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2013年11月24日 (日)

2250 思考停止

2249の続きです。手段の目的化が進んで、システムが硬直化してしまった後は一体何が起こるのでしょう。それに続くのは、たぶん「思考停止」ではないかと疑っています。思考停止とは、そのそも前例だけに従いながら、盲目的に物事を進めるか、あるいは一応考えるのですが、結果として堂々巡りを繰り返すか、いずれかの状態を指します。前者の例は、行政組織のあり様を観察すれば十分でしょうし、後者の例は、国会中継などを短時間視聴すれば直ちに理解できる筈です。国会では「議論もどき」はしていますが、どう贔屓目に見ても「もどき」の域を脱しては居ません。本当の議論など、そもそも中継などできない筈だからです。現実は、質問者の党名は変わってもほぼ似たような質問を繰り返し、答弁者も役人が書いた玉虫色の答弁書を読み上げるのが国会です。しかし、国会の外の講演会などではつい口を滑らせて、本音を吐露してしまう結果、後日再び国会やマスコミによってそのほころびを突っ込まれます。この構図は、政治が安定化した「システム」となって以降延々と繰り返されても来ました。

私たちは、そろそろ本気でこの国の行く末を「考え」なくてはならないでしょう。考える事を止めた途端に、世界中に仕組まれてしまったシステム群のイナーシャ(慣性)に押し流されてしまうからです。今の文明を、1日に喩えれば、すでにとっぷりと日が暮れて、自分のたどり着くべき家の場所さえ良く見渡せない夕闇の時間帯に入っている様な気がするのです。  

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