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2014年2月28日 (金)

2321 再エネ展示会(中小型風車)

東京・有明の展示会場で開催されている風力を中心とする複数の再エネ展示会を視察しました。着眼点は、それぞれの再エネが、どれだけ実用に近づいているか、という点です。再エネの実用的拡大は、投稿者のライフワークの一つでもあり、数回に分けて少し詳しく感じた事を書いてみます。

先ずは風力発電の現状です。風力の利用は、現状ではほぼ発電目的に限定され、より広い応用範囲である発熱や回転力そのものの直接的な応用例の展示は見られませんでした。理由としては、この国もFIT制度が遅まきながらも開始され、大型風車では投資目的のROIの対象として見直された事もあり、余りお金持ちではない自治体や市民風車など投資の機運が盛り上がり始めた事があります。大型風車は、重工やゼネコン、大手の商社に任せて、ここでは中小型風車に絞って書き進めます。さて、中小企業にも設計・製造が可能な50kw以下の小型風車ですが、今回の展示会のブースを回って価格レベルを確認した範囲では、未だに100万円/kw以下のものは開発されておらず、FIT制度を利用してもペイバックできそうもない状況に変化は見られませんでした。中小型おいても50万円/kw以下、理想的には太陽光発電並みに価格を下げる事が当面の目標となりそうです。

その際のキーワードは、安くて性能の高い「低速の発電機」と、同じく低価格の蓄電システムとなる予感を持っています。前者は、発電風車に必須とされるステップアップギヤをシンプルにするか、または全廃する事で、風車自体の価格が大幅に低下する事が期待されます。また後者は主力の変動幅が大きな風車においては、電力デマンドとのミスマッチを埋める事が期待されるからです。上手くシステムを設計すれば、製造が容易だが発電目的には余り適さないとされる「抗力型風車」による発電がぐっと近くなる可能性が高くなります。効力型風車は、あまり軽量化に力を入れる必要もなく、鉄・アルミ形材などの安価な材料が使えるのも利点となるでしょう。簡単な工夫として、回転方向が逆の2個の風車を、1台の発電機のローターとステータに接続すれば、実質2倍に増速したのと同じ効果も得られます。

この様ないくつかの工夫を組み合わせて、安価で性能の高い抗力型の発電風車が出来れば、騒音問題も小さい事もあり、住宅の近くに設置が可能となるため、爆発的な普及も期待できそうです。今回の展示会でも、日本と韓国中小企業から、小型で低い定格回転の発電機の展示があり、かなり期待できそうな感触が得られました。続きます。

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2014年2月26日 (水)

2320 不便を楽しむ

私たちは、戦後一貫して「便利」を追求してきました。便利であると言う事は、結局は体が楽をして、かつ時間の節約をする目的があると考えられます。そのためには、何らかの形で動力を使い、人間の手で行うより数段素早くコトを思なう事が出来る仕掛け(Gadget)が必要です。それは端的に言えば、お金を出して時間を買う商品群だと言えます。それはまた、徒歩から自転車へ、自転車からオートバイへ、更にオートバイから車にといったステップを踏む踏むのです。ステップアップの度に、必要なエネルギー量も増える事になります。家事で言えば、掃除機や洗濯機や食器洗い機を買う事によって、同時に私たちは時間を買ってきたのでした。

しかし、機械化や動力化は、私たちから最低限の筋肉労働を奪い、逆に生活習慣病を引き起こしました。それによって、不健康になり、エネルギーを一桁多く消費し、もう一つ私たちから、体を動かして何かを成し遂げた時に感ずる「達成感」も奪ってしまったのでした。ヒトは歩く動物です。その様に体形も筋肉も進化してきたことでしょう。同時にヒトは、大きな脳みそを使って手を動かしながら色々な工夫する動物でもあります。機械化や自動化は、それらの楽しみを全て奪って、せっかく獲得した能力を減退させてきたとも言えるのです。

不便は間違いなくヒトの能力を引きだし、幸福にもするでしょう。でなければ、ヒトが不便を楽しみに、キャンプに出かけたり、スポーツに汗を流す理由が説明できないでしょう。ましてや危険を冒して高山に登る理由の説明は更に困難となります。不便を楽しむには、何も要りません。最低限のツールがあれば事足ります。「肥後の守」が一本あれば、野山で一日中楽しく過ごせる事は、私たちの年代(中年以降の世代)だと知り尽くしている筈です。少しの木材とノコギリとトンカチがあれば、身の回りのかなりの家具や小物を作る事も可能でしょう。お金を出してそれを買う事も出来ますが、それは同時に自分の能力を錆びさせる愚行だとも言えるのです。不便であればあるほど楽しみは増大するのです。

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2014年2月25日 (火)

2319 ソフト・パワー

JS・ナイの著述「ソフト・パワー」などを読み直しています。彼は、主に国際関係におけるハード・パワー(例えが軍事力や経済力)と、ソフト・パワー(例えば文化的魅力や人気など)を論じていますが、このブログはそちら方面は向いていないので、例によってエネルギー問題として論じてみます。

エネルギー政策におけるハード・パワーとは、言わずもがなですが、エネルギー源を何に求めるか、その経済性はいかがなものかといった議論を指します。その議論が、いわゆる再生可能型エネルギーを優先させているとしても、それはやはりハードなものだと言えます。何しろそこに「経済性」を絡めているわけで、それがカネとモノの世界での議論である事には、原発再稼働論者と何も変わるところはありません。化石エネルギーや原発や再エネの比率云々の議論から抜け出せない限りにおいては、結局ハード・パワーの範疇の議論なのですに変りはないのです。

そうではなくて、エネルギー政策におけるソフト・パワーの議論とは、どの様なライフスタイルが魅力的で精神的な満足度が高いのか、どの様なエネルギーを使えばより子孫の幸福度を高められるのか、といった点に議論の中心をおくべきなのです。やや前の政権の表現に似ていますが、モノ・カネから、人への転換だとも言えます。石油ストーブより、薪ストーブなどのバイオマス暖房が心の豊かさを感じるに決まっています。それは、バイオマスの燃焼温度の方が、石油やガスより低いと言う物理的な違いもあるのでしょうが、結局はバイオマス燃料を消費者まで届けるのにもらった樹木の生命力や人の温もりに差だとも言えるのです。つまり、どのエネルギーが便利で、効率的で、安いかという基準ではなく、どのエネルギー源が使って気持ちよく、子々孫々まで安心して使えるかという基準で議論し見直すのです。

さて、昔から政治の世界ではよく右や左という言い方をしますが、実際にはそれはハード派(タカ派的)であるか、ソフト的(ハト派的)であるかの分類の方が適切でしょう。国としてのハード・パワーを優先させるのか、はたまた国民の幸福度や国際的な友好関係を優先するソフト・パワーを重んじるのかの違いなのです。海外も含め多くの人が懸念する様に、今のこの国のリーダー(達)は、明らかにハード・パワーに重心を置いている様に見えます。続きます。

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2014年2月24日 (月)

2318 ゲリラ豪雪3

2313で最後に書いた、雪の結晶や雨粒の核になる物質ですが、これまでは、陸上で舞い上がった砂埃(風塵)の粒子、火災の際に出る煙の粒子、火山の噴火で出る噴煙の粒子、細かい海水のしぶきが蒸発した際に残る塩分の粒子(海塩粒子)、人為的に出される排気ガスに含まれる粒子などで構成される。これら大気中に浮遊する微粒子はまとめてエアロゾル(エーロゾル)と呼ばれている物質だと言われてきました。更にプランクトンが出すジメチルスルフィドも雲粒になりうるとされており、赤潮などのプランクトンの異常発生時には雲ができやすいとの研究もあります。例えば、火山が大爆発起こした場合には、大気中のエアロゾルが急激に増加する結果、雲量が増えて気候が寒冷化すると言う歴史的な事実もあります。

一方で、遠い星の爆発で発生する宇宙線に含まれる荷電粒子が、大気の気体分子をイオン化させ、それをきっかけに雲核となる微粒子が形成されるという説もあります(スベンスマルク効果)。これは、長期的な気候の変動である地球全体の寒冷化や逆の温暖化の原因を説明するには説得力があるのですが、現在のところ主流とは言えないかも知れません。

