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2014年12月29日 (月)

2586 初期条件

先日の数学者M.デゥ.ソートイの白熱教室はスッキリ腹に入りました。いわゆるバタフライ効果という言葉は知っているつもりでしたし、その意味も理解しているつもりでいました。しかし、放映の中で見せられたチャートは印象的でした。磁石を付けた振り子を、机上に固定した3個の磁石上で振らすと、最終的には引き付けられてどれかの磁石上で止まるのですが、どこで止まるかは、振り子を放す場所(初期条件)が重要なファクターだったのです。つまり、ある磁石の上近くで放すともちろんその磁石の上で止まりますが、少し離れた場所では、数ミリ場所が違うだけで、最終的に止まる磁石の位置が変わってくるのです。数学者は数式で現象を理解できますが、悲しいかな凡人は図直感的に理解するしかない訳です。

さて、振り子磁石の描く軌跡をコンピュータで図示すれば、それはさながら「墨流し」の絵の様な複雑な図形になるのでした。三色の油絵具(顔料)を水の上に垂らして少しかき混ぜると、微妙なマダラ模様が描かれます。縞模様になった色の幅は、数ミリ程度になる筈です。その色の違いを「初期条件」の違いと考えれば、例えばある優れた気象方程式があって、強力なコンピュータが使えるとしても、初期条件の与え方によっては、はじき出される結果(将来の天気の予測)は大きく異なる事を意味します。それは、ある冬が暖冬であるかあるいは雪の多い冬になるか程度の大きな差になるでしょう。

それは、気象現象は、上の磁石の実験の様に、気象条件が非常に細かいマダラになっている事を意味するからです。例えば、東京都のある日時の気象条件を、ある時点の初期条件として与えようとしても、例えば23区の中でもかなりの差が出る筈で、現在の気象方程式が20㎞を一つのマス目として作られているにしてもそれは十分ではありません。初期条件として気象現象は、細かく見れば数キロ離れただけで、あるいは数分間時間がずれただけでかなりの差が生まれるからです。例えば、メッシュを20㎞から1㎞にするだけで、現在の気象コンピュータの処理能力を超えてしまうでしょう。例えば、24時間後の天気を精密に数値予報するために、コンピュータの計算に数日を費やすのかもしれません。

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2014年12月28日 (日)

2585 オオカミ少年効果

阪神・淡路大震災から20年、インド洋で起こった津波からでも10年、3.11の大震災からでも4年経過しようとしています。最近気が付くのは、私たちはどうやら大きな震災被害に麻痺してしまっているかも知れないということです。阪神・淡路では数千人規模だった犠牲者が、インド洋の雄大津波ではなんと20万人越えの犠牲者を出してしまい、3.11でも万人単位の犠牲者を出してしまいました。

その結果、私たちは例えば自分が住んいる地域を中心に、震度4程度の地震が起こっても特にパニックになる事は無くなってしまったでしょう。それが5強くらいの震度になれば、家屋や土砂崩れなどの被害が出ますので、どうやら大地震だったらしいと言う事を改めて認識する程度でしょう。これは、地震や津波に関して言えば、私たちの中で「危険」と感ずる程度が1段階か2段階引き上げられてしまったと見るべき現象でしょう。危険に際して生ずるパニックも一種の「破局現象」と見る事が出来ます。パニックとは、恐怖が連続的に増加するのではなく、ある限度(しきい値)を超えると、恐怖が一気に限界を超えてしまう事を指すからです。そのしきい値が、特に地震に関して言えば、震度4はかなり超えてしまい、揺れによる目に見える被害が出るレベルまで上がってしまったのです。これは、災害に関して言えばいわゆる「オオカミ少年効果」だと言うしかありません。私たちは、災害からの危険信号に慣れっこになってしまった様なのです。

百年単位あるいは数百年周期で襲ってくる大地震や大津波の被害は、しかしたった一代しか代替わりしただけでしきい値がグンと低下し、またぞろ危険な断層の付近や、津波のリスクが高い海岸部に家を建てて、住み始めるのです。オオカミ少年効果は、しかしそれがアブナイと言えば言う程、人々のリスクに対する感受性が鈍ると言うややこしい現象だと言うしかありません。

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2014年12月27日 (土)

2584 世代間倫理2

続きです。同じ表題では確か1回書いたような気がするのでたぶんその続きでもありますす。2583でも書いた様に、現世代のツケを次世代に回すのは「世代間倫理」にモトル行為と言うべきでしょう。倫理を投稿者なりに解釈すると「人と人との間のコトワリ」と考えられるので、要は現世代が如何に次世代の子孫を、対等な立場として慮っているかが問われます。現世代が、次世代に知恵や財産を残すと言うのであれば、諸手を挙げて賛成はできますが、それが借金ではやはりレッドカードを出すしかありません。化石燃料を節操なく燃やしたエネルギーや、原発を作って得られた電力の恩恵を享受したのは、間違いなく(親世代も含めて)現世代である事は論を待ちません。

どの様な社会であれ、もちろん鳥だって、引っ越しをする際にそれまで住んでいた家や巣をゴミ屋敷にしたまま去ることは倫理にモトるのは当然です。然るに、現世代は石油製品(種々のプラスチック製品などです)や種々の金属くずや石綿やそれらがごちゃ混ぜになったゴミを時には不法に埋め立ててきました。合法と言ったって、少し厚いゴムのシートで防水しただけの「安定型埋立地」ですから、このシートが破れると下流には間違いなく地下水汚染が始まるでしょう。

古代人が貝塚しか残さずに退場してくれた様に、少し前のご先祖様が、山際まで良く手入れされた棚田やその上に美林を残してくれた様に、私たち現世代は、自分たちの幸福は犠牲にしても「生前整理」や「ささやかな財産を残す」活動を慌てて始めなければならないと思うのです。温暖化や原発あるいはゴミの山とかお国の負債とか、負の遺産は可能な限り圧縮してから退場すべきでしょう。出来れば、「財産」は無理でも、持続可能に暮らす知恵だけでも残してから去るべきでしょう。それが「世代間倫理」というものです。

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2014年12月26日 (金)

