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2014年5月31日 (土)

2401 グリーンパラドックス

グリーンパラドックスとは、環境に優しいエネルギー(つまりは再生可能型と呼ばれるエネルギー)を増やす行動が、巡り巡ってかえって温暖化効果ガスを増やす結果につながる、といった現象をさす言葉です。例えば、風力発電や太陽光発電を増やした結果、電力料金に転嫁されたFIT料金が過大で、電力料金が極端に高騰し、結果として企業が近隣国の安い石炭火力発電やLNG火力発電から電力を輸入して、コストアップを回避するといった状況が挙げられます。これは実際にも環境先進国であるDイツで今まさに起こっている現象です、エネルギーの輸入に限らず、高い電力料金に嫌気の差した企業の、国外脱出による産業の空洞化も問題になっている様です。

これは、企業は電力料金という目先のコストを、可能な限り低減させたいという、自由主義経済のシステムの中では、不可避のパラドックスだと言うしかありません。GHGの低減という総論には賛成だが、自社の経営の安定化や株主への配当という各論になると手を返すのが企業の悲しい定めだからです。このパラドックスは、実はエネルギー転換のアプローチが正しくない事から生じたと見るしかないでしょう。もし、FITを導入してグリーンエネルギーへの転換を図ろうとする場合、電力料金にFITがそのまま転嫁されるのでは、企業や需要家にそっぽを向かれる結果になるでしょう。

そうではなくて、先ずは大幅な省エネルギーを達成しつつ、並行して省エネ結果を横目に見ながら段階的にFITを導入し、結果として電力料金の負担が維持できる様に進めるべきだと思うのです。いくらグリーンエネルギーの導入に努力しても、現在のエネルギー消費のレベルが維持される様であれば、焼け石に水でしかない事は、多くのエネルギーの専門家も指摘しているポイントです。一説によれば、早急にエネルギー効率を現在の8倍(または使用量を1/8)にしなければ、温暖化は止まらないとも言われています。とは言いながら、当面実現を目指すべきは、エネルギー効率2倍の壁でしょう。使用量が半分に出来れば、FITが上乗せされて2倍に跳ね上がったエネルギーコストも十分吸収可能でしょう。グリーンパラドックスを回避する上で、知恵や予算を使うべきは、グリーンエネルギーの増加ではなく、先ずは渾身の力を込めた省エネ行動だと思うのです。

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2014年5月30日 (金)

2400 VAT

VAT(付加価値税)は、よく日本の消費税と同じだとされますが、本質的に異なるカテゴリーの税だと、経済に素人の投稿者は考えています。先ずVATですが、これは付加価値を載せて取引される商業行為の売り上げに課税されるもので、付加価値を載せない(非営利の)取引にはそもそも課税されない筋合いの税です。一方。消費税は立場が全く異なるでしょう。つまり消費者が、モノやサービスを「消費」した場合に生ずる税となっている訳です。

つまり、事業者が大きな利益を上げ様として、原料や商品の仕入れ値に対して過大な利ザヤを載せてしまうと、大きな額のVATを支払わされる上に、売り上げも落ちてしまうでしょう。見かけ上は、売値に税が載っている様に見えますが、税を国に納めるのは事業者になっているでしょう。一方で、消費税は消費した消費者が国に支払う税ですから、事業者は税を一時預かるだけです。

結局VATは事業者の儲け過ぎを抑制し、一方で消費税は消費を抑制する効果をもたらすでしょう。どちらが理に叶っているかと問われれば、前者に理がありそうです。何故なら、過剰な利益を載せた商品やサービスは、価値の偏在を招きやすいからです。そこに歯止めを掛ければ、より公正な取引が期待できるでしょう。一方、消費税も消費を抑制する意味合いはあるのでしょうが、考えてみると消費者がお金持ちかそうでないかで、税の重さに不公正が生じるでしょう。同じ様に、モノやサービスに掛けられる税ではありますが、100円のモノを買う場合、それを付加価値を乗せて商品に仕立て上げた側に課税するのか、それを消費した側に自動的に課税するのか、考え方が180度異なる様な気がするのです。些細な違いかも知れませんが、払う側の気持ちの問題も大きいと思うのです。単なる頭の整理でした。

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2014年5月29日 (木)

2399 デカップリング

デカップリングとは、二つの関連する現象を切り離すと言う経済用語の様ですが、ここではこの言葉の意味だけを拝借し、一つの提案をしたいと思います。それは、人々の生活とエネルギーのデカップリング(分離)です。今の世の中は、インフラとしてのエネルギーが無ければ夜も日も明けません。試しに、家に引き込んでいる電力のブレーカを落とすか、あるいはガスの元栓を閉めて、一日の生活が成り立つか想像してみてください。冷蔵庫は止まり、洗濯機や掃除機も使えず、夜になっても電灯もテレビも点かず、料理も出来ない情けない事態に陥ります。

つまり、現代の生活とは、生活とエネルギーとが「完全に」結合(カップリング)されている状態だと言えます。そこでデカップリングの提案です。エネルギーのインフラからの独立性を一つでも確保すれば、災害時の安全性も向上するでしょう。つまり、災害による停電やガスの停止が起こっても、かなりの期間耐える事が出来る事になります。それを実現するためには、エネルギーを多様化する事が近道になるでしょう。手近なエネルギー源としては、太陽光とバイオマスがあります。小規模な太陽光発電パネルとバッテリー(+インバータ)の組み合わせがあれば、災害時にも電灯が灯りテレビが見られ、携帯電話の充電も出来るでしょう。太陽熱温水器があれば、ガスが止まっても晴れた日には風呂に入れます。ソーラークッカーがあれば、やはり晴れた日にはガスが止まっても煮炊きが出来ます。更に、バイオマスが燃やせる小型のストーブと、少量の薪やペレット燃料のストックがあれば、いつでも煮炊きや暖房が出来るでしょう。

そんなライフスタイルの良いな、と気に入ったなら、恒久的な住宅設備として備えておけば良いでしょう。いずれも、それ程の投資は要りません。太陽熱温水器が20万円以上とやや高額なだけで、10万円以下の投資で実現できるものばかりです。インフラとしてのエネルギー源からの部分的な解放だけで、エネルギーセキュリティは格段に上がり、しかも生活に潤いも増すでしょう。同じ様な、今は当然と考えられている社会インフラからのデカップリングもまだありそうなので、このキーワードの投稿は何度かアップしそうです。

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2014年5月28日 (水)

2398 原発の根の問題

原発事故に接した時、元技術屋として思うのは、核分裂利用の根にある本質的な「問題」です。それは、原発が世の中にある他の全ての制御システムと本質的に真逆である事から発しています。つまり、例えば普通の火力発電所は、放って置いても自分では燃えない原油、あるいは石炭やLNGという燃料を、空気(酸素)と火種を使って、無理やり(あるいは上手く)反応させてエネルギーを得ると言う制御方法を採っているのに対し、原発は一定以上の濃度に濃縮した燃料(ウラニウム)を集めておいて、放って置けば爆発的に核分裂してしまうところを減速材で抑え込んでいるという考えてみれば非常に危なっかしい制御方法を採っているのです。これを車にたとえて言えば、放って置けばアクセル全開で暴走してしまうクルマを、ブレーキとハンドルだけで乗りこなすと言う状況にも似ています。

