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2014年6月22日 (日)

2421 心の復興

何気なく聞いていたラジオから流れてきた「心の被曝」という言葉が耳に残りました。Fクシマの放射能汚染で受けた心の傷を指す言葉だった様です。放射能被曝は、例えば「通常の?爆弾」と異なるのは、被害が非常に長い期間持続する事に特徴があります。甲状腺への放射性ヨウ素をの蓄積やあるいは遺伝子レベルの被曝によりガン化なども懸念され、下手をすれば、妊婦を介して次の世代に影響を与える可能性だってある訳です。しかし、心の被曝とは、それらの実際的な被曝被害を怖れるあまり、安寧な日常が送れなくなってしまい、心が病んでしまう現象の様なのです。子供を外で十分に遊ばせてやれない親の憂鬱、その憂鬱を敏感に感じ取ってしまう子供達、あるいはその間の負のハレーションを想像する時、こちらも心が重く沈みます。

しかし、何時までも見えない放射能を怖れて暮らす訳にもいきません。正しく怖れて、しかし必要以上には恐れない強さが求められます。H島やN崎だって、重篤で壊滅的な直接被曝から立ち上がったのでした。もちろん、その背後には筆舌に尽くしがたい労苦や、実験としてリトルボーイを落としたと言われるB国に、故意に隠ぺいされた悲惨な事実も多かった事でしょう。それについては調査もしていませんし軽々に語るべきではないのかも知れません。が、一方でヒトには放射線被曝からでさえ回復する機能も確かにある様ですし、国内でも自然放射能が高い場所や温泉場もそれなりに存在していて、逆にそれらは免疫機能を高める有用な場所として、利用もされてきたのです。今住んでいる県にもラジウムを含む「北投石」を産出する場所があり、末期がんを治癒するなど、民間での伝承が根強く残っている事を見ても、それなりの効果はあると思われます。

必要以上に怖がって、放射能から逃げ回るのではなく、先ずは正しく評価し、低レベルかつ長期間の被曝に関しても、しっかりした疫学的調査を行った上で、単に年間20ミリシーベルト以下の被曝は安全で、21以上は危険だとか、食物の残留放射能が100ベクレルはOKで、それ以上はダメだとか、安易な「線引き」は慎むべきでしょう。1960年代や70年代の冷戦時代を通じ、その時代を生き抜いてきた世代は、Fクシマの事故でばら撒かれた放射能とそれほど変わらないレベルの放射線被曝をしかも長期間経験したはずです。何故なら、B国でもS連でもFランスでも、遅れてC国やIンドでさえ、うかつにも彼らは原水爆をしかも大気圏内で、しかも合計で言えば何千発も爆発させてきたからです。そのおぞましい歴史は、以下の動画でも確認できます。http://www.youtube.com/watch?v=fvB9HdtAjvY

そんな大気を吸って生き抜いてきたヒトや他の動物は、ある程度ではあるのでしょうが、自然や人工的な放射能に対して、確かに抵抗力は持っている筈なのです。例えば、近年ガンで亡くなる人の割合が増えたのは、放射線の被曝が一因になっていると主張する人もあるかも知れませんが、それは単に感染症で若くして亡くなる人の割合が激減した結果かもしれません。投稿者は、もし孫の顔を見てから死ねるなら、寿命は何歳でも構わないとさえ思っています。何時までも、心の被曝で落ち込んでいるのは人生の時間の無駄使いだと思い直してはどうでしょう。

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