« 2370 哲学っぽい話 | トップページ | 2372 単純化 »

2014年4月28日 (月)

2371 コミュニティ難民

ヒトが社会的な存在である事は間違いない点でしょう。絶海の孤島に一人で住んで世間との関係を全て絶って暮らしている例を投稿者は知りません。もっともそんな人が一人くらい居るにしても、世間にその存在を知られる事も無いのでしょうから・・・。そう言えば、終戦後長い間ジャングルに潜んでいた方が数名発見された事はありましたっけ。さて、コミュニティの関係が希薄になり、あるいは都会の一部では殆ど崩壊してしまった現代において、いわば「コミュニティ難民」が急増した様に感じています。

コミュニティはその構成員に関心が無ければなりませんし、その構成員はコミュティに対して何らかの役割を担っている事が、そのコミュニティを維持するためには最低限必要でしょう。もし、その片方あるいは両方が希薄になった時、コミュニティの崩壊が始まるのかも知れません。社会はコミュニティが集まったものでしょうから、コュニティの崩壊は結果的には社会システムの分断につながります。そのコミュニティの崩壊は、たぶん構成員が少しずつ離れていく事から始まるのでしょう。コミュニティから無視され始めた人たちは、やがてはそこからはじき出され、都市に流れて難民生活を始める事になります。今日でも、田舎にはそれなりに濃い人間関係は残っている様な気もししていましたが、実際に40年振りでUターンしてみると、それは幻想かも知れないと思うようになりました。

その大きな原因を想像してみるに、それは多分大家族制度の崩壊にあった様な気がしています。大家族制度の中では、全ての家族は何らかの形で見守りを受けていた筈です。子供は子供なりに、働けなくなったお年寄りもそれなりに、家族からサポートされていた事でしょう。大家族は、地域(集落)で各種の行事を通じて濃密なコミュニティを築き、共同作業(結)などを通じて、互いに信頼を紡いていた事でしょう。これが、次々に「分家」を作って、町の近くに狭い家を建て、核家族単位で住む様になった結果、大家族は「冠婚葬祭」程度しか集まる事は無くなってしまった訳です。都市に住む人たちは、その小さな家族さえ作れずに、個々に分かれて更に狭いスペースに住んでいるのでしょう。その究極は、多分ネットカフェ難民でしょうか。ではどうすれば良いのか、このブログでも引き続き考えてみます。

|

« 2370 哲学っぽい話 | トップページ | 2372 単純化 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 2371 コミュニティ難民:

« 2370 哲学っぽい話 | トップページ | 2372 単純化 »