火力発電であれば、燃料か空気かのいずれかを遮断すれば、燃え盛る炎は速やかに消える事でしょう。もし燃料の遮断に失敗して、ボイラの蒸気圧力が異常に上昇した場合でも、水蒸気は人畜無害ですから、安全弁が働いて自動的にベントされる仕掛けになっています。火力発電所のベントは、オペレータが操作しなくても圧力上昇がバネの力に打ち勝って、勝手に行われると言う点が「本質安全」の根拠になっているのです。複数設置している安全弁がもし全て機能せず、しかも燃料も遮断できない場合でも、人為的なベントもできますし、そうでなくても配管の何処か弱いところが破壊して、高温の蒸気を逃がしてくれるでしょう。まともな設計者であれば、予め弱い部分を作って置いて、いざという時にそこが最初に壊れる様に設計して置くでしょう。

しかし、原発でその手が使えないのです。ベントは、即ち放射性物質を大気中に放出する事になりますから、よほどの場合(例えばメルトダウンが起こりそうな場合)以外は禁じ手です。それ故、3年前の責任者はそこで躊躇してしまった訳です。結局、レベルの低い汚染であるベントを躊躇し、最悪のメルトダウン(メルトスルー)事故を引き起こしてしまった訳です。しかし、原発の地下の断層を再評価し、津波に対する高い防護壁を作り、フィルターベントを設置しようが何を対策しようが、原子力の本質的な問題である「抑制的制御」という原理は変えようがないのです。「原発は一日も早く放棄すべき危なくて古い技術」であるという結論は曲げようがありません。

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2014年5月27日 (火)

2397 ネガワット

残念ながら、欧米人が新しい言葉を作る名手である事は認めざるを得ません。私たち日本人は、それをカタカナで表記して利用するだけです。このブログから、新しい言葉を生み出す事は、実は投稿者の密かな願いでもあるのですが・・・。それはさておき、重要な言葉である「ネガワット」です。これはA.ロビンスが論文の中で提唱した言葉だとされていますが、要は発電で起こす電力ではなく、節電で生み出す節約電力を指す言葉です。私たちは、やれ原発停止だ、再生可能型エネルギーだと右往左往する前に、先ず為すべきは徹底的な省エネ行動により、大きなネガワットを生み出す努力だと思うのです。投稿者は、企業を早期に卒業後、ある時期に徹底的に企業の省エネ指導に取り組みました。製造業は勿論ですが、サービス業やビル管理などにも取り組んだつもりです、

そこで得た結論は、業種業態に関わらず、お金を掛けなくとも知恵と工夫だけで10%程度の省エネは可能であると言うものでした。全くのエネルギーの無駄使いが5%くらい、工夫だけで更に5%程度の省エネは間違いなく実現可能なのです。もちろん省エネ投資を行えば、普通に取り組んでも30%程度までの省エネは、比較的楽に達成可能なのです。取り組む順番としては、知恵と工夫で10%エネルギー費を浮かし、それを原資として省エネ投資を行えば、新たなコスト負担無しに、3割のネガワットを生み出す事が出来るのです。

3割の削減が達成できれば、もちろん原発がゼロになってもこの国を維持できますし、企業にとってもこれまでは「固定費」と考えていたエネルギーコストの聖域を崩せるのです。エネルギーコストは、FIT制度や増税があり、また化石燃料価格の高止まりによってますます増加する傾向にあります。数%ではなく、何割というインパクトのある省エネによってのみ、エネルギーコストに振り回されない強い企業体質が作れるのでしょう。省エネの知恵で良ければ、ここ(投稿者の頭の中)にいくらでもあります。というより、このブログの過去ログに山ほど書いてきたつもりです。読み返すには相当の根気が必要ですが・・・。

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2014年5月26日 (月)

2396 カスケード利用

循環型社会(=持続可能型社会)の基本は、資源をリサイクルし、エネルギーは再生可能型を基本に据える事でしょう。しかし、その前段階の問題として、私たちは資源やエネルギーのカスケード利用を極限まで進める必要があるのは明らかです。千数百℃にもなるガスや石油の炎でたった100℃のお湯を沸かすのは全く非効率であるのは明らかでしょう。ましてや、より質の高いエネルギー源である電力を用いれば、数千度のアーク放電を起こす事も可能なのです。

カスケード利用とは、例えるならば「お下がり利用」と言い換える事も出来るでしょう。上の子供が着た衣服を、下の妹や弟が着回す事にも似ているからです。エネルギーで考えるなら、ガスエンジンで電力を起こすか、あるいはエアコンのコンプレッサーを回し、その廃熱で給湯用のお湯を暖めて蓄える仕組みなどが例示出来るでしょう。20℃近くに下がった「ぬるいお湯」でも、床下に敷設したコイルに通せば、冬季には立派に床暖房用として補助熱源になり得るでしょう。気温と同じになった気体や液体は、もはやエネルギー的には如何なる目的にも使えなくなってしまいます。逆に言えば、環境温度と比べて温度差のある如何なる気体や液体や固体も、何らかのエネルギーを内在していると見るべきなのです。それが、高い温度であれば「熱源」で、低い場合も「冷熱源」としての価値がある訳です。氷雪が立派なエネルギー源でもある所以です。

資源の面で考えてみましょう。あらゆるモノづくりを行っている工場からは、何らかの形で「ゴミ」が排出されます。出来た製品を消費した暁には、その製品もやはり「ゴミ」になるでしょう。しかし、環境先進国でもあるDイツの標語にある様に「ゴミ(廃棄物)とは間違った場所(ゴミ捨て場)に置かれた貴重な資源でもある」訳です。例えば、製材工場で日々排出される端材や木挽き粉がゴミである筈は絶対にありません。粉砕してチップボイラで燃やすか、あるいは押し固めてペレットやブリケットに加工すれば、それは立派な「固形燃料」に生まれ変わるでしょう。ストーブやボイラで燃やして残った灰でさえ、集めれば立派な「肥料」になるはずです。灰の中には、木材が根から吸収した貴重なミネラル分が含まれているからです。つまり、ゴチャゴチャに混ぜれば確かに厄介なゴミにしかなりませんが、丁寧に分別すれば全ての物質は必ず何らかの資源にリサイクル出来る筈なのです。取り敢えずはカスケード利用、最終的には完全リサイクルか再生可能なシステムを指向する必然性があります。

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2014年5月25日 (日)

2395 石油のカス

昨日のNスぺを見てから書き起こしている訳ではなく、偶然ですがその前に書き始めていました。さて一昨日の地元の報道によれば、ここ秋田で、新たな油田の掘削が開始された様です。例のオイルシェール開発に向けた油井です。既に稼働している別のオイルシェール実験油井では、シュールオイルの地層を酸で溶かして石油を得る方法なのだとか。一方、今度の井戸はオイルシェール層の中で、井戸を90度曲げて、水平に掘り進むいわゆるアメリカ型の掘削方法なのだそうです。地上から水圧を掛ければ、脆いオイルシェール層にヒビが入り、結果として石油が浸みだしてくる様です。しかし、この方法ではそのヒビを通じて、油が地下水を汚染する恐れが出てくるはずです。

オイルシェール層はいわば、油田の上に載っていた粘土のフタに過ぎません。原油はその下のサンド層に含まれていたのです。そこから油を汲み上げる事が出来なくなって、国内の殆どの油井は打ち捨てられていたのでした。さてオイルシェールが、たかが油の浸みた粘土層であると分かってしまえば、彼らは枯れてしまった油井の天井に染みついた油を搾り取っているだけであるあがきである事も理解できるでしょう。似た様な悪あがきは、北海油田の様な古い油田でも繰り返されても来ました。ポンプによる汲み上げも出来なくなった古い油田では、古い井戸から高圧の海水を押し込んで、別の井戸の方に油を押しやります。北海油田では、油田の外側の複数の井戸から海水を押し込み、中央の井戸で汲み上げると言う「油田末期」の方法で油を得ています。

しかしこの方法でも油が取れなくなったB国では、苦肉の策としてオイルシェールからの絞りだし法が開発され、これまではコスト的に見合わなかったCナダのオイルサンドも、今ではすっかりソロバン勘定に乗っている様です。それだけ、バレル100ドルを超えるレベルまで原油価格が高騰した結果だと言えます。しかし、雑巾も絞り続ければ、やがてカラカラに乾いてしまいます。石炭を掘り尽くした少し前のこの国の歴史を振り返れば、石油のカスにしがみつくオイルシェールもオイルサンドもやがては枯渇するでしょう。残るのは地下の汚染だけです。豊かさという眩しい目くらましの前で、私たちは将来世代の利益を奪ってはならない、と今一度褌を締め直すべきでしょう。

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2014年5月24日 (土)

2394 経済論理だけ?

