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2014年1月31日 (金)

2293 薪産業2

さてヒョロヒョロ木材の活用方法ですが、語呂合わせですが、キーワードは5Fと1Cになります。木材からは、値段の高い順に、ツヤ酸やヒノキチオールやタンニンや漆と言ったChemical(薬剤)、キシリトールやメープルシロップといったFeed(食糧となるもの)、木材や紙といったFiber(繊維)としての利用法、家畜の粗飼料(Feed)としての利用、材とならなかった部分や木挽き粉はFuel(燃料)として、最後に他の使いみちの無い樹皮(バーク)などはFertalizer(肥料)などとして利用すれば、1本の材木のほぼ全てを使い尽くした事になるでしょう。

1トンの木材は、それぞれの用途で数千円程度の価値しか生まないかも知れませんが、トータルで見ると、たぶん1万円/トンのハードルはクリアできそうに思われます。しかし、残念な事に私たちは、スギやヒノキやヒバといった、ご先祖様が苦労して植林し、山にうなっているありふれた樹種の特徴すら十分には把握していない事に気が付きます。木粉を蒸して抽出したエキスからどの様な有用物が得られるのか、樹皮からはどの様な物質が得られるのか、あるいは木材を爆砕した場合、どの様な性状のファイバーが得られるのか、あるいは木材を半分程度に圧縮固定した場合、どの様な強度が得られるのか、まだ少ないデータしか持ち合わせていないのです。

オートクレーブを使って、ヒノキやヒバからはヒノキチオールやツヤ酸が得られる事は分かっていますが、バッチ処理のため、設備が高価な割に収率は高くありません。それを経済的に抽出する工業的な方法は確立されていないのです。ある種の樹木の樹皮からはほぼ100%輸入に頼っているタンニンが抽出できる事は分かっては居るのですが、これもまた経済的に成り立つ手法が確立されていないのです。カナダには、木材を連続的に爆砕して、家畜の粗飼料として利用している例があるのは分かっていますが、そのプラントをそのままこの国に導入しても、投入すべきまとまった量の木材は調達できないでしょう。彼の国とは、森林のあり方が全く異なるからです。

頭の中だけのイメージですが、比較的規模の小さな「ミニプラント」が想定できます。いくつかの処理が並行して行える、いわば「ミニ木材コンビナート」とでも言えるシステムです。1本の木材を投入すれば、先ず樹皮を剥き、心材は材木に、樹皮や木挽き粉から有用物を抽出し、端材は薪にし、残った搾りかすは家畜の敷料にした後に肥料にする、といったプラントイメージです。さて、投稿者が生きている内に実現するかどうかですが・・・。

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2014年1月30日 (木)

2292 薪産業

新産業ではありません、「薪」産業です。昨年末にオーストリアを視察して強く感じたのは、日本よりは少なめの森林をしっかり管理して、材を活用している林業の状況でした。樹種は定かではありませんが、森林はしっかり間伐管理されており、そこから搬出され、製材された木材は、白っぽく緻密で、住宅用の構造材や内・外装材としても多用されていましたし、材にならない小径木や枝葉も薪やチップとしてしっかり利用されていました。山を眺めると、上下に筋状に伐採され、遠目にはさながらトラの背中の模様の様でした。伐採された後には、子孫のためにしっかり植林がなされる事でしょう。

振り返って、この国の山を眺めるたびにため息が出ます。遠目には、豊かな緑の山々に見えますが、近づくと森林の中はとても歩けないほど密生していて、せっかくご先祖様が植えた木々も、低い所まで枝が出ていて、材にしてもフシだらけの粗悪材にしかならないでしょう。従って、山から木を伐り出しても殆どお金になりませんから、山主は林業を完全諦めて放置しまうすから、今や山林はシカやカモシカやイノシシのパラダイスと化しているのです。

私たちは一体何処で間違えて、こんなにもヨーローッパに水を開けられてしまったのでしょう。少なくとも、投稿者の子供時代は、人々は山に入って、木材や薪や炭用の材を採取していた筈です。それが、前のオイルショックに懲りる事なしに、再度石油価格が値崩れすると、以前にも増して石油に頼る産業構造や暮らしに突入したのでした。更に悪い事に、LNG船が作られて石油の副残物であった天然ガスを比較的安価に運搬できる仕組みが整った結果、化石燃料依存が更に加速していったのでした。

さて薪産業です。果たして復活できるのでしょうか。その前提としては、山に入って木材を伐り出すためにお金が回らなくてはなりません。経済的に成り立つ木材価格が、トン当たり1万円程度と仮定して、ヒョロヒョロの木材が同程度のお金を生み出さなくてはなりません。切り出して薪にして売るだけでは、とてもその様な金額にはならないでしょう。あくまで、薪は林業の副産物でしかないのです。節だらけのヒョロヒョロ材にしっかりとお金を生ませるためには、かなりの工夫が要りそうですが、決して不可能ではありません。その方法については続きます。

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2014年1月29日 (水)

2291 断熱ビジネス

北ヨーロッパの住宅を見て感ずる事は、その断熱性能の高さです。普通の住宅でさえ、200-300㎜厚みの断熱が施されている事は普通ですし、レンガで作られた古い建物でさえ、最近ではその外側に分厚い断熱材を張りつけた「外断熱化」の改装工事も盛んに行われています。その結果、夏涼しく、冬暖かい、住宅・ビルの断熱性能がこの国の建物に比べて格段に高くなっているのです。

それは、住宅の光熱費が格段に小さくできる事も意味します。冷房でも、暖房でも午前中に入れれば、昼にスイッチを切ってたとしても夕方までは殆ど余冷(余熱)だけで十分でしょう。それに比べて、この国の住宅の断熱はなんと簡素に済まされているのでしょう。温暖な地域では75㎜程、寒冷地でも100-150㎜程度でお茶を濁しているのではないでしょうか。断熱性能は、断熱材の性能(厚み)に比例して増減しますので、仮に厚みが半分で、それを貫流するエネルギーが2倍ほどになるとすれば、冷暖房エネるひー(費用)も倍になる勘定です。春秋は問題が少ないにしても、夏の冷房負荷や、冬の暖房負荷は非常に大きく膨らむ事になります。

