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2014年11月30日 (日)

2560 科学の種類

科学(すること)を目的によって分けるとすれば、ここだけでの定義としてですが、「探究科学」と「実用科学」に分けられそうです。探究科学とは、つまりは人間の好奇心、探究心を満足させるための科学で、例えば物質や物質間に働く諸力(重力や核力など)の根源は何かという素粒子科学、あるいは地球の生物の起源を探求するために、小惑星から物質を採取して持ち帰る宇宙科学、さらには人間のココロや遺伝子の関係を追及する学問などが例示されます。人間の好奇心や探究心はあまりに強いのですが、それは素粒子を見つけ出すために費やされた膨大な人的資源や予算、その結果作り出された巨大な加速器の数々を見れば、容易に理解できるでしょう。日本を候補地として計画に上がっている、数十キロもの長さがある直線型の加速器(ILC)の、兆円単位の予算規模を耳にするだけでもその一端が伺えます。宇宙開発、という名の好奇心を満足させるために数多くにプロジェクトに、B国一国のNASAやがこれまでに費やした予算を足し合わせれば、天文学的な数字に上る筈です。.

科学の他の一翼は実用科学です。たとえば人々の病気による症状を軽減し、あるいは治療する医学や薬学、人間の頭脳の限界を超えるためのコンピュータサイエンス、あるいは種々の物質を分離、あるいは合成する化学や冶金学やセミコン学やセラミック学などなど。これらは全て、人々の寿命延長やあるは社会生活の豊かさの向上に向けた科学だと言えます。それらを個々に眺めれば、確かに必要な科学と主張できるのでしょうが、全体として考えれば、何か引っかかる部分が出てきます。

先ず前者の探究科学ですが、科学者たちが「その事実」を知ったとして、それが私たち人類、あるいは地球上の生けとし生けるものの存続にどの様な影響をもたらすのか、つまりは倫理を掲げて進むべきだと思うのです。知るためだったらどんなにお金や人材を注ぎ込んでも構わないのか、改めて考えるべきなのです。例えば、素粒子を究めれば、問題になっている有害な放射能を消す事が可能となるのであれば、それは進めるべきでしょう。物質の最小単位が判明したとして、それが個人や研究機関のノーベル賞獲得の役に立っただけなら、それは悲しい事でしょう。

後者の実用科学ですが、多くの場合、その分野の研究者や学会の予算獲得や隆盛のために、枝葉末節の科学に陥っている場合が多いのではないかと危惧します。もちろん門外漢の視点ですから事実は少し違うのかも知れませんが、いずれにしても「豊かすぎる社会」は、そうでない社会との格差をますます広げ、結果として世界の不安定性を加速している様に見えて仕方がないのです。たぶん続きます。

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2014年11月29日 (土)

2559 Adaptic control

日本語に直せば「適応制御」とでもなるのでしょうか。元々は工作機械の制御用語だった様に記憶しています。つまりは、工作機械の刃物に掛かる負荷(直接的には主軸のモーター電流)を検知して、必要により送りスピードを上げたり、あるいは下げたりする制御方法を指していました。それで何が良いかですが、つまりは機械の能力が高い条件で切削が出来、ひいては可能能率が上がるという訳です。その嚆矢はイスラエルの制御メーカーだった様です。考えてみれば、当たり前の考え方ですが、何故かこの国の工作機械メーカーには根付きませんでした。というのも、国内のメーカーが作って、国内外に販売しているのは、大量生産のラインに組み込まれるシリーズものを得意としているため、敢えてその様にややこしい制御をする必要はなかった訳です。適応制御が効奏するのは、実は難削材(つまりは硬くて削りにくい材料)の様に、機械の負荷変動が大きな被削材に有効で、通常の鉄やアルミ等比較的削り易い材料の加工にはそれほど寄与しないとも言えます。

しかし、ここで切削理論を展開するつもりはありません。この適応制御の考え方は、広く普遍的に応用できると言うのがここでのポイントです。例えば、電力のデマンドを上記の切削負荷(主軸の電流)と見做すと、デマンドの制御に応用できる可能性がでてきます。具体的な方法にはいくつか考えられますが、デマンドをリアルタイムで検知する事により、例えば負荷に応じて、インバータでモーターの回転数を抑えて、結果として負荷を下げるハードウエア的なアプローチが考えられます。その方が、デマンドオーバー時に完全にシャットダウンする場合よりずっとマシでしょう。

もう一つの方法が、ソフトウエア的というか経済的なコントロールです。それは、バリュアブル・プライシングあるいはダイナミック・プライシングと呼ばれる仕組みです。これは、デマンドを下げたい時間帯の電力単価を、やや極端なくらいに上げ、逆に負荷が下がって発電所の最低負荷が維持できない(止める必要が出る)場合には、逆に大きく単価を下げるシステムです。そのためには、時間別の電力量を把握する必要があるので、必然的にスマートメーターが必要となるでしょう。ある程度事前に、需要家にプライスを通知する事が出来れば、需要家側で自営的にデマンドをコントロールする行動に出るでしょう。

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2014年11月28日 (金)

2558 水素社会は来ない

このタイトルは多分2回目です。某化学プラントメーカー大手の、水素社会に向けたプレゼンを聞きました。プレゼンターによれば、時代は着実に水素社会に向かっているのだとか。その論旨でどうにも納得できないのは、最終的には再生可能エネルギーを使って水素を作るにしても、そこに至る移行段階では、資源国で化石エネルギー(石油、石炭、LNG)から水素を作って、消費国へタンカーで運ぶのだとか。その際にはトルエンと反応させて、液体にするのだそうで、現在のインフラ、タンカーや陸上タンクがそのまま使えるメリットがあると胸を張っていました。

しかし、水素を作る過程で、化石燃料から水素を引き剥がす際に発生するエネルギー(=CO2)や残ったCO2は、結局は無理やり地下深くに(CCS法で)埋めるのだそうです。それが、現在行っている化石燃料を直接燃やすのと、いったいどこが違うのかが全く理解できないのです。確かに消費国のFCVの排気管からは水しか出ないでしょう。しかし、資源国ではコストを下げるために「雑なCCS」を行い、結果としてCO2が地表に漏れだす事だって強く懸念されるのです。しかもこの水素社会の実現は、消費国でのインフラが整うまでに数十年を要する見込みなのだそうです。言葉を替えれば、今後数十年間は、「エセ水素社会」が長く続くと言うことになるのです。

お国やメーカーは何を考えているのだろうと頭の中身をつい疑ってしまいます。この論理は、資源国や途上国で鉱毒や公害を垂れ流させておいて、金属類や化学製品を安く輸入する行為と何も変わらないからです。途上国や資源国、ひいては地球環境に大きな負荷を与えておいて、先進国だけがエセクリーンエネルギーを享受するなど、どの様な「倫理」で計っても、許されないでしょう。もしクリーンな水素が欲しいのなら、太陽光と光触媒を使って、水から直接水素を発生させる技術を一日も早く完成させ、砂漠国に砂漠の賃貸しでも申し込むべきでしょう。化石燃料から水素を取り出すなど、近視眼的な浅知恵と断ずるしかありません。そんなエセ水素社会は来ない、というより作ってはならないと思うのです。

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2014年11月27日 (木)

2557 FITの限界(アメ・ムチ)

ある方針に沿った誘導政策には、アメ政策とムチ政策が考えられます。その意味で、FITは明らかにアメ政策の代表と言えるでしょう。再生可能エネルギーを選択した者に、電力の小売り価格以上の値段で買い取るという仕組みですから、取り敢えず投資するお金がある人にとっては、絶好の「投資の対象」だったのでした。つまり、FITはお金のある人たちを、そうではない庶民や中小企業からお金を広く薄く吸い上げて、さらにお金持ちにする制度だとも言えるのです。

