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2014年3月31日 (月)

2348 持続可能性神

この言葉ほど重要なものは無いと断言しても良さそうです。どんな素晴らしい目的を掲げての行動であっても、この言葉に照らして方向が間違っているとすれば、即ちそれは「悪行」になります。何故なら、それを続ける事によって、ヒトや他の生物が滅びるからです。滅びが急激に起こるか、ジワジワと進むかは、単なる程度問題です。その意味で、このブログでは特に20世紀後半の、そして今世紀にもつながっている数々の「環境悪行」の数々を書き連ねてきたと振り返っています。もちろん、今日でも絶滅に瀕している生物(レッドデータ生物)を、根絶やしにしてしまう行動は国際的にも禁止される風潮にあります。しかし、ジワジワと減少している種、あるいは実際に絶滅している人の目には晒されない種に関しては、全くと言って良い程ノーマークとなっています。

具体的な人間の行動で言えば、例えば原発は全く持続可能では無い故に、文句なしの悪行と言うしかありません。では、それを補うために火力発電所を強化すれば良い、という議論も限りなく悪行に近いでしょう。正しい行動は、震災前の電力供給に占める原発の割合が3割だったとして、4割の省エネを目指すのが、正しい行動だと言えるでしょう。その意味で、人々はただ原発再稼働反対だけを叫ぶのではなく、その代り自分たちは明日からでも4割の電力削減を受け入れると宣言しなければならない筈なのです。

結局、何人といえどもこの言葉には逆らえない訳で、もしこの世に唯一の神様が居るとすれば、それはたぶん「持続可能性神」という事になるのでしょうか。そういう目で、国の政策や、企業や、私たちの暮らし方をチェックする時、山の様な「反省文」が書けそうな気がします。今さえ(自分の議員任期中さえ)票が集められれば、自分の企業が利益さえ出ていれば、今の生活が快適で便利でさえあれば、といったEgocentricな行動こそ、戒められるべきでしょう。

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2014年3月30日 (日)

2347 休題(お葬式)

数日前、叔母(母の姉)の葬儀に参列しました。享年94歳の老衰だったので、お葬式もにぎやかでした。孫やひ孫、自分の様な甥姪まで集まって、総勢だと親族だけで50名をはるかに超えた。つまりは天寿を全うして亡くなったので、葬儀後の食事会(この地方では御伽と呼んでいる)では、酒が入るにつれて集まった人々の叔母の思い出話や、お互いの近況の話で盛り上がり、大きな笑い声も聞こえる明るい集まりとなりました。

その夜、三姉妹の長女であった叔母と下の姉妹の子や孫だけが集まって二次会となりましたが、その中では三姉妹の最後の一人となった一番下の叔母の昔話が一番面白いものでした。母親の連れ合い、つまりは投稿者にとっての母方の祖父の話は、若い頃に亡くなったのでこれまで全く知らないに等しい状態でしたが、その晩はその人となりをタップリ聞く事が出来ました。また子供の頃の貧しかった暮らしの話は、その昔「おしん」はそれこそ何処にでも居た事を改めて教えてくれたような気がしました。また昔の「自由恋愛」は現代以上だった様で、名前だけは聞いた事があった縁者のくっついたり離れたりといった奔放さには結構圧倒さっ放しでした。

そう言えば、かなり以前、父方の叔母の残したささやかな財産分けの話で、見た事も無かった遠い親類の人が携えてきた家系図を眺めた時、にわかには理解できない程複雑であった事を思い出しました。庶民の家系は、この国のシンボル家であるあの家系の様に、先祖累代を真っ直ぐ遡る事などとてもできず、時代背景にも影響されながら、複雑に入り組んだものであると言う事を改めて認識した思いでした。いずれにしても、自分たちの周りには、まだ見た事も無いが、それなりに血のつながりのある「親類縁者」がどっさり居る事が分かったという、田舎ならではのお葬式となりました。

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2014年3月29日 (土)

2346 市場の形式

市場にはいくつかの形式がありそうです。普通に市場(いちば)と言えば、近郷近在の農家や色々な生活用具を作ることを生業とする人たちが、商品をリヤカーや軽トラに載せて町の一定の場所に集い、露点を開くものです。そこでは、需要と供給の関係が明白で、旬のものは安く、季節商品で需要の大きいものは高値で売り買いされます。取引高はささやかなもので、一日に数万円の売り上げがあれば良い方でしょう。たぶん、農家のお年寄りの小遣い稼ぎと交友の場と言う側面もあった事でしょう。

もっと性格がはっきりしている市場もあります。年に何度か開催される各種のフェアです。ここ田舎の秋田で言えば種苗交換会という名の農業祭がありますし、あるいは家畜の品評会もお祭りの一面を持っていそうです。これは、優れた品種や商品価値の高い家畜を眺め、場合によってはその種子や子供を売り買いする訳です。あるいは単に水産物などを広く知らしめようとするフェアも各地で多く開催されます。サンマ、サケ、タラ、カキ、ホタテなどなどです。その様な市を年間を通じて開いているのが、田舎の道の駅の特産品売り場になるでしょうか。

更に市場の形式を挙げるなら、それは日々開場される商品を限った市場です。築地にある海産物市場、あるいは各地の花卉市場や、野菜や果物を扱う青果市場があります。ここでは、素人をシャットアウトし専門の卸業者が闊歩して売り買いするのです。

もう一つ挙げるとすればそれは、数字を売り買いする市場です。その数字は、ある意味ではお金に換算できる筈ですが、その価値はあまりにも激しく乱高下するため「瞬間的価値」と呼ぶしかありません。そこには1デジット(数字なのでこう呼ぶしかありません)でも安く買って、1デジットでも高く売り抜こうと虎視眈々とディスプレー画面を見つめるディーラーが蠢く社会があります。ディーラーとは元々賭博でカードなどを配る人を指したのでしょうから、まさに合法的な賭博市場だと言っても良いでしょう。売り買いするモノが、為替であれ、株であれ穀物の先物であれ、やる事は皆同じです。

この様な社会を眺めて見て、改めてヒトを定義するなら「売り買いが大好きな生き物(Homo-trade?)」とも言えるかもしれません。これは単なる言葉の定義遊びです。

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2014年3月28日 (金)

2345 3K再考

少し古くなった言葉ですが、3K産業とは、言わずもがなですがキツイ、キタナイ、キケンな作業を伴う仕事を指します。しかし、人々がそれらを忌避した結果、この国の産業構造は、2/3がサービス産業という名の、ラクで、キレイで、アンゼンな(仮にここではRKA産業と呼びます)第三次産業の国になってしまったのでした。サービス産業は、その名前の通りモノを作らない産業です。モノを売ったり、買ったり、運んだり、あるいは顧客に便益やアメニティーを提供したりといったビジネス形態になります。

しかし、どの様な道筋で考えても、RKA産業だけで社会システムや経済が回るとは思えません。そこで、短絡的な人たちは、不足している3K産業に、積極的に外国人を就業させようとする仕掛けを提唱しているのです。例えば、技術研修という名の数年間の滞在と就業を可能とする制度です。しかし、それではこの国の人々は、ますます「ナマケモノ」になってしまう様な気がします。ナマケモノ集団の間を、外国人労働者だけが額に汗して働くような国の姿を絶対に見たくはありません。

夏の額に汗して働く3K作業無しに、安寧な冬の生活が成り立たない事は、「アリとキリギリス」の物語絵本を改めて開かなくても、幼児でも理解できる話でしょう。春の薪採取、夏場の乾燥、秋の薪割作業無しに、冬の暖かい部屋は実現できないのです。それを、スイッチ一つで灯りや冷暖房を自由に使いこなせる、電気や石油という「楽なエネルギー源」を見つけてしまった人類の悲劇とでも言うのでしょうか。加えて、この国のメーカーが20世紀後半を通じて、汗水を垂らして便利である事へのあくなき追求したことが、結果的にはナマケモノ集団を作ってしまったのは、時代の皮肉としか言えません。

K作業は、実は必要不可欠で、しかも結構楽しいことは、例えば薪割イベントなどが人気である事からも明らかです。つまり必要なのは、3K作業を楽しく行う環境やココロの持ち方を若い人たちにも知って貰うことなのかも知れません。山の木を、重機の助けも借りながら伐って降し、材木や薪やチップににしながら多面的に活用する産業は、かなり楽しそうでもあります。少なくとも、楽しめる要素は多そうです。同様に、(無駄ではない)本当に必要とされるビルやインフラを作り上げる建設業も、モノを作り上げるというヒトの本能を快く刺激する産業もあるでしょう。何故若者が、都会にあるビルの、日光も差さないオフィスでパソコンに向かう仕事を好むのか、全く理解ができません。

