« 2449 お金より大事なもの | トップページ | 2451 サボり中 »

2014年7月23日 (水)

2450 生き物としてのお金

またまた素人経済評論家としての見方です。お金にはいくつかの側面がありそうに思えますが、大きくは二つに分けられるでしょうか。先ずは、商業的な価値交換の際に使う「価値のシンボル」としての役割です。商品やサービスが売り手の側から買い手に渡されると同時に、お金が買い手側から売り手に移動します。これで、一つの商取引が完了します。お金と言う価値のシンボルと、現物である商品やサービスと交換するのがいわゆる商取引という事になります。

もう一つのお金の側面(役割)は、ストックの手段という事になります。かつて、ストックと言えば現物を倉庫に入れておくと言う方法が一般的でしたが、ある時期以降は金銀銅などの稀少金属がそれに代わり、更にお金の価値が安定するに連れてお金や形の無いマネーがその役割を果たしてきたのでした。しかも、そのお金のストックは価値が増える(失敗すれば減ることもあり得ます)というオマケが付くのです。もちろん、タンスの中にお札を隠して置いても、インフレがあれば目減りこそすれ、増える事などありません。しかし、お金を、いわゆる金融機関を含む機関投資家や株式として預託すれば、何故かお金は利息や配当の形で増えるのです。従って、今や大多数の人が、自分の財産の一部をその様な形で運用している筈です。

しかし、考えてみなければならないのは、後者の成り行きです。正常に運用されたお金が増えるのは、資本主義では全く当たり前の経済現象だと思われているのですが、それがある限度を超えると、まるで生き物の様に勝手に振る舞いだし、さら膨張を続ければ、現在の様にさながら怪物の様に暴れ回る様になるのです。ストックされたお金は、さながら意志を持った生き物の様です。今、増えすぎて人間のコントロールの範囲を超えつつあるお金(目には見えないマネー)は、殆どがネット上のコンピュータの中の数字として存在し、それ自体がネット上を目にも止まらない速さ(実際に光ファイバーを光が流れる速度で)動き回り、増え続けて(時には掻き消えて)いる訳です。しかし、その動きは既に単一の金融投資組織や、更に言えば一国のコントロールの範囲をとうに超えています。かと言って、一国の利益は他国の不利益につながる事もあり、複数の国がまとまって事に当たる事が上手く出来る訳でもありません。結局は、お金の意志のおもむくまま、成り行きに任せるしかないのが実情でしょう。お金の暴力は一体何処まで行くのでしょうか。南米では、まさに一つの国がお金の暴力に屈服しようとしています。

|

« 2449 お金より大事なもの | トップページ | 2451 サボり中 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 2450 生き物としてのお金:

« 2449 お金より大事なもの | トップページ | 2451 サボり中 »