« 2421 心の復興 | トップページ | 2423 エネルギーステーション »

2014年6月23日 (月)

2422 社会的価値

企業のCSR(社会的責任)が話題になったのは既に過去の話です。Aベノミクスというカンフル剤で、無理に活気づけられた企業は、更に減税と言うアメを貰って、更なる元気を得ようと構えている事でしょう。しかし、過去の延長線上で無理に景気を浮揚させたところでセンナイ話で、少し先ではまたゾロ息切れがして、再びのデフレスパイラルに戻る事は目に見えています。少なくとも投稿者には見えています。何故なら、来たるべき社会に求められる企業像は、単に社会的責任(中身の殆どは納税義務と法的コンプライアンスだけなのですが)を果たしているだけでは全く不十分で、更に踏み込んで「社会的価値の創造」まで求めらるからなのです。

そもそも、社会的価値を云々するためには、今後求められる社会的に重要な価値とは何なのかを定義して掛からなければならないでしょう。それはもちろん、単に経済的な繁栄や便利で清潔な社会の実現だけではない事は明白です。その分配方法に種々の問題は抱えているにしても、私たちは既に世界的に見ても経済的・物質的には十分に豊かな社会は築けている筈です。そうではなくて、これからの社会的価値のベースには「持続可能性」を据えなければならないと思うのです。この世代はもちろん、孫や曾孫、百年後の先7世代先の幸福までも考えられる社会を作る必要があるのです。

Aベノミクスにはその片鱗も感じられません。何故なら、子孫に先送りする借金や負の遺産を更に増やさずにはおかないからです。国の借金が増え、放射性廃棄物が増え、大気中のCO2が増え、海岸を覆い尽くすコンクリート護岸が延び、田畑を潰した道路や新幹線が延び、ゴミの埋め立て場所は間もなく限界を超える筈なのです。それを加速する政策の何処に社会的な価値を見出せば良いと言うのでしょう。未来の子孫が歴史を振り返った時、歴史の教科書には、20世紀後半から21世紀の前半に掛けては、「世代エゴの時代だった」と書かれても仕方がないのです。国も企業も社会の構成員たる私たちも、持続可能性を前面に打ち出した社会的価値を早急に確立しなければなりません。そうでなければ、私たちは子孫をして、資源もエネルギーも食糧さえも不足がちで、廃棄物に囲まれた深い奈落に突き落としてしまった「罪深い世代」になってしまうでしょう。それを防ぐ具体的提案については、これまでも縷々書いてきましたが今後も続きます。

|

« 2421 心の復興 | トップページ | 2423 エネルギーステーション »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 2422 社会的価値:

« 2421 心の復興 | トップページ | 2423 エネルギーステーション »