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2014年3月27日 (木)

2344 プラスα

グローバリゼーションの大波の中で、特に輸出型や流通型企業の多くは、「国際競争」の戦いに明け暮れています。しかし、設備型や労働集約産業を中心に、強烈な投資を続け、一方で和衰老努力を抱えているアジアの国々を相手に多くのバトルフィールドで敗退してきました。日本製品は確かに高機能・多機能で、デミングさんの教えのお蔭もあって、品質的にも安定している事が評価されて、今日でも海外では(お金のある層には)根強い人気を維持しています。

しかし、それだけでモノが売れる時代でもないことも確かです。シロモノ家電の生産の中心は、すでにC国や、そこから更に海外転注されたアジアの国々に写っていますし、かといって高級路線で売り上げが伸びると言う状況でもありません。その意味で、安い家電や工業製品は今後とも、消費に渇いているアジアやアフリカで売れ続けるのでしょうが、先進国では既にモノが満ち足りていると見るべきなのでしょう。その証拠に、かつて国内にあれほどあった大手の家電メーカーや弱電メーカーあるいはOAメーカーなどの企業活動の落込み方は尋常ではありません。その意味では、時代は変わったと言うしかありません。

さてそれでは、今後の日本メーカーは一体何を作っていくべきなのでしょう。このブログでも、それは折に触れて言及してきたつもりですが、改めて書いてみれば、それは我々が今後とも絶対に必要とする「衣食住の基本部分」のニーズへの対応だと言えます。それに加えるならば、必要最小限の暖を取るため、あるいは物流を支えるためのエネルギー源だと言えるでしょう。その中で、この国が得意とする小型化や省エネ性能は、引き続き武器にはなるのでしょうが、それに加える「何か」も必要だと感じています。その何かが見つかれば、苦労は無いわけで、投稿者の様に商売っ気が無い元技術屋でも、きっとビジネスを興せるでしょう。引き続き、その何か(プラスα)を考えていきます。

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2014年3月26日 (水)

2343 文明の黄昏時

中南米に栄えたインカ帝国やエジプトなどの四大文明は衰退してしまったかも知れませんが、そこに発した知恵は、我々に引き継がれていると言う意味では、今の文明は数千年は継続していると見るのが妥当なのでしょう。しかし、石や木や自然物に依拠した、これらの古代文明の全くの延長線上に今の文明を位置付ける事には無理もありそうです。

現文明の真骨頂は、18-19世紀に体系された物理・化学、あるいはそれらと同時並行で実用化された資源やエネルギーにベースに持つ、つまりは科学・技術に依拠したものであると言う点にある様に思えます。レオナルド・ダビンチによるメカ、ニュートンらによる力学・物理学の体系化、その後の分子・原子の発見、量子力学の体系化からアインスタインなどによる原子力利用に至る系譜。さらには、内燃機関からジェットエンジンに至るまでの石油エネルギーの力学的利用による交通網の爆発的な進歩に至る系譜、それらを支えた各種金属加工や化学工業の系譜などなど。それらを総合して、今の文明は現在の隆盛を得た筈なのです。

暗い中世までの文明から、眩いばかりに光り輝く現代文明に移行したと考えるのでなく、科学・技術やそれを支える金属資源やエネルギー資源によって新たな文明が興隆したと考えるべきなのかも知れません。しかし、歴史が教える様に、文明には盛衰のサイクルがあるのも間違いありません。古代文明は、それを支えるための食糧の生産が十分ではなかった事によって滅びたと想像されます。しかし、農業が持続できなかった本当の原因は、その文明が栄えていた地域で、木の乱伐や焼き畑農業の拡大により、気候が砂漠化に移行し、十分な水資源が確保できなくなった事が引き金となったのでしょう。水が無くなった大地に人は住めませんので、やむなく栄えた土地を放棄するしかなかったのでしょう。

ではこの文明で「水」に当たるものは何でしょう。科学・技術文明を真に下から支えているものは、間違いなく(石油)エネルギーである事に気が付きます。車や飛行機をいくら大量に生産しても、それを動かすエネルギー、取り分け石油が無ければ、それらはただの鉄やアルミの箱に過ぎません。バッテリーで実用的に飛行機が飛ばせない事は明らかなので、今の文明は、動き(運び)続ける人類(Homo-movens?)による「石油文明」と呼ぶのが適当でしょう。2000年を少し超えた頃、石油生産量はピークを打ったと言われています。今後、石油減産が目に見える形で現れた時、この文明も黄昏時になるのでしょう。

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2014年3月25日 (火)

2342 地域強靭化

3.11後の復興策の主要な柱として、国土強靭化という名の「新列島改造計画」が強力に進められています。前の列島改造は、当時この国のリーダーであった土建屋さんによって強力に進められた道路網や新幹線網の拡充が主だった様な気がしますが、今回の列島改造は、何やら海岸に「現代の万里の長城」を築くのがその中身だとか。

しかし、ここではそのアンチテーゼとして「地域強靭化」を提唱しておきます。ここで言う地域強靭化とは、地域の独立性を強化して、交通インフラや電力網、石油(ガス)供給網からの自立を進めると言う意味合いで定義しておきます。先の大震災や津波被害では、道路網が寸断され、電力網やガス管もズタズタに切られ、さらには海岸部に置かれていた小規模な石油備蓄タンクも流されてしまいました。これは、集中的なインフラが、実は災害には非常に弱った事を図らずも証明してしまったとも言えます。集中インフラには、実はバイパスの確保など、リスク回避策を織り込んでおく必要があるのですが、残念ながら経済性の観点からは、それは許されてはおりません。何故なら、初期投資がざっと倍になるので、経済的にペイしないからです。

ならば、地域の分散的なミニインフラ、究極的には戸別の工夫で、イザという時のバックアップを考えてみなければならないでしょう。電力は例えばバッテリーに蓄えて、灯りやラジオやテレビ程度の電源を1週間程度確保する準備が必要でしょう。ガスや灯油に頼っている暖房や給湯は、短期間であれば薪ストーブが使える程度には、準備をしておく必要もあるでしょう。ペレットストーブも優れた暖房器具ではありますが、残念ながら停電時でも使える銘柄は殆どありません。食糧は、田舎では余り心配はありませんが、コンビニ・スーパー頼りの都会では、たった1週間といえども耐えきれないのは間違いありません。今はあるかどうか分かりませんが、秋田の山間の温泉場は、農家の働き手が冬季の数か月間、食糧を背負って湯治に出かける場所でした。湯治客はコメと味噌などを背負って出かけ、宿には各種の漬物や保存食が備蓄されていました。冬季には数メートルの積雪がありますので、除雪機が十分ではなかった頃は3-4ヶ月は、そこから脱出する事は出来なかったのです。しかし、温泉熱があり食糧があり、小さな発電機があれば、冬の間は結構快適に過ごせたのです。

東北には、たっぷりの食糧と唸るほどの森林と、豊富な雪解け水や多くの山際の場所では温泉熱も期待できます。海岸部では冬季はシベリア降しという風の恵みもあり、工夫を重ねれれば昔の様な、強靭な地域も回復できる筈なのです。東北を、例えばヨーロッパの小国であるオーストリアなどと対比させれば、人口、面積、森林面積などに通ったサイズである事に気が付きますが、ならば彼の国のレベルまでは再生可能型エネルギーも増やせるはずなのです。その様な取組みこそが、地域強靭化の方向を示していると見ています。国土強靭化策もやはり「Kusokurae!」政策です。

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2014年3月24日 (月)

2341 消費者の利益

利益がホドホド生まれなければ、生産者の事業は続きません。もちろん、自家消費のための食糧や燃料(薪炭など)は、自分自身が生きていくために生産するケースも多い筈です。しかし、この国は高度成長期を経て、社会が生産者と消費者に分離してしまいました。この社会において、自社で作ったものを従業員自身が消費するケースは非常にまれになっています。たとえ、それが食品産業であってもです。冷凍食品工場の従業員が、パッケージの破れなどで売れない商品を貰ってくる事はあるかも知れませんが、お菓子工場の不良品で従業員が食事を代替する事は出来ないでしょう。もちろん、車メーカーの従業員と言えども、例えば15%程度の割引制度はあるのでしょうが、自社の車といえども一消費者としてお金を払って買うしかありません。