2583 減放射能技術

お国は、この国の産業構造を見直して、新たな産業を興すのだとか。やれ、航空宇宙だとか医療分野、バイオ、水素産業だとかを意識している様です。しかし、福一を含む原発の深い闇を放って置いて、目先を数十年先に向けさせるのは、お国のリーダー達の陰謀だとしか思えません。まず何は無くとも、お国は原発を推進してきた立場の責任として、悲惨な福一やその周辺の状況を少しでも改善する事に国の総力を挙げるべきでしょう。放射能の除染です。コスト面の障害で、これまでに行われてこなかった除染方法もいくつか残っている筈です。例えば、放射能をより多く出す核種別の効率的な処理方法だって、まだ考えられるでしょう。

同時に、この国の科学・技術の総力を挙げて、使用済み核燃料棒の適正な処理方法を確立すべきでしょう。原発の再稼働云々の議論はその先にしか行ってはいけないのです。原発の危険は、もちろん制御されているとはいえ、穏やかな核爆発が進行している炉体そのものの内部に存在しますが、あまり注目されていないとは言え、炉体内燃料よりはるかに多くの使用済み燃料棒が、巨大な燃料プールに保管されている事を忘れてはいけないでしょう。燃料棒自信が限度以上に発熱しなくなるまで、気の長くなる様な期間に亘って、冷却し続けなければならない「ふぉの遺産」の存在の事です。期待されていた高速増殖炉は、明らかに失敗してしまいました。MOX炉も本格的は運用はまだ先でしょうし、MOX炉でもやがては「使用済み燃料棒問題」が生まれてしまう訳です。

結論から言えば、放射能を消したり、弱めたりする有効な「減放射能技術」が開発されない限りにおいては、私たちは原子力を諦めざるを得ないと思うのです。もちろん、たとえアインシュタインを10人集めても、そんな技術が出来るとはとても思えませんが・・・。原発問題は、この国のリーダーが毎日の様に口にする経済問題などでは決してなく、現世代の将来世代に対する「倫理問題」なのです。

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2014年12月25日 (木)

2582 地震ベルト地帯

最近大震度の地震発生の確率が各地で急激に引き上がられました。地震が発生する深度がこれまでの想定より浅い事が判明しての見直しですが、学者の予測による確率が引き上げられたか否かに関わらず、実際の地震は確実に発生するのでしょう。この国の悲劇は、東海・東南海トラフによって引き起こされる地震の巣の上への、工業や人口の集積度がますます高くなっている事が挙げられます。その集積度は、いわゆる太平洋ベルト地帯に工業出荷の70%が、人口の60%が集中していると言うのですから恐ろしい数字ではあります。

太平洋ベルト地帯は、まさに南海・東南海地震でよる被害予測地帯、即ち地震ベルト地帯と見事に重なっている訳です。もし本当に、この地域を巨大地震が襲った事を考えれば、都市型の震災でもあった阪神・淡路大震災とは比較にならない程の被害が発生し、その修復には天文学的な数字の復旧費用と長い期間が必要であることが容易に想像できます。

私たちが考えるべきは、産業と人口の地方分散しかないと思うのです。自分の時代、あるいは親の時代に地方から太平洋ベルトに移住してきた人は、地縁や血縁が残っている内にUターンかIターンを考えるべきでしょう。人口減少や高齢化がハンパなく進行している地方は、喜んで迎え入れてくれる事でしょう。何度も書くように、北国では各戸が年間数十万円の光熱費を必要としています。現在はその殆ど全てを石油に依存していますが、かつての様にその一部をバイオマスなどの再生可能型エネルギーで賄えば、その分の新たな産業が必要になりますから、ペンやキーボードを、チェンソーや薪割機に持ち換えれば、仕事の有無を心配する必要はないでしょう。バイオマス利用などに関連する産業も当然必要になります。

地震ベルト地帯から、再エネエリアに分散移住する事により、東北や北海道や雪国には、現在の南ドイツやオーストリアや北欧の様に、森林を循環的に利用する暮らしが「再度」作れると思うのです。その様な暮らしは、実は災害にも強い事は言うまでもありません。それは、震災後石油や電力が絶たれて、悲惨な状態で寒さに耐えなければならなかった、3.11直後の状態を思い返すだけで十分想像できるでしょう。

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2014年12月24日 (水)

2581 遅れてくる温暖化

今年の世界の気温を見ると、全世界平均で平年を0.27℃上回っているのだとか。気温は当然の事ながら空気の温度を測っているので、温暖化の「巣」である海洋の温度に関しては、実はあまり注目されていないのではないかと疑っています。つまり気温の上昇は、それに輪を掛けた海洋の水温の上昇の結果ではないかと疑っていると言う意味です。海洋は、地上の気象を緩和する重要な役割を担っていはいますが、実は気象現象の出現を遅らせる働きもあるのです。

身近な例として、夏至や冬至という日照時間が最も長い、あるいは短い時期と、気象状の現象、例えば最高の平均気温や最低平均気温の出現時期が、数か月ずれる事は経験されているところでしょう。つまり、海洋は暖かさや寒さを貯め込んで、ジワジワ放出すると言う機能を持っているのです。毎年繰り返される数か月で放出(吸収)される熱エネルギーや冷温エネルギーは、どちらかと言えば海洋表層の現象に過ぎません。しかし、海洋は数千メートルもの深さまで縦方向の広がりを持ってる訳で、深層海洋に貯め込まれたエネルギーが放出されるタイミングは、最深層の場合1000年ものタイムラグがある事が知られています。いわゆる「熱塩循環」のサイクルです。

ここで言いたいのは、今マスコミなどで言われている「温暖化」は、じつはホンの予兆に過ぎないのではないか、という点なのです。真の温暖化は、エネルギーが貯め込まれた海の深度によって、数年あるいは数十年のタイムラグで襲い掛かってくる可能性も高いと見ています。実は、深海の水温は、アルゴフロートなどのシステムで地道に計測はされているのですが、なかなかその結果を一般市民が目にする機会はありません。継続的なデータは、たぶん深海における熱の蓄積を裏付けるでしょうから、それを分析して来たるべき「真の温暖化」時代に備える必要がありそうです。

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2014年12月23日 (火)

2580 経済外システム

長い経済のデプレッションから抜け出すのに経済的手法しかないのか、常々疑問に感じています。何度も書くように、経済は社会を円滑に回すための「一つの手段」に過ぎないと思うからです。しかし、他の手法とは何かを提案しておかないと、単なるAベノミクスの批判に終わってしまうので、頭を絞って考えてみます。