最近の東南アジアや東欧などの状況を見ていて感じる事があります。人々は何のために争うのかという根源的な疑問です。多くの場合は、富の配分の不公平から生ずるのでしょう。もし、何らかの方法で、富の配分が完全に公平に行う方法があれば、誰も不平を訴えなくなり、幸せに暮らせるのでしょうか。それは、この地球上にはかつても、今もそんな社会が上手く実現した例が無い限り、誰にも分からない話ではあります。しかし、一つ言える事は、もしある国の経済活動の結果、別のある国の公平性が崩れていくならば、間違いなくそれは不味い方向だと言えるでしょう。

この国の企業は、世界的な価格競争の中で、やむを得ない生き残り策だとして、人件費の安い東南アジアの国々に、次々に生産拠点を移してきました。見かけ上は、その国に新たな雇用の機会を増やし、経済規模を拡大する事にも寄与したでしょう。しかし、その結果、彼の国に富める層と、そうでない層の格差を広げる事にも加担してしまったのもまた事実でしょう。更に言えば、ラッキーにも経済拡大の波に乗れた富める国と、それに乗り遅れた国の格差も生み出してしまったでしょう。

海外に旬出した企業にも、それを後押しした国にも、作用したのはただ一つ「経済論理」だけだった(と思われる)のは、さびしい限りと言うしかありません。富を得始めた国々では、結果として例えばインフラの整備も進んだ事でしょう。しかし、経済論理の前では、インフラ整備などは常に後追いにならざるを得ないのも事実でしょう。先ずは、その国で実権を握っている人やお役人の懐を潤し、ついで進出企業に関わる人々が潤い、最後に市場や町で働く庶民が大分遅れて少しずつ豊かになっていくのでしょう。先ずは工場が出来て、通勤のための交通渋滞を減らすために取り付け道路が整備され、最後に古い町並みが整備されるのです。先ずは工場に電力が多く使われ事が本格化して、やっと新たな発電所が計画されるのです。進出企業が、その国の経済に貢献するのは、従業員の雇用面と、納税を通じての国の財布を少し太らせる事だけです。それ以上の「慈善事業」は、その企業には何の経済的メリットも生まない事は明らかだからです。しかし、ある国を利用して、別の国の企業が潤うという構図は、かつて欧米の列強が繰り返して行ってきた所業です。その結果何が起こったかといえば、局地紛争や結果としての世界大戦でした。それと同じような歴史が、今も登場人物(国)を代えて続いている事に、嘆息せざるを得ません。人間は、本質的に歴史に学ぶ事が苦手なのでしょうか?。

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2014年5月23日 (金)

2393 消費の質

消費の質について時々考えます。質の低い消費行動とは、言わずもがなですが、例えば質より量や価格だけを見て(バーゲンに)走る行動でしょう。食べ物であれば、たらふく食える量が買えますから、どうしても身に付いてしまう結果になるでしょう。B国だけを悪く言う訳ではありませんが、比較的所得の低い層に肥満体形が集中しているのが象徴的です。

一方、良い(あるいは賢い)消費行動とはどんなものになるのでしょうか。消費とは、自分か点入れた価値(殆どの場合は労働の対価としてのお金)を、自分が(容易には)作れないモノやサービスと交換する行動ですから、当然の事ながら上手い買い物と、下手な買い物が生まれてしまうでしょう。上手く買えればお金が「生きる」でしょうし、そうでなければ死に金を使ってしまう事になります。そこに必要な物差しは、多分「必要度」でしょうか。つまりは、そのモノやサービスをどれだけ切実に欲しているかのレベルを、買う前に考えると言う事になります。「それ」を「何時までに」「どのランクのもの」を、「どの程度の量」を買うのかじっくり見定めるのが、結局は良い消費行動につながるのでしょう。

そのためには、モノやサービスの質を見定める「目」も必要でしょう。目が無いと、安物や偽物を掴まされてしまうからです。いわゆるバッタもんです。しかし、しっかり作り込んでいて、手にした時にしっくりと手に馴染むモノは、確かに値段は高いのでしょうが「所有する喜び」も感ずる事ができる筈です。自分が労働して得た価値は、是非自分を喜ばすためにこそ使いたいものです。モノやサービスを見る目を育てるためには、「飛びつかない」事がことさら重要でしょう。欲しくなったら、先ずは候補をいくつか選び、それぞれを細かく比較する事が重要です。価格、使われている材料、デザイン(色合い)、手触りや仕上げ(テクスチャー)、使い心地、アフターサービス(修理の可否)などを総合的に評価すれば、最終的に他にしたいモノが自動的に残るでしょう。それでも納得が出来ない様であれば、迷いなく見送りましょう。世界を広く探せば、買うべきモノやサービスが見つかるかも知れません。もしそれも見つからなければ、努力して自分で作る事を考えれば良いのです。もし、それが多くの人々も納得するレベルであれば、もしかすると新しい商売になるかもしれませんし・・・。

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2014年5月22日 (木)

2392 見果てぬ夢

宇宙アパートがまた空き家になりました。もう一人か二人の住人を送る予定がある様ですが、全く理解できません。「アストロノーツ」という言葉は、20世紀の後半を通じ、取り分け子供達の憧れでもありました。漫画アストロボーイ(鉄腕アトム)や宇宙もののSF映画もその憧れに油を注いだでしょう。しかし、有人の宇宙飛行が如何に無意味で危険なものであるかはやはり再認識されるべきでしょう。地上からたった400㎞上空の軌道上に浮かぶ宇宙ステーションでの数か月のミッションにおいてさえ、飛行士の骨を脆くし、風呂にも入れず、宇宙食しか口にできません。まして、数年から10年にも及ぶ火星への有人飛行など、想像するだけで気が狂ってしまいそうです。たった数歩も歩けば(宇宙で歩く事は無いのでしょうが)壁に突き当たる狭くて閉ざされたスペースシップ内で、数人の同僚と何年間も過ごす状況で、全く正気を失わない強靭な精神を持つ人が居るとはとても信じられません。もし宇宙船に致命的な故障が起こっても、救援が来るまで数年は待たなければならない状況など、映画の中だけで十分でしょう。

それが、短時間火星に降り立ち、赤茶けた砂を持ち帰るだけで、それが国の威信を高めると信じている輩が居るとすれば、やはり正気とは思えません。火星をもっと知りたいのであれば、マースパスファインダーより凝ったロボットを送り込めば良いのです。地球から指令を送らないでも、自律的に考えて行動するロボットです。

