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2013年11月13日 (水)

2239 得るもの≒失うもの

人は、あるものを得る代償として、ほぼ同価の何かを失う事を忘れない様にしたいものです。端的な例が買い物です。ある商品を買うためにお金を支払いますが、そのお金は何時間か、何日か、あるいは何か月か自分の時間を売って得た価値と同価です(と今の社会では暗黙の内に決まっています)。商品を得てお金を手放すのです。全く別の例ですが、例えば結婚です。人は結婚によって、たぶん精神的な安定と、新しい家族と、彼らと過ごす楽しい時間を得る事が出来ます。一方で、独身時代に謳歌していた自由な時間や好きな活動の多くと、お小遣い以外の収入の大半を差し出さなければなりません。

また例えば、人は便利な電化製品や車などの便利な移動手段を得る代償として、お金以外の何を失ってしまうのでしょうか。それは、たぶん器用さや身体能力だと想像できます。パソコンを使いこなせば、文字を書く能力を低下させ、スペルを忘れてしまうでしょう。計算(筆算・暗算)能力も勿論低下します。車を多用する人は、腹筋・背筋はもちろん歩いたり、走ったりする時に使う全ての筋肉の低下を覚悟しなければなりません。

さて、上での「人」を「社会」に敷衍してみたらどうなるでしょう。社会は、多くのインフラを得てきました。道路網、鉄道網、電力網、通信網、水道網、ガス管網、下水道網、輸送網、航空路網、ネット網などなど。書いてきて気付くのは、それらが偶然ではなく「網」になっている事です。もしそれらが正確に網になっていればまだマシなのでしょうが、インターネットを除けば、殆どが端末では単路になっているのです。即ち上流で事故があれば、そのインフラの下流では悲劇が起こるでしょう。何故なら、人々はその利便を享受する代償として、それに代わる手段を放棄してしまったからです。昔は、田舎では町内毎に井戸を掘っていましたが、今日では断水時は即給水車の出動要請につながるでしょうし、停電に至ってはひたすら懐中電灯とロウソクで耐えるしかありません。インターネットが動かなくなった事態を、人は殆ど想像などできないでしょう。つまり、私たちは便利なインフラを得た代償として、全ての人が「インフラ依存症」に罹患する異常な事態になったのでした。

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