いずれにしても、これらの雪や雨粒の核になる物質の大気中濃度が十分に存在しなければ、いくら海水温度が高くて水蒸気の蒸発が活発でも、いくらモンスーンの湿った空気が押し寄せてきても、いくらシベリアからの寒気が降りてきても、それが直接ゲリラ豪雨やゲリラ雨を引き起こす訳ではないのです。これらの条件に、大気中に十分な濃度のエアロゾルが存在すると言う条件が整わなければならない訳です。その意味では、単年度の異常気象と何年かあるいは何十年か続く長期的な気候変動とは分けて考えなければならないのです。よく言われる地球の温暖化の現象も、単に人間が出したCO2の増加とに100%の因果関係があるとするのは、あまりにも早計の様な気がします。その意味で、私たちは地球環境のバランスというあまりにも複雑な「連立方程式」を解くには、あまりにも知識(パラメータ)が不足していると自覚しなければならないでしょう。温暖化問題だけを前面に出すのではなく、持続可能性の観点からこそ化石エネルギーの消費は抑制すべきだと思っています。

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2014年2月23日 (日)

2317 汚染水用タンカーを作れ

T電の度重なる汚染水漏洩事故のエクスキューズには疲れ果て、最早あきれ返ってしまいます。もしかすると彼らはその効果(漏えい事故ニュースへの麻痺効果)を狙っているのかもしれませんが・・・。しかし、世界の目はますますこれら漏洩事故の常態化に厳しくなってきています。そうなれば、種々のボイコット運動もエスカレートする事でしょう。食品禁輸は勿論、観光旅行忌避、工業製品ボイコットなど、更にはんオリンピック参加ボイコットも現実のものになるかもしれません。

打つべき手は余り多くありません。その中で、若い頃造船業に身を置いた立場として提案したいのは、陸上タンクを諦めて、原発港湾内に「汚染水タンカー」を浮かべる現実的な案です。何故、それを最初から行わなかったのかを、外から見て想像するに、汚染水の入れ物を「ゼネコン」に任せた事に原因があると見ています。彼らの発想は、時間的に切迫していたために、工場で陸送できるサイズのセグメントを作り、トレーラーか艀で運んで現場で組み立てると言う稚拙なアイデアだったのです。その上、これらのタンクに汚染水を入れたり出したりするために、急ごしらえの「雑なパイプライン」が、1000個にも及ぶタンク間を網の目の様に張り巡らされているのです。パイプには必ず継手(フランジなり溶接継ぎ手)が必要ですから、ニュースにはならない量の、継手からの漏れは日常茶飯事なのでしょう。

私たちは、この国には世界に冠たる造船技術がある事を忘れてはならないでしょう。原油を運ぶ数十万トンのタンカーだって、ホンの半年もあれば建造・引き渡しが出来るだけのスピードもあります。まして、海に浮かべるだけのタンカーであれば、エンジンや居住区などが不要なので、たぶん3か月もあれば引き渡せるでしょう。価格だってたぶん40億円もあればお釣りがくるでしょう。何より、今のタンカーは事故の際の油流出事故を防止するため、船体の構造が全て二重に作られているのです。しかも、基本的は溶接は機械が自動的に行うので、完ぺきな溶接もできます。間に合わせの不細工な陸上タンクの様に、タンクの構造から漏れる事は「絶対に」ありません。何より、タンカーに送るパイプラインは1本で済みますから、そこさえ確実に監視すれば漏洩事故だって完全に防げるでしょう。心配ならパイプラインも二重に作っておけば良いだけです。タンカーのタンクはいくつもの区画に分かれていますから、濃い汚染水も薄い汚染水も分けて入れておくことも可能です。この様に安くて、安全で確実な「汚染水タンカー案」を何故造船工業会や市民が提案しないか、全く不思議でなりません。このブログを読んだ人は、ぜひこの案を拡散ください。

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2316 温故

大型風力発電やメガソーラや地熱発電など、大型で新しいモノに注目する前に、私たちは先人の知恵に学ぶべきでしょう。例えば風車です。日本では帆船以外は殆ど発達してきませんでしたが、それは台風からべた凪まで、風速の幅が大き過ぎて元々風車を回すのに適さない風土であったからに過ぎません。海外に目を移せば、殆ど木で出来ているオランダ風車は、干拓地の水を排出するのに不可欠なローテク風車でした。一方、ギリシャやスペインなどでは、布製の羽根を持ち、脱穀や製粉に使われた地中海風車が活躍していました。プロペラ型の風車は、台風に耐え得る様に作るのは大変ですが、回転数の低い「抗力風車」は、効率の低さに目をつぶれば、製作が容易で耐久性も高く作れるでしょう。

メガソーラは、この国では適地は限られるでしょう。平地が狭すぎるからです。殆どの平地は、農地や市街地や工業地域として開発され尽くしていますから、今からまとまった土地を得るのは困難だからです。遊休となっているからといって、元の農地を間違っても発電所に転用すべきではないでしょう。そうではなくて、利用されていない場所を徹底して探すべきでしょう。たとえば道路や鉄道軌道の法面、同じく道路などの防音壁、住宅や工場、倉庫やビル屋上などの面積を最大限に活用すべきでしょう。そこは、そもそも電力を必要とする場所でもあり、そこで発電すれば余分な送電線や変電設備の新設も不要です。それでも足りなければ、内水面にフロートでも浮かべてメガソーラでも考えれば良いのです。陸上のメガソーラは、この国が取るべき方向ではありません。

地熱も発電などと大上段に構えると、国立公園や温泉地の近くに深さ数キロの井戸を掘る必要がありますので、環境アセスなどの余分な手順や時間も掛かるでしょう。何より、中小企業が手出しできる投資規模ではないため、所詮重厚長大産業の守備範囲に留まります。そうではなくて、地熱はもっと低い温度の熱を使う工夫が必要です。かつてこの国には竪穴式住居というものが存在しましたが、あれはパッシブな地中熱利用家屋の一種だとも言えるのです。地下の温度は年中余り変わらないので、上手く利用すれば夏涼しく冬暖かく暮らせるはずなのです。少し新しい技術を応用するとすれば、例えば冬は、ヒートパイプを使って地中の熱を組み上げ、夏は単純にポンプを使って地下水を汲み上げて冷熱を貰えば良い訳です。水は、別の井戸から地中に戻せば、地下水位も保てるでしょう。上手く地下水の流れを利用すれば、夏に地下水に熱を貯め、それを冬に取り出して利用する事も考えられるでしょう。先ずは、古い知恵を学ぶことから始めたいものです。

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2014年2月22日 (土)

2315 間に合わせ文化

この国の文化で残念に思う事がいくつかあります。その中で特に残念なのは「間に合わせ文化」だと思っています。この国の人たちは、困った事や不便が生ずると必死に工夫を重ね、それを解決しようと努力します。しかし、一度困り事が解決してしまうと「間に合う」ので、それ以上の努力を止めてしまう傾向にある様なのです。例えば住宅です。かってこの国の住宅は、夏に快適に過ごせる様に工夫されてきたと思うのです。その証拠に、間仕切りには唐紙や障子程度しか使われていませんでしたし、外との仕切りは板の雨戸程度で済ましてきたではありませんか。それらを取り外したり開放したりすれば、夏は風通しが抜群に良く、快適でしょう。しかし、その様な構造では冬の隙間風は耐えられないものがあります。冬季の日本の住宅は、ホンの間に合わせにしかならなかった筈です。現代の余り断熱材の入っていない「文化住宅」も似たようなものではあります。

暖房器具にだって同じような事が言えます。火鉢は手先や顔面を暖めて、オマケに鉄瓶のお湯を沸かす程度の道具ですし、囲炉裏はその昔は火も焚いていましたから暖房器具兼調理熱源ではありましたが、目がショボショボするし、炉辺から数メートルも離れると暖房効果はなくなりますし、コタツだって足を暖めるだけの道具です。囲炉裏で火を焚くと煙たいので、その後はブリキで作った安価な薪ストーブが主流になりました。しかし、石炭用のストーブ(ダルマストーブ)を除けば、それらが耐久性のある鋳物化される事はついぞなく、ブリキストーブは数年使えば錆びてボロボロになるので、買い換えました。つまりこのストーブは数年の間に合わせだった訳です。石油が潤沢になってきて、北国でも使い易いポット型や反射型の石油ストーブが普及し、追いかけて石油ファンストーブやFF式の石油ストーブがあっという間に殆どの家庭に入り込んでしまったのです。

しかし、これらの暖房器具も結局は間に合わせなのです。冬を暖かく過ごすには、一にも二にも住宅の断熱性の向上しかないのです。住宅の断熱性(Q値性能)が十分に高ければ、ごく小さな熱量で暖房効果や冷房効果が期待できる筈です。壁や窓や天井「(屋根)や床下から、スカスカ熱を逃がしたり、入れたりしながら暖房や冷房をしても。光熱費が跳ね上がるだけです。お金を使うべきは、夏の電気代や冬の灯油代ではなく、先ずは建物の断熱しかないのです。そして、それは間に合わせではない「恒久対策」になるでしょう。今住んでいる雪国では、ごく一般の家庭でも一冬で数十万円分の灯油を焚いてしまうのです。

