぶり始めた様な気がしています。一個人の話だけでは、行政や企業経営者はなかなか動かないものですが、他県からの関連するニュースに加え、とりわけ外圧や欧米の状況に影響を受けやすいこの国では、ヨーロッパの先進事例が繰り返し紹介される度に、この地域でも人々が徐々に前のめりになっていく様子が確認できるようになったのです。

誰しも再生可能エネルギーを増やして、原発をゼロにし、化石エネルギー価格の高騰にもあまり心配しなくても済む国にしたい、という総論では賛成するのでしょうが、産業(ビジネス)として考えた場合には、やはりそのためのインフラやシステムの構築、さらには収益性と言った「現実」を避けて通る事はできません。従って、再生可能エネルギーの拡大のためには、先ずはエネルギーを転換しながら、再エネを安定的に供給するシステム作りと、同時並行的にそれを継続的に利用するいわゆるマーケットを形成していく作業が必要となるわけです。

例えば、頑張って木質バイオマス(薪やチップやペレット)を供給する側の仕組みを作っても、それを燃やす機器(ストーブや温水ボイラや温水ヒータあるいは床暖房など)の普及無しには、市場そのものが形成されないでしょう。勿論基本的なニーズは足元に見えています。例えば、投稿者が住むのは、東北の日本海側では典型的な町ですが、住宅用の熱需要(暖房・給湯のみ)でも、人口一人当たりで見ても、年間30万円前後の支出を余儀なくされる土地柄なのです。従って、そのニーズに応えるバイオマスエネルギーの供給と、その利用機器には、確実なニーズに支えられている硬い市場だと断言できるでしょう。売れるかどうかも分からない、成功率が(千に三つの)新たな製品を開発して大きなリスクに曝されるよりは、今足元に見えているニーズを狙った新たな市場を作っていく方が、どれほど楽でリスクが小さいか、やっと人々が気付いてきた結果の「くすぶり」なのだと楽観しています。

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2013年8月28日 (水)

2172 森羅万象

技術屋を卒業して「環境屋」になろうと思ったのは、環境を考えるためには、結局地上の森羅万象を扱わざるを得ないでしょうし、その様な広い視点を持ちたいと思ったからでした。もちろん、そう思い立ってからは、たぶん一生の内でMaxと思われ程勉強もしました。しかし、同時にそれでも人間が知り得る範囲なぞ、本当に限られたものでしかない事も改めて確認したものでした。

何故そうなのかを考えてみると、自然現象(例えば気象)を一つ取り上げてみても、それに関わるファクターはほぼ無限に存在し、例えば気象方程式を立ててスーパーコンピュータで解いたとしても、それは荒っぽいシミュレーションに過ぎない事は、素人にも分かる話です。例えば、気温や風速や風向、湿度、雲量や陽光の強さ、海水温などの初期値を入れて、方程式で解いて気象を予測したとしても、たとえば大気中に存在する植物やそれが取り入れる酸素量、人間が日々排出するGHG、海洋中のプランクトンの多寡、あるいは火山活動など、気象に関わる要素はあまりにも多過ぎて、人知を超えてしまうのです。現在の気象予測は、それらの内影響力が比較的大きなファクターだけを選び出して、方程式を立てているだけの不完全なものなのです。(だと想像しています。)

一握りの土壌の中にも数えきれないほどの微生物が蠢き、バケツ一杯の海水や河川水のなかにも同様に数えきれない数の水中生物が見つかる事でしょう。それらは、お互いに影響し合い、季節や環境によって増えたり減ったりしながら、生物相を変化させていきますが、それが気象にも影響を与えない筈がありません。地表の植物によるアルベドの変化など、ホンの一要素に過ぎないでしょう。生物相の代謝の影響力の方がもっと強い筈なのです。それらは、方程式になり様がありませんし、もしそれが出来たとしても複雑過ぎて解などでないでしょう。森羅万象に対して私たちが出来る事は、ひたすらそれを丁寧に観察すれば、自分たちが暮らしている狭い範囲内だけの影響にはなるでしょうが、結果としてのその「有害な変化」に気付けるかも知れません。

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2013年8月27日 (火)

2171 何処まで行ってもタテ割り2

言うまでもなく、タテ割りの典型的な姿は、中央・地方を問わずお役所の中に見られます。窓口が違えば、隣でやっている事には何の興味も持たず、下手な溝にハマれば窓口のたらい回しを経験できるでしょう。行政組織もタテ割りでガンジガラメにされておりますが、しかし多くの場合はタテ割り組織の間には空白が出来ているのではなく、逆に大幅な重複が見出せるでしょう。

例えば森林行政です。山に木を植え水源を涵養するのに、木材の経済的な利用に関する行政は農水行政、保水やダム行政との関連であれば国交マター、美観や動植物の保護なら環境行政、木材を再生可能エネルギーとして利用する場合は経産行政といった風に、同じ山の木に複数の網が、複雑に掛けられてしまっているのです。これに最近は、観光行政や世界遺産などの別の網が掛けられ、まったく訳が分からない状態に陥っています。このタテ割り行政の諸悪は、実は「機能別行政」にある事はほぼ間違いないでしょう。山の木には、ざっと数えるだけでも10以上の機能があり、それぞれの機能に注目すれば、機能別役所のそれぞれの見方から、それはわが省の仕事だ、といパイの分捕り合戦になる訳です。その機能さえ最初に識別できれば、単年度予算は「実績主義」なので、翌年もほぼ同じ額の予算を囲い込む事が出来るのです。

しかし、実際に山に生えている木は、役所毎に何層にも広がっている訳ではなく、たった一層にしか植えられていない訳です。それを無理に機能に分けようとすれば、道から500m以内の里山とそれより奥の「奥山」に分ける程度しか出来ないでしょうし、あるいは役所のテリトリーに従うなら国有林や県有林、民営林などの持ち主別の区分けしか出来ない訳です。同じ樹種で、同様の利用価値を持っている林野の場合でも、短い林道を設ける場合でさえ、所有者によって混乱してそのルートが決まらない事も多いのです。逆に国有林の場合には、国道並みのオーバークオリティの林道が建設されてしまい、日に数台しか車が通らないピカピカの道が残ってしまう訳です。

これを回避する方法はたった一つです。この国の国土の2/3を占める森林であれば、その保全や多面的利用のためには、絶対に「森林省」を作るしかないのでしょう。更に続きます。

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2013年8月26日 (月)

2170 何処まで行ってもタテ割り

この国に限らずどこの社会でも、多かれ少なかれタテ割り現象は存在するとは想像しています。何故なら、社会というものはそれぞれの構成員の枠割を、一定のルール(不文律+文律)で定めた仕組みだとも言えるからです。社会化があまり進んでいなかった時代、たとえ自分が群れの中で暮らしていたとしても、それは単に安全のためであって、明確な役割を意識しての行動まではしていなかったかもしれません。とは言いながら、オオカミやコヨーテなど、社会的な哺乳動物レベルになると、かなり社会化が進んでいると見る事も出来そうなのですが・・・。

さて、話をこの国の社会に戻しますが、他のタテ社会はあまり経験していないので、かつて自分が属していた「技術屋」社会をサンプルとして見ましょう。技術屋には、かつての投稿者の様な機械屋や電気屋、化け屋、土木屋などなどがありますが、この社会にも如何ともしがたい高い壁が作られてしまっている事は明らかです。何より、大学の工学部や高専など技術屋を育てる仕組みは最初から、明確に学部や学科が分かれてしまっています。勿論、教える立場の先生も完全な「専門家」として学位を取った人たちばかりです。その結果、学生が社会に出て行ったとしても、一応その道の専門家(の卵)として企業内でも育成される事でしょう。