生産者は、仕入れた部品や原料や副資材のコストに、エネルギーコストや人件費を加え、設備投資の償却費などを加えて、それに適正な利益を乗っけて売値を決める訳です。そうやって、企業の看板を維持しながら、基本的には何十年間か企業体を維持しているのです。しっかりした企業は、もちろん数百年間も老舗看板を掲げ続けています。

さて消費者の利益です。消費者は、食べ物や製品をお金を出して買って、その結果便益(食べ物の場合は、味覚の満足や栄養の獲得)得ます。その便益が、支出したお金に比べて大きければ大きい程、つまりはコストパフォーマンスが高い程、リピート購入するでしょう。その意味で、消費者の利益とは、他の製品より一段高い満足度を得る事にあると言えそうです。しかし、その様に消費者の利益を正確に捉えて製品を作ったり、あるいはそれを売ったりしている流通業は少ない様に見えます。つまりは、彼らの競争は同じような製品を、一円でも安く届ける事だけに集中している様に見えるのです。「真の顧客満足」とは何か、を追求すれば、製品の中身はもっと変わってきても然るべきだと思うのです。強い顧客満足は、一種の快感の様に顧客を魅了し、その製品の積極的なリピータになる事は間違いないところです。具体例に関しては、たぶん続きます。

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2014年3月23日 (日)

2340 絶対安全は幻想

2339で言いたかった事は、全ての製品や機器は、安全性と経済性のバランス(というか妥協の産物)の上で作られていると言う事実なのです。メーカーで長年モノづくりに関わってきた元技術屋として、それは断言できます。例えば、もし絶対安全な旅客機を作ろうと思い立った技術者は、それが「絶対に無理」である事に気が付くでしょう。何しろ、搭載する機器には全て2重3重のバックアップシステムを搭載する必要がありますし、構造に関しても何倍もの安全率を見込まなければならないのですから。多分、そのような機体は重くて飛び上がれないか、あるいは機内が安全装置だらけで、客を乗せるスペースが無いか、いずれにしてもこの飛行機が原因で、客が命を失う事は無い訳ですから、絶対安全な航空機である事は間違いないでしょう。

もちろんこれは冗談話なのですが、真実も含んでいます。、ハンドルに手を触れずとも目的地まで連れてってくれる実験的な車が作られていますが、そんな危ないものが走り回る道路には、手動の車では入れないでしょう。何しろ自動運転の車は、手動で走る運転者の行動まで予測しなければ、(衝突しない)最適のコースを選べない訳で、その様な事は土台無理な話なのです。絶対安全な自動運転車を作ろうと思えば、それは、鉄道の様に決められた軌道の上を動かすタイプにならざるを得ないのです。そうでなければ、2次元上とはいえ無限の進路を取り得る車のコースが、他の車のコースと同時刻に交わること(つまりは衝突です)は原理上防げないからです。

航空機にしても車にしても、絶対安全なものは事実上飛ばない飛行機、動かない車しか存在し得ない事はお分かりいただけるでしょうが、では原発はどう考えたら良いのでしょう。私たちは、電源が完全に失われ、冷却水が途切れた場合、炉心がメルトダウンしてしまう恐ろしさはFクシマで嫌と言う程見せつけられましたが、では非常用発電機を高い所に移し、津波が入ってこない様に擁壁を設けて、あるいは非常時のフィルターベントなどを追加するだけで、原発の「絶対安全」は担保されるのでしょうか。間違いなくそれはNOと言うしかないでしょう。どんな過酷な事故にも耐える様な格納容器は、事実上「経済的には」作れないからです。フィルターベントに至っては、炉内圧力異常上昇時の消極的な対策に過ぎません。つまり、絶対安全な原発とは、飛び上がれない飛行機と同じように、安全装置や防護壁が巨大になり過ぎて、事実上は作れない、運用できない発電所になってしまうのです。結局、絶対安全な原発とは、炉心や燃料プールから核燃料を全て抜き取った状態(つまりは廃炉です)しかあり得ないのです。でも抜とった使用済み燃料や未使用の燃料棒は一体何処に持っていくのしょうか。多分燃料プールに入れたまま、子々孫々にわたって何千年もお守りし続けなければならないのでしょう。残念ながら、そのあたりの想像力が、この国のリーダーには全く欠如しています。もちろん、またぞろ言い出した核燃サイクルなどは「Kusokurae!」です。

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2014年3月22日 (土)

2339 原子力船「むつ」物語

原発の危険性を更に考えるに当たって、1960年代末に着工された、この国で唯一の原子力船開発の失敗の歴史を振り返ってみるのは無駄ではないでしょう。その船は、商船(貨物船)として開発が始まりました。もちろん、当時の米ソの様に、潜水艦や空母や砕氷船などの「実用的」な船に原子炉を載せる事は叶わない話だったのですが、可能性として深海探査船への原子炉搭載が検討されていた事は事実です。

さて、苦労を重ね1970年代の半ばになって、やっと船は完成はしたのですが、なんと試験運転のための処女航海でこの船は放射能漏れ事故を起こしてしまったのです。商船や軍艦などの「乗り物」では、原動機としての原子炉やタービンに割り当てる事が出来るスペースは限られてしまいます。前者は十分な量の貨物を載せなければ利益が出せませんし、後者は武器や数多い乗組員を積むため、原動機用に使えるスペースはタイトだからです。従って、原子炉を設計するに当たっては、安全性とコンパクト化の、キケンなジレンマを解決しなければならなかったのです。原子炉の圧力容器や格納容器は、もちろん分厚い程安全ではありますが、かといって分厚い鉄板やコンクリートの塊で遮蔽しようとすると、目方重く、かつスペースも大きななるため、ギリギリまで削らざるを得ませんでした。

何と、国産初の原子力船は、最初から遮蔽壁を薄くし過ぎていた様なのです。確かに殆どの放射線は遮蔽できましたが、中性子線は微量とはいえ最初から警報が鳴るレベルで漏れてしまったのでした。結局この船は、放射能漏れ事故が忌避され母港にも帰れず、かといって臨時の寄港地が決まらないまま海上を彷徨うしかなく、渋々承認したA森県の専用港に係留されたのは、数か月後でした。

この失敗の歴史に学ぶ事は多いのですが、取り分けどの様な遮蔽を施したとしても、核反応から出る放射線を100%遮蔽できる技術は確立されていないと言う点は、何度強調してもし足りません。健全な原子炉建屋においては、健康に害が無いとされるレベルまで、放射線の漏れ量は低くはなっていますが、それでも決してゼロには出来ない相談なのです。その証拠には、原発内で働く全ての人々は、累積放射線量を記録できるバッジを胸に着けているではありませんか。私たちは、放射能を消す技術でも開発しない限りは、不完全な遮蔽技術だけをタテに、原発にしがみつく事は放棄しなければならないのでしょう。それは、絶対に経済性云々の問題ではないのです。

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2014年3月21日 (金)

2338 黄昏時の暮らし方

夕暮れになって外で遊んでいた子供たちが、三々五々家に戻っていく様に、私たちは今の文明の黄昏時に佇んでいるのではないか、と思う事が時々あります。今の文明の特徴は、科学技術と化石エネルギーをテコに、これまでは一貫して右肩上がりの膨張・拡大を続けてきたと言えそうです。科学技術の特徴としては、一つのブレークスルーに触発されて、新たな科学・技術が積み上がってくる事が挙げられます。ボルタさんが電池を発明すれば、エジソンさんが電球や発電機を発明すると言った、発見・改良のスパイラルアップの連鎖です。使えば消耗する電池は、何度でも充電できるバッテリーに進化し、その充電密度も年々向し、電気自動車もかなり実用的なレベルまでブラッシュアップされてきたと言えるでしょう。キューリー夫妻が身を犠牲にして放射線を発見すれば、有名なユダヤ人がその理論を確立し、戦争がそれを爆弾に仕立て上げました。最初、何か月も潜航したままで行動できる潜水艦の動力用として開発原子炉が、やがては仕立て直されて原子力発電所に化けたのでした。

一方、確かに20世紀はフロンティアの時代で、地球でも未開の地があり、月へ人類を送ったアポロプロジェクトもあり、惑星探査なども夢煽っては来ましたが、しかし、考えてみなければならないのは、誰も行った事が無い土地や惑星を探査してみたところで、そこは荒涼たる土地が広がっているだけの場所でしかなかったのです。この時代、月や火星に本当に人が住めるなどと主張している人は正気が無いと切って捨てるしかないでしょう。仮に、シェルターを建設出来たとして、食糧が自給できるとも思えませんし、何か月かあるいは何年か掛かる地球からの補給機や救援機も予算が切れれば一貫の終わりです。