さて、社会を円滑に回す仕組みの一つに価値交換という行動があります。古の社会を想像すれば、それには物々交換しか手段は無かったでしょう。少し、作物や猟の獲物が余った人が、手の器用な人が持っている道具などと交換していた筈です。やがて、それが効率的な事が分かるにつれて社会における分業を促進し、そこに共通の通貨制度が加わって、徐々に現在の経済システムに近づいてきた事でしょう。とは言いながら、封建時代に長く続いた「コメ本位制」は明治時代に完全に終わった訳ではなく、田舎においては物々交換は比較的最近まで重要な価値交換の手段だったのです。親の代は、商売を営んでいましたが、代金の代わりにコメや野菜や果物を置いていくお客も多かった様に思い返しています。町の中心部には毎日「市」が立ち、近郷近在から手押し車や(冬場は)箱ゾりに農産物や夜なべ仕事で作ったワラや木の手芸品を積んで集まり、売ったり物々交換をして帰るのでした。

つまり、日用品や食糧などは「物々交換」あるいは「自給自足」という手段を駆使すれば、消費税などという経済システムとは無関係に価値交換が出来る筈なのです。問題は、交換する価値として「お金しか持っていない」人たちの存在です。しかし、問題はありません。健康でさえあれば全ての人は「労働力」という価値は提供できるでしょう。他の人に労働力を提供した証として、点数チケットの様なものをやり取りして、地域内であればそのチケットで他の人の労働力を受ける権利を交換できる仕組みを作る方法もあります。もし、それが地域通貨として通用出来るより広いシステムになれば、例えば食糧や日用品を手に入れる事も出来るようになるでしょう。

この様なシステムは、完全に日常生活に必須のものに収束するでしょうから、基本的には経済システムの、いわゆる景気変動などには左右されない安定したシステムになる筈です。一方に不安定な経済システムがあっても、他方に安定した「経済外システム」が存在すれば、社会の安定性は格段に向上する事でしょう。いわゆるDual systemです。両システム間のRedandacyが、外乱が生じた時のバッファーとして働くのです。バッファーの無いシステムは、外乱には無防備だと断言できます。

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2014年12月22日 (月)

2579 深い闇

昨夜のNスぺで、改めて放射能汚染の悲惨さ、底深さを確認しました。そして改めて、原子炉は一度燃料を入れてしまえば、殆ど未来永劫にわたって人の近づく事を許さない、「闇の城」になる事も認識させられました。原子炉の内部状況は、限られた数のセンサーで把握するしかなく、絶対に目視は出来ません。もちろん、冷温停止状態で遠隔のファイバースコープで一部をのぞき見る程度は可能ですが・・・。また、原子炉に物質を出し入れする作業も、全て遠隔操作に頼らざるを得ないのです。

つまり、炉が燃料を入れ、核分裂がはじまって放射能を帯びた瞬間から、外から完全にコントロールできる状態を維持できない場合、つまりは福一状態では、人は為す術を失ってしまう訳です。全てのセンサーが健全で、全ての遠隔アクチュエータが健全で、しかもそれを動かすための動力(操作系電力)が、24時間、365日、40年間健全に保てる保証など、出来る筈もないのです。何故なら、それを設計・建設した世代、それを受け取って正常運転に安定させた世代は、運用中の40年の間に退役してしまいますから、残された世代は正常状態をただ眺めていただけということになるからです。立ち上げた世代こそ、初期の異常状態を知り、それが修正出来たのでしょうが、その後の世代が知っている異常状態は、人為的に作られた訓練異常でしかない訳です。

加えて、同じ原発の中にも、初期に設置された古い世代の原発と、その後増設された新世代の原発が混在しており、その全てのシステムを熟視し、それぞれの異常状態に対処できる人材は、運用が長い原発程、ほぼ皆無になっている事でしょう。今の原発を一言で例えるなら「ブラックボックス」ということになるでしょうか。それを動かすオペレータは、たとえ内部の構造を知らなくとも、「どの様に操作するか」は知ってはいます。しかし、一度ブラックボックスが暴走を始めると、中身を知らないオペレータは、ただ放射能の恐怖に打ち震えるしか術は無くなるでしょう。福一の深い闇には、我々世代が生きている内は、たぶん光が差す事はないかも知れないと悲観しています。

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2014年12月21日 (日)

2578 どの道?

お国のリーダーは「この道しかない」と説き続けてきました。しかし、何度辻説法を聞き直しても、その道の行く先はモノがバンバン売れ、給料が上がり、いわゆる景気の良い「経済的勝ち組」のことしか口にしないのです。そんな時代は、しかし考えてみれば過去には何度か経験した筈のです。少なくとも景気の浮き沈みはありましたが、確かにバブル崩壊の直前まではそんな(右肩上がりの)時代でもあったわけです。

しかし、20年もの長い踊り場を経験して、この国のあり様は変ったのです。というより変わらざるを得ない状況に追い込まれたのです。そこから抜け出すための足掛かりとして、今のリーダーはまたぞろ昭和の手法を持ち出してきたのでした。どの様な道筋で考えても、国のリーダーの差し示すべきは、その国の将来像、つまりは社会システムや人々の暮らしのあり様とそれと表裏一体としての他国との付き合い方、なのです。絶対に、景気を無理に浮揚して税を増やし、過去に積み上げてしまった借金を返す、といった単純な経済的アプローチではない筈です。

一国の経済的成功は、21世紀に入って以降の「ゼロサム社会」では、必ず負け組を要求します。資源・エネルギーの有限性が明らかになったこの時代、持続的な成長など夢のまた夢なのです。たとえ、一時的に原油価格が値崩れを起こしたにしても、石油の産出量が少し陰りを見せるか国際紛争の火の手が広がると、またぞろ値上がり基調に戻るでしょう。

示すべきは、どの様な道筋で、モノやエネルギーやカネだけに依存しない社会を目指すか、如何にして莫大な借金を現世代の責任で帳尻を合わすか(あるいは権利放棄で帳消しにするか)であって、今はそこに知恵を結集しなければならない時代だと思うのです。この道を進んだとしてもロクな結果にならない事は、断言しても良いと思っています。何故なら最終ゴールを示さないリーダーに旗振りを任せているからです。濃い「カオスの霧」の中を前進するだけの登山隊の運命は危ういのです。

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2014年12月20日 (土)