しかし、よく考えてみなければならないのは、専門家故の高い壁の存在なのです。例えば、ロボットを取り上げてみるとよく分かるのですが、ロボットは実用化されてこの方、電気モータで動くタイプ「だけ」しか世の中に送り出されて来ませんでした。従って、ロボットの開発には主に機械屋と電気屋しかアサインされてこなかったのでした。必要とされたため中間的な、いわゆるメカトロ屋は確かに少数ですが生まれてきた事も事実です。しかし、例えば動力源やアクチュエータとして、動物の筋肉や腱の様な軟構造を使うと言う発想はついぞ生まれてこなかった訳です。従って、事故を起こした原発内で働かせたい作業ロボットも、バッテリー+モーター+歯車(又は油圧)と言ったパターンの中でしか開発出来ず、長時間動ける実用ロボットは、未だ提案されていないのです。もし、動物の筋肉の様な化学反応を使ったアクチュエータが、化け屋によって提案されていれば、ロボットのイメージやその多様性は格段に広がっていたはずです。

また例えば、今問題になっているインフラの劣化ですが、その主な原因はコンクリートの劣化と鉄鋼材料の腐食である事は明らかですが、しかしそのメカニズムは完全に「化学的」に説明できる中身なのです。コンクリートの劣化は、大気(例えばCO2)と水とセメントと骨材の成分の化学反応としてほぼ完全に説明できるでしょうし、鉄鋼の腐食についても水の存在下でのイオンの移動(つまりは酸化ですが)で説明できる話です。もし、土木屋と化け屋と冶金屋がチームを組めば、最強のインフラ材料が提案できるでしょうし、今起こっている劣化問題にも目から鱗のアイデアが飛び出すかもしれないのです。キーワードは学際、または「万屋」でしょうか。続きます。

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2013年8月25日 (日)

2169 10年間ブレなかったか?

 

このブログでは、自分が生きてきた20世紀後半を振り返り、学者でもない投稿者が考えられる範囲内にはなりますが、今後どんな社会に向かうべきかを提案しています。その意味で、時々ですが自分自身が何をしてきたか、これから何を為すべきかも考えざるを得ません。2002年に長年勤めた会社を辞する前に考えたこと、その後出来たこと、出来なかった事は色々ありますが、取り敢えずここでは、考える方向がブレたか、それともブレなかったかを反省してみたいと思います。

 

退職前にココロの中のキーワードとして掲げたのは、実は非常に単純な言葉で「それは果たして持続可能ですか?」というものでした。何かを始める時に、先ずこの言葉でチェックして、それがYesならGoで、そうでなければNo goになる訳です。勿論、未来永劫に持続可能なら絶対的にGoなのですが、それは検証し様がないので、取り敢えずは自分が想像できる範囲内、例えば100年位を目安にする事にしました。もう一つのキーワードは、「太陽起源」というものでした。石炭や石油も含めて、地熱や原子力以外の全てのエネルギーは、太陽から降り注いだエネルギーが形を変えてものに過ぎないと言うのは、よく考えれば当たり前ですが、投稿者にとってその時は大きな気づきだったのです。

 

もう一つのキーワードというか視点としては、それは自分が長らく務めていた、大企業(とは言っても1.5流程度ですが)の目線は捨てよう、と考えました。つまり、20世紀末の行き詰まりは、大量生産、大量消費、大量廃棄システムの結果生じたと考えたからなのでした。もちろん最初のキーワードでチェックすれば、このシステムが持続可能でないことは明らかなので、このブログでも繰り返し「コキ下ろして」来た訳です。

 

さて、この様な見方や姿勢が、自分の中でいくらかブレてしまったかどうかですが、昨日若い知人(バイオマス大好き青年)と、バイオマスの利活用などに関して意見を交わした時に感じたのは、殆どというか全く変わっていないな、という事でした。まあ取り敢えずは、東北にUターンしてこの一年間してきたこと、つまりは再生可能エネルギーの重要性を、行政や企業に対して「お経の様に繰り返す」活動をこのまま続けよう、と自分なかでは再確認しています。その後は、あるべき仕組みを一つでも二つでも形にして、この国のリーダー達を含め、まだ20世紀型の考えに凝り固まっている人たちを啓発したいものです。

 

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2013年8月24日 (土)

2168 インフラ「復旧」ビジネス

ここでの復旧とは、今すでにあるインフラが壊れた場合にそれを元通りに戻す事は意味していません。逆に、すでに作ってしまったインフラを、可能な限りそれを作る前の姿に戻すビジネスを指しているのです。例えば道路です。広域農道や高規格林道など、殆ど利用されない区間の道路は、無くすか減幅するしかして、通行量に合わせて縮小します。無くしても、かつて使っていた脇道がまだ残っている筈で、どうしても通りたい人は自らのリスクでそちらを使えば良い訳です。また例えばダムです。どこでも川の上流の山の奥には、砂防ダムという名のコンクリート構造物が作られていますが、その殆どは土砂で埋まっていて、その本来の役目をはたしていません。通常の流れを少し弱める事は出来ても、上流で起こった大規模な鉄砲水を防ぐ事は出来ないのです。

そうであれば、インフラをインフラとして、多額のお金を掛けて維持する事は、そろそろ止めにしましょうと提案したいのです。豪雨による大水や土砂はダムで防ぐのではなく、氾濫原や遊水池で弱めるべきなのでしょう。それよりなにより、いまインフラに注いでいる財源の一部を、下草も生えない程放置してしまった山林に手を入れ、広葉樹の割合を増やして、山の保水力を高める事に使えば、埋まってしまったダムを放置して風化するままに任せても大きな問題にはならないでしょう。

間伐したり整理したりした山の木は、勿論一片たりともムダにせずに材や燃料として最大限活用します。その結果、山も針葉樹と広葉樹が入り混じった、昔ながらの混交林に戻るでしょう。林床には腐葉土が堆積し、山の保水力も格段に向上するでしょう。ダムが砂で埋まっていても、山から流れ落ちる水量は限定的制御されますので、そんなに大きな被害は出ない筈です。何より、材木としての利用だけを考えて植えられた針葉樹は、根の張りが弱く、急峻な斜面の土止め効果が低くなっていますが、混交林では大規模な土砂崩れの可能性も低くなる筈なのす。何故なら、人間が激しく手を加える前の自然は、自然の天候と上手くバランスしていたからです。

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2013年8月23日 (金)

2167 川筋循環モデル2

川筋循環モデルが機能するのは、モノの移動が最小限で済むと言う最大のメリットがあるからです。何度か書いた様に、運ぶこと(移動させること)によって、モノの価値はビタ1円増えません宅急便で送られた商品が店で買うより高いのは、単に送料が上乗せされているからであって、決して中身が高級になったからではないでしょう。つまり、モノを移動させるのは「必要悪」以外の何ものでもないのです。

地産地消は、究極の「省エネ型」の消費スタイルであり、包装材料を使うムダ、輸送のための化石燃料のムダ、輸送のために形の悪い野菜などを除く(捨てる)ムダ、用済みの容器を廃棄するムダ、その容器ごみを収集するムダ、その容器を焼却する燃料のムダ、などを避ける事が可能となるでしょう。