宇宙飛行士=スペースシップ運転手が多くの子供の理想の職業である、などと思い込ませるのは、まったく大人の罪でしかないでしょう。月や火星に、人間が健全な状態で住めるなどと言う20世紀の夢は、見果てぬものである事は今世紀に入ってますます明らかになってきました。宇宙ステーションの無重力実験から生れた医薬品はありませんでしたし、人々も無重力を使った「宇宙マジック」にもソロソロ飽きてきたでしょう。今後とも宇宙ステーションを活用したいのであれば、是非立派なロボットを送り込みましょう。それらは飯も食わずに、寝る事も無しに熱心に種々の実験をこなすでしょう。もちろん、そこから重要な結果が生まれるとはとても期待できませんが・・・。何度が繰り返してきた言葉をここでも言わざるを得ません。「宇宙には、暗黒と無重力しかありません」。夢は夢としてそっと置いておきましょう。

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2014年5月21日 (水)

2391 セミ・オフグリッド2

同じ様なタイトルで以前にも書いたような気がしますが、同じタイトルでもう一度書くと別の角度で考えるか、あるいは更に掘り下げる事にもなると思いますので、再録です。さて、オングリッドという言葉があるのかどうかは知りませんが、グリッドとは送電線網を網目(グリッド)を見做した表現ですが、オフグリッドとは電力会社とは全く縁を切った、電力の完全自給を意味します。それを実現するためには、天気変化(つまりは晴れの日、そうでない日)を完全にデータ化した上で、年間を通じて得られる電力が、消費電力を上回る程度の容量の太陽光発電パネル(PV)と、その電力を日照が無い時間帯や期間も電力が供給できる程度の大容量のバッテリーが必要な事は明らかです。

冷暖房をバイオマスなどの再生可能型エネルギーで代替すれば、PVは3kw程度で済むのでしょうが、オール電化ともなれば10kw程度のPVを投資する必要があるでしょう。日照が無い3日間かそれ以上電力を自給できる容量のバッテリーまで考えるとかなりの投資額に上る事は容易に想像できます。第一10kwものPVを載せるための屋根面積などは、庶民の家では全く現実的とも思われません。

そこで、セミオフグリッドなのです。それは、例えばベランダや屋根を使って可能な限りの容量のPV、例えば1kw程度のPVを設置します。そのPVの1日分程度の電力を蓄える事ができる程度の小規模のバッテリーも必須です。それに加えて、バッテリーに蓄えた直流を交流に変換するためのパワコン、あるいはインバータが必要です。そこで得られた電力は、例えば居間や書斎の様な、あまり大きな電力を使わない系統につなぎ込みます。しっかりした工事とするなら、ブレーカの1系統を切り離して、そこにつなぎ込む様な電気工事が必要になるかも知れません。しかし、さらに小規模で電力が十分に小さいと場合には、ブレーカの1系統を落として、その系統にある一つのコンセントにパワコンからの電力を繋ぎ込むだけで済むでしょう。自分で仕掛けをする場合には、リスクも自分で負う必要はありますが、投資総額は、精々50万円かそれを少し上回る程度で収まる筈です。これで、災害時や停電時でも、絶対に停電しない部屋が出来ますし、電力を自給した分は確実に電力料金も低下するでしょう。

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2014年5月20日 (火)

2390 目くらまし?

最近のこの国の政治の方向を眺めていると暗澹たる気持ちになります。いま政治の舵を握っている人たちは一体何を考えているのやら、あきれ果ててしまう程です。Fクシマの復興無くして、日本の復興は無い、といっている同じ舌で、集団的なんちゃらというややこしい議論をまき散らしている訳です。ここまで来ると、Fクシマ第一原発の汚染の拡散は、原発港の防波堤の中で完全にコントロールしていると公言してしまったオリンピックスピーチを誤魔化すために、煙幕を張っているとしか考え様がない程の違和感を感ずるのは投稿者だけでは無いように思えます。

最重要課題に行き詰まりが生じている場合、多くのリーダー達は張り子の龍(虎?)を持ち出して、新たな脅威を演出してきたのは、洋の東西を問わない常套手段でした。戦争を正当化するための、架空の敵国を作り出す、あるいは政敵を駆逐するために、クーデターをでっち上げるなど、その例は枚挙に暇がないでしょう。Fクシマは、実際迷走している様に見えます。未だに炉心冷却のための水を送り続け、溶融した燃料の位置や状態さえ把握できない状況で、増え続ける汚染冷却水や汚染地下水を浄化するための最重要の装置にける度重なるトラブルなど、「完全にコントロールしている状況」からは程遠いのでしょう。

同じ様なレベルの国の「最重要課題」としては、財政の再建、成長戦略の立案、拉致問題の解決などもあるのですが、それらについても直ちに有効な手が打てそうな状況ではない事は、国民も薄々理解していると思われます。であるからこそ、これらの件とは全く関係の無い憲法解釈問題(何が問題なのかは理解できませんが)なんぞを持ち出して、衆目をそちらに引き付けようとしているに違いありません。このブログは他人や政治の批判を目的にはしていませんが、あまりにも民を愚弄する目くらましを駆使したマツリゴトには、強いしっぺ返しを期待するしかありません。

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2014年5月19日 (月)

2389 再エネ100%

FB友の投稿によると、山形県のある住宅で再生可能エネルギーの使用率ほぼ100%を達成した様です。その中身は、大きくは太陽光発電に加えて、冬季の暖房に薪ストーブの利用した結果でした。考えてみれば、住宅のエネルギー需要は日常的な電化製品(電灯、洗濯機、冷蔵庫、調理器具など)に使う電力と、北国の場合は冬季の暖房用(その多くは灯油に頼ってきた)が殆どでしょう。短期的には夏場の冷房エネルギーも要るのでしょうが、東北中部以北では長くても1ヶ月もは続かないでしょう。

従って、それなりの規模(例えば3kw)程度の太陽光と、性能の良い薪ストーブかペレットストーブがあれば、かなり高い率で再生可能エネルギー化できるでしょう。ここで問題となるのは、給湯です。一般的なケースでは、これをガスか灯油焚きのボイラーか給湯器で賄っている場合が殆どでしょうから、屋根に太陽光発電(PV)を上げて、薪ボイラを入れても、例えば20%程度の化石エネルギー使用が残ってしまう事になります。

それを残った化石エネルギーを代替する再エネは、実は太陽熱しかありません。つまりは太陽熱給湯器です。屋根にPVを上げると、太陽熱給湯器を諦めるケースもあるのでしょうが、最近の太陽熱給湯器はコレクター(集熱器)の置き場所には制約はありません。集熱器と貯湯器と循環ポンプを別置きに出来ますので、例えばコレクターを庭に置けば、屋根は全面的にPVに明け渡せる訳です。給湯器にコレクターの設置面積は精々2㎡程度でしょうから、それ程庭の面積を犠牲にする必要はありません。最初に示した住宅でも、この組み合わせで100%を達成していたのでした。この3点セット、PV+バイオマス+太陽熱温水器の組み合わせでは、北東北取り分け日本海側の地域では冬季はやや厳しいのも事実です。日照時間が極端に短くなるからです。その場合は、PVをやや大きめにし薪ストーブを薪ボイラに換えて暖房と給湯を賄える様に計画すると、同様に再エネ100%は達成可能になるでしょう。要は、答えはたった一つではなく、地域の特性によって組み合わせや割合を上手く変える必要があるとの結論になるでしょう。

ちなみに、薪ストーブはストーブ本体と煙突工事がほぼ同等のコストが掛かるので、少し頑張れば薪ボイラに手が届くのです。但し、薪ボイラを設置する小屋の様なスペースも必要となるので、薪小屋とのコンビで別途準備する必要もあるかも知れません。続きます。

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2014年5月18日 (日)