2577 水素時代はやはり変

都内にも水素ステーションが出来たと言うニュースが流れました。まるで明日から水素時代が来るような加熱報道です。しかし、当面は化石燃料起源でしか商業的な水素が手に入らない限りにおいては、車を走らせるの自分の車からは水しか排出しない、などと言い張るのは「究極のエゴセントリック」だと切り捨てるしかないのです。何故なら水工場の煙突からはしっかり炭化水素から引き剥がされた炭素(CO2)が、ガソリンを焚いた時と同程度排出されているからです。それを深層の地下に封じ込めるなどと言う妄想(CCS)は全く現実味を欠いています。ガス漏れの可能性が無い「完全無欠な岩盤層」を持つ地層の探索、CO2の圧縮とそのために必要なエネルギーだけを考えても現実的ではないからです。前者に関しては、地震国で断層だらけのこの国にはそんなものは存在しませんから、どこかの国の地下を借りるしかないでしょうから、国際交渉や運搬のエネルギーも追加で必要です。後者については、実証プラントを建設してコスト計算をしない事には何も始まりません。

実はこの構図は原発と全く重なるのです。エネルギーが大量に必要だから、先ずはそれまで軍事目的で原子力空母や原潜などに限定的に使われていた原子炉(核分裂炉)技術を陸上に持ってきて使い、残される核廃棄物処理は後で考えると言う、後先逆転の構図です。水素自動車が使用国ではクリーンだからという理由だけ、どこかの国でCO2を出して置いて、子孫にその始末を押し付けると言う後先の逆転です。核分裂を利用するのであれば、残った放射性廃棄物を無害に処理する技術を、水素を使いたいなら、先ずは太陽光と水だけを使って水素を作る技術を確立してからにすべきでしょう。使う技術はラクチンで、作る技術は難しいのです。

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2014年12月19日 (金)

2576 石油型社会

石油と天然ガスでヨーロッパなどを牛耳っていたお隣のRシアが青息吐息です。何しろ、国家に予算における石油関係の歳入が4割を占めている国で、石油価格が60ドル/バレルをあっさり切り、しかも通貨価値が一気に半分に下落してしまったのですから、ダブルパンチです。と同時に国際社会が如何に石油価格左右され、その価格にコントロールされ得るかを如実に示した形でもありました。つまり石油を供給する側が売り惜しみをすれば、石油ショックの様に急激に値上がりしてパニックを起こし、現在の様に石油価格が値崩れを起こせば、オイルマネーに依然する国がパニックを起こし、それにつられてそれらの国にモノを輸出し、投資の受入れを頼っているこの国の様な工業国もヨタヨタせざるを得ない訳です。

つまりは、20世紀を通じて石油型社会それに伴う国際的な枠組みがすっかり出来上がってしまったというしかありません。しかし、それが非常に脆いものである事も時々刻々明らかにもなってきました。私たちは、ソロソロ別の道(非石油型社会)を模索しなければならないと思うのです。それがどの様な社会であるかは、石油が貴重で「湯水ではなかった」時代にヒントを見出すしか無さそうです。石油が、ペットボトルに詰めた同量の水より安い、という時代は確かに「異常」だと見るしかないでしょう。

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2014年12月18日 (木)

2575 爆弾低気圧

今回の低気圧の発達は尋常ではありません。まさに爆弾低気圧です。しかし、気象庁による日本近海の海水温を見るとその訳が納得できます。

http://www.data.jma.go.jp/gmd/kaiyou/data/db/kaikyo/daily/sst_jp.html

北海道の西方やオホーツク海の海水温が平年比で数℃高くなっているのです。低気圧は、大陸からの温度の低い気団と海洋の温かい気団がジェット気球に流されながら混じり合う時に成長します。その際、両気団の温度差が大きい程急激に発達する事になります。今度の場合上空5000mでは-36℃以下の寒気団が、日本近海の20-8℃程度もある海面上の気団と触れ合う訳ですから、両者の気温差は40℃を大きく超える事になり「爆弾」のエネルギーを手にする事になります。今回の低気圧の通過によって海水がかき混ぜられ、表面温度が低下すればOKですが、あまり変わらないのであれば、今シーズン中の再来も覚悟しなければなりません。

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2014年12月17日 (水)

2574 政治離れ

左腕がケガで当分(全治1か月?)不自由なので、右手だけで短めの投稿です。さて今回の選挙の結果をやや退いた目で眺めると、明らかに国民の政治離れが進行していると言わざるを得ません。「国が栄えて民が疲弊する」現象が、かなり深く進攻しているのでしょう。あるいは、国(政治)への不信が進んでいるとも言えるでしょうか。政治屋や選挙屋は、政治ショーをいい加減に切り上げて、民の信頼を引き寄せる行動に早く戻るべきでしょう。目的とすべきは、景気を良くして税収を増やすことではなく、低所得でも低いリビングコストで心豊かに暮らせる社会でしょう。そうなれば、民心は少しは国に近づくかも知れません。この国の住宅の質は先進国では最低で、そこに住むためのコストはべラボーに高いと言わざるを得ません。この点だけでも為すべき事は山ほどあります。老後にへの心配が一切無くなれば、高齢者も詐欺に狙われるだけのタンス預金を放出し、あるいは債権を放棄してくれるかもしれません。

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2014年12月16日 (火)

2573 いわゆるリコール問題

車の安全装置に関わるリコールは、さながら大きな雪崩の様に拡大し、まだ歯止めが掛かっていません。本来安全装置であるべきモノが人を傷つける原因となる事はあってはならない事ですが、ではその安全性がどの程度「検証」されていたかが問題です。衝突事故とその原因、さらに衝突のシビアリティにはいくつかのパターンがあると想定できますが、同時に車が使用される雰囲気も多様です。何百万台もの車に取り付けることになる安全装置が一体いくつの気象条件や想定パターンで試験されたのか正確に振り返ってみる必要があるでしょう。事故を起こし安全装置が働く場合、想定すべきパターンをFailure caseと呼びますが、それ想定が多い程理想的な製品とその評価試験に近づくでしょう。

そもそも温度や湿度が、機器の機能に影響を及ぼすなどの想定は、いわば基本の「キ」であり、車であれば冬場はマイナス数十℃にまで下がる極寒の地から、日中は5-60℃まで上がる熱帯の砂漠地帯まで、使用すると想定される温度・湿度環境の幅は、素人にも想定できる範囲です。なのに、B国の南部と北部で、リコールに差をつけるなどは誰にも理解されない筈です。そもそも、北部で使っている車が、旅行や引っ越しで南部に移動するなどは、日常茶飯事で措定される事態です。