その現象は、既にこの国の中で、取り分け九州地域で極端な形で湧きおこりました。例えば、空申請です。同じ土地に対して、複数の企業が複数のメガソーラ建設計画を打ち上げ、取り敢えずはFIT認可の「枠取り」をしようという魂胆の輩がどっと増えたのです。当然の事ながら、土地取得や借用の本契約は完了しておらず、かなりのケースでは資金調達の見込みも立っていなかった様なのです。これは、FITがアメだけの政策である事から必然的に発生する事態だと言えるでしょう。そんな事態は、既に10年も前に欧州で起こっていた事なので、事前に十分予測できたはずなのです。しかし、原発が止まり再生可能エネルギーの率を急速に持ち上げたいお国は、シャニムニ高めのFIT価格を設定して突き進んだのでした。

ではどうすれば良かったのかですが、FITが需要家への課金で運良されるシステムである限り、その認可には厳しいゲートを設けるべきなのです。初めに高い買取価格を設定して誘導するのではなく、ここでは、例えば送電網が不要で、グリッドへのインパクトが小さい小規模システムには高い買取価格を、逆にスケールメリットが期待できるメガソーラには低い価格を設定する、いわば「ハイブリッドFIT」を検討すべきだったと一例を挙げておきます。

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2014年11月26日 (水)

2556 Mimimum sufficient

日本語では「必要かつ十分」という程の意味ですが、Mimimumという意味を強調しないと、必要の意味を取り違えてしまう可能性もあります。例えば、車は「必要」なのか、という問に、田舎に住んでいて今やバス路線から外れたか、あるいはコミュニティバスが、朝昼晩の3便程度しか来ない地域では「必要だ」と言うでしょう。しかし、電車やバスが時間当たり何本も走っている地域では、とても「必要」とまでは言えません。つまり、置かれた状況や、個々人の価値観により必要のレベルも随分違ってくるのです。

しかし、私たちはどうにかしてそのMimimumの必要レベルを決めなければ、先に進めないのです。もし、働いている職場に通勤するのに、どんなに早起きしても始業に間に合わないのであれば、車は通勤手段として「必要」でしょう。投稿者の場合、独身時代も結婚してからも会社から10㎞ほどの寮や社宅に住んでいましたが、雨が降っても雪が降っても自転車通勤を貫きました。バスと電車を使えば、もちろん楽に通勤できた筈ですが、パンク修理代程度の通勤手当しか貰えない自転車通勤を敢えて選択したのでした。車は、軽自動車を所有してはいましたが、それは、社宅から遠かったスーパーへの買い出し用として使っていただけでした。この頃の想いは、体は負荷を掛けないとすぐナマルので、通勤のついでに体も鍛えよう、というものでした。

考えてみれば、その昔(投稿者の子供時代)田舎でも車は殆ど見かけませんでした。近所の車はと言えば、筋向いの製氷工場のオート三輪と、少し離れたことろの町医者が乗り回していたメッサーシュミットくらいでした。町の中心では毎日市が立っていましたが、そこに並ぶ海山の幸や手仕事で作ったモノは、数キロ~10キロ程度離れた近郷からリヤカーや手押し車で運ばれてきたのでした。もちろん人が1-2時間歩いてです。その頃の必要はリヤカーや自転車でした。

これも思い出話にに近いですが、ではいつ頃から私たちは潤沢に石油を使い、車を乗り回す様になったのでしょうか。投稿者は自転車・バイク族だったので、車を購入したのは結婚後(1970年の終わり)でしたが、その頃は既に若者は1年でも早く車が欲しいと考えていた時代でした。その意味で、自家用車が「必要レベル」に格上げされたのは、1970年代の半ばではなかったか、と振り返っています。つまり、この頃車や、カラーテレビやクーラー(いわゆる3C)が豊かさの象徴に躍り出たと言う事なのでしょう。しかし、モノの豊かさの一方で、私たちのココロはドンドン貧しくなっていった様に感じているのは。たぶん投稿者だけではないでしょう。続きます。

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2014年11月25日 (火)

2555 柿エタノール

思考実験です。田舎では、家々の柿の木に実がたわわに実っていますが、いずこも高齢化で、収穫してそれを干し柿にする家もめっきり少なくなりました。さて、その柿ですが、何時も感心するのは、その実の数の多さです。1000個ほども実を付けている木も珍しくはありません。1100gと仮定しても、1本の木から100㎏程は収穫できる計算です。仮にこの木が枝を張っているいる面積を3.3m四方として、10㎡当たりの収量を100㎏とすれば、1ha1000㎡)当たりに換算すれば10トンほどは軽く収穫できそうです。

ところで、バイオエタノールを生産するのに最も効率的な作物は、手元のデータによればサトウキビで、1ha当たりで約5,000ℓほどのバイオエタノールの収量があるとされています。仮に、柿からのエタノール収量を10%と仮定しても柿エタノールが1ha 当たりではなんと10,000リッターは収穫できる計算になります。10%の根拠としては結構適当なのですが、サツマイモでさえ重量当たり13%程度のエタノールが得られるのですから、もっと糖分が多く甘い柿からは少なくともその程度のエタノールは採れるはずなのです。

ならば、耕作放棄地とりわけ中山間地に柿の木を植えない手はないでしょう。柿は、干し柿に加工しておけば非常時には食糧としても活用できますし、柿酢も作れますし、飲料用や燃料用のアルコールも作れる優れものの果樹なのですから。収量も他の植物に決して引けは取りませんが、たった一つ問題があるとすれば、その収穫方法でしょうか。稲と違ってコンバインは使えませんし、かといって一つひとつ手摘みをすると言う訳にもいきません。やはり樹形を整えて高さを抑えて、機械化に馴染む様にする工夫は不可欠です。それと、柿の糖分を効率よくアルコールに変えてくれる酵母の発見も同様に重要なポイントでしょう。

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2014年11月24日 (月)

2554 社会貢献税

消費税という名前がそもそも気に入りません。消費は美徳であり、消費は景気を刺激し、好景気は消費を加速する、という昭和の物語は終わったと思うからです。景気が良くなれば、その消費者から税金を取れば良い、というAベノミクスもまた昭和の考え方に他なりません。何故それが悪いかですが、少し考えれば分かるでしょう。21世紀に入って石油の在庫は残り半分になって、ピークを越えてしまいました。この国では人口減少が顕著になり、少子・高齢化もますます加速中です。その様な社会背景で、消費の加速などまったく現実的ではないのは明らかでしょう。

ではどう考えれば良いかですが、先ずは歳入に見合った歳出に向かって徐々に絞り込むべきでしょう。国会も議員数を減らし、お役人の数も人口減に応じ、というより歳入に合わせればそれ以上に絞るべきでしょう。その上で、エネルギーと食糧の国産化率を上げる政策に集中するべきなのです。有限の農地と殆ど無いに等しい地下資源でどうやって食糧やエネルギー産出を増やすかですが、それは簡単な話です。例えば、埼玉県と同等の耕作放棄地、広大なビルの屋上や工場の屋根、あるいは道路の法面などを利用すれば、食糧自給率を10%上げるにそれ程の困難はありません。軽量で多孔質の人工土壌であれば建物に無理な荷重は掛からないでしょう。エネルギーは電力だけではないので、熱エネルギーを太陽熱とバイオマスで賄えば、エネルギーの自給率を10%上げるに殆ど困難は生じません。全ての戸建て住宅やマンションのベランダの外側に、太陽熱温水器の設置を義務化するだけで済みます。

さてその上で「社会貢献税」の導入です。これは国庫とは全く異なった金庫に収納されます。お金には色が着いていないため、同じ金庫に入れると「悪用」されかねないからです。これは「完全」な目的税で、将来あるべき姿の社会に向かって、それに寄与する活動をバックアップする目的に限って支出されます。厳格で、ガラス張りの「委員会」によって使途や収支が管理されるもあります。金庫番は各地の地方銀行に担当させ、完全なガラス張りで歳入歳出を情報公開します。収支がプラスになれば、将来世代のための基金に積み立てれば良いでしょう。消費する行動に網を掛けられる消費税増税には多くの異を唱えますが、社会への貢献であれば、誰も抵抗できない筈なのです。社会貢献を拒否するなら、その人はたぶん「反社会的」な人というレッテルを張られることでしょう。政治家やお国が増税する消費税を目的税と言い張るのなら、金庫も明確に分けるべきでしょう。そうでなければ、増税分もやはりお国や役人によって「悪用」され、国の債務も膨らみ続けるでしょう。

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2014年11月23日 (日)

