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2015年1月18日 (日)

2597 私有財産

T.ピケティの白熱教室はなかなかに刺激的です。彼は学問として専ら、持てる者から見るとあまり触れて欲しくない「不平等」を扱ってきた様です。番組の中で、所得の不平等を、労働所得と資産所得に分けて論じている点は非常に腑に落ちました。社会の下層は、資産が無い事によって常に下層に甘んじ、所得のトップ10%の資産家はそれを受け継ぐものも含めて、裕福な状態を保つと言う、社会の仕組みは、当たり前と言えばあまりにも当たり前ですが、改めてそれを噛みしめてみました。

さて土地や家や設備あるいは金融資産など、この国に住む人々が持つ総資産額は、史上最高のレベルに達した様です。それでどうしたと言われれば、確かにささやかな預金以外の金融資産とて持たない(持てない)貧乏人には関係の無い頭の上の話ではあります。持てるものは、あらゆる手段を動員して、更に資産を増やそうと走るでしょう。ですから、石油や為替やある国の通貨(最近の話題はヨーロッパの小国のフランでした)、農作物などあらゆる「相場」の変動を利用して、それを売ったり買ったりして荒稼ぎをする人たち(ディーラー)に資産を託す行動に出るのです。

いわゆる自由主義経済の社会では、私有財産こそ至上の財産として認められていますので、ささやかな税金を課す程度では、貧富の差は広がりこそしても、今後とも縮む事は考えられません。それでなくとも、この国では封建時代から一貫して、取りやすいところから税をせしめる風潮が定着していますから、北欧諸国の様な高負担、高福祉など言う分配の仕掛けは定着しにくいと言えそうです。戦後のあの時期の様に、真面目に働けばそれなりの労働所得が得られたが、皆が金融資産など持っておらず、基本的には貧乏だった「平等な時代」を懐かしがっているのは、投稿者だけではないでしょう。労働資産って、あるいは金融資産って、財産って一体何なのか、改めて考えてみても、自由主義経済だけの社会システムでは、不平等は拡大傾向は止まらないのだろうと溜息しか出ません。やはり、体を動かさないで得る所得(不労所得)には、重めの税率を課して、金融を揺さぶって荒稼ぎする輩を牽制するしかないのでしょうか。口を開けばトリクルダウンなどと口走るAベノミクス論者には、氏の著書でも煎じて飲ませたい。

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