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2014年7月29日 (火)

2454 ベストミックス

ここの所の話題でベストミックスと言えば、やはり「エネルギーの・・・」でしょうか。火力、原発、水力を含む再エネのそれぞれの発電の最適割合の事です。しかしながら、最適割合を云々する前に議論する事があります。それは、最適というか究極の省エネ対策を実施した場合の、エネルギー使用量の底値を決める作業です。それも、単に電力だけの議論ではなく、熱や輸送を含めた総合的なエネルギーの使用量の「必要最低限」を見定める必要があります。というのも、電力エネルギー(発電事業)は独立している訳ではなく、水力を除けば、熱エネルギーから作り出しているからです。例えば、電気エネルギーを熱として利用しているのであれば、それは一体として考える必要があるからです。電気を熱として使っている例は、数限りなく存在します。空調もそうですし、工業用の電気炉や食品加工における加熱処理などが挙げられます。電子レンジだって立派な電力の熱利用の例でしょう。

それに加えて、同じ火力発電でも、燃料の選定は大きな問題になり得ます。石炭と石油の併用は、異なった国から入ってきますから、セキュリティ上は有利ですが、石油とLNGは、ほぼ同じエリアからの輸入なので、地域紛争などの危機発生時は同時に影響を受ける事になります。一方原発はといえば、今後の新期建設はほぼ放棄しなければなりませんから、今後の再起動の如何に関わらずここ20年で自動的に縮小・廃止される事になるでしょう。従って、30年先のベストミックからは除外せざるを得ません。

投稿者なりの見方を示すならば、30年後には、現在のおよそ半分のエネルギー消費レベルに落とした上で、水力で20%程度(現在のままでも省エネにより自動的に割合が上昇)、その他の再エネで20%、残りの60%を石炭、石油、LNGで等分する様なイメージになりそうです。もちろん、再エネは上方に拡大すべきでしょうし、代わって火力は半分以下に抑え込むのが理想です。その中には、原発は最早存在しません。代わって多用すべきは、自然の「核融合」である太陽熱だと確信しています。黒い箱を用意すれば100℃弱くらいの温風や温水が容易に得られるでしょうし、しっかり集光すれば数百℃の熱源を得る事も比較的容易だからです。例えば、太陽熱でバイナリー発電などを行って、廃熱で温水を作れば、二重に化石由来のエネルギ―の削減が進むでしょう。足りないのはエネルギーではなく「使わない知恵と再エネを利用する知恵」なのです。

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2014年7月28日 (月)

2453 異常高温

一昨日は、ここ秋田でも内陸部は37度超えの猛暑日だった様です。しばらく前まで、この国の最高気温のレコードは、山形盆地が持っていたような気がしますが、それは気象条件が重なって強いフェーン現象が起こったのが原因でした。しかるに、昨今の「至る所猛暑現象」です。35℃越えの地点が全国的に何百か所も出ること自体、単なる局地的な気象現象では説明できないでしょう。ここでは、その原因を掘り下げて考えてみます。

先ずはジェット気流に注目してみます。ジェット気流は、寒帯ジェット気流と、亜熱帯ジェット気流に分けられます。成因は異なりますが、両者は密接に関連し合ってもいます。例えば寒帯ジェットは、北極気団の吹き出しが、地球の自転の影響(コリオリの力)を受けて、気団を取り囲む円環状の高速の風となるものですが、温帯と極との温度差が大きければ流速が大きくなり、安定した円環流になるでしょう。しかし、夏場になって極(北半球の場合北極)の気温が上昇し、温帯との温度差が小さくなると、ジェット気流の速度が低下し、結果として大きな蛇行が生じます。

ジェット気流の蛇行は、結果として太平洋高気圧のヘリを回る気流を巻き込み、30℃にも上昇している高温の海洋エネルギーを連続的に日本の上に送り続けるのです。従って、日射が無くなる夜間でも、気温は殆ど下がらずいわゆる熱帯夜をもたらします。熱帯夜は、翌日の酷暑を約束していますから、年間数十日の真夏日が九州から関東に至る「酷暑ベルト」を形成する事につながると見ています。

もう一つの原因として疑われるのが、PM2.5に代表され浮遊物質です。その中には、黄砂の様な非常に粒子の細かい鉱物も含まれるのでしょうが、砂漠地帯の砂嵐が少ない夏場のPMの多くは、いわゆる大気汚染物質が大半を占める筈です。C国内陸部の発電は、石炭火力が殆どなので、昨今のエアコンの普及によって逆に負荷ピークが生まれ、夏場と言えどもモクモクと煙を吐き続けているのです。大気汚染物質の代表である、硫酸ミストなどのエアロゾルを含むPMは、同時に太陽光を吸収し、散乱させる「温室効果物質」でもあるため、定常的なPM量の増加は、同時に地上部の高温ももたらすはずです。そのPMもやはりC国上空を通過する太いジェット気流によって、まさにこの国上空に運ばれ続けているのです。

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2014年7月27日 (日)

2452 安けりゃ良いのか

久しぶりの投稿です。ここ数日ニュースを賑わせていますが、安く仕入れるためには、手段を選ばず、といった風潮には呆れかえります。批判をしない事がこのブログのモット―ではありますが、あきれ返るのは勝手でしょう。人が何を口にしていくかはその国の大きな問題です。一方では安心・安全を掲げ、僅かな残留放射能に過敏になっておきながら、他方ではHACCPや品質管理やトレーサビリティのヘッタクレも無いC国などから、僅かに農薬や防腐剤の種類や残留量を、たった数%の抜き取り検査だけで通過させて大量の輸入を許可するなど、流通業者も国も一体何を考えているのか、100%理解不能です。しかも、C国産を止めてT国産に切り替えるのだとか。

期限切れのチェックなど、パッケージの日付を直せば良いだけですから、事実上通関時もチェックの手段など存在しないでしょう。原料から加工までのトレーサビリティが確保されない限り、C国産であれ、T国産であれ、その他の国であれ、全く同じリスクを覚悟しなければならないでしょう。では国産であれば良いのかですが、確かに国産は輸入に比べれば、トレーサビリティは取り易くはなるでしょう。しかし、「国産」と表示されたものが安全とは限りません。もしかすると、国産原料の中に輸入原料の混ぜ込んでいるかも知れないのです。国内で作られた食品にも「偽装」は引きも切りません。

結局私たちは、かつての田舎暮らしの様に、自分の周り(例えば半径10㎞以内)で採れた作物や食糧を中心に食生活を組み立てて、暮らしていくしか安心・安全な食生活を確保する方法は無さそうなのです。それが出来ない都会暮らしが好きな人たちは、残念ながら、これまでの様に、海外産で、食品添加物が山ほど入った、常温でも腐らない、カビが生えない、発色がきれいな、調味料だらけの食品を食べ続けるしかないのでしょう。やれやれです。

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2014年7月25日 (金)

2451 サボり中

ここ数日超多忙につき投稿サボり中。

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2014年7月23日 (水)

2450 生き物としてのお金

またまた素人経済評論家としての見方です。お金にはいくつかの側面がありそうに思えますが、大きくは二つに分けられるでしょうか。先ずは、商業的な価値交換の際に使う「価値のシンボル」としての役割です。商品やサービスが売り手の側から買い手に渡されると同時に、お金が買い手側から売り手に移動します。これで、一つの商取引が完了します。お金と言う価値のシンボルと、現物である商品やサービスと交換するのがいわゆる商取引という事になります。