そうではなくて、黄昏時にはそれなりの暮らし方があると思うのです。外で遊び回るは適当に打ち切り、家の周りで静かに、しかし心豊かに過ごすライフスタイルを確立しなければなりません。しかし、私たちにはモデルがあります。先人たちが科学・技術も、化石エネルギーも殆ど無かった時代、世界の各地で、あるいはこの国でも文化の華を開かせた事を思い返せば、いくらでも暮らし方のヒントは見つかるはずなのです。数日前、カリブ海にある小国のドラム缶の底でこしらえた国民楽器(スティールパン)の放送があってたまたま視聴しましたが、貧しくても彼らは楽器演奏に参加しているだけで120%くらい満足そうな表情を浮かべていました。仮に幸福の尺度があるとしても、それはモノやカネではなく、ましてや科学・技術や消費エネルギーの多寡でない事は間違いないでしょう。

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2014年3月20日 (木)

2337 小型化

この国のメーカーの得意技でもある多機能化と小型化について少し考えてみます。小型化も多機能化も、資源の消費とりわけエネルギーの消費という視点で考えれば、理想の方向だと言えるでしょう。第一に使われる部品の目方が軽い訳ですから、使う材料の量、それを作る資源消費が少ないのは当然ですが、軽自動車やバイクを普通車と比べるまでもなく、普通車より軽自動車が、軽自動車よりバイクの方が運用上省エネ性能が高いのも理の当然です。何しろ、エンジンが馬力を出して移動させる車体が軽い訳ですから、より非力なエンジンでも動かせますし、加速時に必要な燃料も少なくて済むでしょう。

ならば、小型化・軽量化の道を究めてみるのもこの国のメーカーとしては、挑戦し甲斐のあるテーマだとは思います。エンジン付きの乗り物として、世界に冠たる環境性能を誇るのは、実はHンダのスーパーCブなのです。このバイクはカタログ上、定速走行においては、リッター当たり100㎞を超える燃費を叩きだしています。それは兎にも角にも車体が小型・軽量であることに加え大径で細いタイヤ、それを牽引する燃焼効率の高い低速回転型の4サイクルエンジンの組み合わせが為せるワザだと言えるでしょう。このバイクの生産台数が累計で1千万台を超えたのは、かなり以前の話です。

一方乗用車ではどうでしょう。細々ではありますが、原付バイクを改造した一人乗りの車(あるいは四輪の原付バイク)は作られては居りますが、車体重量と原動機のマッチングが取れていないために燃費は必ずしも良くはありません。しかも、車幅が大きいため、低速で走ると車の流れを妨げ事になってしまいます。これは、車体とエンジンの最適化が十分には行われていない結果だと言えるでしょう。もし、バイクメーカーか軽自動車を得意とするメーカーが、本気を出して超軽量車を開すれば、リッター当たりの燃費で50㎞を超えるのは簡単な話でしょう。それを作らないのは、多分その様な車は、単価が安過ぎて魅力が感じられないからでしょう。

同様な小型化は、家電やOA機器、あるいは最終的には住宅に至るまで、例えば70%程度までコンパクト化を図れば、資源消費量や輸送エネルギーや使用時に消費するエネルギーまで、ほぼ3割程度は削減できるでしょう。これは、使用者が特に意識をしなくても達成可能な、省資源、省エネの有効な手段になり得るアプローチだと言えるでしょう。

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2014年3月19日 (水)

2336 水資源

水は、今のところ余り「資源」だとは認識されていない様に見えます。しかし、石油より地下資源より、圧倒的に資源枯渇の危機に瀕しているのは、実は水資源(淡水資源)なのです。既に、目に見える形で危機に直面している地域は、数多く存在します。かつては四国程の面積がありながら殆ど干上がってしまった中央アジアのアラル海、あるいは地下水(化石水)を汲み上げすぎて、農業存続の危機が叫ばれているアメリカ平原地帯、さらには渇水期には川の水が途切れる断流を引き起こしている黄河などは、ホンの一例に過ぎません。

そもそも、地球上には約14億立方キロの水が存在すると言われていますが、その97.5%は海水で、そのままでは飲料水や農業には使えません。残りの2.5%もその殆どが陸氷の形で存在するため、結局最終的に人間が使える淡水は、川を流れ下る河川水、湖沼に溜まっている水や地下水など全体の0.8%占める淡水の、そのまたごく一部という事になります。とりわけ、農業灌漑に多量に消費される地下水の内、化石水と呼ばれる水は、太古の湖などが干上がってその地下に残った水なので、もはや補充される事がなく、年々水位が低下する一方なのです。また、熱帯林などの無計画な森林伐採に伴い、森林地域の保水力が弱まり、せっかくの降雨も、短時間の内に海洋に流下または蒸散してしまうのです。

私たちは、地上に振った雨を、出来る限り長い時間貯留し、それを有効に利用する工夫を重ねる必要があるのです。植林をして森林面積を増やすことは、最も効果的な水貯留の手段の一つです。しかし、そのためには気の遠くなる様な時間と人手が要るのも事実です。かと言って、ダムの建設の様な人口の貯留施設も、土砂流入を考えれば恒久的な手段とは呼べません。局所的な(例えば植物の根)に灌漑するための含水ポリマーなども効果的ですが、限界もあります。結局、私たちは非常に近い将来、多量のエネルギーを使い、大気中あるいは海水から真水を得るしか方法が無くなるかも知れません。ここでは、製造や民生とのエネルギーの奪い合いが生じますが、優先順位は先ずは生きていくためには当然の事ながら農業とならざるを得ないでしょう。考えられる最良の方法は、太陽熱だけを使って淡水を得る、新たな工夫を取り入れた「太陽熱海水淡水化装置」しか見当たらなさそうなのです。もちろんこの様な装置の効率は低くならざるを得ないので、数や面積で稼ぐしか方法がありません。

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2014年3月18日 (火)

2335 PM2.5の底力

ヨーロッパの有名な観光都市では、いま都市を覆うPM10が問題になっている様です。これは比較的大きな浮遊粒子で、5ミクロン以上の大きさなので、基本的には気道の繊毛に捉えられ、肺の奥深くまでには到達しないと言われてはいますが、いずれにしても気管支などの呼吸器系に炎症を引き起こす事もあり得ます。

一方、主にお隣の大国からの飛来に加え、国内でも工場やで車などからそれなりに排出されるPM2.5は、かなり恐ろしい汚染源ではあります。その理由は、その小ささ故に肺の奥深くに届き、しかもそこには繊毛が存在しないため、殆ど排出される事無く留まるからです。PM2.5は確かに粒子ではありますがその中身は多様で、物質自体が有害である場合も多いのです。石綿繊維も肺に留まり中皮腫などのガンを引き起こすので恐れられますが、PM2.5の引き起こす疾病は、まだ十分には解明されていない点、さらに不気味でもあります。これが注目され始めたのは、ディーゼル車の黒煙に含まれるPM(粒子状物質)に、ベンゾピレン(ちなみにこれはタバコの煙にも含まれます)などの多種類の発ガン性物質が含まれるとの認識が急速に広まったからでした。この国においてさえ、ディーゼル車へのフィルター装着が義務化されたとはいえ、PM2.5問題が完全に解決された訳ではない点、注意が必要でしょう。

それに加えての越境汚染です。PM2.5PM10や黄砂などとは異なり、粒子が細かい故に大気中に長く留まり、結果として広い地域に拡散します。偏西風は、季節によって流れる緯度は異なるものの、蛇行を繰り返しながら年中西から東に流れていますので、南北に長い日本列島といえども、PM2.5の被害から逃れられる地域は無いと考えるべきでしょう。それどころか、全国規模で激増してしまったいわゆる花粉症の引き金物質となっている可能性さえ考えなければならないでしょう。その因果関係が証明されている訳ではありませんが、C国がエネルギーの多量消費を始めた時期と、花粉症の激増時期が重なってもいるからです。彼の国の内陸部のエネルギー源は専ら石炭ですので、その燃焼で排出される有害物質の程度は石油の比ではありません。実質的にPM2.5を捉えるマスクを着けて日常生活を送る事は出来ませんので、体力的な弱者を中心に、その時間を掛けた攻撃から術の無いことが、この物質の最も恐ろしい点だと言えるでしょう。

