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2013年11月25日 (月)

2251 事実=注意を要する仮説

私たちは、深く考えもしないで「事実」という言葉を使います。しかし、その多くは伝聞やテレビで見た映像を指して、さながらそれが実際に起こった、信じているに過ぎないでしょう。事実を伝える方法としては、映像や音声あるいは書き物(記事)などがありますが、少なくともそれらが提供されるまでには、何らかの「編集」がなされている筈です。編集とい言葉を「フィルター」を呼び替えても良いかも知れません。つまり、私たちが事実だと「思っている」事の多くが、あるフィルター越しに「見せられている虚像」かも知れないのです。テレビ報道などでも、演出や軽度のやらせは日常茶飯事でしょう。テレビ番組では、視聴率を取るためには先ずは「絵にならないといけない」からです。

一方、科学者たちが日夜研究を進めて、ある時期に論文などで成果を公表するのですが、そこに書かれている実験データに基づいたと主張するものは、やはりまだ事実と呼ぶには時期尚早な「仮説」だと言えます。100人の人が追試して、99人がそれを確認したとしても、たった一人の追試結果に疑問符が付いたとすれば、やはりそこで立ち止まって確認してみる必要があるでしょう。つまり、この理論は99%の確率の元での事実だったかも知れないからです。同様に、多くの科学者や技術者は、ある理論が一度打ち立てられると、以降はそれを鵜呑みにして使ってしまう傾向にあります。○○の定理やXXの公式などと言うモノを、私たちは日常的に引用しているでしょう。

しかし、私たちは先人の打ち立てた業績で事実とされたものを鵜呑みにするのではなく、人間の本来兼ね備えている「直観」で吟味してみる必要もあると思うのです。脳は、その持ち主が可能な限り危険を回避して、生き延びるためにこそ存在している「器官」ですから、その脳が度々発する信号=直観に注意を払ってみる必要があるでしょう。投稿者の直観は、今私たちが普通だと思って過ごしている、この国の社会システムや政治やあるいは諸外国との関係に、何やら危うい雰囲気を直感的に感じてしまいます。何が事実であるかは、結局自分の五感を使って確かめるほかはないのです。

今日から、3週間ほど欧州旅行とその後の仕事移動などで休稿で、12月中旬以降に再開予定です。どうせ、あまり読んでくれる人も多くない独り言ブログですので、休んだからといって気づく人も少ないのでしょうが…。

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