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2014年2月21日 (金)

2314 地域ニーズの充足

企業、とりわけメーカーはマーケットのニーズに敏感でなければなりません。しかし、地域の中小企業までその真似をしても仕方がありません。地域の企業は、そもそもは地域のニーズを充足するために起業した筈です。例えば板金屋さんは屋根や壁のトタン葺きを業とし、暇な時期はジョウロの鋳掛をしたり、余った材料で薪ストーブを作ったりして生計を立てていました。薪ストーブが売れると薪を作る仕事でも結構飯が食えるようになり、それまでは炭焼きを冬の副業にしていた人も、山から薪を降ろしていたものでした。

しかし、市場が拡大して全国規模となり、さらにはグローバル化で、大手メーカーの下請け製造が拡大すると、地方のメーカーも設備を入れて、受注を取りに走ったのでした。しかし、下請けメーカーにマーケティングをしたり、生産をコントロールしたり、あるいは独自の製品を市場に出す事は誰にも求められていませんでした。ただひたすらに、元請からの受注数量を、決められた品質、納期で納める事を求められているだけなのです。

地域には依然として衣食住のニーズは、人口分は存在する筈です。しかし今日では、製品は中央で(あるいは大工場で)作られ、トラック便を使って全国配送されています。地方のメーカーは、その製品のいくつかの部品を作っているに過ぎません。なんという無駄でしょう。地域の細かいニーズに、大メーカーが応えられる筈もありません。標準的なデザイン、標準的な価格、標準的な性能が提供されるだけです。しかし、たとえばエアコン一つとっても、北海道と秋田の様な雪国と関東東海地区と九州・沖縄地区では、当然の事ながら求められる性能や使用条件も異なるでしょう。もちろん、エアコンの様な、一中小企業で作るのが無理な製品はさておき、たとえば薪ストーブやペレットストーブの様な、小型の製品であれば小さな企業にも十分作れるのです。投稿者も実際にペレットストーブを開発した経験があるので、それは断言できます。しかも、地域のニーズにぴったり合わせた製品に仕上げる事も可能でしょう。地域で製品を作って地域で売れば、メンテナンスも容易で、顧客からの声での改良も短いスパンで可能となります。地域の企業が作れる小さな製品まで、大きな工場でまとめて作るのは、やはりこれからの時代の要求(地産地消)には全く馴染まない方向だと言っておきます。

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2014年2月20日 (木)

2313 内需

他国から見ると、この国は内需の喚起がまだ足りないのだとか。しかし、考えてみれば少子高齢化が年々加速し、その上人口がピークを打って減少局面にある国に、もっと消費を増やせと言うのは、年を重ねて食欲が細った人に、もっとしっかり食えと強要している様子にも似ています。結局、内需を増やせと言うのは、もっと自分の国の製品を買えというプレッシャー(外圧)だと言えそうです。

そんな無茶な要求に簡単に応えられる筈もありませんが、いずれにしても、輸入を格段に増やすのはど出来なくても「内需」を増やす事は実は可能なのです。それは、海外から買うものを増やすのではなく、現在は輸入に頼っているものを国産に切り替える事によって実現可能なのです。食糧は工業製品の輸入を控えて、「Buy Japan」などと叫ぶと、当然海外から手ひどいバッシングを受ける可能性が大ですが、良い方法もあります。それは、原発停止後20数兆円にも膨れ上がった化石燃料の輸入を絞ると言う方法です。石油やLNGを輸出している国々(OPEC)が、日本製品を山ほど買ってくれている訳ではありません。つまり、それらの国々に対しては圧倒的に「入超」状態にある訳です。一方で、文句をねじ込んでいる国々に対しては、たぶんいくらかの「出超」となっている筈です。であるならば、先ずは徹底的な省エネでエネルギーの基礎代謝を下げた上で、国産のエネルギーで代替していけば良いのです。

とは言いながら、石油ストーブで暖を取っていた家庭がいきなり薪ストーブに切り替える訳にもいかないでしょう。この国の薪市場は殆どといって良い程残っていないからです。もちろん地方に行けば細々と薪は作っているのでしょうが、それらを担っている働き手の高齢化がますます顕著である事を考えれば、余り期待はできません。しかし、北国では例えば人口当たりの熱エネルギー消費額が、30-40万円/年にも上っている事を考えれば、バイオマス以外の熱源、例えば地中熱や小水力や小型風力などを駆使して熱を起こし、化石燃料の消費量をたとえ1リットルでも減らす工夫をすれば、減らした分は結果的に内部循環という意味での「内需」に取り込んだ事と同じになるでしょう。当然の事ながらそれによって、国内の雇用も増えている筈です。

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2014年2月19日 (水)

2312 ゲリラ豪雪2

忘れないうちに関連投稿です。降雪や降雨に、大気中の水蒸気量が関連しているのは間違いないところです。その証拠には、水分が殆ど存在しない大砂漠では、そもそも雨が降る事が殆ど無いのです。一方、大気中にタップリ水蒸気を抱えている熱帯地方では、1日に1回程度(午後か夕刻に)短い時間ですが豪雨(スコール)がやってきます。

さて日本周辺の状況です。この国は、亜熱帯から亜寒帯まで国土が広がっているので、夏は南からのモンスーンに覆われ、逆に冬はシベリアからの寒波に支配されるという変化に富んだ気候をもつかなり珍しい国でもあります。近海の海流も、南からの暖流が北からの寒流がそれぞれ二つに分かれた上で、東北地方の沖合(秋田・青森県境沖と宮城の金華山沖)でぶつかるという、これまた複雑な挙動を示します。冬季の豪雪は、日本海の暖流から立ち上る水蒸気が、シベリアからの寒風で雪雲に変り、奥羽山脈などの「背骨山塊」にぶつかって、多量の雪を落としていくと言うメカニズムなのです。従って、北海道や青森は確かに寒くて雪も降るのですが、新潟から秋田にかけて地域とは異なり、決して豪雪地帯ではありません。北海道での例外は、石狩湾に発生する低気圧によって引き起こされる小樽以西の豪雪地帯でしょうか。

さて、今回の太平洋側のゲリラ豪雪は、ジェット気流の蛇行によって、シベリアの寒気が下がってきたところに、春になってやや元気を取り戻した南の爆弾低気圧が出会って引き起されたものですが、寒気の観測と海水温の観測をしっかりかみ合わせれば、もっと正確に予測できた可能性もあったと思うのです。寒気の状態や週間予測は下記で参照できます。

http://www.ystenki.jp/kanki.html

また海水温の状態や時間的な変化は、簡単に下記でできるのです。

http://www.data.kishou.go.jp/db/kaikyo/daily/sst_jp.html

これを天気図を重ねて読み解けば、たぶん素人にも結構正確にゲリラ豪雨やゲリラ豪雪の予測が出来そうに思えます。実は、降雨や降雪には単に大気中の水蒸気量だけではなく、雨滴や雪の結晶の「核」となる物質の多寡も大きく関わっていますが、それについては更に複雑で諸説あるのでまた稿を改めます。

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2014年2月18日 (火)

2311 ゲリラ豪雪

 

列島は歴史的なゲリラ豪雪に見舞われていますが、この気象現象について素人なりに考えてみます。さて、ゲリラ豪雨と温暖化の相関に関しては、例えば大気中の絶対的な水蒸気量の増加との因果関係が疑われいますが、ではゲリラ豪雪にも同様の事が言えるのでしょうか。今回の南岸て気圧による豪雪と、北国で何年かあるいは数十年に一度の程度の頻度で見舞われる豪雪とは切り離して考える必要があると見ています。理由は、その気象メカニズムがやや異なるからです。

 

先ず北国の、本格的な豪雪のメカニズムですが、これは北極気団の勢力が、何らかの理由で非常に強くなり、高緯度地域がすっぽりその寒気団に覆われています事によって起こります。つまり、低温の日が長く続き、降った雪がなかなか消えない事により積み上がり、結果として積雪量(降雪量の内消えずに残った雪)がズンズン増加する事によって引き起こされます。昨年は、ここ秋田でも歴史的とは言えないまでも、かなりの豪雪年ではありました。ジェット気流の解析図を連続的にウォッチしている限りにおいては、昨年は確かに日本付近(特に北日本)は長く北極気団に覆われ続けていたのでした。参考URLhttp://www.cokbee.com/weather/jetout.htm?n&xn/xn140212.gif