安全装置から金属片が飛び出してきた今回の事故に関しては、メーカー側に勝ち目は無さそうです、この上は潔く兜を脱いで、善後策を練るべきでしょう。その結果、もしかするとこの企業は消えてしまうかも知れませんが、今後は地震発生時に倒壊家具から寝ている人を守る安全装置や、自転車での転倒時や火山の噴火の時に、防止やヘルメットから緩衝材が飛び出して、火山弾から頭や人を守る安全装置などを実用化して是非巻き返しを狙って貰いたいものです。

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2014年12月14日 (日)

2572 石油価格

原油価格が「値崩れ」を続けています。2011年以降は、大体100ドル/バレル以上をキープしてきた筈なのに、消費量が右肩上がりであるにも拘らず、ここに来ての値崩れです。色々要因はあるのでしょう。OPECB国のシェールオイル陣営との意地の張り合いで、増産傾向にある中で、いわゆる先物価格も値を下げざるを得なかったと言うのが、表面上の原因とされています。

しかし私たちは、表面上の(操作された)価格に踊らされてはならないでしょう。時々の価格は確かに市場で決まりますが、言わずもがなながら化石資源としての石油は有限なのです。しかも需要は、途上国を中心に確実に伸び続けてもいます。何しろ、全世界では毎年「億台」に迫る勢いで車が大量生産されている訳で、それらがそれぞれ年間数百リッター単位でガソリンをがぶ飲みする訳ですから、石油の埋蔵量がいくらあったとしても、それは年々減っていく事は免れ得ないのです。

さて先物取引ですが、これはその取引に関わる人たちが損をしない様に仕組まれた、いわば保険の様なものであり、右肩上がりであろうが、今回の様に値下がりしようが、結局は誰も大きくは損をしない様に出来ている訳です。損をしないどころか、この仕組みを逆手にとって、莫大な利益を上げている輩も多いのが実態でしょう。株であろうが、債権であろうが、原油価格であろうが彼らのやり方は同じです、値段を吊り上げておいて、売り抜いて利益を得るか、あるいは逆に底値になった時点で大量に買い、値段が上がったところで売りに転ずる訳です。市場価格が乱高下すれば、それを利用して儲ける輩が徘徊するのです。

私たちが為すべきは、例えば3割などという大幅な省エネを実行して、デマンドを下げて価格を抑える努力だと思うのです。OPECや石油メジャーが最も恐れるのは、需要が右肩下がりに落ちていく事なのです。精々省エネに励んで、今の売り手市場から、いわゆる買い手市場へ移行させれば良いのです。いずれにしても、石油などの地下資源を、必要で最小限の量を使いながら、出来るだけの資源を将来世代まで残していくのが、現世代の役割でしょうから・・・。

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2014年12月13日 (土)

2571 経済に振り回されない

以前も書いたような気がしますが、人は時として目的と手段を逆転させる事があります。というより、頻繁にそれを繰り返してきたと言うべきでしょうか。ここでは、今回の選挙でも焦点の一つとなっている経済(三本の矢や税やTPP)について考えてみます。経済は、それが始まった時代は確かに手段でした。物々交換の不便を解消するために、人々はモノやサービスの価値を一度お金(通貨)に換えてから交換する手段を考え出したのでした。この時に「利益」も同時に発明された筈で、価値交換の都度誰かが利益(つまりは上前です)をはねる権利?を手にしたのでした。初期の金属で作られた金銀銅で鋳込まれた兌換通貨は、その後紙幣にとって代わられ、やがては紙に、信じられない様な額の数字が印刷される事になったのでした。歴史的な事実で言えば、かつてはB国では10万ドル紙幣が印刷された時代もあったのです。

しかし、リスクも伴う札束や高額紙幣の持ち歩きは嫌われ、今や実体としての通貨の殆どは「電子マネー」、つまり、コンピュータの中のデジット(数字)に置き替わってしまいました。この時代、価値の移動は数秒のキーボードの操作だけで、国境を越えて移動出来てしまう時代なのです。さて、国の顔とも言える政府を維持するために、私たちは税金という別の経済の仕組みを許容してきました。そのシステムを支えるために、かつては強制的に、現在はその仕組みを動かす法律を作ったお上を選挙によって認める形で収入の一部を献上しています。しかし、その税を運用するシステム自身は、税の徴収とその運用自体が目的化してしまった事にはたぶん気が付く事はないのです。ヒトは、自分自身の弱点を認識することがもっとも苦手なのです。

さて、既に経済が手段ではなくなって久しく、今やそれ自体がお国の目的になってしまったこの時代ですが、少なくとも私たちはそれに振り回される事無く、冷静に振舞いたいものです。具体的には、増(減)税や助成金や石油価格の乱高下や景気の良し悪しなどに振り回される事無く、必要かつ十分のモノで満足しつつ、この国の文化であるココロの豊かさを目指すべきだと思っています。たとえば、短歌や俳句や川柳など言葉だけを使ってこれほど豊かな精神世界を作れる民族は、世界広しと言えどもこの国にしか見つからない筈なのです。経済や税は、決して目的にはなり得ず、国を形作る一つの手段(One of them)に過ぎないのです。

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2014年12月12日 (金)

2570 選挙家?

あの人達は、選挙になると俄然存在感が増してくる人種の様です。あの人たちの堂々巡りで全く噛み合わない国会論議にはいつもウンザリし、イライラもしますが、一旦解散となると抜群のフットワークで疾風の如くに全国を駆け回り、元気なところをアピールするため寒空に無理をしてコートも着ないで、当選したあかつきの公約をトウトウと並べ立てます。そして最終日には、選挙カーのスピーカボリュームをMAXに上げて名前や党名だけを連呼するのです。お札を湯水の様に印刷しても景気は一向に回復せず、逆に国の借金は雪だるま式に「天文学的な額」に増え、Fクシマ収束のゴールは見えず、近隣の国々との関係も上手く行っていないと言う事実は、多分マツリゴト(政治)は殆ど行われていない証拠だと思うので、取り敢えずここでは彼らを「選挙家」と呼ぶことにしましょう。