2388 人種のモザイク

かつて米国は人種のルツボと呼ばれ、一方北の隣国であるカナダは人種のモザイクと呼ばれていました。現在でも状況はそんなには変化していないとは思いますが、これは今世界の各地で起こっている地域紛争を鎮める、一つのヒントになっている様な気がします。ルツボ(坩堝)とは、つまりは鍋料理にも似て、色々な人種が入り混じって暮らし、混血も進んでやがて一つの新たな文化(味)を形成する過程を指します。一方モザイクとは、移住した人種が入植したテリトリーを守り、混じり合いを少なくして穏やかなそれぞれの地域社会を形成する事に似ています。これはカレーとライスを別々に盛り付ける様なものでしょう。

さて、ヒトは自分勝手な存在で、結構「ナワバリ」を主張する生き物の様です。そうでなければ、これまでの長い歴史年表の中の多くのイベントが戦争で占められている事の説明が難しくなります。そのDNAは、まさに現代まで引き継がれている様で、今日でも紛争のニュースが流れない日は少ないでしょう。アジア、中東、アフリカ、東欧、アフガンなどなどです。紛争は、お互いのテリトリーの境界で発生しますから、境界線を画定し、それぞれがその境界の中で、モザイクの様に調和を保って暮らせば、多くの紛争も下火になるのではないかと思っています。

それでも、明確な地形的な境界(例えば高い山脈や海や大河)があればまだやり易いのでしょうが、海や空など連続した地形に線を引くのは骨の折れる作業ではあります。そこで必要となるのが「緩衝地帯」になる訳です。環境地帯の中では、多分小競り合いが減るか、あるいは殆ど無くなる事でしょう。つまり、境界線は「線」ではなく、幅を持った「太線」とすべきなのでしょう。それはさながら、色付きガラスを金属(鉛)の縁で繋げるステングラスにも似ています。必要な知恵は、緩衝地帯を設けるルールを決める事にありそうな気がします。それは物理的な緩衝地帯という形も必要でしょうし、一方ではそれぞれの社会が持つ文化的、精神的な緩衝地帯も必要となる事でしょう。困った事に、ヒトは縄張りを主張する生き物であると同時に、自分や自分の属するコミュミティを、他人(他のコミュニティ)に尊重させたがる存在でもあるからです。

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2014年5月17日 (土)

2387 富栄養化

たまに環境カウンセラーらしい投稿です。八郎湖(干拓の残存湖)の富栄養化が問題になり続けています。人口は希薄な地域なので、湖水の富栄養化の犯人は生活排水ではありません。原因は、干拓地で大規模に行われている農業(稲作)からの農業排水なのです。その排水の中には、過剰に施肥されて農作物に吸収されなかった肥料分が含まれています。即ち、N・P・Kが豊富に含まれる排水なのです。植物の栄養素が豊富に含まれる水が残存湖に入ると、植物プランクトンが元気になり大発生する事になるのです。それらは見かけ濃い緑色を示すので「アオコ」とも呼ばれます。いま行政は、水中の酸素を増やす事によって、富栄養化+溶存酸素不足の環境で爆発的に増えるアオコを抑える実験を始めています。

同じ様な過剰施肥が原因で起こった別の害も思い出します。以前住んでいた岐阜県のK市では、ニンジン畑への過剰施肥が原因で地下水汚染が起こったのです。この町では水道水の水源として地下水を使っていたのですが、肥料分を含んだ水が浸透し、地下水が肥料分取り分け窒素肥料分が変化した「亜硝酸塩」で汚染されてしまったのでした。亜硝酸塩は、発がん性のある物質として真っ先にやり玉に挙げられる物質です。慌てた行政は、農家に対して適正な施肥量の指導を行い、汚染は徐々に低下していったのでした。

しかし、公害やこの様な環境汚染は、出してしまってから処理するのでは遅すぎるのです。先ずは、原因物質を元から絶つ努力が必要です。十分な施肥によって、コメの食味は向上し、商品としての等級も上がるのでしょうが、実際には厳密なデータに基づいた適正な施肥量が決まっている訳ではありません、従って農家は安全サイドで過剰な施肥を選択する訳です。先ずは、食味や等級を維持しつつ、必要かつ十分な量(Minimum Suficient)の見極めが必要なのです。加えて、水系に既に放出されている燐や窒素分を効率よく吸収する動植物を導入する必要があります。具体的には、シジミなどの貝類や葦などの富栄養化を軽減する湿地植物です。つまりは両面作戦が必要だと言う事です。

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2014年5月16日 (金)

2386 出口戦略の難しさ

一連の出来事のステージで、一番難しいのはその終わらせ方でしょう。何事も始めるのは、比較的簡単です。たぶん、いくばくかの準備と、始めようとする意志があれば事足りるでしょう。しかし、イベントを終わらせるのは実は至難のワザだと言えるでしょう。何故なら、イベントが動いている間中、それに関わった多くの人々には種々の利害関係が出来ていて、取り分け利益を享受している(利権を持っている)人々は、それを手放す事を極度に忌避するでしょうし、ささやかな利権を持っている人々でさえ、生活の基盤を失う訳ですから、それに抵抗するでしょう。イベントを終わらせるためには、実は周到な準備が必要となる所以です。

さて、上で暗に言っているイベントとは、連綿として続く経済活動の膨張や20世紀の科学・技術のあくなき進歩などを指しています。例えば経済です。経済の出口戦略を誤ると、バブルの崩壊という破局を迎えてしまうでしょう。経済は生き物で、「息をする」ものでもありますから、凸凹の無い一貫した右肩上がりの成長など、そもそもあり得ないはずです。リスクを回避するためには、上昇率の非常に緩い成長と、折々に意識的に「踊り場」を作るなどの工夫が必要です。然るに、時の政権は目先の票を集めようと、小手先の景気刺激策を繰り返すのです。これは自由主義経済のどうしようもも無い欠陥であり、現代社会にはその大きな歪が蓄積されてしまったと考えるべきでしょう。

科学・技術に関しても深刻です。科学・技術を突き詰めると、各分野でドンドン掘り下げて専門性を上げる必要性に迫られます。それが研究者に課せられた使命だからです。しかし、予算を付けて、一つの原理なり技術を掘り下げると、研究者には出口が見えにくくなるはずなのです。期限を切られて、成果を求められる場合、闇雲に実験を繰り返し、「結果」を出さなくてはならないプレッシャーが掛かる筈です。IPSにもSTAPにも同様のプレッシャーが降りかかっていた筈です。そのプレッシャーの元では、必要なのは結果であり、結果を出すために「初期の目的」さえ放り出さざるを得なくなる訳です。結果ありきとなれば、その結果を得た過程のメーキング(改ざん)さえ許される雰囲気も生まれようと言うものです。科学・技術の研究に着手するのは、スタッフと予算さえ準備すれば済むので容易です。しかし、その出口、つまりは研究の成果を出し、それを地球の持続可能性を高めるために応用する、事は至難のワザなのです。必要な事は、常に目的に立ち返ってのチェックだと思っています。

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2014年5月15日 (木)

2385 村の宝

日本の村々には、あまり活用されていないが多くの宝がある。しかもそれらは都市には全く欠けているものばかり。例えば、

  • 里(山)の景観

  • 里山の恵み(薪炭・山菜・野生の果実)

  • 田んぼ・棚田(水源・ビオトープ)

  • 私有林・入会林(木材・燃料)

  • 滝・沢・谷川・小川(水力・川遊び・美味しい水、川魚)

  • 家畜(堆肥)

  • 雪・冬の寒さ(食品加工)

  • 夏の涼しさ(避暑)

  • 蛍や昆虫(自然観察)

  • 新緑・紅葉(メリハリのある季節感)

  • 温泉

  • 安い土地

  • 古民家

  • 野外活動スポット

  • 神社・祭り

  • 寺・ご先祖

  • 人の輪=寄り合い・念仏講

  • 助け合い・結い

  • 伝統・老人の知恵

  • 野生動物

  • 食糧の完全自給

  • 果樹(リンゴ、梨、ブドウ、柿、栗など)