 

一方、今年のジェット解析図の傾向は昨年とはやや異なります。五大湖周辺や欧州更にはカムチャッカ付近のジェット気流は、この季節かなり北上してしまっていますが、一方でここ極東では、蛇行が残り部分的な北極気団の垂れ下がりが残っているのです。しかし、季節は既に春に差し掛かっており、亜熱帯地域の日射強度はかなりの程度強まっています。つまり亜熱帯ジェット気流とヒマラヤ山塊によって引き起こされるカルマン渦が、低気圧となって台湾付近で急速に発達を始め、日本近海では爆弾低気圧にまで発達し易くなっているのです。それが、垂れ下がっている北極気団と接触する場所、今は関東甲信越地域ですが、でゲリラ豪雪となっている様なのです。ここ数週間この状態は変わっていないので、程度の差こそあれ今後数回は「週末豪雪」への備えが必要だと見ています。(春先の低気圧通過周期は約1週間なので)実は豪雨や豪雪には、日本近海の海流温度の高低も密接に関連しているのですが、それは別の機会に考えてみる事にします。

 

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2014年2月17日 (月)

2310 必然

最近この「必然」という言葉が気になります。この言葉の反対語は「偶然」なのか、あるいは「無理やり」なのかは議論の分かれるところかもしれません。例えば、Aベノミクスによる3本の矢について言えば、すでに打ち放った2本の矢の何処に必然性があったのか、またこれから放つと言われる最後の矢である成長戦略に一体必然性があるのか、気になるところではあります。その前に、3本の矢を当てるべき的(ターゲット)について考えてみましょう。この国のリーダーが言うターゲットとは、インフレ状態下の景気回復の一点突破主義の様に見えます。

しかし、景気さえ回復すれば全てが上手く行くかと問われれば、話はそんなに簡単ではなく、それだけではこの国の行く末は危ういと言うしかないでしょう。その先が見えないからです。リーダー達の口からは、この国の10年後、あるいは50年後はどうあるべきかという理想やそれに関してのライバル陣営との議論が全く聞かれないからです。景気を回復させて一体この国をどう持っていきたいのか、しっかりとしてビジョンを示して貰いたいのです。そのターゲットさえ明確なら、そこに至る道筋に方向性が生まれ、打つべき政策にも必然性が生まれるでしょう。それなくしては、今の政策は、さながら進むべきカーブの先はよく見えないが、兎に角アクセルと踏めと乗客に指示されているドライバーにも似ているでしょう。そこには、何らの必然が感じられないばかりか、事故の危険性すら増加するでしょう。

この国が、世界の中で一体どの様な位置に立ち、どの様にして尊敬を集め、彼らの手本とされるべきか、混迷のこの時代にこそ暫し立ち止まって見定める必要があると思うのです。その考え方に関しては、このブログでも縷々書き連ねては来ましたが、書き過ぎて自分でも整理出来ていない様な気もするし、優先順位も分かりにくかったかも知れません。今後、必然(必然性)を織り交ぜながら、再録する事にします。ブログに何度も出てくるほど、投稿者が重要と考えているキーワードや考え方だと言う事になります。

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2014年2月16日 (日)

2309 足元を見つめる

308に書いた様に、自然物とりわけ有機物に無駄なものは一切ないと言う前提で、私たちの身の回りを眺めてみれば、実に様々な「資源」に囲まれている事が分かります。今住んでいる「何もない田舎町」も、周りを田畑や雑木林や人工林に囲まれた小さいが豊かな沖積平野である事に気が付きます。稲作から出る余り物であるもみ殻や稲わらでさえ、昔の人はムダにしませんでした。子供の頃の事を少し思い出せば、稲わらは縄になり、米俵になり、ムシロや畳床になり、蓑になり、その昔は靴(藁靴や草鞋)にもなり、その事に感謝して社のしめ縄にさえなりました。少量の藁しべは、釜戸の焚き付けになり、使い切れない藁は家畜の寝床(敷き藁)になり、最後は堆肥となって田畑へ戻されていました。それでも余った藁は、漉かれて紙(わら半紙)にされて、最後の藁しべ1本まで有効利用されていたのでした。

もみ殻には高い割合でシリカが含まれていますので、田んぼの土壌がシリカ不足にならない様に、それはゆっくり燻されて炭化した上で田んぼに戻されました。もみ殻は、実は効率の高い断熱材にもなり得ますので、昔の人といえども、その用途は思いつかなかったのかも知れません。

さて樹木はどうでしょう。これこそ、自然が長い時間を掛けて水と空気から作り上げた炭化水素の塊です。樹木は強力な地球の重力に打ち勝って、枝葉を広げ最大効率で光合成を行える様に、天然の複合材でもあるセルロースやヘミセルロースやそれを接着するリグニンなどという物質を合成できるようになるため数億年をかけて進化してきました。それは、たぶん太陽光が十分に得られなくなった寒冷期にこそ最大限のスピードで進化を進めた筈です。樹木は、幹の部分は建築材として、あるいは紙として現在でも多用されてはいますが、枝葉や樹皮や根の部分は、全くといって良い程利用されてはいません。従って、お金で勘定する限り、急峻な日本の森林を伐採して危険を冒しながら搬出するよりは、東南アジアの熱帯林を大規模に伐採した「外材」をお金を出して買ってくる方が儲かるのです。

従って、今はお金にならないとされている製材屑から、薪やチップやペレットとして燃料にし、枝葉や樹皮からは有用な顔料や有機物質、たとえばタンニンやツヤ酸など、を絞りとり、あるいはセルロース部分を分離して家畜の粗飼料や敷料にし、またキノコ類などの菌床として使い、最後は堆肥として山や田畑に散布すれば、完全にリサイクルが出来るでしょう。そうすれば、山から木を切り出す費用は十分に賄えるでしょうし、雇用の場も、再エネ市場も拡大するでしょう。田舎も、現状の「何もない場所」から、資源や再エネ産業の宝庫に生まれ変われるのです。とは言いながら、自分が若い日に、森林学も有機化学も勉強してこなかった事を悔やむ今日この頃です。

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2014年2月15日 (土)

2308 自然に無駄は無い

FBで、曲がった細い枝を使って、見事な「玄関手すり」にしている写真を見掛けました。そこで感じた事は、「自然が作ったものに無駄なものは一切ない」という確信でした。岩石など無機質のものはここでは横に置きますが、有機物という範囲に限れば、それは断言できます。もし、ある時代に有機物が余ったとすれば、それは堆積しやがては地下深くに埋没していったはずです。その一部は、現在では私たちは化石(燃料)という形で目にし、恩恵にも浴しているわけではありますが…。

しかし、もう少し短い時間レンジで見れば、有機物はほぼ完全にリサイクルされている事が分かります。光合成で固定された、H2O(水)やCO2(二酸化炭素)と少量のN2(窒素)など(つまりは炭化水素やタンパク質ですが)は、動物のエサになったり、他の植物の養分になったりしながら、やがて微生物によって完全に分解され、また水と二酸化炭素と窒素に戻ります。気体に戻らない微量元素は、水に溶けながら水循環を通じて土壌の中でリサイクルされるでしょう。

つまり、今は人間の都合で焼却処理されている様な有機物、剪定枝や雑草や生ごみや紙は、何らかの形で自然に戻せば必ずリサイクルの輪に乗るはずなのです。石油化学合成の申し子であるプラスチックでさえ、間違いなく有機物であり、その原料(石油や石炭やLPG)は、太古の昔の生物の活動結果残された余り物の化石であった訳です。つまり、私たちは先ず、「有機物のごみは本来あり得ないはずだ」と心すべきなのです。もし有機物が、何らの処理も無しに埋め立てられたり、燃やされたりしているとすれば、私たちがそのリサイクルの仕方を知らないか、お金にならないので無視されているかのどちらかでしょう。しかし。本来自然物のリサイクルにはお金は掛からない筈なのです。何故なら、自然物の分解やリサイクルは自然が自然に行ってくれるからです。もし、それが出来ないとすれば、私たちが自然のサイクルの容量以上に自然にまとまった負荷を与えているからに過ぎません。生分解性プラスチックというものが工夫されていますが、どの様な種類のプラスチックでも、少量であれば先ず太陽からの紫外線によって重合の鎖が切られ、ボロボロになりやがて風化して、最終的には微生物の助けも借りながら水と二酸化炭素と窒素などに分解されて自然に戻るはずなのです。実際にそうはならないのは、プラスチックゴミとして地下に埋められ、自然のサイクルから切り離されるからです。私たちは、ゴミ焼却や埋め立てに多額のお金を掛けて一体何をしているのでしょうか。