もう一つのお金の側面(役割)は、ストックの手段という事になります。かつて、ストックと言えば現物を倉庫に入れておくと言う方法が一般的でしたが、ある時期以降は金銀銅などの稀少金属がそれに代わり、更にお金の価値が安定するに連れてお金や形の無いマネーがその役割を果たしてきたのでした。しかも、そのお金のストックは価値が増える(失敗すれば減ることもあり得ます)というオマケが付くのです。もちろん、タンスの中にお札を隠して置いても、インフレがあれば目減りこそすれ、増える事などありません。しかし、お金を、いわゆる金融機関を含む機関投資家や株式として預託すれば、何故かお金は利息や配当の形で増えるのです。従って、今や大多数の人が、自分の財産の一部をその様な形で運用している筈です。

しかし、考えてみなければならないのは、後者の成り行きです。正常に運用されたお金が増えるのは、資本主義では全く当たり前の経済現象だと思われているのですが、それがある限度を超えると、まるで生き物の様に勝手に振る舞いだし、さら膨張を続ければ、現在の様にさながら怪物の様に暴れ回る様になるのです。ストックされたお金は、さながら意志を持った生き物の様です。今、増えすぎて人間のコントロールの範囲を超えつつあるお金(目には見えないマネー)は、殆どがネット上のコンピュータの中の数字として存在し、それ自体がネット上を目にも止まらない速さ(実際に光ファイバーを光が流れる速度で)動き回り、増え続けて(時には掻き消えて)いる訳です。しかし、その動きは既に単一の金融投資組織や、更に言えば一国のコントロールの範囲をとうに超えています。かと言って、一国の利益は他国の不利益につながる事もあり、複数の国がまとまって事に当たる事が上手く出来る訳でもありません。結局は、お金の意志のおもむくまま、成り行きに任せるしかないのが実情でしょう。お金の暴力は一体何処まで行くのでしょうか。南米では、まさに一つの国がお金の暴力に屈服しようとしています。

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2014年7月22日 (火)

2449 お金より大事なもの

昨日は、3時起きして山に向かったため投稿はサボりでした。しかし、下りでスリップして腰を打ち、ややトホホな状態で書いています。登山は登りより下りが危険なのです。

昨日のニュースの後の「CU現代」で、C国人経営者の「改心」の特集を見るとも無しに見ていました。流石に彼らもお金より大事なものに気が付き始めたというところなのでしょうが、逆にこの国の大多数の経営者は、未だにお金に苦しめられている様にも見えます。それも、これも大量生産を行っての過度な価格競争にその原因の大半がある様に見えてしまいます。とは言いながらこれも、会社経営をしようとなどと露ほども思った事もない、素人経済評論家の見方ではありますが・・・。車、家電、エレクトロニクス、太陽光発電パネル、スマホ(IT)などなど、一旦儲かると分かったら企業家(起業家)が雪崩を打って参入するのです。結果的には、似たような性能の製品が市場に溢れる事になり、やがて市場が飽和するに連れて、共倒れが始まる訳です。

そうではなくて、もっと目を向けるべきニーズはいくらもあると思うのです。例えば、山に登る時にいつも感じるのですが、手入れもされずに放置されている山々を何時もため息もじりに眺めるのです。今から若者(林業男子、女子)を集めて人手で山を管理するのは流石に現実的ではありません。ならば、年配者にも使える森林管理機械を作ったらどうでしょう。中古の重機を買ってきて、先端のアタッチメントを開発して、伐採や木材のハンドリングに使える様に改修するのです。これなら、普通の鉄工所でも十分作業が可能です。工夫があり、安全で使い易ければ、それなりに売れていくはずなのです。同じ様に、扱い易い2トン車や軽トラに取り付ける、ミニクレーンやミニウインチの開発も必須です。そうでなければ、山から木を降ろす時に困るからです。

つまり、ここで言いたい事は、企業家は儲かるもの(儲かりそうなもの)にラッシュするのではなく、社会に役に立ち、人々から感謝されるもの(モノやサービス)を提供する事業に目を向けるべきなのです。それを実現するに最先端のハイテクは必要ありません。ローテクと少しの工夫やアイデアに薬味程度のIT(や弱電技術)を加えれば、立派な製品が生まれ、それを使ったサービスも生まれるでしょう。多分続きます。

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2014年7月20日 (日)

2448 悪循環を断ち切る

少子化が人口減と同時に急速な高齢化ももたらし、それが労働人口の減少を招き、結果としては労働強化につながり、それが子供を作りにくくすると言う「悪循環」につながる状況について少し考えてみます。なぜ熾烈な国際競争の中で、かくもハードワークを続けなければならないかですが、結局はこの国の外貨を稼ぐ必然性故でしょう。輸出が縮小して外貨が不足すれば、海外からエネルギーも資源も十分な食糧も買えません。それは、20世紀の後半を通じて、いわゆる加工貿易体質と、エネルギー・資源・食糧の海外依存体質を、国を挙げて推進してきた結果でもあるのです。ただその過程の中で、毎年生まれる子供の数が半減した事に関しては、私たちは殆ど注目してこなかったことも事実でしょう。むしろ、モノに囲まれた生活こそ豊かな生活であると勘違いし、子供の少ない事がその要件だとも考えられていたフシがあります。

そうした時代の流れの中で、目先の利益を追求しなければならないサラリーマン経営者は、コスト削減とそのための効率化、さらには生産拠点の国外移転などの手を次々と打たなければならなかったのはずなのです。一方、そんな親会社にぶら下がる下請け=中小企業は、日々長時間残業を繰り返してQCDを死守せざるを得ませんでした。結果として、労働環境はまずまず劣悪になり、それが若者の製造現場離れを招くと言う、ここでも労働強化の悪循環を招いてしまいました。それをカバーするのが、安直な外国人労働者(職業訓練生や留学生という名の労働者)の導入だった訳です。

しかし、考えてみなければならないのは、これからの時代、この国はどの様な社会の姿を「着地点」としてそれを設計していくかだと思うのです。先ず加工貿易国家と言う国モデルは、20世紀で終わったと思わねばなりません。では今後どう考えるべきかですが、投稿者としては以下のポイントを織り込んだ国モデルを設計していくべきだ、と提案しておきたいのです。

1)国内に賦存する再生可能型エネルギーを持続可能な形で極限まで開拓する。

2)使い捨てないため、徹底したリユース、リペアシステムを組み込んだ物流システムを作る。

3)資源の輸入を減らすため、バージン材料レベルに戻すリサイクル技術を極限まで磨く。

4)単位製品当たりの省資源と省エネ製造技術を極限まで高める。

5)モノを減らすが生活の質はあまり落とさないで、消費するエネルギーを極限まで絞る。

いずれも「徹底」とか「極言」までといった言葉を冠しているのは、そうでない限り他国にすぐ追いつかれてしまうからです。これらの技術やシステムをしっかり磨けば、途上国の追い上げを許さないで、技術の優位性が保てるでしょう。当面の目標は、資源・エネルギー・食糧の輸入を今の半分以下、究極的にはきっと1/8程度に下げないと、この国の持続可能性は担保出来ないのでしょう。多分続きます。

