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2015年1月31日 (土)

2610 経済主義

新自由主義というか、現代的な意味での民主主義と呼ぶかは別にして、あらゆる意味で私たちは「経済主義」の世界に住んでいると言うしかありません。それは、あらゆる活動を一度「経済=お金」に換算しないではおかない世界でもあります。宗教ですら例外ではありません。宗教法人は予算を立てて、それを執行し、確定申告を行う義務もあるでしょう。もちろん、営利活動をしていないと申告すれば、公益法人並みに非課税とはなるのでしょうが・・・。非営利可動だとしても、スタップの生活費や、信者への還元、あるいは建物の光熱費や修繕費など、経常的なお金はどうしても掛かってしまう訳ですから、経済活動から距離を置く訳にはいいきません。

一方、一般的な社会生活は、殆どが経済主義一色というしかない状態です。衣食住のすべてが経済主義社会に依存しないでは済まされないからです。借家の場合は家賃を支払い、持ち家の場合でも固定資産税の網に掛けられます。衣服を糸を紡いで、布を折って自作する人は稀でしょうし、農家でもない限り、というより農家でさえ、スーパーマーケットで食品を買わないでは済まされないでしょう。つまり、お金が無ければ夜も日も明けない社会になってしまったと言う事実は否定できません。それをここでは仮に経済主義社会と呼んでいる訳です。

それの何処が悪いかですが、最近は弊害ばかりが見えてきていると言うしかありません。振り込め詐欺などお金に絡んだ犯罪の多発は言うに及ばず、人々の主観が主にお金を通して形成されるに至っては、言葉もありません。私たちの多くは、ココロの底では、原発継続に疑問を感じながら、経済主義を唱えながら、口を開けばたった三つの政策で景気を浮揚させると言い切り、道はそれしかないと説くリーダーを支持し、その結果の経済指標の変化に一喜一憂する民に成り下がったのです。経済主義の最悪の側面は、それが刹那的過ぎると言う点だとしてしてきましょう。経済主義者が100年先を語る事は皆無でしょう。今日明日、長くても3年先で結論を閉じてしまいます。従って、国庫に天文学的な負債が積み上がっていても、それを直視しようとはしない訳です。刹那的な行動は、野山に棲むケモノ達と何ら変わるところはないと断ずるしかありません。私たちは、子孫のために行うべき「計画」という最も人間的な行動を放棄してしまったエコノミックアニマル(経済主義者の別称ですが、この言葉は既に古語になった感があります)に進化?してしまったのでしょうか。同様のテーマで多分続きます。

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