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2014年2月14日 (金)

2307 実績主義

年度がロールする計画、例えば予算案の作成などをしようと思う時、前年度の実績を下敷きにして作成する方法が最も楽でしょう。即ち、費目や予算額に先ず前年あるいは前前年実績の値をおいて、それを予算年度の事情を睨んで微調整するだけで済むからです。従って、新たな事業を検討し、それに関して合理的な理窟を構えた上で、新たな計画を立て、その費目を立てるなどという事は、企業の企画部門や行政などという組織には、可能な限り避けようとする本能が働く事でしょう。出来る限り避けようとするのは、実のところ彼らがその様な訓練を受けていないからでもあります。

新規の製品事業や行政のプロジェクトを立ち上げようとした場合、それが革新的であればあるほど、前例など見当たらず、ゼロからプロットを置かなければならないでしょう。企画者は先ずは、その新製品が売れる必然性、あるいはその新たな公共事業が必要な合理的説明を打ち立てなければなりません。ここで一番難しいのは「必然性」の説明そのものだと思うのです。その企業が、あるいはその自治体が、製品の開発や新規公共事業を行わなければならない必然性を、万人に納得いく様に説明し切るのは全く困難な仕事だと思います。従って、そこに多くの組織が実績主義に陥り易い根っこが存在するのでしょう。

しかし、時代が右肩上がりで、イケイケドンドンの時代であれば、前年度の計画に成長率を掛けるだけでOKだったでしょうが、横ばい、あるいは右肩下がりとなるこれからの時代、優先順位をつけて予算を切り詰めたり、あるいは事態を切り開くために新たな分野に漕ぎだす必要もあるでしょう。その際、味方に付けるべきはやはり「必然性」という言葉でしょう。これさえ外さなければ、物事が上手く進む可能性は格段に高くなるはずですし、多くのステークホルダーの腑にも落ちるからです。

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2014年2月13日 (木)

2306 問題とは

以前、この国や地域が抱えるいくつかの問題について書きましたが、ここでは問題一般として考えてみます。さて問題には、解決できる問題と、絶対あるいは殆ど解決することが叶わない問題とがありそうです。後者の例としては、個人レベルでは例えば身体的なハンディキャップなどが考えられます。事故などによる身体部位の欠損や神経の障害は、現代の医学ではほぼ再生が無理である以上諦めるしかありません。つまりどうにもならない問題は、基本的にはそれを受け入れてその人の「個性」として考え直すしかないのでしょう。その上で、不都合を出来るだけカバーするように、ハード面やソフト面の工夫を行うしかありません。

一方解決できる問題も二つに分かれそうです。つまり、問題が拡大しつつあるか、あるいは縮小しつつあるかの違いです。縮小局面の問題は、たぶん極大値を超えた問題でしょうから、長い目で見ればやがて解決するか、あるいは問題ともならないレベルまで小さくなるのでしょう。拡大居つつある問題でも、それを何らかの指標で図示した場合、その拡大曲線が凹なのか凸なのかによって、シビアリティが異なります。本当に問題となる問題は、その問題が加速度的に拡大し続ける場合です。例を挙げれば、この国が直面している少子高齢化問題などになります。まさにこの問題は、加速度を高めつつ拡大する問題でもあるからです。その場合、手をこまねいて放置するのは間違いでしょう。時間が経過すればするほど問題の傷口が開いてしまうからです。一方、初期の内に手を打てば、問題の拡大傾向は鈍るでしょう。

問題を問題として放置されるのは、その解決に着手する知恵が無いか、あるいは能力が無いかの他に、「先送り」という選択肢を取る場合でしょうか。この国の負債額などにその例が見られます。というより、多くの問題は先送りという選択肢によって放置され続けていると見ています。数年経てば部署や担当が替わってしまうお役人は、実は先送りの名手でもあります。彼らにとっては、その部署に居る間大過なく務める事が最重要課題だからです。

先送りで放置され続けている問題は、黙って行動を起こさなければ、取り返しがつかないレベルまで悪化するか、落ちるところまで落ちて自動的に歯止めが掛かるかどちらかになります。いくら人口が減っても、この国の人口がゼロになる事態は、人間の歴史が続く限りは多分無いでしょう。環境悪化がひどくなったり天変地異で例えそうなったとしても、自然は存在し続けゴキブリやネズミくらいは生き延びるのでしょう。しかし、そうはならない様に、問題の拡大に対して手を打つのは、その時代を生きている世代の責任でもあるはずです。多くの場合、国の問題はその国の構成員が抱える問題の総和である筈です。ならば、先ずは各人が各人の立場で、問題の拡大に歯止めを掛けるべく流れに棹差すしかないのでしょう。

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2014年2月12日 (水)

2305 輻射(放射)の重要性

ヒトは見えないものを無視しがちです。例えば、熱さ寒さの指標は、普通は目に見える「温度」で評価しようとします。例えば、冬の暖房温度は20℃に留めましょうとか、夏の冷房温度は高めの28℃に設定しましょう、とかいった具合です。その温度を見る道具が温度計ですし、必要ならサーモグラフィを使って色の濃淡や色として映像にも固定できます。空港で、新型インフルエンザの患者をチェックをするため、顔の温度を見るあの「機械」です。とは言いながら、あのカメラは皮膚温度を直接指示しているのではなく、皮膚温にほぼ比例している、皮膚からの輻射温度を見ているのです。

一方で、熱さ寒さのもう一つの主原因となる輻射熱は、見えない事もあり無視されるか、忘れ去られている様に思えます。輻射熱は、ポカポカとお日様が照っている日に、頭や肩や背中に感ずる「あの温もり」の原因となる現象です。その中身は、と言われればそれは(遠)赤外線であると言うしかありません。科学用語で言えば、波長数ミクロン~10ミクロン程度の電磁波であると言う事になります。人間が、ポカポカと温もりを感ずるのは8ミクロン~10ミクロン程度の、いわゆる遠赤外線なのです。これは、概ね7080℃程度の黒体熱源から放射される赤外線という事になります。北ヨーロッパや旧共産圏などで多用されている温水を使ったラジエータの温もりが心地よく感ずる所以です。そう言えば、この国でも昔は教室にスチームラジエータがあった様な気がします。

ヒトの熱さや寒さを感ずるのは、皮膚表面にある温点や冷点というセンサーなのですが、実のところそれらは赤外線センサーでもあります。皮膚表面から赤外線輻射で熱が失われると肌寒く感じ、逆に外部から皮膚温度を上げる様に輻射を受け取ると暖かく(熱く)感ずる事になります。衣服は、その内部に体温に近い温度の空気層を抱え込んでいるので、室内で黙って座って居る限りにおいては、熱さも寒さも殆ど感じなくて済むでしょう。しかし、室温が15℃を下回ると寒く感じ、28℃を上回ると熱さを感ずる事になります。それは、ある温度を下回ると衣服を通してさえ体の表面から輻射熱が失われ、逆に温度が高ければ体表面に輻射熱が溜まる事になるからです。つまり、冷暖房にとって最も重要なポイントは、部屋の空気だけを調節するのではなく、併せて窓や天井から失われる、または注がれる輻射熱もコントロールする必要があるのです。加えて、湿度をある範囲内に収める事が、夏も冬も重要になります。

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2014年2月11日 (火)

2304 休題:コミュニケーション力

若い人の間で、コミュニケーションやその能力というテーマで意見が行き交っていました。彼らよりはいくらかは長く生きてきた立場で、少し整理を試みます。よく就活には、コミュニケーション能力のあるなし(高低)が重要だ、などと一言で言ってしまいます。しかし考えてみれば、ヒトは生れ落ちてからコミュニケーションをし続けないと生きてはいけない存在だとも思うのです。つまり、動物であれば、生まれてすぐに自力で母親の乳房にたどり着き、むしゃぶりつく能力が備わっていますし、もっと環境が厳しいサバンナでは、生れ落ちて数時間で歩いて群れについていく事さえ要求されるのです。

しかし、ヒトは先ずは泣く事で空腹を知らせ、笑顔を作る事で親の愛情を引き出すと言うコミュニケーションを確立し、1-2年掛けて言葉というより高い次元のコミュニケーションの方法を身に付け始めるのです。とは言いながら、親や大人が無条件に一方的に愛情を注げるのは、精々小学校の低学年までで、その後は感情のやり取りをしなければ、上手く生きていけない年齢に差し掛かる訳です。いわゆる、ものの善悪や行動の良し悪しをわきまえる「分別」が少しずつ身に付ける事を要求されるでしょう。では分別があればコミュニケーション能力は十分かと言われればそうでもありません。それはコミュニケーション能力の必要条件ではあるのでしょうが十分条件ではありません。残りの能力は多分「おもんばかり能力」だと思うのです。