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2014年7月19日 (土)

2447 足元を見る

昨日は、庄内の再エネツアーを実行しました。とは言いながら、知り合いの先生の案内で、秋田の設計事務所から参加したお二方の車に便乗しての楽ちんなツアーでした。(この日は誕生日でもあったので、プレゼントだと思って甘えてしまいました。)鶴岡のバイオマス、羽黒のマイクロ水車、庄内町の風車群を見て回りました。それらには、実は皆必然性があった事が分かりました。先ずはバイオマスです。最初に見学出来たのは、鶴岡にある広大なヤードを持つリサイクル工場でした。この工場が出来た背景には、海岸部にクロマツの防砂林が多い庄内は、ある時期松枯れ病で大量の伐採木が発生した時期があり、その利用先として、チップやペレットの製造が始まったとの事でした。バイオマス燃料の出口としては、温泉施設などでの加温用のペレットボイラ、一般家庭でのペレットストーブなどですが、これだけでは大量の伐採木や根っこやバークなどの出口としては十分ではなく、破砕・醗酵させて土壌改良材とし、さらに清浄な部分は製紙用チップとしても利用されていました。つまりは、建築材として利用できない木材の多面的な利用例と言えそうです。ここは、木材の他農業用プラスチックのリサイクル(原料としての洗浄・分別・出荷)と、廃コンクリートの破砕・リサイクルなども行う「総合リサイクル工場」でもありました。

次に向かったのが、マイクロ水車が多い鶴岡市郊外(羽黒地域)でした。庄内平野は平坦な沖積平野ですが、この地域は緩やかな起伏の多い地域で、したがって農業用水(用水路・排水路)に多くの段差(カスケード)は多いのです。背後の山から流れ下る水量も多く、農業で使い切れない水の多くはそのまま川に流れ下るわけです。しかし、水車を設置するための水路の断面積を狭める訳にはいきません。そんな事をしたら水利権を持つ団体に袋叩きにあうでしょうし、その前に許可が降りません。従って、地形的に始めからカスケードがある場所の段差を利用して、そこにクロスフロー型などの流れを妨げないタイプ水車を設置する事になります。しかし、このタイプでの発電量には限界があり、数キロワット以下の電力しか確保できないでしょう。つまりは、電力の使い道としては近くの街頭を灯す程度という事になります。とは言いながら、カスケードの全てを利用する事を考えれば、場所によってはかなりの電力を起こせるポテンシャルはありそうな気がします。

さて風力です。風車だけは、場所によって採算性が大きく左右される再エネの代表と言えるでしょう。平均風速として7-8m/s程度が確保できる場所でない限り、投資額を回収するする事は叶いません。庄内で言えば、海岸部の防砂林ベルト内、あるいは山形盆地への風(清川だし)の出入り口になっている庄内町(旧立川町)辺りしか見当たりません。実際、現在商業風車が立っているのは、まさにこの地域だけなのです。逆に言えば、この地域には「風資源がある」とも言える訳です。

結局、再エネは化石燃料に比べれば一桁以上集積度が低いので、それを集めて利用するのは得策ではありません。運ぶためのエネルギーや人手も掛かるからです。しかし、元々その地域にある再エネ資源は、徹底的に利用すべきでしょう。つまりは、再エネ資源は足元にこそ見つかるはずなのです。無いモノねだりではなく、あるモノ探しから始める必要があると思うのです。

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2014年7月18日 (金)

2446 技術を見て、市場を見ず

似た様な言葉に「木を見て森を見ず」というものもあります。2445で勝手に心配したプロジェクトでも同じ様な事が言えるかもしれません。つまり、個々の技術は森に生えている木々であり、森を構成する要素ではありますが、森(市場が求める製品など)そのものではありません。では市場における森とは何を指すのでしょうか。明確な定義が難しいのですが、それはいわば「ニーズの雲」の様だと喩えても良いかもしれません。個々の消費者は、個別のニーズを持っている筈ですが、それが市場という場では、平均化されてしまい、ある程度の抽象化も起こります。例えば、パソコンという具体的な商品とその市場を考えてみても、ビジネスにバンバン使うヘビーユーザーと、家庭でネット検索などの軽い用途に使っているなんちゃってユーザーでは、同じカテゴリーの商品でもハードやソフトや価格に求められる水準が大きく異なるはずです。

そこに提案する製品にいくら優れた技術やソフトウェアが盛り込まれていても、例えば価格が魅力的でなければ、市場には受け入れられないでしょうし、逆に価格が適正でも、デザインがダサいと言う理由も、市場での評価ポイントとしては低いはずなのです。結局、いくら個々の木々が美しくても、森全体としてのバランスが取れているとは言えないのです。従って、市場に受け入れれる製品とは、コストパフォーマンスに優れ、それを使う多くのユーザーにとっては、多様な形で満足度が得られるモノである必要があるのでしょう。森は見る角度や見る位置によって違って見える筈です。

さて技術で勝って、市場で負けた例は、この国の技術史を眺めてみても枚挙に暇がありません。それをズバリ言い当てた最近の表現に「ガラパゴス化」という言葉がありますが、それこそ「(メーカーの)技術屋の自己満足」を鋭く揶揄したものとも言えるでしょう。製品として、市場に求められるだけのバランスと魅力が乏しければ、それはやがて市場から消えていくだけです。その様にして短期間で市場から消えて行った製品をリスト化してみると、面白い技術史が浮かび上がりそうな気もします。2445の「国産機」は果たしてどんな評価を受けるのでしょうか。

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2014年7月16日 (水)

2445 ファームとオプション

国際的な商取引の「常識」を確認しておきたいのですが、ある製品の売買契約においては、ファーム(確定数量)の他にオプション(キャンセル可能数量)に分けて契約される場合も多いのです。半世紀ぶりに開発された国産の旅客機が、360機も売れたとか、いやまだ180機しか契約が取れていないと言う「二重報道」もこのカラクリによって生まれます。オプション契約とは、例えば経済状態が悪化して、エアラインが減便を検討し始めた段階では、無条件でオプション分はキャンセル出来る条件になっている筈なのです。

つまり、確定締約と言う意味ではファーム契約のみを指し、上の国産機の場合では180機が「固い数字」であり、残りの180機は実際に売れるかは「未確定の数字」だと言うしかありません。航空機業界に限らず、国際的な経済状態は流動的であり、リーマン社から始まった経済ショックを引き合いに出すまでもなく、小さな経済ショックが世界全体を揺さぶる可能性を孕んだ、危うい状態にあると言えるでしょう。というより、国際的な経済システムとは、ピースがお互いに支え合っている巨大な積み木か、あるいは大小のドミノ牌が入り混じった巨大ドミノにも似ていると思うのです。ある国の債権や企業の債権や株などが、複雑に入れ子状態に組み合わされて、新たな別の債権に仕立てられている状況は、経済の素人の想像をはるかに超える複雑さと規模を持っている筈なのです。