2553 日本売り

日本売りが止まりません。その指標の代表は例えば為替レートでしょうか。80円の対ドルレートは確かに高すぎますが、かといって今の117円前後は売られ過ぎでしょう。Aベノミクスの政策実行後、対ドルレートは100円前後に落ち着いていた時期もありました。しかし、ここに来て急速に円が(日本が)売られている様なのです。何故かを考えてみれば、それはこの政策が地に足がついておらず、底が浅いと見抜かれているからだと言えるでしょう。お金を印刷してばら撒くのは、すぐに出来る政策です。そうやって時間を稼いでおいて、予算を大盤振る舞いして世の中の風潮をさも景気がさも上向いてきた様な雰囲気を作るのも容易でしょう。

しかし、第三の矢は「構造改革」を伴う筈なので、一朝一夕に効果が出る筈もありません。お国が言う、エネルギー転換だって、石炭が石油に代わるのに数十年掛かった事を振り返れば容易に分かる様に、例えば水素社会やスマートグリッドのシステムが数年で出来る上がる訳もありません。そのためには、多くの困難な技術開発と莫大なインフラ投資の積み重ねが必要だからです。

にも拘らず年も押し詰まったこの時期に、何やら訳の分らない選挙を行うと言う、この国のリーダーを外から見るとどう思うののでしょうか。戦後レジュームからの脱却がキャッチフレーズだったこの人は、50年体制からの脱却は全く出来ていない事を自ら証明して見せたと言うしかありません。この国は、本当の先進国に脱皮すべきだと常々考えているのは、投稿者一人ではないでしょう。そのためには、資源の少ないこの国なりの暮らし方、社会の仕組みを整え、それを世界に向けて提案すべきなのです。少ない資源や食糧は輸出で稼いで買えば良い、との「昭和時代の考え方」は一日も早く捨て去るべきでしょう。このままでは、日本売りは止めようがないでしょう。

その上で、質素でしかし心豊かな「大人社会」を実現すべきでしょう。高齢者に送るべきは年金や医療・介護サービスではなく、寝たきりにならない様な「事前リハビリ」プログラムと、ボケを防ぐ「事前脳トレ」プログラムでしょう。それには、体のためには簡単な器具を使った筋トレやウォーキング、頭の体操としては、場所も道具も不要な短歌や俳句や川柳をひねるか、あるいは歩きながらの暗算の引き算だけでも十分でしょう。日本売りの話題から少し外れましたが、要は先人の知恵に学び、その一部を実践するだけでも、モノ・カネに縛られない世界から尊敬される(日海買いにつながる)社会は作れると思うのです。

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2014年11月22日 (土)

2552 植物・工場?

農業に縁もゆかりも無かった企業が、○○栽培に取り組んでいるケースが増えている様です。例えば、薬効成分があると言われているキノコ、葉物野菜、ハーブ(薬草)などなどです。それらは、ほとんどの場合元工場、即ち屋内で栽培される事が多いのです。それは、土を使わず、人工照明で、環境を管理した植物工場で作物を作る方法が、圧倒的に品質管理が容易で、人手も掛からず楽だからです。培地は、ガラスウールなどの無機質を完全に滅菌して使いますから殺虫剤は使わなくて済みそうです。肥料は水に既定量を混ぜて根から吸収させますから、必要最小限の量で済むので、効率的でもあります。植物の光合成に必要は光は、今やLEDで植物が好む波長を必要なだけ与えます。温度や湿度やCO2濃度でさえコントロールしている筈です。

しかし、考えてみれば植物と工場とは、馴染まない組み合わせの代表だと言っても過言ではないでしょう。何より、工場内には土(土壌)がありませんし、虫達も居ません。害虫の居ない代わりに、私たちがまだその存在すら知らない益虫や益バクテリアも同様に寄り付かないのです。植物が必要とするかあるいはそれ以上潤沢に降り注ぐ太陽光も届きません。植物が本当に必要とする光の波長は、実はLEDなんぞで作る出すには無理がある様にも思うのです。何故なら植物は、太陽光が出すスペクトラムの波長を最大限利用する様に進化してきたからであり、その進化は土壌とそこに棲む虫やバクテリアと共に進化(=共進化)してきたはずだからです。

例えば、マメ科の植物は根粒バクテリアという微生物と共進化してきました。植物からはバクテリアが必要とする炭水化物を与えますし、一方でバクテリアは空気中の窒素を固定し植物にお返しをする訳です。共進化の過程で共生関係も作り上げてきたと言えるでしょう。その様な関係は、実は多くの植物にも多分存在する筈で、多くは私たちがまだ知らないだけなのだ、と投稿者は想像しています。ここで言いたいのは、植物が健全に成長するためには、限られた波長の光やNPKだけが含まれた水溶液や温度や湿度やCO2濃度「だけ」では十分ではないだろうと言う点なのです。土壌に含まれる微量元素やバクテリアや昆虫との共生関係や、風による葉や茎への物理的刺激や、あるいは寒暖の差による適度なストレスなどが、健全な植物の成長には欠かせないと思うのです。工場内の人工環境で育てられた無菌の作物が、美味しくかつバランスの良い十分な栄養価があるとは、投稿者にはとても信じられません。

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2014年11月21日 (金)

2551 山業

林業という分野に就業している人口は、現在では7万人レベルまで減少している様です。一時はもっと減っていた様ですが、林業男子や女子の参入もあり最近少しは増えた様ではあります。山業は、いわゆる産業ではありません。産業の業は作業であり、山業の業は「業(なりわい)」だと思うからです。投稿者の中では、作業とはお金のために決まった事を繰り返し行う事を指しますが、「なりわい」とは自分の意志で工夫を重ねながら手仕事をこなし、それを気に入ってくれた人からなにがしかの謝礼を受け取る、といったイメージなのです。

さて山業です。山を相手にするためには、樹木や関係する植物(雑草も含みます)を良く知り、それらを自然の摂理の中で、下草刈りや枝打ちで汗を流しながら、樹木を上手く育てる必要があります。しかし、その成果は、実は自分の子孫に引き渡すだけで完了するわけです。一方で、自分のご先祖が育てた樹木を有難くいただき、それを伐採して搬出する事になります。木もただ伐れば良い訳ではないでしょう。樹齢を読み、育ち具合を読み、切り倒した後の周辺の木への陽当たりを読み、倒す方向を考え、搬出方法を考え、然る後にチェンソーの歯を入れる筈です。

樹木は切り倒した瞬間に「木材」になる訳ですが、ご先祖様が育んだ木材は可能な限り、全ての部位を多段階で活用しなければバチが当たります。用材となる中心部分はもちろん、樹皮やいわゆる背板部分、あるいは林地に切り捨てられる事も多い枝葉も最大限の活用を考える必要があります。自然が創ったモノに無駄なものは一切無い筈なのです。かつては、マツから落ちた松葉でさえ集めて、焚き付けとして活用していたではありませんか。材料として使えない部分は燃料としての利用でも構わない訳ですが、もっと知恵を絞れば、更なる活用法も見えてくるかも知れません。例えば、水蒸気や臨界水などを使って、樹木に含まれる有効成分(例えばヒノキチオールやツヤ酸やタンニン等)を抽出する、あるいは化学的に処理を行って石油様の液体燃料を得る、さらに言えば木材そのものを高度に加工して、工業材料と同等レベルまで強度を高めるなどが考えられます。

つまり、山の木を伐採して降ろす作業だけが山業ではなく、それを多面的に利用して結果として雇用もお金も生み出すナリワイ全体を指す言葉だと定義したいのです。そこまで考えれば、山業は、現在の10倍以上、つまりは100万人以上の雇用を生む立派なナリワイに再度成長する事が出来ると見ています。

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2014年11月20日 (木)

2550 鳥と飛行機

飛行機は、鳥が飛ぶのを見て空に憧れた多くの人々によって実用化された筈です。動力飛行機の生みの親とされるライト兄弟の前にも、グライダーのリリエンタールを始め多くの発明家の挑戦と挫折があった筈です。20世紀の世界戦争の武器として航空機の開発や戦後のメタル航空機の高度化の努力が現在の航空機市場を作り上げました。