「おもんばかり能力」は必ずしも「空気を読む」と同じではありません。場の「空気」とは、その場の多数意見ではあるのでしょうが、必ずしも真実とは限りません。それどころか、イジメなどの温床にさえなるでしょう。そうではなくて、おもんばかりはコミュニケーションをするべき相手の持っている背景、あるいは自分の言葉や表情に対する感情の変化や評価などを「察知する能力」でもある訳です。分別を身に付けて、相手をおもんばかった会話が出来れば、80点以上のコミュニケーション能力があると、胸を張っても良いでしょう。しかしこれは、政治家や著名人の失言・方言報道に接するたびに、いい歳の大人にとっても本当に難しい事だと、しみじみ思うこの頃です。彼らは自分が言いたい事を一方的に発言しているだけであり、いくら巧みな言葉を発したとしても、それを受け取った遠い人々の気持ちなどは、殆ど慮ってはいないからです。遠い人々への慮りを「遠慮」とも言います。遠慮が無く、コミュニケーション能力の低いリーダー達に率いられているこの国行く末を憂います。

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2014年2月10日 (月)

2303 熱コンビナート

同じ様なタイトルで以前にも書いたような気もするのですが、何を書いたか思い出せないので、まあダブっても良いでしょう。化学コンビナートとは、例えば石炭産業や石油精製産業などの中核工場があり、その周りに石炭ガスを利用する化学産業や、コークスを利用する製鉄所など、あるいは石油から抽出されるナフサを利用するプラスチックなどの化学合成産業が集積しており、それらの間をパイプラインがつないでいる、工場群を指します。ある工場の製品出口が、隣り合った別の原料入口になっている訳で、物流が極限まで小さく出来る上手い仕組みなのです。この国では、例えば北九州や水島や坂出や四日市や横浜地区などにその典型が見られます。

さて熱コンビナートです。これは、熱に注目してある工場で石油やガスやコークスで発生させた高温度の熱のお下がりを、近隣の工場やビルや住宅で使いまわすもので、熱のリサイクルと呼んでも良いでしょう。1000℃以上の熱は、鉄も溶かす事ができる温度ですが、一方で私たちが日常生活に必要な温度は、給湯用には50℃を少し超える程度、床暖房だと25-30℃もあれば十分なのです。つまり、電気やガスや灯油でお湯を沸かすのは、さながら斧で楊枝を削る様な大きなムダが生ずる事になります。コークスを使って鉄を溶かす設備(キューポラ)を連続的に動かすためには、空気を送り続けて燃焼させる必要があります。その結果、煙突からは高温のガスが出続ける事になります。しかし、今の法律ではそのまま大気に放出する事は出来ず、煙突を下向きにUターンさせた上で、それを冷却し、冷やした煙道ガスをバグフィルターを通して除塵する必要があるのです。つまり、まだ数百℃ある煙道ガスを、バグフィルターの濾布が燃えない程度の数十度まで下げる必要があるのです。

投稿者が知っているある鋳物工場では、ガスを冷やした結果、150℃程度のクリーンな空気が余り、現状は無為に捨てられていました。もしこれを工場の近くに適当な施設、例えば入浴施設や温水プールなどで利用すれば、加温や暖房のための石油やガスなど全く不要となるはずです。工場の立地がへんぴな場所でそれが現実的ではないのであれば、温室でも作って野菜やトロピカルフルーツでも育てれば良いでしょう。同程度の廃熱は、例えば窯業や規模の大きな食品工場などでも見出す事が出来るでしょう。そこで使って、さらに低下した温水や空気は、太陽熱も併用して手洗いのお湯や、除湿機(デシカント)の再生などに使いまわせば良いのです。高い温度の熱源は、さながら階段を下る様に更に低い温度で十分な目的のために使いまわす事になります。これを別の言い方では、熱のカスケード利用とも呼びます。多分続きます。

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2014年2月 9日 (日)

2302 白い洪水

太平洋側を含めて列島は大雪に見舞われています。マスコミも含めて「何十年振りの大雪」と騒いではいますが、雪国に住む身から見ると何が問題なんだ、と思ってしまいます。モンスーン地帯の北の端にあるこの国では、局所的な洪水なら冬以外の季節なら普通に見られるではないですか。大雪と言ったって、冷たくてすぐには流れない洪水だと思えば良いのです。洪水の日に大した用もないのに出かける人は居ないでしょう。それでも外に出たいのなら、ズボンをたくし上げて水中を慎重に進むか、ゴムボートでも用意して出かけるしかありません。

大雪は事前の天気予報でしっかり報道されていましたから、もしどうしても移動しなければならない用事があったとしたら、絶対にチェーンくらいは準備して置かなければならなかった筈なのです。スタッドレスは雪道でもそれなりに走れると言うだけの手段ですがチェーンであれば、圧雪でもシャーベット状態でも苦も無く走れます。舗装路を高速で何十キロも走れば切れてしまう事もありますが、街中だけの使用では車の寿命位は持つでしょう。歩行者だって、百均かホームセンターで売られている細いステンレスのチェーンで靴先をぐるぐる巻きにすれば、雪道だってスタスタ歩けるでしょう。

洪水のために私たちがどれほどの備えをしているか振り返れば、太平洋側に住む人たちが、もっと頻度の低い大雪への対策が手薄なのは当然ですが、それにしても停電の発生頻度程度には発生する緊急事態だとは思うのです。仕事として、企業の環境経営システムの審査を行う事も多いのですが、多くの企業では「本当の緊急事態」の想定が甘い事が目につきます。想定が容易で、訓練がし易いのが緊急事態ではなく、殆ど起こらないが、起こった場合には俄かには対応が難しい事態こそが真の緊急事態なのです。いずれにしても、今回の「白い洪水」も3日もすれば、日陰を除けばすっかり引いてしまうでしょうし、軽い緊急事態だと思うしかありません。しかし、それとて軽視すれば、スリップ事故とか落雪事故とかの厳しいしっぺ返しに見舞われるのです。とりあえずは冬将軍と春子さんの共同作業による贈り物を呆れながら受け取るしかないでしょう。

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2014年2月 8日 (土)

2301 植物工場の不思議

各地で植物工場の取組みが盛んです。ここA田でも、コンビニチェーン向けの葉物野菜工場が出来るのだとか。それは、たぶん使われなくなった学校校舎とか、あるいは倒産した工場とかの建屋を再利用し、そこに栽培棚を設置、温度管理と溶液管理をした上で、太陽光の替わりに食物の成長に必要な何種類かLEDで光合成を行わせるタイプなのでしょう。例えば、A田の内陸部で栽培すれば、たぶん高速道路を使って東北エリアくらいは、今の流通システムを使えば造作もないのでしょう。

しかし、このブログでも何度も書いていますが、運ぶ事によってモノの価値が1円たりとも上がる訳ではない事は、誰が考えても理の当然です。運んでいる間に、野菜が美味しくなったり、鮮度が上がるのであれば、運ぶ事にも意味があるのでしょうが、事実は逆です。収穫した瞬間から、野菜の品質は劣化し続けるでしょう。

もしそうなら、何故コンビニやスーパーのバックヤードで直接植物を育てないのか全く不思議でなりません。数分前に収穫したレタスやパセリが新鮮度MAXである事は子供でも分かる話です。例えば、1坪程度の植物育成ユニットを作れば、必要な場所で必要なだけ収穫する事も可能となるでしょう。2週間に一回収穫する葉物野菜やスプラウ類なら、例えば10-20ユニットをスーパーのバックヤードに並べればOKです。仕入れ担当者は、毎朝裏手の栽培ユニットの扉を開けて、収穫すれば良いのです。同じ日に、栽培担当者が栽培床の殺菌を行い、新たな種子を植え付ければ良いのです。屋外なので、温室の様な屋根であればLED照明など余計なものは不要です。ユニット内の温度管理は、スーパーの空調された空気を少しだけ導けばOKでしょう。植物が呼吸した結果のやや湿った空気は、乾燥がちな室内を少しは加湿してくれるでしょうし、観葉植物程度には空気も浄化してくれるかもしれません。