さて、私たちがどう考え行動するかですが、やはり現物と実体に裏打ちされたファームだけを見て判断を下すべきなのでしょう。そうではない、水増しされた見込や期待値を当てにして判断を下した場合、経済ドミノが倒れ始めた場合には、歯止めが利かない状態に陥るからです。経済システムがドミノ的だと仮定して、そのドミノ列のところどころには、薄っぺらいピースではない、小石の様な固い(ファームな)ブロックを仕込んでおくべきなのです。そうしておけばドミノが倒れる負の連鎖は、一旦はそこで止まるはずなのです。止まっている間に、何か別の手を打つ時間が稼げるでしょう。オプションなどという架空の数字を見るべきではありません。あの国産旅客機は、まだ180機しか注文が取れていないのです。この国の技術史には確かに技術的には素晴らしかったが、たった180機余りしか売れなかったYS-11という名機がありました。今度の旅客機がその二の舞にならない事を願うばかりです。

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2014年7月15日 (火)

2444 前向き 

ではビジネスや製品における「前向き」とはどの様なものになるのでしょうか。前を向くと言う事は、現在(現状)より未来を見据えると言う視点が不可欠です。済んでしまった事に拘るのではなく、今後起こるであろうリスクを減らしたり、あるいは今より状態を良くする方向に寄与するものである必要があるのです。2443で述べた医療や介護ビジネスが後ろ向きだとすれば、前を向いたビジネスとはどの様なものになるのでしょう。医療に対しては、「保健」という言葉がそれに当たるでしょうか。健康な状態を維持する、あるいは病気になるリスクを減らす、出来れば今より健康になるためのビジネスだと言えます。アスレチッククラブやフィットネスクラブがやや近いビジネス形態だとは言えますが、必ずしも理想的だとも言い切れません。人間の健康とは、基本的な体力(筋力)の他、栄養状態、精神状態や生活環境によっても大きく左右されるものだからです。

それらを総合的に高めるビジネスが実現できた暁には、逆に現在の医療や介護ビジネスは大きく落ち込む事は間違いないところでしょう。だからこそ、今それらのビジネスで大きな利益を出しているビジネス(既得権者)は、そんな「前向き」のビジネスは潰そうと画策する筈なのです。放って置けば、(悪い)生活習慣によって病人や病人予備軍は確実に増加し、それらの人が老齢化すれば、寝たきり老人も増加する事(ビジネスチャンス)が見えているのに、誰もそれを諦めたりはしないでしょう。

2443でハード製品の代表として挙げた車に至っては、今やこの国を代表する(後ろ向き)製品に成長してしまいました。では、車の様な乗り物で、人間の能力を向上させる様な前向き製品の実現は可能なのでしょうか。実は、私たちはそれを数百年前に開発済みなのです。それは人力でアシストする乗り物です。それは、自動車(自ら動く車)とは呼ばれず自転車(自ら転がす車)と呼ばれています。人力だけで遠い距離を転がすのが大変なら、少なくともエンジンと人力のハイブリッド、あるいは電動モーターと人力のハイブリッド車を工夫すれば良いのです。もちろん、車体は現在の様に鉄の箱では人力ではとても動きません。その見かけは多分三輪か四輪の自転車の様なものになるでしょう。

来たるべき(健康寿命を延ばし、持続可能な)社会に向けて提案すべきは、間違いなく前向きビジネスや製品であるべきでしょう。それらは、消費者に少しの(あるいはかなりの)負荷を与えるものになるはずです。しかし、それは間違いなく消費者の能力や健康を引き上げるものですから、長い目で見れば社会の利得になるはずなのです。後ろ向きのものは、資源やエネルギーやお金を浪費するだけのものに陥るだけです。

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2014年7月14日 (月)

2443 後ろ向き

世の中に存在する製品なりサービスなりを眺める時、多くのケースでそれらが「後ろ向き」である事に気が付きます。例えば医療や介護サービスです。人々は、それらのサービスは自分が病気になった場合や体が不自由になった時に受ける筈です。医療とは、病気になった人たちを治療するサービス業で、健康な人がそれを利用するのは人間ドックなどで病気の有無をチェックするなど限られた場合だけでしょう。介護サービスに至っては、健康な人は全く必要としないサービスだと言えます。

病気の人や弱った人をサポートするこれらのビジネスは、これからの少子高齢化社会では必要不可欠なものとされていますが、果たして本当にそうでしょうか。これらのビジネスの本質は、実のところ全くの後ろ向きさと言うしかないのです。何故かと言えば、それは体の状態が健康体でない人だけを相手にする商売だからと言うしかありません。体の状態が弱って社会活動からは後ろ向きになっている状態の人を扱う訳ですから、医療が頑張っても精々元の健康体に戻ればしめたもの、下手をすれば後遺症が残ったり、再発を繰り返したりする事にもなり兼ねません。一方で、介護ビジネスとは弱りかけたお年寄りを、生活の質をあまり落とさないで、一日でも長く生きながらえて貰うためのものであり、それ以外の何者でもありません。まさに後ろ向きのビジネスなのです。

一方、形のある製品(ハードウェア)でも同様に後ろ向き製品が目につきます。例えば車です。車を多く利用するようになって、健康が増進したと主張する人を見たことがありません。ドライバーの足腰は、年々弱体化し、職業ドライバーの中には体幹の筋肉が細り、腰痛持ちになる人も多いのです。車とは、人の筋力を奪う製品だと言うしかありません。またスマホは、携帯電話よりは多機能ですが、スマホを多用する様になった世代には、人に面と向かって話をするのが苦手になってしまった人も多い筈なのです。結果として、便利である事を追求した製品やサービスは、ほぼ例外なしに人々の能力を奪う方向に働く「後ろ向き」のビジネスや製品であると断言できるのです。もし今より便利で、しかも人々の健康状態や能力(脳力)を引き上げる効果があるビジネスや製品が実現出来たとすれば、間違いなくそれは成功すると太鼓判を押しても構いません。続きます。

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2014年7月13日 (日)

2442 重大性と拡大

問題の発生とそれによって引き起こされるリスクについては、必ず重大性(Severity)と拡大(Growth)を考えなければなりません。重大性とは、その問題が組織やシステムの継続にとって、どの程度の大きさを持っているかという確認です。もしそれが、メインストリームを外れているものであれば、その規模が大きな問題でも、それはやがては収束する筈のものです。一方規模が小さくても、それが流れの中央に突き刺さった棒であれば、その棒には更にゴミが引っかかり、問題は拡大し続けるでしょう。

つまり、組織やシステムにとって放置できない問題とは、それ自体の目的の中心部分に関わるものであって、決して問題の大きさではない事を、もう一度確認しておく必要があります。最近特に気になるのは、多くの組織やシステムでその「本来の目的」が忘れ去られ、枝葉の部分でのバトルが繰り広げられている点です。そもそも、国とは何んであって、国としてそこに住む人たちが結束する意味とは何だったのか。あるいは、企業が興された時創業者が心に刻んだ最初の目的は何であって、それは現在の企業活動にとってどの様な位置づけになっているのか。あるいは、システムの本来の目的は何であって、それが今年度の活動計画にどの様に具現化されているのか、多くの場合明確には答えられない状態だと想像しています。