さて彼らが、テレビや街頭の演説で何を口約束し様が、徹底的に裏切られ続けてきたこの国フツウの人々は、冷やかに眺めているだけです。北欧の様に、国が揺り篭から墓場まで自分達を守ってくれることが信じられる人々の場合には、収入の半分近くを税金として差し出す事も厭わないのでしょうが、この国では人々はマツリゴトを殆ど信用していないので、たった8%の消費税率でため息をつき、10%の税には強い拒絶を示すのです。

さて、今度の日曜日はどうしたものでしょう。批判ばかりではなく、将来像を少しは口にするマシな選挙家に投票するのか、あるいは明らかな批判票を投ずるのか、思案のしどころではあります。

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2014年12月11日 (木)

2569 近視眼

何故各政党はかくも近視眼的な政策しか提出しないのでしょうか。何故選挙の焦点が、景気対策や、目先のエネルギー問題しか出てこないのでしょうか。もし仮に景気が浮揚したとして(既にAベノミクスはファンドに見透かされて金儲けに利用されていますが)、それはやがては息切れがし、手ひどい反動が出る筈です。過去の景気の山谷の歴史が明確にそれを証明しています。

何故、最も重視すべき第三の矢が見えてこず、金融や財政策など、やり易い政策を先に俎上させるのでしょうか。金儲けに聡い人たちは、もちろん先を見透かして、ちゃっかり金儲けをする行動に走るでしょう。実際の経済規模が大きくなる前に、先に誰かが儲けてしまったとすれば、誰が損を被るのでしょうか。「貧乏くじ」という言葉がありますが、結局はそれを引くのは物言わぬ大衆(Silent majority)か、もっと直接的に言うならば「真面目な納税者」、あるいは最終的にはまだ見ぬ可哀そうな将来世代かも知れません。

私たちは、兎にも角にも未来の社会を思い描き、それを実現するためのステップを作らなければなりません。キーワードは、当然の事ながら100年後も安寧な「持続可能型社会」となりますから、そこに現世代人のエゴを持ち込む訳にはいきません。人口が減っているのに無理にGDPを押し上げて、過去に作ってしまったが天文学的な額の借金を返そうなどと考えてはならないでしょう。他国との紛争を想定した憲法を作るより、上手く付き合う方法を考えるべきでしょう。原発を再稼働させる前に、今原子炉建屋のプールの中に沈めている使用済み燃料の処理方法を確立すべきでしょう。いま選挙に走り回っている人たちの主張をそれとなく聞いていても、まさに目先の政策しか口にしていないのは、いつもの事ではありますが、ひどく幻滅してしまいます。政治的無関心層が増えているのも納得するしかありません。

それが正しいかは、100年後の歴史家が振り返るにしても、私たちはここで、立ち止まって100年先を見越したプロットを置くべき時期だと思うのです。このブログでも縷々それを考え、書いてきた積りではありますが、その結論は「伝統的な生活こそ持続可能」というものになりました。その暮らしの中に散りばめられた工夫や知恵の数々を堀起こし、現代風にアレンジしていけば良いのです。それは、持続可能に身近で手に入るモノやエネルギーに頼った生活なので、もちろん持続可能性は格段に高いからです。取り敢えずは100年後を眺めてみましょう。

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2014年12月10日 (水)

2568 スマートグリッド再考

今回の四国山中の孤立と悲劇で、改めて明確になった事があります。電力網はグリッド(格子状)ではなく、単線であったと言う事実です。唯一集落にエネルギーを供給していた電線や電話を含めた情報出入り口であった光ケーブルが、重い雪で同時に断線した訳です。都会に住んでいる賢い?人たちが発想すると、将来はなにやら「スマートグリッド」というシステムが理想なのだそうです。このシステムでは、デマンドに応じた負荷変動や不安定な再生可能型発電からの供給を「スマート」に調整できる夢の電力網なのだとか。しかし、田舎のそれも山間の集落に届く電力を送る細い電線は、非常に華奢でか弱いインフラにしか見えません。

グリッドは、格子状になっていて、いざという時は迂回してバックアップできるからこそその名前があるのであって、現在の様な電力網は、「樹状電線」とでも呼ぶしかないでしょう。もし、複数のバイパスを作るインフラが、コスト上許されないのであれば、少なくとも送電の途中か、最終の需要家にバッテリーやキャパシータを置いて、いざ(停電や電圧低下)という時のバックアップを考える必要があります。

そんな面倒くさい事を考えるより、いっそ電力を補助的なものと考え、無線による通信手段を確保した上で、エネルギーの基本をバイオマスと太陽熱、ささやかなサイズの太陽光で賄い、電力は照明やTVなどの限定的な用途に使うわけです。その結果、各需要家には車のバッテリーに毛の生えた程度の小容量の蓄電設備で、数日間程度の停電には対応できる筈です。スマートグリッドなどいう、一見超便利な仕掛けを考えたとしても、人口がすっかり減ってしまった田舎に適用するのはやはり現実的ではないのです。田舎には、やはり分散的で自律的で再エネ(明言するならバイオマス)を中心に据えた小規模システムしか合わないと割り切るしかないでしょう。

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2014年12月 9日 (火)

2567 例えば官僚組織

2566の続きです。官僚組織は、この国の近代化や戦後の国主導の高度成長期においては、間違いなく有効に機能する仕組みでした。一度政策の路線を引いて、その上を行政列車を走らせるのは、正確な時刻表とそれを実現させ得る財政面の裏付けがあれば、その組織をもって当たれば容易と言えるでしょう。予算を組み、それを上手くばら撒くためにこそ、官僚組織は存在してきたわけです。

しかし、この先どうすれば、この国の将来が上手く進み、将来世代を利する事が出来るか、ゼロから思考するのは、実は官僚組織は苦手なのです。というより、彼らはその様な訓練は受けていないと言うべきでしょうか。何にせよ「新しいこと」始めるのは、行政組織にとっては「前例」が無い事であり、どの様に企画し、その予算を組めば良いのか分からず途方に暮れる事でしょう。民間企業においても、事業企画の専門組織を持っている場合でも、新規事業の企画や立ち上げは最終的には取締役会を通過しなければならないため、なかなか難しい話なのです。ましてや、年度事業の予算を組み、それを転がすのが仕事と認識している行政マンには、難しい課題だと言えます。