今後、被災地の住宅やビルの復興が本格化するでしょうが、ぜひ新たな建物は、安普請ではなく躯体は100年の使用に耐え、しかも断熱性能はピカピカの省エネ住宅にして貰いたいものです。この様な住宅が増えれば、この国のエネルギー消費も、右肩下がりに順調に減少して事でしょう。そうでなければ、冷暖房のために大量の化石燃料を輸入し続け、一方で原発の再稼働を進めざるを得なくなる訳です。断熱材を厚くすることは、確かに建物の初期投資額を押し上げますが、例えば一般的な住宅で夏と冬に、冷暖房費がそれぞれ10万円/年アップするとした場合、断熱材を2倍に厚くしても、その投資は数年で回収可能だと思われます。何より、室内の温度変化が小さくなる分、小さな子供やお年寄りの健康面でも大きなメリットが生ずる筈です。例えば、ヒートショックで亡くなるお年寄りの何と多い事でしょう。ヒートショック事故の大半は、住宅の断熱化で大幅に低下出来るはずなのです。この国にあるグラスウールや発泡材のメーカーは十分に多いと思うのです。必要な事は施主に断熱化を勧めるのに必要な、少しのインセンティブだと思うです。一定以上の性能を持つ断熱工事に、少しの補助金を出すだけで、この国のエネルギー消費は格段に小さく出来るでしょう。

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2014年1月28日 (火)

2290 二番煎じの国

航海にエンジンとハードセイル(鉄の帆)を併用するハイブリッド船が開発されたとか。しかし、これは決して「ニュース」ではありません。かつて石油危機と呼ばれた1970年代、すでにそのアイデアが生まれ、実際にもI社でプロトタイプのタンカー船も作られて、30%程度の省エネ性能が証明されていたからです。では、何故それが現在まで改良され続けて生き残ってこなかったのかですが、それは一にも二にも、「ケチな採算性のソロバン勘定」の結果だったと言うしかありません。つまり、帆やそれを制御するシステムを追加すれば、当然の事ながら建造費が、例えば1割程度アップするとします。そのコストアップは、実は数年間の運航中に、燃料の省エネ分として十分回収できる程度なのですが、取り敢えず「逆オイルショック」で油の値段ガクンと下がってしまうと、喉元を過ぎた熱さを忘れてしまうのが、この国の人たちの欠点でもあると思う次第です。

実は、同様の事態は風力利用の分野でも起こっていたのです。M者などは、舶用の可変ピッチプロペラのメカを流用して、数百基もの中型風車をB国西海岸のウインドファームに納入し、一応の技術を蓄積したはずなのです。しかし、これもオイルショックが一段落し、風車の市場価格が低下するや、あっさりと撤退してしまったのでした。しかし、その後も欧州のメーカーは、着実に技術を蓄積し、再生可能エネルギーの重要性が見直された時には、すでに世界市場の殆どを握っていたのでした。その結果、この国でも風況の良いサイトに建設されたウィンドファームに設置された殆どの風車が欧州製で占められていたのでした。その後、M社やF社やH社もこの市場に再参入または新規参入してきましたが、すでに市場では欧州の20年ほど後ろを歩かざるを得なかったのでした。

再エネでの唯一の例外は太陽光発電(PV)でしょうか。というのも、オイルショック後お国主導で進められたサンシャイン計画の目玉はPVでしたし、事実この分野ではS社や別のS社、P社やT社も多額の助成金を使って着実に成果を上げていたのでした。その結果確かにある時期は世界のトップシェアを握っていたこの国のPV産業も。結局は装置産業であるその種業界の悪しき前例の様に、D国やC国が立ち上げた巨大PV産業にジワジワと首位の座を明け渡してしまったのでした。この国のリーダー達の先を読む目は、全く信じられない小さい様です。

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2014年1月27日 (月)

2289 機能を売る

東京での会議もあったため、岐阜から東京経由で車を転がして、更に東北道から山形道を走り、列島の約半分900㎞を縦断して2週間ぶりで秋田に戻りました。さてブログを毎日書いているとテーマを考えるのも苦になりませんが、しばらく休んだので、さて何をテーマに書いたら良いのか考え込んでしまいした。というわけで、これも何度か取り上げたテーマの様な気もしますが、大切なポイントだと思うので再録かもしれません。機能とは、それが一体何の役に立つかという問にも置き換えられます。例えば、テレビの機能は、映像と音声を同時に視聴者に伝える機器という事になるでしょうか。

一方で、多くのメーカーは「モノ」を売ろうとします。電化製品や車やその他の製品というモノを売りたがる訳です。モノを売ればその対価として代金がメーカーに入りますので、その代金で原材料を仕入れ、従業員の給料やその他の経費を支払い、新たな設備投資や内部留保なども行える事になります。しかしながら考えてみなければならないのは、モノの消費の結果です。モノを寿命一杯、またはきれいな状態で使いたい場合、その役割を終えるとやがてそれはゴミになるでしょう。しかし、消費者が享受したいのは、そのモノの機能であって、モノそのものの所有が目的ではない筈です。通勤に使うクルマは毎朝車庫に駐車していて欲しい訳ですが、それがその人の所有である事は必ずしも必要な条件ではないのです。

かつてB国で1年ほど暮らしていた事がありますが、その時はレンタカーで済ましていました。二流どこのレンタカー屋から落ちてきた、中古車だけ扱うローカルなレンタカー屋では、月2万円以下で立派な?小型の車を借りる事が出来ました。レンタルを利用すると言うことは、いわば「機能を消費すること」を意味します。故障したり用済みになったりすれば返却すれば、自分で面倒な手続をすることや配車処理も不要です。専門的なメンテナンスを行えば、車自体も設計寿命を全うする事も出来るでしょう。私たちは、年に一回使うかどうかと言うモノ、例えば旅行カバンなどを「如何に多く買い込んでいる」事でしょう。それらを数回しか使わないで、型が古くなるか邪魔になって、結局は処分してしまうケースの何と多い事でしょう。必要の都度借りる手間を惜しまず、またモノを貸してくれる店さえあれば、モノの元はしっかり取れるはずです。ネット社会の仕組みを利用すれば、個人対個人のレンタルシステムさえ簡単構築に出来るでしょう。いくつかの解決すべき問題はあるにせよ、機能を売り、機能だけの消費を目指すことにより環境負荷は大幅に下げられます。

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2014年1月16日 (木)

2288 問題14(問題だらけ)