それを常に奔流に引き戻すのが「憲法前文」や「企業理念=社是」や「システムの目的」という文章の役割でしょう。結局、この文章とそれを承ける形で作られる下流部分に矛盾があってはならないでしょうし、ましてや国際情勢や企業を取り巻く環境が変わったからと言って、それを安易に弄るべきではないでしょう。もし基本理念に立ち返って見直さなければならないとしたら、もう一度国や企業やシステムを作り直すつもりで取り掛かる必要があるのです。憲法や企業理念を実現するための法律やシステムは、年々歳々手直しされ、屋上屋を重ねて現在に至っている筈です。結果として、最初の建屋が完全に埋没しているケースも多いのです。今目にする国や企業の問題の殆どは、この建て増しされた部分で起こっているのであって、本来の理念に照らして地チェックすれば、実は「取るに足らない大きな問題」でしかない事に気が付くことでしょう。景気の浮揚や拡大そのものが、国の目指すべき理念であるはずがありません。

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2014年7月12日 (土)

2441 システムの障害

社会であれ、会社であれ、行政組織であれ、その中に作られたサブシステムであれ、それを効率よく回すには工夫が必要です。その工夫無しに、日々業務を「こなして」いくシステムを「自動システム」と呼ぶことにします。自動システムとは、自ら動くのではなく、勝手に転がるシステムを指した、ネガティブな言葉です。ヒトでも多くの「自動人間」に気付く事も多いのです。さて、自動システムでは、物事がルーティンに従って流れていきますので、気が付いた時には取り返しのつかない問題を抱えてしまっている事も多いのです。組織の下部の人間が、小さな問題に気が付いたとしても、それを上司に進言し、対策を打つには大きなパワーが必要です。一担当者が自分の日々のルーティンを横に置いてまで、問題を解決する事は、多くの組織では期待されていない筈です。その結果、問題は放置されリスクが拡大してしまう事になります。

そもそも組織やシステムには、目的とそれを実現する機能が備わっている筈です。しかし、それらは事態が平穏に進行する事を前提に作られている場合が殆どだと断言できます。もし、問題の発生とその対策を織り込んでいいたとすれば、その組織やシステムは冗長性が大きいと見えてしまう訳です。例えば組織の中に「問題解決課」などと言う名称の組織を作ったとして、では減時にその課は一体何を業務とするのか説明が出来ません。組織やシステムは、説明できない機能は省いてしまうのが普通なのです。それを防ぐには、例えば組織図や業務フローの図を余分に準備し、その中に「リスクエリア」を斜線で落書きしたものを作る必要があります。組織の中で言えば、緊急事態や異常事態が発生した時の、連絡方法やリスクの拡大を防ぐ指示命令系統が示されている必要がありますが、もしそれが無ければそこをリスクエリアとして認識すべきでしょう。

システムについて言えば、システムが機能しない場合の最初のシグナルをどう検知するか、それを解決するための手段が必要となる訳ですが、それが組み込まれていないシステムであれば、そこがリスクエリアとしてマークされるべきでしょう。結局、組織やシステムの本来の目的に立ち返り、それを実現するための機能を整理し、それが阻害されるであろう事態(異常事態や緊急事態)を可能な限り多くのケースを想定して、それに備えた準備を検討しておく必要があるはずなのです。それを「Failure case」と呼びますが、それが殆ど出来ていなかったあの原子力発電所は、壊滅的に破綻してしまった訳です。多くの組織やシステムは、それを「想定外」という言葉を借りてきて言い訳するのです。更に続きます。

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2014年7月11日 (金)

2440 環境経営

昨日と今日は企業の環境経営システムの審査でした。システムというのは、それがどの様なものであるかは別にして、何かに喩えるとすれば「入れ物」か、あるいは「車」だと言っても良いでしょう。その入れ物で何を汲むか、あるいはその車をどの様に運転するかが、実のところ「運用」である訳です。従って、運用状態の審査と言いながら、企業側は入れ物がどの様に作られているかをアピールし、穴が無い事を確認して貰いたがります。しかし、そのシステムを構築した「目的」に関しては、置いてき堀になっている事も多いのです。

つまりは、手段の目的化が生じている訳です。これは、何も環境経営システムに限った事ではなく、システム一般、更に言えば組織一般についても敷衍できるのです。システムや組織は、ある時期からその継続や存続自体が目的化するのです。これは、殆ど避ける事の出来ない必然かも知れません。というより、人が関わる限りにおいては、仕方がない事なのでしょう。人は慣れます。もし、置かれた環境に慣れる事が出来ない人は、ストレスで死んでしまうかも知れません。そうならないためには慣れるしかない訳です。

しかし、慣れてはいけないシステムや企業活動の局面においてもその慣れが避けられないのが人の哀しさです。品質管理における慣れによる重大なミス、あるいはPDCAサイクルを回す事における慣れで、それを「空回し」する組織、更に言えば前年度の計画や目標をコピーし、新しい日付に変えてすまし顔の事務局など、システムが回って機能するどころか、これはシステムの転がしというしかありません。これまでの百回を超える環境経営の審査において、システムが上手く機能して回っている例を目にしたことが一度もありません。この手の転がしで、企業や組織がどれだけ無駄なマンパワーやお金を費やしているか、考えるだけで、勿体なさに涙がこぼれます。その対応策については続きます。

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2014年7月10日 (木)

2439 利便という災難

私たちは、便利で快適であると言う生活を求め続けてきました。基本的な生活においても、衣食住に亘って、かつての不便を便利に変えて来たと言えるでしょう。着るものに関して言えば、かつての着脱に不便で着心地の悪い和服から、便利な洋服へ、さらにはもっと便利は伸縮素材によるフィットする衣服へ改良してきたのでした。それは形に留まらず、吸湿や保温や放熱や消臭など繊維にも機能を持たせても来ました。宇宙では、洗濯や入浴も無しになんと半年も暮らしている様です。

食については、変化に枚挙に暇がありません。大昔のご先祖様たちは、十分な食糧を得るために殆どの活動時間を費やした事でしょう。それが、収量の高い作物への品種改良や農業技術の革新によって、ごく少数の農家が信じられない程多数の食卓を支えています。一方で、食品自体も殆ど調理済みの加工食品が主流となり、その割合は年々高くなっている筈です。事実B国などの食卓では、電子レンジでチンしさえすれば「普通の」食事がとれる様に食品が加工されているのです。

住居はどうでしょう。冬の寒さをしのぐには、昔は囲炉裏や炭火程度しかありませんでしたが、今や全自動のエアコンや石油ストーブがそれにとって代わっています。住宅の断熱・気密性能も年々向上し、快適さは更に増してきています。また移動に関しても、兎に角歩くしかなかった時代に比べ、僅かな距離の移動にも車やバスを使う生活スタイルが普通になってきました。

しかし、これらの利便や快適さは、間違いなく私たちの生きる能力を弱体化させてきた事もまた間違いないでしょう。快適な衣服や住宅は体温調節を弱め、低体温の人や熱中症になり易い子供達を増やしてきた筈です。高度に加工され、柔らかく、食べやすくなった食物は間違いなく、咀嚼能力を奪い、顎や葉を華奢に変えた事でしょう。住宅に至っては、今や個人で建築しようなどと考える人は稀で、基本的な大工仕事の能力さえ、まともに出来る人は激減したのでした。歩かなくなった体は、足腰も弱り、結果としての寝たきり老人を増やし増やし続けています。私たちは、なんと体はひ弱になり、基本的な生存能力も低下してしまったことでしょう。ここらで、私たちは敢えて不便を選択し、体を鍛え、サバイバル能力を磨く必要がある、退化に逆らう時代になってしまったと思うのです。利便は、人類に降りかかった災難だと見るべきでしょう。

