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2014年4月27日 (日)

2370 哲学っぽい話

敢えて過去の(存命の)偉大な哲学者に挑戦するつもりは毛頭ありませんが、このブログなりのものの見方を書いておこうと思います。さて、Philosphyですが、これを文字通りに日本語に直すとすれば「知を愛すること」になるでしょうから、ジャンルを問わずに物事の本質を知ろうとする学問なのでしょう。単なる哲学もあるでしょうし、対象を絞った、例えば社会哲学とか法哲学とかあるいは地域を絞った中国哲学などと言う分野も存在するのでしょう。というより、哲学でメシを食っている哲学者の数だけ哲学分野があるのかもしれません。

しかし、そういう風に枠を広げるととても投稿者の手には負えなくなってしまいます、単純化が好きな身としては、哲学を「何のためにを考える学問」として考える事を提案したいと思います。何のために、つまりは「目的」を考える学問という定義です。人々(あるいはあらゆる存在)が行動を起こすには、必ず何らかの目的があるはずです。暇つぶしの遊びに出かける時だって、やはりより長く、出来れば余りお金を掛けずに暇をつぶしたいと言うボンヤリした目的があるはずです。しかし、その目的も更に掘り下げれば、本当の目的に一歩近づけるかも知れません。何故じかい時間を潰したいと思ったのか、そもそも時間とは誰が何のために定義したのか、などといくらでも掘り下げる事が出来るでしょう。

その意味では、このブログ全体が実のところ投稿者の一人突っ込みであり、それを真面目に受け取って考えて解説するもう一人の自分との「対話集」でもある訳です。物事には、というより物事を考える人間の側(の脳構造)には、たぶん何らかの階層構造が存在するのでしょう、つまり、表面づらを単純に考える事も出来るでしょうし、さらに何層も深掘りする事も出来るからです。しかし、投稿者としては出来れば可能な限りは物事の本質に向かって、直線的に掘りたいと思ってこのブログを書いてきたつもりです。それは、単に頭の構造が単純だからではありますが、常に「何のために」という問を頭の片隅に置き続けてきたからでもある様な気がしています。思い出したら続きます。

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