もう一つ、このモデルのメリットは「Small business」が機能し易い点にあります。大量生産、大量消費、大量廃棄という、いわゆる20世紀型のビジネスモデルは、結局のところ大メーカーや流通大手が市場を牛耳る事になりますが、川筋循環においては、供給者が自分供給できる範囲で生産し、自分が運んで売れる範囲内でビジネスを行うスタイルであるため、小さな資本で小さな規模での「商売」が始められるでしょう。今日の様に田舎が疲弊したのは、逆説的ですが、交通の便が良くなって、田舎の隅々にまで中央資本が入り込み、田舎のスーパーにも流通大手が大量生産品を送り込める様になった事に原因が求められそうな気がするのです。投稿者が住む田舎町でも、市内に何か所もあるスーパーの看板は、某大手流通Aオングループのものだけで、地元資本のそれはほぼ駆逐されてしまったのです。

しかし、川筋循環モデルが単なる「時計の逆転」で成功するとは考えられません。現在の大量生産、大量消費システムに対抗できる様な「魅力」を備えなけれな長続きはできないでしょう。その一つは、たぶん売り手と買い手の濃密なコミュニケーションであり、それに基づいた信頼関係になるでしょう。さらに言えば、顧客ごとの事情に合わせた細かいカスタマイズが出来る事を最大の武器に仕立てるべきでしょう。

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2013年8月22日 (木)

2166 川筋循環モデル

このタイトルでは一度くらい書いたような気もするのですが、別の言葉で確認しておきます。日本の川は、県を跨いで流れる様な川は稀で、殆どは急峻山地から海へ流れ下る、数十キロのものが大部分を占めています。資源の一つである水は、この川と海の間を循環していると見ても良いでしょう。これを他の資源、例えば食糧やバイオマスなどに拡大して考えるのが「川筋循環」です。ちなみに、これは投稿者が作り出した言葉なので、辞書には載っていません。

さて、川の上流である山間地には、当然のことながら山林があり、昔で言えば木材や薪炭の供給地であった訳です。しかし、現在では自伐林家は見つけだすのさえ苦労する程で、殆どは放置されるか、小規模な伐採業者に任せているのが実情でしょう。間伐であれば、それなりの助成金も出ていますので、切り倒すだけの作業は行われているのでしょう。しかし、最早その林地は循環のスタート点とはなっていません。従って、最近の様にゲリラ雨が頻発する様な気候では、陽が差さない林床には下草も生えず、土砂が根の張りが弱いヒョロヒョロの人工林と一緒に押し流され、大きな被害を引き起こしています。最近でも、岩手に抜ける田沢湖線の沿線で、山崩れが多発したばかりです。これも、健全な山林の循環と再生産が上手く回っていない事の傍証でしょう。

また、川の中流域では農業がおこなわれているでしょう。典型的な場所では、里山の山際から、海岸部に広がる街の郊外まで、畑地や田が広がっている筈です。ここでの農産物は、地元での消費の他、余剰分はJAを経由して、例えば価格が管理された米として流通させてきたのでした。しかし、稲ワラやモミ殻は、今の時代では殆ど活用されておらず、無為に裁断して鋤きこまれたり、焼却されたりして消えていきます。思い起こせば、ワラは昔は立派な原料でした。紙(わら半紙)になり、縄になり、家畜の敷料になり、最後は堆肥して完熟されて田畑に戻されました。

私たちは、山林や田畑を介在させた、新しい時代の川筋循環を再度作り出す必要があると思うのです。今では、材木の端材はチップやペレット燃料に加工すれば、自動化された燃焼器(ペレットストーブやチップボイラや薪ボイラ)で熱としてリサイクルできます。モミ殻でさえ、粉砕圧縮してオガライト形状の燃料に生まれ変わります。街で廃棄される生ごみや廃油も、堆肥や農業機械のバイオ燃料としてリサイクルさせれば、川下から川上に向かう循環が作れるでしょう。これらの循環システムが、道具や技術やビジネスモデルは既にあるのに、この国でなかなか形にならないのは、一体何故なんでしょうか。しっかり考えてみなければならない問題ではあります。

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2013年8月21日 (水)

2165 リスクの拡大

リスクが、本当のリスクであり続けるのは、そのリスクが「拡大傾向」にある場合です。拡大さえなければ、それをコントロールする術は必ず存在する筈なのです。天変地異でさえ、ピークを越えてその全容が把握できれば、そのリスクの範囲が特定できますので、最悪はその地域からの避難にはなるかも知れませんが、被害の拡大は防げる訳です。しかし、リスクが拡大しているにも関わらず、その原因が明確になっていない場合、それはさながら「アリジゴク」の様になるでしょう。

その意味で、フクシマで起こっている事はまさにアリジゴク状態だと言うしかないでしょう。何しろ、単に燃料のメルトダウン事故なのか、あるいは格納容器を突き抜けるメルトスルー事故なのかさえ特定されていませんので、リスクの拡大の範囲さえ想定できない状況だと言えます。いま、原子炉の状況を推定できるのは、その冷却に使われている冷却水のリターン状況、原子炉建屋の周りに何本か掘っている井戸水のモニター、あるいは原発のある港の中の海水のモニター位しか手段が無いのです。隔靴掻痒どころか、まさに何処から何処へ流れているのか分からない水頼みとなっている訳です。

そうであればそれなりに水を使った積極的なモニターも可能だと思うのです。原子炉や原発事故で全く生じない、しかし比較的安全な人工の放射性物質を「マーカー」として使う方法です。さながら、脳内血管を、微量の放射性マーカーで「着色=着放射能」し、PETでそれを観察するのと同様な方法です。ある濃度に着色した水を、山側で地下に注入したり、原子炉に注入したりして海側の井戸でそれをモニターする訳です。これにより、地下水の流れ、いわゆる「地下水脈」や格納容器からの水漏れ量が推定できるでしょう。濃度の低下は地下での拡散度合いを示すでしょうし、投入から検出までの時間的な遅れは、地下水脈の流速を推定できる有力なデータとなる筈です。現在でも使用可能なこの種の検出器の感度は飛躍的に向上していますので、何種類かのマーカーを多重的に用いれば、事故を起こした原子炉の状態のモニターの精度もかなり向上すると思うのです。原発事故の収束を原発屋に任して置くのではなく、物理屋も化け屋もこぞって知恵出しをするべきでしょう。

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2013年8月20日 (火)

2164 ストロー効果

ストロー効果とは、たとえば本州と四国の間に3本の橋がかかった結果、四国の人口が増えるどころか、逆に全国平均より急激な率で減り続けている現象などを例示として説明されます。さながら、四国の人口が3本のストローで、本州側に吸い上げられた様にも見えるからです。しかし、それは何も四国に限った現象でない事は明らかでしょう。いま投稿者が住んでいる東北の片田舎でも、事情は全く同じだからです。元々4万人弱であったこの町の人口は、平成の大合併で10万人を超えましたが、その後の10年余りで8.5万人まで減少しました。高速道路網も徐々に広がって、交通の便は確かに格段に良くはなりましたが、その結果何が起こったかと言えば、流通業で言えば大規模商業施設やコンビニ網が、都会並みに整備されたのでした。

整備された道路網で、外から運び込まれた商品を、田舎の消費者が購入する結果、田舎から中央へ流れると言う太い「お金の流れ」が出来上がり、田舎の人口や経済の活力も中央依存度が極端に高まってしまったのです。

しかし、かつて道路が未整備で「陸の孤島」となっていた時代はどうだったかと言えば、地域の消費ニーズは地域の産物で賄うしかなかった訳で、地域の中心となっていた町の中心では市が立ち、商工活動も活発であった訳です。その活力は、どこの田舎でも立派に整備された道路網が、すっかり吸い上げてしまったと言う構図が、日本の田舎という田舎で起こってしまった様なのです。田舎は、例えば食糧や水力やバイオマス等を活用したエネルギー産業などで、殆どあるいはかなりの程度自給できるポテンシャルは持っている筈なのですが、インフラの整備がかえって、地産地消のその足を引っ張っているのだとも言えるでしょう。人口問題でも、産業の衰退でも、多額の借金で行ったインフラの整備は、結局は地方の活力を奪う(ストローで吸い出す)事になってしまった点については、それを闇雲に推進してきた立場の官民組織(例えば建設官僚や道路族議員やゼネコンなどの建設ロビィ)は、強く反省すべきでしょう。勿論、それに鈍感であった私たち自身にも応分の責任はありますが・・・。

