« 2426 結(ゆい) | トップページ | 2428 自家中毒 »

2014年6月28日 (土)

2427 技術の過信

この資源の少ない国が、科学力や技術力で厳しい国際競争を生き抜いていかなければならない事は議論の余地がありません。国の三本目の矢とやらも、それをテコとしての成長戦略が描かれる事になるのでしょう。しかし、元技術屋の立場として、技術の過信にはブレーキを掛けておきたいのです。先ず技術屋にイノベーションは出来ない相談である事を指摘しておこうと思います。技術屋とは、工学的な原理を使いながら、与えられた目標に対して、最も合目的なアプローチを提案できる存在で、しかも既存の技術を改良する事は得意ではありますが、全く新しいアイデアをひねり出す事は苦手なのです。何故なら、そのような訓練は、学校でも企業でも受けてこなかったからです。

では、いわゆる科学者や研究者にはイノベーションは可能なのでしょうか。確かに彼らは、ある特定分野のスペシャリストであり、その分野を深く掘り下げてはいますが、その分野は既に先輩研究者によって深掘りされているため、その穴の隅々を更に細かく穿るしか論文を書くネタは見つからない訳です。ノーベル賞を貰うような、天才肌かラッキーな閃きに恵まれた一握りの研究者は別にして、一般の研究者は一生掛かって狭いエリアの「落穂拾い」を続けるしかない人も多いと想像しています。しかも、企業の研究者を除けば、彼らの多くはモノを作って売った経験もない事が普通なので、もし良いアイデアがあり、実用化的な研究をしていたにしても、それが日の目を見るまでには例えば20年ほども掛かるため、結局はその人が現役の内に日の目を見る事は稀なのです。その成功の確率を10003つと喩える人も居ます。

事業の展開が出来る起業家と、アイデアを生む事が苦手な実務者である技術屋と、実用的なモノを作って売った経験が無い研究者が、三位一体の接点か交流の場を持たない限り、いくら国が旗を振ったにしても、成長戦略に寄与するイノベーションはきっと生まれないでしょう。それを可能にするのは、いくつかの商品化の経験を持ち、科学や技術の目利きが出来るコ-ディネータなのですが、残念ながらその様は人材は非常に少ないのが現状だと言うしかありません。その証拠としては、コーディネータと呼ばれる人は、大学や行政の外郭団体や地方自治体にも多く雇用されてはいますが、彼らが起点となって素晴らしい研究成果が花開き、新たな産業が興ったなどと言う明るいニュースは、稀である事からも分かります。何より、事業化の臭いを敏感に嗅ぎ取る「鼻」と、技術の質を見極める「目」と、3者の間を頻繁に動き回る「足」の3点セットを兼ね備えなければならないからです。年齢が高い企業卒業者で、進取の意欲やフットワークがすっかり弱った人で、しかも自分の狭い範囲の成功経験を過信する様な人ではとても勤まらないでしょうし・・・。たぶん続きます。

|

« 2426 結(ゆい) | トップページ | 2428 自家中毒 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 2427 技術の過信:

« 2426 結(ゆい) | トップページ | 2428 自家中毒 »