ここまで書き連ねてみると、この国や私たちの身の回りは問題だらけの様に見えてきました。何故そうなったかを思い起こしてみれば、私たちがその時々で問題がまだ小さい内にそれを潰してこなかったからなのでしょう。いわば、長い間のツケが回ってきたと覚悟を決めるべきなのです。ツケを次世代に回すのが一番楽な方法であり、歴代の政権与党やリーダーは、まさにそれを地で行ってきたのでした。もちろん、それを横目で見ていた私たち有権者にも応分の責任はあるのでしょう。

サラリーマン時代、問題を前にした時に、それが拡大傾向にある時には決して脇に置くな、と上司に言われた様な気がします。問題があっても、それが10年経っても同じ大きさの問題であり続ける限りにおいては、その問題を放って置いて、別の問題取り組んでもOKでしょう。しかし、これまで挙げた問題点の多くは、実は「拡大基調」である事にはやはり注意を払うべきでしょう。とりわけ、屋上屋を重ねる国の借金(つまりは国民の借金でもあるのですが)の額には、早急に歯止めを掛けなければならないでしょう。

さてそれでどうするかですが、やはり拡大のスピードが速い問題に最優先で取り組むべきでしょう。それも、マイナス方向を向いている問題には特に注力すべきです。マイナスの問題とは、例えば医療保険は、結局病気というマイナスの状態に陥った人を救う制度ですので、要は病気の人を減らすという、プラスの努力に変えていく必要があるでしょう。景気が悪いと言う経済状態の改善であれば、お金をジャブジャブにして無理やりそれを押し上げるのではなく、先ずは新たな産業を興す道筋を示して、そこにお金を振り向けるべきなのです。今以上公共インフラを作っても、その維持のために将来に亘って多額の国費を注ぎ込み続けなければならないとしたら、先ずはその定常的な維持の仕組みを確立すべきなのでしょう。結局、マイナスの問題点に対して目先の(小手先の)対策を打つのでなく、それをプラスの努力により解消する方向で対応すべきなのです。具体的な個々の問題に関しては、今後とも勝手に自分で突っ込みながら書いていく事にします。明日から岐阜での仕事のため移動し10日ほど投稿を休みます。

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2014年1月15日 (水)

2287 問題13(医療費が肥大し続ける)

医療費は既に40兆円に迫っていて、毎年兆円規模で膨らんできています。その内の1/3はいわゆる老人医療費ですが、今後の高齢化時代を展望すれば、減る余地は無さそうにも見えます。これが、ますます私たちの暮らしを経済的に圧迫する要因の一つになる事は間違いないでしょう。ところで、この「経済的に」という点が重要です。つまりは、税金や保険料などの形で「お金で」徴収される割合が増えると言う事になります。

何時の頃から私たちは、物事全てをお金で換算する様になってしまったのでしょうか。昔は、お金なんかそんなになくても幸せに暮らしていたではありませんか。食べ物も地元で採れたもので暮らしていましたし、燃料は山から得ていました。医療は、と言えば我慢できるだけ我慢して、から医者に掛かり、お年寄りが寝付く事も長くて1-2年程度だった様な気がしています。人様の事はいざ知らず、投稿者自身は何年もベッドで過ごすくらいなら「死んじまった方がマシ」だと思っています。ましてや、管などで繋がれて息だけをしながら生きることなど夢にも考えられません。

安価で適切な医療を受ける事はこの国の国民の権利ではありますが、息が出来るギリギリまで生かされる事は決して義務ではないでしょう。たとえ、それが大多数の意志であるにしても、自律的な呼吸が出来なくなって、意識が無くなってまで「生かされる」のはもしかすると、心外なのかもしれません。ぜひ、そこのところは本人の「意志」を事前に示しておくべきでしょう。ここで言っておきたい事は実はそんなことではありません。

お年寄りは、ぜひ体を鍛えて、出来れば最後の日までピンピン生きてみましょう、という提案なのです。つまりは、ジワジワ弱って長く寝付いて死んでいくか、逆に人生のピーク(特にココロのピークです)を人生の最終版に持って行って、最後にコロリ(あるいはバッタリ)とこの世におさらばするか、この二つの選択だと思うのです。もし後者を選ぶ人の割合が増えれば、高齢者は体をしっかり鍛えて超高齢者の介護に当たれば良いでしょうし、あるいは生涯現役で(お金は儲からなくても)生き甲斐を持って暮らせば良いのです。そこに向かって進めば、問題になっている医療費などは自然に下がってくる事でしょう。

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2014年1月14日 (火)

2286 問題12(職が少ない)

今住んでいる地域に限らず、特に田舎では職が無く苦しんでいる様です。職を別の言葉で表せば「現金収入」という事になるでしょうか。以前は、農繁期が終わる秋口には、農家の男手の多くは都市に出稼ぎに出たものでした。その受け皿はと言えば、その殆どが建設業だったのです。多くのつまり公共事業は期末を控えて冬場は作業の追い込みに入っている時期ですので、ネコの手も借りたい事態なのです。ですから、特に熟練作業者でもなくても引く手はアマタ、と言った時代が続いたのでした。

しかし、公共事業の縮小は、田舎から現金収入の道を大きく奪いました。全体的な受注高が細れば、ゼネコンもその下請けも(その孫請けも)仕事を絞らざるを得ません。けれども、田舎には公共事業に代わる有効な現金収入の手立ては見つかりそうもありません。一体何が必要なのか、私たちはしっかり考えなければなりません。つまり、どこかで稼いでそれを田舎に持ち帰り、それで中央で作られた商品を買う、という経済サイクルを考え直さなければならないと思うのです。もちろん、田舎でも企業誘致を怠って来たわけではありません、工業団地という敷地を準備し、いくばくかの(あるいはかなりの程度の)税制優遇制度などを準備して、企業を誘引しては来ました。しかし、そこには明確な戦略と言うものは殆ど感じられません。例えば、昔からの地場産業を生かしたブランド化戦略などといった方向付けのことです。