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2013年8月19日 (月)

2163 インフラ診断4

もう少しインフラの話題が続きます。田舎に行くほど、山の中の道路が立派なのに気が付きます。勿論交通量はまばらで、対向車にも稀にしか出会いません。それらの道路には国道でも県道でもないものも多いのです。つまりは高規格の林道や農道だったりする訳です。それらは、当然のことながら国交省の管轄ではなく、農水省の所管になる訳です。それらを併せた、人が住むエリアでの道路のカバー率は、間違いなく世界でも断トツのトップである事は、統計値を確認するまでもないでしょう。

それらは、田舎と都会の経済格差を小さくするためと称して、戦後とりわけ高度成長期やバブル期を通じて営々と築かれてきたものでした。しかし、それらは2162でも述べた様にコンクリートや骨材の大量消費を要求し、結果としては莫大な数量でしかも品質の悪いインフラとして今に引き継がれてしまった訳です。品質が元々悪い訳ですから、いくら事故を未然に防ごうとして診断をしようが、重症の患者の延命にも似た虚しい努力となる可能性が高いのです。しかし、そうであってもそれを見放す訳にもいかないのも間違いありません。何故ならそれらのインフラ、例えば道路には幹線では日々何万台もの交通量があり、田舎の道路と言えども数百台程度の交通量はあるわけで、インフラの劣化の結果として大事故を招かない努力は続ける必要があるのです。

いずれにしても、診断やメンテナンスには、これまでの倍旧のパワーを注がなければならない訳で、新たな道路の建設は強く抑制しなければならない筈なのですが、「コンクリートから人への政権」主役の座を取り戻した現政権は、全く逆の政策(というよりは元の木阿弥政策)に走っているのです。道路行政を振り返って眺めてみるとまさに「抜け道」法制や政策のオンパレードであったのは、比較的無関心であった投稿者などにも印象に残っているところです。高速道路も、田舎では訳の分らない無料区間がやたらに増え、どこからお金が湧いてくるのか、トレースさえできない状況です。石油税や車の所有に関わる諸税など、いわゆる道路特定財源は、たぶん現代の「打ち出の小槌」なのでしょう。結果、立派な道路網だけが伸び続けて、民はますます貧しくなり続ける国の姿がますます明確に見えてきた様な気がする昨今です。

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2013年8月18日 (日)

2162 インフラ診断3

インフラの最も重要な材料であるコンクリートに関しては、単なる建設素材として見る訳にはいきません。それは、常に化学変化を続ける「生きた素材」でもあるからです。石灰岩を原材料にして、それを高い温度で焼いて生石灰を作り、粘度など他の材料と反応させていわゆるセメントを作るのですが、その段階で天然素材を使うため、見た目は一緒でも実はセメントは非常にバラつきの大きな材料でもある訳です。しかも、セメント製造のプロセスは、ある時期一大進歩を遂げ、旧来の「湿式」から大幅な省エネが達成可能な「乾式プロセス」へと変容を遂げたことは意外に知られていません。その初期段階で、乾式プロセスの欠点とも言える、高いアルカリ性のセメントが全国的に流通しました。

セメントは、施工後その内部がアルカリ性に保たれることによって、空気中の酸素や炭酸ガスによる酸化(セメントにとっては中性化)を避け、中の鉄筋も健全に保つ性質が発現する訳ですが、異常に高いアルカリ性は、骨材として混入されている砕石の主成分であるシリカ(珪酸)と反応してそれを溶かします。これが、コンクリートの骨材アルカリ反応(ASR)なのですが、この反応を更に加速するのが、骨材として一時盛んに使われた海砂の塩分であり、更に分散剤として混入されている塩化カルシウムなどに含まれる塩分である訳です。ASRはコンクリートのガンとも呼ばれ、悪化する一方であり強度が元に戻る事はあり得ないのです。

更に言えば、コンクリート打設に使われるコンプリートポンプ車において、作業性を良くするために過剰な水の添加が日常的に行われる結果、いわば最初から「スカスカのコンクリート」建造物が高度成長期以降、現在でも施工され続けている事には、私たちはもっと注意を払うべきでしょう。コンクリートの健全性は、打設後1か月後に同じ生コンを使って作られたテストピースによって検査される筈ですが、それが同じバッチのサンプルであるかどうかの「トレーサビリティ」は、全く確保されていないのが実情なのです。役所に提出されるのは、サンプルの試験結果の「書類」だけなので、いくらでも悪い事が出来る余地がある事になります。

増え続ける大気中のCO2濃度は、さらにコンクリート表面からの酸化(中性化)を加速させている筈です。緻密なコンクリートでは、中性化のスピードは限定的(年間数ミリ以下)ですが、出来の悪いスカスカのコンクリートでは、10年以内に鉄筋のある深さ(例えば30-40㎜)まで進行する事も珍しくはない様です。震災で大きく破壊されたインフラのかなりの部分は、実は以上に劣化が進んだコンクリートが引き起こした「人災」である可能性も高いのです。異常劣化が進んでいるコンクリート建造物の修復は不可能で、もはや作り直すしか手立てはないのです。これは高度成長期の負の遺産と呼ぶしかない悲劇なのです。

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2013年8月17日 (土)

2161 インフラ診断2

インフラの診断においては、いずれにしても初期症状を発見する事が重要でしょう。つまりは、初期キズの発見です。例えば、鉄骨の構造物においては、必ず溶接部と継手部が存在します。しかし、溶接部や継手とは、逆に言えば応力の集中する場所でもある筈です。応力集中を少しでも小さくするために、設計者はそれなりの工夫を凝らしはしますが、滑らかな一般部に比べ、溶接部や継ぎ手部は形状的にも、金属組織的にも間違いなく不連続になっているので、応力が集中する事は不可避なのです。

橋梁の様に繰り返して荷重や振動が加わる構造においては、例えば溶着金属内に元々存在していた微細キズや凸凹なりが起点となって、初期の亀裂が生じ、そこに塗装膜の破れから水分が侵入すると、更に応力・腐食割れが加速する事につながります。金属における微細や欠陥やキズは、実は不可避な現象でもある訳で、如何にその進展を抑え込むかがメンテナンスのキモであると言っても良いでしょう。水分と酸素の存在は、錆びやすい鉄にとっては最大の敵でしょう。なんせ、還元された鉄は化学的に不安定なので、安定した酸化鉄に戻ろうとしている筈です。

それを防ぐには、犠牲陽極膜(たとえば亜鉛メッキです)を施したりやペイントを塗ったりすることになりますが、前者は橋梁などの大型構造物では事実上不可能です。

結局、インフラの診断やメンテナンスには近道は見つかりそうもなさそうです。いくつかの可能性としては、例えばセンサーを取り付けておいて、遠隔モニタリングを行うか、それとも人手を掛けてマメに点検を繰り返すかしか有効な手立てはなさそうなのです。とは言いながら、圧倒的に膨らんでしまったインフラ資産に対し、予算も人手も手薄になっている現状では、何らかの知恵を出して大事故になる事は防がなければなりません。この件に関しては引き続き考えていきます。