  • 大家族にも十分な広い住宅

  • しきたり・風習

  • 地区の学校

  • 地の味・田舎料理・そば・うどん

  • 地酒・ワイン・ビール・どぶろく

  • 静けさ・安らぎ

  • 空気・森林浴

  • 虫の声

  • 鳥のさえずり

  • 土(有機物の豊富な土壌)

  • 炭焼き小屋

  • 水車小屋

  • ご神木、大木

    などなど

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2014年5月14日 (水)

2384 インフラ依存エネ

エネルギーは、通常、化石エネルギーと再生可能型エネルギーに分類され、議論されます。これは、化石エネルギーは資源の賦存量(採可年数)問題と消費時に発生する二酸化炭素(温暖化)問題、再生可能型エネルギーに関しては、コストによる経済圧迫問題などが議論の対象とされるからです。しかし、ここに来て急速にエネルギー供給のインフラ問題がクローズアップされてきたような気がします。つまりは、各地で起こっている国際紛争(国内紛争)が、巨大に進展してしまったエネルギーインフラを寸断するリスクが急速に高まってきたからです。

例えば、天然ガスに関しては石油随伴ガスとして産出しますので、石油と同様に資源の偏在が極端です。大きくは、ロシア、中東、シェールガスが軌道に乗り始めたアメリカなどが主要なガス産出地域になります。その配送のためにインフラは、欧州ヘは東ヨーロッパを通過するパイプラインで、その他の地域にはLNG運搬船が使われています。前者に関しては、Uクライナ紛争によって風前の灯になっていますし、東南アジアではC国の海洋進出がシーレーンの安全を脅かしています。また、その背景には、中東やアフリカにに根を下ろしている国際テロリストによる脅威は縮小する兆しなど全くなく、むしろ拡大傾向さえ散見されます。

インフラは、消費の拡大局面では確かに便利なシステムではありますが、電力、石油、ガス、水道などに下水に通信や交通網などを加えたインフラが巨大になればなるほど、紛争リスクや自然災害リスクに対しては脆弱になっている事に、私たちは注目すべきなのです。インフラは、いわばピンと張った糸であり、大元がトラブルか、または幹線(トランクライン)が遮断される事により直ちに機能が失われてしまいます。本来であれば、インフラ網の随所に貯め(バッファー)を設ければ、脆弱性はかなり防げるのでしょうが、しかしそれとて1週間程度の短期のリスク回避策にしかなりません。コストの問題はあるにしても、少なくとも2-3割のエネルギーは、地域で分散しながら自前のものを確保する努力は必要でしょう。2-3割というレベルで、たぶん必要最小限のレベルで、社会機能を維持する事ができるからです。

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2014年5月13日 (火)

2383 まだ見ぬ世代

我々世代が一体何のために、誰のために生きているのかを考える事があります。若い頃は間違いなく、自分のために、結婚してからは自分と家族のために生きてきたような気がします。しかし、歳を重ねて壮年に差し掛かると、やはり我々はまだ見ぬ世代のために生きなければならないのだ、と思うようになりました。何故なら私たち自身のご先祖様は、間違いなくそうしてきたからです。彼らは、灌木や雑草だらけの山合いの土地を開いて、棚田や畑を拓き、用水路を引き、海岸に防砂林や山に材とする木を植えてきたのは、まさに彼ら自身の世代のためではなく、まだ見ぬ子孫の幸福を真剣に考えて来たからに他なりません。だって、植えた木が伐採されてお金となるためには、数十年の年月が必要で、そのためにはしばしば山に入っての下草刈りや木に登っての枝打ちなどの辛い山仕事をこなさなければならないにも拘らず、自分の世代では一文のお金も受け取る事ができないのですから。ご先祖様たちは辛い山仕事も、結局まだ見ぬ世代の幸福を強く願う事によって絶えてそれを昇華してきたとしか思えません。

エネルギー問題は、単に化石エネルギーや原子力の資源の賦存量の問題やGHGの増加や放射性廃棄物処理の問題ではなく、実は典型的な世代間格差の問題なのです。我々がアメニティを享受したゴミ(廃棄物やGHGや放射性廃棄物)を、まだ見ぬ子孫に始末させようなどとするのは、人間としては最低の行いでしょう。子孫の幸福は、デフレ対策や景気浮揚やエネルギーの確保などの現世代のあらゆる幸福に優先すべき事だと言うしかありません。私たちは、少なくともご先祖様が私たちしてくれたと同じ程度の努力を、まだ見ぬ世代のために傾けなければならない筈なのです。

然るに、今の社会の体たらくです。何故、次の世代に労苦を背負わせようとするのでしょう。化石エネルギーの枯渇もGHGの増加も、ましてや放射性廃棄物のの処理も、まさに子孫に負わせる労苦に他なりません。システムから出る廃棄物の処理は、システム自体の後始末は、それを作って利便に浴した世代の絶対的で逃れられない責任なのです。

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2014年5月12日 (月)

2382 里海という資源

里と里山につながっているのは川で、その先には里海があります。里海とは、簡単に言えば海岸に近い浅い海を指します。そこは、間違いなく里山や里の影響を強く受けている海域になります。影響とは、もちろん川が運ぶ土砂が海岸近くに堆積する事もありますが、陸から海に流れ出す各種のミネラル分や有機質がそこに棲む生物に及ぼす影響も非常に重要です。例えば鉄分です。鉄分は、植物(プランクトン)の活動に重要な働きをするミネラルです。田んぼでも、かつては鉄分の豊富な山土を入れる行為(客土)を行う事で、収量の低下を防いできました。

植物プランクトンも植物そのものであり、鉄分豊富な海域では良く育ちます。沈没船から溶け出す鉄分によって、海藻が良く育つ所以です。海藻が育てば、それをエサとする生き物(例えばウニやサザエなど)が良く育ち、それらの小動物をエサとするタコや魚類の影も濃くなるでしょう。まさに、里山の生き物の活動(食物連鎖)と全く同様である事が分かります。

しかしながら、里海を豊かにする陸上の植生は何でも良い訳ではありません。最も里海と相性が良いのは、落葉樹林である事は良く知られた事実です。何が有効かですが、どうやら落葉した葉っぱ(腐葉土)から浸みだす水に秘密がある様です。林床の腐葉土からは、植物が土壌から吸い上げたミネラル分に加えて、水に溶けるフルボ酸類や、水に溶けないフミン質類などを豊富に含む水が浸みだします。それらは、やがて渓流や川となって海に流れ下り、そこで海の植物(プランクトン)を育むのです。つまりは、里山も里海も、土壌というミネラルや有機質の貯蔵庫から、必要なものを植物が吸い上げ、それが食物連鎖の始まりでもありますが、実は終点でもあるのです。そのサイクルのカラクリを回すのは、もちろん太陽起源のエネルギーですし、メディエーターとしての水でしょう。

ところで川は、上流から下流へ物質を運ぶだけではありません。魚は、川を使って有機質を下流から上流へ持ち帰る存在でもあります。それをクマや鳥が捕食し、食べ残しやフンという形で林野にまき散らすのです。その証拠として、落差の大きな滝が俎上する魚を遮っている場所では、上流の林が貧弱になっている一方、滝の下流の樹木は太く、高く育っている現象が確認されているのです。

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2014年5月11日 (日)

2381 里山という資源

この国には里山という資源もあります。平らな場所は田畑として切り開かれますが、傾斜地もご先祖様は有効に活用してきました。もちろん、萌芽再生が活発な雑木は薪炭として活用され、それとは別に材となる針葉樹や真っ直ぐに成長する広葉樹を積極的に植林もしてきたのです。その結果、国土の2/3を占める森林面積のおよそ半分は、実は人の手の入った人工林(やその二次林)になっているのです。