考えてみなければならないのは、もう一度地域資源の掘り起しだと思うのです。それをテコにしなければ、パワーは出てきません。もう一つの要素は、地元の潜在的なニーズです。衣食住に関わるニーズは、都会であれ田舎であれ、そんなには変わらないでしょう。それなのに、例えば中央で加工されパック詰めされた食品が、トラックを使ってはるばる田舎のスーパーマーケットに運ばれていると言う事実にもっと注目する必要があるでしょう。地元で収穫した食材を、地元の企業が加工し、それを地元の消費者が食すると言う循環量を増やせば、地元でお金が回り、当然の事ながら職も生まれる筈なのです。また例えば、エネルギーに関しても、全く同じ事が言えるでしょう。つまり、衣食住における地産地消の割合を増やせば増やすほど、地元には職が増えるのです。今ほど、流通網が発達していなかった時代、殆どが地産地消であった歴史を思い出すべきでしょう。結局、田舎に職が減った訳ではなく、田舎が職を放棄してしまったのです。

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2014年1月13日 (月)

2285 問題11(天候が激甚化する)

 

温暖化の一つの兆候として、天候の激化が挙げられています。巨大台風や、異常豪雨や逆の旱魃、あるいは最近の様な異常低温などがその例です。それが、全て温暖化の所為だと言うのは極論かも知れません。というのも、例えばGHGの代表である二酸化炭素と温暖化の因果関係が、まだ完全に解明されている訳でもない事があるからです。人間が日々排出し続けている化石燃料由来の二酸化炭素のかなりの部分が「行方不明」でもあります。しかし、体積岩などの分析から、地球は温暖化と寒冷化を繰り返してきた事が分かってきました。極端な場合は、全球が凍結していたと言う間接的な証拠も見つかっているくらいです。

 

しかし、全球が凍結すると生物活動が停止し、炭素循環も停止してしまいそうな感じもしますが、氷で覆われている時代でも、火山活動から膨大な量のCO2が排出され続けるので、生物が活動しないが故に、CO2は比較的短期間に回復するのです。やがてCO2過多になれば、当然逆の温暖化が進行し、大陸の氷床も消える事になりますが、今度は生物活動や無機的なCO2固定量が増えるというフィードバックが掛かる事になります。しかしながら、このサイクルは短期の場合でも数万年単位で繰り返されるサイクルなので、近年の様に数百年単位のCO2上昇圧力にも有効に作用するかは依然不明です。

 

さて、今冬の各地の異常低温が温暖化に原因があるかという問いには、たぶんYesと言う答えになるでしょう。というのも、極圏自体の気温はかつてに比べれば異常に上昇しており、その結果、極から中緯度に吹き出す風が、気温差が小さくなった分だけ弱くなっていると言う事実があります。極風は、コリオリの力により極の周囲を取り囲むジェット気流となりますが、これが実は寒気を縛る鉢巻きの様な作用をしているのです。それが弱まるとジェット気流が蛇行しやすくなり、結果としてその蛇行が南下した地域だけが異常低温になると言う事態に陥るのです。温暖化したとはいえ、陽の差さない冬場の北極の気温はマイナス数十度には下がっていますので、それが下がってきた地域では、今回の北米やアジア大陸様に極端に低い気温に見舞われる事になります。

 

どうやら、私たちは今後とも天候の激甚化とどうにかして付き合っていかなければならない時代に入ってしまった様なのです。

 

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2014年1月12日 (日)

2284 問題10(農が細る)

田舎では農業人口の高齢化が進み、耕作を諦めたいわゆる耕作放棄地が、山間の農地だけではなく、平地にも広がりつつあります。数年前の数字で、埼玉県と同等の面積の農地が放棄されたというニュースが心に残っています。原因は勿論、農の後継者が居ないため、農地を守ってきた人たちが、高齢のため最早耕作作業が出来ない事にあります。稲作は、機械化が進んでいる作物ではありますが、しかし機械を駆使してでも、肉体労働の部分は無くならない訳です。従って、60歳代、70歳代前半くらいまでは気張って農業を続けても、息子、娘夫婦が農業を放棄している限り、パワーもそこで切れてしまうのでしょう。

増してや、もっと手間が掛かり、肉体的にもキツイ稲作以外の農業、例えば野菜や根菜類や果樹など、の状況は想像するまでもないでしょう。農地があっても自分たちが食べる分程度は作るのでしょうが、農繁期に日々出荷する気力はとても湧かないでしょう。

ではどうするかですが、ここは一番技術開発しかないと見ています。つまり、農業を土から切り離すのです。全部が全部出来なくても、かなりの部分は今の技術を使えば可能なはずです。一つの答えは「ハウス内水耕栽培」でしょうか。液肥や空気泡を溶かし込んだ溶液を、根に直接回し人工的に植物の成長をコントロールするわけです。同時に気温(実際は水温)と、ハウス内のCO2濃度に加えて、湿度もコントロールするのです。ハウス栽培の収量は、植物が吸収して極端に下がってしまうCO2濃度と、光合成のために葉が吐き出す水分のためにMaxまで上昇している湿度に制限を受けているのです。足りないCO2をやや多めに足してやり、余分な湿度を除去してやれば、植物の成長スピードや収量は、たぶん数倍は増やす事が出来る筈なのです。その証明は、日本より緯度が高いオランダでもハウス農業で、単位面積当たりの収量(=収入)を、この国の農家より一桁多く上げている事実を見るだけで十分でしょう。今より楽で、お金が儲かれば、農業に就く若者も増えるでしょう。その際、土から離れるメリットを生かして、たとえばスーパーマーケットの駐車場や屋根を利用すれば、野菜など農産物を運ぶトラック便も減らせるでしょう。新しい農業はトラクターもトラックも要らない省エネ農業でもある訳です。

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2014年1月11日 (土)

2283 問題9(インフラは劣化し続ける)

インフラは絶え間なく劣化し続けます。コンクリートは打設された瞬間から、鉄筋や鉄骨は倉庫から出され、屋外で組み立てられたり配筋されたりした瞬間から劣化がスタートします。骨材の品質が悪かったり、水っぽかったりする、粗悪なコンプリートは論外ですが、過度のCO2が解けこんで酸性に傾いた雨水も、もっと強力な酸を作るSOxやNOxもさらにインフラを痛めつける原因となり得ます。

つまり全てのインフラは、作っている最中から既に劣化が始まり、10年、20年と経過する期間中、風雨や地震や使用中の負荷に晒されており、メンテナンスを行わないと、設計寿命すら全うできない事態に陥ります。しかも、残念な事にインフラの寿命は、その建設に関わった人々の職業寿命(仕事に就いている期間)よりかなり長いので、徹底的なメンテナンスが必要な時期になっても、その建設過程や設計の中身を知る人は居なくなっているのです。残っているのは、メンテナンスの仕事に就いて数年の担当者と、外から見た様子を示す「外形図」だけです。コンクリート建造物であれば、鉄筋の位置もその密度もサッパリ分からない状態で、ひび割れを修復しなければならない事になります。