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2013年8月16日 (金)

2160 インフラ診断

橋梁やトンネルなどの社会インフラの劣化が問題になっていますが、投稿者としても何らかの貢献が出来ないか、アイデアを絞っています。劣化の種類には、大きくはコンクリート構造物と鉄鋼構造物の劣化に分けられるでしょう。

前者については、アルカリ骨材反応や酸性雨による脱灰によるコンクリート自体の劣化およびその中に入れられている鉄筋の発錆による強度低下が考えられます。順序としては、初めにコンクリートの劣化が進み、結果として鉄筋を覆うコンクリートの厚みが減少したり、クラックが入ったりする結果、鉄筋の発錆が進む事につながります。外観上は、コンクリートのクラックが顕著になり、コンクリート中の石灰分が溶出し表面に再析出します。次いで、鉄筋が常時水分に晒される事になり、発錆する事により鉄の酸化膨張が起こり、クラックを広げる事になるでしょう。いわば、コンクリートと鉄が相互劣化のスパイラルに陥る訳です。

一方、鉄鋼構造の劣化は、鋼材自身の腐食による板厚現象(痩せ)と溶接部の腐食割れなどが主原因となって、設計時の安全率が低下し、破断などの重大事故につながる事になります。鋼材の表面は、塗装膜によって保護はされますが、塗装膜自体の割れや紫外線による劣化で、母材表面が水分に直接晒される事になります。鋼材の錆は、水分存在下でイオン化した鉄分が酸化しながら移動する事によって進行しますが、大型構造物では亜鉛メッキなどの犠牲膜を乗せる事も出来ないため、現状では早めの再塗装しか打つ手がありません。

しかしながら、増えすぎたインフラは、補修予算が極端に手薄になっているため、予防保全は叶わず、「モグラ叩き保全」しか出来ない事態に陥っている訳です。それでも、劣化診断が適正に行われていれば、建設年次にはとらわれないくても劣化の進んでいる物件から手当をすれば重大事故にはつながらない筈ですが、如何せんその診断を行う人材が信じられない程手薄なのです。というのも、建設や土木の学問を修めた、いわゆる専門家も、実は劣化診断や補修技術などと言う分野の教育や経験を積んでいない場合も多いからです。モノの劣化の診断やその補修技術などは、多くの事例を見聞きし、多様な補修方法を経験しない限り、座学では身に付かない筋合いのものだからです。続きます。

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2013年8月15日 (木)

2159 スケールメリットの呪縛

また、環境ネタに戻ります。再生可能型エネルギーの利用においては、その採算性の検討からは大規模化への圧力が働いている様に見えます。しかし、考えてみれば簡単にわかる様に、再生可能型エネルギーの殆どは太陽光起源であり、そもそも大規模化には馴染まない筈なのです。大規模化のためには、薄く広く賦存している太陽光(やその結果生じたエネルギー形態)を苦労して集める必要がある訳です。更に、せっかく集めたエネルギー(電力なり熱なり)を再度需要家に配布しなければなりません。

従って、エネルギーの変換システムのスケールは、得られたエネルギーの配布も考慮した、最適サイズが存在すると考えなければならないでしょう。そのオキテを破った例が、いわゆるメガソーラでしょうか。1ヶ所で集中的に発電する結果、発電量のピークとなる真夏の晴天の日中に、同じく需要のピークとなるであろう需要家のエアコンを動かすために電力網を使って送り込んでやる必要が生じます。そのためには、変電設備を作って電圧を上げてやる必要もあるでしょう。しかし需要家側では、それを柱上トランスでわざわざ降圧して使う事になります。送電や変圧時には僅かですがロスも生じますから、実は発電所での実質効率は目減りする事になります。

一方、数十キロワットの小規模な再エネ発電所、太陽光や小水力や風力による発電では、例えば200Vのまま、柱上トランスにつなぎ込めば、そのトランスから電力を受けている需要家で地域消費されますから、変換ロスも送電ロスも殆ど生じない事になります。結局、私たちは猫も杓子も企業も行政も、高いFIT価格を狙ってのメガソーラや大型風車に突っ走るのではなく、ぜひ地域デマンドを睨んだ、最適な中小規模システムに、方向転換をすべきでしょう。勿論、究極の理想はは各需要家が自分の家やビルや工場の屋根や敷地を最大限に使っての、太陽光、太陽熱、風水力等の個別ハイブリッドシステムである事は論を待ちません。

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2013年8月13日 (火)

2158 休題(福島の山)

月曜日、仙台での仕事にひっかけて、週末は少し遠回りして福島の山に登ってきました。

1)西吾妻山:土曜日は早朝秋田から、内陸の国道を通って新庄、山形から米沢を経由して、バイク乗り憧れの県道2号線(通称スカイバレー)を使って1100天元台着でノンストップ走る。天元台には立派なロープウェイがあるが、それには目もくれず、その横の工事用道路を歩いて登。この道路はなんと冬季には、ダウンヒルのスキーコースにもなる様だ。下では1時間掛かると言われたが、30分で上駅に着いてしまった。そこから更に長いリフトが2本登っているが、スキー場の草原をひたすら歩いて登る。天気はまあまあで、靄ってはいるが薄日も差している。しかし、標高を稼ぐに従って雲の中に入ってしまい、時々ガスに巻かれる。この山は、一体何処が山なのか分からいくらいベタッとした山容であるが、高山植物や湿原などが多く、多くの登山客がリフトを乗り継いで登ってくる。木道なども整備されており、登り易いので結局2.5時間ほどで頂上に立った。とは言うものの、頂上は背丈より高い樹木に囲まれた狭い広場で、頂上の標識が立っているだけの殺風景な場所だった。視界は50m以下でどうせ眺望も期待できないので、すぐ下山を始めた。帰りは、湿原の植物や忙しく動き回る虫達を眺めながらゆっくり下った。途中でガスに巻かれて道を間違えて20分程ロスした。頂上を同じ頃下り始めたパーティはリストを使った様だが、下りは歩きの方がやや早いので、下のロープウェイ上駅にはこちらの方が随分早く降りてきたようだ。流石にロープウェイには勝てず、1600に降りて来たときには、下駅では彼らの方が早くついて一服していた。そのまま県道二号線で檜原湖下って、湖畔のキャンプ場に宿泊。夕方からは雨が降ってきたが、夜中には止んでくれた。

2)磐梯山:日曜日は5時起きでデントを畳み、6時前に出発し、ゴールドライン経由で数キロ走って磐梯山の登山口である八方台に到着。0620に登り始めて、標高を稼ぐが、登るにつれて天気は悪化し、風が強くなりガスもひどくなってきた。景色が見えない中黙々と登るのは楽しくない。1時間ほどで、頂上肩の弘法清水小屋についてしまった。小屋は単なる売店で、宿泊はできない、小屋の前には清水が湧いていて美味だった。小屋から、もう一息で頂上だが、火山なので勾配が2段になっており急な登りになる。頂上には、人間の背丈より低い避難小屋があって管理人もいたが、たぶん10人が横になると一杯になってしまう大きな犬小屋と言った方が分かり安そうだ。立て直しの話は出てはいるが、風が非常に強い地形なので、なかなか実現しない、と管理人はボヤイていた。ここも頂上写真を撮って、早々に下山した。八方台には0900に降りていたので、まさに朝飯前の散歩登山となった。小休止して、次の目的地である安達太良山に向かうため、一度桧原湖に戻り、レークライン、R115を経由して、富士急のゴンドラがある奥岳登山口まで横移動した。