しかし、大陸間を行き来する多数の航空機が、今や困った問題も運んでいる事にはもっと注目すべきでしょう。その代表が、各種の風土病の拡散でしょう。航空機が庶民の乗り物になる以前は、海を渡って海外と行き来する方法は、船や大陸横断鉄道かその組み合わせくらいしかありませんでした。従って。もし訪問地でその土地の風土病を貰ったとしても、長い移動中の間に発症して感染が発覚したはずなのです。何より、この時代の病気のキャリアは、多くの場合は渡り鳥であった訳で、例えばインフルエンザは鳥と豚などの家畜の間で感染し合い、その間に新型のウイルスに変化すると言う歴史の中で、世界的大流行(パンデミック)を繰り返してきた筈なのです。しかも鳥の渡りは、主に南北に限られるので、例えばアフリカ大陸と欧州間に相互に病気を流行させ合った歴史もあったでしょうし、東南アジアとアジア大陸の北部の間、あるいは南北アメリカ大陸間にもあった筈です。その一方で、東西の拡散、例えばアフリカとアジア間などは限定的だったと想像されます。

しかし、地球の裏側までの移動でさえ、24時間程度で移動が終わってしまう今の時代、感染しても発症までには至らず、2次感染が容易に生じてしまいます。しかも、大陸間を往来する旅行者は増加の一方で、エイズを始め、デング熱、エボラ出血熱などが、あっという間に大陸間を移動してしまう時代になってしまいました。その昔、渡り鳥が主なキャリアであった時代から、今や人とそれを運ぶ航空機がまさに「キャリア」になってしまった訳です。コンピュータ「ウイルス」が多少怖いですが、これからの国際化の活動は可能な限りネットの中で行うのが賢い選択かも知れません。FBや動画サイトだけでも十分なレベルで国際化は可能でしょう。

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2014年11月19日 (水)

2549 蓄エネ

エネルギーは、多くの場合フローとして使われます。液体燃料である石油でさえ、製油所やガソリンスタンドのタンクに一時的にストックされるとはいえ、この国には日に数隻の大型タンカーで石油が運ばれ、それが消費されると言う流れが出来上がっているからです。確かに非常用燃料として石油備蓄基地に数か月分の石油はストックはされていますが、それはあくまで非常用に過ぎません。その石油や液化されたガスであるLNGを使って発電された電力こそ、フローエネルギーの権化みたいなエネルギー形態と言えるでしょう。何しろ、発電しただけ使うしかない訳で、夏場のピークが来れば、古い発電所まで動員してフル回転で電気を送る必要があるのです。

もちろん蓄電池を大規模に設置すれば、発電量を平準化する事は可能なのですが、莫大なコストをだれが負担するのか、あるいは充放電で発生するロスの問題があり、なかなか前には進みません。発電側ではなく、需要家が小規模な蓄電池を備えると言う方法もありますが、実用的な容量の蓄電池を設備すると100万円ほど掛かってしまうので、これも前途多難です。これを回避するには、電力の場合例えば一部屋分の蓄電池を設備する方法がおススメです。自動車用の中古バッテリーでも良いと思いますが、これと小型インバータをセットにして、一部屋分の照明やOA機器などの電源として数日使える分だけを蓄電する訳です。通常は時々充電し、テスト時や非常時にのみ一部屋だけに給電すると言う使い方です。

一方、熱エネルギーも目には見えないものであるためそれを蓄えると言う発想がなかなか湧いてこないかも知れません。しかし、熱エネルギーを蓄える事ほど単純なものは無いでしょう。つまりは熱容量の大きな物体の中に閉じ込めて、逃げないように保温するだけで済むからです。雪室に入れた雪は固くしまった雪(水)自体が蓄冷材であり、夏場の冷房や冷蔵に仕えます。逆に、太陽熱や燃焼熱をお湯(水)としてタンクに蓄えておけば、数日間は暖房や給湯には十分使えるでしょう。この他にも、圧力として蓄えるアキュムレータ、あるいは回転力として蓄えるフライホイールなどもありますが、これらは油圧や回転動力を使う乗り物に適する蓄エネ方法と言えるでしょうか。いずれにしても、蓄エネは場所と場合を上手く選べば、省エネや再エネの活用法としては、かなり有効な手段だと言えます。

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2014年11月18日 (火)

2548 GDPが何様

まるで「GDP様」がこの国を支配しているかの様です。Aベノミクスが、このGDPという単なる数字で粉みじんになりかけています。そもそもこの経済政策の方向性がおかしいと、心ある経済の専門家もこのブロでも何度も指摘してきました。もう一度喩えで表現するなら、山で吹雪に見舞われて低体温症(デフレ)になっている遭難者に対し、取り敢えず血流を増やすため、カンフル剤(マネタリーベース)を無理やり投与するやり方に似ています。遭難者は決して心臓病などではなく、出来るだけ素早く乾いた暖かい衣料と毛布で包み込み、手足の先など血の巡りにくい場所を擦るなどして血行を回復させる必要もあります。暖かい飲み物も必要なのでしょうが、暖めるのも内外から同時に行う必要があるでしょう。

もし、それを怠ると毛細血管への血流が回復せず、最悪の場合は凍傷で手足の先を失ってしまう可能性も大きくなるでしょう。今の経済の停滞は、まさにこの毛細血管(周小企業や社会の隅々への経済活動)への流れが滞っている状態に他ならないのです。それをほったらかしにして、いくら心臓を激しく動かし血流(お金)を増やしても、手足の先までは殆ど届かないのです。第三の矢が上手く機能すれば、それが可能になると、楽観的に考えていた政治家や彼らを支持した有権者は、これからどんな策が打てると考えているのでしょう。ダバダバのお金は、結局は淀みに溜まり、将来世代へのツケ回しにつながるだけなのです。

しかし批判するばかりでは埒が開かないので、やはり提案もしなければなりません。地域まで経済の血液(お金)が回る様にするためには、一にも二にも先ずは地域内でお金が回らなければなりません。一番手っ取り早い方法は、日々必要な衣食住+エネルギーを、可能な限り地域の資源で賄うことから始めるというものです。つまり、田舎のスーパーに並ぶ他県の産物、ましてや輸入食品は、値段がどうであれたっぷりと輸送エネルギーが掛かっている上に、消費者が支払ったお金は、最終的には地域外へ流れてしまいます。しかし、地元の農家が作った作物を優先的に買うように心がけるだけで、地元で回るお金の量が格段に増える筈です。また家を建てるための材料もいわゆる新建材というどこかの工場で作られた工業製品ではなく、地元の製材所で材木に加工された木で家を建てれば、建築費の半分以上は地元に落ちるでしょう。

更にエネルギーについても、地元産の木材の製材屑を燃料(チップやペレット)に加工すれば、これまでガソリンスタンドに払っていて、結局は中東のお金持ちに流れていた灯油代の一部も地元で回るお金になります。この様に考えれば、Aベノミクスで意味なく上がった株価や極端な円安の恩恵に与れない地方も、それなりに血液(お金)が回り始める事は間違いないでしょう。

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2014年11月17日 (月)

2547 素材と付加価値

素材産業という分野があります。鉄、アルミなどの金属、数えきれないくらいあるプラスチック(高分子)類、それを紡いだ合成繊維やカーボン繊維、木材や紙、石材・コンクリートなども素材です。口に入るものではありますが、食材も材料の一種類であると言えます。ここで材料を持ち出したのは、材料自体はもちろん立派な売り物にはなるのでしょうが、「付加価値」という意味では低く留まりますので、どうにかしてその価値を上げて、素材産業の地位を押し上げたいと思うからです。例えば、金属です。製鉄所で精錬したままの鉄、銑鉄は炭素分が多く、強度も低く脆いので、そのままでは売り物になりません。それを還元していわゆる低炭素鋼、や炭素鋼、さらにそれに種々の合金元素を加えて、熱強度の高いクロムモリブデン鋼や耐候鋼などを作り出す訳です。