コンビニでは消費量が少ないので、一つのユニット内の栽培棚を小分けにすれば問題ないでしょう。収穫した後は同じ棚に、例えば和紙の様な紙に入れられた「種子リボン」を置くだけで、ユニットが自動的に栽培を開始する様にするのです。ユニットは時々予備と入れ替えて、それまで使っていたユニットは、高温度で完全滅菌すれば、変なウィルスや細菌が蔓延る事も防げます。必要なことは、膨大な電力や輸送のためのエネルギーが必要な植物工場の建設ではなく、消費する同じ場所で植物を育てるユニットの開発なのです。そう考えると、各家庭のベランダである程度の野菜を育てる、ベランダ菜園に思い至りますが、現代の人々はそんな面倒な事をする位だったら、お金を出して買った方がマシだ、と思う拝金人種に変貌してしまった事こそが問題なのかも知れません。

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2014年2月 7日 (金)

2300 大型風車は洋上にしか・・・

A田県には大型風車が40基弱も立っている様です。それは、とりわけ冬場の風況が良いからなのですが、分からないのはその設置場所です。主には海岸の防砂林の中、海岸部の低い丘陵地、やや内陸の高原などなのですが、どうして陸上に立てるかのが理解できないのです。陸上部、とりわけ丘陵部で問題になるのは風の乱れ(乱流)です。最悪は、凶暴な振動を励起する乱流で、これが落雷以外では風車破壊事故の大きな原因になり得るからです。当然陸上部で風車を立てる場合は、何本かの風況調査のための観測タワーを立てて少なくとも1年以上データを取り、併せて工事で影響を受ける生物や騒音や渡り鳥のバードストライク問題などなど環境アセスメントを嫌になるほど行い、それを行政や住民に説明し、一方で建設のための見積を行って、初めて応札できる事になります。その作業の道のりは、数年から10年にも及ぶ事もあるのです。

さて建設が決まっても、港からの輸送ルートの決定、稀には道路橋の補強工事が必要だったり、建設サイトでの取り付け道路の建設、土砂掘削と基礎工事が終わって、やっと実際のタワーなどの建設工事が出来る段取りになるのです。確かに地元の建設業者に、一時的には、工事が発注され、お金も落ちますが、しかし一度完成すれば、地元への恩恵は、ささやかな地代と固定資産税程度に留まるでしょう。

一方、洋上風車はどうでしょう。それは、例えば巨大なクレーンやドックがある造船所を使えば、1から10まで建造可能でしょう。あとはポンツーンに空気を入れて海に浮かべ、タグボートで係留サイトまで引っ張って行けば良いのです。そこで、海の底に沈めたアンカーとチューンで繋げば、あっという間に完成です。環境アセスも要らなければ、オマケにポンツーンの下は新たな漁場となるでしょう。事故で羽根が飛んでも誰も被害を受けません。また大きな故障が起こった場合でも、再度曳航してドックに持っていけば、修理も容易な筈です。合理的なヨーロッパのいくつかの国々では、確かに洋上風車に重点を置いているのです。この国にだって世界に冠たる造船所や造船技術があるではないですか。今日の報道によれば、またまた30本弱の大型風車群を、八郎潟近くの防砂林の中に立てるプロジェクトが決まった様です。行政やメーカーは一体何を考えているのでしょう。投稿者の様な単純な頭ではサッパリ理解できません。どう考えても、大型風車の合理的なサイトの適地は洋上しかない筈なのです。

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2014年2月 6日 (木)

2299 山業振興

別に林業振興と呼んでも構わないのですが、単なる語呂合わせで「産業=山業」と呼んでおきます。さて山業です。これは山に人が入って、樹木や山菜やそのたの資源を循環的に利用する産業であると定義できます。樹木に関しては、植林⇒管理⇒伐採⇒再度の植林という循環、山菜の利用に関しては、山菜が生育しやすい環境、例えば日当たりや林床の保水などの条件を整える事が必要でしょう。つまり、山業振興のためには、人間が継続して山に関わる事が必要なのです。昨年末訪問したオーストリアでは確かに山業が立派に維持されていました。同時に、山林を整理した際に副産物として出る薪も立派に活用されてもいました。南ドイツや北欧なども、同様の状況にあると想像できます。

しかし、振り返ってこの国の山業はをみると、どうにか最低限の維持状態を保っている地域を探すのが難しいという、壊滅的な状況に陥っている様なのです。その原因を考えてみるに、結局は安い外材への依存度を極限まで高めてしまった(一時は9割割前後あったと言われ、現在は8割程度か?)事にあるのは明らかです。何故かと聞かれれば、製材業者は「その方がコストが安かった」と答えるでしょう。その背景には、勿論国の輸入奨励の誘導策、あるいは逆に林業をあまり支援しないと言う消極的な政策もあったのでしょう。そのため、山から効率的に材木を降ろす、林業技術や林業機械の改良も殆ど行われ来なかったのです。欧州との山業の違いの証拠は、例えば欧州では、書店に入ると、林業や林業機械加えて農業機械だけを取り上げている雑誌が、何種類も見かけると言う事実で十分でしょう。よくもまあ、これほどパワーアップし、多様なアタッチメントを開発したものだと感心してしまう程です。田舎の道路では、巨大なトラクターが、木材をたっぷり積んだトレーラーを引きながら、普通車と同じスピードで走り回っていたのです。

取り敢えずは、KマツやH立やKベルコなど建設機械だけを熱心に作っている企業に、この国の急斜面で行われている林業のための、スマートな林業機械を作ってもらいたいものです。流石に人力で木材を山から降ろすのは重労働ですが、スマートな機械があれば若者も面白がって山に入るかも知れません。何はともあれ、行政もメーカーももっと山に注目すべきなのです。

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2014年2月 5日 (水)

2298 細かな組合せ

さて最小限のエネルギーの確保です。エネルギーのベストミックスなどと、政治家も安易に口にします。しかし、実際のところ何と何をどのくらいの割合でミックスさせるかは、地域によって大きく異なる筈なのです。例えば、Fクシマ県の場合、県単独で見れば間違いなく水力発電所だけで、県内全ての電力が賄えるのです。奥只見には、かつて大規模に開発され巨大なダムと原発1基よりはやや発電量が少ないものの、日本一の水力発電所があるからです。実のところ、Fクシマにある他の全ての原発を含む発電所は、他県のため、というよりは東京のために存在すると言っても良いでしょう。

では今投稿者が暮らしているA田県のケースはどうでしょう。この県には、小規模な水力発電所は結構目につきますが、巨大なダムを築く適地はあまり無かった事が幸い?して、規模の大きな水力発電所は存在しません。しかし、冬場のシベリアおろしは厳しいものがあり、海岸にはそれを利用するための大型風車が何十基も設置されていいます。この方面の旗を振っている人は、その数を1000基にまで増やすと言う夢を描いている様です。1000基もあれば、エネルギーの自給は可能な様にも見えますが、どっこい冬以外の季節は風の弱い日も多いので、風車だけではカバーしきれないのです。

一方で、北国で石油換算では電力の半分ほどのエネルギーを消費するのが、給湯と暖房用途の熱エネルギーなのです。現在はその殆どが灯油とLPGで賄われていいるのです。そこで、組み合わせるべきは、地熱と太陽光という事になります。しかし、地熱と言っても、確かに鳥海山や奥羽山脈の麓近くでは、熱い温泉が湧くのですが、平場ではそうも行きません。多くは、20℃前後のやや暖かい地下水と言っても良い様な温泉水を、石油ボイラで温めて~温泉などという看板を上げているのが実情です。しかし、実は20℃もあれば、床暖房や融雪など用途を限れば十分に役に立つ熱源だとも言えるのです。汲み上げ続けると枯れる恐れもあるので、「汲み上げ井戸」と「戻し井戸」をセットにして掘るべきでしょう。この地域では日射時間は全国的にも最低レベルですが、例えば建物の壁面に集熱箱を取り付ければ、晴れた日中には冬でも太陽熱が得られます。壁面なので、積雪時も使用には問題は無いでしょう。これと、薪やチップやペレットなどのバイオマスの熱利用と、更に小規模な太陽光発電を組み合わせれば、エネルギーの自給態勢はほぼ完ぺきです。元々食糧が自給できる東北や北海道は、エネルギーの自給さえできれば、あくせく稼ぐ必要などないラッキーな地域などです。

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2014年2月 4日 (火)

2297 成長戦略は

政府の成長戦略の姿がなかなか見えません。いわく、医療分野、農業分野、エネルギー分野、環境産業、多様な特区の制定などなどが俎上されています。しかし、最終的にはそのための資源(予算措置)は、省庁縦割りで分断され、玉虫色の政策が次々に打たれて、それなりに「ささやかな成果」は上げるのでしょう。