3)安達太良山:1100過ぎに奥岳登山口から歩きはじめる。勿論ゴンドラには乗らずテクテク歩く。しばらくは、砂利道の林道が続くが、旧道の登山道を見つけては、そちらを登る様にした。こちらの方が林間の道なので涼しいのだ。しかし。この道は距離が長いのでダラダラ登りとなる。1.5時間歩いてやっとくろがね山荘に到着。結構規模の大きな小屋で、夏休み中とあって人影も多かった。ここからやっと登山道らしい登りに入る。右には壁の様な鉄山、左側には目指す安達太良山の乳首の様な山頂が見えている。その間は広大なカールで繋がっていて、その谷合からは温泉が湧きだしている、まだ生きている山だ。1時間弱でそのカールを登れば、あっという間に頂上に立っていた。登りは2.5時間かかった。頂上だけは、こんもりとした岩山になっていて、鎖を使って、ちょっとした岩登りをする必要はある。しかし、午後には天候も回復して、やや霞んではいるが絶景を楽しむ事が出来た。下りは、一般の人たちが使うゴンドラからの登山道を降りたが、午後なので登ってくる人は殆ど居ない。こちらは富士急が整備したらしく、平らな踏み石や、木道で歩き易く整備されているので、朝から酷使されている足にとっても非常に楽が出来るようだ。ゴンドラの上駅からは、急な旧道とスキー場の横の道を使って下るが、登山口に降りてきたのは1530であった。この山も低いので、半日仕事で済んでしまった。明日に備えて、山を下って温泉にでも入ろうかとも思ったが、下界は暑そうなので、R115の標高800mにある道の駅の芝生の上にテントを張って涼を楽しんだ。1日2山は、疲れるがしかし達成感は抜群である。「目指せ百名山」も残すところ30座余りになった。翌朝すぐ下の温泉で汗を流し、熱気の中仙台に向かってバイクを走らせた。福島市内に入る前に国道にいくつも現れる農園の直売所で食べたモモはまさに旬で美味であった。1個食べたらなんと2個オマケを貰ってしまった。バイク&トレックは、体にはキツイが当分止められそうもない。

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2013年8月10日 (土)

2157 休稿

今日から数日間、山(福島シリーズ)と仕事で不在になりますので、投稿は休みです。

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2013年8月 9日 (金)

2156 セミ・オフグリッド

新しい言葉を作ってしまって、FBで盛り上がったのですが、忘れないうちに書き留めておきます。スマートグリッドとは、グリッド(配電網)にぶら下がった需要家の負荷を平準化する事により、エネルギーを有効に活用しようとする試みですが、一方オフグリッドとは需要家が自身が発電する電力で自給し、例えば一軒の家を完全にグリッドから切り離す事を指します。

しかし、ここで言う「セミ・オフグリッド」とは、その中間の状態を指し、たとえば家の中である区画は屋根に設置した小規模な太陽電池の電力をバッテリーに蓄えるなどして電力自給しますが、他の区画はこれまで通り、系統から電力を受け取ると言ったハイブリッド状態を指します。この仕組みのメリットは、例えば電灯やパソコンやTVなど、あまり電力を消費しない器具を自給電力として、エアコンや冷蔵庫や洗濯機など一時に大きな負荷となる電化製品は、系統から電力を受け取る様にしておけば、災害停電時や負荷が高い時間帯なども安心して暮らす事が可能となる点が挙げられます。また、初期投資を小さく抑えておき、徐々に太陽光発電の割合を増やそうとする「ボチボチ」アプローチにも対応可能になります。

具体的な方法としては、玄関にある配電盤のうち、ある部屋や区画につながっている一つのブレカーを切ってしまいます。その上で、小規模な太陽光発電パネルを、屋根やベランダに設置し、その電力を、例えば車用のバッテリーに充電します。バッテリーには、車の中で電化製品を使うためのインバータが市販されていますから、そのうちの大きめの容量のものを選定し、これをその区画のコンセントにつないで電力を逆に流します。これで、電線の工事を一切伴わない、セミ・オフグリッドが構築できます。電灯と、ノートパソコンと小型のテレビを繋いでも、容量としては居精々300w程度あれば間に合うはずです。雨や曇りの日が続いて、バッテリーが空になった場合には、またブレーカを入れれば元通りになるので問題無しです。太陽電池やバッテリーには、逆流防止用のダイオードをお忘れなく。

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2013年8月 8日 (木)

2155 熱帯化

最近の寒帯ジェット気流と亜熱帯ジェット気流の流れを下記のURLで眺めていると、明らかに亜熱帯ジェット気流がが北海道辺りまでせり上がっていることに目が行きます。

http://www.cokbee.com/weather/jet.htm

亜熱帯ジェット気流とは、赤道付近で生ずる上昇気流と、夏場赤道付近並みに太陽光を受ける温帯地域で生ずる上昇気流がぶつかる亜熱帯地域で観測されるジェット気流なのですが、この気流の赤道側は基本的には熱帯性の気候に支配されるという事になります。つまり、30℃をはるかに超える高温と、熱帯の海でたっぷりと湿気を吸った気流による多湿の大気に支配されるわけですから、スコール並みの降雨もしばしば観察される事にもなります。

ところで、亜熱帯ジェットのせり上がりは、結局夏場の北極気団の極端な縮小に原因がありそうなのです。事実、数十年前のデータは残っていないかも知れませんが、近年の極気団の周りに生ずる寒帯ジェットのさし渡しは随分小さくなっている印象があります。夏場は殆ど、北極海の大きさと変わらないほどまで縮小しているのです。これは、いわゆる温暖化傾向の中で、北極海の海氷が極端に融解し、結果として海のアルベド値が大きくなって、海水温度が上昇していることが原因と考えて間違いはなさそうです。極付近の気温が高まると、下降気流が弱くなり、結果として北極気団が小さくまとまり、寒帯ジェットの緯度が高くなってしまうからです。これに加えて、気温の増加にともなう、大気中の絶対湿度の増加があります。水蒸気は強力な温暖化効果ガスでもあるので、気温上昇に更に数℃の上乗せが出る事になります。晴れれば35℃越えはこれらの相乗作用だと見ています。

さて、夏場に西南日本が熱帯化し、東北地方辺りまで亜熱帯化の傾向が定着しつつあると考えると、私たちは何らかの対策を考え出さなくてはならないでしょう。農作物の品種改良やより熱帯地域に近い品種への転換なども既に必要な状況になっている様ですし、住居や建物構造も何らかの対策が必要かもしれません。具体的には、より遮熱性(太陽光や外気温を遮断する性能が高いこと)を向上させた屋根・壁構造や、あるいは室内の湿度を高度に除去する仕組み(デシカントシステム)などの充実などです。

また、熱帯性の病害虫も怖いところです。冬場に積雪がある地域では、熱帯の害虫は冬越しできない可能性がありますが、温排水が豊富な都市部では、既に「セアカゴケグモ」などの毒虫の冬越しが確認されているからです。特に蚊が媒介する熱帯性の病気、とりわけマラリアなどの水際防御には、これまで以上の注意が必要となっています。

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2013年8月 7日 (水)

2154 地域資源は何処にある2

インフラの話が間に入ったので、地域資源の話が途中になってしまいました。さて、出口である廃棄物置き場から地域資源を想像する方法もありますが、先ずは入り口から入るのが正攻法でしょう。取り敢えず目を付けたいのは、モノの集まる場所です。モノを集めるのは大変ですが、モノが集まってくるのであれば、集める苦労はあまり要らない筈だからです。比較的近所で、モノが集まってくる場所を思い出すと、例えば、港の荷揚げ場、工場のストックヤード、製材所、森林組合の貯木場、JAの集荷場やカントリーエレベータ、牧場のサイロ、大規模農場の納屋、間伐林の林床放置材などなどが挙げられます。

