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2014年4月20日 (日)

2363 機械語

考えてみれば、私たちの生活は「機械語」にほぼ完全に取り囲まれている事に気が付きます。つまり、身の回りの多くの製品にコンピュータが組み込まれていますし、人間とコンピュータの間の会話には機械語が必須だからです。車でさえ、最近のものは昔のものとは違って、アクセルが直接キャブレータのスロットルと繋がっている訳ではありません。その間にコンピュータが入っていて、人間の「加速したい」という意志を、ゼロイチの機械語を通じて、燃料噴射の加減を行う別のコンピュータと電気的な「通信」を行うのです。

電話だって同じことです。かつての電話では人の肉声は一度電流の強弱に変換されていましたが、現在ではやはりゼロイチのデジタル信号に変えられて、光ケーブルの中を通り、最寄りのアンテナから配信されます。言葉を替えれば、人の言葉や意志が、一々機械語に翻訳されてからでないと、他の人や機械に伝わらない特殊な時代に至ったと言う訳です。これは、コミュニケーションの歴史で言えば、きわめて異常な事態だと言えるかも知れません。どこが異常かといえば、それは「翻訳」が二度入ると言う点です。人間の意志が一度機械語に翻訳されて、コンピュータや機械に伝えられ、結果としての機械からのリアクションも機械語から人間やアクチュエータが理解できるインタ^フェイスやGUIなどを通じてフィードバックされるからです。そこには、実は微妙な時間の遅れが入っている事も重要な点です。最近の車は、アクセルを踏み込んでから車が反応するまで、コンマ数秒の遅れが発生している事は、通常は15年前のマニュアル車に乗っていて、時々家内の車に乗る事がある投稿者には、はっきりと感ずる事が出来ます。それが、二度の翻訳に要する時間なのでしょう。

もう一つの異常さは、その翻訳が全てゼロイチに還元されると言う事実でしょうか。つまり、そこには0.50.3やごく僅かといった加減は存在しないのです。0.5が必要な場合は、デジットの桁数を一つ上げて、5/10にするしかないでしょう。どこまで行っても、ゼロイチの世界からは抜け出れない世界です。アナログの世界もデジタルの世界も知る投稿者としては、ゼロイチでは割り切れない曖昧な(しかし含みのある)世界も必要なのではないか、と密かに思っています。

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