里山からは、薪炭や材ばかりではなく、食糧(山菜や木の実や果樹)や薬草や嗜好品まで多くの生活必需品を採取する事ができます。まさに、里山は持続可能な資源の代表であると言えるでしょう。その持続可能性を支えているのは勿論、降雨(降雪)と太陽光ではありますが、さらに欠かせないのが、そこに棲む動物と人間の関わりだと言えるでしょう。動物は、もちろん里山の植物を利用しますが、一方で種子を運び、肥料を落とします。人間は、里山を利用しながら間引き、樹木の萌芽再生を促します。間引きによって見晴らしが良くすることで、結果としては樹木の若芽を食い荒らす、イノシシやカモシカなどを遠ざけます。

里山は、また水源涵養林としても役割を担います。落葉樹が葉を落とし、フカフカの林床を作る事で、フミン質やフルボ酸や鉄分などを豊富に含む、豊饒な水を里にもたらします。水田が持続可能なのは、間違いなく灌漑により山からの養分の富んだ水を、継続的に利用する事ができているからでしょう。

こう考えてみると、里山を継続的に利用するには、日常的に里山に入り、上手に手を入れる活動を続ける事が最需要である事が分かります。私たちは、いま最晩年を迎えている筈の先輩諸氏に、里山に入り、利用し、手入れする方法を学んでおかなければならないでしょう。手遅れにならないうちに。

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2014年5月10日 (土)

2380 田んぼという資源

秋田と岐阜の行き来の際に見る新潟平野の壮大な田んぼの風景は見事というしかありません。国内ではその広さ、その平坦さにおいて、群を抜いています。春先は、代掻きが終わった田んぼに一斉に水が引かれ、道路を走っているとまるで広大な湖の真ん中を走っている様な錯覚さえ覚えます。TPPやEPAがどうであれ、先祖代々開かれ、維持されてきた田んぼは、やはりこの国の偉大な伝承資源であるとしみじみ感じます。田んぼは、一度作ればそれで終わりという「雑」な農地ではありません。その維持には、畔の補修や草刈り、泥の中の異物の除去、冬場の乾燥などなど、外から見る以上の労力を必要とする筈です。場所にもよりますが、やや時期が遅い秋田でも田植えがはじまりました。カエルが冬眠から目覚め、騒がしくなると同時に、水棲生物やそれをエサとする鳥やヘビなどの小動物も活動を始めます。もちろん、それらを狙う猛禽類なども子育ての季節を迎えるのです。

さて、田んぼでは専ら稲を育てますが、長い期間に亘る減反政策の結果、畑に替わった場所と、全く耕作されていないいわゆる耕作放棄地も結構目立ちます。特に、中山間地の沢の奥に開かれた面積の狭い棚田は、ほぼ例外なく耕作が行われなくなっています。大型機械が入らないので、一家総出での人力による田植えや稲刈りが出来る農家以外は、事実上今後とも耕作は行われない場所になってしまったのです。そこには、すでに雑草や灌木が侵入してきており、再度の耕作には多大な労力を要する事でしょう。

私たちは、この先祖伝来の広大な資源を、仇やおろそかにすべきではないでしょう。コメが作れないのであれば、もっと手の掛からない作物や菜種などのエネルギー作物を作るべきでしょう。例えば、タロイモなどは結構手間が掛からない作物の代表でしょうし、稲以外の水田に適した作物もあるはずなのです。見事な田植え機や稲刈り機を開発したメーカーには、タロイモ収穫機の開発など造作もない話でしょう。春先にヨーロッパなどで見られる様な広大な菜種畑を作れば、そこから得られる菜種油を一度食用油とするか、あるいはそのまま使って車や農業機械の燃料とすることも出来ます。ディーゼルエンジンであれば、簡単な改造で菜種油を燃料とする事が可能な事は意外に知られていないのは残念な話です。改造を施したエンジンを、SVO(Straight Vegitable Oil)エンジンとも呼びます。田んぼは、その意味で、持続可能な食糧庫でもあるし、また油田にもなり得るのです。別の言葉で言えば、田んぼとは、祖先が発明した太陽エネルギーのバイオマスへの変換装置でもあるのです。

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2014年5月 9日 (金)

2379 休題(山菜)

北国は山菜の季節です。知らないものを含めると何十種類にもなるのでしょうが、投稿者が名前を言える範囲でも、春先のバッケ(フキノトウ)から始まり、ヤマウド、ギョウジャニンニク、コゴミ、ミズ、ワラビ、ゼンマイ、タケノコ(細竹)、イタドリ、などが思い浮かびます。北国の人は、この山菜取りが本当に大好きで、たとえ冬眠明けで同じ山菜を狙うクマに出会うリスクがあっても、あるいは道に迷って遭難するリスクがあっても山に向かいます。田舎の道を走っていても、道端の藪の中から突然腰にカゴをぶら下げた人が現れたりします。

山菜は基本的には、春一番に芽を出す木の若芽だったり、植物本体の芽だったり、フキノトウの様に本体に先立つ花芽だったりするのですが、いずれにしてもそこには植物を急激に成長させる、ホルモン様物質、オーキシンやジベレリンやステロイド系の物質などが使われているのでしょうが、多分まだ十分には知られていない物質も関与していそうな気もします。いずれにしても、それらのいくつかは、冬眠明けの動物や多分ヒトにも重要な壮健作用を持って居るはずだ、と想像しています。昔の人は、多分それを経験的に知っていたのでしょう。

生鮮野菜が乏しい厳しい冬を越して、ヒトも動物も体が求めるのが春先の山菜なのでしょう。その営みは、今日々口にしている温室育ちの西洋野菜などが食卓に上がる何百年(多分何千年)も前から、食べられていた筈です。まだ、山菜採りの師匠に出会っていないので、今のところは仕方なくスーパーに並んでいる山菜達でも食べるしか方法がなさそうです。それにしても、春先の山は、結構アブナイ場所でもあります。毎日の様にクマ被害や遭難騒ぎがニュースになります。

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2014年5月 8日 (木)

2378 役割分担

投稿再開です。さて、最近感じるのは、この国の社会は、構成員への適正な役割分担を行えていない様に見える事です。確かに、企業の正社員やお役人・教員などの公務員は、それなりのタスクを与えられて、日々仕事に勤しんでいるかのも知れません。しかし、それ以外の社会構成員、即ち非正規労働に当たる人達、主婦、子供、お年寄りには必ずしも相応しい仕事を与えられているとはとても言えないでしょう。立場に相応しく適正な仕事とは、即ちいくらかでも社会に役立つ、というのが大袈裟なら他の構成員に役立つといい直しても良いのですが、ものだと言えるでしょう。有償であれ無償であれ、何らかの役割は人々に生きるハリを与え、活動力を高く維持する支えになるでしょう。

例えば、お年寄りには絶対に「楽隠居」をさせてはならないでしょう。もし、その様な立場に追い込めば、彼らの活動レベルは日々低下し、やがて寝たきりになるか、はたまたボケてしまう筈です。何故なら、筋肉も頭も使わなければ、縮小してしまう器官の代表だからです。宇宙飛行士が長期間重力から解放されて陥る筋力の低下と、骨密度の低下の映像を見れば、楽をした結果を目撃する事が可能です。お年寄りは、杖を突いてでも、老人車を押してでも、兎に角毎日歩き、筋力を維持する必要があるのです。その上で、各人が出来る範囲内での役割を担っている事もまた必須なのです。それは小学生の見守りでも良いのです。朝晩、通学路に立って子供たちに挨拶をするだけでも十分です。然る後に、道端に落ちているゴミ拾いでも行い、ついでに道路端の空きスペースに季節の花でも植えれば、完ぺきでしょう。植物には、施肥や水やりは欠かせませんし、害虫から守ってやることも必要となるでしょう。それが、役割となってやがて生き甲斐にもつながるでしょう。