お役人は、机上でストーリーを描き、予算を分捕ってそればら撒き、しかもその結果さも一定の効果があった様な報告書を書くのは大得意のはずです。しかし、費用(税金の使途)対効果(実際の産業拡大の真水)を考えると、その比率は限定的に終わると見ています。理由は、この国や他の国の真のニーズを汲み取っては居ないからです。いま世界で、またこの国で本当に必要なものは、安定的な食糧の確保と、社会システムを支える安定的なエネルギーでしょう。農産品の輸出を考える前に、先ずはこの国の食糧自給率を上げるべきでしょう。また、医療分野の産業を拡大する前に、病気にならないためのビジネスを拡大すべきなのです。各種の特区の制定も、そこで実際にニーズに基づいた産業を興してこそで、間違っても賭博特区などで地域興しなど仮にも考えてはならないでしょう。

この国の置かれた状況を考えれば、何は無くとも農業の効率アップ、即ち狭い農地で最大の収率を上げるための技術、それと再エネ技術を磨くべきであるのは明らかでしょう。例えば、植物は、太陽光と水と養分と温度と湿度とCO2濃度を適正に保てば、いくらでも成長する筈なのです。そこにきめ細かな技術を注ぎ込めば、食糧自給率も格段に上がる事でしょう。

確かに、再エネでは、オイルショック後の安い石油のぬるま湯に浸かっていた間に、風車はヨーロッパにおいて行かれ、バイオマスの利用でも同じく北ヨーロッパや北米に水を開けられてしまいました。長く首位を守っていた太陽光発電パネルの製造量でも、DイツとC国に抜かれてしまいました。しかし、この分野しか成長出来そうな産業は残っていないのです。この国の技術の特徴である「きめ細かさ」を武器に、巻き返しを図るしかないと思うのです。どんな時代になっても、ヒトは食糧が必要ですし、生活を営むためには最小限のエネルギーは必要なのですから・・・。続きます。

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2014年2月 3日 (月)

2296 生業

日本でも少子高齢化傾向のトップを走るこの地域では、団塊世代以上の割合がドンドン増えたトップヘビーの人口ピラミッドが「育って」います。その結果起こる事は、団塊世代が高齢化した親世代を支える老々介護世帯がますます増加傾向にあります。投稿者知るかぎりでもいくつかの世帯では、結局親の介護のために別居あるいは離婚を余儀なくされた例もあります。しかし、田舎暮らしも見方を変えれば、それなりの魅力も発見できるかもしれません。

暮らし方で言えば、田舎では自分の衣食住、とりわけ食を自分で賄う事さえできれば、あくせく働く必要はないと思うのです。なんせ、住むところは親の家がある訳で、着るものなんかは別に洒落なければお金はかかりません。自前で食っていくためには、受け継いだ田畑を細々と耕せば自家消費分としては分でしょう。機械を持っている人に耕作を頼んで、謝礼として採れた現物を受け取れば、たぶん?消費税も掛かりません。現金が移動していないからです。

投稿者の様に田畑を受け継いでいない人たちも悲観する事はありません。何らかのワザを持っている人であれば、趣味と実益を兼ねてスモールビジネスを始めれば良いし、それも無い人は体を鍛えて、短期の農作業や山仕事などを引き受ければ良いのです。もちろん、そのための仕組みは必要です。仕事とそれを求める人とのマッチングが必要だからです。しかし、ネット社会のいま、その仕掛けを作る事は容易でしょう。ネット商店街のR天の様な仕組みの仕事版を作れば良いのです。ネット職安?の管理人はささやかなリベートを受け取り、ちょっとした仕事を出したい人と、ちょっとした仕事でお金を稼ぎたい人とを繋ぎわせます。もちろん、やや危険を伴う仕事もあるでしょうから、保険を掛けるとか、その他の条件を整える事も同時に行う必要もあるでしょう。もちろん、初めてその仕事をする人よりは、何度か同じ仕事を経験した人の方が、実入りがやや良くなるのは当然でしょう。複数のワザを身に付けて、月にいくつかの仕事を掛け持ちすれば、たぶん田舎で暮らしていくには、そんなにアクセク働かなくても済むでしょう。しかし、高度成長期以降は、列島改造なんかの旗振りをする政治家や政党が力をつけたので、効率よく現金を稼ぐための仕掛け、つまりは出稼ぎなどというものが横行してしまったのでしょう。生業(なりわい)などというものは、本来手間が掛かって面倒くさいものだと思うのです。

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2014年2月 2日 (日)

2295 農工連携

農業の6次産業化などというKWが乱れ飛んでいます。農産物を作り、加工し、それを流通させるビジネスを一貫して行おうとする動きです。しかし、ここで言う農工連携とは、農業と農産物を加工する食品産業の連携ではありません。農業の効率を高めるために、もっと工業・工学の力を使ってみようと言う提案なのです。

例えば、無農薬農業は食の安全上、究極の農法だと言えるでしょう。しかし、無農薬農業の二大大敵は、たぶん害虫と雑草ではないかと想像しています。自分で農業をやった経験が無いので、あくまで想像です。虫害は、もし田畑で農薬を全く使わなくなればクモや鳥やフナやドジョウが俄然元気になってそれらを捕食してくれるかもしれません。しかし、例えば田んぼの除草に関しては、合鴨にそれを食べて貰うくらいしか、良い案がない様な気がします。そこで、雑草の若芽を抜くロボットを作ってみては、という提案になります。稲の株の間や畝の間を走り回って、イメージセンサーで、農作物の苗と雑草の芽を判別しつつ、雑草だけを引き抜きます。まだ根が張っていない雑草であれば、引き抜くのに大きな力は不要です。小さなロボットアームで引き抜き、別のアームで切り刻めば良いでしょう。動力は太陽光発電パネルと、搭載した二次バッテリーで賄います。ロボットコンテストの舞台を、体育館から畑や田んぼに移し、学生に競わせれば、あっという間に草取りロボットの決定版が生まれるでしょう。

もう一つの農工連携(以下「農工業」と呼びます)の例を挙げるなら、ハウス農業における環境管理に工学を適用するものです。農作物の成長に必須の要素は、たぶん光合成のための太陽光、一定以上の気温(地温)、空気中のCO2濃度、同様に空気中の湿度、加えて必要な栄養素に培地と水でしょうか。実は、土壌は必須要素ではありません。既に水耕栽培栽培という方法があるからです。今流行の植物工場も、間違いなく土は使ってないでしょう。さて、現在のハウス農業に決定的に欠けているのは、ハウス内のCO2濃度の管理と湿度のコントロールでしょうか。これを太陽エネなどを活用して最適値にコントロールできれば、単位面積当たりの収量は何倍にも跳ね上がるでしょう。水耕栽培の溶液管理に、マイクロバブル技術などを加えれば更に万全です。狭い農地やあるいはスーパーマーケットの駐車場や屋根でも、かなりの量の農作物が栽培可能となるでしょう。農地が不要な「農工業」は、この国の農業のあり方を変え食糧自給率も劇的に改善する事でしょう。

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2014年2月 1日 (土)

2294 STAP考

体細胞から簡単な操作で万能細胞を作る方法が開発されたとか。細胞がストレスに晒されると、それに耐えるために自ら変化する事は、生物の進化の歴史をざっと振り返ってみるだけでも、容易に想像できるところでもあります。但し、そのストレスはその細胞なり、生物がギリギリ耐え得る軽度なものでなければならないのもまた当然です。軽度なストレスとは、素人考えですが、気温や気圧やpHや酸素濃度や弱い放射線や紫外線や被雷電流などが思い浮かびます。今回の発見は、細胞に弱酸というストレスを与えることだった様です。

さてSTAP細胞です。これが実用化され、多くの病気の治療に道が拓け、さらには老化した臓器(脳を含みます)の若返りなどに応用された暁の事を想像すると、実はゾッとせざるを得ない事に気が付きます。つまり、STAPが実用化される来たるべき時代には、人々がなかなか死ななくなって、その結果やがて地上には人(当然老齢人口比が高い)が満ち溢れる事になるのでしょう。地球が供給できる食糧には、しかし限界がありますから100億を突破した人口を支えきれなくなって、やがて食糧の奪い合いが始まり、他方では多数の餓死者も出ることでしょう。人々は病気で死ななくなった代償として、十分な栄養も取れずに死んでしまう時代が到来するかも知れません。そんな時代は見たくもありません。

そうならない様に、活動年齢の限界(たぶん70歳台に到来するのでしょうが)を超えたら、さっさと「然るべき病気」にかかって、出来ればあまり苦しまずに、もう少し欲張るなら惜しまれながらこの世にオサラバしたいものです。

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