先日、駅のエスカレータが突然止まってずり下がりましたが、その原因は駆動チェンが切れたことにある様です。通常の使い方で駆動チュンが切れる原因は、間違いなく潤滑油切れだと断言できます。今回の場合もきっとチェンには赤さびが回っている事でしょう。それでも動くものは潤滑や点検に気を使って居ればどうにかなるのでしょうが、ではコンクリートや壁材に囲まれて見えない鉄骨構造などは、一体どうやって点検しメンテナンスすれば良いのでしょうか。実は、私たちはその方法を確立している訳ではないのです。ましてや、彼ら(関係者)は、原発施設でも進んでいるはずの「金属材料内部の劣化や強度の低下」は一体どの様に検査しメンテナンスしようとしているのでしょうか。見かけ上(あるいは超音波探傷)で健全そうだから当面の使用は大丈夫、という気休め点検には、元技術屋としては絶対に承服できません。私たちは、マジメにインフラのメンテナンス技術を確立し、計画的に実施していかなければならないのです。リニア新幹線など新たなインフラなど作っている場合ではない筈です。

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2014年1月10日 (金)

2282 問題8(システムが肥大し続ける)

全てのシステムは、何らかの目的を持ち、それを実現するための機能を備えつつ、成長していきます。国や自治体の行政システムもそうですし、会社組織なども同様です。目的と手段が明確で、かつそのシステムが必然性の元に成長を続けている間は、小さな問題の発生は別にして、あるべき路線を進むのでしょう。この国の社会システムも確かにそうであったように振り返っています。

しかし、システムの多くはある時境に、目的と手段が逆転する場合も多いのではないかと見ています。逆転とは、端的に言えばシステム自身が、その維持のために(目的をさておいて)システム自身が昨日を持ち始めると言う現象です。具体的な例を挙げれば、役人が役人自身のためにリタイア後の受け皿となる(あまり必要とも思えない)法人を作り出し、退職後の数年間をそこで過ごし、二度目の退職金をせしめて、元々安泰な老後の生活に、プチ(あるいはかなりの)贅沢を付け加えようとする行動などになるでしょうか。企業で言えば、合併・吸収を繰り返して一人勝ち企業となるパターンなども、根は同じだと言えそうです。

さて、それで何が悪いかですが、実は悪い事だらけである事は少し考えれば分かります。肥大化したシステムを見るたびに、「はてさて、このシステムは一体何のために作ったんだっけ?」という疑問が湧く事が良くあります。例えば巨大ショッピングモールです。八百屋は小型のスーパーなどとシロモノは、家から徒歩か自転車で買い物に行ける距離で日用品を買うために生まれた筈です。然るに、現代は日用品を買うためにさえ車を10㎞以上も走らなければならない時代なのです。行政システムも全く同様です。お役人の数が増えると、お役人自身の生活もありますから、先ず考える事は、前年とほぼ同じような予算を組んで、翌年も今年とほぼ同じに「行政をこなす」ことだけしか考えなくなるでしょう。何故なら、新しい事を始めようとすると先ず前例を調べなけれななりませんし、それが無い場合には中央省庁にお伺いを立てなければならないので、面倒なことになる訳です。そこで、住民から新たな仕組みを求められた場合にも、半年くらいほったらかしにして置いて、「慎重に検討した結果、諸事情から実現は困難という結論になりました」という回答をおずおずと差し出すでしょう。そこには、完全な目的と手段の逆転が見られます。行政は、住民サービスや福祉を効率的に行うために組織された筈なのです。

戦後財閥が解体された様に、先ずはシミュレーションでも良いので、行政も大企業も本来の目的や機能に立ち返って、ゼロからシステムを積み上げてみるべきでしょう。その結果、例えばシステムを維持するためだけのシステムなど、多くのムダが見つかるでしょう。国の予算が増え続け、同時に借金も積み上がる事態は、どう考えても、誰が考えても「超異常現象」というしかありません。

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2014年1月 9日 (木)

2281 問題7(希望が持てない)

高度成長が爛熟期を迎えたバブル時代があり、それが弾けて長期の経済低迷に入って以降、この国では多くの人々に「希望が持てない症候群」が蔓延しました。それ以前には、少なくとも契約社員の存在などは稀なケースで、給料が右肩上がりが普通の社会で、人々はそれなりに将来への明るい希望を持って暮らしていたように振り返っています。しかし、バブル崩壊後の長い経済のトンネルと、2000年代の後半にこの国の人口かピークを打ってしまい、同時に高齢化率の急伸というトリプルパンチの中で、国のリーダーも国民もすっかり自信を失うと同時に、将来への希望もすっかり縮んでしまうという穴に落ち込んでしまったかに見えます。

Aベノミクスでカンフル注射らしきものが打たれたにせよ、20年以上の自信喪失期と「希望が持てない症候群」は、かなりの重傷で、景気回復というリーダーの掛け声も、頭上を飛び交っているだけ様にも思え、現実味が薄いと感じている人も多いのでないしょうか。その原因は結構ハッキリしています。リーダーは、確かに「対策」は打っている様にも見えますが、決して大元の原因を掘り出し、それを取り除く将来の具体的なビジョンを示している訳ではないからです。つまり、この国はどういう立ち位置で国際社会に貢献し、国内においてはどういう産業構造の元で、経済活動を回していくのかが、さっぱり見えてこないのです。

震災復興の進捗遅れや原発(エネルギー)問題を横に置いて、取り敢えずの朗報である、株価の上昇やお山の世界文化遺産登録や五輪誘致成功に人々の目を向けさせるこの国のリーダーの安直な姿勢は、多くの心ある人々には逆に絶望感を植え付けてしまった様な気がします。この国やB国が行っている大量のカンフル剤処方(量的緩和策)が切れた後のリバウンドは、すぐ目の前に迫っています。それが急激に来るのか、ジワジワ来るのかは今後の政策次第でしょうが、希望の反対が絶望なのでしょうから、長期的な展望の無い目先の対策だけで希望の芽を育てる事は無理な相談というものでしょう。私たちは、もうお国に期待するのは止めにしなければならないでしょう。ましてや、世襲政治屋の個人プレーなどに頼る事など即刻諦めるべきでしょう。地域は、地域構成員自身が工夫や努力で、地域の仕組みを見直し、地域経済を力強く回していく必要があると思うのです。エネルギーや食糧は、どんな時代になっても一定以上は必要です。その自給率を数%でも上げる事が出来れば、それだけ地域に雇用が生まれ、お金も地域内で回る筈なのです。希望は、誰かから与えられるものではなく、自分自身で作り出して、育てていく必要があるのだと思っています。