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2014年7月 9日 (水)

2438 台風 

台風をジェット気流の解析図の中で眺めると、興味深い事に気が付きます。台風は、どうやらジェット気流が作る「カルマン渦」の様なのです。ジェット気流という「層流」が南北両極の周りに発生します。それは、極気団という高気圧から流れ出る気流なのですが、地球の自転によって生ずるコリオリの力によって、結局気団の縁を回る流れになります。しかし、地上の凸凹、取り分け高い山塊がある場所では、ジェット気流は曲り、あるいはカルマン渦を発生させるのです。ジェット気流は.季節によって緯度が上下しますが、主に中緯度以北を流れており、その緯度にある標高の高い山塊としては、ユーラシア大陸ではヒマラヤ山脈が、北米ではロッキー山脈が思い浮かびます。

さてカルマン渦は、山塊の南北に発生しますが、その回転方向は逆になりますが、北に出来た渦は、コリオリの力で消え、一方で南の渦この力で加速されます。しかも、北半球の夏場は、海面の温度が30℃前後に上昇しますので、そこからエネルギーと膨大量の水蒸気をを得て、ますます巨大に発達する事になります。東アジアでは、これを台風と呼び、北米大陸ではハリケーン、さらに、アフリカ大陸のキリマンジェロで誘発され、インド洋で発達するものをサイクロンと呼び分けています。

結局気象予報官は、ジェット気流の流れる位置と方向と強度、海水温の分布状況によって、台風の進路の強さの度合いを予報するのですが、ジェット気流の本流に近づくまでは、進路が迷走する事も多く、発生初期に予報円を描く事はなかなかに悩ましい様です。本州に上陸する様なタイミングになれば、ジェット気流に引きずられるようになるので、スピードはあっという間に加速して、北太平洋まで吹き飛ばされる事になります。いずれにしても、ジェット気流が描く模様は、幻想的と言えるほど美しいのです。その画像は以下で見る事が出来ます。

http://earth.nullschool.net/jp/#current/wind/isobaric/250hPa/orthographic=-222.69,38.78,1066

地球規模のジェット気流の流れの中に、ちっぽけで可愛らしい台風の渦が観察できるでしょう。

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2014年7月 8日 (火)

2437 歴史に学ぶ

先人の知恵はしっかり学んでおくべきでしょう。重機や工作機械の無かった時代にも、彼らは石を切り、城やピラミッドや長城を築いていた訳です。アンデスの遺跡では、縦向きのアリ溝を掘って、ほぼ純鉄に近い結合金具でしっかりと固定された石積みが見つかりましたし、日本の城でも石垣のコーナー部には、直線的に加工された石を金属の金具で固定している例が見られます。地震の多いこの国でも、石垣がなかなか崩れないのは、コーナーがしっかりと固められている事と、中間部においても地震の揺れでも簡単には崩れない様に、小さな楔石を詰めて、崩落を防いでいる工夫も見つかります。もちろん、石垣の中には土だけではなく、玉石なども混ぜて、振動を逃がす様にも作っているのです。

人力や、牛馬程度の動力しかなかった時代、例えば大阪城の石垣に使われている数十トンもある大石を、小豆島の石切り場で切り出し、それを今ある場所にどうやって据えたのか、あるいはイースター島のモアイ像を、さらにはイギリスのストーンヘンジの冠石をどの様に運んで据えたのか、未だに謎の部分も多いのです。ストーンヘンジの場合、石切り場から現地までは200㎞以上もあった事が判明しており、車輪の無かった(と思われている)時代にどうやって、数十トンモル石を数十個も運ぶ事が可能だったのか、殆ど謎のままです。イースター島の場合は、長くても数キロの移動なので、ソリやコロを使えば可能なのでしょうが、数百キロは現代においてさえ途方も無い距離だと言えるでしょう。

現代ではエンジン付きの重機やトレーラーを使えば、重量物移動など造作もない訳ですが、一方では現代人にはもしそれらを人力、畜力だけで運ぼうにも、最早そんな知恵は備わっていない訳です。石油や電力が不足する、または無くなるであろう将来には、私たちの子孫はただ右往左往するだけなのでしょうか、それとも新たな知恵をひねり出すのでしょうか。少なくとも、古文書など先人の知恵の一端にアクセスできる環境にある私たちは、もっとその知恵を発掘して記録しておくべきなのでしょう。

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2014年7月 7日 (月)

2436 幼形成熟

3歳児と変わるところの無い議員の記者会見など、絶対に映像を流して欲しくなかった、というのが多くの人々の想いではないでしょうか。第一、地方行政とは言いながらあんな人が有権者の代表であるとして議員活動を行っていた事が、同じ国の人間として「火が出るほど恥ずかしい」ではないですか。是非有能なルポライターには、どの様な背景で成長すれば、あの様な人格が形成されるのか解明して貰いたいところです。人格の形成というより、高等教育を受けながら3歳児のままで精神の成長が止まってしまった人たちと言えるのかもしれません。

逆説的ですが、人間は「幼形成熟」故にここまで「脳の」進化を遂げたと言っても過言ではありません。もし頭蓋骨(の容積)が1-2年で成熟を果たしてしまった場合、現代人の様に脳が拡大して多様な精神活動を開花させる余地は無かったでしょう。取り分け脳を含む体の部位が、幼形の特徴を残しつつ完全に成熟しないまま、成長し続けられるようになった事が今の人間を作ったと言えそうです。しかし、体の進化はと言えば、間違いなく退化したと言うしかないでしょう。運動能力、五感の鋭敏さ、危機を予知する能力などなどです。

投稿者には、投稿者には幼形成熟に「行き過ぎ」が起こりつつある様に見えて仕方がないのです。つまり、どうやら幼形を残しつつ進化するのではなく、進化し過ぎた脳が過剰に身体を異常な形で支配してしまっている事態が起きつつある様なのです。具体的な現象の一つが自死でしょうか。それに次ぐ身体の虐待は、アルコールや薬物依存による中毒です。中毒は体が中毒状態に落ちっているのではなく、脳こそが中毒の元凶なのです。一方で、脳自体がパニックを起こす状況も多く目にする様になりました。大の大人が、さながら幼児の様に人前でパニックを起こして、自分を無くす現象です。よく言われる「キレる」あるいは、「号泣する」,,[ストークする」などは、パニックのスイッチが入った瞬間に脳が勝手に起こしてしまう行動だと言えるでしょう。これは、Y老孟司が言う「脳化した都市」に群れて住む人間に特有の症状の様に見えます。逆に言えば、田舎や山間部に住んで、日々顔なじみの人々と協力しながら、必要最小限の物資を野山から得る質素な生活を送っていれば、ほぼ起こり得ない症状だとも言えるでしょう。ここでは、多くの脳が起こす「未成熟な症状」は、過密な都市生活から生ずると結んでおきます。

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2014年7月 6日 (日)

