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2014年4月26日 (土)

2369 取引する動物

A.スミスの言葉だった様な気がしますが、ヒトは取引する動物なのだそうです。そういわれれば、ヒト以外で取引しそうな動物はチンパンジーくらいのものですが、彼らにしても食べ物を貰ったお返しに、毛づくろいをしてやる程度のやり取りでしょう。ところで、勝手ながらこのブログで書く「ヒト」とは動物としての人類の意味で、人間や人とは社会的存在としてのヒトを意味します。さて、取引する動物です。取引するためには、ルールが必要な事は明らかです。そうでなければ力の強い者だけが常に利益を得る事になるからです。その上に、価値の物差しも必要です。昔であれば、金や銀や銅などで作られた銭の目方でモノの価値が計られました。 しかし、現在は中央銀行が印刷した紙(紙幣)を、価値の物差しに使うしかありません。国際間の決済に関して言えば、結果として世界通貨となってしまったB国の通貨を介して行うしか有効な手段はないのが現状です。それというのも、B国が、金本位制を止めてしまったのと同時に世界からモノを買い続け、その代価として際限なく$を印刷し続けたからなのでした。途上国に対しても$で援助を行う訳ですから、それこそ世界中の津々浦々まで$が流通してしまったのです。 さて、取引する動物として、私たちは何を考えていくべきなのでしょうか。先ず、考えなければならないのは、投稿者としてはモノの価値の物差しを1種類に限定すべきではないと言う点だと持っています。つまり、食えない工業用品と、食糧を同じ様に通貨で評価し、取引すべきではないでしょう。工業製品が不足しても飢えて無くなる人は出ませんが、食糧は別物です。今行われているTPPなどという交渉事は、まさに食糧と工業用品を同じ土俵でトレードしようとの目論見に他なりません。どうして、車一台とコメ100俵が、あるいは牛数頭が等価だと言えるのでしょうか。コメ(あるいは小麦)が不足すれば人が十分なカロリーを摂取するのは難しくなりますが、業肉田高くなっても口に肉が入る回数が減るだけです。ましてや車が多少売れなくなっても、製造業の景気がやや曇る程度に留まるだけです。そうなれば、車メーカーは別の売れるモノを考え出すしかないのです。もしかすると、メーカーだって食糧生産に乗り出す事も必要になるかもしれません。車を売らせてもらう代わりに、彼の国で生産された農産物を買わされる、という取引はどの様な理窟をこねてもとてもフェアだとは言えないと思うのです。それでも、取引を続けなけれなならないのが取引する動物としての「ヒトのサガ」だと言うしかないのでしょうか。

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