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2014年1月 8日 (水)

2280 問題6(命が軽い)

環境とは何の関係も無さそうに見える、イジメや子殺しや凶悪な事件の数々ですが、その底流にはまさに「都市環境」が関係している様な気がしています。砂漠の民に何故紛争が絶えないのか考えてみた事がありますが、自分が砂漠に立って眺めて見たと想像した時、地平線の彼方に馬やラクダに乗った集団が見えたとしたら、自動的に身構えて戦闘態勢に入る様な気もします。つまり、砂漠ではこちら側に自分が守るべき仲間と、所有する家畜があり、向こう側にある距離を保って別の集団が散在する訳で、旱魃で少ない草が更に少なくなると、その草地を巡って争いにならざるを得ないのでしょう。

さて、それが今の社会にどう関係するかですが、つまりは都会が砂漠化しているのではないかという素朴な疑問を持っているのです。都会が実際の砂漠よりもっと悪いのは、そこに住む人間の密度が圧倒的に高い事の様な気がします。都会では、こちら側(自分と数人の仲間)に対して、圧倒的に膨大な数の知らない群衆が存在します。一方で、森の民であったヒトを慰めてくれる自然もありません。公園や植栽にしても、全ては人工で整えられたものでしかありません。ヒトは。厳しい自然の中でこそ身を寄せ合って、コミュニティの仲間を気遣いながら生きてきましたが、砂漠や都会の中では、何かコトがあると極端な行動に走ってしまいがちなのでしょう。例えば、都会で強い疎外感を感じた場合、ヒトは自分の殻に閉じこもるか、あるいは逆に攻撃的な行動に走りがちになる様な気がします。

それが、まさに毎日のメディアを騒がせる暗いニュースとなって現れるのでないかと思っています。選挙のたびに1票の重みが話題になりますが、たぶん同様の比率かそれ以上の比率で、田舎と都会では、実感としての命の重さにも差があるのかも知れない、と時々考え込む事があります。そろそろ、選挙制度の改革ではありませんが、都市集中の文化もそろそろ転換すべき時期に来ているとみています。今なら田舎にはまだたっぷりとした自然と人情が残っているのですから…。

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2014年1月 7日 (火)

2279 問題5(経済頼み)

今年も国内経済が始動しました。Aベノミクスも最後の矢の有効性が試される正念場の年でもあります。しかし、素人経済学の立場で見れば、例えば中小企業の受注が増えたのは、単に円安の効果が出ただけの様に見えます。つまり、大企業が部品の調達先として海外や、海外の合弁企業に比重を移していた状態が、やや国内に戻ってきただけだと想像しています。賢い大企業は、たぶん為替リスクを分散するために、部品の調達を国内と海外のデュアルソースとしておき、為替の変動には内外比率を変えるだけで容易に対応できる様にしておく筈です。

一方、株は一時の底を脱し、5割ほど含み資産が膨れた勘定になりました。しかし、株価などというものは、どこまでが実質の価値で、どこからがバブルか、などと言う線引きは、専門家も多分明確には出来ない筈のものです。しかも、現代の経済の仕組み、例えば各種の債権など、はますます複雑になってきており、B国やこの国がジャブジャブに積み増したマネーが、回り回ってC国などの不動産バブルに注ぎこまれて、それを極端に煽っていたりする訳です。モノに裏付けされた実体経済の成長より先に経済規模が膨張するのは、明らかにバブルなのです。膨れた泡はやがて割れて弾けるしかないのです。経済はパンドラの箱だと見定める必要があるのです。実体の無いマネーは、結局箱から飛び出した害悪に過ぎないのです。額に汗して働かない人が、株や債券を売り買いするだけで、巨額な利益を手に出来る様な経済の仕組みは、所詮まがい物に過ぎません。

そもそも経済は目的などではなく、モノをそれを必要する人に滑らかに送り届けるための仕組みの一つに過ぎない筈なのです。モノが動けば、その代価としてのお金が動き、モノを作って売った人は、新たに手に入れたお金の一部で原料を仕入れる必要がある訳で、現代経済ではそのお金が電子的に移動する事だけが経済の「基本要件」なのでしょう。然るに、電子的にお金やその権利を動かすだけで、その価値が増えたり(時には減ったり)すること自体、何かが狂い始めている様に思えます。何時からそうなったかを思い起こせば、それは多分大航海時代に遡る様な気がします。航海というリスクを冒して、紅茶や香辛料などの高価な商品を運ぶ際には、保険という仕組みの「発明」が必要だったのでしょう。しかし、その仕組みの裏で大儲けする金持ち(資産家や投資家)が生まれ、その仕組み自体がシステムとして固定化したものでしょう。その後、穀物や化石燃料や鉱物などの相場が生まれ、やがてモノの裏付けの無い証券や債権市場が生まれると言う順序で今の経済システムが作られてきたと、経済の素人は想像しています。

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2014年1月 6日 (月)

2278 問題4(田舎が取り残される)

田舎に再び住みはじめて、相対的な田舎の落ち込みを実感しています。相対的と書いたのは、中央と比べてと言う意味で、では絶対的に見てどうなのかと問われれば、実は40年前とそんなに変わってはいないのかも知れない、との答えになりそうです。もちろん、40年の月日は町の様子を変えました。3世代同居が普通だった家族の在り方が、核家族化して子供世代は戸建ての住宅を構えた結果、人口は減ったのに郊外の田んぼが潰されてチマチマした住宅地がかなり増えました。計画性は皆無なので、10戸ほどのミニ開発が繰り返され、それを細い道路がつないでいるので、車も通りにくい状況なのです。

田舎の風景は変わったし、大企業の孫請けらしき企業も増えましたが、では何か地元発の新たな産業が育ったか、という目で見ると、実は何も変わっていない事に気が付くのです。原因は、田舎人の意識の持ち方にあるのは間違いないでしょう。別に進んでリスクのある新ビジネスを立ち上げなくても、それなりに食糧自給率は高いエリアですし、これまでは大企業のおこぼれにも与れましたので、アクセクする必要もないのが田舎の本質なのです。