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2014年3月12日 (水)

2334 木材消費大国

この国は世界一の南洋材消費国でもあります。南の国では熱帯樹林を皆伐し、その跡地を農園にして換金作物を植えようとしがちです。しかし、熱帯地方では有機物が短期間で分解される事もあって、海抜後の土壌の栄養分は貧弱で、そのままでは収穫が極端に少なくなるのです。熱帯地方で最も手間の掛からない農業は、実は焼畑農業しかないのです。従って、Iンドネシアなどでは、至る所で森林に火を放ち、焼畑農地を広げつつるのあるのです。そこから出る煙は、国境を越え今や国際的な環境問題としてクローズアップされてもいます。

しかし、焼畑で収穫量が持続するのは、木が燃えた後に残る灰(カリウム)などの養分が残留している数年間だけで、後は週買収穫できなため放置された荒れ野だけが残されます。しかも、いわゆる農業に適する土壌と呼べるのは土地表面のごく薄い部分だけで、その下は粘土か、養分の少ない赤茶けた無機質の土の層が広がっているだけになります。そこにはごく限られた種類の雑草しか生育できないのです。しかも、降雨によってその薄い土壌も洗い流されますので、最終的には殆ど草すらも生えない硬くて、不毛の荒地になってしまいます。その様な光景は、アジアばかりではなく、ブラジルでも目撃しました。

これはしかし、彼らだけの責任ではありません。最初に書いた様に、この国は一時は1億トンを超える量の外材、主には南洋材と北米材ですが、を購入し「消費」しているからです。時間を掛けて育てられた国産材は緻密で、解体しても「古材」としての価値は残りますが、合板に使われる南洋材などはスカスカで弱いため、解体された材料は捨てるしかありません、米松などの安価な材料は、木製パレットや梱包材程度の用途に向けられ、最終的に焼却炉に投げ込まれる運命にあります。つまり私たちは大量の木材を日々消費し続けている「罪深い」国民であると言うしかないのです。とりわけ、森林の消滅が環境問題だという意識すら低い彼の国々では、もはや後戻りのできないPoint of noreturnまで来ている事すら意識にのぼっていないいないのでしょう。

私たちには、可能な限り国産材を活用する義務があると思うのです。森林作業が過酷なら、kyy斜面でも使える重機を開発すれば良いでしょう。間伐材を有効活用する技術(例えば安価な圧縮木材の実用化)を開発すれば、木材の価値は何倍にもなるでしょう。山から木を降ろす産業が、昔の様に増えれば、材にならない部分は燃料(木質バイオマス)として、ストーブやボイラの燃料として有効活用も出来るでしょう。つまり、外材の輸入量を減らす事によって、彼の国の環境破壊にブレーキが掛かり、国内に雇用と新たなエネルギー源が生まれる、一石三鳥が実現できる事になるでしょう。今日からは岐阜に行きますので、数日間は投稿できません。再開は多分18日頃です。読者も余り多くないブログなので、断るまでもないのですが・・・。

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2014年3月11日 (火)

2333 世代間伝承

3.11で湧き上がるのは、人の運命は分からないものだという感慨です。そして、運命とは別に座していても自動的にあの世への一里塚が残り少なくなると、次世代への伝承という事が気になってきました。このブログで書いている事の多く(殆ど)は、実は我々戦後の高度成長期、あるいはもう少し広く昭和時代の「失敗談」だと言うしかないでしょう。もちろんいくつかの、20世紀の知恵や工夫や次世代へのも書いては来ましたが、しかし投稿者の稚拙な筆力(キーボード力)では、想いの何%も伝わっていない様ないような気もしています。ここまで二千日以上も、ほぼ毎日書き続けてもです。それだけ文字で伝える事が出来るものは少ないのです。

世代間の伝承で最も効果的な方法はと言えば、これまで何千年、というより人類が誕生して以来というべきですが、親子や子弟関係の中での伝承でしょうか。しかし、現代社会の仕組みの中では、ファミリービジネスはメッキリ少なくなり、若者は楽な(実は決して楽でなんかはありませんが)勤め人を指向し、結局は親元を離れる結果、親子の伝承は非常に難しくなっています。伝えるべき親としても、サラリーマンとしてキャリアを積んできた場合、非常に狭い範囲の事しか伝える事が出来ないでしょう。企業でも同様です。子弟制度が残っているのは、多分かなりの技量が必要な業種、左官業や大工や伝統工芸や料理人などに限られるでしょう。普通の製造業では、ますます自動化が進み、もはや工員も技能者ではなく機械のオペレータになってしまっている感があります。

投稿者も、40代後半からそれを意識し始めましたが、残念ながら自分の息子への伝承は完全に遅すぎ、加えて早期退職してしまった事もあり、その当時の部下に対しても不十分なままに終わってしまった事は今でも心残りです。退職後、3年半在籍した中小企業では、100%その事を意識して、幸いにもたった一人だけ付けて貰った部下への伝承は出来る限り行ったつもりです。彼は優秀だった事もあり、しっかり受け取ってくれたと感じました。弟子第1号です。さて残りの人生を10年とすれば、弟子第2号は育てられるのでしょうか。かなり焦りを感じてきた今日この頃ではあります。

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2014年3月10日 (月)

2332 フクシマの汚染水用タンカー

この件については、キーボードを打つ指が痛くなるほど書かなければなりません。今日、デスクワークをしながらラジオで国会の予算委のやり取りを聞いていて、ついにブチ切れました。今日は原子力政策も集中審議の対象となっていましたので、少し聞き入りました。例によって野党からは、「コントロールされている」筈の汚染水処理のトラブルや漏水事故にも追求がありましたが、T電代表の答弁は、目先の問題、つまりはタンク個々のバルブの操作ミスや作業員の教育の徹底などの「対症療法」に終始したからです。

そうではなくて問題の核心は、汚染水タンクが1,000個以上も存在し、それを繋ぐ何千本かのパイプラインには、多分何万個かの継手が存在する事にある点なのです。今後塩分も含んだ汚染水や処理水が、新たに日々数百トン発生すると言うのに、今のままで進むと仮定すれば、未来永劫漏水事故は撲滅できない事は保証できます。何故なら、急ごしらえのタンクやパイプは鉄で出来ているので、必ず腐食が進みます、水を止めているゴムのパッキンも劣化してくることでしょう。つまりは、間もなく漏れとその修理のイタチゴッコが、ますます酷くなるのは間違いないのです。それを限られた人数で毎日点検し続けたとしても、作業者が気が付いた時には「すでに漏れている」訳です。

2317にも書いた様に、より現実的な汚染水対策は、二重底を持つ数十万トンクラスの汚染水タンカーの建造しかないのです。タンカーであれば、現地での不細工なタンクではなく、しっかり自動溶接された巨大なタンク(タンカー)が出来ます。漏れ事故を絶対起こさないためには、タンクは二重である必要もあるでしょうし、少ない本数ながらタンカーと繋ぐパイプラインも勿論二重管にします。内側のパイプの継ぎ目から漏れても、外側の管が受け止めるので外部に漏れる事はありません。原発反対を叫ぶ前に、先ず目の前の大問題である汚染水漏れ事故に対するこの「タンカー案」を実現するために、FB上での急拡散を再度お願いしたいのです。いいね!ではなく是非シェアをお願いいたします。

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2331 利便とリスク

東南アジアで起こった航空機事故の報で感じた事をまとめてみました。日々旅、客機と名前が付くものだけでも多分大小7-8千機が世界中の空を飛びまわっている今日、悲惨な墜落事故のニュースが時々マスコミに登場するのは、ある意味仕方がないと言うしかありません。それは「確率」の問題だからです。航空機を設定する際には、特にメカ部分、例えば動翼、降脚装置、エンジンのスラストリバーサなどに対しては、あらゆる故障状況を想定する事が求められます。何故ならそれが航空機構造のルールだからです。従って、種々のアクチュエータやメカが壊れた、あるいは動きが悪くなった事態を想定し、それでも飛行が続けられ、あるいは着陸できる様に、バックアップを考える訳です。例えば、海を渡る旅客機は、エンジンが1基失火しても、残ったエンジンで3時間(最寄りの飛行場まで)飛び続ける事が出来る事がルールとなっています。