2435 油断

この言葉を石油危機と重ねて使ったのは、多分1970年代S屋太一が著書のタイトルとしたのが最初だったでしょうか。彼の警鐘にも関わらず、私たちの油漬け生活の本質は全く変わっていません。というより、ますます状況は悪化したとさえ言えるでしょう。二度のオイルショックの後、国は大規模な石油備蓄基地を建設しました。確かに、今突然石油の供給が絶たれたとしても、この国は数か月か半年程度は持ち応える事が出来る量は備蓄されてはいます。しかし、その解決が長引いた後の状況は悲惨なことになるだろうことは容易に想像できます。先ずトラックが動かなくなり、物資の供給が止まった都市機能は完全に麻痺するでしょう。発電所にも燃料となる石油やLNGが入らない訳ですから、当然の事ながら大規模な停電も起こり、電車も止まる事になります。

この国の中を見渡せば、石油以外の再生可能型エネルギーで電力の自給が可能なのは、大規模な水力発電所をいくつも抱える福島県くらいのものでしょうか。原発が頼りにならなくなってしまった今、この国は石油・LNGへの依存があまりにも高過ぎる国になってしまいました。むしろ異常事態と呼ぶ方が良いのかも知れません。よく言われるエネルギーの安全保障という見方をするなら、危険度は最大級まで上昇していると言うしかありません。

さて、ではどうするかですが、先ずはエネルギー取り分け、電力と輸送用向けの化石燃料を、3割程度減らす必要があるでしょう。従来モデルから見れば3割程度燃費が改善された乗用車はかなりのスピードで普及していますから、それを更に加速することにより良い方向に行くでしょう。しかし、電力に関しては照明や家電などで省エネ性能は向上を続けているものの、いわゆる夏場の冷房ピークと産業用での大幅な省エネには未だ成功していない様に見えます。そこに楔を打つのは、実は太陽熱の高度利用だと見ています。即ち、太陽熱を利用した冷房(例えばデシカント冷房)や太陽熱を利用したプロセス予熱や燃焼空気予熱などにより大幅な省エネが可能となるはずです。しかも、太陽熱の強度は日中にピークが来るので、エネルギーのピークカットにも有効なはずです。化石燃料への依存度を急速に下げなければ、油断リスクの高止まりは更に続く事になるでしょう。

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2014年7月 5日 (土)

2434 C to C

C to Cとは、Customer(個人)間の直接取引を意味します。その一方が、少量生産する職人や農業を営んでいる人であっても良い訳で、いわゆる市場や流通業を通さない取引を総称します。その取引内容は、通常は非公開ですので、売り手側の利益は基本的には把握できませんので、大規模な取引でなければ、多くは税金の網にも掛からない事でしょう。もちろん、その経済規模が小さい内は、行政側も目こぼしをしてくれるのでしょうが、それが無視できないボリュームに膨らめば、当然の事ながら税の網目を絞られてくるはずです。

さてC to Cです。古くから、たぶん今でも細々と行われているとは思いますが、そのルーツは「市」にあるのは間違いないでしょう。生産者=売り手は、定期的に立つ市に商品を並べ、顧客と1対1で駆け引きを繰り広げて、モノを渡しお金を手にします。売り手は、そのお金を使って自分自身の家族の生活に必要な品々を買い、場合によっては明日からの生業の材料を仕入れて帰路につくことでしょう。同じ素朴な市でも、真正直な売り手はあまりお金を手に出来ませんが、一方で駆け引きに長けた売り手はより大きな金額を手に出来ます。そうこうするうちに駆け引きの上手い人は、売り買い専門の商人として生業を立てる道を選んだ事でしょう。商人の誕生です。

しかし、商人は売り買いを繰り返し、マージンを受け取る事で暮らしを立てますから、出来るだけ遠くの珍しい産品を仕入れ、その様なモノが手に入りにくい地域で売れば、より高いマージンを手にする事に気が付いた筈です。交易です。ラクダや馬車や帆船による輸送はやがて鉄道や車やコンテナ船やさらには航空輸送にとって代わられました。これは、国内でばほぼ翌日配送を可能にするスピードです。しかも、C to Cのコンタクトも、今やインターネットで瞬時にこなす事が出来るため、注文から配達までの時間は極限まで縮まりました。

では、工業製品ではどうかですが、残念ながら大量生産、大量輸送、大量小売の構図は、21世紀に入っても前世期の仕組みがそのまま移行しています。C to Cが極限まで進めるなら、生産ロットのサイズも可能な限り小さくすべきだと思うのです。3Dプリンタだけがそれを可能にするツールだとは思いませんが、それを含めハンドクラフトも併用しながら、必要とされるモノを必要な場所で作る仕組みはもっと広がっても良いと思うのです。究極のC to Cとは、例えば昔テイラーで洋服を仕立てた様な「完全なオーダーメイド」なのです。そうです、オーダーメイドではメーカーは注文を受けてから製造作業をスタートするのです。ここ、秋田には「曲げワッパ」と呼ばれるクラフトがありますが、完全オーダーメイドシステムでは、そのワザで作る弁当箱の大きさも、ユーザーのお腹の大きさに応じて微調整できる筈です。完全C to Cでネットを通じた注文で、広く注文を受ければ、見込生産をしなくても十分にビジネスになるでしょう。もちろん仲買人にマージンを握られる事も無くなるので、適正な利幅も確保できる訳です。

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2014年7月 4日 (金)

2433 マネー(による)ロンダリング

括弧を除いたこの言葉は、犯罪に絡む汚いお金を、金融システムを通す事によって、色の付かないお金に浄化してしまう事、つまりは資金洗浄を指します。しかし、ここでは別の意味で新たな定義をしておきます。何が言いたいかといえば、本来もっと価値を置くべきモノが、経済社会の中でお金に姿を変える、つまりは換金されることよって、さながら洗濯で羊毛製品がひどく縮んでしまう様に、価値が大きく目減りしてしまう事を表そうと思うのです。つまりは、マネー「による」モノのロンダリングによって価値が目減りする事を指そうを思います。国際的な商品取引の例で言えば、例えばアジアやアフリカにおける、いわゆる換金作物などが挙げられます。各国が独立した今も、かつてのプランテーション農業が役者を交替しただけで、中身は殆ど変わっていない農業形態だと想像しています。当時は、宗主国の農場経営者が莫大な利益を受けとり、今はたぶん大資本の食品企業や巨大商社がしっかりと利益を得ている事でしょう。単作で、安い現地労働力を使った労働集約的な農業形態による搾取の本質は、全く変わっていない訳です。

その意味では、いまの国内の稲作も殆ど同じ状況だと言えるかもしれません。かつては、お金と同様に重要な富であり価値交換の象徴と考えられていたコメが、今や国際競争に晒されながらのただの換金作物に成り下がってしまったからです。作物が商品に変身した瞬間、モノの価値は市場の力学によって受動的に決められてしまい、それを生産した農家には多分十分ではないお金が入るだけに終わります。市場(商社)は、重量当たりで一円でも安い「商品」を巡って世界中飛び回り、価格競争力の弱い農産物の価格を叩くのです。それに飽きたらず、いわゆる先物取引と称する手まで使って、将来に亘って市場価格を牛耳るのです。