しかし、震災の被害を受けた地域はその本質の負の部分がむき出しになってしまった感があります。頼みの綱だった農地は塩水に浸かり、現金収入の源であった原発は止まり、大企業もリスク分散の観点から、東北の工場を縮小または閉鎖してしまったからです。新たなビジネスを興し、それが地場産業に成長するまでには少なくとも10年以上を要するでしょう。しかし、それをやらなければ、地盤嵩上げと広い道路が完成しても、そこに家を建てて町並みが元通りになる事は叶わないでしょう。結局は、地場産業とは、先ずは自分達自身の需要を満たし、余力で他の地域にも出荷する事によって、地域としての収支をプラスにするための生業と言えるのでしょう。自分達自身の需要とは、衣食住の事で、先ずその自給率が100%以上になるまでは、作るべきモノはある筈なのです。もちろん、エネルギーの自給はとりわけ困難な分野ですが、幸いにも田舎には、第一次産業の基盤と再生可能エネルギーの種が十分に存在する事は、大きなラッキーと考えるべきでしょう。田舎に今あるモノをテコとすれば、より低いリスクで変れるはずだ信じています。

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2014年1月 5日 (日)

2277 問題3(エネルギー不足)

震災以降、原発が動かなくなって、化石燃料による発電(火力発電)が増えてしまったこと、結果として燃料代の増加によって国際収支が悪化したことが問題である様に言われて久しいのですが、実は問題は別のところにあります。前の石油ショックが起こって以降、この国は非石油燃料へのシフトを国策として掲げ、結果として「建設業にも寄与する」原発建設が推進されてきました。時のリーダーは、まさに列島改造を声高に叫んでいたあの人です。交付金という名前の現ナマで地域の人々の頬を引っ叩きながら、各地に原発を建設し続けたのでした。農業と出稼ぎでどうにか家計を支えてきた人たちにとって、一時金とその後の原発関連産業での雇用は、たぶん夢の様な提案に見えた事でしょう。

しかし、アレが駄目だからコレで行く、と言った政策こそが問題だと思うのです。しかも、必要に迫られて、進退極まってから打つ手にロクなものがあるはずがありません。2倍の石油の値上がりによるエネルギーコストの増加に対しては、半分以下にする省エネ技術で対抗しなければならなかった筈なのです。もちろん、その当時外貨を稼いでいた製鉄や造船などの重厚長大産業がいきなりエネルギーを半減するのは至難のワザですが、必死になって工夫しながら、20年も努力していれば、可能だったかも知れません。でもこの国は、石油ショックが喉元を過ぎて、逆オイルショック状態になると、省エネも国費を注ぎ込んで開発した新エネ(サンシャイン計画)も全て倉庫に放り込んで忘れ去ってしまったのでした。

石油代替の切り札であった原発が動かなった今、私たちはもう一度徹底的に省エネ社会や省エネ産業へ挑戦する必要があると思うのです。今より3割の省エネを達成できれば原発は不要です。更に2割削減出来れば、ガソリン価格200/ℓ時代も怖くないでしょう。先ずは、メーカーは燃費50/ℓの性能に挑戦すべきでしょう。製鉄業だって、人類は既に膨大な量の鉄を掘り出してしまった訳ですから、徹底的なリサイクルシステムを作れば、今の半分のエネルギーで材料を手に入れる事が出来るでしょう。住宅は、建物の断熱性能を上げてQ値を今の半分に出来れば、冷暖房エネルギーも半分に出来る筈です。2276で書いた「作るモノが無い問題」など存在しないのです。新エネを頑張るのは、その次の話なのです。

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2014年1月 4日 (土)

2276 問題2(作るモノが無い)

今多くの製造業は、作るモノの量が細って悩んでいる様です。頼りにしていた輸出型大企業は、ことごとく海外メーカーに敗れ、あるいは円高吸収とコスト削減のため工場自体を海外に移転してしまったため、毎年のように受注高が減っている状況だと想像しています。経営者は、いま工場に残っている設備と人材を使って、次に何を作って売るのか、日々頭をひねる毎日でしょう。右肩上がりの時代には、特に悩む事も無く、ただ手(機械)を動かしてさえいれば、お金は回り、それなりの経営が出来たいた事でしょう。

しかし、人口もピークを打ち、内需が以前ほど期待できない状況での受注高の縮小は、きっとダブルのボディーブローの様に企業を痛め続けているはずです。投稿者はもちろん企業人ではありましたが、企業経営をした経験はないのですが、早期退職後多くの企業に関わる中で、その悲鳴は耳に届いていました。彼らに進言したのは、「機能」に注目して、製品を提供していくべきだ、とのやや抽象的なアドバイスだった様に反省しています。つまり、企業が原材料に付けた付加価値は、市場に対して一定の機能を提供するものなので、その機能を強化すればより多くの受注が期待できる、という程の意味だった訳です。一言足りなかったとすれば、その機能をどの様な層の人が、その内の何人が求めているか、具体的にイメージできなければ、企業がいくら機能を強化したと言い張っても、所詮独りよがりに陥ってしまう、という点です。

まとめて言えば、作るモノが細ったのではなく、具体的な消費者が求めているニーズの声が、大量生産という仕組みの中で、ひたすら標準化に突き進み、結果として平均的な消費者に向けた、平均的な製品(機能)しか提供できていなかったのでないか、との反省が必要ではないかという事なのです。企業が立地する地元には、平均的なニーズ(デマンド)ではなく、実際の消費者の生のニーズがある筈なのです。それを充足するために、柔軟なカスタマイズが出来る様な製品であれば、○○さんに向けたXX製品という売り方が出来るでしょう。企業は、ただただ作り続けるのではなく、その後のアフターサービスやメンテナンスを通じて長く顧客と向き合い続け、その声の中から、次なるバージョンアップのヒントを得るという「正のスパイラル」を掴む必要があると思うのです。作るモノが無くても、丁寧なアフターサービスを充実させ、製品を長く使って貰えば、やがて新たなビジネスの芽も出る筈なのです。

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2014年1月 3日 (金)

2275 問題1(高齢化)