しかし、これらのバックアックには限界があります。想定された別々の故障が同時に起こる可能性があるからです。例えば、不運にも火山の上空で火山灰の中を飛んでしまった旅客機はたぶん全てのエンジンが停止して墜落は避けられないでしょう。もし「絶対安全」となる様にあらゆるトラブルのバックアップを備えたとしたら、その飛行機は重すぎて飛び上がれないでしょう。加えて「ヒューマンエラー」があります。パイロットは国際線の場合、2名が乗務するルールですが、それで万全と言う訳ではないでしょう。コパイロットは経験の浅い人が務めるのが普通ですし、正パイロットだってラッキーな(実は乗客にはアンラッキー)な人は、経験の中で大きなトラブルに遭遇していないかも知れないので、イザ自分の機にトラブルが生じた場合、冷静さを失う可能性もあります。

現在の2点間の移動を考えれば最速のジェット機ですが、それなりにかなり大きなリスクを背負いながら運行しているという事になります。手元に統計データはありませんが、乗客一人当たりのリスクを考えてみれば、航空機は最も危険な乗り物の一つと言っても間違いはないでしょう。K車は確かに危険な乗り物ですが、これは何しろ数億台が走り回っていますし、整備不良や習熟していない運転手(車のパイロット=乗客の一人)の体調やヒューマンエラー考えれば同列には考えられないでしょう。陸上輸送の代表である鉄道、取り分け新幹線のほぼ完ぺきな安全性を考えれば、飛行機の危険性は明らかでしょう。何しろ陸上の乗り物は、決定的な故障が起こっても止まるだけだからです。一方空飛ぶ乗り物は、飛行が続行できなければ落ちてしまうしかないのです。空の密室でもある航空機にはテロやハイジャックだって起こり得ます。利便の極みとして、ブラジルの川の名前を冠したネット通販の大手が、即時配達を狙って、小型無人ヘリによる配送を計画しているとのニュースも流れましたが、これは「冗談」だと断じるしかありません。墜落による物損事故や回転翼による人身事故を考えれば、キチガイ沙汰というしかないからです。もし、あらゆる安全装置を組み込んだとすれば、上で説明した様の飛び上がれない無人ヘリが出来てしまうでしょう。個々での結論としては、利便性とリスク(安全性の逆数)は比例すると言うものです。

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2014年3月 9日 (日)

2330 田舎暮らし

一昨年、生れ育った故郷にUターンしました。実のところそれまでは、岐阜に買った家があり、そこが終の棲家かな、とも思っていたのです。しかし、ある行政主催の新産業としての航空機産業に関する研修会の講師として、数回秋田に来て、今の地元産業界の様子を覗きみて、その地盤沈下を見聞きするにつけ、ため息を禁じ得ませんでした。何しろ企業数の減少や人口の減り方が尋常ではありません。平成の大合併で、一時は10万人を超えたと聞いていた町の人口も、今や8.5万人にまで減少していたのです。つまりは亡くなる人の多さに比べ、生まれてくる赤ん坊の数が圧倒的に少ないのです。老舗の結婚式場が、葬儀場に模様替えをした、などと言う悪いニュースも時折マスコミのネタになったりしました。結婚式場では式場もホテルも潰れてしまうからです。

しかし、そのまま見過ごす訳にはいきませんでした。放置すれば少子高齢化は加速し、限界集落ならぬ限界市?になるかも知れないからです。しかし、実際に戻ってきて感ずる事は、何も無い町かも知れないが、実はあらゆるものがあると言う点です。何もないと言うのは、柱になる産業や十分な雇用の場が無いという意味で。あらゆるものがあるという意味は、かつては現在よりかなり多くの人口を支えていた、田畑や森林や漁港など、つまりは食糧やエネルギーのほぼ100%生み出す1次産業や、昔は薪・炭だけで風呂や冬の暖房の100%賄っていた、再生可能型エネルギーの賦存量などです。

いまや、市内のあちらこちらに、同じくく少し郊外や中山間地にも、空き家が結構多くなり、信じられない様な安い価格で入手できます。今考えているのは、町の中心から少し外れた里山の近くに、裏山付の土地を見つけ、その裏山を自分で少しずつ整理しながら、バイオマスストーブやボイラで給湯・暖房を賄い、夏は太陽熱で冷房をする「デシカント冷房」を実用化し、庭に少しの畑を作って野菜類を自給し、季節には里山からのプレゼント(=山菜)を楽しみ、暇を見つけては東北中(北海道も含めて)の山々を歩き回り、時々町の漕艇場に出かけてカヌーに乗り、あるいは川や海で釣りをする、といった夢の様な生活なのです。田舎では、しかしそれは決して夢ではありません。何故なら、それは体を動かすことは要求はしますが、お金はそんなには掛からないし、不便を克服しながらの田舎暮らしこそ、実は暮らしの醍醐味でもあるからです。お金は、企業支援や環境経営システムの審査などでボチボチ稼げば、これまで通り何とかオマンマは食べていけるでしょうし・・・。というわけで、春になったら終の棲家を探し始める予定です。たぶん続きます。

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2014年3月 8日 (土)

2329 電子マネーとBットコイン

Bットコインと呼ばれる電子マネーの一種が地球規模で蔓延している様です。一般的な電子マネーは現金と11で兌換ですが、一方でこのBットコインの価値は「時価」で変動するものの様です。その意味では株券や債券にも似ている様な気もします。それらと決定的に異なるのは、日常的な買い物などの小額の清算に使えると言う点でしょうか。それにしても「コイン」という通称は皮肉でもあります。つまり、コインと言う硬くて、通貨としての実態が明確なものと、電子マネーというネット上の数字が、一体どの様にして結びつき、誰がその価値を保証できるのかを考えれば、何時かは破綻するだろう事は、少し考えれば誰にも理解できる話です。

つまり、同じ名目価値の1単位のコインは、それを欲しがる人が増えれば、時価は上がる訳ですから、先にコインを持っていた人はBット貯金の時価は上がり、預けた時より多い額の買い物が出来るでしょう。しかし、システムから抜ける人が増えれば時価も下がるので、株で言えば含み損を出したのと同じ結果に陥ります。最悪のケースでは、株価や債券の時価が暴落し、ただの「紙」になるのと同じ状況、つまり残高がありながら何も買えない事態も覚悟しなければならないのです。また、ウソかホントか分かりませんが、ネット上の「金庫」から「金庫破り」によって盗まれると言う、「見えない盗難」が現実のものとなってしまいました。疑り深い人は、運営主体が関わった事を勘ぐるかも知れません。

その意味で、Bットコインはこれまでの金融機関が運営し、間接的に政府が保証する電子マネーとは本質的に異なると言うしかありません。このコインは、日系人の論文が起点だとか、アジアの国にある運営企業の経営者が自死したとか、それなりに国際的なリスクに火が着きかけて来たようです。コインと呼びながら、実際何処に価値を担保する「実体」があったのでしょうか。また一体何処の誰がその「最低価値」を保証していたのでしょうか。この構図を眺めていると、何やらかつて流行った「ネズミ講」に似ている様な気もしてきました。つまり、会員が右肩上がりに増えている時は見かけ上誰も損はしないのですが、一度その仕組みの一角が崩れてくると、一気に崩壊するというあの「雪崩現象」をまた再現するのでしょうか、このネット上のコインも・・・。または、決済銀行となっている金融機関が踏みとどまって、最終的な破綻を回避しようとするのでしょうか。いずれにしても、このシステムを通過させれば、あらゆるアングラマネーも「清浄化」され得るという、危ういシステムである事は変わらないでしょう。

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2014年3月 7日 (金)

2328 プッシュかプルか

物事を推進する際に、その駆動方法には大きくは二つ、即ち背中を押すプッシュ作戦と逆に引っぱって進めるプル作戦がありそうに思います。今この国で行われている経済政策は、間違いなく前者でしょう。つまり、金融界や産業界の背中にこれでもかという程お金を積み上げ、その圧力で背中を強力に押し続けている様なイメージが見えます。しかし、生産現場ではすでに常識になっていますが、押し込み生産では工程在庫や製品在庫が積み上がり、多くのムダが生じてしまいます。この論が正しいと仮定すれば、お金の刷り過ぎは必ずその「吹き溜まり」も生んでいる筈なのです。倫理観の薄い金融マンや金融産業は、その吹き溜まりのお金を動かすだけで、利益を生み出してしまうでしょう。例えば、金利の安い日本で資金を調達し、金利が高い国で運用するなどの「金融技術」を駆使して、モノの生産や移動を伴わない「マネーゲーム経済」の世界だけが日々拡大する困った時代になっているのです。