でもここまでやっても、それはまだ素材のそのものの域を脱してはいないでしょう。それでパイプや形鋼やコイル状に巻いてやっと、素材として売り物になる訳です。しかし、それらの素材がそのまま配管材料になったり、ビルの骨組みになる訳ではありません。それを切り、穴をあけ、溶接し、ボルトで組み上げてやっと製品としての価値が最大になる訳です。とは言いながら、ここで話がパッピィエンドになる訳ではありません。パイプであれば、その中に水や油や蒸気を流して、ビルであれば、その中にテナントが計画以上に埋まって初めて、機能を含めた材料の価値がピークに達する事になるからです。

つまり、素材産業は素材を売るだけで満足してはならないという事が言いたいのです。再び鉄を例に挙げると、JISで定まっている形状や定尺寸法は確かに存在しますが、需要家にとっては定尺で入手すると、使うまでに端を切ったり、端末加工したりで、かなりのスクラップが生ずる筈です。もちろんそれはリサイクルされて、巡りめぐって製鉄所(製鋼所)に戻る訳ですが、そのリサイクルにも輸送などで莫大なエネルギーが必要となる訳です。もし、製鉄所の敷地内に、顧客が必要とするピッタリの寸法に加工する工場を併設し、それをセット組みして送れば、付加価値がもう一段上がり、端材も直ちに工場内でリサイクルに回せます。

同様に部品などを加工する中間の製造業も、まずはその下流となる顧客の工程を、可能な限り取り込む事を考えなければ売り上げはさっぱり伸びないでしょう。納品後、顧客で洗浄してメッキや塗装工程を行うことが分かっていれば、それを取り込む事により部品としての価値は一段上がるでしょうし、簡単な組み立てまで行って納品すればさらに理想的です。ここで言いたいのは、完全な分業体制でモノづくりを行うのは一見能率的にも見えますが、究極的には一か所で材料から最終形態まで全てを加工するのが資源的にもエネルギー的にも効率を最大に出来る筈なのです。農家は、庭先か近くの主要な道路端に直売所かできればレストランを開くべきでしょうし、製材所は是非免許を取って住宅や低層木造ビルの建築に乗り出すべきでしょう。

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2014年11月16日 (日)

2546 スモールビジネス

 

八戸まで上って、東京まで南下するロードに出ていましたが、秋田に戻ってホッと一息ついています。偶然ですが、東京で大森あたりから戸越まで、南品川を歩く機会がありました。ミーティングまでに時間があったので、5㎞ほどの距離を歩いたのでした。自転車用のナビにルートを任せたら、当然の事ですが最短ルートを表示します。ナビのままに歩いたら、そこはどうやら旧街道筋だった様なのです。幹線の街道であった中原街道とは一筋違いますが、車がすれ違うのもやっとの細い道がくねくねと微妙に曲がりくねりながら続いています。しかしその道筋は、生活感たっぷりで、それなりに人も歩いていました。やがて、その道が何かと話題に上る「戸越銀座」の商店街につながるのですが、そこに至る名の知られていない商店街にも、色々なスモールビジネスが残っていて興味深いものがありました。

 

夫々の店の間口は、ぜいぜい3-4間程度しかありません。そこに、小さな肉屋、惣菜屋、床屋、喫茶店、蕎麦屋、中華料理屋、畳屋、眼鏡屋、時計屋、パン屋、マッサージ屋、・・・などが数軒おきに点在し、その間は軒を連ねた住宅で、いわゆる昔ながらの商店街の面影を残しています。しかし、どう見てもそれが大きな売り上げを得ている訳もなく、一日に「低い方の」数万円も売り上げが立てば良い方でしょう。しかし、必要な仕入れを行い、日に数十人の客に小さな商いを続けているのでしょう。商店街などというものは、そもそも人が徒歩で往来する場所でないと成り立たない筈のものでしょう。広い道路は車社会のために作られているので、そもそも徒歩で歩くには快適には作られていないのです。何より感動したのは、この1時間ほどのこの街歩きで、コンビニを1軒しか目にしなかった事です。そこは、数軒の家を取り壊して建てられた低層マンションの1階に入っていたケースでした。

 

しかし、車で通るのに適さないくらい狭く、曲がりくねった道こそ、人が歩くのには快適で、人も集まると思うのです。人が歩かなくなって寂れた商店街(シャッター商店街)に人を呼び戻すには、先ずはその商店街の両端(あるいは中間)にそれなりの駐車スペースを設け、あるいはバスの便を設定して、人が集まり易い環境を作る必要があります。その上で商店街の道路は障害物を配置してクネクネと曲りくねった歩行者専用(ほこてん)に作り直すべきでしょう。それぞれの商店は、昔ながらにそこに住んでいますから、テナント料は不要です。であれば、日に数万円程度のささやかな売り上げが立てば、十分暮らしていける筈なのです。人の流れを郊外型のSCに殆ど奪われてしまった昔ながらの商店街としては、やはり知恵と工夫で人を集めて、スモールビジネスを盛り上げるべきでしょうし、若い人たちにも、シャッターを降ろした老夫婦の店舗を安く開放すべきです。腕を組んでいるだけでは、ますます人が集まらなくなり、シャッターを閉めたままの寂しい店が増える事でしょう。

 

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2014年11月13日 (木)

2545 熱供給業

新たなビジネスモデルの提案です。これまでのこの分野(熱供給)のビジネスモデルはどうであったかを考えてみると、先ずはエネルギー供給ビジネスがありきでした。その中には、電力会社、石油会社と石油小売業者があり、さらにはガス供給業者とガス小売り御者が居て、小売りは別にすれば地域毎の守備範囲を守りながら、ほぼ寡占に近い状態で事業を展開してきた訳です。それに加え、それらのエネルギーを熱にする装置、つまりは電気温水器、石油やガス温水器、さらにはそれらの燃料を使った暖房器具メーカーと小売・設備業者が居て、各需要家や各家庭の熱需要を満たしていたのでした。

つまり、例えば給湯、また例えば暖房熱が欲しいだけなのに、先ずはエネルギー供給業者と契約し、さらにそのために必要な燃焼機器などを買い、設備業者に据え付け工事を依頼する必要があるのです。しかし、需要家の欲しいのは熱そのものではなく、熱を使って温水を作っての入浴や、あるいは寒い冬を暖かく過ごすための快適な室内環境だけなのです。

そうであれば、次の様なビジネスモデルも成り立つでしょう。つまり、バイオマスボイラと太陽熱を併用した温水ボイラを設置し、その周辺のビルや住宅にお湯を売るというビジネスです。需要家では、熱交換器で水道水を加熱して給湯に使い、あるいはお湯をラジエータ(放熱器)や床暖房パネルに導いて暖房に使う事になります。お湯は温度を80℃程度に保っていますから、料金はその需要家で使った量を、水道メーターで計測すれば、消費した熱量が算出できますから、水道料金と同様の方法で課金できるでしょう。暖房や給湯に室内で火を使いませんから、高齢者世帯も安心できるでしょう。これが、つまりは熱供給業です。この業者はボイラを保有し、そのための燃料も補給しながら必要な機器のメンテナンスも行う訳です。需要家は熱だけを消費するという仕組みです。このビジネスモデルは、実は北欧や旧ソ連地域ではありふれたもので、地域によっては自治体が「熱供給公社」などの仕組みを作って事業を行ってもいます。バイオマス燃料はその地域の森林で賄う仕組みができれば、石油やガス価格がどう変化しようとも、安定した価格で熱を供給する事ができるはずです。先ずは、地域で燃料が手に入る規模からスタートする事により、大きなリスクを取らずに事業ができるでしょう。

出張と旅行のため、数日休稿です。

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2014年11月12日 (水)

2544 ハイエイタス(hiatus)

あまり聞きなれない言葉です。割れ目、隙間という程の意味ですが、日常語ではありません。多分学術用語なのでしょうから、多数の論文でも読むような人でもない限り語彙に無いのも当然です。しかし、この言葉は間もなく(多分数年後)には、マスコミに溢れる可能性もあるのです。2000年代に入って、温暖化(地球の平均気温の観測値の上昇)は停滞していて、見かけ止まってしまった様にも見えるのです。そのため、CO2起源の温暖化メカニズムに懐疑的な論者、つまりは温暖化は太陽活動活発化などの自然現象であり、人間の活動には殆ど無関係である(だから化石燃料を今程度に使っても何も問題ない)、という主張が息を吹き返してきた感もあります。

