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2013年11月21日 (木)

2247 持続可能性への諦め?

サラリーマンを早めに辞して以降、一応「環境保全を織り込んだモノづくり」とか、持続可能性社会構築への寄与などという言葉を掲げて環境人間への脱皮を図りながら生きてきたつもりです。しかしながら、ここに来て、投稿者の中でもかなりの程度諦め感が漂ってきた様な気がします。科学や技術の本質を考えると、結局は豊かな社会を作るための「手段」であった筈の、地下資源や化石エネルギーを駆使して、より便利でモノに囲まれた社会を作る事が、今や完全に「目的化」してしまった感があります。円滑なモノやカネの移動の手段であった筈の経済は、巨大なインフラや製造・物流システムを前提に、それを間断なく動かし続ける事自体が目的になっています。

それは、大災害などでインフラやメーカーの生産や物流が短期間止まるだけで、(都市の規模が大きい程)大混乱に陥る事でも証明されています。都市には、殆ど「ストック」などと言う「余裕」の仕組みは作られていないのです。物流が完全に止まるだけで、大都市のささやかなストックは数日で底をつく事でしょう。つまり、現代の社会においては、モノやカネが、一時も休むことなく動き続ける事が常態であり、その流れに乱れが生ずる事が異常事態なのです。経済活動や物流の流れは十分に大きくそれなりに慣性もあるのですが、その乱れや瞬断には非常に弱いのです。安定的なストックをする余裕もなく、激流の様にモノやカネが流れるのが日常であるシステムが、持続可能である筈もありません。

私たちは、経済活動を加速し、規模を拡大する事で、持続可能性を次々に切り捨ててきたと思うのです。自前の食糧やエネルギー資源を切り捨てて、工業製品を売って得たお金でそれらを海外から買ってくる事によって、この国の持続可能性は極端に低くなってしまったと、深く反省する必要があるのでしょう。それがなかなか出来そうもない社会状勢を見るにつけ、投稿者の諦め感はますます強くなるのです。たぶん続きます。

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