子供にだって役割は必要です。取り分け、年齢の低い内に他人の役に立つ事が喜びにつながる体験を積み重ねる必要があるでしょう。家の手伝いから始まって、行事の準備、運営など、子供にも出来る仕事は多い筈です。投稿者の子供時代には、残飯を近くの養豚農家に持っていくとか水汲みや薪割といった、子供向けの仕事も結構あったものした。

今の時代、お年寄りには楽隠居させ、子供にはゲーム機を与え、一方では口うるさく勉強を強いるなど、彼らから役割を奪う最低の仕打ちであるとしか言えないでしょう。役割を与えられない人間は、やがて社会から弾きだされてしまう事になるのです。人は閑居すれば不善を為すしかないのですから・・・。

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2014年5月 4日 (日)

2377 休稿

旅行のため数日休稿です。

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2014年5月 3日 (土)

2376 出来る限りの自足

自給自足という言葉がありますが、今の時代100%それを実行するのは至難のワザと言うものです。しかし、出来る範囲内での自給となれば、それなりに実現可能でしょう。食糧の自給であれば、実のところ東北、北海道ではほぼ100%以上可能でしょうし、エネルギーに関しても「緑の分権改革委員会」のデータによれば、ポテンシャルとしては100%を超える様です。もちろん、その中身は風力、太陽光、太陽熱、バイオマス、小水力、潮汐等の全てのポテンシャルを活用しての試算ですが・・・。いずれにしても、100%ではなく、例えば10%、20%というレベルであれば、その実現にはそれほどの努力の傾注も時間も掛からないでしょう。必要な事は、その様に誘導する仕組み作りだけなのです。

自給の実現に向けてはインセンティブ(ご褒美)を設定し、その逆の行動にはペナルティ(罰)を課します。最初は両方を軽く設定し、流れを見極めて徐々に重くしていけば良いでしょう。FITの様に20年間も固定してしまうと、そのインセンティブ(結局はそれは消費者の負担なのですが)を当てにしたビジネスが動き出し、オーバーシュートしがちになります。「儲けられる内に儲けておけ」という風潮です。

急激な変化はいずれにしても好ましくはありません。必ず歪を産み、その歪を使って儲けを企む輩が出てくるからです。そうではなくて、自足の動きもジワジワ進める必要があります。知らない間に自給率が5%を超え、10%に達していた、といった変化が望ましいでしょう。10人に一人が自給を実現してしまえば、ソロソロ世の中の流れにも勢いがついてくるはずです。その流れをアメとムチを使ってコントロールするのです。インセンティブとペナルティは毎年の様に見直す必要があるでしょう。そうなると、大企業・大資本が目論む様なメガソーラや大型風車といった大型投資はやりにくくなるでしょう。代わって、あまりお金を借りなくて済む小規模システムが有利になるはずです。結局、ジワジワ進める出来る限りの自給を突き詰めていくと、小規模システムを多数集める方向にならざるを得ないのです。

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2014年5月 2日 (金)

2375 人口減社会

2008年をピークに、この国の人口は減少局面に入りました。その事自体は別に悪い庫ではないと思っています。この国の国土が、持っている資源だけで養える人口は、僅か3000万人とも言われているからです。それ以上の人口を維持させるためには、どうしても資源や食糧を海外から輸入するしかない訳です。

しかし、2040年に8000万人を割ろうがそれは、一つの断面でしかないのですが、問題は「人口構成」だと言えます。つまり、人口構成の理想は、ピラミッド型か、悪くても釣鐘型であれば特に問題は無いのですが、最悪は「ツリー型」と呼ばれる、若年人口が極端に少ないパターンが出てきました。この国は、まさにその悪いパターンにハマりつつある数少ない国でもあります。つまり、高齢者が医療の進歩によって十分な長さの寿命を得ているのに比べ、生まれる子供の数がますます減少する傾向になると言う悪い循環に陥っているのです。

最近市町村単位の人口推移予測のデータが作られた様です。更に困るのは、そのバランスの悪い人口構成に加え、今起こっている事は地域による人口構成の極端な偏りなのです。大まかに言えば、田舎には年寄りだけが残され、都市には若者が集中すると言う現象です。こうなると、人口ピラミッドの構成がますますアンバランスに陥るのです。さて都市に集まった若者達ですが、自分が貰っている給料を考えると、相対的な物価高で我慢せざるをを得ない狭い住環境や生活環境故に、結婚や子育てを諦め、一生を独身で過ごすと言う、「消極的選択」を余儀なくされているのです。

考えるべきは、「バランスの取れた人口減」の道筋だと思うのです。そのためには、やはりこのブログでも何度も書くように、先ずは人口の地域によるアンバランスの解消しか策は見当たらないのです。田舎には、食糧も安くて広い住環境もありますが、相対的にエネルギーや工業製品や加工食品は流通の不利などにより割高になるデメリットはあるのでしょう。しかし、何より複数世代で同居さえできれば、例えば二所帯が同居しても生活費は多分1.5倍程度に収まるでしょうから、物価高もそれほど負担にはならないでしょう。いずれにしても、人口問題は今手を打っても、効果が出てくるのにはかなりの時間(少なくても10年レンジの)が掛りますから、先を読んで迅速な行動が必要です。

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2014年5月 1日 (木)

2374 あるもの探し

私たちは無いものねだりを諦めなければなりません。誰かが言っていた様に、黙っていれば国が私たちに何かをしてくれる訳ではなく、私たちの行動を寄せ集めたものが国そのものだ、と言うしかないのです。国や行政に期待するのはもう止めにしましょう。3本の矢で、新たな仕事が生まれ、景気が良くなって、給料も上がっていくなどと考えるのは間違いなく昭和時代の夢の続きでしかありません。仕事は自分で考えて作るしかないのです。新エネルギー産業を興す、などと考える前に、製材所で余っている端材を使ったり、荒れた山に入ってボチボチと薪を切り出して、燃料にすれば、雇用とささやかなバイオマス産業が生まれるのです。

一見役に立ちそうもない小川の流れや僅かな落差も、それがそのまま川や海に流れ落ちているのであれば、最後に一働きして貰えば、家数軒分くらいの発電は可能となるものです。

各戸の屋根に降り注ぐ太陽光も、お金がある人はPVシステムを上げれば良いでしょうし、そうでない人は水を暖めて風呂に入れば良いのです。また屋根に降る雨もバカにはできません。集めて雨水タンクに貯めておけば、打ち水や庭木の水やりには十分な量になるはずです。それを、蛇口から出した水道水で賄うと、水資源と電力の両方を浪費してしまうでしょう。

先ずは、身の回りにある材料、日々必要とする衣食住に着目すれば良いのです。今の暮らしがもし、遠隔地からの電力、食糧、各種の資材に頼り切っているのあれば、その内の何%でも良いので、地元産に切り替える事を考えれば、そこに循環と雇用が生まれるでしょう。今ほど、交通や流通の便が良くなかった時代(親の代)には、地産地消しか手段が無かったのです。今の時代の技術を活用すれば、便利な地産地消も絵に描いた餅ではなくなるでしょう。もちろん、その技術とは最先端技術ではなく、ありふれたローテクで十分でしょう、今のローテクは、50年前のハイテクでもある訳ですから・・・。

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