これらの一つ一つをじっくり眺めてみれば、製品や商品なる部分と、やがては分離されて廃棄物となる部分に分けられる事が分かるでしょう。例えば、一本の樹木を前において用途を考えた場合、勿論製品になる中心部は材木として出荷されますが、製材の前に剥がれる樹皮、あるいは製材過程で切り分けられる辺材部分、鋸屑などが廃棄物として製材所に残されるでしょう。鋸屑は家畜の敷料、また樹皮は一部堆肥などに活用される場合もあるのですが、手間が掛かる割には値段が安く、そのまま堆積されるか、まとめて廃棄物として業者に渡されるケースも多いのです。

しかし、自然が作ったモノに無駄がある訳はありません。鋸屑はそのままバイオマスボイラで燃やすかペレット燃料として付加価値を上げ、また辺材はチップ燃料にしてやはり温泉施設などで燃料として蘇るでしょうし、樹皮は上手く処理すればタンニンなどの有用な物質が抽出できる筈なのです。最終的に何にも使えない部分は、水分を抜いて燃料になって貰うしかないでしょう。そう言えば、子供の頃近所に合板工場がありましたが、そこから出る鋸屑は、そのまま数百メートル離れた銭湯の燃料になっていた時代がありました。工場と銭湯のどちらが先に出来たは知りませんが、たぶんほぼ同時に出来たのでしょう。昔の人は、モノが少なかった時代、モノを無駄にするのが嫌いだったと思うからです。農業残渣についても近いうち考えてみます。

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2013年8月 6日 (火)

2153 点検・整備・修理2

インフラの点検がどうにか出来たとして、実際に日頃の整備やリスクが生じた際の修理をどの様に行うのかは、実は結構大変です。むしろ、新設工事の倍くらいは難しいと考えなければならないでしょう。というのも、新設の時は、例えば基礎工事を行い、設計者が考えた順序に従って徐々に組み上げていく訳ですから、橋の場合だと工事途中で宙ぶらりんになっている構造が、予期しない地震や強風などで崩落する危険が少しある程度でしょう。しかし、古くなったインフラは、多くの場合それを使いながら修理を行わなければならない訳で、修理のための新たな工法を考え出さなければならないのです。

その意味で、この国はこれほど多くの社会インフラを作っておきながら、一方では「修理技術者」を殆ど育ててこなかった事を強く反省しなければならないでしょう。修理の専門家は、新設のために必要な知識を一通り身に付けた上で、修理のための診断や工法に関しても広い知識を備えている必要もあるのですが、後者に関しては教科書からの知識では全く役に立たず、もっぱらトラブルを抱えたインフラがある現場に足を運び、それを修理するプロセスから学ばなければならないのです。

投稿者の場合ですが、入社からの約10年間、船舶の修理部門に配属されて、エンジンルーム内に収められているあらゆる機器の故障や事故例を目にした経験があるので、例えば発電所やプラントやあるいは腐食に起因する鉄鋼構造物の事故などのに接しても、その中で何が起きているのかを、はっきりと想像する事が出来ます。油まみれになり、連日夜中まで働いては居ましたが、これは今にして思えば、まったく貴重な経験をさせて貰ったと、キャリアのラッキーに感謝しているくらいです。今からでも遅くはないので、土木工学等の学科を学校には、待ったなしでこの種(修理)の講座を開設し、一方でゼネコンや行政も修理技術者を大量に育成していく必要があるとも思うのです。

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2013年8月 5日 (月)

2152 点検・整備・修理

昨夜のNスぺを見て、改めて身近なインフラに関わる危険性を再認識せざるを得ませんでした。インフラに限らず、形あるものは必ず壊れます。それを防ぐためには先ずは点検なのですが、その点検を効率的に行うためには、ポイントを抑えるて行う事が肝要です。インフラや設備のウィークポイントは、実はそれを設計・製作したメーカーが最も良く知っている筈ですが、残念ながらそのウィークポイントを、敢えて白日の下に晒す事は無いでしょう。点検マニュアルは準備されているにしても、それは一般的なポイントだけを示しているだけのものが多いものです。

効率よく、ポイントを抑えた点検のためには、メーカー並みの、構造に対する理解が必要だと言えるのです。それは、何も高度に専門的な知識を備える必要までは無いとも思うのです。つまり、必要なものは、工学の基本的な知識で十分だとも言えるでしょう。というのも、多くのインフラは「動かない構造物」である事が多く、基本的な構造力学、材料力学、金属材料(冶金学や金属腐食)、コンクリート学などの知識と、しっかりした「注意力」が揃えば、多くのリスクが未然に防止できる点検が可能なのです。とりわけ、劣化に関わる要素として、鉄鋼構造物やボルトや鉄筋の腐食、コンクリートの脱灰やクラックなど、多くの劣化は何らかの目に見えるシグナルを発している筈なので、それを早い段階で見つける眼力こそが必要な能力だと言っても良いくらいです。

それに加えて、点検者には「応力の流れ」が見えなくてはなりません。確かに、最近のコンピュータソフトを使えば、応力の大小を色の変化に替えて表示する事は可能なのですが、そのためには手間暇を掛けて境界条件を入力する事が必要です。古いインフラにはまともな図面さえない事も多いので、それは無理な事も多いです。しかし、例えば橋の構造に掛かる荷重は、大まかな重量とそれを支えるポイントさえ押さえておけば、点検しなければならないポイントや橋のビームに最大の応力が生じているであろう断面を想像する事は容易だと思うのです。

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2013年8月 4日 (日)

2151 地域資源は何処にある

さて、産業を興すのに重要となるのは、資源です。産業の資源とは、ヒト、モノ、カネを指しますが、ここではモノ資源について考えてみます。モノ資源については、これまでも別の言い方で何度か言及はしてきましたが、ここではより具体的な形で考えてみます。ある工場やビル等の物流を見る上で、最適の場所があります。それはバックヤードにある廃棄物置き場を見る事です。工場では、原料やエネルギーが入ってきて、加工された製品が出ていくと、工場には製品にならなかった材料の屑や工程で使われて捨てられた副資材などが捨てられます。それらが貯まる場所がバックヤードになる訳です。同様に、地域でのモノの循環を見る上で、最適な場所は、廃棄物の処理業者の中間処理施設だと言えます。廃棄物処理は「静脈産業」とも呼ばれ、その地域で消費されたモノの内、ゴミとなった部分が集められます。そうでないと、地域はゴミの山となってしまうでしょう。家庭から出た燃やしやすいものや埋め立て処理しやすいゴミは行政が集めますが、残りの多量の事業系の廃棄物は、いずれかの処理業者が引き受けている筈です。

その業者のヤードには、例えば建設系の廃棄物やスーパーマーケットなどから出る生ごみ、あるいは製造業から出る金属やプラスチックゴミなど多種多様な廃棄物が集められます。多くは、荒い分別や破砕処理などによる減容処理を行い、最終処分業者へ渡されます。しかし、ここで思い出さなければならないのは、ドイツで唱えられている呪文です。それは「廃棄物とは間違った場所(ゴミ捨て場)に置かれた貴重な資源である」というものです。もし、廃棄物を混ぜずに、純粋な物質として完全に分別可能なら、世の中にはゴミなどというものは存在しないでしょう。プラスチックゴミだって、汚れを落とし、PPPEABSPSなどに完全に分別できれば、それらは全く同じ材料として再生できるでしょう。生ゴミだって塩分や異物が全く入っていないものであれば家畜の飼料にもなりますし、肥料やメタン発酵させての発電目的にだって使えるでしょう。