この国の方向を、政治家(屋?)や官僚組織に上手く決める事が出来るかどうかに関しては、実はかなり懸念を抱かざるを得ません。というのも、例の第三の矢とやらが一向に具体化していない事一つを取っても、それは明らかでしょう。学者が作った「抽象的な政治用語」を使った、分かりにくい方針はそれなりに示されてはいますが、では東北の片田舎の県や町が、そこに住む人達が、取り敢えずあるいは10年後まで何を為すべきなのか、さっぱり見えてこないのです。地方行政は、相変わらず雇用を生み出すために、詐欺まがいのコールセンターや下請け企業を誘致する程度の知恵しか出せないでいます。地場産業などという産業は確かに昔は存在しましたが、今やその多くが消えてしまっています。

中央集権の権化である官僚組織は、縮小するしか地方再生は機能しない事は、火を見るより明らかです。地方が為すべきは、下請け体質の企業の誘致ではなく、地方が実際に必要としている消費財やエネルギーを、地方の中で作り出して流通させる事なのです。地方に必要なのは、中央資本のスーパーマーケットで、輸入食糧を安く買える仕組みではなく、町の郊外で採れた食材を公設市場で新鮮で安く買える仕組みなのです。また、近郊の山の木を利用して、バイオマス燃料を、灯油の半額で利用できる仕組みを作る事なのです。そんな日常生活に密着した仕組みなど、「学歴と電卓しかない官僚」にはとても作れないと断言できます。残念ながら、この国の国質そのものであった今の政治システムや官僚に、自分自身を変えることはできないと見ています。

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2014年12月 8日 (月)

2566 国質変化

この国の為政者は何か重大な勘違いをしている様で国の行く末を強く懸念しています。人間の体でも、歳を重ねるに従って体質が変化してきます。つまり、若い頃の成長期、青年になっての子供をもうけ、それを育む世代、それが終わって健康の維持をしながら大きな苦しみの無い穏やかな人生のピリオドに向けての中高齢期、という具合に人生のフェイズが変り、自然体質も変化していきます。女性の場合は、もっと劇的な変化も経験する事でしょう。

一方で、文明や国には体質変化は無い、などとはとても断言できないでしょう。文明や国にも、その発祥から発展、最盛期を経ての衰退期と、やはりフェイズの変化が起こる事は、歴史が証明しているところでしょう。歴史の教科書で習った、多くの文明や国々の盛衰は、まさに諸行無常というしかありません。さて、この国の状況です。最盛期を超えて衰退期に入ってしまったかどうかは、100年後の歴史学者が決めるのでしょうが、少なくとも人口減少と少子高齢化の急激な進行に伴って、この国の体質(国質)が変化してしまった事は、否定しようがないでしょう。それは、産業や経済にも同様に言える事で、戦後の荒廃から立ち上がり、高度成長期を経て公害やバブルを経験し、そして20年にも及ぶ停滞期を経験した訳です。

今のリーダーは、お金をダバダバに印刷し、景気を煽る事を政策に掲げていますが、私たちが今為すべきは、立ち止まって足元を確認し、今後進むべき道を改めて思い定める時期だと思うのです。その上で、選択すべきは、やや抽象的にはなりますが、モノよりココロの満足を重視し、この国の伝統的な暮らし方である質素と工夫を生活の中心に据えて、そろそろ世界から尊敬され、手本とされる社会を目指すべきでしょう、と言っておきます。少なくとも、この国の国質の変化を認めた上で、マツリゴトの方向を示すべきでしょう。なにか、マツリゴトには経済と集団的自衛権やお金が必要な福祉だけしか無い様な雰囲気は、この国の方向を誤らせる様な気がして、強く危惧してしまいます。

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2014年12月 7日 (日)

2565 利雪

秋田に戻り、朝寝坊しての遅い投稿です。秋田では今年も根雪の季節になりました。この季節になると、その度に温かい日本海と厳しいシベリア降しの、絶妙なコンビネーションが作り出す気象の仕組みの奇跡とそのパワーに圧倒されます。気温が非常に低く、少しの降雪が見られる地域は、高緯度地方には珍しくはありません。季節風が高い山に当たり、スキー場が作れるくらいに雪が積もる地域もそれなりにはあるのでしょう。しかし、平野部にこれだけの積雪が見られる地域は世界でも稀でしょう。これまでこの地域では、雪とは天からの好むと好まざるには関わらない古からの頂戴物であり、冬はその厳しさにじっと耐えながら、炉辺で手仕事をして暮らす生活を基本としてきた訳です。雪が一晩で数十センチも降り積もると、それが締まって重くなる前に、屋根の雪降しや通路の除雪を行うのが冬の日常でした。

雪国でも暖房は、囲炉裏や火鉢や薪ストーブに代わって、石油燃料を使う「機械」に置き換えられ、道路の除雪は重機やエンジンのついた除雪機が活躍する時代になりました。しかし、そうであればあるほど除雪した雪の捨て場所には、毎年苦慮するようになってしまったのです。広い駐車場の隅は、冬は雪捨て場に替わりますし、橋のたもとの堤防の横、あるいは活用されていない空き地は、絶好の雪捨て場になってしまいます。

ここで考えなえればならないのは、重機や除雪機で雪を集め、トラックやダンプを使って雪を決められた場所にする訳ですから、別の視点で見るとそれは「冷熱の集積」でもある訳です。実際、まだ例は少ないのですが、農産物の氷温貯蔵の目的で「雪室」が作られ稼働しています。先日見学したJAの雪室は、1500トンもの雪を蓄える事が出来る規模でした。集めた雪は、適当な断熱対策を施せば、夏過ぎまでキープしておくことは十分可能です。低地に適切に保温された壁を作り、そこにトラックが雪を降ろせる様に可動式のランプウェイを設ければ、大量の(数千トンレベルの)雪を集める事は十分可能です。その上に、太陽光を遮断し、かつ適当な断熱性能を持つ厚手のカバーを掛ければ、夏まで膨大な冷熱を蓄えておく事が出来ます。雪氷による冷熱は、モノの冷蔵取り分け農産物の冷蔵保存には実は理想的なのです。それは、温度と湿度のバランスが、農産物に取っては非常に快適だからに他なりません。蓄えた雪の下には、適当なスペースを確保できるように床板を張って置けば、その下は、農産物、取り分けコメや野菜や果物の理想的な保管場所になるでしょう。雪国では、雪は嫌でも雪は雪捨て場に集めなければならない運命にあるのです。

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2014年12月 4日 (木)