実は、人口減少はあまり大きな問題ではないかもしれません。この国の中で手に入る資源だけで養える人口は、精々いまの1/4程度と言われています。ヨーロッパの多くの国々が、一見ゆとりをもって暮らしている様に見えるのは、やはり人口密度の低さから来ている様に思えます。この国の人口が急激に増えた背景には、いくつかの世界規模の戦争があった筈です。その戦争の特需を利用して経済規模を拡大し、それと同時に衛生環境も改善し、結果として人口の急拡大につながったのでしょう。既に歴史になったものだけでも、2つの世界大戦、朝鮮戦争、加えてベトナム戦争などなどが挙げられるでしょう。

異常なステップを経て、拡大してしまった人口は、自然に減少するのはそんなに悪い現象とは思えないのです。しかし、結果として、急激な高齢化が進んでしまった事こそが実は大きな問題だと思うのです。いまや、医療費や福祉予算が毎年数兆円規模で膨張しています。そこにメスを入れないで、税金や借金でカバーしようとする行政の姿勢が問題だと思うのです。急激な高齢化が進むのであれば、如何にして高齢者を「生涯現役」に留めるかにこそ知恵を使わなければならない筈なのです。

病院や介護施設にお金を使うくらいなら、高齢者が筋トレや脳トレを行える様な施設を作って貰いたいものです。その様な施設で顔を合わせた「元企業戦士」や「元スーパー主婦」が、抗力して自分たちの世代を支えるため、さらには若い世代を支えるためのの新しいビジネスを起こせば良いのです。若者世代への負担が減れば、彼らはもっとクリエーティブな仕事にまい進できるでしょう。経済的な負担が減れば、子育てに振り向ける余裕が生まれますから、出生率にも改善が期待できる筈です。

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2014年1月 2日 (木)

2274 パワーの使い道

2273で、現役を退いた人たちは、情熱やパワーを社会のために使うべきだ、と書きました。雇用というハーネスから外れて、せっかく自由の身になったのだから、羽根を伸ばして、あるいは休めてノンビリと暮らしたいと考えている人は多いのでしょうが、しかし一度休むと、筋力が急激に低下する様に、持っている能力を使うのを止めてしまうと、例えば1年後には自分でも愕然とする位、ダメになっている事に気が付く筈です。しかし、たとえ還暦を過ぎていても、自分への負荷を継続していたり、あるいは全く新しい事を始めた人は、その後の人生を活き活きと過ごせることでしょう。但し、その能力は自分のためではなく、社会の、あるいは後進のために使ってこそ、「生き甲斐」となり、その生き甲斐こそが人間を人間たらしめている原動力だと思うのです。

ではそのために何をするべきかですが、それはそんなに難しい話ではありません。何でも良いので、自分が暮らしているコミュニティに関わり、そのコミュにティがいくらかでも良くなる方向に、人知れず力を注げば良いのです。何も思いつかなくても、取り敢えずであれば道路や公園の掃除や、歩道上で放置されている自転車の整理だって良いでしょう。その活動を、徐々に定常的で、将来に亘って継続的なコミュニティの改善につながるものに育てていけば良いでしょう。その時に役立つのは、サラリーマン時代に叩き込まれた筈の「PDCA」による「継続的な改善」という考え方でしょうか。

先ず、身辺を見回して「問題点」を探します。それを解決するために、遠い目標を立てます。そのための第一歩を踏み出せば良いのです。遠い目標を置かないで踏み出した場合、方向を間違える可能性もあるので、やはり最終ゴールの方向だけは定めておく必要があります。歩道に放置された自転車を闇雲に整理するのではなく、この町の「あるべき交通手段は何か」と考え、公共交通機関と自転車や歩きとの最適な組合せを考えていくと言う順番です。そのためには、駐輪場はどうあるべきか、そのために今行うべきは何か、と遠い将来から今に戻って道筋を決める事になります。いわゆるBack Castの考え方です。そう考えて周りを見回せば、解決すべき問題は山積している事に気が付きます。以下、その問題点をシリーズで書いていく事にします。

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2014年1月 1日 (水)

2273 年の初めのResolution

年始はひどい嵐からスタートしました。寒冷前線が通過し、間もなく吹雪が到来する予定です。さて、年の初めに考える事は、ぜひこの国にも変化の兆しが欲しいものだと言う一点です。つまりは、20世紀型の社会システムを早く諦め、より持続可能性の高いシステムへ徐々にでも移行を始めた事の兆しが欲しいものだと思うばかりなのです。

ところで、ここで思い出すのは、亡くなったA野祐吉の(だった様な気がしますが)「パソコン持って江戸(時代)に行こう」というコメントです。これを投稿者なりに解釈するならば、最新の知識を、ほぼ完全な持続可能な社会を作っていた江戸時代の知恵に結び付けよう、という提案だと思うのです。知恵の伴わない知識など、邪魔かあるいは時には危険でさえあるのです。兵器の開発や近代戦争の歴史は、それを如実に物語る筈です。今は平和目的の様に思われている宇宙ロケットや人工衛星でさえ、初期はフォン・ブラウンから始まるICBM技術が転用されたソビエトの有人飛行に、B国が慌てふためいて後を追い、技術的優位性を示すために、国の威信をかけて月面着陸を強行したと言う歴史がそれを示しています。しかし、何を考えているのかは知りませんが、火星へ片道で人を送る財団が寄付を集めているのだとかというニュースが飛び込んでいます。日本人候補者も10人ほど名前が挙がっているのだとか。コトここに至ってはコメントのしようもありません。地球上に解決すべき問題が山積しているにもかかわらず、ISSに多額のお金を注ぎ込み、更に火星に人を送るなど、全く呆れて口も塞がりません。

そんな事を考えている人たちのマンパワーやお金を、ぜひこの地上に向けて欲しいのです。最新の科学技術や知識を、江戸時代に色濃くあった持続可能社会の知恵に結び付ける事が出来るのは、この国の人たちをおいて他に無いと思うのです。お山の世界遺産登録やOリンピック開催決定などに浮かれている場合ではないでしょう。Oリンピック費用を可能な限り安くあげて、浮いたお金をしっかりと震災を復興させるため、あるいは持続可能な社会の構築させるために使って欲しいのです。団塊世代やそれに続く現役を退いた世代は、暇つぶしに知恵をやお金を使うのではなく、十分残っているパワーや情熱を、そのためにこそ使うべきでしょう。もちろん投稿者としても、そのための心意気は十分に充電しているつもりです。

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