しかしながら、ここ10年ほどの気温上昇の停滞は、地球自体が持っている「自然の気温(海水温)振動」、取り分け太平洋地域に顕著な振動の結果である事がT大の研究チームのシミュレーションで証明された様なのです。つまり、もしこの期間に気象メカニズムによる下振れ圧力が無いと仮定した場合、温暖化は一本調子で上昇し続けていたという意味なのです。この気温振動は、10-20年周期を持つとされているため、これは間もなく終わり、逆の振動周期(つまりは上昇局面)に入るでしょう。そうなると、温暖化はダブルで加速する事態になると予想されます。すなわち、今世紀に入ってからの平均気温上昇は、10年あたり0.03℃程度に留まっているのですが、加速局面では一桁大きな加速度、つまりは10年で0.3℃の勢いで温暖化が再加速すると予想されているのです。

この上昇率では、IPCCや真面目に温暖化に取り組んでいる国々が唱えている、温度上昇を2℃以下に抑え込むと言う目標は、間違いなくアッと言う間に突き抜ける筈なのです。私たちは、今の停滞期(ハイエイタス)を千載一隅のチャンスと捉え、GHGの削減にまい進すべきなのです。そのためには、取り敢えず直近の目標値としては、化石燃料の消費を半分以下に削減する必要があるでしょう。現状のままのエネルギー使用量ダバダバの生活を送り、少し足りないから原発を再稼働するなどと、ひっくり返っても考えるべきではないのです。という訳で、投稿者は今年も事務所に暖房は入れず、USB電源で温める小さな電気座布団と足温器だけで寒い冬を耐え忍ぶつもりです。

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2014年11月11日 (火)

2543 休題(寝たきり予防)

昨夜のCU現代は多重介護の問題でした。人生の最後の長い期間、寝たきりで過ごすということ自体、「生活の質」という点で見れば最悪です。であれば、どうすれば寝たきりにならないか、しないか、と言う事を徹底的に考えなければならないでしょう。寝たきりの原因としては、多くは痴呆の悪化と、足の付け根の関節部骨折などによる物理的寝たきりだと想像しています。もちろん循環器病や生活習慣病やガンなども年齢に応じて増えてくるのでしょうが、いずれにしてもベッドに括りつけられるのは本人にとっても辛いものです。ましてや、複数のお年寄りの介護を同時にしなければならない「年配の」子世代にとっての負担は、かなり以前に両親を送った投稿者には想像もできません。

ではどうすれば良いかですが、それはお年寄りに、日頃から徹底的に活動度を上げておいて貰うしかないでしょう。老化は、「目と足腰と歯」から進行します。取り敢えず、じっと座って一日を過ごす生活習慣は止めていただくしかありません。杖にすがっても、手押し車につかまっても、兎に角毎日数キロは歩くべきでしょう。骨がスカスカの人(特に女性)は、骨密度を高める薬を処方して貰い、骨に負荷を掛けて骨を徹底的に鍛えるべきなのです。適度な筋トレも行い、骨と筋肉のバランスも整える必要があります。それは、少しの知識をお年寄りに教え、それを実行して貰う少しの努力でどうにかなる事でしょう。

それを怠って、動きが鈍くなって初めて要介護だ、寝たきりだと慌てるのは、泥縄も甚だしいと言うしかないでしょう。泥縄ではなく、寝たきりになってから介護を始めるのですから「寝介」でしょうか。悪化することがが前提の現象(例えば病気や老化です)に対処するには「予防」しかない訳です。病気に予防注射があるのであれば、老化や寝たきりにも同様に対処すべきでしょう。それが「寝たきり予防」です。方法は簡単です。100から7ずつ引き算しながらか、百人一首を諳んじながら徹底的に歩き回れば、寝たきりににも、重い痴呆にも陥らずに済む筈なのです。もっと良い方法を思いついたら追投稿する事にしましょう。

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2014年11月10日 (月)

2542 増やせば良いのか

お隣のY県で、県営のメガソーラーを見学して違和感を感じました。ここは、Y県内のパネルメーカーの単結晶PVと、国産+輸入ものの多結晶PVを半々で、計1MWの発電所としていました。しかし確かに多雪地帯ではあるものの、雪対策はパネル設置の角度をややきつくしているものの、その他の工夫はなく、架台に3種類ほどのバリエーションを持たしているものの、PVパネルの角度を変える機能は無く、それでも総額5億円ほどの投資となった様なのです。しかし、今の時代、5億円あれば、この2倍の2MWの発電所を作る事は十分可能でしょう。お金の出所が税金となった途端に、投資額が上がってしまうのは何故でしょうか。

何より、PVに関しては、もはやメガソーラーにする必然は消えたと言うしかありません。何故なら既にFIT買取り価格は32/kwhに低下し、さらに電力会社の抵抗にあって一段の低下が確実視されてもいます。つまり大規模化し、昇圧設備や送電設備の投資が必要はメガソーラは、既に採算性を失っているのです。そうではなくて、PVほど地産地消型の再生可能エネルギー源は無いと改めて認識すべきでしょう。つまりは、究極の太陽光発電は需要家の屋根に個々に設置すべき筋合いのものなのです。もっと究極的には、必要な部屋の負荷に合わせて部屋毎や機器毎に小さなPVと蓄電池を組み合わせて設置する姿が理想なのです。災害時には、いくらメガソーラをガンガン増やしても、送電線のトラブルで停電する事もあり得るでしょう、しかし、家庭内に小さな蓄電設備さえあれば、非常時でもテレビが見られ、小さな蛍光灯が付けられ、電気も使う石油ストーブも使える筈です。

FIT価格が高い間に、つまりは投資回収期間が短い内に、メガソーラ建設に殺到する、この国の企業姿勢にはとても賛同できません。再生可能型エネルギーへの投資は、現世代のためではないでしょう、化石燃料を枯渇させ、加えて原発事故で国土を汚染してしまった事に対する、未来世代への償いであり、彼らへの贈り物であるべきでしょう。その最適解はメガソーラではなく、出来るだけきめ細かなエネルギーの地産地消であるべきなのです。PV建設よりは、先ずは断熱性の十分に高い100年住宅(耐用年数が100年程度期待できる住宅)を建て、それを後の世代に引き継ぐべきでしょう。その際、住宅やビルの屋根には100%太陽熱温水器を設置し、暖房・給湯に加え、デシカントによる冷房も併設したいものです。電力としては、OA機器や照明などの限られた用途に限り、小規模なPVやローカルエネルギーで可能な限り賄うべきでしょう。肝要なのは。エネルギーは量ではなく、種類と必要なタイミングでのMinimum Suffcientの量なのです。

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2014年11月 7日 (金)

2541 精密農業

何かの拍子に頭の中で二つの言葉がくっつきました。この言葉、「精密・農業」を、自分なりに定義するとならば、農作物の状態を正確に把握した上で、その時点で作物が必要とする条件を可能な限り満たしてやることを指します。作物の成長過程で必要とする条件は、灌水と気温+日射である事が多いのですが、いわゆるNPKなどの養分、あるいはMgなどの微量金属元素、最も基本的なものとしては光合成の必須要素である二酸化炭素濃度も不可欠です。

これらを満たすための農業施設としては、ビニールハウスが挙げられますが、この農業施設の最大の欠点は、特に冬季は開口部を全閉する事なのです。締め切った結果何が起こるかと言えば、日中の光合成(明反応)と、夜間の糖固定過程(暗反応)により、空気中の二酸化炭素を消費しますが、密閉性の高いハウスでは、二酸化炭素濃度がかなり低下していると言う事実は意外に見過ごされています。加えて、ビニールには透湿性が無いので、ハウス内の湿度は極端に上昇している筈です。光合成は、葉が水を吸い上げ、葉緑体が太陽光を使って炭酸ガス同化を行う現象ですが、その際葉の気孔から活発に水を蒸散させる必要があるわけです。気温がそれなりに高く、日照があって、灌水も十分でも、ハウス内の高い湿度によって、光合成が阻害されるのです。高密度に植えられた農作物は、同時に二酸化炭素濃度も低下させますので、二重に成長が阻害される事になります。

