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2014年6月26日 (木)

2425 進歩の無い国2

物質的には豊かになったこの国の一体何処が問題かをつらつら考えてみるに、ある時期からこの国の価値観(あるいは幸福観と言ってもよい)の物差しが、ほとんど唯一「お金」になってしまった事にあるに違いないと思われます。経済社会で、お金を重視して何が悪い、と突っ込みが来そうですが、何事につけ「偏重」は弊害を起こすはずです。今日では、かつては非常に稀であった僅かな所持金目当ての強盗や殺人事件がまさに茶飯事になってしまいました。

さてそのお金です。日本では、お金は一般的には「お札=日本銀行券」イメージされます。現在は諭吉さんがその代表的なイメージキャラとなっていますが・・・。立派に印刷はされてはいますが、単なる紙が1万円として流通しているのは、その裏でお国が日本銀行に債権を売り払う事に、その価値を裏付けている訳ですが、一方でお国が何か政策を打つ度に、債権を発行し続けた結果、国債の累計発行残高は天文学的な数字になってしまった事は、今や子供でも知っている話です。政策=お金という数式を考え直さなければ、この状況に歯止めは期待できません。景気を浮揚して、税収を増やして借金を減らすなどは、夢のまた夢である事は、常識をわきまえた人なら容易に想像できる筈です。私たちは、ここらで「お金で幸福は買えない」と思いなおす時期に差し掛かっていると思うのです。

幸福は、やりがいのある仕事があり、手狭でも暖かい家や家族の団らん、有り余ってはいなくても健康が維持できる食糧があれば、必要かつ十分だと思うのです。それは、何もお金が無くても十分実現可能である事は少し考えれば分かる話です。かつては、物々交換で余っているものと、足りないものを交換していた時代もあった筈です。都市への人口集中とその物流を支える(支配する?)流通業、小売システム(スーパーやコンビニ)の拡大が、たぶんそれを出来なくしてしまった原因でしょう。現在の様に、巨大に膨らんだ都市の生活を支えるには、必要悪ですが現在の物流システムが必須なのです。何故なら、モノを作らない人々の生活を支えるには、生産地からモノを切れ目なく運び続ける必要があるからです。

持続可能性の高い社会に向かって一歩でも「進む」ためには、先ずは人口の地方回帰が必須でしょう。人口が地方拡散すれば、例えばバイオマスエネルギーや食糧は、地域内で賄える割合(地域自給率)を格段に向上させる事が可能になるでしょう。人々は消費者になるのではなく、セミ生産者=消費者になるのです。薪を燃やしたいのであれば、お金を払って買うのではなく、休日は山に入って薪を集めるのです。労働をお金に換えてモノを買うのではなく、余っているモノや労働自体代価として不足しているモノと交換すれば良いのです。そうなると、お国が「消費税」をどうやって徴収するかですって?、そんなの構っちゃおられません。お金だけに頼っている限り、持続可能型社会への道のりはますます遠のく事だけは断言しておきます。

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