まずは集めた(集まってしまった)、「今は」ゴミの山を前にして、その活用法を皆で考えてみなければならないのです。使い道に気が付けば、ゴミの山は資源の山に変るのです。もしそれが、他の異物と混じって分別が大変であるなら、それは捨て方や集め方が悪いのであって、その仕組みを改善すれば良いのです。例えば、ゴミ箱を分別したい「資源」の数だけ増やすのが手っ取り早い方法でしょう。勿論それらはゴミ箱ではなく「資源箱」と呼ぶべきなのですが…。

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2013年8月 3日 (土)

2150 地域に根を張る2

2149の続きです。更に踏み込んで、地域の食住のニーズをほぼ完全に取り込んでしまう仕組みも考えられます。これはヨーロッパの田舎では普通に見られる例なのですが、地域の住人が自分達で組合(あるいは3セク)を作って、バイオマスボイラなどで地域への熱をまとめて供給する一方、その組合がスーパーマーケットも経営して食の需要も賄っている仕組みが見られます。このスーパーでは、たぶん廃棄食品などは皆無でしょう。何故なら、地域で売れるだけのドンピシャの量を仕入れるからです。熱の供給は、地域の山から切り出す木材(バイオマス)を使ったチップボイラなどで温水を作って行います。

この仕組みでは、もしかするお金さえ不要となるかもしれません。住人は、地域通貨で支払う事も可能でしょうし、場合によっては自分が出す労働力で支払う事も可能でしょう。地域外から仕入れる商品の金額分は、その地域で何らかの余剰の価値を生み出して、地域外に売る事は必要なのですが、それは耐久消費財や衣類などに限られるでしょうから、それ程あくせく働く必要もないでしょう。

投稿者が知り限りでは、たとえばオーストリアなどの地方コミュニティでは、この様な仕組みはありふれてはいますが、では日本で何故できないかですが、それは多分高度成長期に出来上がってしまった行政の仕組みが邪魔している可能性もあります。行政組織が一度出来上がってしまうと、例えば水道やガス供給やゴミ収集などの行政サービスが粛々と提供され、住民は税金を支払って、それに100%依存して暮らします。その結果、自分たちの暮らしは自分達で支えると言う昔の暮らし方を忘れてしまうのでしょう。それを乗り越えるには、例えば3セクを作って、半行政、半住民組合というスタイルにすると言う方法はありそうです。単純に、民間の力だけで、その様な仕組みを作るためには、壁が高すぎるからです。

一方、これまでの自治体が産業振興のためにしてきた事と言えば、例えば外部から企業を誘致するために、工場用地を造成し、工業用水を引き、取り付け道路を付けるための多額の税金を使う事だけに注力していた様な気がするのです。残念ながら、信じられないくらい安く設定された地価に設定しても、それらの用地が完売する例は稀なのです。

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2013年8月 2日 (金)

2149 地域に根を張る

地産地消は良く使われる言葉です。使われ過ぎと言っても良いかもしれません。確かに食べ物でもエネルギーでも、地域で生み出して地域で消費する事は一つの理想ではあります。メリットとしては、生産者と消費者の距離が近く、目に見える関係も構築出来るでしょうし、産品の輸送距離(マイレージ)も小さくなり、しかも地域の中でお金が回りますので、地域経済も活発になる筈です。しかし、心配な風潮もあります。つまり地域で産出できるからという理由で、無理に地域で消費を押し付ける、いわゆる押し込み型の地産地消です。

それを避けるためには、一つには生産者と消費者とは本当に相対する関係を作る事が挙げられます。つまりは、モノを売る際に、売り手がが○○さんおはよう、と声掛けができる関係だとも言えます。人が基本的な生活を送る上で必要な衣食住は、ほぼ固定した量に限られます。従って、人口とその年代構成がほぼ正確に分かっている地域で、必要とされる物量やサービスのの量、いわゆる市場規模もほぼ把握できる筈なのです。例えば、投稿者が今住んでいる8.5万人規模の中小規模の市では、家庭向けの熱需要(主に暖房給湯用)の市場規模は、約300億円あるとのデータが出ています。地産地消を進めるためには、先ずこの市場の内のどの程度の割合を狙って熱エネルギーを地域で自給できるのかを試算し、その一部を実際に供給する小さな仕組みを作っていく訳です。具体的なスタートは、ある集落(例えば数十戸~数百戸程度)を対象として地産地消の仕組み考えます。その集落の戸数や家族構成などは明確ですし、家の外から見れば暖房や風呂焚きの燃料は推定できるでしょう。薪を使っているのであれば、どこから入手しているかもすぐ分かる筈です。

高齢者世帯であれば、操作が容易で燃料補給も楽な灯油ボイラやガス給湯を選択しているでしょう。設備が古くなっていて危険な状態のものもそれなりにあるでしょうから、設備更新のついでに、例えばペレットボイラによる集中的な暖房給湯システムを導入する素地はある筈です。であれば、近くの製材工場や森林組合が、ペレット燃料を生産してそれをその地域で消費する小さな枠組みは、小規模であれば実現可能だと言う結論が出せます。ストーブを据えたり、メンテナンスしたり、あるいは温水配管を行うなどの周辺産業もそれなりに潤うでしょう。出来れば、設備は買取ではなく、リースの仕組みを入れた方が、長期にわたってお金が回る事になるでしょう。消費者は、燃料代と小さな額のリース料を毎月(あるいはシーズン契約で)支払う事になります。この様な取組みが、たぶん地域に根を張った、完全に目に見える関係での地産地消の例になるでしょう。

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2013年8月 1日 (木)

2051 質の時代

投稿者の中では、「量の時代」はかなり以前に終わった様に総括しています。自分の中で一つのエポックは、2001年にB国のWTCへ旅客機が突っ込んだ事件あの事件でした。その後に起こった「現象」は、航空旅客数が45%にまで落ち込み、結果世界のエアラインは、手持ちの旅客機の内なんと2500機程度が動かせなくなってしまったのでした。45%程度の「コアの旅客数」とは、多少命の危険があっても、旅客機に乗らざるを得ないビジネスマンや、親族が危篤になったなどのやむを得ない利用客であった訳です。その他の65%は、つまりは「物見遊山」のレジャー客であったことが、あの事件で露呈した訳です。他方LCCに代表される運賃の価格破壊は、機内サービスの質を徹底的に下げ、座席を埋める事(=搭乗率向上)だけに集中してきた様に見えます。

昔を思い起こせば、投稿者がまだ入社数年しか経っていないころヨーロッパへ出張したことがありました。良い時代で、ビジネスクラスを使わせて貰いました。その時の往復運賃が給料の10か月分ほどだった様に記憶していますが、オランダのエアラインのサービスの質には感激したものです。

その後海外旅行が庶民に普及し、航空運賃の引き下げ競争に対応できなかった大手の航空機会社は消えていき、競争に打ち勝った企業や新たなビジネスモデルを打ち出した新興の航空会社が生き残った訳です。「量の時代」の到来です。しかし、その量の時代も、業界によって状況はマチマチではあるのでしょうが、そろそろ終わりを迎えていると感じています。では今後の社会で何が残るかと言えば、やはり上質なサービスやモノや仕組みしかないと見ています。上質な海外旅行、上質な車、上質な政治家や政党、上質な社会制度などなどです。では何が上質かという事になりますが、その本質は顧客が受ける深い満足感に他なりません。安かろうは、やはり悪かろうで、低い満足度しか得られません。私たちは、そろそろ安物買いの銭失いを卒業しなくてはならないでしょう。たぶん続きます。

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