一方、灌水も問題です。灌水して、植物がそれをほぼ全部吸い上げる場合は問題ないのですが、余剰な水が無為に蒸発していまう場合、水の中に含まれていた塩類が土中に蓄積し、いわゆる「塩害」が発生しやすくなってしまいます。必要なモノは、作物の状態を正確にモニターするセンサーでしょうか。葉による光合成の活発度、根の付近の土中水分率、や土中の養分濃度やNPKのバランスなど、いくつかの要素をリアルタイムでモニターする必要もあります。その上で、足りない要素だけを重点的に補充する事により、最少のインプットで最大のアウトプットが得られる事になります。これまでは、これらのコントロールはベテランの農家がカンで行ってきましたが、これからはやはりデータの基づいた精密な管理が必要となりそうな予感があります。つまりは、農業におけるJITです。

なお明日は休稿です。

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2014年11月 6日 (木)

2540 ピーク

殆どの現象、物理・化学現象であれ社会現象であれ、にはピークが存在します。ではビッグバンにもピークがあるのか、と問われると少し自信が無くなりますが、少なくとも有限の要素の中で生ずる現象に関しては、かなりの自身を持って断言できそうです。物理現象や化学現象(反応)が永久に続く事は、系の限界や反応物資の量に限界があり、通常は徐々に、あるいは急激に現象は終わりを迎えます。現象の多くは、裾野を引いた釣鐘型のカーブを描く事でしょう。

ここではその敷衍として、社会現象を考えてみます。先ずは、この国で問題になっている人口問題があります。有史以来の人口カーブ(年代と人口ン描くカーブ)を描いてみれば、今は一本調子の増加傾向にあると言えますが、そのカーブをよく観察すると曲線は既に増加率が鈍り、S字カーブを描きつつあることが分かります。有限の地球で生産できる食糧には当然の事ながら限界があり、したがってその面からも人口増加には間違いなくブレーキが掛かるでしょう。それが急ブレーキか緩やかなブレーキングかは、これからの努力にかかっていると言うしかありません。その前に、何か邪悪な新種ウイルスによって(例えばかっての香港風邪やソ連風邪やSARSの様な)急ブレーキ掛かる懸念も捨てきれません。

エネルギーの使用量にも既にブレーキが掛かっています。21世紀に入っていわゆる「ピークオイル」を迎えたからです。石油生産量がピークを迎えたと言う説にも関わらず、その後もシェールオイル田やシェールガス田の開発が進み、ピークが後ろにずれた印象を与えましたが、そのいずれもが、岩盤に染みついた石油のカスやガスを無理やり搾り取っている状態なので、ピークが後ろにずれたと見るのは早計です。むしろ、油井やガス井からこれまで通り汲み上げる方法に比べれば、経済的に引き合わなくなる「限界」は明確なので、もしその限界に近づくと、それらは一気に停止するでしょう。つまりは、産出量のカーブは急激に減少に転ずることになり、社会への影響はより深刻になるのです。私たちは、今現在の変化カーブの中に暮らしていますが、たまには長期レンジのカーブを描いた上で、それを後ろに退いてマジマジと眺めてみて、長い目で見たトレンド変化を吟味してみるべきでしょう。

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2014年11月 5日 (水)

2539 大は小を兼ねない

これも何度か取り上げたテーマの様な気がします。物忘れが良い?ので、前に何を書いたかは忘れていますので、このテーマで今考えている事を改めて書いてみます。よく「大は小を兼ねる」とか「寄らば大樹の陰」とか、とかく大きなことは良い事だという昔のチョコレートのCFのごとき言われ方をします。

さて例えば、最大負荷のデマンドに対応できない発電所設備では、ピーク時に電圧低下や停電が起きてしまいます。かと言って、能力が有り余る発電設備を作ってしまうと、夜間や春秋の中間期には能力が余って、部分負荷運転となる結果、効率が大きく低下してしまいます。これは、プラントを設計する段階では、設計条件として、例えば90%負荷を想定して、そこが最大の熱効率となる様に最適化します。しかし、そこから運転負荷が外れると、特に低負荷の状態では、熱源であるボイラの燃焼状態が不安定となり、効率が大きく低下します。大きなファーネス(火炉)の中で、小さな炎がチョロチョロと燃えていても、その燃料が出した熱が炉壁に十分には届かないからです。

また例えば工場です。大は小を兼ねると言う考え方では、工場のサイズは最も生産高が大きくなった、好景気の時代に拡張された筈です。しかし、景気は通常でも+/-25%程度は上下します。つまり、普通の景気の時を75%と仮定すれば、不景気では50%に落ち、景気が上向けば100%に近づいたりする訳です。もし、工場設備を100%に合わせて計画すると、景気がどん底になった場合、設備負荷は50%まで低下する羽目になります。もちろん、そうなると工場の効率、つまりはインプット当たりのアウトプットの比率は大きく低下します。

そうならないための方策はあります。その一つは設備を複数にする事です。同じサイズのものを複数台揃えるのが、故障時やメンテナンスを考えても得策ですが、もう一つの方法は大きな設備と小さな設備を組み合わせることがあります。つまり、通常負荷時は大きな設備を1台だけ動かし、ピーク時にやや小さなもう1台の設備を動かすのです。大きな設備は、ほぼ設計した負荷で運転できますので、効率も最大で稼働できる事になります。効率を考えれば、大は小を兼ねるとは言えないのです。

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2014年11月 4日 (火)

2538 製造とサービスの同期

話の順番を整理したいと思います。つまり、その昔先ずは製造(者)がいた訳です。多くは製造者=消費者であり、自分で作って自分で消費する生活だったと想像しています。しかし、少し手の器用な人が居て、クラフトや道具などを人より上手く作れたため、これを欲しがる人が増えて、やがてこれを商う商人も生まれたことでしょう。しかし、分業がさらに進むと、職人が生業に集中できる様に、生産者や商人など、これら忙しい人たちサポートする種々のサービス業も生まれたことでしょう。食べ物屋、八百屋、魚屋、床屋、宿屋・・・などなどです。

しかし、考えてみなければならないのは、国民の2/3がサービス業であると言うこの国を含む、先進国と呼ばれる国々の状況です。暑い日も寒い日も外で働く農業や建設業、あるいは騒々しい工場で油まみれになって働かなければならない製造業と違い、キレイな背広やスーツを着てパソコンに向かうサラリーマン、あるいはユニフォームを着て接客をすると言うサービス業など、モノを作らない人々が圧倒的多数を占める社会が今後とも永く続くとも思えません。持続可能な社会とは、結局製造業とそれをサポートするサービス業が、シンクロナイズ(同期)しながら前に進む状態だと思うのです。間違っても、サービス業が製造業を振り回してはいけないとも思うのです。

ではそのために何をすべきかですが、先ずは流通業に踊られる事の無い、正味の需要(実需)を把握する事が肝要でしょう。それは、どの様な状況になっても社会の基礎を支える「固い」需要でもある訳です。それを作り、供給を続けるための工場なり農地なりがあって、そこに働く生産者が必要となるわけです。それをサポートするのがサービス業である筈なのですが、現在はさながら流通業が製造を指揮している様な錯覚さえ覚えてしまう様な状況だと言えます。明らかに、サービス業が製造業の数歩前を歩いているとしか思えないのです。私たちは、社会を支える製造業にもっともっと興味を持つ必要があるのでしょう。その上で、日々の生活の中で、必要欠くべからざるモノと、そうではないいわゆる贅沢品を明確に線引きすべきだと思うのです。そこ結果、良いモノを永く使うと言う生活態度が定着し、それに対応できるメーカーや農家が適正な利潤を上げる事が出来る様になる筈です。やや理想論的ではありますが、私たちの取るべき道はそれしか無さそうなのです。

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2014年11月 3日 (月)

2537 里山資本主義?