2564 視野狭窄

文字通り視野が狭まる事を意味します。医学用語では、眼球の器質的病変により、視野が狭まってしまう事を意味するのでしょうが、ここでは速度と視野の関係を考えてみます。車などで高速で移動する場合、運転者の視野は速度に応じて狭くなってしまいます。これは、ヒトの視神経とそれを処理する脳の処理能力(容量)が限られているため、高速になるほど車の進行方向の、それもごく狭い範囲しか認識できなくなるためです。速度と視野角の間には、何らかの数式で島される関係が成り立つのでしょうが、詳細には触れません。

それより、実はこの関係が人が物事を推進する場合にも当てはまるのではないかと、類推しているのです。例えば政治家が、国のマツリゴトを推し進める場合を考えてみます。その時のリーダーは、自分が推し進め、あわよくば歴史に名前を残す様な政策で業績を上げたいと思う事でしょう。そのために、マツリゴトの渦中にある時は「この道しかない」などとのたまうことになります。これは、明らかな視野狭窄に陥っているとしか言えない状態でしょう。政策として取るべき道は無限に存在する筈です。しかし、どの国の、どのリーダーでも絶対見通すべきゴールは、その国の安寧と子孫の繁栄である筈です。そのためには、近隣諸国とのもめ事はなるべく起こさないために、細かい配慮も必要となるでしょう。

さて、今この国が、そのリーダー達が、たとえばデフレ脱却、景気回復、安定エネルギー確保、集団的自衛権などの極端に視野の狭い政策の推進に陥っていないでしょうか。その様に疑われる状況は、実は戦長い間続いている様にも思われるのです。その道の一つが、戦後一貫して国の政策であり続けた「終わりなき経済成長神話」です。経済成長なくして国の繁栄無し、は確かにある時期までは正しい道だったかも知れません。しかし、バブルの崩壊とその後の長いデプレッションの時代を経て私たちは、「お金以外の」もっと多様な価値観を醸成すべきだったと思うのです。経済的に、食っていくには困らない程ソコソコ豊かで、しかしココロはたっぷり豊かな暮らし方もある筈なのです。多分続きます。出張のため、明日から数回休稿です。

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2014年12月 3日 (水)

2563 逆オイルショック?

最近何度目かのデジャブを見ている様な感じがしてなりません。1970年代の二度のオイルショックは、中東戦争を引き金としたOPECの価格引き上げカルテルにより石油価格が2倍に跳ね上がり、更には革命によるイラン石化からの石油が絶たれたことをきっかけとして、もう一段の価格上昇が起こりました。この価格上昇には、もちろん需給バランスが崩れたことによる価格上昇はあるのですが、投機対象としての石油先物取引が、その価格上昇率を大きく増幅した事は間違いないでしょう。その証拠には、需給バランスはそれほど変わっていない時期においても、「逆オイルショック」と呼ばれる現象により石油価格は大きく下落したのでした。もちろん、オイルショックに懲りた石油輸入大国であるこの国は、血のにじむ様な省エネ努力で、結果つぃて世界に冠たる省エネ大国になった事は銘記すべきでしょう。製造業における、単位製品当たりのエネルギーは勿論、家電製品などの分野でも省エネ性能は、飛躍的に改善したのでした。

石油価格を長期レンジで眺めてみると、実は2000年代に入ってからも2004年以降の数年間は、いわば「第3次オイルショック」とも言えるレベルに価格が跳ね上がりました。その背景には、BRICSやそれを追いかける途上国の石油のがぶ飲みが始まった事はもちろんですが、それを増幅したのは、投棄マネーのパワーがモンスターの様に巨大に膨らんだことがある筈です。しかし、2008年には、その上昇がウソの様に止まり、そして下落しました。しかし、特に隣国のC国のがぶ飲みが止まらず、つい最近まで再びじりじりと価格上昇が続いたのでした。

にも関わらず、ここに来てまたまた石油価格が崩れ始めたのは、やはりB国のシェールオイル、シェールガスに対抗するため、OPEC諸国の値上げの足並みが崩れてしまった事に原因が見出せそうです。これらの石油の値上がり、値崩れ繰り返しの歴史は、何度も見せられるまさにデジャブと言うしかありません。しかし、事実としては実質的に利用できる石油の採掘量の半分、つまりはオイルピークは間違いなく通貨した筈なのです。石油の使用量を減らし、結果として値崩れしたとしても、過去の様な安値に群がってのがぶ飲みを控えて、それを次世代に残しておくべきなのです。

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2014年12月 2日 (火)

2562 科学の種類2

2560の続きです。実用科学は、確かに私たちの暮らしを便利にはしましたが、物事には両面ある事を忘れてはならないでしょう。例えばPCBという物質がありました。ありましたと言うのは、現在はこれを製造してはならないと言う法律があって、既に作られてトランスなどの絶縁油として残っているものは、毒物として特定管理が義務づけられているのです。絶縁油や、熱媒体として非常に安定した物質であるPCBは、しかし人間や生物に対しては、強い毒性を示す物質でもあった訳です。しかも、化学的に安定である事は、裏返せば、環境中で、なかなか分解されず長く留まり続ける困った性質を意味します。

また原子力は非常に密度の高いエネルギー源ではありますが、今問題になっている様に核分裂反応によって生成される強い放射性物質は、あらゆる生物にとって、地上のどの毒よりも強烈な害を及ぼす存在でもあります。一般的に言えば、いわゆる効能であるプラスの部分が際立っているほど、その負の側面も強力だと言えるかも知れません。原子力と放射能は顕著な例ですが、別の例も挙げてみましょう。例えば、航空機です。現代社会では、長距離を移動するのに航空機程便利で早い乗り物はありません。大型機の場合は、600人前後も一度で運べますし、音速よりはやや遅いですが、800/hをかなり超える速度で飛行する事が可能となっています。しかし、負の側面としては、例えば航空機事故や、高高度大気の汚染などが挙げられるでしょう。多くの場合、航空機事故は乗客全員の犠牲をと言う結果に終わります。また、10㎞もの高高度を飛ぶため、航空機が出した排気ガスが、対流せずに永く層状になって大気中に留まる事になります。その長期的な悪影響に関しては未だ十分には確認できていないのです。

この様に、科学に限らず、物事には少なくとも表面と裏面がある事を忘れてはならないでしょう。科学者たちは、自分の手柄をアピールする事に熱中するあまり、負の側面を過小評価しがちになりがちだと勝手に想像しています。

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2014年12月 1日 (月)

2561 小休止

多忙のため休稿です。

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