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2014年4月 3日 (木)

2351 手続より中身

この国では、とかく手続きが重視される傾向にあります。例えば、たまたまラジオから流れてくる国会の論議などを聞いていても、手続き(政治や企業の中では「根回し」と呼ばれます)に不手際があると、いつも紛糾します。そう言えば、昔のリーダーの条件は根回し上手である事が第一に来ていた様な気がします。それは、何やら新たな万能細胞に関係する論文の審査においても全く同様に行われている様で、一体その細胞が存在するのか否かが焦点ではなくて、論文が作成された手順や、その審査の過程こそが問題の焦点になっている様なのです。

もちろん、最需要であるのはその「中身=本質」のはずなのですが、どうもこの国ではそれが二の次らしいのです。何故かを考えてみましょう。それはどうやらこの国の、古来からの形式主義にありそうな気がしています。古来、この国では「型」を重視してきました。多くの武(士)道や伝統工芸や伝統的な芸術においては、それを習得しようとするものは先ず型から入る必要があります。というより、多くは型に始まって型に終わると言っても良いかも知れません。その型こそ伝統の中身そのものであると極言しても余り文句は来ないでしょう。型を別の言葉で言えば「タテマエ」でしょうか。ホンネを語らず、タテマエで押し通す事にこそ、この国では重点が置かれ、そこに美学を感ずる人が多いのだ、と言うしかありません。

しかし、やはり本質や中身の方が重要である事は間違いありません。政治のリーダーが真に国民の幸福を考えているのか否か、あるいは新たな万能細胞は存在するのか否か、そこが是非知りたいところなのです。和食は確かに器や盛り付けにも美学があるのでしょうが、やはりその料理の素材が本来持っている風味や調理人が加えた味付けこそが何より大切なはずです。国会の議論も、問題の論文の再審査も、結局は手続き(器)の議論に終始しており、一向に本質の議論に至らないのは、全く歯がゆい限りです。それを、この国の国民性という一言で片づけてしまう訳にはいかないのです。本質を突いた議論をする際に有効な枕詞は「結局」になりそうな気がします。結局、この国を諸外国と友好関係を結びかつ尊敬を集め、子々孫々にわたって住み易い国にしたいのかどうか、結局、新たな万能細胞は存在するのかどうかこそが最重要なのです。

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