もっと良い言葉が無いか考えています。これを提示したM谷氏の思惑を正確に把握している訳ではありませんが、どうしても腹の中でモノを育む「里山」と、お金だけで決済する「資本主義」が結び付きません。多分「里山資本」と続けるべきなのかも知れません。それはともかく、田舎の資源を生かして、田舎に住む住人自身を豊かにすべきである、という主旨には賛同できます。敢えて表現するなら「里山活用主義」、もっと広くは「地域資源活用主義」とでもした方が分かりやすいのでしょうか。語呂はあまり良くはありませんが。もちろん、資本主義という言葉を入れたのは、想像するに、筋金入りの資本主義者達への挑戦状という意味もあるのでしょう。

むしろここでは、敢えて横文字を使って、さも新しい言葉の様に衣替えしてみようと思います。地域資源は、多分「Local resourses」で問題ないのしょうが、活用という言葉は一語の英単語にはなりにくそうです。利用という意味の「Utilization」はありますが、生かして使うと言う活用というニュアンスは少し弱そうです。仕方がないので、投稿者得意の造語を試みることとしましょう。語尾に主義を意味す-ismを付して、Utilizatinismとでもしておきましょう。つなげれば、Local Resourses UtilizationismLRU)とでもなるでしょうか。表現したいのは地域資源を見出して、それを最大限「地域のために」「持続的に」活用すると言うココロです。

地域には、このブログでも縷々書いてきた様に実に様々な資源があります。というより、ご先祖様はその様な資源が手に入る土地に住み着いたと言うべきでしょう。食べ物も燃料も十分に手に入らない様な土地に化石燃料も無かった時代に住めた筈もないのです。よく「何もない田舎」という表現をする人が居ますが、そんな人たちは自分の足元を「何も見ていない」のではないでしょうか。木材や山菜をくれる里山があり、ご先祖が苦労して開いた100%を超える食糧自給率を保証する田畑があり、それを潤すための用水が流れ、糸を垂らせば魚が釣れる川や海があり、運が良ければ温泉が湧き、冬にはたっぷり雪が降り、春には大量の雪解け水が流れ、地元で採れる材料を使った醸造業があり、製材設備や農業機械を修理できる機械工場もそれなりに残っており、弱くなったとは言え地域のネットワークもあります。豊かな田舎に一体何が足りないのか、投稿者には理解できません。ことさら「里山資本主義」などと大上段に振り被らなくても、先ずはLRUで、じっくり埋もれた地域資源を掘り出す事から始めたいものです。

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2014年11月 2日 (日)

2536 インフラの復旧産業

ここでの復旧とは、作ったものを修復するのではなく、もはや本来の意味を為さなくなったインフラを取り壊して、元の自然に近い状態に戻してやることです。例えば道路です。かつては、1車線で、ところどころに退避場所があるだけで目的を果たした場所に、立派な2車線の林道を通し、あるいは広域農道と称するトラクターが数台横に並んで走れ道を作りました。それどころか、朝収穫した農産物を、小型飛行機を使ってその日の午前中に都市に運ぼうなどという「信じられない」アイデアで、農道を見に滑走路程度に広く作った地域もあったほどです。たとえ新鮮だとしても、そんな化石燃料の塊みたいなバカ高い食材を、誰が食べたがるのでしょう。

例えばダムです。多目的ダムなどと呼ばれる「目的の分からないダム」があります。もちろん予算をぶん取る側では、それなりの理窟は並べているのでしょう。砂防もあり、治水もあり、工業用水や農業用水の確保など少しでも関連する目的を、兎に角ギッシリ詰め込んでいるのでしょう。しかし、砂防や治水なら山の木を適正に育てて維持すれば、なにもダムなどに頼る必要はないでしょう。手入れの全くされない放置(放棄)人工針葉樹林の現状が最悪なだけです。砂防や治水のためだったら、広葉樹も増やして混交林にすべきでしょう。広葉樹の葉が落ちて作るフカフカの林床は表土を隠しながら水を抱え、渇水の時期にはそれを放出もしてくれる筈です。

ここでの提案は、これらのインフラを壊して、サラに戻してはどうか、というものです。道路であれば、必要最小限に幅を削って(減幅して)元の農地や里山に戻します。ダムも少し削って低くするか、思い切って無くします。その分山林の維持に力を入れて、保水力を高めてやる必要があるでしょう。川の護岸のコンクリート壁も剥がして土手に戻します。川が、土砂を海に流す様になれば、砂浜の浸食も止まり、海岸に際限なく並べられる消波ブロックやコンクリートの護岸も減らせるでしょう。私たちは、長い間間違った「インフラ・スパイラル」に陥っていると思うのです。言葉は少し過激ですが、私たちはまだあの土建屋宰相の亡霊に取りつかれているといるとも言えるのかも知れません。必要なものはコンクリートの塊ではなく、それを不要とする知恵だと思うのです。もちろん、それには手間もお金も掛かりますが、それはとりも直さず雇用の場であり、子孫に残すための財産作りにもなる筈です。実際に、ヨーロッパの環境先進国では、かつて作ったコンクリートインフラを壊して、元の森林や土手に戻す事が産業にまでなっている国もあるほどなのです。10数年前、北ドイツで、かつてのコンクリート護岸のどす黒いドブ川の、川底のヘドロを浚い、護岸を土手に戻した結果、水鳥が戻ってきたエムシャー川をこの目で見た時、「間違った道を戻るのに遅過ぎると言う事はない」、と確信したものでした。

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2014年11月 1日 (土)

2535 クモの糸と気球

仙台での講演会で、山形でクモの糸と同じようなタンパク質を工業的に作り、それを糸として紡ぐプロセスを実用レベルまで高めたS山さんの講演を聴講しました。その講演で、クモの糸こそが地上で最強の繊維である事も知りました。それは、カーボン繊維の何倍も強く、しなやかでもあります。そう言えば、その繊維で青いドレスを仕立て、名のあるビジネス誌の表紙も飾った事もあった事を思い出しました。クモの糸と言っても、ピンからキリまであり、同じクモでも縦糸と横糸ではかなり強度が違う様ですし、自分がぶら下がる命糸?がやはり最も強い様です。またクモの種類でも随分糸の品質?に差がある様で、川をまたいで巣を作るマダガスカル島だかどこだかのクモの糸が、最強の中の最強だと言う話でした。

しかし、確かにクモの糸の素晴らしい強度と、それと同等の人口繊維を作った氏の業績は素晴らしいのですが、講演の中で数人で起こした学生ベンチャーが60人規模まで大きくなってきた現在でも、経営判断の基準は「どちらが将来社会のためになるか」としているとのこと、若いにも関わらずなかなかの人だと感銘を受けました。

さてクモの糸が、最強の繊維だとして、ではそれを何に利用するかですが、仙台からの帰りのバスの中でつらつら考えて、一つの用途を思いつきました。まだサラリーマンだった頃、成層圏プラットフォームと言うプロジェクトに関わった事がありました。分かりやすく言えば、成層圏(約20㎞)の高度まで上げる気球の事です。これに無線局やカメラなどの観測機器を乗せて、超低高度のサテライトとして使うと言うものです。この気球は、低高度ではフニャフニャですが、上昇を続けるに従って、パンパンに膨れてきます。ラジオゾンデの様に単に伸縮性を持った素材の「風船」では、上空で破裂してしまうでしょう。しかし、風船を強靭な繊維で補強しておけば、ある限度以上には膨張しないで、高度が保てることになります。上面に膜状の太陽電池を貼りつけ、機器の電源と、位置がずれた場合に、プロペラを回して復帰する動力に使います。当時採用された史上最強の繊維はザイロン(XylonまたはZylon)という商品名の繊維でした。この時は、スケールダウンした試作機を打ち上げただけ終わり、結局ナショプロの俎上には載らず仕舞いだったのでした。

しかし、ザイロンの数倍強いと言われるクモの糸繊維があれば、さらに軽量化が出来、ペイロードも増やせるでしょう。問題は、この繊維の紫外線への感受性です。成層圏は非常に紫外線が強いので、繊維の劣化が早く進む筈です。繊維をこの紫外線から如何に遮蔽するかが重要なポイントにはなりますが、一発百億円を超えるロケットで衛星を打ち上げるか、あるいは1基数億円の気球をいくつか浮かべるか、この国の宇宙開発の方向を変えそうな繊維ではあります。4時間余りのバスでの移動中、久しぶりに楽しい妄想を膨らませました。

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