同様に、財政出動により景気刺激策もプッシュ作戦だと言えます。赤字国家であるこの国が史上最高額の予算を組み、それに先立ってこれも過大な補正予算を無理やり通してしまいました。しかし、企業や個人の保有する資産も既に史上最高レベルまで積み上がっている筈なのです。従って、省庁縦割りでその税金を分け合えば、お役人は例えば国土強靭化などいう色々な「理窟」をこねて、しっかりと分け前を分捕ってくるでしょう。何故なら彼らはそれが仕事で、しかも十分に賢いからです。

しかし、一番自然な政策は「カンバン方式」が教える様にプル作戦しかあり得ない筈です。何故なら、三本目の矢でいくら設備投資を煽ったとしても、肝心の需要が伸びなければ、市場の拡大など望むべくもないでしょう。既に人口が下降傾向に突入し、同時に急激な高齢化も進むこの国において、いくらプッシュ作戦を展開しても、このまま放置すれば市場のシュリンクは避けられないのです。ではこの時代に何が有効なプル作戦になるのでしょうか。ここでは、これまでは輸入に頼っていた物品を国産に切り替える方法を考えてみました。例えば食糧、例えば鉱物資源、例えば化石燃料の輸入を抑制し、それを代替する産業を醸成する作戦です。国産とするための産業とはつまりは輸入代替の新たな市場を産む事になります。しかし食糧輸入相手国と日本製品の輸出相手国は重なる事も多いので、急激な変動のショックを和らげるには何らかの作戦は必要ですが、例えばOPEC諸国に対しての貿易は間違いなく入超なので、一方的に輸入を絞っても、反発は限定的でしょう。それでなくともC国やIンドがガブのみしてくれるからです。国内に醸成すべきプル産業は、自動的に石油代替の国産の(再生可能型)エネルギー産業である事は理の必然です。

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2014年3月 6日 (木)

2327 再エネ展示会(足りないもの)

今回の再エネ展示会でカバーされなかった再エネも結構多い事に気が付きます。それは例えば地中熱であり、バイオマスであり、熱エネルギーの有効利用に欠かせない蓄熱や熱交換器などです。

最初の地中熱は、実はかなり普及し始めています。というよりかなり以前からと言っても良いでしょう。多くの人はそれに気が付きません。それは、温水プールの加温やビルの冷暖房に使われるヒートポンプの熱源として、地下に掘られた縦穴にセットされた熱交換チューブから採熱されているため、人目に触れることが無いためです。しかし、これまではかなり狭い市場ですから、省エネルギー展などで時折見かける程度でしたが、ここに来て家庭用の冷暖房+給湯の熱源として地中熱が俄かにホットになってきた様な気がします。それも「新エネ」としての位置づけで。

次にバイオマスですが、実のところこれまでは余り人気がありませんでした。それは専ら暖房用の熱源としての位置づけられたエネルギーだったので、北国の需要家にしか注目されなかった事に最大理由がありそうです。対象となる人口が少ない市場には、多くのメーカーが注目する筈もありません。それに比べてヨーロッパや北米は、バイオマス(チップや薪やペレットなど)を使う暖房・給湯には市街地以外ではむしろ人気があり積極的に使われている様に見えます。それは、そこでホームセンターを覗いてみれば一目瞭然です。その市場に向けたメーカーの活動も非常に活発です。それは、例えば薪ボイラ(Wood boiler)やペレットポイラ(Pellet boiler)などといったキーワードで検索してみれば、山の様なメーカーHPが出てくる事でも明らかです。現在ペレットストーブを中心に、バイオマスの活用が活発となってきましたが、残念ながら室内で火を焚いて眺めるだけの「季節商品」でありこのままでは普及も限定的に留まる様に思えます。欧州の様にボイラ室を備えた住宅で、エネルギーを温水に変えて、暖房と給湯が可能な小型のバイオマスボイラがあれば、温暖な地域でも燃料が手に入り易い郊外や中山間地で爆発的に普及するポテンシャルがあるでしょう。

一方で、地中熱もバイオマスエネルギーもそれを貯留する蓄熱技術と、各種の温度で利用する際の効率の高い熱交換器の改良は必須でもあります。しかもそれらは安価である必要もあるでしょう。メーカー(とりわけ中小企業)に期待したいのは、上に書いた熱利用に関わる機器は、どんな小さなメーカーでも、既存の設備や技術で対応できるのですから、是非チャレンジして貰いたいと言うことです。それも、そのチャレンジに大きなリスクなどは伴わないのです。大きな市場は確かにそこにあり、少しの不便さえ厭わなければ、それによって間違いなく石油の消費量は減らせるのです。

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2014年3月 5日 (水)

2326 再エネ展示会(EV、FCV)

今回の一連の再エネ展示会には、勿論自動車分野の展示もありました。中身はと言えば相変わらずと言うしかありませんが、EVFCVでした。ハイブリッドやPHVは既に量産実用化レベルにあり普通の自動車ショーでの展示で、デザイン勝負となっている感があります。次に実用化レベルが高いEVは、ジワジワとではありますが、バッテリーの重量当たりの蓄電量向上による航続距離が伸びつつあり、それなりに普及のスピードは加速している様に見えます。しかしながら、今主流となっているリチウムイオンバッテリーには、封止が破れると過熱したり、発火したりすると言う重大な欠点もあり、車のバッテリーの様に充電時や放電時に大電流を流す様な使い方には不安もぬぐい切れません。その意味では、本当の実用化は、通常に使い方でも、事故が起こってバッテリーが破損した場合でも安全性が担保出来、しかも容量の大きなバッテリーの開発まで待たなければならないかも知れません。

一方FCVは、市場で販売が開始された当時、確か1000万円とかいうとてつもない金額だった様な気がします。FCVに使われる燃料電池(FC)は、いわば水素をゆっくり燃焼させて、熱と電気を同時に取り出す仕掛けではありますが、その電池のコストダウンのレベルがまだ十分ではありません。また、燃料となる水素を保持するには、常温で使う限りにおいては数百気圧に圧縮するか、あるいは水素吸蔵合金を使うか程度しか今のところ良い方法がありません。車に搭載するには、加圧してもドラム缶1本ほどのタンクが必要ですし、水素吸蔵合金の場合は、モノが金属であるだけに重量がかなり重くなるという決定的なデメリットを抱えています。しかし、常温で保管でき、エネルギー密度も高い石油インフラが出来上がっている現在、それを水素燃料に置き換えるには数十年の期間と大きな投資も必要となるでしょうから、実用化レベルに近づくのは、たぶん今後20年以上を要すると見ています。

水素燃料を得るにはメ、タンガスや石油を改質して作るか、水を電気分解するか、もう一つは水を熱分解するかなどの方法がありますが、いずれにしても経済性の壁が立ちふさがります。つまり、水素を得るために使われるエネルギー源を何に頼るべきか、という問に経済的な裏付けのある答えが必須なのです。これをブレークするには、やはり太陽熱や太陽光発電や安価な水力発電や風力発電などになるのでしょうが、一方で折角出来上がったインフラを捨てるのも勿体無い話です。しかも水素燃料で航空機を飛ばす訳にもいかないのです。

それをブレークすには、どうせ水素を作るのであれば、それを再び二酸化炭素と合成して、人工の炭化水素を合成すると言う切り札もありそうに思うのです。プロパンやブタンであれば、比較的低い圧力で液化しますから、例えば炭素繊維で強化したタンクであれば、重量もそれほど重くはならないでしょう。たぶん続きます。

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2014年3月 4日 (火)

2325 再エネ展示会(スマ・グリ)

政府(=お役人)や強電・弱電メーカーは、スマートグリッドさえ普及すれば、さながらエネルギー問題は殆ど解決できると取れる様な宣伝をしています。確かに、負荷を平準化する事により、ピーク電力(=発電所能力)は低くは抑えられるでしょう。しかしだからといって、消費する電力量自体が低くなるわけではないのです。政府が使っているややこしい言葉である「ベースロード電源」となり得る原発は減らせるのでしょうが、国産のエネルギーである再エネを格段に増やさない限り、やはり火力発電所へ投入する化石エネルギーの量は減らせないのです。

ですから、スマートグリッドが全てを解決する様な風潮は改められるべきだと思っています。そうではなくて、スマートグリッドも多様な展開を指向すべきなのです。各需要家がそれぞれBEMSHEMSなど自前で負荷を平準化すれば、自動的にグリッド全体の負荷も平準化される勘定ですが、そこに至る道のりは非常に遠いでしょう。何故なら、需要家にそのための投資を強いる事になり、何らかのインセンティブ(例えば電力単価の割り引きなど)が無い限り普及は進まないでしょう。