結局、製品や作物や産品を安易に市場に出したのでは、買い叩かれて不十分な代価(お金)しか受け取れないのです。そのお金の一部は、原材料や設備や人件費に回さなければなりませんから、下手をすれば赤字に陥るでしょう。結果として見れば、モノを提供するためのコストを市場で「理不尽な交換」で生ずる「負のマージン」によって、市場を牛耳るビジネスが莫大な利益を受け取っていると言い換えても良いでしょう。モノを右から左に動かくだけで莫大な利益を上げるビジネスこそ、ここで言うマネー(による)ロンダリングの仕掛け人と言えるでしょう。.それを防ぐには、結局市場に出さない物々交換か、ネットオークションの様なC to Cのビジネスしかないのかも知れません。C to Cに関しては続きます。

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2014年7月 3日 (木)

2432 ハゲタカ

何時の時代になっても詐欺の種は尽きません。というのも詐欺師は年々賢くなっているようですし、それをチェックする機能は歳々弱くなってきているからです。それに加え、最近は震災復興マネーや雇用創出マネーがダバダバに予算計上され、しかもその使途のチェック機能は全くと言って良い程弱体に陥っているのです。例えば、震災復興に絡んだNPOを作り、多額の助成金を吸い込んだ例や、新規雇用の受け皿として、100人規模のコールセンターを何か所も作り、トレーニングや雇用の助成金だけを受け取って、スルリと手を引く手口などが目につきます。もっとも後者はまだ事件として立件はされてはいませんが、人口減少が続くこの国で、どの様なビジネスが新たに数百人の電話オペレータを必要としているのか、頭を冷やして考えれば誰にでも見抜けるはずです。

震災の被害や牽引企業の縮小経営の結果、たとえ地元の製造業も連鎖的に落ち込んで、その対策が急がれたにしても、いきなりコールセンターを誘致すると言う提案に飛びつくなど、あまりのも安易過ぎると言われてもしかありません。企業は、モノ作るってそれを売ってナンボのビジネスや痒いところに手が届くサービスの提供で生き残っていますが、一体オペレータが一月に電話で何件の注文を取れば、彼らの給料が出るのか、単純な計算でもそれがかなり厳しい事は分かるはずなのです。

震災復興マネーや原発事故対策マネーにも同様に、ハゲタカの様に群がる人々が存在することでしょう。政治家やお役人は、先ずは予算書を作る事に熱中しますが、一方でその使い道に関しては、手薄の会計検査院や、国会でも何年か分をまとめて開催する「決算委員会」だけの緩いチェック機能しか持ち合わせていません。それが開かれた時には、すでに予算は執行されていますから、殆どが後の祭りに終わるだけです。間違った使われ方をした税金を、完全な形で弁償させた例をあまり知りません。ニュースにならない小額のプロジェクトではもしかすると存在したのかもしれませんが・・・。従って、今後とも税金(=半分は国の借金です)に群がるハゲタカの種は尽きないのでしょう。

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2014年7月 2日 (水)

2431 労働生産性

裁量労働制がお国の成長戦略の一つとして俎上されています。年俸が高いクリエイティブな仕事は、働く人の裁量に任せて働かせればかえって能率が上がって、企業も、更に高額な年俸を得たいと思う労働者には具合が良いのだとか。しかし、たとえここでそれを認めたにしても、そもそも「労働生産性」の定義が疑問として残ります。これは、つまりは働いた時間当たりの付加価値の増加によって算定される指標の様です。「の様ですと」書いたのは、しかし付加価値とは一体何ぞや、という問に誰も答えていないからなのです。そもそも「価値」の定義が曖昧なのです。ある人にとっては、価値とはお即ちお金かも知れません。しかし、無人島に流れついて空腹を抱えた遭難者にとって、トランクいっぱい札束など何の価値もないでしょう。乾いていれば、たき火の焚き付けには使えるかも知れませんが、濡れていればただの紙屑です。先ずはお腹を満たす食べ物こそが最大の価値でしょう。

例えば、ソフトウェア会社で、非常に魅力的なゲームソフトを開発した人が居たとします。しかし、今世の中で本当に求められているのは、エネルギーの効率的な利用を実現するソフトであったり、あるいは限られた農地で最大の収穫量を実現するためのソフトだったりするかも知れません。ゲームソフトの開発者が、寝る間を惜しんで世界でも最高レベルのエンターテインメントを提案したとしても、結局ゲームでは腹は膨れないし、エネルギーだって生み出せないでしょう。つまり、ゲームソフトとは、暇つぶしに価値を見出す人にとってしか価値は感じられない存在だと言うしかありません。

さて労働生産性です。これは、お金でしか価値を図る術を知らない経済学者や、それに乗っかった政治家が、私たちの目を眩ますために打ち上げた花火の一つに過ぎない、と切り捨てておきましょう。そうではなくて、私たちの価値(観)は多様であるべきで、北国ではお金があっても暖房するための熱源が無ければ厳しい冬は越せませんし、他方南の国々では、お金より先ずは食糧の確保こそが最重要である筈です。お金以外の多様な価値観の評価には、紙幣の枚数以外の多様な物差しが必要なのです。労働生産性なんぞ○ソくらえ、と言っておきましょう。

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2014年7月 1日 (火)

2430 エネルギーパス

ソフトエネルギーパスを提唱したのはA.ロビンスだったでしょうか。これは、結局エネルギーの節約に努め、その結果として再生可能型エネルギーを基本として社会を営もう、という提案です。果たしてそれは本当に実現できるのか、その考え方が本となって登場した当時も賛否両論があった様な気がします。つまり、あまりにも理想的すぎて、現実的ではないという批判と、一方ではオイルピークや温暖化の問題を考えれば、それは当然の取組みだ、という擁護論です。

しかし、エネルギーに関して、何時も議論が集中するのは、石油エネルギーを筆頭とする化石エネルギーと、その形を変えた電力エネルギーばかりである事は、もっと問題にされるべきでしょう。エネルギーの本質は、地球内部起源の地熱や放射性エネルギーでない限り、全てが太陽エネルギー起源である事は明らかです。化石エネルギーにしたって、太古の昔に生物によって固定された太陽エネルギーが化石となって地下に眠っていたの掘り出したものですし、バイオマスにしても水力にしても風力にしても、時代が若いだけで太陽エネルギーが姿を変えたものに過ぎません。

従って、望ましい持続可能なエネルギーパスとしては、先ずは一義的に太陽エネルギー、取り分け太陽熱を俎上すべきだと思うのです。化石エネルギーが殆ど産出しないこの国では、何は無くとも全ての住宅の屋根には太陽熱温水器が載るべきでしょう。何しろ、私たちは毎日入浴しないでは暮らせない清潔好きの国民なのですから。真夏の太陽熱を上手く使えば、実は冷房だって可能なのです。もちろん冬でも日照があれば、それを上手く集めて暖房も可能です。冷暖房と給湯のエネルギー源として太陽光が50%分使えば、電力と石油(ガス)の使用量が半分に出来るのです。太陽熱は使いにくいのではなく、知恵や工夫が足りないだけなのです。スイッチやコックをひねれば、すぐお湯が出てくる仕掛けを「バカチョン」と呼びます。先ずは太陽熱の利用から始めましょう。

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