とは言いながら、ピークが立つ理由は結構明確です。それは夏と冬の冷暖房によるピークです。発電所について言えば、この国の電力ピークは8月の高校野球の前後に発生している事は良く知られている事実です。この時期は冷房をガンガン効かせながら、テレビにかじりつく季節なのです。従って、この国電力会社は、この時期のピーク負荷に5-6%の余裕を持った発電能力となる様に設備されている訳です。したがって、太陽光発電を増やせば、発電側でピークを均せますが、そうでない限りは需要家側でのエネルギーマネジメントは、その仕掛けがあっても実質的な負荷は変わらないでしょう。結局、スマートグリッドなどにお金を掛けても、その効果に過大な期待は出来ないとの結論になります。一番効果的な負荷の平準化策は、その家や建物の冷暖房機が丁度動かせる能力の太陽光発電パネルを設置するか、あるいは太陽熱で作動するエアコンを実用化するしか有効な対策は無さそうなのです。

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2014年3月 3日 (月)

2324 再エネ展示会(エコ住宅)

この国では民生用エネルギーが概ね3割を占めています。残りは輸送用(1/4)と産業用(1/2弱)です。民生用としては、住宅、事務所、店舗などが含まれますが、それぞれが家屋やビルの省エネ性能が、エネルギー消費を決定的に左右するのです。つまりは、夏冬の冷暖房負荷は建物性能(直接的にはQ値)に大きく左右されるからです。その意味で言えば、単に屋根にPVを上げて、オール電化にしたエネルギーを賄うと言った安易なアプローチには賛同できません。

そうではなくて、たとえ温暖な地域においても、建物の気密・断熱性能は経済的に許されるMAXを目指すべきなのです。理想的には、いわゆるパッシブ型省エネ住宅により、冷暖房に係るエネルギーを限りなくゼロに近づけるべきなのです。かつてドイツのレンガ積みビルのリフォーム現場で、レンガの外壁に見かけで300㎜前後の断熱材を貼りつけていた光景を思い出します。北ドイツは確かに冷涼な地域ではありますが、この国の様に夏の暑さが結構厳しく、冬も広い地域に積雪がある様な幅広い温度差のある地域こそ、分厚い断熱材が年間を通じてその性能を享受できる環境だとも言えるのです。

その意味で、この国の住宅の省エネ性能は、まだまだ改良の余地は大きいと言えるでしょう、取り分け今回の展示会でも出展が多かった、非常に多様な壁面内部や床下に使われる断熱材や意匠的にも優れた外壁断熱材、さらには日照に温度上昇を抑える遮熱塗料などの技術を更に磨くべきでしょう。更に付け加えるなら、単に断熱性能ばかりではない、体力壁など強度メンバーと断熱を兼ねた建築部材や構造などももっと追究されて然るべきでしょう。住宅やビルなどは、雨露をしのげればそれでOKだと言った「間に合わせ」の時代は卒業し、省エネ性能が高く、しかも建物自体の寿命も長く、リフォームを繰り返せば数代(例えば百年程度)に亘って使い続けられる様な性能を目指すべきだと思っています。

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2014年3月 2日 (日)

2323 再エネ展示会(蓄電)

再エネ=再エネ発電と捉える限りにおいては、二次電池(蓄電)は必須のアイテムだと言えます。再エネは、地熱(地中熱)などごく一部を除けば、太陽光の一部を利用する技術であり、広い意味では化石燃料だって、太古の昔に地中に固定された太陽エネルギーだとも言える訳です。

しかし、その再エネを利用する期間が短ければ短い程、出力変動の幅は大きくなるわけです。例えば、数十年単位の太陽エネルギーを蓄積したと言えるバイオマス(木質エネルギー)の利用は、伐採・搬出のシステムが安定している限りにおいては、十分に頼りになるエネルギー源となり得ます。一方、風力発電や太陽光発電はその瞬間の天候によって、出力は0%~1005%の幅で変動しますので、何らかの安定化対策が不可欠です。これまでの考え方では、再エネを系統に接続する事により、いわば電力網自体をバッファーとして使うと言うものでした。一方で、発電設備や需要家にバッテリーが備えてあれば、発電端と使用端での負荷のミスマッチが比較的簡単に埋められる筈です。その意味で、バッテリーは再エネ発電においては、不可欠の技術だと言えるでしょう。

さてそのバッテリーに関しての技術の進捗です。これまでのところ、バッテリーは車産業に牽引されてきたと言えるでしょう。もちろん、小型のバッテリーはノートパソコンや携帯端末の小型化により引っ張られてきましたが・・・。中身に関しても、鉛、ニッカド、水素イオン、リチウムイオンと変遷してきましたが、現状は充電密度の優位性からリチウムイオン電池が主流となっている様です。しかし、リチウムイオン電池は決して完成された技術ではありません。その証拠にはB787のバッテリー発火事故の原因究明さえもまだ道半ばなのですから。この電池は、衝撃などで生ずる微細な封止漏れにより、簡単に熱暴走するという致命的なリスクを抱えているのです。

しかし今回の展示会でも、相変わらずリチウムイオン電池やそれを組み込んだバッテリーパックが主流でした。しかしその中で目を引いたのは「改良型鉛電池」でした。鉛電池の充放電サイクル(寿命)は400-500回程度といわれてきました。しかし、今回の展示会ではその10倍のサイクルを持つ「新しい鉛電池」の出展があったのです。資源量やリサイクルシステムが確立されている事もあり、b釣り的な衝撃に晒される事もない固定式のバッテリーシステムでは、改めて鉛電池も選択肢に入れても良いでしょう。

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2014年3月 1日 (土)

2322 再エネ展示会(PV)

今回の再エネ展示会のもう一つの目玉は、言わずもがなですが太陽光発電(PV)でした。残念な事に、この国がPV製造の首位の座を明け渡してから、後発でありながらトップの座についたDイツやC国のメーカーは、過大な設備投資を断行したものの、欧州におけるFIT制度の終了や種々の助成金減額や打ち切りなどの障害があり、またPV設置のスピードが鈍った事もあり、倒産の憂き目にあっているケースも多い様なのです。従って、FIT制度が始まったばかりのこの国を目指して、今回の展示会には多くの海外メーカーが押し寄せた感があります。

先ずPVモジュールメーカーですが、ブースの数をざっと眺めるだけでも、それこそ雨後の竹の子のように乱立している様に見えます。その中には、自社でPVセルを製造している中大手と、セルを買ってきてモジュールに組み立てる中小手に大別できるでしょう。セル自体の変換効率は、ほぼ20%を少し割る程度まで向上し、そこで頭打ち状態に至って、結構時間が経過しました。今以上の効率を追求するのであれば、ガリウム・ヒ素などといったヤバい原料をドープするしかないと思われます。しかし、それは使用後のマテリアルリサイクルを考えると、やはり禁じ手の一つだと言うしかありません。

今回の展示会には、勿論モジュールメーカーの何倍もの「架台メーカー」が出展していました。その中で目新しいのは、これまでの鉄系、アルミ系の架台に加えて、木製の架台メーカーが数社出展していた事でしょうか。木製なので、台風に耐えるためには流石に管柱程度の角材が使われいました。耐候性を上げるために防腐剤も含浸させています。材料としては、たぶん杉の間伐材が使われいる様です。架台としては、これまでにも増して可動式(つまりは1軸、または2軸のヘリオスタットです)の展示が増えていた様に感じました。つまり、季節や時間によってモジュールの向きを変える事が出来る訳です。上手く設計すれば、実質の発電量は、固定式に比べ3割程度アップしますので、16%のモジュール効率の安いパネルを使っても実質では20%を超える発電量が得られます。1軸のヘリオスタットでも2割程度のアップは期待できるでしょう。今後の課題は、可能な限りシンプルで安価な可動式架台の開発でしょうか。もちろん台風も積雪もある国なので、強度は犠牲にはできません。価格的にも、追尾機能をつけても3割以上高くなれば、投資効果は消えてしまいますので、1本支柱で機械的に2軸制御の架台も土地代の節約とモジュール枚数の減少を合算して、メリットが出る価格設定にする必要もあるでしょう。

モジュール効率もkw単価もかなり飽和してきたこの業界では、安いモジュールと可動式の架台の組み合わせによって、面積当たりの最大発電量=kw単価の最大を狙うのが今後の方向の様に感じました。

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